第1376日目 〈こんな夢を見た(その6);大洪水に呑まれた世界の片隅で〉 [日々の思い・独り言]

 ときどきシャッターが開いてしまうので寝るときちゃんと閉まっているか確かめてね。そんな風に母から忠告されたことを思い出している。外は雨だ。水はすぐそこまで迫ってきている。
 この雨が何日、否、何十日降り続いているか、もう覚えていない。新聞は早々に配達されなくなり、テレヴィは地上波もBSもCSも映らなくなって久しい。ラジオだけが頼りだが、いまや放送は一日に数十分しかなく、世界がいったいどうなっているのか、なによりも、この雨が止む気配があるのかどうか、外の情報はまったくといっていい程入手できなくなった。隣近所ですらその安否は難しいのだ。況や外の世界をや。携帯電話も固定電話も通じない。この数十日というもの、聞くものはラジオの男性アナウンサーの声と<君が代>、そうして間断なく降り続ける雨が窓や壁、屋根に容赦なく叩きつける音と、時折巻き起こる暴風の音ぐらいだ。自分以外の人間が生きているのかどうか、ラジオが黙りこんでいるとそんな疑問を弄んで、訝しむ。
 電気が消えた。停電であろう。家のなかは全き闇に閉ざされた。影法師の片鱗も窺えない。これまでは何時間か後に復旧したが、もう今度は駄目かもしれない。外は雨、というよりも、洪水というた方が相応しい状況だ。いったい誰が電力の復旧に駆けつけられるのか。そうと悟って、階段の下の収納庫から蝋燭を一本出して、マッチを擦って火を点けた。仄かな灯りが周りを照らした。本来ならあたたかなその灯りに物思うこともあったはずだが、いまとなってはそんな感傷的な思いを抱くことはなくなってしまった。そうしたことのすべては心に余裕あってこその贅沢な行為であったことを斯様な終末的事態に遭遇してようやく知った。遅かっただろうか。
 居間のすぐ外まで水は迫っているようだ。小高い丘にあって洪水もここまでは来ないだろう、と高を括っていたが、どうやらそれは間違いだったらしい。下の住宅街はもう完全に水没して、きっと何十人もの命が奪われてしまったのだろう。数日前まではボートに乗った人々が救助を求めて窓の外の、かつては道路であっていまは川となった場所を小学校の方へ進んでいった。しかしその後も雨は降り続けて、下の住宅街はもちろん、道の先にある小学校やショッピングモールは水没した。食料品も底をつきかけている。もう蛇口から飲み水は出なくなっており、ミネラルウォーターが頼みだったけれどそれも残りはあと2本だけ。洪水に飲まれて死ぬか、飢えて死ぬか、どちらが先だろう。そんなことを寝る間際に考えたりもしたが、いまとなっては前者によって命を落とす可能性の方が高そうだ。だって、ほら、水はもう居間のすぐ外まで迫ってきている。寄せては返る水の音が一際大きくなってきた。
 突然、耳を塞ぎたくなるような音がすぐそばで、した。ぼくは居間の掃き出し窓を開けて、シャッターがちゃんと閉まっているか確かめようとした。しかし、シャッターとサッシが出会うところの端っこにわずかにできている窪みから、着実に水が入りこんできていた。その水を家の外へ押し返す術をさまざま検討したが、所詮それは一時の気休めでしかない。まだ世界が、いろいろ問題を抱えていたけれどそれなりに正常に機能していた時分ならこんなことで頭を悩ませる必要はなかったのだろうな、と倩思う。
 居間の床と外のコンクリート床の間は正味30センチの段差がある。シャッターも居間からは約30センチ下で閉める具合になるが、その空間はぼくの前の前でどんどん浸水してきた。通販で購入した大瀧製の停波シートHPL-1も壊れてしまった。もう終わった。少なくともこの世に自分の生きている時間は終わりを迎えようとしている。絶えることなく浸水してくる水と格闘しながら、生きることを諦めてる言辞を心のなかで弄ぶ。
 程なくしてシャッターは破れた。家のなかにひしゃげた姿を曝して、ペアガラスの掃き出し窓と一緒に居間へと飛びこんできた。同時に外で待ちくたびれたかのような勢いで洪水が外から流れこんできて、あっという間に吹き抜けの天井まで埋めていった。波に呑まれて水中へ沈んだぼくだが、居間にある仏壇まで流れに逆らって泳ぎ、そこから写真と位牌を手にして胸に押し抱き、それから水の勢いに身を任せた。頭が壁にぶつかり、腰が扉にぶつかり、足が天井を蹴った。
 家族と住んだ思い出が染みこんでいる家が動くのを感じた。窓枠から外れた玄関扉の曇りガラスがこちらへ迫ってくるのが見える。それが、この世で見た最後の光景だった。◆

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