第3436日目 〈蘇峰『近世日本国民史』を汚すことに葛藤あり。〉 [日々の思い・独り言]

 徳富蘇峰『近世日本国民史』〜「元禄時代義士篇 赤穂義士」の巻を未だに読んでいる。読むのが偶になら、読書メモはなお時間の感覚があいてしまう。
 おまけにその読書メモに割く時間、1章につき約3時間弱を要しているとなれば、もはや根本的になにかがいつもと間違っていることに。
 読了から程なくノート作成に移れる本もあれば、牛歩の如く1章を読み終える毎にノートを執るに適した本もある。前者は専ら小説やライフハック系の本で、後者は此度のような歴史書や社会科学──特に政経──の本が多い。わたくしの場合は、である。
 これまでの読書ノート、読書メモと今回のそれと、どこに相違があるのか。抜書き用のノートかモレスキンの方眼ラージノートかの違い? うん、使っているノートが違うのは事実だけれど、最大要因ではない。では、──?
 咨、自分でも答えはわかっているのだ。即ち、本を汚しているか否か、である。
 これまでは読みながらページの角を折ったり、シャープペンや水性ペンで、ちょっと引っ掛かった箇所にラインを引いたり、一言二言、意見を書きつけたりしていた。が、今回の蘇峰についてはそうしたことは一切していない。
 これが後々どんな事態を招くかというと、書きこんだり角を折ったりしておればその箇所だけ目を通せば良いが、それをしないと結局、最初より読むスピードは早めながら、目は活字を一字一字追ってしまっていること専らなのである──本人にその意識がなくても、だ。
 では如何にしてノートに要す時間を、も少しだけでも早くするか?
 書込み等しないでノートを作る、メモを取る、となると1章を読む度毎に作業するが最善。あまり汚したくない本ではあるけれど、角を折るなりシャープペンで薄くラインを引いたりするより他ないんかな……。
 時間の短縮を目指すなら上述の作業方法を採るのが最適だろうが、その本に関しては汚したくない、という気持ちの方が強いのである。要するに葛藤しているのである。──簡単に入手できるなら良いけれど、講談社学術文庫の『近世日本国民史』は決して安くないからね。
 正直な話、このままのペースでは読了までに、今年いっぱい掛かりそうである。それは避けたい、避けねばならぬ。果たして、どうなる?◆

共通テーマ:日記・雑感

第3435日目 〈そのとき、甘利氏はなにを言ったのか?〉 [日々の思い・独り言]

 安倍元首相の追悼演説が臨時国会中にされるはずだった。演説は、安倍政権を支えて<3A>の一角を担った甘利前自民幹事長が担当するはずだった。登壇は昭恵夫人の意向もあった、という。
 国葬の件と合わせて野党は猛反発した。元首相や首相の追悼演説は野党第1党の党首クラスが行うのが慣例である、と。仕事を奪われた新人がSNSで愚痴るような物言いに聞こえる。しかし、過去の例を見れば野党の言い分も宜なるかな、である。
 非難の声があがっても、自民党は甘利氏登壇を変えることはなかった。が、事態は急転直下、思わぬところから反甘利の声があがる。そうして、それが決定打になった。
 07月28日夜である。TwitterのTLに、毎日新聞のツイートが流れてきた。曰く、「『残した派閥をばかに』安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」と。野党の猛反発ゆえに頓挫した、というわけでないところがミソか。
 甘利氏は自身のメールマガジン(07月20日付)にて清和会(安倍派)を指して、「『当面』というより『当分』集団指導性をとらざるを得ない。誰一人、現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もない」と発言。
 それに対して清和会最高顧問・衛藤征士郎は「こんなに侮辱されたことはない」といい、同派メンバーからは「安倍元首相の残した派閥を馬鹿にする発言をした甘利氏に、追悼演説を任せるな」などの声もあがった、と記事にはある。
 「甘利さん、このタイミングで清和会の神経を逆撫でするような発言は、ダメだよ」と失笑してしまった。
 人は自分の思うようにしか情報を咀嚼できない。自分のことを指摘されて、それが如何様にも受け取れる場合は悪い方向へ解釈するパターンが多い。清和会もそうだった。甘利氏は、今後の清和会の動向に注視したい、と続けるがどうやらその部分、清和会の幹部たちの目には入らなかった様子。それが「安倍元首相の残した派閥(=自分たち)を馬鹿にしている、侮辱している」という発想へ至ったのだろう。なんと単純、浅薄な……。短絡的な思考に過ぎはしないか。
 甘利氏はそんな意味合いで、件のメルマガを書いたのではあるまい。盟友が遺した派閥の呉越同舟ぶりを見かねて、敢えて忠言したものと思われる。
 そう、敢えて、といおう。所詮は別派閥の台所事情である(甘利氏は麻生派)。最大派閥ゆえにまとまってしまえば時に難敵になるが、分裂してくれればどのようにも使い途のある人々なのだ。放っておいても良かったのである。それでもなお、「敢えて」メルマガで斯く忠言したのは、安倍元首相と政権の苦楽を共にして、アベノミクスを推進する立場であった盟友だからこそ、だったのだろう。
 発言の一部を切り出して、本来の文脈とはまるで異なる論調を張ることを、「意図的な情報操作」という。今回のように発言の一部をのみ論って意図を根本的に理解していないことを、「国語力と読解力の貧困を自ら露呈する」という。
 清和会の顔触れを見ると、皆さん、相応の教育を受けており、相応の職歴を誇り、相応の教養もあって可笑しくない人たちなのだが、……(建前であっても)国民から信任されて選ばれた人たちが国政の場にいる、とは「公民」の授業で習ったことのはず。しかし、おつむの程度まで投票基準にないのは残念──あ、落選する人、多くなっちゃうか。
 元より国葬の件も併せて、与野党から疑問・反発の声大きかった、来月臨時国会での甘利氏による追悼演説は流れた。与党からは、甘利氏が演説することで野党が退席する可能性もある、と懸念があり(こ、子供過ぎる……。牛歩よりも非道い)、野党も先述した首相経験者の追悼演説は野党第1党党首クラスが行うのが慣例である、てふ主張と、そもそも国葬にした経緯や説明がきちんとされていない以上追悼演説を認めることはできない、という理由から甘利氏の追悼演説に「否」の大合唱が出ていた。
 結局、清和会の猛反発を決定打に、臨時国会中の安倍元首相追悼演説は見送られた。秋の臨時国会以後の演説を予定している、というが、さて、人選を含めてどうなりますことやら。野田元首相の名が挙がっているのは、第2次安倍政権誕生直前の内閣総理大臣だった点も併せて、なかなか良い選択と思うのだけれどな。
 さて、甘利氏。07月29日にTBSのCS番組「国会トークフロントライン」の収録で、こんな風に語ったという。曰く、──

 (前略)弔意を国の内外に代表して追悼の演説するというのは静かな環境でやるべきだと思っていますから、……最長の期間、国のトップをされて世界中が敬意を表する人の言ってみれば追悼ですから静かな環境でやるべき。

──と。追悼の演説は「静かな環境でやるべき」、至極ご尤もな、真っ当極まりない指摘だ。与党も野党も、声をあげて騒がしくすれば良いわけではないぞ、という皮肉も感じられるな。
 それにしても甘利氏、(第2次)安倍内閣の総退陣後は、昨年の横浜市長選といい今回の件といい、踏んだり蹴ったりの歳月を送っているように映るのは、気のせいではあるまい。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3434日目 〈突然の出来事に唖然、茫然──。〉 [日々の思い・独り言]

 このような日常のトラブルを好機到来と捉えて、書きあぐねていたブログ原稿のタネとし、すぐさま筆を執り始める姿を、滑稽と思い憐れと思い、もはや骨の髄まで染みこんだ道楽に耽るしかないか、と諦めの溜め息を吐いてみた。

 ──be stunned at the sudden occurrence,
 突然の出来事に唖然とする、という意味です。
 ──No, way!?
 マジかよ!? ありえねー!? という意味です。
 もちろん、いずれもそれ以外の意味合いを持つでありましょう、場面や状況等に応じて。
 徒に行数を稼ぎたかったわけではありません。ここでいう「突然の出来事」が発生した瞬間、わたくしが口走った、或いは口のなかで叫んだ台詞です。まぁ、英語ではありませんでしたが。

 それは、ジョニー、こういうことだったんだ……
 執筆の下調べでと或る、ライフ・ハック系の文庫を読んでいました。ようやく集中してきた、と感じたその瞬間、──
 机上のマグカップが倒れて、注いだばかりのコーヒーがこぼれた。とっさに、流れ広がる液体をハンカチで吸い取り、ティッシュペーパーで拭った。机の縁から床へ流れ落ちたコーヒーを拭いた。
 液体の流れた範囲内に文庫以外のものはなかったので、PCと周辺機器や書類等々に被害が出なかったのが幸いごと、だったでしょうか。「マジかよ!? ありえねー!?」といいつつも安堵していたというのが、実状に近いかもしれません。
 被害は文庫のみで済みましたが、確かコーヒーを注ぐためにページを開いたまま伏せたのでした、お陰でそのページを中心にコーヒー染みができてしまった。これまで雨に濡れたせいで被害を蒙った本はありましたが、コーヒー被害は初めてだったような気がします。
 その文庫はいま、新聞紙を挟んで水分吸収中。日中に生じた「sudden occurrence」であったら、然る後に陰干しもできたのでしょうが……、と書いている最中に、テレヴィかなにかで知った「濡れた本の乾かし方」を試してみよう、と思い立ち、実は中座していました。
 ……件の本をジップロックに入れて冷凍庫へ、垂直にして放りこんできました。経験者のHPを見ると、ドライヤーで乾かすとか紙を挟んでおくやり方よりは原状に近附けられるみたいですね。ジーンズにこぼれてできたコーヒー染みも、同じように原状回復できればいいのになぁ。
 さて、24時間超が経過した後、文庫はどのようになっているのでしょう。初めての冷凍庫放りこみなので期待半分、不安半分、という心境です。
 今日明日の食事当番である奥方様と姪っ子には不評かもしれませんが、まぁ、いちど試させてもらうぐらいは良いと思っています。
 ……え、その文庫の著者とタイトル、ですか? 池上彰『池上彰の新聞勉強術』(文春文庫 2011/12)でした。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3433日目 〈電車に揺られて、本を読む。〉 [日々の思い・独り言]

 こんなわたくしでもまとまった時間を作って、何冊かの本を集中して読まねばならぬことがある。大抵は近所のドトールか行きつけのスタバを回遊して済ませるのだが、時に馴染みの場所を離れてプチ旅行を敢行、電車に揺られて本を読み通す。
 プチ旅行とはいうても所詮は日帰り、家を離れている時間は会社に行っているのとそう変わりはない。その内容、単に電車に乗って坐れたら持ちこんだ本を読み始め、適当な駅で折り返して帰ってくるまでひたすら読み通す、というに過ぎぬ。
 家人は「現実逃避」と苦笑するけれど、独身時代からの習慣ゆえこちらも適当に受け流している(というか、何度か一緒に同じことをやった覚えがあるのだが?)。
 ずっと坐っているからとて、特別に腰痛対策をしているわけではない。ときどき体を動かして姿勢を変え、坐ったままできるストレッチを試みたりするが精々。
 ──腰よりも背中かな、わたくしの場合、痛みと疲れが溜まってきて時に耐えられないぐらいになるのは。そうなったら思い切って、荷物を持って電車を降りて、ホームをてくてく歩いて体を動かし、人目に付かぬ場所を見附けて軽く体操する。気分転換だ。こんな程度でも背中、就中肩甲骨に溜まった疲れや痛みは軽減する。
 大概は地元のJRの、始発駅から終点までを2回ぐらい往復して、途中山手線や総武線各駅停車に乗り換えて、自宅最寄り駅まで帰ってくるパターン。たまに京浜急行で三浦から北総線直通の電車で印旛まで往復してみることも、ある。
 でもそれ以上に多いのは、東海道本線に乗って静岡方面まで行って帰ってくるパターンかな。あちらには土地勘もあるし、多少の冒険もできるのだ。気が向いたら伊豆で下車して美味しいものを食べたり地元の図書館や古本屋に行ったり、知己を訪ねたり、バスに乗って観光してきたりね。ここまで行くと、完全に気分転換の域を通り越して、本来の目的を忘れているような気もするが、これで良いのだ。体も心もリフレッシュできた、脳ミソには新鮮な空気が取りこまれた。良いこと尽くめではないか。
 稀に北関東や山梨・長野・富山・石川まで行ってしまうこともあるけれど(誰だ、後者は北陸新幹線の通過県ではないか、と発見してしまったのは)、これは本当に1年に1回、あるかないかだから。
 それはさておき。
 物理的な書物を何冊も運んでいるのだから、荷物は重い。手帳2冊とノート、クリアフォルダ、MBAとスマホにバッテリ、財布、などなどが加わるのだから、確かに荷物は重い。先述の背中就中肩甲骨の痛みや疲れの原因は、むしろこれらを詰めたリュックを背負っているからではないか、という気もするが、でも仕方ない。仮に読む本が電子書籍に化けて紙の本を持たなくなったとしても、その分なにかしらの荷物が増えるような気がしてならぬ。
 肝心の、そうした時間を作って読んでいる本はなにか、という話だが、ここ数年はフィクションをそうやって読んだことがない。専らジャーナリズムの本であり、キリスト教(聖書・ユダヤ教)の本であり、法律と経済──投資は含まず──の本であり、科学や医療の本である。それらがブログの原稿に反映するか否かはさしたる問題ではない。自分自身のための読書でもあり、提出レポートや他媒体の原稿のための読書でもあるからだ。最近はジャーナリズムが多く、新聞関係の下調べのための読書を、電車のなかでよくしている。
 家だとなかなか頭に入ってこない内容も、電車に揺られて読んでいると不思議にするする入ってくるのだよなぁ。やはり適度な振動は脳を活性化させ、普段と異なる環境は意欲を高め、内容を把握する能力を覚醒させるのだろうか。──問題は、それがきちんと記憶に留められているかどうか、ということですが、これはまぁ、先人賢人の言葉に縋るとしましょう。
 とまれ、こうした夫のわがまま──というか気紛れ同然の行動を容認してくださっている奥方様に、感謝。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3432日目3/3 〈ちかごろは、……〉 [日々の思い・独り言]

 ちかごろは(=更新再開後)定期的にアクセス数ゼロ、という時間帯が目につくようになってきた。
 本ブログも継続可否を検討すべき時期に来たのか。それまでに云うべき事は、いうておかんとなぁ。
 さて、進退を如何にすべきか……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3432日目2/3 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第02話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 「杞憂」という言葉がある。古代中国にあった「杞」の国の人が、もし天が落ちてきたらどうしようと憂えたのに由来する語で、「取り越し苦労」の意味。
 然様、取り越し苦労であったようだ。『ラブライブ!スーパースター!!』第2期を最新の第2話「2年生と1年生」まで視聴した限りでは、「杞憂であった」と率直に申しあげられる。スタート前に様々懸念と会議の言葉を並べたが、それが裏切られたことに嬉しい思いを抱いている。
 が、問題はこれからだ。全12話の脚本がすべてアフレコ稿として仕上がっているわけではあるまい。中盤までは暫定稿が出来上がっていたとしても、肝心の〆はまだ、良くても粗稿の状態であろう。
 第1期第06話で──アフレコ・スケジュールへ間に合わせるための突貫作業であったのか──それまでの「良い雰囲気」で進んできた『ラブライブ!スーパースター!!』は途端、失速・難破座礁の黄ランプが点った。その悪夢はまだまだ拭い切れていない。
 第2期の物語は未だ出帆して間もなく、まだ海洋にさえ出ていない状態だ。われら視聴者(と書いて「ラブライバー」と読む)は徒にその展開に一喜一憂するのみならず、各エピソードの、シリーズ全体を俯瞰しての、クオリティと整合性と発展性を監督して事の推移を見守ってゆこう。



 本話にて桜小路きな子の体力ゼロ、運動神経に難あり、な描写があって、刹那既視感に襲われた方、あったのではないでしょうか。そうです、1年前──第1期での唐可可の体力ゼロ、運動神経絶望的な描写が、きな子のそれと重なり合う部分、多々あったのであります。
 しかし、そんな可可も、代々木アイドル・フェスティヴァルでかのんと初ステージ(もはや伝説の、クーカー!)を踏む頃には基礎体力もつき、ストレッチやジョギングも人並みには出来るようになっていた。千砂都のスパルタ・トレーニングとかのんのトレーニング・ハイに巧く乗せられた部分もあったでしょうが、短期間であれだけのダンスや発声力を身につけられたのは立派。可可のスクールアイドル愛とかのんへの崇敬にも似た感情が背中を押し続けた、賜物ともいえるでしょう。
 そんな可可と重なる部分あるきな子が、今後どのように化けてゆくか。非常に楽しみなところでありますが、では一体きな子はどのようにして己の体力不足を解消してゆくことになるか。──きな子向け特別レッスン・メニューが千砂都主導で組まれるかと思いきや、自分の体力不足を悲観するきな子に手を差し伸べたのは意外にも可可自身なのでした。
 われらはここで思い浮かべねばなるまいか;S1#04ですみれを勧誘する際、千砂都がかのんにどう口添えしたか、を。つまり、ショービジネスに於ける挫折を経験したすみれの痛みや悲しみや口惜しさを理解してあげられるのは、同じように挫折を経験したかのんしかいない、と、そういって幼馴染みを送り出したのでした。
 それと同じことが、此度のきな子と可可にもいえるように思います。
 体力ゼロ・運動神経も良くないきな子に、その面で何事かを助言できるとしたら、それは可可を措いて他にありませんでした。結ヶ岡女子高等学校に於けるスクールアイドル設立の言い出しっぺでありながら、自分自身はダンスのステップはおろか持久力も筋力も人並み以下な可可。が、可可は千砂都のトレーニング・メニューを着実にこなして、その成果を代々木アイドル・フェスティヴァルの初ステージで見事に披露しました。そうしてそれがモティベーションとなって、その後のステージでの堂々たるパフォーマンスにつながったのであります。
 そんな風にゼロからの成長を経験した可可だからこそ、きな子の落胆と焦慮に寄り添うことが出来たのでありましょう。そうしてそこには、初めて後輩を迎えた先輩としての優しさやあたたかさ、世話好き、わずかとはいえあっただろう優越感など感じられるのです。
 練習終わり、帰り際のきな子を呼び止めてでしょう、可可はきな子に1枚の紙を手渡します。それは、可可の台詞を借りれば、秘密の(練習)メニューを記したA4サイズ(たぶん)の紙でした。このときの2人、可可ときな子の会話です(04:59-05:21のシーン)。曰く、──
 可可;どうぞ。(上述の紙を手渡す)
 きな子;(手にして)強化メニュー?
 可可;可可が体力ゼロだったときの、秘密のメニューです。きなきなにあげます。
 きな子;──午前5時起床、柔軟の後ランニング3キロ……。すごく事細かに! ありがとうっす!!
 (2人のやり取りを部室から見ているかのん、恋、千砂都)
 かのん;でもムリしなくていいよ。あくまで自分のペースで!
 きな子;はいっ!
──と。
 練習メニューの内訳が知りたくなりますが、それは画面から読み取れる限りでは、以下のようになります。即ち、──
 ☆可可の☆/秘密の練習メニュ〜!!
 朝5時起床 まずは柔軟!
 ・ランニング 3㎞!
 ・基礎体力強化!
   腕立て伏せ   背筋
   腹筋      スクワット
 ・体幹トレーニング
   キープできる時間をのばせるように頑張ろう!
 ・発声練習
   ロングブレス・表情筋・滑舌それぞれ大切に!
 ・ストレッチ
   運動後のストレッチを忘れずに〜
     上半身
     下半身
     手首足首 しっかりと!
 体力づくりを/しっかり頑張ろう〜!!
──以上。イラストと中国語表記のパンダの台詞は省いた。その可愛らしいイラスト、可可の直筆は05分06秒のシーンで確認可能。
 実際にジムでパーソナル・トレーニング及びフリーで筋トレ等行っている身にいわせれば、この可可のメニューはそのまま、ジムに入会した運動初心者もしくは久々に身体を動かす人々向けのメニューになる。というか、これを毎日器械的に実行していれば早晩、体幹は鍛えられ、一定時間の体力保持は可能となろう。
 一点だけ難あるとすれば、漠然としか書かれていない体幹トレーニングだけれど、これを実際にやる場合にはきちんとしたジムで、トレーナー/インストラクターについてもらってトレーニングするのがお奨め。筋トレの本あまた市場に溢れると雖も本を頼りにトレーニングするのは自己本位かつ却って身体に悪い結果をもたらすだけの場合もあるので、止めた方が無難であろう。動画については本以上にピンキリであり、またわたくし自身が手本と思うに足る体幹トレーニングの動画と未だ出合えていないこともあり、ここでは私見を述べるのを控えます。
 とまれ、可可が差し出した練習メニューはきな子にとって最良の福音となっただろうこと、想像に難くありません。
 斯様に体力面や、単身来日/上京して一人暮らししているなど境遇の面でも似通ったところある2人ですが、既に画面に現れた部分で決定的な違いがあるとすれば、自室が整理されているか(荷物が片附けられているか)否か、でありましょう。
 来日/上京からどれぐらい日数が経過した後、2人の部屋が最初に描写されたのか──。これは検証を要すかもしれませんが、しかしS1#03時点で劇中時間は、入学から1ヶ月以上は経過しているものと考えてよいでしょう。それでも可可の部屋はダンボール箱が山積みであることを考えると……うん、ずっと勉強最優先だったから、こうした日常処理スキルが足りていないだけなんだよね。だからダンボール箱が減った様子がないんだ。或いは中国の家族からどんどん荷物が送られてきていて、片附けても片附けても追いつかないだけなのかもしれない──とは相当に好意的な見方であることは承知している。
 翻ってきな子は、元々荷物の少ない子だったのでしょうね、S2#01にて既に部屋は片附けられていて、生活環境はきちんと整えられていましたから。もしかするときな子は上京したばかりの頃(=荷物が北海道から届いたと思しいタイミング)は外へ出るのを恐れて、居住エリアの勝手がわかるまで遠出は避けて、引越荷物の整理に勤しむことを最優先していたのかもしれませんね。第1話冒頭で街を彷徨い歩くきな子の姿を思い出して、そんな風に考えたりしてしまうのであります。

・初めてLiella!新メンバーが発表された際、わたくしのなかで米女メイは鬼塚夏美と並んで第一印象の良くない、為に期待も低い人物でありました。が、やはり喋り、動くところを見ないと駄目ですね。メイはとっても愛らしい人物と、いまのわたくしの目には映っております。夏美は……まだ判断保留、というか、判断材料が殆どない状況です。但し彼女に関しては後日、ちょっと話題にしたいことがあるので、後日の別稿で述べるつもりでおります。
 その米女メイ、実は誰よりもスクールアイドルに憧れているフシがある(というか、ほぼ確定)。本話でその片鱗が明らかになりました。
 メイにはなにかしらの秘めた想い、抑えこんだ夢がある。だから、クラスメイトに誤解されて挫折しかけているきな子に、夕暮れの学校中庭の池端ベンチで「周囲を気にすることなく、自分がやりたいと思った夢(の実現)に突き進め」と諭したのでしょう(17:45-18:20)。正直なところ・初めてLiella!新メンバーが発表された際、わたくしのなかで米女メイは鬼塚夏美と並んで第一印象の良くない、為に期待も低い人物でありました。が、やはり喋り、動くところを見ないと駄目ですね。メイはとっても愛らしい人物と、いまのわたくしの目には映っております。夏美は……まだ判断保留、というか、判断材料が殆どない状況です。但し彼女に関しては後日、ちょっと話題にしたいことがあるので、後日の別稿で述べるつもりでおります。
 その米女メイ、実は誰よりもスクールアイドルに憧れているフシがある(というか、ほぼ確定)。本話でその片鱗が明らかになりました。
 メイにはなにかしらの秘めた想い、抑えこんだ夢がある。だから、クラスメイトに誤解されて挫折しかけているきな子に、夕暮れの学校中庭の池端ベンチで「周囲を気にすることなく、自分がやりたいと思った夢(の実現)に突き進め」と諭したのでしょう(17:45-18:20)。そのときの2人の会話を再現すると、こうなります。屋上の練習を見学に来たのか、きな子を呼び出しに来たのか、たぶん目的は両方であったろうけれど、曰く、──
 メイ;桜小路はさ、やってみたいと思ったんだろ。
 きな子;え!?
 メイ;だから入ったんだろ? 優勝目指してて、練習も厳しいって、知ってて入ったんだろ?
 きな子;それは……そうすっけど……。
 メイ;だったら、そのまま突き進んでくれよ。
 きな子;え?
 メイ;自分がやりたい、目指したい、って思ったことを信じてみろよ。周りの声なんて──気にするな。
 きな子;……んっ!
──と。
 正直なところ、メイのこの台詞にはグサッ、と来ました。突き進むことなく諦めた夢、突き進んで挫折や放棄した夢なんて、この年齢まで生きてくれば掃いて捨てる程ありますからね。これ、実はS1#01で可可がかのんにいい放った台詞(「好きなことをがんばることに、終わりなんてあるんですか!?」)と同じぐらいの生々しさと瑞々しさ、古傷抉られたような苦さがありますよ……。
 ──メイの台詞に後押しされて、きな子は一念発起した。このままじゃ駄目だ、と。SMAP「Take Off」の歌詞の一節でもありますが、わたくしは心の底からきな子にこの歌をささげたい。「このままじゃダメだ I gotta keep my head up baby / 今からでも遅くない 新しい自分探しに行こう / 過去の弱さに SAY GOOD BYE!!」 ……。
 きな子の一念発起は、裏を返せば、夢や憧れを実現するために前進することは茨の道と隣り合わせであることを覚悟したことでもある。最終的にこれが、新入生獲得のために練習メニューを削ったり、楽な内容にしていた──それゆえ1期生たちは内心もやもやを抱えていた──かのんたちを前に、これまでの練習メニューで先輩たちと一緒に夢に向かって突き進みたい、ときな子にいわせたのです(19:19-21:40)。
 メイが現時点で他人に知られないようにしているLiella!への憧憬の念がどのような形で先輩たちの知るところとなり、如何なる経緯、如何なる葛藤を経てLiella!加入へ至るのか。第4話から第7話までのどこかで”ある”と想定されるメイ加入回に、いまから期待です。一緒に四季も加入するのでしょうね。花陽と凛、真姫たち1年生トリオが加入する回へのオマージュみたいなエピソードになるのかなぁ。
 と、まぁ、殊程斯様にきな子にスクールアイドルとして活動してゆく、Liella!のメンバーとしてラブライブ!優勝を目指してゆく覚悟を固めさせたのは、かのんたち1期生に「目の前のことに気を取られ過ぎていました」(可可)といわしめたのは、直接的間接的にメイのお手柄というてよい。逆を返せばメイが如何にスクールアイドルを愛し、また夢を実現することの大変さと苦しみを思い知っていたかを、一端なりとも表した台詞に感じられました。
 メイは過去にスクールアイドル絡みでなにかしらの挫折や失敗、恥ずかしい想いを経験したのかもしれません。その容姿と言動ゆえにでしょうか、誤解されること多々あったことでしょう。それを垣間見させるやり取りが10:17-10:19、きな子がメイをスクールアイドルに誘った場面でクラスメイトたちが囁き交わしたシーンにありました。曰く、──
 クラスメイトA;え!? 米女さんが──!?
 クラスメイトB;スクールアイドル!?
 クラスメイトC;好きだったんだぁ……(うっとり)
──と。クラスメイトの姓名は不明、為、表記はNHK Eテレの字幕に従った。
 この前後のメイの表情が誠、観ていてまるで飽きないのですが、それはともかく。
 クラスからきな子を外へ連れ出してメイが、去り際にいった台詞と上のクラスメイトたちの台詞を重ねあわせると、メイの複雑な内心を想像することができませんか。曰く、──
 メイ;あと、みんなでいるときにスクールアイドルの話を私にしてくるな。私はスクールアイドルなんか興味はねーんだ。
──と。10:54-11:02のシーンです。
 この短いやり取りだけから察せられるのは、Liella!情報をきな子にレクチャーする程スクールアイドルに詳しいにもかかわらず、スクールアイドル好きを匂わせることなく過ごしてきたからこそ、きな子に誘われたメイを見て意外に思えども、やっぱり、と首肯できるクラスメイトたちが多かったのかもしれません。所詮、嗜好を完全に封印して外に出さないようにするなんてのは、不可能なのですから(実体験)。
 ──なかば友情なかば策謀できな子を説き伏せ、メイを勧誘するようお願いした(お膳立てした)四季については、メイ(とおそらく四季も一緒の)加入回で触れたく思います。

 ところで、──
 最後に現れて、かのんの名を口にした少女は誰ぞ? EDテロップには、「謎の少女」とあった。
 彼女は今後、どのようにストーリーに絡むのか?
 あの台詞の裏に隠された感情が「……澁谷……かのん……!」なのか、或いは「……澁谷……かのん……?」なのか、で今後のストーリー展開予想は異なってくるでしょう。
 前者であれば、かのんとは過去になにかしらの因縁あった人物と想定でき、それは小中学校で同窓だったというよりも結ヶ岡女子高等学校音楽科受験の折知己となった、と考える方が自然であるように思えます。
 後者であれば、かのんの評判と結ヶ丘の生徒であることは知っていても、その為人(容姿含めて)は知らない、という予想が立ちます。単に結ヶ丘女子高等学校の新入生同様、動画や地元の評判、ラブライブ!やスクールアイドルが好きな少女、というに留まり、ああした台詞が出ることにまるで違和感はない、ということ。われらが有名人をちらと見掛けたとき、それがあまり確信が持てないときの台詞も、大なり小なり似た風ではありますまいか。
 もしや──シリーズ初、2組目のライヴァル・スクールアイドルの登場か!?
 メインで登場するライヴァル的スクールアイドル(メインで)は、1シリーズ1組でなくてはいけない規定があるわけもなし。むしろそちらの方が或る意味不自然か。しかし作品世界に於けるキャラクターとストーリーの整理、という観点からすれば、1組であるに越したことはない(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』はこの点、別扱いとなる)。
 μ’sにはA-RISEが、AqoursにはSaint Snowがあったように、Liella!にはサニーパッション(正式表記は片仮名で良かったんだっけ?)があった。もしサニパに替わる、しかも本土在住のライヴァル的スクールアイドルが必要となって「謎の少女」が登場したのならば、これは今後のストーリー展開に、大いに期待が持てるというものであります。Liella!との接触は神津島のサニパ以上に繁くなるでしょうからね。脚本の乱高下に起因する不安は脇に置いてでも、そう、これは期待できることのです。
 もしかすると、こんな構図が考えられているのでしょうか。即ち、サニーパッションはLiella!の良き相談役として、「謎の少女」は純粋にLiella!のライヴァルとして、それぞれの立ち位置を占める、と。同じ東京都民とはいえそうやたらと、1日かけて神津島から竹芝客船ターミナル-浜松町経由で原宿まで、サニパを来させるわけにもゆかないものね。
 それとも……第2期アフレコスケジュールの間でサニパを演じる声優2人(両方、或いはいずれか)のスケジュールの調整が難しくなったのかしらん。ゆえに新しくライヴァル的スクールアイドルを登場させる必要が生じた? まさか、とは思うが、完全否定できる論拠もない。もっとも、柊摩央役の結木ゆな、聖澤悠奈役の吉武千颯のスケジュールをオンオフ含めて掌握している人ならば、論破も可能だろうけれど。
 ──この「謎の少女」の立ち位置、Liella!との人物相関図が不明な現時点に於いて、上記はすべて妄想でしかありません。が、彼女の存在が『ラブライブ!スーパースター!!』第2期の、今後のストーリー展開にどんな活性をもたらすか、不安を心の片隅で飼い慣らしながらも楽しみにしたいのであります。



 第2話感想はお披露目までかなり難儀した。適宜改訂の筆を加えてゆく予感もしている。書きたいことが無尽蔵にあって、それゆえに収拾がつかなくなり、最初のお披露目から本稿(現時点での完成稿)のお披露目まで紆余曲折したのは、そのせい(ということにしておく)。
 取り敢えず第2話感想から派生するものとしては、エンディング曲(なにもかもが皆、可愛すぎる!!!)と鬼塚夏美についての考察、がある。鋭意準備と執筆を進めて、そう遅くないタイミングでお披露目できるよう心掛けよう。
 第3話「優勝候補」(2022年07月31日)の感想はもう少し集中して取り組めるといいな、と思います。まだなにも片附いていないから、実際のところどうなるかわからんけれど。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3432日目1/3 〈『雨月物語』〜「浅茅が宿」第三稿完成。これから註釈を付けなきゃ!〉 [日々の思い・独り言]

 色々な理由をくっつけて先延ばしにしていた「浅茅が宿」現代語訳でしたが、近所の喫茶店に席を占めて約40分で字句修正と文章の加除を施して、先程(2022年07月20日 16時29分)仕上がりました。
 ──よし! これで今夏最大の懸案事項は終わった。ブログに関してはいつもの無駄話、茶話、駄弁と『ラブライブ!スーパースター!!』第2期各回の感想文+αの執筆に集中できそう。
 振り返ってみれば昨年もいま頃からスパートをかけて、「マカバイ記 一」の再々読と同ノート執筆をスケジューリングし、「エズラ記(ラテン語)」の再読も遠い先のことながらうっすらと視野に入ってきた時分であったような思い出も、ある。ここ数年、同じことを繰り返しているのかもしれないね。♪あら、可笑しいね、オッペケペッポー、ペッポッポー♪
 然れど、正確には「浅茅が宿」現代語訳は「完成」していない。先述のように、註釈として掲げる用語について、調べる、まとめる、という作業が控えているからだ(わたくしが付すコメントも、ある)。が、既にその用語の選択は済んでいる。あとは腰が重くなってしまう前に、鍬なり鋤なりを握って、最初の一振りをするだけなのだ……。けれどこれがなかなか、難しい。いやぁ、ヤんなっちゃうね。
 ──真面目な話をすると、「浅茅が宿」現代語訳は全9回で本ブログに連載する。8月初旬から始められればいいけれど、如何せん、上記のような腰を重くさせる作業が控えていることに加えて、病気とも付き合ってゆかねばならんのでね。しかしこれも、終わってみれば始める前の杞憂に過ぎんのでしょう。
 とまれ、約束を果たすことができて良かった、と、心の底から思うております。次に現代語訳するのは……なんにしようかな? 『雨月物語』から選ぶなら──「貧福論」或いは「吉備津の釜」かな。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3431日目 〈この国は、まだ大丈夫だ、と実感する。〉 [日々の思い・独り言]

 白血病治療の錠剤が結構とんでもない金額で、腰を抜かしたのは今月初めのこと。1週間分で2万円を超えるとは……しかも、ジェネリックなし。
 これまでそんな金額をいちどに、薬代として支払ったことがないから、ボッタクリではないか、と調剤局の人に問おうとしたのも無理からぬ感情の動きであったろう。
 こんな金額を聞いてびっくり仰天するのは、或る意味で身体になんの支障も感じることなく生きてこられた証しでもあるのだろうけれど、それにしてもねぇ。周りの人達──役所の人や地域療養センターの方々が訊き返すところから察して、やはりこれは薬代として日常認識される金額を遙かにオーバーしているのだろう。
 しかし、2万円超とはまだ序の口なのである。1日1錠を7日分が内訳。実はこの1錠という服用量、薬が身体に副作用をもたらさないかどうかの試験的な処方であったのだ。つい先日の通院で、特筆すべき(報告すべき)副反応や体調不良がなかったことから、1回の服用量が増えたのである。やれやれ。
 が、読者諸兄よ、驚く勿れ。1日2錠とはまだ本来の服用量ではなかったのだ。これが2週間分で、8万円超。……計算するな、たった2週間で10万円を超える金額をわたくしは、調剤局に支払っているなんてこと。
 然れどこの金額、まだきっとマシなのであろう。国指定の難病を持つと或るマンガ家は日常的に入院と退院を繰り返し、食事制限(と事実上の行動制限)があり、入院の一切にかかる金額と薬にかかる一切の金額は、おそらく一般サラリーマンの月収と肩を並べるかどうか、でないか。
 それを思えばわが方の負担する金額など……などと考えてはいけない。高額であることにもはや変わりはないのだ。金額の多寡にかかわらず、もう既に家計をどれだけ逼迫するか想像するだに恐ろしく、暗澹とし、自棄にもなる金額なのである。
 ──果たしてどなたからであったろう、役所の方で高額医療の限度額申請を行ってみては、とアドヴァイスを下さったのは。藁をも摑む勢いで翌日、早速に区役所へ出掛けたね。思い立ったが吉日、すぐに行動へ移せることが、リモートワーク、フリーランスのメリットだ。別件で別窓口に行った終わり、「こういうのってどこへ行けばいいんですかね?」と訊いたら即座に返答が返ってきた。曰く、「うむ、では国保の窓口へ行け」と。
 そこで事情を説明すると、その場で高額医療の限度額の書類──限度額適用認定証が発行された。対応してくれる職員次第でその場で発行されるケースと、「翌日以降にまた来てくれ、そのときに発行します」と遅きに失する可能性なきにしも非ずな対応のケースがあるらしい、とはネットの不確実な情報であるが、もしそれが事実で、わが居住する自治体にも適用されるならば、わたくしは非常に幸運であったことになる。対応してくださった職員の方に感謝である。
 それにしても、国保にずっと加入していて良かったな、きちんと納めるべきを納めていて良かったな、と思う。この限度額申請、国保に加入していてもちゃんと保険料を納めていなかったら適用外の可能性もあるらしい。親が口を酸っぱくして納税や支払いのことを五月蠅くいってくれていなかったら、いま頃はかなり納付期間に抜けがあったに相違ない。4-6月に来る県民税・市民税と国民健康保険の納付を1年分全納し、国民年金を2年分全納するようにしているのは、母から口を酸っぱくしていわれてきたことが、老後や享年なんてものをそろそろ意識するようになったいま現在になって実を結んだためだ(?)。感謝すること頻りである。
 その一方で感謝すべきはやはり、国の制度である。21世紀になってから国の補償制度はたびたび根本から揺らぎ、世間ズレした無能な政治家たちによって悪い方向へ制度変更されそうになったりしたこと屡々であったけれど、最低限の義務を果たしていさえすれば、相応に国は、というより自治体と管轄省庁/機構は報いてくれるようになっている。
 これを、此度わたくしは実感した。春に娘が生まれたときもそうだったけれど、わたくしはこの国の国民で本当によかった、と胸を張っていうことが出来る。斯様に制度が揺らぐこと、これまで度々あったと雖も頼るべき制度がまだきちんと機能しているこの国は、良い国だ。此度の出来事を通して、心の底からそう思う。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3430日目 〈山上容疑者は司法の目を欺くか?〉 [日々の思い・独り言]

 安倍元首相銃撃事件から2週間。新聞等での報道から事件の背景と経緯、動機、今後についての情報は、概ね出揃ったように見える。昨夜から今朝にかけて新聞各紙は、殺人容疑で送検中の山上容疑者に鑑定留置が実施される旨報じた。
 刑事訴訟法第167条は鑑定留置についてこう記す。曰く、「被告人の心神または身体に関する鑑定をさせるについて必要があるときは、裁判所は、期間を定め、病院その他の相当な場所に被告人を留置することができる。第2項;前項の留置は、鑑定留置状を発してこれをしなければならない。」と。
 要するに、刑事責任能力を問うために身体を拘束して然るべき所で精神鑑定を行う、鑑定留置を行うためには書類が必要になる、という意味。なお、この間、鑑定留置状が発行された段階で拘留は停止されて、停止中は取り調べできない由(刑事訴訟法第167条の2)。
 鑑定留置、とは難しい言葉だが、昨今は大きな刑事事件が起きるたび聞くようになった言葉でもある。今年1月の東大農正門前での刺傷事件、3年前の京アニ放火事件、6年前の横浜の病院に於ける点滴殺人、いずれも鑑定留置が実施され、刑事責任能力はあると判断、起訴された。
 鑑定留置の内容は、医師と被疑者の面接によるヒアリング、という。それを基に医師が診断書をまとめ、検察が起訴するかどうかを判断する。
 ──というのだが、ならば人を欺くに長けた者、人心を操る術に秀でた者が相手の場合、聴取内容はどこまで信を置くに値するか? その実明晰な思考を持ち、自分自身を封印して他者になりきるテクニックを持つ者ならば、病院も検察も裁判官も欺き続け、保釈されることも可能なのではあるまいか。
 山上容疑者は如何に? 狡猾に立ち回って無罪を勝ち取り、保釈の日を迎えるか。可否は現時点で不明である。が、晴れて外の世界へ帰還を果たしたとしても、決して世論は貴方を許さないだろう。死ぬも生きるも地獄、という。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3429日目 〈コラムを書き写す。〉 [日々の思い・独り言]

 先達て本ブログは無期限更新停止を宣言した。1カ月後に暫定的ながら再開できたが、その間は殆どなにも書いていなかった。そのツケが回ってか、お披露目するに足るものをなんとか書きあげられるまでは、もどかしさと苦しさと自棄しか感じなかった。
 まこと、1日サボれば回復までに何倍もの時間と労力を要すのである。復調へ至るまでのことを思い出せば、……咨、此度のような経験は2度としたくない、というのが本音。うん、もう経験したくないね。
 文章を書くのを1日サボったら回復までに時間が掛かる。そのためには「リハビリ」が必要だ。ひたすら書いて調子を取り戻すてふ徒労と事態の悪化を招くだけの行為はせず、他人の文章を書き写すことに没頭してひたすら書写して書写して書写しまくる。……人によって異なろうけれど、わたくしの場合はこれがいちばん効果があるようだ。
 今回テキストにしたのは、コラムニストやジャーナリストの作物(コラムニストとはこの場合、コラムも書いている人、という、とってもゆるい括りで考えてほしい)。気附けば400字詰め原稿用紙60枚分ぐらいは書き写したようだ。
 誰のものを書き写したか、なる問いに答えて具体的に名前を挙げてしまうと、竹内政明と池上彰、里美清一、石原壮一郎の4人。単著で親しんでいる人もあれば、雑誌連載のコラムでより親しんでいる人もある。
 竹内さんは読売新聞朝刊の「編集手帳」の執筆を長きにわたって担当した人で、池上さんをして「新聞を一面右下から読ませる」術に長けた人。里美清一は日本赤十字医療センターで化学療法科部長を務めており、現在『週刊新潮』で「井の中の蛙」を連載中。石原壮一郎はなかなか読ませる力と軽みと諷刺と時々ヘヴィな表現を織り交ぜた文章を物す人で、読んでいる間は気のゆるめられないのがそのコラムの特徴か。この石原氏、いまだ単著を手にしたことなく氏の文章を読むのは専ら(≒なぜか)雑誌媒体であるという不思議さが、わたくしの場合はある。──池上さんは、いわずもがな、紹介も不要ですね?
 とまれ、この人たちの文章を買いこむ週刊誌や架蔵の著書から任意に書き写して、改めて「読者が知らず引きこまれる文章とはどのようなものか」を教えられたように思うが、これが自分の文章には、どうしたわけか反映しないというのが、或る意味でもっとも悩ましい点かもしれぬ。
 これからわたくしは自分の文章を、意識して変化させてゆく必要がある。そのための修行としても先に名を挙げた諸氏の文章のみならず、「これは!」と思う文章を見附けたら切り抜いて手許に置くのみならず、時間を作って書き写してそのコラムのプロットや話題の転換や膨らませ方などを分析し、逆に文字数制限ゆえになにを書かず、なにを削ったか(圧縮したか)を、これまで以上に意識して考えてゆくことにしよう。
 各新聞一面に載るコラムを範とする一方で、池上さんたちのように「読ませる力」を備えた記事を書けるようになりたい、否、ならなくては……と強く願うのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3428日目 〈夏よさよなら。〉 [日々の思い・独り言]

 奥方様からのLINEで、本日附けのブログ原稿がアップされていないと知りました。予約投稿分のストックが底を突いていたようで斯様な事態になったこと、反省し、お詫びします。

 ……馴染みのクラブの馴染みの嬢が退店します。今月末まで在籍ながら長く勤めて顔も広い方なので、最終週は混みあってなかなか話す機会もあるまいゆえ、思い立って昨晩出掛けた次第。
 本当にお世話になった。どうでもいいことから深いことまで、斯くも腹を割って話せる人と知り合い、今日まで縁を紡ぐことができるなんて、知り合った10数年前には想像することもできなかった。この方は、奥方様とはベクトルの方向性こそ異なるが、わたくしを長きにわたって支えてくださった方。家族の入院や自身が病気を患って相当に凹んでいるとき、或いは<おはらななか事件>の間は一緒になって悩んでくれたりアドヴァイスくださったり、終盤は共に憤慨してくれたっけ。
 年齢が比較的近かったことで昔の話からいまの話──全盛期の横浜のあれこれ、街並みの変化、社会的出来事、芸能や風俗にまつわる話、等々──を語って時間が過ぎるのを忘れ、挙げ句閉店まで居坐ってしまった夜も多々あった。
 SMAPではないけれど、「いつか年をとって/あのころは良かったなんてね/語り合うとしたら/やっぱりあなたがいい」(「Simple」〜『Pop Up! SMAP』)と思える人だったのだ。これまでの人生で、亡き婚約者と奥方様と、おはらななかと、この方ぐらいである、斯様に思えた人(異性)は。むろん、それぞれで意味合いは異なればその気持ちにこめられた想いの深浅も異なる。
 わたくしを更なるジャニオタの沼へ引きずりこんだのは、この方であった。この方がいなければKis-My-Ft2は勿論、その後に頭角を現してきたSnow Manとかに注目したり歌を聴くこともなかったろうなぁ。とはいえ、SMAPとTOKIOに関しては俄然わたくしの方が上である、と自負する気持ちに変わりはありませんけれどな(えっへん)。……せめてこの点ぐらいはマウントを取らせてほしいな?
 もうわたくしを本気で叱咤し、諫める役目を果たせる人はいなくなってしまった。奥方様だけでは困難な役割の一端を、かの方は担っていたのである。どんな風にして未来の諸事に対応してゆけばよいのか、その良き相談役、導となる存在を失ったことを極めて遺憾に、無念に思う。不謹慎を承知でいえば、安倍さんを失った安倍派(清和会)のような気分、というのが割と本音に近い。
 ──これから、あなたがどんな人生を歩んでゆくのか、もはやわたくしは知る立場でないが、どうか悔いのない生涯を歩んでほしい。息を引き取るときに、プラマイゼロのそれなりに良い人生であった、と思える人生を歩んでほしい。
 ただ、なにかあったらいつでも呼んでくれ。「Aチーム」を率いて地上のどこにいても駆けつけよう。お金次第でなんでもやってのけるあのチームとは同じ名前なだけなのでさしたる期待はしないでほしいが、わずかであったとしてもこれまで承けたあなたからの恩を返すために力の限りを尽くしたく思っていることは、どうか信じてほしい。
 新しい人生に踏み出すあなたの門出を、笑顔で祝しよう。幸あれ。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3427日目 〈これから先、こんなテーマで書いてみたい。〉 [日々の思い・独り言]

 あなたに将来僕の書くものをどの程度理解してもらえるか自信がもてない。しかし、できるだけわかりやすく説明することを試みてみよう。
──佐藤優『獄中記』P349(2003年8月10日/日 曇り 454日目 「外務省の後輩へのメッセージ) 岩波現代文庫 2009/04

 佐藤優の本のどれかに、拘留が終えて自由になったら書こうと思う本のテーマを列記したページがあった、と記憶する(※)。その後、佐藤氏の著作に接してゆく毎に、そこで瞥見したリストに沿って著作活動が展開されていることに感銘すること頻りであった。
 翻って──わたくしは? これから先、死神とのゲームと並行しながらどんな文章を書いてゆきたく思うのか?
 きのう部屋の片附けと本の並べ替えをしている最中、ふとそんなことを考えた(その際、分散していた佐藤優の本を1ヶ所にまとめた)。いい換えれば、今後どんなジャンルの本を意識して蒐集し、集中して読んでゆくか、という意味にもなる。
 机上に積まれている(レファレンス・ブックを除く)本、机の周辺に山を成す本、書架の前面に収まる本等々を、チラ、と見やりながら、改めて自分が今後書きたいと希望する問題点、トピックを整理してみる。すると、だいたい下記のようなリストができあがった。即ち、──
 01;新聞の購読者数の減少と、数氏の新聞活用法。
 02;現行憲法誕生の経緯と度々の改憲論争、自民党や報道機関の改憲草案の比較検討、自身の意見を示す。
 03;日本型民主主義が如何な理念を掲げて誕生し、如何にその理念を失いハリボテ化したか考える。
 04;成功哲学本の感想文と、著者歿後も改訂版が出て売れ続けているのはなぜか、考える。
 05;近世怪談の現代語訳を2ヶ月に1作程度のペースで継続する。
 06;藤沢周平、渡部昇一、池上彰、半藤一利、大東亜戦争にまつわる本の感想文を書く。
 07;日本に於けるプロテスタントの受容史と現在を、主に教育を通して書く。
 08;コールセンターの将来性について。スタッフ教育と労務管理の方面から書いてみる。
 09;不動産投資の初歩的記事を7日程の連載記事に仕立てる。
 10;東京裁判と南京大虐殺について、関係書籍を系統立てて読んだ後に自身の見解を示す。
 11;東海地方と東北地方の旅行記を書く。
 12;自分が生きた昭和史と平成史を、政治・経済・社会・文化・災害・国際・戦争の各面からまとめる。かなり息の長いシリーズになるだろう。〈昭和から平成へ〉はこれを包含する。
 13;娘への人生論的アドヴァイス。チェスターフィールドを参考に。
 14;ローマ帝国と人間の悪意について。
 15;聖書/ユダヤ教/キリスト教に係る、極めて広範囲だけれど、肩肘張らぬエッセイ。
──と、こんな具合である。
 現時点ではまだ手の余るテーマが過半だけれど、そのジャンルの本を読み、それについて考え、また次の同ジャンルの本を読んで……を繰り返す過程で、<見たり、聞いたり、調べたり>もするだろう。そうこうしている内に「書きたいこと」が形になり始め、どんなアプローチで、どんな風にテーマを料理すれば良いか、わかってくるに相違ない。いままで何度も経験したことだ。
 上述したリストの3分の2でも実現させたい。焦らず、着実に、じっくり、然れど残り時間を考えて、進めよう。◆

※が、拘留中も不断の読書と思索と外交分析を継続した記録の書というべき『獄中記』に件の記述は既に申しあげたように、ないのである。架蔵の氏の著書を軒並み点検しても該当する箇所を見出せなかったのだ(拘留中であっても決して挫けず、外の世界へ出て行ける希望を持ち続けられた強靱な精神と弛まぬ向学心に、頭がさがってしまう。見習おう)。□

共通テーマ:日記・雑感

第3426日目 〈喜びと憂いと、願い事。〉 [日々の思い・独り言]

 早いもので令和04/2022年も後半に差しかかっている。年齢を重ねるごとに「光陰矢の如し」という諺が、多少意味を取り違えている可能性無きにしも非ずだけれど、実感されてくることである。ホント、時間の過ぎてゆくのは早いよね。
 本業と称する仕事を在宅に切り換え、その傍らフリーランスと自営業の発展に努め、恩ある筈の人に背き(が、その人たちはゆめ信を置くに能わざる人たちでもあった)、報いではあるまいけれど家内に不安の影重く垂れこめた前半に比して、今月から始まっている後半はどうなるか。
 お察しいただけるか否かは読者諸兄にお任せするが、今年前半は決してなだらかな道とはいい難い。耳障りな雑音を排除できて清々しい思いを抱き、暫し静謐の生活を楽しめた点は小さな福音といえようが、失ったものの方が比重としては大きく思うのは、さて、一体なぜなのだろう。
 然れど今年前半は、それらをほぼ完璧に払拭してしまう慶事も、わたくしには──というよりもみくら家には──あったのだ。春、待望の第一子が生まれた。20年超の細く長い付き合いを経て迎えた妻との間に、結婚早々斯様な授かり物に恵まれるとは思わなんだ……。
 社会に目を向けても、やはり様々あった。海部元首相と石原元都知事が逝去し、新型コロナウィルスは収束の兆しどころか第7波が発令された。第5波、第6波は一体何処に? 政府ならびに厚生労働省が、夏季に於けるマスク着脱基準のガイドラインをようやく提示して、CMをしつこいまでに流すようになったことが幸いか。
 国外に関しては北朝鮮の飛翔体発射や中台関係の問題などお馴染みかつ深刻な問題あるけれど、それ以上にショッキングで世界経済や各国の防衛ラインに影響と問題点を突きつけたのが、3月の、ロシアによるウクライナ侵攻であった。この戦争を機に「地政学」が一部識者や専攻する学生、或いはマニアにのみ留まらず江湖に知れ渡るようになった。良きことだ。とはいえ、──
 この戦争が一体いつまで続くことになるのか。どんな幕切れを迎えるのか。その間とその後世界は果たしてどう変わり、どんな痛みと悲しみと憤りを強いられることになるのか。まだまだ先行き不透明な戦争を、われらは見守るしかないのか……。
 ──今年前半のトピックともいえる事柄を記憶頼りに書き出してみたのであるが、今年後半に差しかかった途端、安倍元首相が参院選中に凶弾に倒れ、同じ日には英国ジョンソン首相が退陣表明した。──いったいなんという世の中の到来じゃ。新たな形の「乱世」の出現か。
 今月から始まった令和04/2022年の後半は、いったいどんな世の中、いったいどんな世界になってゆくのだろう?
 子供たちが成長して思春期を迎えて大人になり就職して家庭を持つとき、かれらを取り巻く世界と社会と地域が健全かつポジティヴなものでありますように、と願わずにはおられない昨今の乱世ぶりなのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3425日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第01話を観ました。〉2/2 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第1話「ようこそ! Liella! へ!」の感想、その続きです。
 推薦入学などは別にして、1月から2月は高校受験シーズンであり、3月は合格発表と2次試験の時期、でありましょうか。学校によっては(みくらの出身校がそうであったように)3月中に入学前のオリエンテーションを実施する高校もありますが、それは考慮に入れないとして。
 この3ヶ月(=3学期)の間、Liella!と結ヶ岡女子高等学校はどのような注目を世間から集めたのか。それに伴い、学校側からのアクションはなにかしらあったのか。まずはそれを考えたい。
 受験生が最後の追いこみに必死になっている時期、Liella!と結ヶ岡女子高等学校への注目のされ方は、第1話での新入生やLiella!メンバー就中葉月恋の台詞からおおよその輪郭を再現することが出来そうです。即ち、──
 葉月恋;普通科が3クラスに増えた分、今年は音楽科の設備を普通科に開放することに決めました
 嵐千砂都;新しい部活も増えるんでしょ?
 葉月恋;ええ。いままでよりも多様な活動を行ってもらえたら、と。とはいえ、他の高校に較べたらまだまだこれから。部員集めはみんな、苦労しているようです。(13分43秒〜14分03秒)
──或いは、──
 桜小路きな子;優勝候補!?
 米女メイ;この学校に来てそんなことも知らなかったのか? (Liella!は)今年のラブライブ!は決勝進出間違いなし、っていわれてんだぞ。Liella!は結ヶ岡の期待の象徴、スターなんだよ。(16分13秒〜16分25秒)
──など。
 ちょっと横道に逸れますが、──ちなみに米女メイは、入学前にきな子が結ヶ岡女子高等学校の前の歩道で出会った子。スクールアイドルのファンのようで、Liella!のメンバーについてもよく調べている様子です。Liella!が練習する屋上を遠くから見るその姿は、外見に比してすっかり「乙女」で、その属性、どことなく黒澤ルビィを思わせる部分、無きにしも非ずであります。自己紹介コメントに曰く、「スクールアイドル始めるのも最初は気が進まなかった。そういうの向いている方だとは思わなかったし。も、もちろん好きだったよ。輝いているし、ステージ上のスクールアイドルはみんな笑顔で、夢があって、だから私も……って」と。ますますルビィちゃん……。然れどオープニングではとっても愛らしい表情を見せるのですよ、この米女メイ。是非ご確認いただきたく存じます。
 では、本題。
 3クラスに増えた、ということから、以下2点の作中現実が想像されます。つまり、①新設時の普通科は1〜2クラスであった、②新年度の入学生は110名程度である、ということ。②に関しては1クラス約35名という計算を基にしております。いずれにせよ在校生の数は一気に倍以上になったことは間違いなさそう。
 S1にて恋が「来年の入学希望者も増えてきている」旨発言したのは、ラブライブ!東京大会前のことでしたので、その頃から既にLiella!の知名度、必然的に結ヶ岡女子高等学校の知名度も広まっていたのでしょう。受験を控えたJC3のなかには進学希望校のリストに、結ヶ岡女子高等学校を載せる者も相応数あったであろう、と考えられる。
 それが東京大会でのLiella!の躍進と賞歴、その後の注目のされ方が後押しになって、結ヶ岡女子高等学校が受験願書の募集を開始するやその数、前年比を遙かに上回り、合格枠の設定と見直しがされて(会場問題については後述)無事、入試も合格発表も終わり、クラス数は昨年よりも増えた、という流れであったろう。
 もしかすると願書を提出したJC3のなかには、(ラブライブ!優勝──”LoveLive! overall victory”──の)サニーパッションのインタヴューに触発されて、結ヶ岡女子高等学校の受験を決めた人もあったろう。Liella!が次回ラブライブ!の優勝候補と取り沙汰されるようになった要因の1つに、サニーパッションの発言が影響していることも無視は出来まい。
 これに関しては、驕った発言のすみれを制すようにして他ならぬ澁谷かのんの口から、「これは、優勝したサニパさんたちが(インタヴューでLiella!の名前を挙げてくれたから)」と出た台詞からも想像できましょう。
 このあたりの会話を、再現してみます。03分16秒〜03分51秒の、屋上でのシーンです。可可の中国語の台詞部分は省いて、曰く、──
 可可;フォロワーが倍になりました〜。
 かのん;ええっ!?
 可可;一部のサイトでは、Liella!は次回の優勝候補とも──
 すみれ;ま、当然よね。
 かのん;違うよ。これは、優勝したサニパさんたちが──
 (神津島でのサニパ、優勝インタヴュー)
 聖澤悠奈;始めに、この大会に参加したすべてのスクールアイドル、そして、応援してくださったすべての方々に敬意を表したいと思います。
 柊摩央;いちばん強かった相手? みんな、素敵なグループでした。
 悠奈;でも、私たちがいちばん心踊ったグループは……
 (サニパ2人、目を合わせて)
 悠奈&摩央;Liella!です!
 (結ヶ岡女子高等学校、屋上)
 可可;ありたがき(ありがたき)幸せ〜!!
──と。
 こうした連関が作用して、結ヶ岡女子高等学校は新たに1年生を100人以上迎え入れることが出来、おそらく来年度の存続は約束されたも同然、と申せましょう。斯様にLiella!と結ヶ岡女子高等学校は早くも一心同体、良くも悪くも運命共同体となったのであります。シリーズ構成が途端に破綻して、或いはとち狂って、沈没必至の泥船とならぬことを祈ります。
 上記に連動して、後輩を迎え入れたかのんたちの喜びぶりが第1話でもっとも鼻の下を伸ばした場面となりました。喜びと喜びと、……という語彙不足に過ぎる発言はともかくとして。
 後輩を迎える、とはどれだけ喜ばしいものであったか。残念ながらわたくしは高校時代のそうした感情を殆ど忘れている者だけれど、此度第1話での、きな子を前にしたLiella!の弾むような喜びはあったかな、と疑問です。
 それはさておき。
 かのんたち5人が入学前のきな子と会ったときの、あの喜び様、そのはしゃぎ方ときたら! 単に、進級して自分たちの下ができた、という単純なものではない。感慨一入というに相応しい反応でした。
 結成のきっかけなどは別として──学校がなくなるかもしれない、そんな危機感を背景にLiella!は結束を深め、パフォーマンスの向上をひたすら自分たちに課して、活動してきたのでした。その結果の東京大会2位である。──廃校という『ラブライブ!』シリーズのお約束(テンプレ)が放送中葉で突然、突きつけられたことで視聴者間では侃々諤々、一部で紛糾しもしたけれど、Liella!の物語は(同様に廃校阻止に成功した)μ’sの物語以上に胸アツな展開になりました。終わりよければ……の類ではありますが、これが必然的に入学希望者/受験者/新入生の増加につながったことは祝って良いことでしょう(千砂都;新入生にファンがいっぱい……。恋;びっくりです……。11分57秒〜12分01秒)。
 そう、Liella!は優勝こそ逃しはしたものの、その圧倒的な歌唱とダンスで人々の心を捕らえてファン層を拡大し、かつ前述のサニパの発言も後押しになって、新入生が増えた=かのんたちにしてみれば、実現が危ぶまれていた後輩の誕生が現実になった。
 常識と良識と人望を備えたかのんと恋が制御役になったであろうこともあり、驕り高ぶり唯我独尊に走ることことこそなかったけれど、後輩の誕生は結ヶ岡女子高等学校の存続が決定したからであり、その存続にLiella!のラブライブ!大会での活躍が一役買っていたことに異論を呈す者は、メンバー内にも在校生にもまさかあるまい。況んや視聴者をや。
 「廃校阻止」という、或る意味これ以上ないドラマティックな物語を経て実現された後輩の誕生……一時は不安視もされていたそれが、いまや現実のものとなった。Liella!メンバーにしてみれば、たぶん他の在校生以上に喜ばしい出来事だったのでは?
 そうしてその後輩たちの数は、思うたよりも多かった、と考えられます。それを端的に裏附けるのが、上にも引いた恋の、「今年は普通科が3クラスに増えるので、音楽科の施設も開放しようと思っています」てふ台詞といえるでしょう。
 そんな学校存続/後輩誕生を喜ぶLiella!メンバーが、入学前にふらふら校内に入りこみ(Liella!の練習の掛け声に導かれてのことですよ)屋上までやって来たきな子を前にした場面。その台詞がこちら、06分32秒〜07分28秒のシーンです。曰く、──
 きな子;(扉が開いて倒れる)はにゃ!
 5人;(物音と声に気附いて)ん?
 きな子;……は……しまった……。
 (千砂都以外の4人、振り返る。千砂都は扉と正対する位置に立っていた)
 かのん;あなたは……。
 きな子;えっと……。
 かのん;もしかして、新入生!?
 きな子;あっ、えっ、えーっと……(目をかのんから逸らし、片手をあげて)はい……。
 5人;うわーっ!!
 (可可、かのん、すみれ、千砂都、恋、きな子に詰め寄る)
 可可;後輩? 後輩デスよね? 可愛いデッス〜。
 (壁に背中を付けて怯えるきな子。中国語できな子に迫る可可。割って入るすみれ)
 すみれ;待ちなさいよ。なに先に話しかけているのよ!?
 恋;まずは、生徒会長のわたくしが──
 千砂都;もしかして、スクールアイドル部に入部希望?
 きな子;え……スクールアイドル?
 千砂都;だって、新入生でしょ? スクールアイドル部はれっきとした部活だよ?
 かのん;(千砂都からきな子に目を移して)この子が……。
 きな子;え!?
 恋;(目を拭いながら)ありがとうございます……。
 千砂都;ずっとこの日を待ってたよ……。
 可可;一緒に光を追い求めましょう。
 きな子;ええっ!?
 すみれ;素直じゃない子ねぇ。
 かのん;(目に涙を溜めて)ようこそ、Liella! へ!
 きな子;違う。違うっすよ〜!!
──と。
 そうしてもう1つ、きな子と、彼女を家まで送ることになったかのんのやり取りです。もうこの場面、かのんちゃんが悶絶するカットがもうたまらなく可愛くて、スクショしたい欲望に駆られましたよ。08分19秒〜09分19秒のシーンです。曰く、──
 (桜舞う校舎前にて)
 かのん;あ、名前、きな子ちゃん、っていうんだ。
 きな子;はい。桜小路きな子と申します。都会に憧れてやって来ました。
 かのん;私、かのん。澁谷かのんっていいます。
 きな子;(急に真面目な顔つきになり)よろしくお願いします! かのん先輩!!
 かのん;──えっ!? ……かのん……せん……ぱい……!?
 きな子;はい、先輩!
 かのん;(身悶えしながら)そっか〜、私、先輩か〜。
 きな子;はい!
 かのん;そっか〜、え〜? 先輩〜? え〜? 私が〜? フハッ!
 きな子;はい!!
 かのん;え〜?
 きな子;はい、先輩です!
 かのん;え〜? (かのん、きな子の前に戻ってきて)あの〜、もう1回……。
 きな子;え?
 かのん;もう1回、呼んでくれる? (期待に満ちた眼差しできな子を見る)
 きな子;──かのん先輩!!
 かのん;くあ〜! なんかムズ痒いけど、いいよね〜、その響き! さあ、行こう! 先輩の家も案内しちゃうぞ〜! レッツ・ゴー! アハハ!
 (得意満面に歩いてゆくかのんの後ろ姿を茫然と見送りながら、)
 きな子;変わった人っすね……。
──と。
 「変わった人」、確かにそうかもしれない。が、きな子よ、いま君の目の前にいる人物がシリーズ屈指の<たらし>であり、やがてその軍門に降る未来しか君には待っていないのだ。とはいえ、きな子もなかなかの持ちあげ上手でありますな。ちょっと羨望してしまうことであります。
 そうして改めて、澁谷かのん役に伊達さゆりがキャスティングされたことの〈幸い〉を喜ばずにはいられないのです。彼女なくして澁谷かのんに魂がこもることはゆめ無かったはずでありましょうから。
 さて、では最後にもう一丁、「先輩」かのんのドヤ顔を一瞬ながら愉しめる場面を。自宅喫茶店のいつもの席、妹ありあとの会話です。09分30秒から
 ありあ;(姉に)新入生の方?
 かのん;(ありあを見て)私、「せん・ぱい」だから。(ドヤ)
 ありあ;うえ……。(顔を刹那しかめて立ち去る)
──と。
 いいなぁ、こんな姉妹のやり取りが交わされるなんて、第1期開始当初は想像も出来なかったものなぁ。
 ──Liella!が後輩を初めて前にしたときの各人の反応、「先輩」呼びされたかのんの1年前と同じ人物かと目を疑いたくなる態度を並べてみました。
 やっぱり同じ「先輩」呼びされるのでも、中学や会社とでは全然その喜びの度合いや濃度っていうのは違うものだったのかな。高校のときって。加えて女子と男子とではその喜びの性質も異なるんだろう。
 先輩、といえば、きな子が部室で、道に迷った旨白状して実は東京にまるで馴れていないことが彼女の言動から発覚したときのLiella!メンバー、殊すみれと可可の表情の変化にわたくしは思わず目を引かれました。すみれの場合のそれは、彼女の内的成長を見た気がしました。
 可可の場合のそれは、同じように一人で東京にやって来たきな子への親近感、だったでしょうか。可可は帰国問題が第1期の終盤で発覚しました。結局それは、ラブライブ!東京大会での活躍を上海の家族から認められて猶予が付いたようですが、依然異国の地に彼女が一人住まいしていて、そばに肉親がいない環境であることに変わりはない。そんな自らの境遇ときな子の境遇が重なって見えたがゆえの、慈しむ様な笑顔であったのかもしれません。
 新たに後輩を迎えた喜びは各人それぞれで、でもそれは決して単に進級したからというのみでなく、学校を存続させることが出来たがゆえのものであったこと。そうしてLiella!がそれに一役買った形になり、新入生の中には米女メイや名前を与えられていないJK1が多くいたのだ、ということは、繰り返しここで触れておいて良いことでありましょう。
 あ、OP「WE WILL!!」と挿入歌「Welcome to 僕らのセカイ」のこと、書くのを忘れてしまいました。こちらは別の機会にしましょう。
 ──以上、第2期Blu-ray全巻予約をどこでするか、真摯に検討中のみくらさんさんかでした。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3424日目 〈非常事態発生──文章が書けない、本が読めない。〉 [日々の思い・独り言]

 日常の些事にカレンダーがびっしり埋まって疲弊してゆく日々のなかで閑暇の時を見附けては、ブログに載せる文章をウンウン唸りながら捻りだそうとしているが、どうも進捗は芳しくない。
 もはや──と嘆息せざるを得ない。もはやわたくしは、書いた文章を溜めておくことせずそのまま流れ作業的にブログへ投稿/お披露目するのがルーティン化している、そう実感するのだ。 
 これをいい換えれば、「いつ・どの文章をブログにお披露目する」という明確な目的を欠いたいまは、文章を書くという行為自体が停滞してしまっている、ともなる。無意識に〆切を設定して、それに向けて書き綴っていたのが急に解放されたものだから、困惑しつつも後ろめたさの付き纏う喜びを味わっているわけ。
 とはいえそこに1つの弊害が生じ、それが常態化するとまでは考えが至らなかった。つまり、読書を怠け始めたのである。ここには別の理由が深く介在しているがそれは別としても、今更ながらわたくしにとって、本を読んでなにかを思う/考える/疑問を抱く≒原稿書きのモティヴェーションであり原稿を書くにあたってネタとなることなのだ、と、深く、深く、痛感している次第。
 まさしく、いやはやなんとも、と頭を振るより他ないな。 
 聖書や記紀、論語や詩歌を読んでみたら、文章の話題の1つも見附けられるか、期待したけれど空振りに終わった。思うことあっても発展させたりする程に集中力が持続しない。困った。
 わが症状はどうやら深刻なようである。「非常事態発生」と洒落こんで気紛らしするよりないか。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3423日目2/2 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第01話を観ました。〉1/2 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 遂に、というか、ようやく、というか、ともかく始まったのである。今年いちばん待ちかねたアニメ作品、『ラブライブ!スーパースター!!』第2期が。過去にいろいろ批判、苦情、懸念等々述べることあったけれど、さて、そうした<疑惑>は一掃されたか? 払拭は出来たか?
 結論をいうてしまうと、一掃されぬまでも払拭は或る程度までされたかな、と思うている。
 他の作品もそうだが、第1話を観て今後の視聴を続けるか考えることにしていた。殊『ラブライブ!』に関しては『ラブライブ!サンシャイン!!』というわたくしのなかで著しく評価も好感度も下落して未だマイナス値の作品があることで、尚更見極めが必要だったのだ。
 そうして、その懸念は、まずは払拭されて、このあとも観てゆこう、という気持ちになった。やはり動いて喋っているところを観ないと、推せるかどうかの判断は、批判の矢を収めて期待に転じるか否かの判断は、出来ませんな……。



 第1話は桜小路きな子がスクールアイドルを知り、Liella!に勧誘されるお話でした(入部するまで、ではない)。
 北海道から高校進学を機に東京へやって来たきな子。なぜ結ヶ岡女子高等学校だったのか。きな子は如何にして結ヶ岡女子高等学校を知り、地元ではなく東京の高校を受験したのか。真意は明らかでない。いまはまだ「都会の生活に憧れて地元ではなくわざわざ上京してきた」という彼女の台詞を信じるよりないでしょう。
 第1期第12話での東京大会ステージが話題になった、というよりは、第1期終了から第2期開始までの時間軸のなかでサニーパッションが優勝者インタヴューを神津島で受けた際、いちばん心に残ったスクールアイドルはLiella!でした、と話す場面が動画やSNSで拡散されてその知名度・その活躍は全国区になったであろうこと、中国上海に住む可可の家族が知っていることも踏まえれば疑いなきこと。
 実際、結ヶ岡女子高等学校に新しく1年生として入学してきた生徒のなかにも、Liella!のことを知っており、その活躍を羨望視する人がいる様子。その最右翼は、後にLiella!に加入する、とされている赤髪口悪の米女メイを措いて他にありません。
 メイは入学以前からLiella!のことは知っていた。
 自宅を捜して東京を彷徨うきな子が偶然にも結ヶ岡女子高等学校の前に至ったとき、向かいの歩道から隠れるようにして校舎を見、屋上でLiella!が練習していると想像して、蕩けたような表情をしていました。
 入学からしばらく日が経ったと思われる或る日、きな子にLiella!がどれだけのグループなのか、結ヶ岡女子高等学校にとってどのような存在なのか、と説明していました(「ま、私はよく知らねーけど」と〆括るあたりは、シリーズ専攻作品の同じ赤髪のこのツンデレを)。
 スクールアイドル部の部員募集ポスターを見入っている自分の後ろに現れたきな子から、「かのん先輩からスクールアイドル部に誘われたっす」と聞かされたときの反応は、まさしく彼女にとってLiella!が、それを構成するメンバーが崇め奉るに等しい存在であったことを意味しましょう。終盤のLiella!のステージリハーサルを垣間見てしまったときの台詞からも、それは窺えます。
 そんなメイであれば、結ヶ岡女子高等学校を受験する理由は明白。が、きな子は?
 どうしてわたくしがこんなにまで、きな子が上京してきた背景と経緯等々を深く掘りたがるのは、──いやぁ、正直に白状しちまいますが、動いて喋るきな子を見た途端、「この子、おもろいやん!」「この子、かわええわぁ」「この子、推すわ!」となった次第でありまして。
 当初、公式サイトの自己紹介や動画で気になって気になって(≒気に障って)仕方なかった口癖、「〜っす」も実際に本編で見てみると、さして気になるものではなかった。考えてみれば、われらの世代は「〜っす」って普通に口癖だったこともあるから、そんな風に感じたのかな。『LLS』の国木田花丸の口癖「〜ずら」が、自分も子供の頃伊豆にいたから耳馴染みで懐かしく聞いていたそれだったので、同じような感覚だったのかもしれないね。
 きな子の上京に関してずいぶんと書いてしまったようなので、ここらで止めにしたく思いますが、その前にこれだけ。──きな子はどうやって結ヶ岡女子高等学校を受験したのか。オンラインで高校受験できる時代なの、現代って? 受験のために東京に出て来るのが常道だろうが、北海道から出たことがないと推測される彼女がそれを行ったとは、どうにも考え難い。まさか結ヶ岡女子高等学校、Liella!の活躍で知名度向上させたのを良いことに、全国各地から生徒を集めるために北海道にも受験会場を設置した? いやぁ、それもどうなんでしょう。残念ながらわたくしの周囲には高校受験を控えていたり、その苦労から解放されて間もないような子を持つ親がいないので、昨今の高校受験事情を調べてみて、この〈きな子がどうやって結ヶ岡女子高等学校を受験したか〉問題に或る程度までの決着を付けたく思います。
 さて。話題を変えましょう。
 第1話はきな子を中心に進んだので他の新メンバーに尺が振られることは余りなかったけれど、それでも個々に爪痕は残したようであります。メイに関しては既に上で述べてしまったので、残る2人、若菜四季と鬼塚夏美を見てみましょう。
 若菜四季;公式サイトの紹介記事からは、この子がいちばん物静かそうで、クールな印象を受ける……が、第1話を終わったいまはいちばん印象の変わった子となりました。クールではあるのだが、たぶん物静かではない。というよりも、可可と同じぐらいに、ぶっ飛んでる子。そうして、可可と同じぐらいに手先が器用な子。
 根拠はこうだ、ワトスン。スクールアイドルに誘われたがLiella!の凄さを人から聞いて入部を迷うきな子に、鬼塚夏美がアドヴァイスを与えている。その隣りに突然、なぜか白衣姿で現れて、自分の左足首ときな子の右足首を謎のアイテムで固定する。本人曰く、「足関節神経ブロック」だそうですが、要するに二人三脚で互いの足首を結わったハチマキ代わりです。その直後から2人は階段を、殆どあり得ぬぐらいの全力疾走で駆けあがってLiella!が練習している屋上近くまで疾走する。その勢いがどれだけのものかといえば、階段を3階まであがったところで「足関節神経ブロック」を切り離されたきな子が、雄叫びをあげながら止まること出来ぬまま(器用に踊り場を曲がり、屋上への扉前を90度ターンして)走ってゆく、というあたりからもご推察いただけましょう……。20分57秒から21分06秒までのシーンです、──。
 (「足関節神経ブロック」を切り離されたきな子、後ろの若菜四季を振り返りながら)
 きな子;若菜さーん!
 四季;ファイトー。
 きな子;止まれない〜! と〜ま〜れ〜な〜い〜っ!!
 (階段を駆けあがってゆく)
 きな子;のわああああ! (4階到着、屋上への扉前で90度ターンして屋上へ飛び出す)アンギャー! ぐわ〜、死ぬう……。
──と。そうして顔をあげたきな子の前にいたのが、きな子の到着を待ってステージリハーサルを始めようとしているLiella!というオチ。
 ……なんだろう、この四季の得体の知れなさ。一人遊びが好き、ミステリアスな雰囲気で感情を口にすることは少ない、と公式からアナウンスされ、かつ自己紹介コメントでも「メイからは、発明や実験が得意だねといつも言われている。スクールアイドル部以外に科学部にも入っているし」とはいっているだけに、此度の二人三脚用「足関節神経ブロック」は彼女らしさが最初に視聴者に伝わるアイテムとなって、良かったのではないでしょうか。
 そうしてなによりも……あんた、かなり体力と持久力あるな! 凛ちゃん、曜ちゃん/果南ちゃん、愛さん並のアスリートっぷりではないか。むろん、この場面だけで判断するのは危険だけれど(こんな彼女もまさかのポンコツ堕ちの可能性があるのだ)、千砂都の体力と可可の物作りの両方を備えたキャラであるならば、今後の活躍が楽しみだ……脚本の不安はあるが、それはさておき。
 もう1点、加うるところあるとすれば、第2話予告、か。ランニングするきな子の後ろにチラリと四季の姿が映る。かなりスムースに横移動していることから自作のマシンにもで乗っているのだろうか。否、そればかりではない。同じ場面で四季が装着しているゴーグルの如き、どこかの映画で見たようなメガネ(?)が気になって仕方がない。んんん、なんだかこの子、マッドサイエンティストみたいだな。似合っているし、可愛いから良いけれど。
 鬼塚夏美は「オニナッツー!」にどうしても拒絶反応が起こるのだけれど、やがてすみれの「ギャラクシー!」と同じように聞き流すことの出来る騒音となってゆく日が来るのだろうか。自己紹介からしてもう受け入れられない要素がたっぷりな彼女だったが、今後多少なりともその印象がプラスに転じることを期待したい……きな子に諭していた台詞だけではまだその印象、プラスには転じないのだ。良い台詞、いってるんだけれどね。曰く、「向いていないことを幾ら頑張ったって、ダメなものはダメです。でも、やってもないのに向いているかどうかなんて、わからないでしょ?」と。
 まぁ、彼女に関しては今後の展開を静観して、改めて述べてゆくことに致しましょう。──それにしてもきな子がエルチューバー(Ltuber)を知っていたことに吃驚です。



 遂にかのんたちも先輩になった。その喜びの程(「先輩」と呼ばれて身悶えるかのんちゃん!!!!)、ちぃちゃんの謎発言、相変わらずの可可とすみれの掛け合い(可可の帰国問題を含めて)、OPと挿入歌など、Liella!メンバーに関してお話ししたいのですが、それはまた改めて。本稿を改稿するか、別稿にするかはまだ決めていません。
 現時点でいいたいことはただ1つ。第2期は思ったよりも良かったので、やっぱり継続視聴することに決めました。
 第2話「2年生と1年生」は来週07月24日(日)19時から放送予定。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3423日目1/2 〈〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉を備えたる歴史家、徳富蘇峰。〉 [日々の思い・独り言]

 徳富蘇峰『近世日本国民史』を読んでいる。「赤穂義士」の巻だ。藤沢周平から地滑りした読書であることは既にお伝えしているが、立川文庫、吉川英治、縄田一夫・編のアンソロジー、と来て、ようやく本丸攻略に着手したてふ気分である。
 わたくしにとって徳富蘇峰、と来れば、渡部昇一のエッセイである。始まりは『知的生活の方法』で買った本を置く空間に悩まされた若き日の回想、古本屋で戦前の版50巻を見附けたので来日中のアメリカ人日本史研究者に教えて買うよう奨めた、というエピソード(P96 講談社現代新書 1976/04)だ。十何冊も著者の本を読むとお目にかかる話題の1つでもある。
 そのエピソードの末に『近世日本国民史』に関しては『腐敗の時代』に書いた、とあるのでさっそく探したけれど、どうしてか見附けること叶わず、Web上で全国の古書店の在庫を見られるようになると今度は状態の良いものが見附からず、結局その全文を読んだのは、歿後刊行された『歴史への遺言 未来を拓く日本人へ』(ビジネス社 2019/11)に再録されたなかである。件のエッセイ、題を「真の戦闘者・徳富蘇峰」という。
 それに拠ればかつて蘇峰のこの本は戦後すぐの頃、一部歴史学者の間では古傷を抉るが如きアイテムだったようだ。
 というのも、渡部が田舎の恩師から依頼を承けて、『近世日本国民史』の信憑性について質問した相手、辻善之助は昭和11年11月05日、蘇峰の文章報国五十年祝賀会(於帝国ホテル)の席上で当時52巻(「文久元治の時局」昭和11/1936年08月刊)まで刊行されていた『近世日本国民史』に触れて、「徳富先生は史家の三長をことごとく具えられた方であるといってもよろしいかと思います」といい、林羅山・春斎『本朝通鑑』や水戸藩編纂『大日本史』と『近世日本国民史』を並べて絶讃の言葉を連ね、〆括り近くで『本朝通鑑』や『大日本史』が組織の後ろ盾あって為された事業であるに対して『近世日本国民史』は、「個人の仕事としては徳富先生の大業に及ぶものは絶無なのであります。更に識の点、及び才の点、つまり歴史に対する識見や史筆において徳富先生は新井白石か頼山陽に当ると思われます」とその大事業を寿ぐ(前掲書P203-205)。
 なお、辻の祝辞のなかに出る「史家の三長」とは、「学(学問)」と「識(識見)」と「才(才力殊に文章力)」、を指す。
 これがどうやら古傷となって、渡部の私意なき質問に不快そうな表情を浮かべてしまった背景になったらしい。間には大東亜戦争と敗戦、米軍による占領統治という有史以来この国が経験したことのない出来事が出来した。時代が変わった、といえばそれまでだが、斯くも価値観や思想の驚天動地を経験した時代も他にあるまいから、辻博士の不快も仕方ないことだろう。
 さて、肝心の渡部の質問に対する辻のアンサーは如何様なものであったか。曰く、──

 蘇峰は多くの助手を使って書いた。資料編纂所の資料をよく使っている。そういうところは信憑性があるということで五十パーセントだ。(前掲書P202-3)

──と。つまり、史資料を引いた部分は信憑性あり、けれども蘇峰が書いた部分はねぇ……ということか。冷静に考えれば変な話であるが──この部分は自分が『近世日本国民史』を買い揃えて通読したらば、検討してみよう。
 話が若干横道に逸れたようだ。戻そう。
 その後、講談社学術文庫に収まった何巻かを、伊勢佐木モールの古本屋で購入した。真面目に読書に取り組み始めたのは此度の赤穂事件への関心からだが、実際に自分で読んでみて、これ程信頼を置くに値する近代以後に書かれた史書もそう多くはあるまい、と感じた。
 蘇峰の史料の扱い方は公平である。どちらか一方に与してそれを称揚し、もう片方を陥れるような資料の用い方はしない。蘇峰自身の筆も公正であることにこれ努め、両者の言い分を掬いあげて時に留保、時に両成敗の判断を下して、出来事の推移を見極めてゆく。提供された諸史料や三田村玄龍のような同時代人の著書をも参照・引用しながら事件の根本を冷静に見つめ、それらいずれに於いても検証の煩を厭わずかつ己の意見を明記して、歴史の必然たることを説いてゆく。
 〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉なくして史書は書けぬ、史論は書けぬ。新井白石『読史余論』、頼山陽『日本外史』は近世期の作物だが、〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉いずれも不足なき人によって書かれた史書、史論と申せよう。
 時代変わって、近代以後にそれに匹敵するものは果たしてあったか。挙げ得るは原勝郎と田中義成、竹越与三郎(三叉)を除けば唯一、この蘇峰のみであるまいか。──内、『近世日本国民史』こそは蘇峰の筆力とネームバリュー(執筆中の蘇峰の許には全国から資料の提供があった、という)が見事に融合して成った稀代の史書といえる。わたくしはそう固く信じて疑わない。
 現代? 個々の出来事について述べるは優秀でも通史を一貫した視点持って語り得る人物は学会にも在野にも皆無であるまいか。実際に書かれたものとなると殆ど玉砕でないか。もはや現代は通史を書くことに不向きな時代であるのかもしれない、余りに細分化され、余りに重箱の隅を突きまくって穴が開くまで突くことが慣習化しており、ゆえに水平方向の往来ができにくくなっているようだから。神話の時代からこの腐敗の時代までの歴史を俯瞰する自らの視点を持たぬ歴史家の絶えて少ないことこそ哀れなるべし。
 本稿でもたびたび名前を挙げている渡部昇一にも『渡部昇一「日本の歴史』(WAC 2010/02-11/02 「特別版 読む年表 日本の歴史」あり、WAC 2011/06)や『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社 2017/04)といった、いわゆる日本史の〈通史〉を書いた著書がある。
 けれど、わたくしはあれは、絶えず疑義を差し挟みながら読み進めてゆくべき代物である、と考える。全体的には良い本なのだが、一つ一つを掬いあげてゆくと「え、ちょっと待ってよ。それは資料の読み違いも甚だしくはありませんか?」など亡き著者にツッコミを入れたくなってしまう箇所がある。たとえばだが『渡部昇一「日本の歴史』第4巻「近世篇 世界一の都市 江戸の繁栄」(2010/07)は読んでいて、多少知るところある他よりはある時代とあって琴線に触れて響く箇所も卓見と膝を叩く場面もなく、本当に退屈だった。得るところ、触発されるところが殆どない。そうして近代以後は既に他書で書かれたことの繰り返しが過半である。
 少なくとも日本史に於いて渡部昇一は、徳富蘇峰になろうとしてなれなかった人、とわたくしは捉える。
 ──蘇峰のこの本、『近世日本国民史』の赤穂義士の巻についての感想は、また改めてここにお披露目する。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3422日目 〈すべての未来をこの子に託して──澁谷かのん嬢への頌歌(オード)。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 澁谷かのん、という女の子がいる。新設されて半年足らずで早々に廃校の危機に遭うもどうにか回避できた、東京都渋谷区(推定)にある結ヶ岡女子高等学校普通科の1年生──否、2年生、であったな。スクールアイドルLiella!のリーダーを務めている。
 かつてここまで心を奪われた女の子はいなかった。かつてここまで未来への希望を重ねられる女の子はいなかった。かつてここまで心底愛おしく思える女の子はいなかった。
 表題通り、『ラブライブ!スーパースター!!』の主人公、澁谷かのん嬢への頌歌である。
 これまでの『ラブライブ!』歴代主人公のなかでも類例なきイレギュラー中のイレギュラー。いい換えればシリーズ史上最強スペック&初出スペックを誇る女の子が、この澁谷かのんであった。第1期放送中に作成していたメモを、精査や並べ替え等せず転記すると、──

 01;作詞・作曲の両方に優れた(経験ある)主人公は、かのんが初。グループ全体でも然り。
 02;楽器が演奏できる主人公は、澁谷かのんが始めて。
 03;歌唱力のレヴェルの高さは歴代主人公を遙かに引き離して、もはや孤高の極みにある。
 04;S1#09から推測できる様にフランス語・中国語他の語学に堪能(※)。祖母はスペイン人、父は翻訳家(こちらがハーフか?)なる設定が影響するか。勿論こんな主人公、いた例しがない。【※但しS1#01での可可の言葉が理解できなかったことから、読解に支障なしと雖も会話は不得手なパターンかもしれぬ。】
 05;S1#01にて物語が始まる以前に挫折を経験している主人公は、シリーズ初。
 06;メンタルの弱さとヘタレ度はシリーズ最弱クラス。これは太鼓判が押されるはず。
 07;自発的にスクールアイドルを結成していない主人公は、かのんの前に前例なし。
 08;幼馴染みではない人物と初ステージを踏んだのは、かのんが最初。
 09;やさぐれ度はナンバー・ワン。というか、他シリーズにそんな主人公、いなかった。
 10;スペイン人の祖母を持つクォーター。前述したようにおそらく父親がハーフか。
 11;主人公がグループの名付け親になったのは、意外にも『ラブライブ!スーパースター!!』が初めて。
 12;キャストが一般公募で選ばれており、これがデビュー作となっている件(そうしてこれが結果的に、大成功であった)。

──以上。
 これらの要素をわれらは放送開始前の雑誌や公式サイトからの情報で薄々察し、テレヴィ・シリーズが回を重ねるにつれてまざまざと見せつけられることになる。その度毎にかのん嬢への気持ちは昂ぶってゆき──本当に10数年振りでアニメの同人誌にまで手を出してしまったぜ。
 それはさておき、いや、ホント、こんなに現実味と人間臭さがてんこ盛りなキャラクター、というか主人公はこれまでの『ラブライブ!』にはいなかったですね──穂乃果は音ノ木坂の生徒のみならず全国のスクールアイドルを短時日で掌握、動員し、時に天候まで操ってしまう殆ど<神>の領域にある人だった。千歌は廃校を喜び大会ルールを無視する非常識人で、歩夢は高咲侑への依存だけで生きているような超弩級の(偏った)愛の持ち主であった──、一面しか見ていぬあまりに偏向した意見とは承知している。
 では、この歴代主人公たちと較べて澁谷かのんとは、果たして如何なる人物か。……というところで話は上述したシリーズ最強スペック&初出スペックの持ち主、という話へ戻る。
 やはりかのんを特徴付けるのは、音楽面とメンタル面だと思うのですね。上の箇条書きでいえば、音楽面は1から3,メンタル面は5と6,9、であろうか。
 もう既に当該回の感想で検証等は済ませているはずなので、ここでは繰り返しを省くが、これらを念頭に置いた状態でシリーズの先行3作品を思い出す、もしくは視聴してみると、澁谷かのんという主人公のイレギュラーぶりが際立ってくることだろう。
 これまで作詞はしても作曲は他の人或いはその逆もしくはなにもしない(できない)、楽器の演奏経験は他のキャラクターで分担する、という構図が固まっていた。然るに『ラブライブ!スーパースター!!』ではそれらがいずれも皆、主人公たる澁谷かのん嬢に委ねられていたのだ。これを知ったときの軽い衝撃、……どなたか一半なりともご理解いただくのは難しいだろうか。
 そうしてメンタル面で付言、或いは言を新たにしていうことあるとすれば、こんな感じになろうか。曰く、──
 思えばLiella!の物語は、かのんが原宿の裏道で思わず口ずさんでしまった自作の歌を、可可が耳にしたことから始まった。かのんの歌声に惚れた可可がめげることなく彼女をスクールアイドルに勧誘していなければ、きっとかのんは、結ヶ丘女子高等学校音楽科の受験に失敗してやさぐれたまま、また小学校時代の合唱コンクールでの気絶や前述の受験失敗から来るトラウマを克服するための第一歩を踏み出せぬまま高校生活を過ごすことになったことであろう。Liella!の物語は、『ラブライブ!スーパースター!!』第1期の物語は、他ならぬかのんが過去の呪縛を断ち切って新しい自分へと生まれ変わってゆく物語でもあった。
──と。
 また、これは当該回感想文の繰り返しになることでもあるが、当時といまとでは、これを書いているわたくし自身の役割がまるで違う。つまりわたくしはこの間に、人の親となったのだ。生まれたわが娘を見るが如く澁谷かのん嬢を見れば、この子がどれだけ親の愛情を存分に注がれて成長してきたかがよくわかるというものだ。穂乃果の家庭も随分とあたたかで、老舗の娘らしくきちんと躾けられて育てられたかを窺わせる場面があったが、かのんに於いても同様なことがいえるのだ。
 それが殊によく現れていたのがS1#09「君たちの名前は?」のBパート、かのんが新曲の作詞を進めると共にグループ名を考える一連の場面だ。彼女は作業を進めるにあたって、当たり前のように父親の書斎に入り、各国語の辞書を持ち出して、扉を出たところで出喰わした父親に向けて(それまで家庭内の描写では観た覚えのないぐらい)満面の笑みを浮かべるのだ。
 挿入歌「Dreaming Energy」が流れている場面なので当然かのんの台詞も(これまた当然……『ラブライブ!』世界のお約束として……)父親の台詞もないが、ほんの数秒のこの場面にかのんと家族の普段からの関係性を垣間見るのである。あれはね、父親を避けるとか毛嫌いとかしていたら絶対に出ない描写であり、普段からのコミュニケーションがきちんと成立していて、父親への愛情や尊敬が根っこにあるからこその笑顔だ。このさり気ないシーンがいつまでも心に残っているのは、なぜか? 父娘の関係の美しさがここにあるからだ。ヲタク的な意味でなく、人の親として、わたくしは澁谷父子の関係を羨ましく、憧れのように思う。
 同様のシーンは、S1#03「スクールアイドル禁止!?」にもある。可可から託された歌詞ノートを基に、後に「Tiny Star」に結実する歌詞と曲を作るかのん。それを行っているのは、おそらく閉店後の自宅喫茶店のカウンターである。カウンター内には母親がいて、食器を洗っている。カウンターで作業している娘を見て母の曰く、「宿題? そんなわけないか」と。そのときかのんは、慈母のようなやさしげな表情で、「ううん、宿題だよ。友だちからの」と答えるのだ。
 さり気なくも普段の娘の行状をよく知る母親ならではの台詞であったが、それをかのんはやさぐれて返事するのではなく、慈母としかいいようのないやわらかな顔で親に応じる。短い間でのかのんの内的成長の見事さを讃えるべきだが、ここではむしろ母と娘のやり取りのなかに埋めこまれた情趣を汲み取るべきだろう。これもまた家庭内コミュニケーションが普段から確立されていないとできぬやり取りであるに相違ない。
 昨今、人が感情を抑えきれず、或いは孤立して話す相手もないことは原因の1つと考えられる犯罪が目立って跡を絶たない。けれどもわれらが澁谷かのん嬢が斯様な犯罪に手を染めることも、人の気持ちを軽んじたり弱みにつけ込んでマウントを取るような行為に走ることも、ないであろう──澁谷家がきちんと、かのんのみならず次女ありあも育て、躾けてきたことがじゅうぶんに見て取れるがゆえに。うん、人間形成の根幹は親の愛情と教育であるな、とつくづく感じさせられたことである。
 大袈裟かもしれないけれど、ここでは省いたかのんとありあの関係も含めて、『ラブライブ!スーパースター!!』から一種の家庭論、子育て論を構築することはじゅうぶん可能であるようにわたくしは考えているのだが、如何であろうか? もしラブライバーのなかに子を持つ親がいるならば、同様に「是」とする人も多いと思うのだが……。
 ──書き終えてみればかのんと両親の関係に比重が掛かってしまい、アンバランスなものとなってしまった。ご寛恕願えれば幸いである。
 わたくしは澁谷かのんに未来の希望を託す。われら夫婦はそれがゆえにこそ、その名前をもらったのである。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3421日目 〈リハビリって苦痛だな。〉 [日々の思い・独り言]

 「浅茅が宿」の現代語訳はいま、プリントアウトした第二稿に朱筆を入れるなど第三稿作成の下準備に取り掛かっている段階。これが終わったらしばらく休んで療養にこれ努め、意気を蓄えたらそろそろシェイクスピア読書に取り組もうか、と考えている。
 否、もう1編ぐらい『雨月物語』のお話を訳すか、或いは従前より手を着けている近世期怪談の新しい現代語訳か、など考えているが、これも浮気性なわが身の為せる業。まぁ、次になにをやるにせよ、療養等をその間に挟むことに変わりはないけれど。
 そういえば最近、鷲田小彌太『定年と読書』(文芸社文庫 2011/02)を読んでいる。読書論をまとめて読んでいた時分に購ったと思しき1冊だ。
 たぶん今回が2度目になるはずだが、精々が流し読みで済ませたのだろう。その内容にも文章にも、まったく記憶するところがないのである。いまはベッドに入ってから数分の読書のお伴だ。適当に開いたページを漫然と読むだけだから、1冊を読み通すにはかなりの時間を要す──もっとも、1冊を読み通すとは到底思えない、というのが正直な気持ちである。
 ──実は本稿、リハビリ目的で書いている。こんなことを唐突に告白するのは、黙っていることに限界を感じたためだ。
 ここ数日、ただの一行も文章を書いていない。書いていない、というよりも、書けない、書いても書いても以前のようなものを、以前のようには書けない、というのが正しい。
 なにを書くか、どう書くか、どんな文章にするか、などなど考えたり、或いは書いていても集中力が続かず、形ができあがる前にドロドロに溶けてしまい、知らないどこかへ消えてしまうのだ。気怠さがそれに拍車をかけている。
 これまでお披露目したものと本稿を比較したとき、その落差は果たして如何程か。まるで見当が付かぬ。話題と文章が支離滅裂な点でも本稿は、悪い意味でわたくしの記憶へ長く残るものとなるに相違ない。どれだけ力を振り絞ってもこの程度しか書けないならば、いっそ筆を折った方が潔いやもしれぬ。ふと、そんなことを本気で考える。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3420日目 〈世にはびこる心霊動画を観すぎて食傷気味のわたくしが、今日ここでお話ししたいこと。〉 [日々の思い・独り言]

 好きでよく観ていたCSの番組に、心霊動画/心霊ドキュメンタリーがある。エンタメ〜テレやファミリー劇場、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの番組表を眺めていると、否応なく目に入ってくるのだ。
 『ほんとにあった呪いのビデオ』や『心霊闇動画』、『北野誠のおまえら行くな。』、『戦慄トークショー 永野が震える夜』、海外だと『世界10大ミステリーを追え!』や『潜入! 世界の心霊スポット』とかね。他にも事故物件探訪や『ほんのろ』の亜流番組、心霊ドキュメンタリーという名の行き当たりばったり的なドラマ仕立ての番組などなど──。
 好きでよく観ていました。その時間帯で他に録画予約している番組がないときは予約して、後日呵々大笑しながら感傷に耽った。もうね、全く以て怖くない。〈文法〉がわかってからは尚更。
 文法は〈定石〉ともいう。即ち、──
 カメラが横パンもしくは縦パンして戻ったり、画面にノイズが走ったあとは、そこになにかがいたり、不可解な音/声が記録されている(とされる)可能性はほぼ100%です。映し出された何かに気が付くのは撮影者だけで、かれ/彼女は直後、叫び声をあげて、カメラは床へ放られます。ごく稀にそれを覗きこむ不届きモノがあるのはご愛敬。
 貞子へのオマージュがあの世でも行われているのか知らぬけれど、出て来る女性の霊は大概白装束に長い黒髪で、最初はうなだれているせいで顔は見えません。稀に伽椰子・俊雄母子モドキも登場するから、そちらのファンは安心してくれ。
 ネタに詰まったのか新機軸を狙ったのか、向こうから女の幽霊と紹介される役者さんが雄叫びを挙げながら撮影者一行を目掛けて走ってくることもある。しかも影附き。走る足音、草を踏む音、等々すべて込み。なんだよ、この人、生きてんじゃん。
 投稿者や映像の関係者たちにインタヴューしたあと、その人たちの誰かが8割ぐらいの確率で姿を消したり、悲惨な事故に遭ったり、或いは亡くなっています(自死を含む。勿論、番組上の演出です)。な、なんというご都合主義的展開……。これまで何百人の関係者がナレーションだけでこの世から葬られたんやろ。『ダーティ・ペア』も真っ青じゃ。
 番組スタッフは走る、罵倒する、殴りかかる、恐喝する、侵入する、郵便物を漁る、近所に聞きこみを敢行する、場もわきまえずに詰問する。時に失踪し、事故に遭い、ストーキングされる。殆ど違法すれすれの行為がパッケージソフトになって堂々と罷り通るのは、それが仕込みでありお芝居であり、大雑把であっても筋書きが存在しているから。
 などなど、などなど。
 ──実はなにも映っていなくても、そこに心霊現象が映りこんでいる、とこじつけられることもある。人間の心理現象を巧みに突いた(否、それ程でもないか)技術の勝利といえるか。一々を真面目に、冗談もわからぬ苦虫噛みつぶした顔で検証してゆけば、斯様な例証は枚挙に暇がないだろう。なんだかつまらないけれどね。加工の痕跡を消す努力を惜しむな、ということでもあります。
 なんというかですね、先が読めてしまうのですよ。たとえば『ほんのろ』も10番台と20番台の巻にはガチヤバ級の心霊動画が収められて、初見以来ずっとこれが流通したままで平気なのかな、と他人事ながら心配しているが、それはさておき。
 ときどき、この手の番組を怖くて観られない、と曰う方に会いますが、どこが怖いのだろう。怖いかなぁ……? ではそんな方のためにわたくしが特別に、この手の番組を怖がらずに観る方法を伝授しよう。えっへん。
 まず、視聴する時間帯は、朝5時頃がベストだ。スズメがチュンチュン鳴き、カラスがカーカー鳴き、早い家では雨戸が開き、新聞配達のバイクがそろそろ配る新聞も終わりが見えてきた頃。そんな時間帯に、目蓋が半分落ちた目で番組を観てごらん。正直、イライラしてきますから。勿体ぶってないでさっさと恐怖の本体を拝ませろや、とね。
 ついでにいえば、そうして観終わったあと恐ろしいぐらいになにも残らないことに愕然とするはずだ(或る意味、これがいちばん怖いかも)。いまの時間、なんだったの? と。
 次の方法は録画した場合にのみ有効だが、一旦早送りして最後まで観たあとでもういちど最初から観る。さあ、これで次の展開はわかっているのだから、なにも怖がる必要はない。──咨、ただカップルで観て震えあがりたい方々にはお奨めしない。そのあとに控えている褥の睦が主目的なのだから、わざわざここで疲弊する必要はないし、真面目に画面へ目を向けている必要もない。勝手にやってけろ。
 先程の時間帯の話にも関係してくるが、よくわたくしはその時間に、コンビニで買ってきた有名ラーメン店が出しているラーメンを食べていた(二郎系が多い)。要するに、飲んだくれて朝帰りになったが、すぐに布団に潜りこむのも「なんだかなぁ……」というときには格好の暇つぶしに、こうした心霊動画番組を観ていたのだ、うん、ラーメン食べながらね。──番組関係者がこれを読んでいたら、不埒な鑑賞方法を謝りたいが、かといって改めるつもりもない。
 なぜ改める気がないか?
 それは、──
 もう、わたくしはこの手の番組の視聴を卒業する。潮時だ。ちかごろ身内が入院したり、病気が発見される、ということがしばしばある。むろん偶然であり、また生きていれば必定のことと承知しているが、続いてしまうとわが身を顧みて原因を探ってしまう……火事のときもそうだった、テロ現場に居合わせたときもそうだった。当然、今回も──。
 為、好きでよく観ていたが退き際を探っていた心霊動画番組の類の視聴を、この機会に卒業する。なんかね、厭なのです。霊障とか因果とか、そんなことを意識の片隅で考えてしまうのは。
 モキュメンタリーとの付き合いはこれでピリオド。さらば、茶番劇。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3419日目 〈地球の覇者は人間ではなくWindowsだ、と思ったりする。〉 [日々の思い・独り言]

 Macユーザーで生涯を過ごしたいと考えていたら、ひょんな事からWindowsで資格を取らねばならなくなったのである。インストラクターの仕事ってやっぱり、Windowsが圧倒的なシェアを持っていること、MOSの資格の有無でかなり選択肢が変わってくる(らしい)ことを、隙間から覗った程度にもかかわらず痛感してしまうた。ITパスポートだけではダメらしい。
 本屋さんに行ってOfficeソフトの上級書を買って読んでみても、わかる箇所が殆どない。これは由々しき事態である。病院の食堂で竜田揚げ定食を食べ終わって本を開いていて、斯く思わしめられた次第──否、現実を突きつけられた、というべきか。
 仕方なしに病院からの帰途、ふたたび本屋さんに寄ってWordとAccessの入門書を買ってきましたよ。序でに、目に付いたWindows11対応のショートカットキー事典なる本も。いや、ショートカットキー、大好きなんですよ。これは東銀座時代の上司F氏から徹底的に教えこまれた。お陰様で、可能な限りマウスなんて使いたくない人間が出来上がったのである。
 まぁ、ずいぶん出費は嵩んだけれど、うん、良いの、これらいずれも必要経費として来年、確定申告するから。
 でもしかし、どうしてWindowsってあんなに余計なアプリケーションがインストールされているんでしょう。本当なら削除してもオッケーな、どうでも構わない機能なのに最初から入っていると、アンインストールして問題ないのかどうか、本当に迷う。挙げ句に無難にそのまま残しているうちに容量不足で頭を悩ませる羽目に。
 おまけに起動に時間がかかるし、バッテリーはゴツくてみっともないし、ユーザー本位の目線を欠いてメーカー本意(=自己満足)に終始して、OfficeについてはWordの漢字変換能力はバカの極みだし……。世界標準のパソコンでなければ関わりたくありませんわ。
 しかしそんなことをいうていたら、悲しい哉、社会人は務まらないのである。全企業がMacを使うようになれば、わが心は常に平安なのだが、そうはいっていられないし、そんな未来は来そうにもない。地球はWindowsに支配されているのだ。殊に企業はそうである。Windowsとそこへ寄生して幅を効かせるようになったOfficeを使いこなせねば、人から白眼視されて迫害されて、隅っこへ追いやられてしまうのだ。
 それはさて冗談としても、Windowsパソコンを操作する際、ショートカットキーをMacの場合と間違えてその誤りに気が付かない、なんて事態の出来は、今後減らしてゆかねばなりませんな。──反省しているんだか、自棄になっているのか、われながらわからぬ、小さな小さなヒヤリハットだけれども。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3418日目 〈わが脳ミソはカオスの如し。〉 [日々の思い・独り言]

 最近、「浅茅が宿」の翻訳をサボっている。Pagesに入力してゆくのがメンドクサイ、というのではなく、単に多忙ゆえのこと。まァ、メンドクサイ、というのも事実だけれど。──こほん。
 いや、なんというかですね、さっきスマホのカレンダーやメモ・アプリ、そうしてアナログに手帳を眺めていたら、まったく書きこみのない日が珍しいぐらいに6月は忙しかった。あっという間に時間が流れた、とは陳腐な表現かもしれないが、実際のところ、その言葉を実によく噛みしめることのできた月だったのである。
 お陰様で結婚記念日をゆっくり祝うこともできなかったが、これは来月の楽しみに取っておこう。なんというても今年のみくら家、5月末から6月一杯はお祝い事がすべて流れて、正直それどころではなかったのである。そのお祝い事は来月に、皆の予定が合うときに、まとめてやってしまおう、と考えている。それは福音というにじゅうぶんなお祝い事なのだ。
 で、ここで話を冒頭の「浅茅が宿」に戻すと、本稿を書く直前まで数日ぶりに入力と訂正・推敲作業を並行させていた。京都から帰った勝四郎が妻の死を認めることができた場面である。どうにも気が乗らぬのは、それが人の死を扱った場面だからだろう。
 そろそろお披露目のタイミングを考えねばならぬが、そもそれ以前にブログの再開もしていないのだから「なにをか況んや」だけれど、7月後半には分載という形で読者諸兄へお届けしたく計画している。ホントかよ、と自分でも思うのですがね。
 それはそうと、読み始めた徳富蘇峰『近世日本国民史』の「赤穂義士」だが、序章を読んだ以後はまったく開くことができていない。つまり、宙ぶらりん、なのである。なんともいえぬ浅ましさ、ではあるまいか。
 そんな状況なのに、突然積み本から渡部昇一『ことば・文化・教育』(大修館 1982/07)を取り出して読み始めたり、英文法や古典文法の本に目を通したりしているのだから──これは「浅茅が宿」現代語訳中に生じた疑問から読んでいる──、もうわたくしの脳ミソはカオスと化しておりまする。
 いやはやなんとも。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3417日目2/2 〈重度の幼馴染み病患者 → Liella! になくてはならぬ船頭役、嵐千砂都について。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 ──顧みれば嵐千砂都は、第1期放送開始前からミステリアスな存在であった。果たして他のキャラクターに較べて一体われらは彼女のなにを、どこまで知っているのか。
 知るところあるとしても、公式からの発表に基づくものではなく、状況から想像される様々なピースを掻き集めてムリヤリ整合性を付けて創りあげたものでしかあるまい。
 果たして彼女の戸籍抄本はどのような内容か。下に書き出してみたが、一目穴だらけであることが注目される。曰く、──
 嵐千砂都、現住所;東京都・以下不詳、出生地:不明、両親:不詳(職業共)、兄弟:不明。生年月日;2006年02月25日(生年は推定。令和04年07月現在;16歳)、血液型;B型。
──以上。
 顧みれば嵐千砂都は第1期放送開始前からその人物像、未知なる部分が多かった。
 新シリーズ告知当初から中国からの留学生キャラクターが登場するとアナウンスされていたせいで、当初はヴィジュアル的に彼女がそのポジションを担う者と推定されていた。が、各キャラクターの自己紹介動画が公式サイトにアップされるや大方の推測はまったく裏切られ、まさかのテヘペロ・グレーヘア(パープルメッシュ入り)娘たる唐可可が上海からの留学生であることがわかると、ライバー界隈の一部からは「えーっ」というなんともいえぬ類の声があがったことを、いまよりはまだ熱心なライバーの1人であったわたくしにも聞こえたことである。
 加えて主人公と幼馴染みと判明するや、過去シリーズの幼馴染みたちがさっそく引き合いに出されて、その重症度の度合いを測られる始末ともなった。──当初は並み居る幼馴染みたちを撥ね除けるにはパワー不足と思われていた彼女であったが、豈図らんや、番組がスタートして回が進むにつれて幼馴染みとしてのポテンシャルはシリーズ最凶クラスたることを印象附けることに成功した。
 ……彼女が幼馴染みジャンルのトップに立てなかったのは幸いであるやも知れぬ。ナンバー・ワンを不動とする上原歩夢(『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』)の上を行くとなると、それはもう治癒不能のガチキチであり、或る意味でサイコパス予備軍というてもよい程だからだ。逆に、このジャンルに於ける最弱は『ラブライブ!サンシャイン!!』の曜ちゃん。童貞と陰でいわれるだけの押しの弱さとヘタレぶりは、周囲に比して極めてノーマルかつ愛くるしいがゆえにこれから先ずっと、誰からも寵愛されることであろう……。
 但し、幼馴染みへの依存、或いは自分の行動原理が幼馴染みへの愛、という点では千砂都も歩夢と同列だ。
 ことりは? と訊ねる向きあろうけれど、この2人に較べればまだまだ可愛い方だと思います。なぜって……ことりは歩夢のように幼馴染みが自分以外の人と親しくしていたり、幼馴染みが抱いている夢を自分以外の誰かよりも先に伝えていることを知っても、あくまで冷静を装い、内に抱えこんで独り病むのがオチであろうから。
 歩夢の場合は冷静を装うことを早々に放棄して、病むとかそういう段階をすっ飛ばして殆どレイプまがいに相手を押し倒し、自分の重い愛を吐きまくる。
 千砂都は、押し倒すこともその序でに自分の愛をぶちまけることもなかったけれど、すべての行動原理がかのんに結びつく以上、ヤバさこそ歩夢に一歩を譲ると雖もその重症ぶりは歩夢と同列というてよい。ただ千砂都のかのんへの気持ちがどちらかといえば畏怖、信仰に傾くに対して歩夢の侑へのそれはまるで性愛──体も心も独占希望なように映るのだな。
 既に第1期当該回の感想でも書いた(ような気がする)けれど、幼い頃に苛められていたところをかのんに助けられた千砂都は、「わたし、かのんちゃんができないことをできるようになる!」と宣言してダンスと出会い、有言実行して見せたことでかのんの尊敬を勝ち得る。
 この、「かのんちゃんができないことをできるようになる」が千砂都の最大の原動力となった。それゆえに千砂都はダンスの実力を磨いてゆき、後述の如く大きな大会に初出場して優勝するまでになる。それを達成するとせっかく受かった結ヶ丘女子高等学校音楽科からあっさり普通科に転科し、かのんや可可、すみれと共に、Liella!4人目のメンバーとしてスクールアイドル活動に専念するようになるのだ。
 神津島で初ステージを踏んだ千砂都は初めてとは思えぬ堂々としたダンスパフォーマンスで他を圧倒し、ステージ裏でその様子を見ていたサニーパッションの度肝を抜くのだ。そう、われらはきっと、いつまでも覚えているだろう、Liella!が4人体制で初めて披露した「常夏☆サンシャイン」における、千砂都のすべてが吹っ切れたような笑顔と自信に満ちたパフォーマンスのハイ・クオリティぶりを。サニパの摩央だったか、「これが4人の力……」と曰うたのは。
 その千砂都のダンスの才能は誰しもが認めるところで──S1#1でかのん母も「あの子、ダンス頑張っているみたいね」と娘にいっている──、大きな大会に初出場して優勝できるだけの実力とパフォーマンスの華があった。
 それを知るがゆえに澁谷かのんはスクールアイドル活動に誘いたくても自重するところがあり(当時千砂都がまだ音楽科に在籍していたことも影響していよう)、可可はかのんの本音と建前のせめぎ合いの解消と体力作りとダンスのコーチをしてくれる千砂都自身のポテンシャルに期待するところあって、Liella!への加入を幾度となく打診した。
 それらいずれもやはり、根本にあるのは嵐千砂都が持つダンスの才能、に他ならない。サニーパッションの2人も、千砂都とかのんに、別々の時にそれとなく千砂都のダンス能力の高さを評価し、(まだ千砂都が加入していない時期の)Liella!に不足しているものがなにかを指摘したことがある。
 最後に、Liella!にける彼女のポジションを確認しておこう。
 既稿にて彼女は、メンバー間の潤滑剤である、と書いた(第3416日目1/2 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期放送開始を前にして。〉)。そこに一言註記をするならば、その潤滑剤とはメンバー間のコミュニケーションに関わるものではむしろなく、停滞したグループ活動の前進に寄与する類のそれである。いい換えれば、自分が信じるものに絶対の信頼を寄せる場面で発揮されて、不安がる他メンバーを結束させる〈まとめ役〉の任にあるのが、嵐千砂都という女の子である。
 「わたしは信じてる。澁谷かのんを」とはS1#9で、「Liella! が始まったのは、かのんちゃんがあのとき歌ったから。可可ちゃんの想いに応えたから。──(東京大会の課題である独唱ができるのは)かのんちゃん以外いない」とはS1#11で、Liella!メンバーと澁谷かのんを励まして、背中を押した千砂都の台詞。これらの、またこれら以外の言葉なくしてLiella!が結束し、かのんがトラウマを完全克服して〈ラブライブ!〉東京大会にコマを進められたか、疑問なぐらいの説得力と愛情と気配りに満ちた、嵐千砂都一世一代の名言であった……。
 が、この嵐千砂都一世一代の名言は、第2期でも開始早々に披露される様子なのである。第2期予告PV(ロングヴァージョン)での千砂都の台詞、──

 あんまり根詰めない方が良いよ、次勝てば良いんだし。(にっこり)

──と。時間にして00分27秒から00分31秒まで。
 このなにげなく、さりげない台詞が勇将に固執するかのんの気持ちを、若干成りとも変えるのかもしれないと考えると、うーん、<嫁>ならではの台詞である。
 千砂都はどうやら第2期に於いて幼馴染みとしての重症度の描写は軽減して、更にかのんとは違う形でのLiella! の陰の船頭役を勤めることが、このPVからは期待することができそうだ。
 第2期は彼女たちが進学して2年生となり、新たに1年生を迎える春の描写からスタートする。部活勧誘ではかのんがさっそくアタフタする可愛らしい顔が拝めるけれど(「誰も、来ない……え!? え!? どうして!? どうして!?」)、それはさておき、如何にして新メンバーが加入して千砂都が彼女たちをどうやって導いてゆくのか、ここも見所の1つとなろう。
 そうか、もう放送まであと7日を切っているのか……。早く日曜日にならないかな、と子供のようにその日が来るのを待っているのである。勿論、成長した(はずの)Liella! メンバーに会いたいからでもあり、千砂都の変化というのも見てみたいからである。
 ところで、嵐千砂都役の岬なこ、髪を下ろした姿は狂的なまでに可愛いですね。あれで関西弁でツッコみまくる、っていうのが、またいい。某同人作歌描くLiella!ライヴレポの嵐千砂都/岬なこも、方向性の違う可愛さにあふれている……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3417日目1/2 〈短編集の感想文を書く際の便利なツールはTwitterだった──『忠臣蔵傑作選』読了を目前にして。〉 [日々の思い・独り言]

 たまに読了ツイートをTwitterへ流している。短編集だと感想を1編1編ツイートする(ときもある)ので、あとでまとめるとそれなりの分量になっていて、われながら驚くことしばしばで。一昨年の夏に読んでいた福武文庫版『ドストエフスキー短編集』(上下)などがその典型だ。
 読書感想文の土台にしよう、と企んで(否、思い浮かんで)始めたのが最初だったか。それとも常の読了ツイートだったのが段々と発展して、斯く企んだのか。どちらであったにせよ、Twitterの字数制限に阻まれて、書いた感想を削り、言葉を換え、表現を改め、満足のゆくツイートに仕上がるまでは随分と苦労した──けれど、その作業は一方で愉しかったのも事実である。
 それは、一種の挑戦だった。自分の語彙や表現力を試される場でもあった。鍛える、なんて大仰な話ではないけれど、それに限りなく近いものはあった。1編読み終えたら読了ツイートを流すことを自分に課して、それを愚直に続けたから、投稿直前の推敲(字数調整とか言葉の変換とかね)も最後にはさしたる苦もなく済ませることが出来たような気がする。
 最終的にそれは「第2899日目 〈ドストエフスキーの短編集を読みました。〉」として結実した。読み返してやや読みにくい部分もあるけれど、こうやってまとめてしまうのも短編集読書の1つの方策か、と、われながら頷くところ大でした。
 そうしてドストエフスキー短編集の読了ツイートと同じことを、いま、『忠臣蔵傑作選』(縄田一夫・編 旺文社文庫 1986/12)で行っている。自分のツイートを点検してみると1編だけ、読了報告が洩れている作品があるけれど、まァ、それはいずれ本書の感想文を書く際に補填しよう。ちなみに、残る短編は1編、吉川英治「べんがら炬燵」である。
 アンソロジーを読んでいると、名の知られた大家の作物よりも埋もれてしまった作家の小説に心惹かれることがある。本書でいえば、大佛次郎や邦枝完二、林不忘などが前者(未読の吉川英治も、当然こちらの人だ)、湊邦三や笹本寅あたりが後者、といえるだろう。あくまで自分には、だ。
 ゆるゆると時間を見附けて断続的に読んできた結果、どうも大家と世間の捉える作家の作物には腹の底から「面白かった!」とか「読んで良かった!」とか、或いは「巧いなぁ!」と感服させられるものはなかったことを、ここで告白する。なにやら走り書きの殴り書き、という印象を受けるものが並んだのだ。編者の好みと読者の好みは乖離する──それを踏まえれば当たり前の感想だろうけれど、正直なところ、意外に感じたのでもある。
 大家、と呼ばれる人のなかで文句なしに「良かった!」と思えたのは、山手樹一郎の短編だけだったかなぁ。邦枝完二と大佛次郎はまるで肌に合わぬ。林不忘はボーダーライン。山田風太郎はチト気色の違う作品だから、これは別に扱うべきか(面白いんですよ、やっぱり)。
 湊邦三「元禄武士道」のユーモア、笹本寅「雪の子別れ」のヒューマニズム、いずれもわたくしは大好きだ。この人たちの他の作品を読んでみたい、と思うて探して回りたい程なのである──事情あっていまはできぬ。おそらくはこれからも、ずっと。
 こうしたことを取り混ぜつつ、感想文を書くときはTwitter投稿分とあわせて1編のそれと仕立てあげたいものであります。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3416日目2/2 〈「浅茅が宿」翻訳の進捗状況。但し、2022年06月04日18時18分時点。〉 [日々の思い・独り言]

 上田秋成『雨月物語』から「浅茅が宿」の現代語訳は、(たぶん)順調に進んでいます。現代語訳というてもいわゆる逐語訳から離れてしまっているので、もしかしたら看板に偽りあり、かもしれません。
 これまで箱根の峠で幽霊に会った話や戸袋に潜む女の幽霊の話など本ブログにお披露目してきておりますから、それを想起していただければ「浅茅が宿」の自称「現代語訳」がどのようなものか、ご想像いただけると思います。
 まァ、そんなことをしているせいでか、思惑以上の分量に膨れあがっているのは目を背けたくなるような事実ですけれど、仕方ありません。原文が、前2編にくらべて数倍の量なのですから、膨れあがるのは当然です。
 この作業を始めるにあたって幾つか、架蔵する『雨月物語』の現代語訳とコミカライズへ久方ぶりに目を通してみました。学者先生方のものあり、著名な小説家のものあり、有名無名の漫画家たちの筆になるものあり、と、読み比べの作業はなかなか楽しく、思わず本来の目的を失いそうになったこともありました。
 そうした作業を通じて思うたのは、学者は、1つ1つの言葉の意味や出典、解説は得手でも、物語を再現するための「文章」の構築はまるでダメ、話にならん、というレヴェルなのです。逆に小説家は、言葉の意味や出典を探す、解説する作業に長けていない──ということ。
 学者は木を見ても森は見ず、小説家は森は見えても木を知らぬ。小説家は全体を把握する指揮者であり、学者は微細な事柄へ拘泥する観察者、ともいえましょうか。
 ──斯様にもっともらしいことをいうて参りましたが、この非難(穏やかに、指摘、というておこうかな)が遅かれ早かれ、自分へ跳ね返ってくることは重々承知。予め予防線を張ったわけではありませんが、学者と小説家の現代語訳を読み比べて両者の差異に唖然としつつ、その差異を自分はどうやって、なるたけ近附けてゆけば良いだろうか(埋めてゆけば良いのか)、と頭を悩ませながら第二稿をせっせと綴っておるところであります。
 正直なところを申しあげると、英語などの諸外国語もそうでしょうが古典時代の日本語も、単語の意味・活用と文法を大学受験レヴェル+αぐらいまでわかっていれば、──対象となるジャンル次第とはいえ──根本的な苦労はないな、と感じます。
 とはいえ問題がないわけでは勿論ありません。訳文を作ってゆく過程でぴったりな表現や言葉が見附からない、という事態に陥るは常のこと。言語の別なく翻訳という作業には付き纏う問題でありましょう。
 たとえば、いまわたくしは、──

 あさましき夜の費なりけり。

という一文をどう訳そうか、悩んでいるところなのであります……。同じように現代日本語でも一文で済ませようとすると、どうにも無理のある文章となってしまうのです。
 しかし古典の現代語訳てふこの作業、なかなかに愉しく、短い時間でしか訳筆を執ることかなわぬ事情のなか満ち足りた気分を味わっております。いまのようにチト辛い状況では尚更強く、そう感じる。そう、「浅茅が宿」現代語訳は気晴らしというか、唯一の逃げ場でありましたね、あの頃の自分には。
 翻訳のお手本、ですか? 特にないのですが強いて挙げれば、平井呈一の訳した『怪談』と吉行淳之介が手掛けた『好色一代男』、でしょうか。平井訳『怪談』は岩波文庫や恒文社のそれがポピュラーなのでしょうが、ここで挙げたのは偕成社から出ている子供向けに訳文を改めた1冊であります。解説を読むと、この作業の途中で訳者は亡くなったのでしょうか。吉行淳之介の西鶴に関しては別にお話したく存じます。
 「浅茅が宿」第二稿はようやく勝四郎が真間を目指して出発した場面です。これだけはちゃんと仕上げておきたいと思います。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3416日目1/2 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期放送開始を前にして。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 然り、前稿で吐露した気持ちは事実であり、真実である。が、その一半でしかない。不安値/絶望値よりはむしろ期待値の方が高い──嘘に聞こえるかもしれないが、本当なのだ。
 顧みれば第1期でさえ、最初のディザーイラスト、メインキャラクターが居並んだイラストからは、「なんだ、これ?」と思い、さしたる期待を抱くことはなかったのである。何作も開始が予定されている2020年夏アニメの1つ、というぐらいでしか認識するのを止めていた。もう『ラブライブ!』は1作目のμ’sだけでいいや、と思うていたのである。特にμ’s原理主義者というわけではないけれど。
 ついでにいえば、『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』は毛色の違いからシリーズ本来の流れに位置附けるべきなのか、或いは壮大なる番外編なのか、悩んだ。結局新田恵海の「虹ちゃんは3代目、孫」発言が効いて前者に傾き、かすみんイチ推しでいまに至ってい。『ラブライブ!サンシャイン!!』は──まぁ、いうのはやめおきましょう。「沈黙は作品への最大の批判」とは生田先生のエッセイの一節だったかな(※)。
 早々に脱線してしまった。軌道を戻そう。
 『ラブライブ!スーパースター!!』第1期開始前のわたくしであったな;当時を知る周囲の人は一様に疑問を呈してきた。曰く、「あんなに否定していた作品を斯くも推すようになったのは、なぜか?」と。理由は簡単だ。動き、喋るところを観たからだ。公式サイトで披露された予告PVを視聴して、即座に宗旨替えしたことを、わたくしはなんら恥じていない。
 ならば、第2期に於いてもそうなるのではないか。本稿執筆の段階(2022年06月03日)で、新キャラ4名の自己紹介動画は既に公開されているが、アニメ第2期の予告PVはまだ披露されていない。どれだけ自己紹介動画が優れて人の心を摑み得るものであったとしても、作品を観るか観ないか、特定の新キャラを推すか推せるか、を最終的に判断する材料は、実際のアニメのなかから切り出される場面で構成される予告PV以外にはあり得ぬ、とは常より思うていること。そういえば『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』のときも、かすみんについてはあまり良い印象って、持っていなかったなぁ……むしろ歩夢や彼方さんだったな、推せそう、と思うたのは。
 とどのつまり、1日も早くアニメ第2期の予告PVを観たいのである。然らば『ラブライブ!スーパースター!!』第2期にどれだけの期待を寄せられるか、どれだけのめりこめるか、が朧ろ気であってもわかるだろう。先代──じゃない、オリジナルメンバーとの絡みや距離感、人間関係等々が或る程度ではあっても判断できるだろう。
 さて、気苦労過多気味なわれらがLiella!のリーダー、澁谷かのん嬢が新しいメンバー相手にどんな脱力&やさぐれの表情を見せ、グループ運営に腐心し、シリーズ最強スペックを備えた主人公/グループリーダーとして宿願となった感のある〈ラブライブ!〉優勝を目指して行動してゆくか。
 どこでその言葉を覚えてきた、と訊ねずにはおけない上海からの留学生、唐可可ちゃんがすみれのみならず他メンバーたちとどんなボケツッコミのコントを披露し、魂揺さぶる発言で誰彼の気持ちを後押しし(S1#01「好きなことをがんばることに、終わりなんてあるんですか!?」)、なにより、第1期の終わり際で発覚した帰国問題にどうケリを付けることになるか。
 シリーズ2位、3位を争う重度の幼馴染みの位置を占めることになって、或る意味で視聴者を驚愕のどん底に叩きこんだ嵐千砂都が、そのダンスの才能を如何に発揮してLiella!に更なる貢献を果たしてゆくか、これまでメンバー間の潤滑油役を担ってきた彼女が新しいメンバーが加わることで如何な変化を遂げてゆくか。
 一旦スポットライトを浴びた人間はなかなかそのときの栄光と快感を忘れられないことを体現して見せた平安名すみれが、進級して後輩を迎えて先輩になることでその弄られキャラぶりにどれだけ磨きがかかるのか(わたくしとしてはかなり好意的にいうております)、可可とのコンビに如何な発展を見せてくれるか、Liella!の陰のセンターとしての実力と魅力をどう発揮してゆくか。
 シリーズ中最も重い過去と使命を担う生徒会長葉月恋が、<お約束>としてどこまでポンコツぶりを発揮してゆくか(但しこれは一息入れるための描写であるべきで、それがメインとなってはけっしてならぬ。やりたいなら二次創作でやろう)、ステージで1、2を争う見栄えの良さにどこまで磨きをかけるか、安定した歌唱をどこまで伸ばして別の一面を開拓してゆくか、そうしてなにより学校運営の重責を実質的に一半なりとも担う者として行動してゆくか。
 そうして新キャラクターたち……道産子がLiella!の活動に共鳴して東京の創設2年目の学校にわざわざ入学してきたという理由が本当なのかひたすら知りたい(=気になる)桜小路きな子、どっかで見たことあるような既視感たっぷりの性格&口調だけれど名前はいちばん好みな若菜四季、まるで以て摑み所がないゆえに却って動いて喋っているところを一刻も早く観たい米女メイ、すみれの超絶劣化Ver,加えて旧来の政治家タイプな鬼塚夏美(「オハナッツー!」って、白痴か)……彼女たちがどんな希望や目的を持ってLiella!に加入し、活性剤となってゆくか。これはまさしく期待すべき事柄である。第2期の成功の可否はもはや(表向きには)彼女たちの双肩に掛かっている、というてよい。
 新加入は精々が2名が限度じゃないか? と思うこと未だあるけれどそれを払拭させるだけのものが提供されると信じている。この4人が加わったことでLiella!の物語が瓦解するようなことがあったら、もうわたくしは2度と『ラブライブ!』を観ない。正直なところ、5人から9人に増えることは大反対なのである。此度の新加入=増員が大炎上の因とならぬことを祈りたい(5人のLiella!の方が良かったな、なんて意見を封じこめられるだけの説得力があれば良いだけである)。
 第2期放送開始は来週07月17日(日)19時から、NHK Eテレにて。愉しみに待とう。◆

○ちょっと一言
過去日の執筆につき、一部表現が過去のものとなっていること、及び加筆してあることを註記致します。本文には書いてあるけれど、読み落とす人幾許かある様子なので、ここで一言する次第。□

※「批判の最高の形式は沈黙であり、一冊の書物にたいする、一人の著者にたいする最高の批判形式は「読書の中絶」にあるからだ。」
「虚妄の「戦後」」(生田耕作評論集成Ⅳ「滅びの文学」P273 奢灞都館 1996/01)より。


共通テーマ:日記・雑感

第3415日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期ヘの期待値は、ゼロである。言い換えれば、いまから失望と絶望しか感じない。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 9人よりは5人。古今の例を顧みて9人という奇数の収まりの良かった試しはない。5人体制で巧く運用できていた集団が、途端に本人たちの意思と関係なく増員されると道は2つ──空中分解か馴れ合い、いずれかである。否、という者あらば挙手を乞う。
 むろん、間もなく放送開始の『ラブライブ!スーパースター!!』第2期の話である。
 Liella!はSMAPやTOKIO、(結成時の)モー娘。の如く、5人体制を維持すべきだった。5人……咨、その収まりの良さよ、ヴィジュアルにしても曲にしても、キャストの居並ぶショット(生配信含む)にしても。
 4月、Liella!に新メンバーが加わることが公式から発表された。デザインを見た途端、「これではないっ!!」と反発しか覚えなかったのはわたくしだけではない、と知っている(いまに至るも、なお)。正直なところ、作品にそぐわぬキャラデザ、担当キャスト、口調……いったいどこのガールズ・バーだ。
 そも、9人体制にする必要はあったのか。いつまでμ’sの偉光に縋るつもりだ。その遺産を劣悪なリメイクを繰り返して再利用する気だ。思考停止にも程がある。
 第2期が当初から予定されていた以上、新入生の登場は必至。が、Liella!に加入させる必要はあったのか? 同じスクールアイドルとして活動する別グループとして、同じ学校内の同じ部活内で時に反目したり時に協調したりして切磋琢磨することは考えられなかったのか。
 一体全体、花田氏の実力で9人の物語を捌くことができるのか? まぁ、無理でしょう。できているなら、『ラブライブ!サンシャイン!!』はもう少しまともなストーリーになっていたはずです。少なくとも、千歌が「廃校だよ、μ’sと同じだよ!!(やったー)」と飛びあがって叫ぶような”キチガイ”ストーリーにはならなかったろう。
 はっきりいう、μ’sの物語は時間と運が味方した、まぐれ当たりの作品であり、脚本を最後まで練り、ディスカッションするる時間があったから生み出された奇跡の作品だったのだ。柳の下にドジョウは何匹もいないことをとくと知れ。
 無理か? ストーリーラインを担当する連衆が花田氏ごと一新されない限り、それは流石に期待できぬことか。運営はわかっていないのだろうか、花田氏がメインを張る程の実力が欠片もないライターであることに? 花田氏のオリジナル脚本のクオリティが乱高下するのは『ラブライブ!』が始まる前からのことだから、今更目くじら立てるのは間違っているのかもしれない。その程度の能力の持ち主であったのだ、そう見限るのが最善であろうか。所詮は花田十輝の脚本である。運営側に此奴の脚本をチェックする能力のある者はないのか、と嗟嘆するのが妥当であるのか。
 それはさておき、Liella!に新メンバーを加入させたのは、既定路線とはいえ余りに安易であった。もっとも、如何なる形で、如何なる流れで加入してゆくのか、次第であるが、『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期と呉越同舟、同じ穴の狢、という結果を見せられるが精々ではないか。このあたり、京極氏はどんな考えを持って、或いはどんなヴィジョンを抱いて新たに4名を、Liella!に加入させる愚断を下したのか。とくとお伺いしたいものである。
 Liella!を川迫いる現在の5人は、この構成がどれだけ音楽的にもヴィジュアル的にも結束としても完成されてこれ以上の発展を望むべく出ないことを知るべきだ。
 放送直前とはいえ未だ情報公開に制限のある現段階で、『ラブライブ!スーパースター!!』第2期をこれまで通り支持してゆくか、見棄てるか(「あの人はもういいです、ダメになりました」)を決めるのが危険な行為であるとは重々承知。しかし、これまで運営やキャストらから提供されてきた情報では、なんとも判断できない、というのが運営側とはなんの利害関係も持たぬ一ライバーとしての、偽りなき真情吐露だ。
 既成の枠組みのなかに新たな要素を混ぜこんで化学反応を楽しむ猶予は、少なくとも現段階で公にされている『ラブライブ!スーパースター!!』のなかには、ない。少なくともわたくしは放送も始まっていない現段階から、オプチャの面子のように、手放しで、無批判に新メンバーを受け入れる気にはなれない。再三いうているように、如何なる形で、如何なる流れで加入してゆくのか、次第である。
 本心はどうあれ、シリーズの展開に併せて肯定的な発信をし続けなくてならぬ方々は皆が皆、Liella!新メンバー加入に両手を挙げて讚成しているのか? 誰1人、それに「?」は抱かないのか? まぁ、いわないよね。自分たちの利益に直結する話題でもあるから(こうまで書いたわたくしの脳裏にはいま、と或るキャストの名前が脳裏に浮かんでいるけれど、敢えてその名は伏すことにしたい)。
 5人、というのが不吉であった──トリガー次第で結束もすれば活動停止にも解散にも、なり得る。われらは既に、少なくともわたくしは間近で、SMAPとTOKIOという5人体制の完成形とその終焉を見ている。果たしてLiella!は……雲散霧消した後ファン以外の誰の記憶に残るだろう?
 ──御門違いと揶揄されるのを覚悟でいえば、彼女たちが人前にサプライズで出た数分で、その場に居合わせた人の心に思い出を刻み、感涙させる程になってほしい。否、人前に揃って立つだけでそこにいる人が幸せを感じられるような存在になってほしい。むろん、ここでいう「人」というのはライヴ会場に足を運んでくださったファンではなく、一般的な意味での日本国民である。彼女たち5人にはそれだけのパワーもスキルも伸び代もメンタルもあると思うのだ──歴代『ラブライブ!』に登場したスクールアイドルたちに欠けていた、それが。或る意味でLiella!は、われらが見てきたスクールアイドルの理想的完成形である。それを打ち崩して再構成するメリットと勝算はあるのか?
 運営にお願いしたいのはただ2つ。人生の最期までキャストが自分の過去の仕事に『ラブライブ!』を挙げられるようにしてやってくれ。そうして、これがいちばんいいたいことなのだが、娘に希望を託して授けた名前が失望の作品の代名詞とならぬことを、祈る。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3414日目2/2 〈安倍元首相、逝く。〉 [日々の思い・独り言]

 信じられないニュースがテレヴィで流れている。約束していた予定を、時間を変更してもらって、そのニュースを時間の許す限り観ていた。
 奈良県の大和西大寺駅前で、参院選立候補者の応援演説をしていた安倍元首相が凶弾に倒れた。犯人はすぐにSPらに取り押さえられた。近くのクリニックから呼ばれた医師が心臓マッサージを施している。心肺停止か、と画面片隅のテロップにある。ドクターヘリで病院に搬送されて緊急手術が行われた。ほぼ一部始終の映像がテレヴィの画面で流れている。そこまで見届けた後、家を出て、打ち合わせに向かった。
 夕刻17時03分、搬送先の病院で死亡が確認された。その直前に昭恵夫人が到着し、安倍さんに逢えたことがせめてもの幸いか。
 それを知ったのは、打ち合わせも終わって近所のラーメン店で参加者数名と注文した品が来るのを待っていたとき。19時過ぎである。
 やはり……。いったい何度、スマホを開いてNHKや新聞社のウェブサイトやTwitter、LINE NEWSを見ようとしたか。が、それはなかなか出来なかった。心肺停止か、と或る時点で最悪の事態はなんとなく想起できていたからだ。要するに、怖かったのである。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな。
 この国の行く末を問う時期に、射殺犯よ、人殺しよ、お前はなんてことをしでかした。
 罪の重さ、大きさ、深さを獄中で死ぬまで考えてこい。

 日本がいちばんいま失うべきでない人が今夕、亡くなった。こんな形で、と思う。
 哀悼の意を表します。

 ──昨日Twitterに投稿した文章の全文である。最初に投稿した際は頭のなかが真っ白になっていたので誤変換と言葉の誤用があったので、上記は2回目に、日本経済新聞電子版の引用リツイートを行ったときの文章……どうでもいいか。
 犯人は、特定の宗教団体のトップを狙うつもりで安倍元首相を狙撃した、という。家族がその宗教に嵌まりこんで家が破産した憎悪が、今回の事件の出発点であったらしい。件の宗教団体トップに接触するのが難しいので、親交があると「(自分が勝手に思った)安倍元首相をターゲットにした」旨供述している、と報道。呆れ果てた話だ。リサーチを怠った杜撰な襲撃計画だな。杜撰といえば警備体制に問題があったようだが、それは後日の話題としよう。
 裁判のとき、弁護側は精神状態の不安定やらなにやらを持ち出してくるかもしれぬ。この国の司法は最終的に死刑求刑するのだろう。個人的には死刑も自殺も許さぬ。公衆の前に姿を曝し続けて、「安倍晋三元首相を狙撃した政治テロ」として生涯罵声と怨嗟を浴び続けるが良い。
 享年67。奇しくも父安倍晋太郎と同じ年齢である。まさかこんな形で、人生の幕を降ろすことになろうとは、本人を含めて誰も思わなかっただろう。否、1人だけいるか。犯人、という男。
 明日は参院選だ。選挙権のある人は皆々、投票所へ行こう。安倍元首相が最後まで願い続けた美しい国、新しい国「日本」の実現のために。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3414日目1/2 〈更新を再開します、というお知らせ。〉 [日々の思い・独り言]

 本日からブログへの投稿を再開します。
 どれだけの間隔が実際に開いたのか、予約投稿の弊害か良くわかりませんが、事態が改善したからブログを再開するのではない、とだけは、備忘の意味も込めて書き置いておきます。
 「さあ、死神よ、おまえを出し抜いて生き延びるのと、おまえの手にかかって倒されるのと、どちらが先か。ゲームを始めよう」
 今後の更新頻度がどうなるかは、不明。毎日定時更新に戻せるかどうかも含めて、不明です。わが事ながら斯様に漠然とした回答で、相済みません。
 続稿として既に2週間分の文章が、本稿を予約投稿する時点でできあがっている。気が向いたら手を入れるだろうが、基本的には決定稿と考えて良い14日分の文章が。いい換えれば、あと14日は本ブログもわずかな命を燃えあがらせることが可能というわけだ。
 そこでこれ以後の予告となるが、某アニメ第2期開始を前にした不安と猜疑を吐露した一稿あり、心霊動画への茶々入れあり、読書感想文を書くにあたってTwitterを以下に活用するかの一文あり、例によって例の如くのフリートークあり、現在鋭意第三稿を作成中な「浅茅が宿」現代語訳の進捗報告あり、と、(外見上は)これまで通りのブログであります。
 ただ、2週間分の原稿が用意できていると雖も執筆の間隔は開き、その順番もバラバラなので、日次で読んでゆくと矛盾が生じてくるケースあるが、それを敢えて順番に並べ替えるような操作は一切しなかったことだけ、お断りしておきます。色々と、企みや事情や都合があるのだ。
 あらためて、どうぞ宜しくお願いします。◆

共通テーマ:日記・雑感

ブログ更新再開のお知らせ。 [日々の思い・独り言]

 07月09日午前2時から、更新を再開します。
 葛藤など様々ありましたが、時に言葉を荒げてでも云うべきことはいい、以外はのんびり駘蕩にお喋りすることに決めました。
 どうぞ宜しく。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。