第3525日目 〈推測1つと報告1つ。〉 [日々の思い・独り言]

 ○推測  Twitter
 →(発端)
 或る日突然、自分のツイートに「センシティブな内容が含まれている可能性があるため、このツイートに警告を表示しています」なるメッセージ、否、Twitterからの警告が付くようになった。

 →(結論)
 特になんの結果連絡もないまま、今月10月中旬、センシティブ警告は解除され、通常のツイートのみ表示されるようになった。

 →(経緯)
 本年04月25日、件のメッセージが読了ツイートに付された。直ちに、「いつも流している読了本のツイートが、どうしてセンシティブな内容になるのか理解し難い。(改行)この写真、この文章のどこに『センシティブな内容』があり、この写真、この文章のどこが『センシティブな内容』として引っ掛かることになり警告が発せられたのか、詳しくお知らせいただきたい。」と異議申し立てを行ったのが最初。
 なお、異議申し立てを送信すると画面は遷移し、Twitter側から、「このあとどのようなことがおきますか?」として斯様なメッセージが表示された。曰く、──

この異議申し立てについてレヴュープロセスが実施され、ツイートにセンシティブな内容が含まれているかどうかと警告が必要かどうかが判断されます。その後、結果についてお知らせします。間違いであると判断された場合は修正されます。
Twitterでは常にユーザーの視点を大切にしており、Twitterルールの内容と適用方法の改善に努めています。ただし、異議申し立てをしても、ツイートから警告が削除されることが保証されるわけではありません。

──と。
 爾来5ヶ月の間、ブログの更新ツイート、読了ツイート、文字通りの呟き、諸々にセンシティブ警告が、嫌がらせか機能不全の賜物か、運営に人間不介在を示す証しか、定かではないけれど、常に、常に、常に付き纏い、殆どネットストーキングされていたに等しい。こちらも屈することなく2週間に1度のペースで、文面細部は多少異なると雖も異議申し立てを実施。
 が、「レヴュープロセスが実施された」かどうかも、「警告が必要かどうかが判断する」ためなんらかの行動があったかどうかも不明未詳のまま、「間違いであると判断されて」「修正され」たのか、今月になって唐突に、かのセンシティブ警告メッセージは付されなくなった。
 当然といえばそれまでだが、今日に至るもTwitter側から「結果についてお知らせ」はされていない。この文言は虚偽であることを自ら白状した格好である。

 →(推測)
 なぜこのメッセージが突然、解除されたのか、わからない。ただこの04月から10月の半年は、イーロン・マスクのTwitter買収にまつわる騒動が持ちあがり、再燃した時期ではなかったか。もし今回のメッセージ解除が、買収のゴタゴタが間接的にでも影響しているならば──咨、マスク氏に感謝である。呵呵。(※)
 いやあ、でも、本当の理由はなんだったんでしょうね。
 次に同じことがあったら? 勿論、徹底抗戦です。生田耕作先生の言葉、「ふりかかった火の粉は払わねばならぬ。茶番劇もまたときにはやむをえない」(※※)を引いて、一旦の幕を閉じる。
 ※本稿執筆翌日、イーロン・マスク氏はTwitterの正式買収を発表、幹部陣の一掃と当面の株式非公開を表明した。
 ※※「〈芸術〉なぜ悪い」 『黒い文学館』P110 白水社 1981/09


 ○報告  駿河屋
 →(発端)
 第3509日目参照。

 →(結論)
 昨日、商品着。

 →(経緯)
 くだくだしく書く気はない。失せた。
 第3509日目お披露目の翌々日午前、商品揃った旨メール送信されて、みくら午後に受信・確認。
 某メガバンクから指定口座に同日20時12分、代金全額を振込。
 翌々日午後振込未確認メール送信されて、みくら数時間後に受信・確認。
 当該銀行支店に電話して相手口座に振りこみ済みであることを確認、振込明細を添付して翌日正午近くその旨返信す。
 以後、音沙汰ないまま昨日、商品到着。

 →(到着後)
 商品は昨日、確かに到着した。全点の洩れもなく。但し、もう入れ方が乱雑で、放りこんだ、というのが正しい程。そのせいか、商品1冊に関しては深刻なページ折れが発生緩衝材はまったく用を為しておらなんだ。もうなにもいう気がなくなりましたわ。
 商品がカバーと中身で違っていたりとか、濡れ跡や破れが散見されたり、とヒューマンエラーはこちらも散発するとはいえ、梱包と発送はブックオフオンラインの方が優りますね。まぁ、各地の店舗から商品をかき集め、揃わぬ限り発送するにできない駿河屋のディレムマもじゅうぶん理解できるのですが──わたくしもかつては注文を受けて揃えて、梱包して発送する側だったからね。
 ともあれ、到着時の状態に難あり商品ダメージに不満は生じたとはいえ、注文品は全点ぶじに届いた。しばらくの間は利用することあるまいが、全点揃っていたこととぶじに送られてきたことには、感謝したい。◆

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第3524日目 〈美人薄命 ──その医師去りしあと。〉 [日々の思い・独り言]

 いまこれを書くため倩往時を振り返っているが、どうしてもその人の姓を思い出すことができないでいる。短時間ながらかつては週1,月1ペースで顔を合わせていた人。多からずとも少なからずの恩を抱いている人。にもかかわらず──である。
 思えば兆候はあったのかもしれぬ。7月、普段と違って医服に非ず、喪服の如し。9月、診察で赴けば体調不良とて欠勤で、その週のローテーション表に名前はなく。10月、理由は定かならねど退職されており、担当患者は皆々該科の副部長に診ていただくことに。最後にお見掛けしたのはなぜか、地元の区役所であった。
 咨、記憶力が良いとは哀しい出来事を、淋しい気持を、いつまでも忘れられずにいる、ということなのだね。難をいえば、これが仕事に一向活かされぬことか。まぁ、それはさておき。
 あの方なかりせば、涙腺の問題の発見、適切なる治療、視野の回復はあり得なかった。むろん、他の医師でも同じだったろう。が、決定的に他と異なったのは、目を合わせてこちらの話を聞いてくれること、ちゃんとこちらを見て話してくれること、だった。
 ずいぶんと若い医師であったので様々苦労を抱え、己が不明に至らなさを思うこと、あったやもしれぬ。それでもふしぎと全幅の信頼を寄すことのできたのは、患者と向き合う態度に誠実さと謙虚さを感じ、好感を抱いたがためであった(もう1つだけコッソリ話せば、うむ、その涼やかな目許がかつて一緒に仕事をした人と似ていたんだよ)。
 今後も通院は続く。そのたび、12診の前を通るたび、わたくしは、件の医師を思い出すだろう。◆

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第3523日目 〈赤川次郎に学びたい、タイトルの付け方。〉 [日々の思い・独り言]

 なんという本に収められた、なんという題のエッセイか、覚えていないが、赤川次郎のそれである。
 なかなか魅力的で、思わず興味を惹かれるタイトルの本が並ぶ赤川作品だが、実は作者は、自作にタイトルを付けるのが大の苦手、と白状する。小説・エッセイ、問わずにすべての作品のタイトルを自身で考えているのか、流石に知るところではないが、タイトル付けが苦手と知って意外の感に打たれたのは、数10年経つ現在でもよく覚えていることだ。
 同じエッセイだったか、別のエッセイだったか、こちらもはっきりしないが、赤川はノートに、思い着いたタイトルを書きつけていた由。なかには〈懐かしの名画〉シリーズに結実する名作映画のタイトルや、クラシックの名曲に想を得たり、それをもじったタイトルもあったろう。「暴力教室」や「ト短調の子守唄」、「監獄のバラ」などが思い浮かぶ。
 そうして──白状するまでもなく、わたくしもタイトルを付けるのが不得手である。ヘタクソ、というてもよい。これでも毎回──ではないか、ウンウン唸って悩んでいるのだよ。会心の作と思うが浮かんでニンマリ、ニッコリすることもあれば、やっつけでタイトルを拵えたりもするが、いちおうは少しく悩んでタイトルを付けているのだ……。赤川に倣って、メモ紙やらモレスキンやらに、思い着いたタイトルを片っ端から書いておこうかしらん。
 本稿のタイトルも、書きながら、「タイトルについて」というのが浮かんで決めかけたが、あまりにも「なんだかなぁ……」が過ぎたので却下。現時点ではなにも思い着いていない。ホント、このエッセイのタイトル、どうなるんでしょうね?◆

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第3522日目 〈蘇峰『近世日本国民史』の凄さを肌で感じる。〉 [日々の思い・独り言]

 著者蘇峰をして「近世日本伝記」といわしめた空前の大著、『近世日本国民史』をいま読み進めている。並行している本が他意に幾つもあるので進展をなかなか報告できないのが玉に瑕、か。
 残念ながら架蔵するのは、朝鮮総連に忖度したか秀吉の朝鮮出兵の巻を欠くなど元版全100巻を半分のみ刊行して終わった講談社学術文庫版であって、読書中のそれは元禄時代は赤穂義士の一巻というのは既に幾度となくお話したことだけれど、実を申せばもう一巻、4冊より成る「開国日本」にも別に目を通している。生まれも育ちも開国の地、故郷の歴史を知りたいと思うたら気になる一巻、市区編纂史誌、郷土史研究会刊行物に次いで手を伸ばすべきと思うがかの「開国日本」なのだ。
 「開国日本」は全4冊といささか大部なれど、そろそろ聞こえぬフリを通すも難しくなってきた外国からの声、開国迫る声の大きくなってきた頃、即ちペリー浦賀沖に来航すの以前の朝廷・幕府の関係など国内情勢を説くところから筆を起こし、江戸近海の防衛また諸家海防論に触れていよいよアメリカよりの使節現るるへ至り、外患に憂慮しながら神奈川条約を締結して一挙に鎖国から開国への道を歩むを、史料をふんだんに操りつつ自身の文章を混て維新前夜ののっぴきならぬ空気を伝えて見事というよりない。加えて日米にのみページを割くことせず、同時代に日本がオランダ・イギリス・ロシアからも交易通商を迫られ、各国との交渉の記録をも併記して、幕末期の日本がどれだけ揺れ動き如何に対処したか、詳しく語ってもいる点を以て重宝をし又貴重とやいはん。
 渡部昇一が指摘するが如く、歴史を綴る蘇峰の目、蘇峰の筆はすこぶる公正である。取り挙げる史料に自ずから種々の限界はあったろうが(提供の限界、博捜の限界)、入手し得たそれらについては自分の史観、自分のイデオロギーに照らして取捨することなく歴史を多視的立体的に再現するためならそれさえ一旦脇に置く、という態度を徹頭徹尾貫いて蘇峰は、『近世日本国民史』全100巻を、大正7年6月3日織田時代より起筆して昭和37年最終巻歿後刊行という途方もない歳月と途方もない精力を傾けて綴り、世に送り出したのだった。かれの後半生はただこの一著にのみ費やされたとしても過言ではない。
 蘇峰の目的は夙に知られる如く、「明治天皇御宇史」の執筆にあった。が、1つの歴史を語るためにはもう1つ前の歴史を語らねばならぬの信念からかれは明治天皇の御代を綴るに際して想は建武中興までさかのぼり、実際は織田信長の時代から執筆を始めた。本編ともいうべき「明治天皇御宇史」第一冊は昭和11(1936)年5月11日起筆、第17刷「新政扶植篇」執筆中の昭和14年5月に刊行せられて、それは講談社学術文庫版のタイトルに従えば、「明治維新と江戸幕府」全4冊、「西南の役」全7冊、「明治三傑」全1冊へ続いて、「明治天皇御宇史」全37巻を成す。斯くして蘇峰畢生の大著『近世日本国民史』、その最終巻「明治時代」(「明治三傑」元題)が世に現れたのは昭和3(1962)年8月であった。蘇峰逝って5年後のことである。
 わたくしは蘇峰の著書を、この『近世日本国民史』を除いて他には片手の指で数えて1本余るぐらいしか読んでいない。書名は控えるが、蘇峰がジャーナリストとして八面六臂の活躍をして、バンバン著書を世に送り出していた時期の、然程内容のあるとも思えぬ本である。古書店で安価が付けられていたのも納得がゆく。
 これまで『近世日本国民史』に拘泥していて、他の、蘇峰を代表する著作を読まずに来たことを悔やんでいる。また、かれの生涯についても紙・Webの別なくよく知らぬまま過ごしてきたことについても、同様に。せめて渡部も学生時代に愛読した『杜甫と彌耳敦(ミルトン)』(戦後、『世界の二大詩人』として復刊)は架蔵してじっくりと読んでみたく、生涯に関してはまずは偏りなく公正に、然れど書き手の識見・学問・才力(即ち、史家の三長なり)が発揮された伝記を捜して読んでみたい。それはおそらく、これまで渡部昇一のエッセイ2編でのみ蘇峰を知り、読む道標にしてきた態度からの脱却を促すことになろう。
 咨、『徳富猪一郎・蘇峰全集』なんていう代物が世に実在したらなぁ。月賦で買うのに。◆

第3521日目 〈読む順番、は大切である ──遠藤周作を例にして。〉 [日々の思い・独り言]

 その邂逅は不幸であったかもしれない。出会いそれ自体ではなく、順番のことだ。
 先日わたくしはここで遠藤周作『聖書のなかの女性たち』を読了し、ノートを始めた旨書いた。遠藤の著作を過去に読んだとは、記憶をどれだけほじくり返しても出てこない。近代文学の講義で読まされたかもしれないが、記憶から失せているとあっては読むことも読まされることもなかったのだろう。然るに此度の『イエスの生涯』と『キリストの誕生』、『聖書のなかの女性たち』の3冊が〈はじめての遠藤周作〉になるというて良い。
 順番を不幸というたのは他でもない、遠藤周作のあまりの悪文ゆえにである。悪文、とは言い過ぎか。雑、神経なし、なる言葉の方がより的確だ。されど文庫で3行にわたるワンセンテンスの文章に句点なし、それも意図しての文章に非ず、ただ頭に思い浮かんだことを書き流して推敲もせず読みやすさへの配慮なんて浮かびもしなかったであろう文章である(こんな感じの文章なのだ)。こんな文章で小説を書かれたら……途中で投げ出しているかもしれない。
 いうておることはとても良いのに、文章の点で消し難い瑕疵を残した作家というのが、わたくしの現時点に於ける、そうして今後も抱く遠藤周作観だ。ヒュームの言葉をここで取り挙げるのは気が引けるが、いちおう紹介しておけば、「内容(matter)は良いが、様式(manner)に問題があった」のが、就中『聖書のなかの女性たち』なのだった。
 遠藤周作は「夕陽」を「ユーヨー」と、それも某国営放送の美術番組で曰うた御仁であるそうだが、そんな言葉への雑な態度が文章にも表れた格好なのだろうか。「ユーヨー」の件は生田耕作先生のインタヴューで知ったが、その生田先生、遠藤の芥川賞受賞作「黄色い人」がきっかけで、現代文学への関心を永遠放棄したというのだから、遠藤周作もまこと罪な作家といえよう。
 わたくしにとって、生田先生に於ける遠藤のような存在があるか、ですって? ありますよ。先生のようにジャンルを永遠放棄したわけではなく、その作家の著書一切を売り払ってその後は一度もその作家の本を手にしたことも巻を開いたこともない、という作家ならありますよ、という意味ですが。桜庭一樹と又吉直樹、志賀直哉、どれも、もうけっして読む気の起きない輩、胸糞悪くさせられる衆です。
 咨、これは戦中に軍部協力をした作家を憎み、すべて処分して二度と触ること読むことなく、憎んでいる、とさえいうた佐藤春夫や萩原朔太郎、三好達治などを例にした方が良かったかもしれないね。
 ──『沈黙』や『海と毒薬』、『死海のほとり』には興味があって、読みたいという気持ちが強い。買っただけで読むには至っていないが……でも、『イエスの生涯』を読むまでは生田先生の言葉が呪縛のようにまとわりついて曇った目で見ていたから、小説を先に読んでも文章の粗雑に腹立たしさを覚えて床に叩きつけたりして、かれのキリスト教関係のエッセイを読むことは永遠になかったかもしれない。つまり、永遠の同伴者としてのイエス、哀しみを共に背負うてくれる癒やし手としてのイエスを明快な形で知る機会は失われていたかもしれぬ、ということだ。それは、不幸である。
 順番を過っていたら邂逅はなかったかもしれない、というのは、そうした所以なのだった。◆

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第3520日目 〈雨が降ってきた。〉 [日々の思い・独り言]

 2022年10月26日01時20分頃か、夜寒し、雨が降ってきた。すこぶる強い降りの雨。
 ゴミ収集日ではないから良いけれど、朝から買い物なのだよなぁ。やれやれ。
 寒いね、まったく本当に。寒いね、もう秋は終わって冬に突入か。人肌恋しくなります。◆

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第3519日目 〈読書抜き書きノートと、自分が心から好きだといえる分野、について。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の続きというか、付け足しのような話だ。
 引用とコメントから成る抜き書きノートは、今日から遠藤周作『聖書のなかの女性たち』。新約聖書の記述を踏まえて、そこから話題が紡がれてゆくエッセイでもあるため、福音書の当該箇所を読んだ後で『聖書のなかの女性たち』から引用する箇所を書き写すようにしないと、置いてきぼりにあった気分に陥ること、一度や二度のことではない。コメントを付す際も同じだ。話が明後日の方向へ行かぬよう、水際対策を取る必要があるから。
 とはいえ、このノートだけで福音書の当該箇所がどう書かれているか、わかるようにしておきたい。為、後日の自分への便宜を図れるよう遠藤引用箇所を書き写す前に、福音書の当該章節も併せて写すことにした。聖書本文を書き写すのはお手のものだ。聖書読書ノートブログだった頃、何万字から成る文章を、ブログ原稿に書き写しておったか……。気分は中世ヨーロッパの写字生である(高宮利行『西洋書物学事始め』口絵1、第1章、第3章)。
 そんな理由あって残り12ページですべて収まるか、という不安が今日になってふたたび頭をもたげたが、まぁどうにかなるだろう。ケ・セラ・セラ、である。

 先達ての告白ではないけれど自分がだんだんと、気持の上でも本道へ帰ろうとしているのを実感する。こうした聖書絡みの本を読んだり、書いたりしていると、妙に心が落ち着く。と同時に、静かに、ゆっくりと、自分のなかで燃え盛る〈なにか〉があるのも感じる。
 それは聖書/キリスト教/ユダヤ教/歴史に関わるもののみではない。生田耕作先生や高宮利行、鹿島茂を始めとする書物愛好、林望や中野三敏を中心に読んできた書誌学など、書物それ自体について書かれた古今東西の本、好きな作家についての研究書やエッセイなどでも、同じだ。──一周回って軌道を外れかけたからこそ、いま頃になって改めて自分の、心底からの好みを確かめられたと思うている。
 ここ数日、取り留めのないエッセイになったが、〈帰還へ至る足跡〉を墓標代わりに記録している、と、そう捉えていただければ幸いだ。◆

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第3518日目 〈新しいノートと新しい本を物色する。〉 [日々の思い・独り言]

 未だ感想文を書いていないと、抜き書きノートを作成中に思い出した遠藤周作『キリストの誕生』(新潮文庫 1982/12改版, 2011/02)です。「近日公開」でお茶を濁させてください。
 
 この抜き書きノートについては昨年あたり、本ブログで話題にした記憶がある。いまはようやっと2冊目が終わろうとしているところ。元日に書き始めて、10月もなかばのいま時点で残り12ページとはペースが遅い気もするが、読んだ本すべてについて抜き書きを行っているわけではないし、そんなことをするつもりも(まったく)ないから、こんなものだろう。うん。
 引用とコメント、所感を書きつけるノートも上述のように終わりに近附いてきた。最初のノートもそうだったが、もう1冊読んだ本の引用とコメントが残りのページで収まるかな、と不安になってくる。前回は藤沢周平『一茶』でそんな不安が片隅にあった。最後の紙が3分の2ばかし余ったので、一茶本人の言葉と俳句を引っ張ってきて、年の瀬迫った東京ビッグサイトそばの喫茶店でノートを終えたのである。
 では今回は? 『キリストの誕生』の引用とコメントを終えて残ったのは12ページ。『聖書のなかの女性たち』(講談社文庫 1972/11)は引用箇所も少なく、付すべきコメントもそう多くない。ゆえに2冊目のノートでじゅうぶん収まるはずだ。
 それでもページが残るようであったら……さて、どうしましょう。

 1冊のノートが終わろうとしている。そこでまたぞろ頭をもたげてくるのが、「次のノートはどれにしようかな」問題だ。3冊目のノートをそろそろ準備する必要が出た、ともいう。幸いとノートは、ある。部屋を片附けている最中あちこちから出てきた未使用ノート、中途半端に使用済みのノート、厚いのも薄いのも合わせて10冊超。
 迷っている。さて、どれにしようか、と。方眼ノートは却下だ。これだけは決めてある。他に使うシーンを、薄ぼんやりと想定しているせいもある。もうずっと使わないで放置してきたノートを優先して使ってあげたい、というセンチメンタルな気持も働いていよう。方眼ノートは昨年、仕事で使おうと買いこんで結局、使わず終いだったノートなのである。まだまだ今後、活躍の場面はあるだろう……。
 厚めのノートも、3冊目にはしないだろうなぁ。使い途が決まっているわけでもなし、普通のB罫ノートなのにも関わらず、3冊目にはしないだろう。抜き書きノートは雑多なジャンルの雑多な本の引用とコメントが満載なのだが、この厚めのノートはそういう用途に使いたくないのだ。使い切るまでに何年かかるのか。それまでに「抜き書きノート、もうやーめたっ」となって後半部分が真っ白く残ったノートを見るのは心苦しく、後ろめたい気分に駆られるだろう。これはむしろ、特定のテーマに基づいた読書の抜き書きノートにしたいんだよな、と倩考えている。特定のテーマがどのようなものになるか、まるで見当が付いていないけれどね。

 迷っている。3冊目のノートは、誰の、なんという本の抜き書きから始めようか、と。順当に考えれば、現在枕頭の書と化している遠藤周作『私のイエス』になるだろう。
 が、そのセレクトに二の足を踏んでいる。1冊目と2冊目、いずれもトップを飾ったのは池上彰の著書だったからだ。それも、池上さんと佐藤優、竹内政明の対談本であった。1冊目は佐藤氏との『知的再武装60のヒント』(文春新書 2020/03)、2冊目は竹内氏との『書く力 私たちはこうして文章を磨いた』(朝日新書 2017/01)という具合に。
 二度あることは三度ある、という。偶然という名の運命が作用した言葉である。これをわたくしは、自分の力で(意思で)この言葉を現実にしたい。そんな希望を抱くのだ。要するに、前例に倣って(架蔵する)池上さんの対談本で3冊目の抜き書きノートの始まりを寿ぎたいのである。それも、佐藤優を相手にした対談本ではなく(竹内政明相手の対談本は前述の1冊のみだから)。
 となると、自ずと候補は限られてくる。積みあげたなかには半藤一利・池上彰『令和を生きる』(幻冬舎新書 2019/05)、的場昭弘・池上彰『いまこそ「社会主義」』(朝日新書 2020/12)
、保阪正康・池上彰『歴史の予兆を読む』(朝日新書 2022/06)があって、このなかからどれかを選ぶことに。
 現在の世界情勢を鑑みれば『歴史の予兆を読む』になろうし、自分が生まれ生きた昭和を踏まえて令和を見るならば『令和を生きる』になろう。ゴルビー逝去に端を発した社会主義への改めての関心を持続させるならば、『いまこそ「社会主義」』だろう。
 既に自分のなかで、これを読もうかなぁ、と決めつつある1冊はあるが、本当にこれを読むかはまだわからない。書店に赴いて偶さか目についた対談本あれば、そちらへ鞍替えする可能性は、わが性格ゆえに全く以て否定できない(全く以て、という箇所、特大ゴシック体で表示したいものだ)。
 まぁ、この顛末がどうなったかは、お披露目されるだろう読書感想文でご確認ください。

 ──というて、退出。◆

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第3517日目 〈仕切り直しを前にして、ブログ主が本音と願望を吐露する回。〉 [日々の思い・独り言]

 そろそろ読書も執筆も本道に戻ろうかと思う、と書いた。その気持に偽りは粒程もない。本道とはなにか。読書感想文と日々の雑記と聖書ネタだ。行き詰まりを感じて時事ネタや報道の一コマをモティーフに、幅を広げようとして頑張ってどうにか達成できた(と自負)。
 時事ネタや報道の一コマを取り扱ったエッセイを書くのは、楽しかった。「えっ!?」と驚かれるかもしれない。けれど、充実感があったのだ。元からそうした方面のウォッチングは続けてきたし(新聞やテレヴィのニュース番組、時事番組には10代の終わりから接してきたイ)、年に数回程度とはいえそんなエッセイも書いて本ブログでお披露目していた。
 まァ、ここ数ヶ月の間、そうしたエッセイがお披露目され続けたのは、自分に書ける幅を広げることに加えて、これまで興味を持って読み追いしてきた「社会の出来事」を取りあげたエッセイを書けるようにするためのエクササイズだったのである。──第3514日目で書いたことですね。
 さて、それでは本題に戻って本道とは。
 本稿冒頭で触れたように、それは、読書感想文と日々の雑記と聖書ネタである。これを柱としたブログ運営に立ち帰るのだ。
 読者もそのあたり正直なもので、社会ネタが表舞台に現れてきた7月中旬(学生たちが夏休みに入る頃)になるとアクセス数が途端に落ちて、誰独り閲覧していない時間帯も目に付くようになってきた。一ト頃はこの現実を前にふて腐れたけれど、それでも聖書読書中に書いた過去記事が不断に読まれていることがせめてもの救いだった──なぜか、聖書であれば「エズラ記(ラテン語)」と「シラ書〔集会の書〕」、「マカバイ記 一/二」に、それ以外であれば村上春樹と椎名へきると『嵐が丘』に、アクセスが集中するのは謎だったけれど、聖書読書のエッセイについては、うん、金田一一ではないが「謎はすべて解けた」から……不問に処し(てあげ)ましょう、水に流し(てあげ)ましょう──。それが協定ですからね。
 アクセス数が安定しない日は続いた。それが持ち直して以前の状態に復しつつあるのは、社会ネタのお披露目が減少傾向に転じたここ10日程のこと。ひとまずは安堵だ。
 状況が好転するきっかけになったのは「第3498日目 〈NHK総合『100de名著』〜「折口信夫『古代研究』第1回を観ました。〉」だったようである。どうしてかようわからんけれど、数字は嘘を吐かない。この2週間でいちばんアクセス数が多いのは、現にこれなのだから。そんなに大したことは書いていないと思うのだけれどなぁ……。
 これがきっかけにもなって、そろそろ本道に立ち戻ろうか、と考えるようになったのである。社会ネタの良いところは、新聞やニュース番組に毎日接していれば否応なくネタが集まってくることだ。言い方を変えれば、メディアが存在する限りネタは無尽蔵にあって、書く材料も尽きることがない、ということだ。為、今後もこうしたエッセイは書いてゆくけれど、これまで程の頻度ではないですよ、というお話である。
 ──いま書いておきたい、お披露目しておきたいエッセイは幾つもある。1つは懸案の新聞ネタ(なぜ読まれなくなったか、どう読まれているか/活用されているか)、1つは折々の読書感想文、最後に聖書関連のエッセイである。
 聖書に関して述べておけばわたくしは既に、第3285日目で一部書物の再読の要を感じている旨書いている。それも事実で果たしておきたい願望だが、いまはその話ではない。
 本ブログが聖書読書ノートブログとして機能していた頃、1つの書物を読む前に必ず〈前夜〉として露払い的なエッセイを置いていた。が、いまになって読み返すと、経年劣化の感は否めない。はじめの頃はかなりあっさりと済ませていて、いま読み返すと薄味過ぎている。また、ここはこのように書けば良かった、とか、これは自分の認識違いであったな、とか、これこれのことを書くのを忘れたな、等々等の反省が、読み返すと胸中に浮かぶものも、ずいぶんとある。
 当該〈前夜〉を執筆・お披露目して本文を読み終えたあとも、聖書は勿論、ユダヤ教とキリスト教、オリエントやローマ帝国の歴史書など読んできた。執筆後に新たに知った事柄も沢山ある。それを盛りこんだ、新しい〈前夜〉の必要性を、一部書物に関しては痛感している。
 青写真は既にできあがっている。結果、まったくの新稿を要すのは旧約聖書の三分の一にあたる書物の〈前夜〉であり、既出〈前夜〉の補訂で良さそうなのは残り三分の二と判明。旧約続編と新約聖書の各書物〈前夜〉に関しては一部語句や表現の修正と誤認箇所の訂正で済みそうだ。
 この〈前夜〉を、多くは「再掲」という形で本ブログにお披露目してゆく。最早来年になること必定だが、これがすべて完了すれば心おきなく聖書再読や聖書世界にまつわるエッセイ群の執筆を、比較的現実的に考えられるようになるはず。
 執筆に用いる聖書は、やっぱり新共同訳になるかしら。ブログ用原稿を書く際に使ってきた、書込みもたくさんしたボロボロの新共同訳聖書・続編附き。聖書協会共同訳には未だ馴染みが薄いのでね。日本語訳聖書のことも書かないとね。
 ──咨、大風呂敷を広げてしまったなぁ。でも、後悔はしていない。人物素描は手に余る部分ありと雖もその他いずれも遅かれ早かれ、だから。
 「いま流行りの京都エッセイの類は書かない」と自ら誓ったのは生田耕作先生であった。「精神のストリップはしない」(日常エッセイは書かない)と述べたのは澁澤龍彦である。30年以上にわたって、わたくしのなかに棲み着いている言葉である。
 が、それを固守できているとは思うていない。言い訳すれば、ずっと毎日短かろうが長かろうがエッセイを綴っていると、ネタがないことに青ざめつつも絞り出さねばならぬのは屡々だ。厭ならその日は潔く休めばよい。正論だ、が、「毎日書いてお披露目する」を心に決めてこの10年超ブログを続けている者は休むことに抵抗を感じ、寝覚めの悪い気分を味わうのである。アゝ、ドウカ君、信ジテクレ、コレハ本当ノコトナンダヨ。呵呵。
 ……これからもどうぞ宜しく。◆

 体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、全身が暗い。だから、あなたの中にある光が消えれば、その暗さはどれほどであろう。
(マタ6:12-13)

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第3516日目 〈『近世日本国民史』と『イエス・キリスト』の話。〉 [日々の思い・独り言]

 今日は断想、フラグメントである。

 徳富蘇峰『近世日本国民史』は講談社学術文庫版で、刊行点数の内だいたい半分強は架蔵していると思う。未だ元版が入手できぬため、こちらでどうにか渇きを癒やしている。秀吉の朝鮮出兵の巻だけが未文庫化と聞いた。それ以外は概ね揃っている様子だが、精確なところは、日頃の怠惰が祟って調べがついていない。
 講談社学術文庫版で読書や調べ事はじゅうぶん賄えるので(わたくしの場合は)特に不満を抱く点もないのだが、敢えて1つだけ述べれば、それは出典の未記載にある。
 文庫であれ元版であれ事情は同じだろうが、蘇峰の本文に同時代の史料、後世の信措くに値する資料が引かれているのは、既に本ブログの過去該当記事で触れた通りで、江湖に知られるところだ。が、蘇峰は時に、というかほぼ7割程度の確率で、引用する史資料の作者や出典を記さずに済ますところがある。これは、不便だ。
 第8章で神崎與五郎の筆になる不義士筆誅が引用されている。脱名者を痛烈に筆誅した、烈しい筆の勢いが神前の胸中激昂したることを物語る文章だ。読んでいて、流石に哀れを催させもする。しかしこの文書は、なんという書名であるのか。書名さえわかれば原文に行き着くことも可能だが、引用文の状態では赤穂義士の書き残して活字化された資料を端からあたる他ない。否、そもこれは綴じられた書物の形をしているのか。或いは誰彼に宛てた書簡もしくは報告書の類なのだろうか。わたくしにはわからない。
 勿論、上述した神崎與五郎の文書のみばかりではない。任意に巻を開けば、他にも幾らだってサンプルを見附けられる。その作業中に書名や出典を明示してあるものがあることも、気附くだろう。三田村鳶魚の随筆も唐突に現れて蘇峰の文章の補強を果たすが、それとて書名を明示することがあるかと思えば、そうでないときもある。前掲書、と一言あればこんなこと、書かないんですけれどね。
 時代がそこまで厳密でなかった、といえばそうなのか、と小首傾げつつ首肯せざるを得ぬ。
 こんな小さな不満を抱えながら、当分の間『近世日本国民史』〜「赤穂義士篇」を読んでゆく。

 話題をもう1つ。
 ようやく荒井献『イエス・キリスト』上下巻を揃いで見附けて、購入した。こちらも講談社学術文庫版。元版は講談社が出していた『人類の知的遺産』シリーズの1冊、「イエス・キリスト」である由。たしか同じシリーズでドストエフスキーや孔子など数冊持っていたが、さて、いまはどこに仕舞いこんだのやら。
 これまで上巻は何度も何度も、ブックオフでも古書店でも目にしていたけれど、上下揃いはなかなか見なかった。こちらが見落としている可能性は十二分にあるけれど、そんなこと言い始めたらキリがないね。
 そうしてようやく先日、特定健診の帰りに立ち寄ったブックオフで、2冊買っても1,000円を超えない価格で並んでいるのを見附けてねぇ……。煙草臭がしないこと、濡れシワ書込み等々ダメージのないこと、を確認して、勇んでレジへ運びましたよ。
 それから数日。ぱらぱら目繰っただけでまだ読書には至っていない。大系だった学習を受けていない身には難物であることだけはわかった。とはいえ、まるでわからぬ訳でもない。一応は聖書全巻を通読したのである。いまもその聖書は机上にあって、他の訳といっしょに並んでいる(参考文献も何冊かは)。そうしていまも折に触れて聖書を開いてその世界へ心を委ねる、或ることについて考える、時にはそれについて書いてみたりする。
 きちんと読む態度を見せれば、本は胸を開いてくれる。きっと荒井献『イエス・キリスト』もそんな本であるだろう。

 うーん。断想、フラグメントっていう言葉の使い方、間違ってるかなぁ。まぁ、いいか。てへ。◆

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第3515日目 〈約2カ月ぶりに読む蘇峰『近世日本国民史〜赤穂義士篇』。〉 [日々の思い・独り言]

 『近世日本国民史』〜「赤穂義士篇」を読み終わらずにいる。以前と違って毎日、或いはほぼ毎日の半強制的読書時間がなくなったので、こんな風に読む間隔が開いてきているのだ。なお半強制的読書時間、とは、通勤や通院の往復の電車であったり、昼休憩時や退勤後のスタバでのそれを指す。……在宅なんて殊読書時間の捻出に関する限り、まったく以て良いことなんてなに一つないですよ。
 そんなボヤキはさておき、蘇峰『近世日本国民史』の話。不思議なことにどれだけ時間が相手の読書再開であっても、蘇峰のこの本はすんなりとその文章に馴染め、かれの開陳する歴史の世界へ入ってゆける。これはなかなか見事な技術ではないか。偏に蘇峰の本に、〈読ませる力〉と〈歴史のうねりを再現する技術〉が備わっている証拠だ。
 読ませる力、とは即ち文章力である。誰かがいってた。歴史を語る者が文章の力で読ませられなくてどうするのか、と。うん、確かそんな趣旨の発言だった。

 ──と、ここまでは今年08月21日夕刻に書いた。いまお読みいただいているのは謂わば、過去に書きかけたエッセイの再利用というてよい。ネタに詰まったわけではなく、いつか使おうと思い放置していたものを、機あって此度使うことにしたばかりのことである。
 なぜ、使うことにしたか。一昨日と昨日書いていたエッセイを承けて、読書の整理と降り戻しが生じたことによる。むろん、ここ数ヶ月の読書を急に、むりやり終わらせるのではない。ただ、力点を置く比率に変化が起こったのだ。これが周期的な現象であるのは、流石にこれまでの人生と読書歴でわかっているから、いつかふたたび社会科学系の読書に力点を置くことにはなるだろう。が、いまは本道に戻って──。

 昨日になるけれど、電車のなかで久しぶりに徳富蘇峰『近世日本国民史』を読んだ。相変わらず「赤穂義士篇」である。つまり、この2カ月というもの、まるで読書が進んでいなかったのだ。
 2回程この間に開いたことがあったけれど、また蘇峰の世界に戻る心的準備はなく(読む、というよりは、ただ巻を開いた、目を活字の上に曝した、というのが実際に近いな)、加えてそのたび眠気に襲われて、襲われるに任せた結果、2カ月も事実上たったの1ページすら進むこともなく時間が流れたわけだ。
 では、今度こそ本道に戻って、──。

 第7章で読書は止まっていた。「目を活字の上に曝し」ていたのは即ち、第8章ということになる。これはちょうど脱盟者の姓名と石高を、煩を厭わず掲げた箇所が冒頭にあり、脱盟者が続出した次第を史資料を駆使して綴ってゆく章であった。
 「歴代誌・上」や「マタイによる福音書」をお読みになった方がもし、このなかにあれば、冒頭に系図が列記(羅列)されていたのを思い出せるだろう。うん、あんな感じです。つまり、逐一読んでおったら眠気が先か、嫌気が先か、或いはすべてを抑えこんでなかば義務的に読み進めるか、3者択一を迫られるのが、「赤穂義士篇」第8章なのである。
 同じようなことは過去の章にもあったけれど、それが苦もなく克服できたのは、読書の連続性のなかにあったからに過ぎない。中断なく読んでいれば、リズムは体のなかに刻みこまれ、チューニングの労なく(あっても極めて短時間で済む)すぐにその世界に戻ってゆける。
 が、今回は「読書の連続性」が2カ月にもわたって中断されていたのだ。こうなると最早、戻るは難しく、いっそ読むのを止めるか最初から読み返した方が賢明である──通常であれば。文章力を欠いた読み物であれば。
 『近世日本国民史』に限らず蘇峰の本を今年になって、何冊か読んだ(図書館の所蔵本だが)。扱っている話題についての当方の理解度や好みなどはともかく、どの本にも共通していると感じたのは、話題/対象に寄せる蘇峰の持続する熱意と博覧強記、そうして出した本ことごとく片っ端からベストセラーになったてふ伝説を裏附けるその文章力、の3点であった。
 熱意と博覧強記については、刊行物の多さと1冊のページ数が語るので、本稿では触れずに済ます。が、文章力については簡単ながらここで話題としたく思う。
 その文章力を支えるものが、対象への熱情にあるのは間違いない。その熱意は史資料を読み漁ってそれについて考えを深め、人の話を聞いて得た知見や考えさせられた、いうなれば博覧と思考に生み出されたであろう。つまりこの三者は常に相互関係を築いてそのサイクルが途切れることはなかった──その果てに生まれて、代表作となったのが『近世日本国民史』ということに、ロジックに飛躍こそ多少あれどそのプロットに瑕疵はないと思う。
 こうして話は〈文章力〉に帰る。とても単純で、簡単な話で、すぐに終わる。書くことに飽いたのではない。
 流石に年単位の中断あったらば、どんな文章家でも読者をふたたび呼び戻すことは困難かもしれないが、数ヶ月であれば……可能なのではないか?
 現にここに、徳富蘇峰という実例がある。蘇峰は類い稀なる文章家だ。そういうのは、文章の端々に表れた熱情と博覧に起因している。およそ蘇峰の如き、読んでいてその文章から著者の熱情、気迫、時にマウントさえ辞さないえげつなさを感じさせる著述家が、あの時代にあったことをわたくしは知らない。
 論理や理性ではなく、感情に訴えかけてくるタイプの文章家なのかな、蘇峰っていうのは。自分の〈義〉を、筆の力を武器に世間に問うて戦うタイプの戦闘家。──そんな印象を、殊此度2カ月ぶりの読書で抱いたことである。
 蘇峰はジャーナリストであった。その時代に育まれた筆力が後に文章で歴史を読ませる蘇峰誕生の温床になった、と考えるのはあながち誤りではあるまい。蘇峰の本を何冊か読みこそすれ、生涯についてはまだ知らぬことばかりのため(Wikipediaもどこまで信用して良いか不明だ)、立ち入ったことに話を及ぼすことはできないが、ジャーナリストとして活躍し、新聞社の社主をも務めた蘇峰が近代以後、類例なき大きな歴史書の作者になるのは必然の運動であった、と、ひとまずは結論附けたい。
 一周回った感があるせいか、2カ月の中断を経て読む『近世日本国民史』〜「赤穂義士篇」。史料から、90人近い脱盟者の姓名と石高を写した部分とそれへの蘇峰の短いコメントの部分とはいえ、引きずりこまれる力を感じるんだよなぁ、という話から発展した本稿でありました。◆

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第3514日目 〈反省すべきは買いすぎた本のことだけではなくて。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の続きのような話。
 あまりに広範囲に渡ってしまい、収拾がつかなくなってきている読書の幅を狭める必要が生じたことを、はっきり悟った。為、昨日のお話をさせていただいた。
 それは購書/読書のみならず原稿書きにまで波及している。当たり前だ。
 この数ヶ月、新聞など報道をタネにした原稿を時折書いていたのは、自分に書ける話題の幅を広げるため、そのエクササイズ。概ね訃報やその人の業績、社会的出来事、政治にまつわるあれこれが中心になった。
 なにを、どう書いて良いのやら、迷いながら、書き倦ねながらの原稿執筆であった。悪戦苦闘の痕跡をどの程度留めているか、それは読者諸兄の判断に委ねることになる。が、執筆した側としては読むに耐えるレヴェルのものをお披露目できた、と自負したい。
 が、それもそろそろ一旦小休止、自分が好きなことについてのエトセトラを書くことに戻ろうと思う。しばらくはそちらに専念しようと思う。もっとも、舌の根の乾かぬうちに、例えば明日あたりに政権批判のエッセイをお披露目している可能性は無きにしも非ずだが。
 書いていていちばん愉しいのは好きな本について語ること、ちょっとした疑問や好奇心に端を欲した考証もの、である。文学とか歴史とか宗教とか言語とか、そうしたジャンル分けではなく、ジャンル不問で自分の興味を惹いた事柄、関心ある出来事について、書くのがいちばん愉しいのである。
 そのためには、仕事や家事の時間の隙間に生まれた時間を上手く活用しなくてはならない。
 咨、速読術ならぬ速筆術を身に付けたいものです。願わくば、高度な思考力と瞬時の読解力、類い稀なる集中力も。……呵呵。◆

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第3513日目 〈あれも、これも……は止めよう。〉 [日々の思い・独り言]

 本のこと。あまりに沢山の本を、必要あってとはいえ買いこんだことを後悔している。いちどに消化できようはずもない量が溜まってしまい、床から生えた山を眺めては溜め息を吐いている。
 先日、さっさとブログ他用の原稿を書いてしまって、さっさと不要な本は売り払おう、と決めた。その旨ここにも書いた記憶がある。それに関わる話だ。
 キャパシティを越える、とはきっと、こんな状態を指すのだろう。政治家の伝記/自伝や国家論の類は青色吐息でどうにか、予定した分は読み切った。最初のうちこそ丁寧に読んでいたが、段々と流し読みになった──内容は、細かいところについては自信がないが大体覚えている。大まかな流れは抑えられた、という方が良いか。
 そうしてそこで、へたばった。次に手を着ける予定の本の群れにはいっこう手が伸びず、道草喰ってそちらの読書を愉しんでいる始末。
 こんなことでは駄目だ、と、昔の自分ならいうだろう。けれどこちらもそろそろ、あとどれぐらい読めるかなぁ、と倩考え始める時期に差しかかっているのだ。そうして唖然茫然、うっすらとでも影がチラつくようになった〈終わり〉を目の端に捉えて、嗟嘆するより他ないのであった。
 というわけで、腰据えて読まねばならぬ本は厳選することにした。目次や序文(まえがき)、結語(あとがき)と参考文献、索引にだけはきちんと目を通してから、流し読みするか、腰を据えるか、超速読で済ませるか、判断して、選り分けてゆかないと、買う量と読む量の均衡が完全に崩れて元に戻らなくなる──。
 斯く思うたのも、聖書関係の本を読んでいるのは勿論として、そうしたものを買って読んでいるのはとても愉しく、よくわかることを改めて確認することになったからだ。わからぬながらもちょっと調べたり聖書を開けば概ね解決する、本が話題にする内容の方向性はなんとなくでも把握できる。
 つまり、読んでいて倦くことを知らないのだ。時間は掛かったが聖書を「創世記」から「ヨハネの黙示録」まで、続編込みですべて読んだ、外典にも目を通した、てふ自信がそこにあるのはいうまでもない。
 今日も大貫隆『聖書の読み方』(岩波新書 2010/02)と青野太潮『どう読むか、新約聖書』(ヨベル新書 2020/12)を買って、帰りの電車のなかで読んでいたら、とても面白くて降りる駅に到着してもそれと気附かなかった程だ(一駅先の戻る電車がなかなか来なかった)。遠藤周作『キリストの誕生』のノートをまとめていたことも、そのときの気分に作用していたろうか。
 勿論、久方ぶりに読んで愉しく、時間を忘れたのは──つまり政治家の本や国家論等を読んでいたときとは異なり──聖書やキリスト教、ユダヤ教、キリスト教会、キリスト者についての本ばかりではない。イスラム教やイスラム社会についての本も面白かったし、書物随想、日本史やローマ帝国史、そうして〈怖い話・気味のわるい話・謎解きの話〉を読んでいると、時間が経つのも忘れてしまう(ローマ帝国史で一言添えると、わたくしの場合、ギボンが描いた時代以前については殆どキリスト教史と同義かもしれない、と思うている)。
 そんなことがあったからか、原点回帰を目指すわけでもなんでもないけれど、読書にあたってなにかしらの選別を行い、腰据えて読まねばならぬ本を厳選することにした、というのである。
 まったくなんでもう、こんなに本があるんやろ? 答え;本能のままに買い漁ったからです。◆

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第3512日目 〈安倍さん県民葬での反対デモに思う。〉 [日々の思い・独り言]

 令和4/2022年10月15日(土)、山口県下関市で安倍元首相の県民葬が行われた。ようやく安倍さんは、地元というか故郷へ還ったのだ。ふるさとの土の下で眠る日もいつか来る、と考えていたろうが、まさかこんなに早くとは……ご本人にも青天の霹靂であったろう。
 安倍家の私的葬儀、物議をかもした国葬、そうして今回地盤での有志による県民葬。しめやかに行われた、とはどれも言い難い。静かに故人を送る席であるはずの葬儀は、今回もアベガー共の非常識な振る舞いによって、その静謐は乱されたからだ。
 国葬のときも思うたし、いいもしたけれど、どうして連衆はわざわざ故人を見送る催事を自らの騒音で台無しにしたがるのか。それ程自分たちの存在を主張したいのか。自分たちが注目を浴びることに快感を覚えているのだろうか。
 公人であれば、自分たちが「否」と思う政治家相手であれば、どんな類の葬儀であっても邪魔する権利がある、声を張りあげて阻止を訴える資格がある、とでもかれらが思うているのならば、それを「愚の骨頂」という。お前たちは何様だ。
 「県民葬に高額な税金を使うのではなく、支援を必要とする人たちのために役立てるべきだ」という声がある。確かにそれは税金で賄われた。が、有志による献金のみで執行されていても、こうした人は論旨をすり替えて糾弾できる材料を、鼻をクンクンさせて探して回るのでは。
 税金を使うな、というならば、なにかしらの税金を財源にした一切の国事行為や公共事業を否定しなくてはなるまい。挙行の際は、そうした場にかならず出向いて、「反対、反対、ハンターイ!!」と声を嗄らして叫ばなくてはならない。なんと愚劣で、浅ましく、暇な行いだろうか。
 税金を用いた県民葬に反対を唱える人のうち、いったいどれだけが故安倍晋太郎氏の県民葬(平成3/1991年6月17日)でも抗議集会に参加して、県民葬反対、を叫んだのか? それとも、安倍元首相が対象だから周囲の同調圧力に呑みこまれて、反対の声をあげている〈いまだけ〉の人なのか。当然、投票もしていないはず。
 税金の問題は棚上げしても葬儀にお金をかけることに疑問を呈すならば、自分の葬儀は出さず、葬儀代として用意しているお金の全額を、食事も教育も満足に受けられていない子供たちや、貧困世帯に全額を寄付するなどされる「べきだ」。それこそが、「支援を必要とする人たちのために役立てるべき」という主張に叶う話ではないか。言葉ではなく、行動で、道を示せ。
 かりに税金の使い途について反対派市民団体が納得できても、他のすべても納得するとは限らない。それぐらいおわかりのはず。
 葬儀を邪魔して憚らない、自らの人品を卑しめることに終始するアベガーにいいたいことは、国葬と同じでただ1つ。葬儀の間ぐらい黙っていろ、遺族や関係者が弔意を示しているときに、その気持ちをかき乱すような下劣な真似をするな、馬鹿者! というだけ。
 此度の安倍元首相の一連の葬儀を見ていて、つくづく情けなく思う。日本人の品性は、ここまで下劣になったか。日本人の知性は、ここまで堕ちたか。安倍さんはこんな連衆のために、日本を良くしようと奮闘されていたわけではあるまいに。◆

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第3511日目 〈遠藤周作『聖書のなかの女性たち』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 遠藤周作『キリストの誕生』を読了したのが今年08月09日、それから然程間を置かずに読み始めたのではなかったか、同じ著者の『聖書のなかの女性たち』(講談社文庫 1972/11)である。枕頭に置いて眠るまでの数10分、いったい何ヶ月費やしてこの薄い文庫を読み終えたかの感が強い。2022年10月16日午前読了。
 『イエスの生涯』で明示した〈人生の伴走者〉イエスを、ここでは聖書のなかに現れる「日陰に身を置く女性たち」に寄り添い、彼女たちの苦しみや孤独を背負おうとする連帯者として描くことになった。福音書を繙いてもイエスは、人生に満ち足りた人たちには返す刀で退ける場面が目立つというのに、自分の人生に満ち足りた人たちを敢えて避けて、謂われぬ咎、抗うこと不可な運命に見舞われた女たちを探して関わりを持とうとしている。
 活字の小ささゆえに毎晩手にすることはできず、読もうか、という気分になったときにしか手に取れなかったことを、ちょっと後悔している。多少の無理を押してでも毎晩、それができぬとも2,3日に1日はこの文庫を開く方が良かった。とはいえ、これは読み終わったいまだからこそいえる詭弁の一種かもしれないが。
 『聖書のなかの女性たち』というタイトルゆえに、まだイスラエルとヨルダン両国が分割統治していた頃の訪問記「エルサレム」、ルルドの泉の神秘とカレル博士の転換を描いた「ルルドの聖母」、著者が病気で入院しているときの随想「秋の日記」を目次に見たとき、途惑いや疑念の気持ちを抱く人もあるやもしれぬ。
 が、むしろ本書にこれらを欠いたらばそれこそ聖書に現れた女性たちを描いたエッセイの価値は半減し、またこれらあることでそうしたエッセイの補完が成されるのだ。つまり、どれが欠けても『聖書のなかの女性たち』は成り立たない、ということである。
 これを読んでいるとついと、エルサレムやガラリヤ、カファルナウムなど聖書ゆかりの地で、かつかの女性たちが生きた土地をこの足で踏みしめ、この手で触り、この目で見て、記憶に焼きつけたいてふ思いが、強く強く育てられてゆくのを感じるのだ。
 本書を以て遠藤周作による「三つの『聖書物語』」(武田友寿「解説」 『私のイエス』P241)を読了した。このあとは、同じ遠藤の『私のイエス』(祥伝社文庫 1988/07)を読む。◆


聖書のなかの女性たち (講談社文庫)

聖書のなかの女性たち (講談社文庫)

  • 作者: 遠藤周作
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: Kindle版




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第3510日目 〈趣味は、蔵書整理。〉 [日々の思い・独り言]

 菅前首相の「趣味は安倍晋三」に倣うわけではない(『中央公論』2022年09月号)。短期的突発的に没頭する趣味がわたくしにあるとすれば、それは陋屋に山脈を築く蔵書群の点検、整理ぐらいである。但し、というか勿論、というか、うむ、対象になるのは「わたくしの所有になる蔵書」を指す。
 娘がはいはいや伝い歩きをするようになるまでは安心とはいえ、いつ何時彼女が床から生えたような蔵書山脈に接触してその下敷き、いやいや、怪我でもしたらどうするのか。対策は事前から講じている方が良い。
 その蔵書も、右から左へ動かしただけ、上にあったものを下におろすだけ、そんな程度の整理が果たしてどれだけ対策というに相応しいか、われながら小首を傾げてしまうけれど。本棚を数竿購入しないと、現状の改善は不可である、と気附かされるだけの行為。
 おかげで机の上は(多少ながら)広くなった。その代わり、椅子の横に以前からあった本の塔は、一段と高くなった。興味本位でメジャーで高さを測ったら、1メートル強あった。測るんじゃなかった。そんな後悔も既に遅い。
 なぜ机のまわりに本が積み重なる結果となったか。答えは簡単。ブログ他原稿の執筆に必要だ、参考になるだろう、と購い続けたり、架蔵の本を取り出してきて──ときどきテーマ毎に並べ替えて──積んでいたら、いつの間にやら摩天楼と化していたのである。
 そこでわたくしは決心した。今年も残るところ2ヶ月半。ブログ用に用意しているエッセイ3本に関しては、机まわりの資料を動員して書きあげて、お披露目できるようにしよう。
 誰ですか、いまそこで笑ったのは?◆

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第3509日目 〈どうして駿河屋は注文から発送連絡まで間が空くのだろう?〉 [日々の思い・独り言]

 タイトル通りなのですが……14日前に駿河屋HPで注文・購入した某コミック全巻揃い並びにと或るアニメのBlu-ray3枚が、未だに手許に届かない。入金先の指定メールも未着である。
 注文確認メールは、来た。数日後に「商品の発送と検品にまだ時間がかかりますので、いましばらくお待ちください」てふ主旨のメールも来た。それ以来、なぜか連絡は途絶えたままだ。
 7日が経っても音沙汰なしとは、どうしたことか。流石に不安になった。5日前に進捗確認メールを送ったが、当然の如くまったく梨のつぶてだ。
 商品発送についてはさておき、問合せのメールへのレスポンスについてはブックオフオンラインに軍配をあげる。雲泥の差という他ない。
 ただ事情はなんとなくうっすらと想像できるのだ。ブックオフオンラインはHPに載る新品・中古品、いずれも横浜市某所の自社倉庫で管理している。届けられる商品(の一部)が注文したのとは別商品であっても、一応は然程時間を経ずに手許にやって来るのだ。
 駿河屋はどうなのだろう。こちらで働いたことがないので憶測の域を出ないが、ブックオフオンラインのように自社倉庫で一元保管しているのではなさそうだ。日本各地にある店舗から当該商品の在庫が静岡の配送センターに届いてようやく、購入者へ商品確保・入金・発送メールが送信されるのだろう。発送メールと前後して実際の商品が、宅配業者に委ねられるのだろう。
 そう考えれば、多少の遅延(?)は納得である。
 とはいえ、……あまりに連絡が遅すぎないだろうか。運輸状況に支障でもあったのだろうか? 在庫を持つ店舗に泥棒が忍びこみ、当該商品を盗んでしまったのだろうか? 或いはメールを送りたくても送れない事情が出来したのか──Amazonのようにデータセンターが火災に遭ったり、サーバーがダウンして深刻なダメージを受けていたり? 否、単に担当者の怠慢かしら? 呵呵。
 もうすこし待ってみたい。然るに音沙汰未だなしとなったら再度問合せを、メールと電話でしてみる。
 この件、追っての報告対象としよう。待て、続報。◆

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第3508日目 〈佐野亨『ディープヨコハマをあるく』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 観光ガイドに載らない〈影の部分〉にスポットをあてたり、裏路を足にまかせて歩いた横浜の本がちかごろ目にとまる。
 八木澤高明『裏横浜──グレーな世界とその痕跡』(ちくま新書 2022/05)、山田清機『寿町のひとびと』(朝日新聞出版 2020/10)を前者に於ける近年の収穫とするが、果たして此度読んだ佐野亨『ディープヨコハマをあるく』(辰巳出版 2022/08)は後者に於ける収穫となりうるか。──結論を先に述べるのは控えて、感想をまずは綴ろう。
 東京都文京区小石川で生まれた著者は、「都内や埼玉の各所を転々としたあと、小学四年生のときに横浜の保土ヶ谷へ引っ越したが、「高校に進学すると同時に、市営地下鉄の弘明寺駅にほど近い南区の住宅街に引っ越すことになった」そうである(P2「はじめに」)。20代後半に都内に戻ったが、本書執筆の取材をきっかけにふたたび横浜へ転居、本牧・山手・根岸エリアを拠点にして現在に至る由。
 南区時代と現居住エリアの賜物か、功を奏したというべきか、本書を通読して感じるのは、横浜駅以南根岸駅以北の一帯を扱った章の記述はずいぶんと濃厚であることだ。関係者談話も散りばめられていて、読み応えがある。
 知られた界隈を歩いて、見過ごしてしまいそうな〈過去からの声〉に立ち止まってその由縁をすくいあげていること、わたくしは特に良いと思うた。こちらの不勉強も影響しているが、例えばフランス山の愛の母子像(P101-2)、MM21地区の内田町(P176-7)、京急平沼橋駅の存在(P165)など、本書で初めて知ったことが幾つもある。
 野毛の──というか横浜の──ジャズ喫茶といえば「ちぐさ」ばかりが専ら話題になるが、わたくしはむしろ「ダウンビート」派だ。そのダウンビートが取りあげられ、3代目店主氏の談話を載せるのもうれしい。15ページ「知らない者同士が『この曲、いいね』なんて気軽に声をかけあえるのが理想だし、そもそもジャズはそういう自由なセッションによって成り立つ音楽ですから」という店主氏の話を聞く(読む)と、ジャズ喫茶は敷居が高い、排他的だ、常連や店内の圧が怖い/重い、なんて思うて二の足を踏んでいる人にこそダウンビートを訪ねてほしい、そこでジャズを全身に浴びてその面白さに開眼してほしい。そんな柄にもないことを願ったりして(笑)。
 会社の目と鼻の先にある日本丸交差点からJR高架向こう、国道16号線の雪見橋国道側交差点(本書では「国道側の雪見橋交差点」 P176)の一帯を内田町というとは、本書を読まねば終ぞ知らなかったろう。ホント、あのあたりは住民登録者数ゼロ、だものね。そこを住所とする会社に勤めていない限り、オフィス街の町名なんて(東京丸の内や大手町以外は)知らないままで過ごすだろうしね。
 (ここで1つ、注文。国道1号線を「第二京浜」と書くなら、国道15号線も「第一京浜」とするなど記述の統一をしてほしい。ふとした瞬間に混乱するのである。)
 地元と呼ぶべきエリアであっても中途半端に離れていたり、再開発で昔日の面影偲ぶこと難しくなった場所程、公園や施設、路の名前を知らなかったりする。本書で痛感した。あすこが星野町公園というのか、あれが浅野ドックなのか、あの路にはコットンみらいロードなんて名前がついているのか……と(P188-9)。
 ──本書の隠れた特徴の1つに、関東大震災で亡くなった朝鮮人をけっして無視していない点がある。事細かに犠牲者や被災者の数、プロフィールなどを綴っているわけでは勿論ないが、探訪した先に朝鮮人慰霊碑があれば立ち止まって由来など取りあげ、それを建立した人或いは関係者の談話を載せるのは貴重で、重要である。些細なことであり、誰にでも扱えそうだが、実はそんなことはない。この点からしても本書を労作というて江湖に推奨する理由は、じゅうぶんあるのである。
 筆を擱く前に〈未だ知る人ぞ知る〉なバー、スターダスト店主氏の言葉を引きたい。曰く、──

 造船所があった頃は、みなとみらいのほうなんて真っ暗でなにも見えなかった。いまはそこのコットンハーバーにしても、こうこうと明るくなっちゃって。店のなかは変わっていないけれど、外の風景はまるで変わったね。(P193)

──と。
 実感として頷けるところが大きいお話だ。表の皮1枚剥いで露わになる横浜って、得体の知れない薄暗さを湛えた町なんだよ。本書のタイトル「ディープヨコハマ」に呼応した言葉と思う。
 今回は取りあげられなかった横浜市北部を扱った続刊を期待したい。◆


ディープヨコハマをあるく

ディープヨコハマをあるく

  • 作者: 佐野 亨
  • 出版社/メーカー: 辰巳出版
  • 発売日: 2022/08/01
  • メディア: Kindle版




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第3507日目 〈睡眠時間1時間半の男が今日読み、買った本。〉 [日々の思い・独り言]

 娘の夜泣きではなく、別の理由で寝不足です。不眠症の領域に足を踏み入れたかもしれない。昨夜も睡眠時間は1時間半くらいだ。その体で朝から仕事に出掛け、本を1冊読みあげて感想文を雑であっても仕上げたのだから、自分で自分を誉めるしかない。15時にはダウンして必要な買い物を済ませて18時頃帰宅。外に出ている間はずっと意識は朦朧、目も半分しか開いていないように思えてね。それでも思考回路等々はどうにか平常運転してくれるのだから、全く以て「やれやれ……」であります。
 ──そろそろお察しの方も居られよう。今日は本来であれば読書感想文をお披露目するつもりであった。が、上述したことを理由に後日へ回すと決めました。とはいえ今日を安息日にするつもりもなく、ではなにを書くか、という問題に立ち返る。火急の用事が出来しない限り、1日とて休むことは許されないのだ。為、無理矢理にでもなにかを捻り出して、原稿として最低限の体裁は調えねばならぬわけさ。ここ、音符でも付けたい気分だな。
 あれこれ考えて、では睡眠時間1時間半の男が今日買った本、今日読んだ本、を備忘も兼ねて書き出して、1日の記事としましょうか、と思いついた。本当は「今日」ではなく「今月」にしたいけれど、そこは、あれだ、眠気に負けてキーボードを叩く指の動きも緩慢になってきたので、簡単な方へ、安易な方へ流されることにした次第。敗北ではない、小休止である。
 それでは、始めよう、狂言を。即ち、──

 ○今日読んだ本
 佐野亨『ディープヨコハマをあるく』辰巳出版 2022/08

 ○今日買った本
 赤川次郎『三毛猫ホームズのあの日まで・その日から』光文社文庫 2013/12
 大佛次郎『赤穂浪士』徳間文庫 1993/12
 大佛次郎『四十八人目の男』中公文庫 1991/11
 佐藤優『自壊する帝国』新潮文庫 2008/11

──と。
 大佛次郎だが、『赤穂浪士』は1927[昭和02]/05/14-1928/11/06『東京日日新聞』(挿絵;岩田専太郎)に連載、単行本は改造社から翌年10月から翌々年08月まで3巻本で出た。『四十八人目の男』は1951[昭和26]/04/-11月『読売新聞』(挿絵;佐多芳郎)で連載、単行本は翌年01月読売新聞社から1巻本が刊行。なお、新聞連載の開始日と最終日を確認することはできなかった。
 新刊書店の平台に佐藤優『神学の思考』(平凡社ライブラリー 2022/10)が積まれている。単行本は買うか迷って今日に至っています。それがコンパクトな大判文庫としていま、目の前にある。ぱらぱら目繰って単行本との異動が聖書本文を新共同訳から聖書協会共同訳に差し替えた程度と判明したので、余計に欲しくなってしまった。
 が、レジへ運ぶ寸前にためらいが起こり、買うのを止めました。なぜならば、続刊にあたる『神学の技法』が同じ平凡社ライブラリーに入るかどうか、まだアナウンスされていないためだ。出なかったら、悪い夢でも見ているような気分になります。両方が揃ったら、即購入しよう。
 今日の買い物金額は1,000円を超えていません。スターバックスで支払ったコーヒー代とマフィン代の合計の方が余程高いぞ。こんな日も珍しい。ただ単に脳ミソがしっかり動いていないだけかもしれないけれど。◆

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第3506日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第12話(最終回)を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 遂にこの日を迎えてしまいました。『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第12話最終回、「私を叶える物語」が先日10月09日に放送。例によってしばらくはLLSSロスが続きそうです。
 本話の軸は、前話から持ち越された澁谷かのんの留学問題。「かのんちゃんには留学してほしい」なる嵐千砂都らしからぬ衝撃発言で終わった第11話でしたが、今回はその解決編となる重要なエピソード……のはずが蓋を開けてみれば「なんじゃ、こりゃ!?」と、疑問符が頭のなかを埋め尽くすような内容になっていました。

 結果をいえば、かのんはウィーン国立音楽学校への留学を決めた。学校へ残ることに決めていたかのんでしたが、本話にてLiella!メンバーと母親の説得に背中を押されてようやく自分の気持ちに従うことができ、一度は辞退した留学を決めたのであります。
 マルガレーテが突然入ってきた場面から推測して、それはお客さんのいない時間だったのでしょう、かのんは実家の喫茶店でお母さんと話し合い、留学の話は「誰にでも来るものではなく、あなたにだけ来た話」と諭された。
 どうしてこの場面に父親がいなかったのか、不思議でなりませんね。不自然に感じるのであります。娘の留学について両親が膝を交えて本人と話し合うのが本来でしょう。なのにどうして父親はいなかったのか。仕事が忙しい、とはいえ、あれだけの家族仲を作りあげている澁谷家に於いて、家で仕事をしている父親がその場にいないというのはどう説明されるべきか。どれだけ忙しくても、手を休めて家族会議に列なるのが親であろう。シリーズのお約束を踏襲して、背中でも顎下ショットでも良いから、この場面にかのんパパは描かれて然るべきだった。できればお約束を破棄して顔見せ、或いは喋らせるなどあっても良かったんですけれどね。

 これまでと違ってLiella!は、メンバーの1人が脱けることでその名を冠したグループの活動を停止する、という選択は取りませんでした。そう、かのんが脱退してもLiella!というグループは存続するのです。
 ラブライブ!大会で優勝したグループが、しかも優勝時のメンバーが殆ど在籍するなかで、名前を変えて活動してゆくのは不利でしかありません。知名度はゼロに等しく、事実上イチから再出発することになるのだから。一度は築いた栄光を反古にするも同然なわけです。それでも澁谷かのんという絶対的センター不在のハンデを背負って活動を継続すると決めたLiella!は、かなり強いメンタルを持ったグループといえるでしょう。
 過去にも、代々名称が継承されてメンバーを常に新しくしてきたグループがあるのは知られています。が、それはあくまでモブ・グループであって、主人公グループのそれではない。『ラブライブ!サンシャイン!!』のAqoursはどうかといえば、浦の星女学院がなくなって静真に移ったあとも新生Aqoursとして活動していることがわかっているが、本来の学校とグループが切り離された関係であるため、Liella!と同列に扱うことはできない。
 そんな点でも『ラブライブ!スーパースター!!』はシリーズに新機軸を打ち出した、と感じます。

 かのんが留学しても、Liella!は活動を継続してゆくことに決まった。かのんの留学準備は着々と進んで荷造りも済んだ。春休みだろう、部室に集まっているメンバーが、数日後に出発を控えたかのんがいることに違和感を感く。かのんは何だ彼だと理由をつけられて、「あ〜あ、つまみ出されちゃった……」(21:38-39)とボヤキながら独り、トボトボ帰宅する。──と、そこに現れたのは結ヶ丘女子高等学校の制服に身を包んだマルガレーテ。
 なんでここに? その格好は一体? 伊達さゆりの至芸の一端を堪能できる<動揺かのんちゃん>ですが、普通に考えれば年度替わりを控えた時期ですから、インターナショナル・スクールからの転入でありましょう。そんなマルガレーテがかのんに告げた一言は、そう、衝撃的でしたねぇ(それが視聴者を戸惑わせ、非難されることになる)。「え、こんなのアリですか!」と思わず口走ってしまった。
 かのんの留学先として設定されたのは、ウィーン国立音楽学校でしたね。数多の有名な音楽家を輩出してきた、実在する学校です。かのんが留学する際は、ウィーン・マルガレーテも一緒という。これは、マルガレーテの家が彼女に出した条件であって、音楽学校から出された条件ではなかった。マルガレーテはいわば、かのんのバーターであります。
 そのマルガレーテが独り下校するかのんに曰く、「留学は中止になった」と。自分たちの都合によって留学の話はなくなった、留学を辞退した、という意味では勿論、ない。「学校から連絡が来ているはず」という続く台詞からそれが、ウィーン国立音楽学校からの通達であることがわかります。事実、直後の場面でかのん宛エアメールがウィーンから届いている。この封書の中身が、留学取消を伝える文面であることは最早疑いようがないでしょう。
 ではなぜ、ウィーン国立音楽学校は澁谷かのんの留学を取り消したのでしょうか。それについては(現時点では)想像するより他にありません。もしかすると、ちぃちゃんや恋ちゃんパパが裏から手を回したのかもしれない。勿論、冗談であります。
 真面目にいえば、この点は第12話ラストで勃発した話題なので、そのまま放送が決定した第3期で理由は触れられるはず。「定員オーバー」とか「ステイ先の都合が悪くなった」とか、そんな取って付けたような理由になるのは目に見えていますが。
 ただ可能性として否定できないのは、4月からのかのんの受け入れはできなくなったので、当校の新年度が始まるタイミングで来てくれないか、という内容であることもじゅうぶん考えられることであります。
 真相は未だ藪のなかですが、この留学取消の報はマルガレーテとかのんだけでなく、結ヶ丘女子高等学校の理事長宛にも出されていなければ可笑しい。こうした書状が別日に投函されるとは考えにくいから、かのんとマルガレーテ、結ヶ丘女子高等学校に届いたのはほぼ同じタイミングであった、と考えて良いでしょう。それにどうやら、春休みの間も理事長はちゃんと学校に来て執務をこなしている様子(当たり前なんだけど)。
 然らば理事長が直接かのん自身に確認等しても良さそうなものですが、この件について理事長がまったく動いていないのが、なんとも解せぬのであります。本人のためになる、喜ぶことであれば直接伝えるけれど、そうでない場合は関知しない、とでも? 恋ちゃんママが願った結ヶ丘女子高等学校建学の理念、願いを踏みにじるような行いではないか。……この理事長不関与は、尺の問題とかそんな現実的な話で済まされる話ではない。せめて説明的な台詞の一言でもあればねぇ。
 余談ですがこのエアメール、未開封状態です。宛名面にウィーン国立音楽学校の名称が住所と一緒に印刷されている。かのんの名前に付された敬称は「An:Frau」とドイツ語である(22:13)。これを見てかのんママが、「お母さん、ドイツ語わからないわ」と呟き、ありあが(翻訳してもらうために)父親を呼ぶのだけれど、いや、これちょっと可笑しいでしょう。敬称だけなら意味も察しがつくだろう。開封していないのにドイツ語わからない云々は変だろう。よしんば開封せられて書面を見ていたとしても(倫理的にどうか、という問題はさておき)こうした海外に宛てた正式通知ってたいてい英語で書かれるものではあるまいか。いやはや、面妖であります。

 留学に関して、ここで脚本の弊に話題を移します。
 μ’sで物議をかもした留学騒ぎ、これがいまに至るも事ある毎にネットで話題になることを勘違いして花田十輝氏は、「よし、今回も留学問題を起こして最後の最後で卓袱台を引っ繰り返してみるか! しかも今回は主人公の留学だ。これは話題になること間違いなし!!」なんて脳天気で天邪鬼な気持ちになってしまったのだろうか? 結果、(放送された)第12話は『ラブライブ!』シリーズ屈指の仰天エピソードとなり、最悪の流れをもたらすことと相成った。賛否両論どころか紛糾続々の状態です。
 留学中止がもうすこし綺麗にまとめられていれば他の言い様もあるが、放送されたアレを観てしまったら、なにをどういうこともできない。その義務はないけれど、擁護できる要素が1つもないのでは、もう突っ放すしかないのです。アバタもエクボというけれどこの場合、アバタはアバタなのだ、と嘆息せざるを得ないのです。
 うーん、これね、第11話放送時から思うていたのですが、例えば『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』第2期ラストの上原歩夢のように、(取って付けたような)短期留学で済ませることは出来なかったのかな。それとも先々の目算が既に「完成」していて、その上で斯く処理したのかな。マジでその程度のお茶濁しで良かったのでは、と疑問でならぬのであります。
 叶うならば、いちばん最初に書かれた第12話のシノプシスや脚本の第一稿を読んでみたい。そうすれば、なにが省かれ、なにが加えられ、当初の段階からアフレコ用台本までの間で物語がどのように改変されたか(改悪されたか)を、この目で確かめることも出来ようから。
 およそ此度の第12話を観ていて、「留学」という話題の扱いが軽すぎるように思えます。荷造りを済ませている、出発間近である、ということは、既に澁谷家は少なからぬ額の金額をこのために工面している、振りこまねばならぬものは振込済みである、ということであります。
 旅費や交通費、向こうでの生活費や学費、etc.etc. 劇中ではしっかりと語られなかったけれど、学業にかかるすべての費用を学校が負担するとしても、結構な額を準備しておかねばならぬことに変わりはない(そう考えると、可可の家はかなりの富裕層に属していることがわかりますね)。生活面のすべてに於いても学校側が負担するわけではないのである。
 かつてドイツはデトモルトの音楽学校に留学して帰国したいまはプロ奏者として活躍している知人に拠れば、学費は免除されていたが生活に関してはアルバイトしないとならなかったそうです。
 ホント、花田氏の社会感覚というか、その浮世離れっぷりと無知蒙昧ぶりには呆れてしまいます。この人は原作附きアニメのシナリオだと無類の力を発揮するのに、そこで培われた技術や知識をオリジナル作品に粒の一欠片も活かすことができないとは、なんとも哀れと思うのであります。
 あと、オプチャで「こんな中途半端に留学するか?」と書込みがありました。これについて、頼まれてもいないのに付言すれば、留学するタイミングは人それぞれ、留学先によって異なる。かのんの場合、日本の年度替わりにオーストリアに行くのはむしろ自然なことと考えます。
 外国語も満足にできない人がいきなりカリキュラムについてゆくのは、ほぼ不可能というてよい。たとい音楽学校で実技を伴う講義が中心を占めるとはいえ、加えていえばかのんがどの学科に籍を置くことになるのか不明ですが、座学の講義も当然あるわけです。音楽史とか音楽理論とか、ですね。それに実技メインの講義も教授のいっていることがわからねば、ただのお金と時間の盛大なる無駄遣いでしかありません。
 そのために、外国人学生には語学習得の研修カリキュラムを用意している学校もあるのです。確かウィーンにも、学校の別なく留学生を受け入れるそうした語学学校のような場所があったはずです(そういえば外務省もそうしたカリキュラムを持っているそうですね)。今度ウィーン在住の友人に訊いて、その結果をここに盛りこみましょう。
 唐可可の帰国問題はラブライブ!大会優勝したことで解決したのですが、欲をいえばそれに一言でも二言でも、可可自身や平安名すみれ他の口から劇中で語られてほしかった、と思うのは、わたくし1人だけなのでしょうか。優勝イコールであったのは承知していますから、むしろこの欲求は追認、であります。あらためて劇中でそれに触れてもらい、ああ良かったね、と安堵したかったのであります。
 さて、脚本への疑問と愚痴と悪口雑言はここまでにして。

 LLSSを過去シリーズと較べたとき、1話分削られることのどれだけ物語全体の構成に支障を来すか、その例をLLSSで知った気が致します。
 そのためか、各キャラクターの深彫りがされず、時にストーリーも行き当たりばったりな、力任せで済ませた展開が目立ったように感じるのであります。第2期に関していえば、果たして第06話の<恋ちゃん、ゲーム沼に嵌まる>エピソードは他の形で、つまりゲームというアイテムを用いず他の手段を以て語るべきを語ることはできなかったのだろうか。生徒会長はポンコツ化しなくてはならない。それは綾瀬絵里から連綿と受け継がれてきた、神聖不可侵の伝統である。とはいえ、此度の恋ちゃんポンコツエピソードが果たして(放送された形で)必要だったのか、わたくしは疑問でしかありません。空気と化しつつあった恋ちゃんを表舞台に立たせるためにむりやり用意された、(不要の)寄り道エピソードにしか捉えられないのであります。
 逆に1話減ってなお上述のような寄り道をするくらいなら、むしろ千砂都の心情の変化──かのんとの関係性と立ち位置の変化、それに伴う心理の揺れ動き──にエピソードを割いてほしかった。そちらの方が余程ストーリーの根幹に関わると思うからであります。そうすれば、かのんの留学を後押しして独り日本で頑張る、という第11〜12話の彼女の言動はより理解できるようになり、共感できるものになったのではないでしょうか。
 1話分削られたことの弊害に目を向けましたが、そんななかで可可とすみれの関係性がきちんと結着できたのは良かった、と思います。周囲の(熱い)要望もあったと思うが、百合とかなんとかではなく第1期のいがみ合いに始まって、すみれセンター事件(ノンフィクション騒動)、可可の帰国問題、鬼塚事件、東京大会は2年生だけで歌うか問題を経て、神社境内で結ばれた2人の本当の絆を見せてもらえた場面(そうして第11話での可可の悠然たる嫁っぷり!)に至るまで、じっくりゆっくりその変化と進展が描かれたことは、全体を通して1、2を争う見所にもなった。時にあまりの過ぎたるいがみ合い(罵倒)ゆえ誤解や非難を招きもしましたが、まァ、落ち着くべきところに落ち着いたな、というのが正直な感想であります。
 全体的に第2期は、単純に人数が増えたこともあって、全体像とピントのぼやけたものになってしまったというのが、わたくしの現時点での結論である。
 
 ※かのん留学補記;彼女の留学が中止になっても、学内でそのことを(表立って)非難する生徒はあるまい、斯様な人物あらば即、結ヶ丘女子高等学校版KGBによって消されることは必至。なぜならば、結ヶ丘女子高等学校は、澁谷かのんを絶対的頂点に、現人神に戴く組織なのだから。そんな意味でもやはりかのんは、高坂穂乃果の唯一無二の後継者といえるだろう。

 さて、第12話放送終了後に配信された「ラブライブ!スーパースター!! Liella!生放送 〜TVアニメ2期完走記念 拡大SP〜」で第3期の制作が発表された。それに伴い、新キャラクター1名の声優一般オーディションの開催も。いずれも第1期開始時点で決定していた既定路線といえましょう。主人公が2年生ではなく1年生、しかも新設校の1年生ということで当初から、かのんと可可、すみれ、千砂都、恋の5人が卒業するまでスクールアイドルLiella!の物語を描くことは織りこみ済みであった──第1期開始の段階で”黄金の3年間”の青写真は出来上がっていたのであります。
 ただやはり気になるのは、かのんたちが3年生に進級した時点で、いったいどんな人物がLiella!3期生として加入するのか、ということかもしれません。現行Liella!9人+マルガレーテ+澁谷かのんありあ+新キャラクター(新キャスト)の12人体制になるのか、「レジェンドスクールアイドルが築いた“9の奇跡”」は発展的破壊に留まらずもはや『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が示した12人にもこだわらないのか、そのあたりは不明だ。しかし、オープンキャンパスの折やって来たありあに可可がぶつけた台詞──「姉妹でスクール・アイドル、熱いです!!」──が伏線になっていたら、と考えると、ありあの加入は不可避事項になりましょう。すみれ妹の年齢や学年が定かでない以上、ありあは最有力候補といえます。マルガレーテは加入ではなくソロで活動する可能性もある──そもスクールアイドル部にスクールアイドルは1組しか認められないわけではあるまい。
 とまれ、不安と諦念と期待が入り混じった気持ちで第3期を待つと致しましょう。
 後日、もしかするとこの第3期についての短文と、書こうと思ってずっと後回しにしてきた結ヶ岡女子高等学校に関する疑問二、三を箇条書きした短文を、ここでお披露目できればな、と企んでおります。

 最後になりましたが、『ラブライブ!スーパースター!!』第2期に命を吹きこんだ全キャストの皆様、製作に携わった製作スタッフと放送に携わったNHKスタッフのすべての方々に、感謝の花束を。素敵な物語を届けてくださって、ありがとうございました。◆

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第3505日目 〈きのうの、アンドロポフとチェルネンコについての訂正です。〉 [日々の思い・独り言]

 本来であれば当該日のエッセイを修正して、その旨Twitterで報告すれば済む話なのだが、なんだかすっきりしない気分なので新稿を認める次第。昨日の訂正と補足である。
 わたくしは昨日のエッセイで、世界史用語集/用語事典でアンドロポフとチェルネンコの名前を見たことがない、と申しあげたが、それは誤りと知ったのである。
 数日前、メルカリで出品されていた『世界史用語集』を購入して、今日到着した。奥付には1989年10月第1版、1992年03月第1版13刷とある。高校時代に使った『新世界史 改訂版』と同じ時期に配布されたものだ。ということは……そういえば、表紙もなんだか見覚えがある。
 この『世界史用語集』が到着してさっそく索引に目を走らせたのは、昨日のエッセイに記したアンドロポフとチェルネンコの記載があるか否か、確認するためだった。そうして、それは載っていたのである。
 どう書かれているか、参考までに引用する。曰く、──

 アンドロポフ Andropov 1914〜84  1982年11月、ブレジネフの死で政治局員から昇任、ソ連共産党書記長となる。

 チェルネンコ Chernenko 1911〜85  1984年2月、アンドロポフの死去によりソ連共産党書記長に就任。4月、最高会議幹部会議長を兼ねる。(いずれもP288)

──と。
 各用語には、1988年度に全国の高校で使用された世界史教科書(17冊)での記述頻度が示されており、アンドロポフは10冊、チェルネンコは7冊の教科書に記載がある旨明記されている。当時は共通して習うべき、知っておくべき人物の1人だった、ということだ。
 1988年当時、まだソ連邦は健在でアメリカとの冷戦が続いていた。緊張緩和(デタント)が模索されていたとはいえ、「東西陣営の対立」という構図が崩れるなんて夢にも思わぬ時代だ。そんな背景を考え合わせれば、解説がどれだけ簡素でもソ連の国家元首を記載するのは当然至極であったろう。めまぐるしく変わる世界の構図を知っておくため最低限の知識は載せておこう、という編集委員や出版社側の思惑を感じ取ってしまうのは、独りわたくしだけではあるまい。
 国語事典と歴史の用語事典(と地図)は「これっ!」と決めたら入手し得る限りの版を手許に置いておくと、読んだり書いたりする際の心強い参考文献となることを、昨日に続いて実感した。改めて今日、それを報告する。
 参考までに申しあげると、別件で書架から引っ張り出してきた『広辞苑』第三版(岩波書店 1983/12)はフルシチョフ、ブレジネフを項目立てしているが、やはりアンドロポフとチェルネンコの名前はない。ゴルバチョフも同じだ。手許にある第三版は第6刷だが、1988年10月発行とあれば納得である。
 教科書/用語事典にまつわる話は今回で一旦終わりにしますが、今度は書肆の性質や時代情勢なんかも見ながら、『広辞苑』各版で特定の事項がどのように記載されているか、調べてエッセイを書いてみましょうか。◆

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第3504日目 〈教科書を読みくらべる面白さ──ブレジネフを例にして。〉 [日々の思い・独り言]

 いきなり本題に入る。
 プーチンやゴルバチョフ、ソ連関係の本を読んでいる現在は、例の30年前の世界史教科書『新世界史 改訂版』と現行の教科書「世界史B」についてもその頃の記述がいちばん比較しやすい。
 試みにブレジネフ時代を読み較べてみよう。すると、30年前の、つまりわたくしが現役高校生だった当時(そんな時代もあったのだ)使っていた『新世界史 改訂版』の方がより詳しく、当時のソ連が内外で抱えていた問題について触れている。長文になるが引用したい。曰く、──

 ソ連では、1964年フルシチョフ首相が農業問題などの責任を問われて失脚、その後ブレジネフ(Brezhnev 1906〜1982[在1964〜82])共産党書記長を中心とする指導体制が固まった。経済建設は進んでいるが、農業の不振に加えて70年代後半工業の成長率が急速に低下した。77年にはスターリン憲法にかわって新憲法が成立したが、政治の民主化は進まず、また思想・文化に対する統制もいぜんきびしく、国内でも一部知識人のあいだから批判がおこっている。また外交でも、70年代ソ連指導部は軍備を強化しつつもアメリカとの緊張緩和(デタント detente)に努めたが、79年ソ連がアフガニスタンに侵攻し、これに西側が強く反発したことからふたたび東西の緊張が高まった。(P365)

──と。
 ブレジネフをトップに戴いていた18年は「停滞の時代」と呼ばれた。農業も工業も頭打ちとなり、軍事を含めた外交は理念と実態が著しく乖離した。八方塞がりの時代だったのだ。そんな様子が上に引用した、30年前の世界史教科書からは窺える。
 翻って今日の教科書は、ブレジネフ時代について語ることが殆どない。『詳説世界史 B』ではわずか1行、ここのみ登場するに過ぎない。曰く、──

 ソ連では、1964年にフルシチョフが解任され、コスイギン首相(Kosygin 1904〜1980[在1964〜80])=ブレジネフ(Brezhnev 1906〜1982[在1964〜82])第一書記の体制にかわり、自由化の進展はおさえられた。(P388)

──と。ブレジネフ時代のソ連の動向については、然るべき項目でこま切れに触れられている。それでも、30年前の教科書とちがってブレジネフ時代の記述はかなり薄い、といわざるを得ない。フルシチョフ解任の理由も『詳説世界史 B』は語らない。僅か10数字さえ惜しんだのであろうか。
 しかし、これはむしろ今日の風潮なのかもしれない。30年前の教科書に於いてブレジネフのソヴィエト時代は、まだ比較的馴染みがある時代であった。そもそもソ連という国自体が健在で、まさか数年後に崩壊するなんて誰も想像しなかった時代である。したがって記述も頗る細かくなっている。いい換えれば、その人のいた時代の輪郭が浮かびあがる風になっている。
 一方で今日の教科書が斯様な書き方をしているのは、積み重ねられた歴史の層が、30年前よりも増えてきているからだ。それゆえに、なにを、どの程度まで書くか、取捨選択の基準が30年前よりも厳しくなってきたのだろう。
 歴史とはけっして完成しないミルフィーユ・ケーキである。人類の営みが続く限り、歴史は作られ続けて、終わりは訪れない。1枚の層にどれだけの歴史を詰めこむか、という論議はあろうけれどそれはさておくとして、とんでもなくでっかいミルフィーユ・ケーキが年々日々時々刻々とうずたかくなっていっているのを想像すると、悠久の時間の流れ、歴史の堆積、生きとし生けるものの命の積み重ねを思うて言葉を失うのである。
 そんな具合だから今日の教科書が、以前は少々詳細に記されていた事柄を簡略に扱ったとしても不思議はない。なぜならその後の歴史のなかにも語るべき、触れるべき事柄は山積しているからだ。もしかすると、ここに20世紀後半の教科書と21世紀の教科書の決定的なちがいがあるのかもしれない。そうしてこの開きは、時が経るに従ってますます大きくなるに相違ない。逆説的にいえば、教科書ガイドや(大学受験用も含めた)学習参考書は教科書の補完という役割を更に強め、ますますその記述や解説を細かくしてゆくわけだ。
 ちなみに、同出版社から大人向けに出されている『もういちど読む 山川世界史』では、同じ時代をどう扱っているか。──なんと、ブレジネフ時代は「内外の政策の変化はなかったが、経済の停滞がめだち、自由化への道は抑圧された」(P284)とあるのみだ。
 簡にして的を尽くした、まったく問題のない記述だが、30年前のあの教科書で育ったわたくしは、なんだか一抹の淋しさと件の教科書へのノスタルジーを抱くのである。
 ソ連邦の崩壊/解体、新生ロシアの誕生、(プーチンの)帝国主義の復活、という変化を間に挟んでいることもあって、ソ連時代の政治に関してはブレジネフの時代なんて知ったこっちゃいないよ、スターリンとゴルバチョフ(あともう1つ、強いていえば「スターリン批判」を行ったフルシチョフ)以外に言及するのは、教科書という性格上難しいことであり、またその必要性も上位にはない、ということなのか。
 とはいえ、である。ブレジネフ政権の功罪が、後にゴルバチョフが提唱・推進したペレストロイカとグラスノチへ至る道筋を作ったのだから、対米デタントや中ソ対立、アフガン侵攻(1979〜89)あたりは、今後、如何なる時代になろうとも記述を省くことはしないでほしいのである。
 さて、30年前と今日の世界史教科書では記載内容がどのように変化したか、ソ連のブレジネフ時代をサンプルとして取りあげた。時間の経過と共に重要性が薄れる事例にもなった。
 が、この点を更に、如実に示すのが実は、教科書と一緒に配布される用語集、用語辞典であるのに気附かされたことを、告白しておきたい。いつ気附いたか? 本稿を書き進めるうちに。
 もうすこしお付き合いいただいて、旺文社の『世界史事典』(1968/06初版 1978/04改訂版)と山川出版社の『もういちど読む 山川世界史用語辞典』(2015/04)を並べて、同じ単語にどのような説明がされているか、見てみよう。サンプル・ワードは勿論、「ブレジネフ」である。スペル・生没年・役職は省く。
 まずは旺文社『世界史事典』に曰く、──

 1931年ソ連共産党に入党。第二次世界大戦後、州党委員会第一書記・党中央委員会書記をへて、64年フルシチョフが解任されたあと、党第一書記となる。66年書記長に就任し、77年6月に最高ソビエト幹部会議長(国家元首)となる。コスイギン首相とともに、集団指導体制をとり、平和共存路線、社会主義諸国への指導性強化、国際政治における指導権確保など、多彩な活動を展開し、77年憲法を改正し、最高指導者の地位を保って死去。(P363)

──と。
 ブレジネフという人物の業績を上手くまとめている。幾つかに補足を要すが、学習目的であれば必要じゅうぶんな情報を詰めこんでいる、といえるだろう。
 ではもう1冊、『もういちど読む 山川世界史用語辞典』はどうか、というと──これがなんと、項目立てされていないのである。巻末索引は、「プレウェザ海戦」から「ブレスト・リトフスク条約」へ飛んでしまうのだ。
 この事実を以て今日の世界史教科書では、戦後のソ連史はスターリン-フルシチョフ-ゴルバチョフの流れを押さえておけばよい、という認識に傾いている、それがほぼ総意である、と考えるべきなのだろうか。歴史が積み重ねられるに従って、教科書/用語辞典は厳しい取捨選択を強いられる──その苦悩を垣間見た思いだ。
 なお、ブレジネフの扱いはソ連最高指導者としてはまだ良い方なのかもしれない。濃淡こそ顕著なれど教科書に記述がされた、用語辞典にも項目立てされたことがある、という点を以て、斯く思う。
 というのも、ブレジネフとゴルバチョフの間をつないで国のトップの座にいたアンドロポフ(在1982/11/12〜1984/09/02)とチェルネンコ(在1984/02/13〜1985/03/13)の名前は、教科書でも用語辞典でも一度だってお目にかかったことがないからだ。任期の短さが大きな理由だろう。もしかすると、本稿を書くに際して使用した架蔵の教科書や用語辞典にたまたま記載がないだけで過去に流通した、他社の世界史教科書や用語辞典には載っていたかもしれない。
 ──かつて渡部昇一は、或る特定の事項が『ブリタニカ百科事典』各版でどのように、どれくらいの分量を費やして書かれているか、その変遷を調べているとささやかな発見があって楽しいと、様々なところで述べていた。それを基にして執筆されたエッセイ、各版の特徴やを述べたエッセイもある。教え子たちの証言もある。『ブリタニカ百科事典』を初版からすべての版を架蔵して手許に置いていた渡部ならではの知的愉悦といえよう。
 此度のわたくしの試みも、これに(結果的に、だが)倣ってみたのである。諸事情により教科書に学ぶ歴史の輪郭から外されてしまった出来事、人物にスポットをあてて手持ちの本を開いて調べてみると、見過ごしていた事実に気附かされるのだ。あらためて自分のなかの知識を整理・点検・修正することができて、愉しいのである。
 秋の夜長の眠れぬ一刻、試してみると面白いと思います。但し、それによって不眠症になってしまったり、翌日眠気に負けて仕事や学業に支障を来すことがあっても当方は一切の責任を取りかねますので、その点だけはご注意の程を。◆

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第3503日目 〈ロシア人の伝記を抵抗なく読むための、と或る1つのありきたりな方法。〉 [日々の思い・独り言]

 ロシア人の回想録や自伝、ロシア現代史やロマノフ朝史など読んだり目通ししていると時々、心から「良かった」と思う瞬間に襲われることしばしばであります。英米のシンプルさに馴れた身には馴染みにくく覚えにくい、あの、長ったらしい人名への抗体ができているからの感慨でした。
 抗体ができている──その理由は、ドストエフスキーをはじめとするロシア文学に馴染んだためでありましょう。質より量をこなした結果、ともいえると思います。
 とはいえ、ドストエフスキーを読み始めてから、どれだけ経ってのことか覚えておりませんが、やはり人名に難渋して、出てくる固有名詞についていまいちピンとこない部分もあって、なにかそのあたりを手っ取り早く教えてくれる便利でわかりやすく、安価な本はないかなぁ、と新宿の紀伊國屋書店をブラついておりましたら、そんな都合の良い希望に応えてくれる1冊を見出したことで、最後まで残っていた人名や固有名詞への苦手意識は霧消したのでした。
 同じ人を指しているのになんでこんな風に呼び方が変わるんやろうか。夫婦や親子だったりするのにどうして姓が微妙に異なっているんかな。サモワールとかザクースカってどんなものじゃろうか。──そんな疑問が、読んでいて度々浮かぶものの放置を続けたある日、やっぱりちゃんと疑問を解決しておこう、と思い立って、前段のような次第になったのであります。その頃は奥方様ともそんな深い関係になってなかったからなぁ。そんな風になっていたら直接彼女に訊いたのですが……そもそもまだロシア赴任をしていないんですよね。
 斯様な疑問を解決してくれたのが、桃井富範『すらすら読めるドストエフスキー』(彩図社 2009/07)でした。これを読んで、就中姓に関しては合点がいった。ドストエフスキーの小説を検めてみたら、ここに書かれている姓の表記についてことごとく納得できましたよ。成る程、と膝を叩いた姿を想像してください。
 つまり、ロシア人の名前の法則をこの本で知ったわけです。「名前+父称+姓」でロシア人の名前は成り立っており、「父称」と「姓」は男性と女性とで法則が異なり、加えて関係性によって呼び方が違ってくる、という複雑さも一旦知ってしまえば、むろん時に迷うことありと雖も読むに際してさしたる支障はない。いや、この本がなかったら自分の苦手意識が解消されることも、、抗体ができるなんてことも、決してなかったでありましょう。
 わたくしが当時からいまに至るまで読んできたロシア文学なんて氷山の一角どころか欠片に過ぎませんが、現代ロシア文学となるとトンと手が伸びません。いちばん時代がくだって、ソルジェニーツィンなのですから、容易にご想像できる方も居られるやもしれません。なにが話したいか、というと、それでも──断続的ながら読み続けていたせいか、いつの間にやら地名や党組織各部会の名称にも免疫ができてしまっていました。
 この、いつの間にやら免疫ができていた、というのは、心強い武器になった。人名や固有名詞に抵抗がないことは外国で書かれた、殊にノンフィクションを読む際は心理的負担を下げるばかりでなく、読むスピードが維持できたり、背後関係に推理を及ばせることも容易になる、と自身の経験で実感しております。こうした何物にも代え難い「武器」があるからです。
 それでも、例えば自伝や回想録を読んでいると、1人の人物が名前+父称或いは姓のみで呼ばれたりして、混乱してしまうのは事実であります──わたくしは勝手にそれを、1ページに幾人もの人物が登場するがゆえの弊害、と言い訳しておりますが、政治家の自伝などではそれも致し方ないところでもありましょう。それが、ゴルバチョフのような国家元首にまで上りつめた人のそれであれば、尚更かもしれません。
 そのゴルバチョフ自伝、未だに読んでいるのですが(ようやくゴルビーが共産党書記長になった! いまはペレストロイカの理念を語った章)、人名に関してはまさに名前+父称或いは姓のみで書かれている。訳者の副島氏が括弧で補足してくれていなければ、まだわれらがミーシャはスタブロボリ地方のコムソモールで仕事をしていたかもしれません。
 とまれ、わたくしがゴルバチョフ自伝やプーチン、ゼレンスキーの伝記、或いはロシア現代史の本を読んでいて、長ったらしい人名や馴染みのない土地の名前にさしたる抵抗など感じることなく(曲がりなりにも)読み進められているのは、ゴーゴリやドストエフスキー、チェーホフやガルシン、レスコフやショーロホフ、ソルジェニーツィンなどロシア文学で馴らされて、免疫が付いたからであるのは事実であります。
 これからロシア人の伝記や史書──ノンフィクションを読む人は、普段あまり接しない国の人名や地名など固有名詞に馴れる目的で、ロシア文学の何冊か(叶うことなら長編を)に目を通しておくと、より抵抗感なくそうしたジャンルの本を読んでゆくことができて、良いと思います。◆

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第3502日目 〈安倍元首相批判の声を集めた言論誌はあるのか。〉 [日々の思い・独り言]

 近頃まったくというて良い程小説を読まなくなった、という意味のことを書いた記憶がある。今年になって読んだ小説といえば、横田順彌『平成古書奇談』と野呂邦暢『愛についてのデッサン』くらいしか思い出せない。いずれもちくま文庫。藤沢周平はお休みしたままだ。
 おかしいなぁ、小説が好きで買い漁り読み耽っていた自分は、どこへ行っちまったんだ? 復刊が続く横溝正史、新刊(の文庫)が出た綾辻行人、ときどき熱病に罹ったように読み続ける松本清張、ミステリ小説や怪奇小説の古典、どれにもまるで手が伸びない。スティーヴン・キングと南木佳士と村上春樹の新作(小説に限らない)を見附けたら、即座にレジ行きなのだが。
 ここ数ヶ月の間、買い忘れまい、と購うよう心懸けているのは、安倍元首相を追悼したムックや言論誌、或いは安倍元首相の周辺にいた人たちの証言(回想)や政権の舞台裏について書かれた本、そうして雑誌や新聞(タブロイド紙)に発表されたきりで纏められることなかった安倍元首相自身の文章である。
 買って、目を通していると、不思議なことに気附かされる。つまり、安倍さんを讃える人たちの原稿を集めて、1冊丸々追悼にページを使った『hanada』や『Will』、追悼特集を組んだ雑誌(例えば『文藝春秋』)はあっても、所謂〈アベガー〉や敵対論者・政治家たちの原稿を集めてほぼ1冊の雑誌が出たなんてことは、聞いたことがないのだ。実際、大型書店数軒の売り場を巡回してみても該当するものは見当たらなかった。そうした原稿を載せる雑誌はあっても、その声は決して大きなうねりに発展していない。
 バランスを取るためにも、賛否両陣営の声を聞きたい。感情よりも理が優った、死者を鞭打つ無礼かつ下品な物言いと感情論に塗り固められていない、そんな声を、わたくしは聞きたい。
 斯様な思いから後者の雑誌を探しているわけですが、なかなか見附けられない。困ったものです。安倍元首相批判の声は、散発的に新聞雑誌に載る程度ではどれだけ正論を吐いても振り向かれはしないですよ。安倍元首相が大好きだからこそ、こうした声をわたくしは聞きたいのだがなぁ……。
 むろん、寡聞にしてわたくしが知らないだけで、丹念に、細かく探せば該当する1冊はあるのかもしれない。もしそのような1冊の存在を御存知の方が居られたら、しばらくの間(本稿の)コメント欄を解放するので是非、ご教示ください。◆

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第3501日目 〈30年前の世界史教科書は、証言記録である。〉 [日々の思い・独り言]

 廊下の本棚、上から2段目の左から2冊目。高校時代に使っていた世界史の教科書です。山川出版社、1989年03月刊。
 ナイトキャップ代わりに読み始めたら、これが頗る面白い。30年でどれだけ世界が変わったか、30年前の世界がどんな枠組みにあったか、その証言記録ともいえる、この世界史の教科書。
 まず以てわたくしの世代までは当然だった国名が、いまはもう消滅しているのがわかる。然り、この教科書にはロシア連邦も統一ドイツも登場しないのです。アフリカのナミビアを始め、今日では独立を果たしている国のいくつかが、非独立国として記載されています。
 ソビエト(ソヴィエト)連邦があるということは、ウクライナの名前も、ベラルーシも、バルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)も巻末の世界地図にはなく、本文にも索引にも登場しない。ゴルバチョフはまだ書記長で、ペレストロイカもグラスノチも出てこないわけです。当然冷戦も、まだ終わっていない。
 ソ連ついでにいえば、旧東欧諸国は社会主義国家であり、ワルシャワ条約機構もユーゴスラヴィアもベルリンの壁も健在です。同様の国家システムを持つ国に中国がありますが、文化大革命の記事はあっても天安門事件の記述はどこにもない。
 それらの多くは、まさにわたくしがこの教科書を使って世界史を習っていた1989年に発生した出来事だったのです。
 件の世界史教科書を証言記録と呼んだのは、こういう理由です。即ち、世界が今日われらが知るような枠組みに変貌しつつある「慌ただしい」時代の出来事が妙な生々しさを持って記録されている点で、いまでは数行で片附けられてしまうことがすこしく詳しく記述されていたり、今日の教科書には記述のない事柄が載っている場合もある点で、証言というのであります。
 まこと、1989年──平成元年度は戦後、〈世界〉の枠組みが大きく──というか、なかば根本的に──作り替えられた時代でありましたよ。
 歴史を学ぶ・知るにあたって、近過去の扱いは案外と厄介である。なによりも、自分が生きてきた時代にもかかわらず、近過去についてわれらの記憶は曖昧なのです。知ろうとすると、大部の専門書や分厚い新聞の縮刷版を繙かなくてはならない(まさかWikipediaを全面的に信頼している人は、よもやいないでしょう)。
 その筋道をつける意味でも高校生の自分が使っていた、30年前に発行された世界史教科書の存在は貴重かつ重要、そうして重宝すると思うのであります。◆

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第3500日目 〈見えてしまった未来を実現させないために。〉 [日々の思い・独り言]

 昨春、第3000日目をカラヤン=BPOのベートーヴェン《英雄》感想文で飾った。それから1年半くらいが過ぎて迎えた第3500日目。数日前から「なんを書くか」倩考えて、同じクラシックから……と企んだ。なかでもYouTubeで視聴可能なベーム=BPOのブラームス交響曲第2番を。
 そこまで考えていたにもかかわらず通常運転へ切り換えるのは、今日、これを書いている場所へ来るまでの道すがら、心のなかでざわつくものを感じたからだ。そのざわつきを文字に留めて、ここに刻印しておきたかったからだ。秋の涼気を孕んだ空気のなかに、雨ぞ降り染む……。

 JRの駅を出て、地下街への階段を降りる。階段途中の踊り場には、国道の真下をくぐって反対側へ出るコンコースがある。夜から明け方にかけて、今日のような雨の日は終日、ホームレスがダンボールハウスを作って時間を過ごす。
 ホームレスの数は一ト頃よりも減った気がする。朧ろ気な記憶でしかないが、バブル崩壊から拓銀と山一証券破綻に象徴される金融危機へ至る数年と、サブプライムローン問題に端を発してリーマン・ショックが追い打ちとなったプチ恐慌の時分は、流石にもっと多くなかったかな。
 まだいるけれど、数は減った。巨視的に見ればホームレスが減ったのは良いことだ。なにかしらの職を得たり、簡易的で当座のしのぎ程度ではあっても住むところが見附かり、毎日の食事にありつけたるようになった、という証しだろうから。行政のみならずNPO法人、ボランティアの地道な支援活動もあってのことだろう。
 が、本当に減ったのか、という疑問はある(浚い取られたホームレスが本当にそれに値する人物であったのか、という疑問もある)。単に居場所を変えただけかもしれない。荼毘に付された人/火葬された人もいたかもしれない。事故・事件で命を落とした人だって──。ステレオ・タイプの想像とは承知している。
 場所について言葉を補えば、この駅から何キロか南に歩けば、〈日本3大ドヤ街〉の1つに数えられる一帯がある。肉体労働に耐えられる体力があって、上手く気持ちをコントロールできるならば、日雇いゆえ安定した就労環境は得にくいけれど、そちらへ移る人もなかにはあろう。
 亡くなった、というパターンについては、駄弁を控える。
 仕事の帰り、飲んだ帰り、あのコンコースを横に見て駅へ急ぐ。視界の端に、休むかれらが映る。ダンボールハウスで外界を遮断し、毛布をかぶって眠りに就く。かれらはどんな思いで朝を迎え、昼を過ごし、夜を迎えて目を閉じるのか。親兄弟を思うたり、幸福な時代を回顧するのか。そもそもそんなことがあるのか。
 あれはきっと、未来の自分だ。遠からずわたくしは、かれらと同じ境遇に身をやつす。井戸の底から丸く切り取られた青空を仰いで、こんなはずではなかったのに、と過去の自分を恨むだろう。
 自分の未来がそう見える。だから、わたくしはもがく。そんな未来を実現させないために。働いて、お金を貯めて、死ぬまでの衣食住を確保する。税金を納め、年金と健康保険を納め、支払わなくてはならないものはきちんと支払う。すべては自分のために、ホームレスに堕ちないために。産み育ててくれた親の恩に報いるため。
 これは、わたくしの所信表明です。

 これを書いた日の宵刻、地下街の階段踊り場に設置されたフリーペーパー・スタンドの側で傘を畳んでいたら、1人の無職と思しき中太り男にイチャモンを付けられた。ボキャブラリーの貧弱な者だった。思考回路の単純な者だった。もしかしたらショートしているのかもしれない。
 彼奴はそのまま、駅に向かうわたくしの後ろを10メートルばかり開けて尾[つ]いて来て、知能を疑う程度の低い悪態を吐いて周囲の耳目を浴びた。駅地下の、本文冒頭で触れた踊り場コンコースのあたりで声が途切れたところから察するに、ホームレスの一員だったのだろう。
 世の中を渡ることができず、仕事もなかなか決まらず明日の展望に望みなく、悶々として不満も溜まっていたところに、運悪くわたくしは接触してしまったのだろう。どちらも哀れじゃ。これまで通りホームレスの自立支援はするが、彼奴の言動を思い出すと、失望と虚しさが綯い交ぜになった溜め息を吐いてしまうのである。
 ──ああいう風にはならない。◆

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第3499日目 〈ブログ改訂作業とは、毎日のメンテナンスの言い換えでもある。〉 [日々の思い・独り言]

 方針、凡例、というても特段書くこともないのですが……基本的には誤字脱字・誤変換を発見したら、即時ログインして修正しますね。
 表現については、書いた直後は勿論、数日経って読み返してもそれ以外に相応しいものはない、とどうしても思えてしまう。けれど公開された原稿を後日読んでいると、やはり赤面したくなる程「浮いた」「場違い」な表現に遭遇する。そうしたものも訂正する。僅かな直しで収まるときもあれば、大規模修繕を必要とする場合もある。まぁ、内容等によりけりです。
 あとは、上述した表現の不適切ゆえに生じた話の運びの破綻、或いはド壺に落ちこんだのをより正しい方向へ正すため、段落の入れ替えや、場合によっては論旨はそのままに、徹底的な文章の直しを施す。
 事実誤認が発覚したら確認の上、正しい情報に書き直す。これはまぁ、当然のことですよね。
 これらは専ら、お披露目されたブログを読み返して目についた誤りの訂正ですから、同時にPagesや一太郎で作成した原稿でも、同じ作業を施す。これを忘れると、案外ととんでもないことになるんですよね……。
 ──正直なところをいえば、Twitterで過去記事のツイートをするのはこうした作業を行ったすべての記事についてしている訳では、ない。誤字脱字や小さな修正で済んだ表現の訂正なんかは、一々ツイートするのもどうか……と思うている。最初にお披露目したときから様変わり、面目一新した記事についてのみ最近は修正報告のツイートをしている。そうでもしないと、煩雑になる一方ですからね。
 『ラブライブ!スーパースター!!』は感想文を先行お披露目して後日、期間限定公開の最新話URLをリンク先にしたら、こちらもツイートの対象となる。最新、第2期第11話がまさにそうでした。
 当たり前のことではありますが、ブログ主として当然心掛けるべきこと、実施せねばならぬことを日々繰り返し行っているだけなのです。毎日のメンテナンスは大事です、というお話。◆

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第3498日目 〈NHK総合『100de名著』〜「折口信夫『古代研究』第1回を観ました。〉 [日々の思い・独り言]

 NHK総合『100de名著』が遂に折口信夫を、主著『古代研究』を取りあげた。講師は國學院大學の上野誠。
 録画した第1回を観たが、これくらいわかりやすくかみ砕いて説明されたら、〈難解〉といわれる折口学も多少は裾野を広げられるのではないか、学問の特異性がさらに浮き彫りとする一方でその特異性が実は普遍的なものである〈逆説性〉を証明できるのではないかな、と秘かに期待している。これには在野に於ける異能の天才、伊集院光の即妙かつ本質をブサリと刺した発言も多分に寄与していよう。
 これを視聴していたらむやみと折口信夫が読みたくなった。20代の殆どすべての勉学を国文学と民俗学にささげた者としては、この機会に折口博士の主著を手に取らずしてどうするか。ここしばらく遠ざかっていたそちら方面の読書欲に、この番組がふたたび心に火をくべてくれた形である。
 司会の安部みちこが番組冒頭で手にしていた中公文庫版全3巻は、学生時代によくわからぬながらも情熱と知識欲だけを頼りにして曲がりなりにも読み通したヴァージョンだ。でも、活字が小さいんだよなぁ。角川文庫ソフィアの新版に頼るか。それとも、これを機会に新版全集を買い直すか。◆


NHK 100分 de 名著 折口信夫『古代研究』 2022年 10月 [雑誌] (NHKテキスト)

NHK 100分 de 名著 折口信夫『古代研究』 2022年 10月 [雑誌] (NHKテキスト)

  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2022/09/24
  • メディア: Kindle版



古代研究V 国文学篇1 (角川ソフィア文庫)

古代研究V 国文学篇1 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/04/25
  • メディア: 文庫



古代研究VI 国文学篇2 (角川ソフィア文庫)

古代研究VI 国文学篇2 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/05/25
  • メディア: 文庫



古代研究I 民俗学篇1 (角川ソフィア文庫)

古代研究I 民俗学篇1 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2016/12/22
  • メディア: 文庫



古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

古代研究II 民俗学篇2 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/01/25
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古代研究III 民俗学篇3 (角川ソフィア文庫)

古代研究III 民俗学篇3 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/02/25
  • メディア: 文庫



古代研究IV 民俗学篇4 (角川ソフィア文庫)

古代研究IV 民俗学篇4 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 折口 信夫
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2017/03/25
  • メディア: 文庫



折口信夫 魂の古代学 (角川ソフィア文庫)

折口信夫 魂の古代学 (角川ソフィア文庫)

  • 作者: 上野 誠
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川学芸出版
  • 発売日: 2014/09/25
  • メディア: 文庫



折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

折口信夫「まれびと」の発見 おもてなしの日本文化はどこから来たのか?

  • 作者: 上野 誠
  • 出版社/メーカー: 幻冬舎
  • 発売日: 2022/04/27
  • メディア: 単行本




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第3497日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第11話を観ました。〉 [日々の思い・独り言]

 いよいよ最後のコーナーを回ってクライマックスに到達した『ラブライブ!スーパースター!!』第2期。今夜は第11話「」、最終話から2話前のエピソードでした。
 Liella!の東京大会優勝(=全国大会にコマを進める)が明らかとなり、ウィーン問題の根っこにあった病巣が判明する一方で、『ラブライブ!』シリーズお約束の留学問題が浮上しましたね。
 ウィーン・マルガレーテ(※)にはオーストリア首都ウィーンにあるウィーン国立音楽学校で学ぶ姉がおって将来有望株のようだけれど、妹はそこの受験に失敗した。あらあら残念、よくある話。
 「どうしても入りたい!」と駄々をこねた、もとい、熱意が伝わったのでしょうか。それとも、親が有力者であったり家が相応の名家旧家だったのでしょうか。日本発祥でμ’sの海外ライヴを機に世界でも(多少は──国によって差異あり)知られるようになったラブライブ!大会で優勝してこい、そうしたら編入を検討しよう、なんて条件を出されたようです。
 妹マルガレーテは疑うことなく(ホイホイと)来日して、インターナショナルスクールに入学してラブライブ!大会にエントリー。どこで評判を聞きつけたか、澁谷かのんが同じエリアの対抗馬でありかつ歌が巧いと知って、ストーカーの如くあとを追い回し、自宅のみならず自室の位置までであった当日夜には早々と特定した、シリーズ随一にして唯一の狂犬。
 本話では遂に作中のネット民のみならず、自分を東京大会まで送り出してくれた応援者までも敵に回す、という快挙をやってのけた。東京大会第2位という結果を承けて、「私はこんな結果、認めない!!」と(レポーターの)マイクを取りあげて、観覧者に向かって叫んだのでした。いや、SNSってやだね。あっという間にウィーン・マルガレーテはそれまでの評価を地に落とし、あらゆる非難の言葉を浴びることになったのでした。
 その顛末はさておき。それではここからだ。
 実際にマルガレーテにラブライブ!大会で優勝してこい、という条件を出したのは誰であったのか。
 殊程然様にラブライブ!優勝の実績はウィーン国立音楽学校編入に影響を及ぼすのか?
 特待生扱いで迎え入れるとウィーン国立音楽学校だが、かのんの歌はかの地でどのような層が、どのように評価しているのか。
 かのんといっしょならマルガレーテも戻ってきて(学校に編入して)も構わないなんて結局、学校側はかのんが欲しいだけでマルガレーテはバーターでしかないと宣言したも同然では?
 声楽でウィーン国立音楽学校に入学或いは編入するにあたって、スクールアイドルという部活動がどれだけ影響を及ぼすのか、皆目見当が付かない。声楽を専攻するにも発声や歌唱がどれだけ良かろうと、電機機器で音や声を操作されたJ-POPの評価が自分の体を楽器にして歌うクラシックの声楽に有利になるとは、どれだけ小首を傾げてみても考え難い。声楽専攻というよりミュージカル選択させるつもりなのだろうか?
 かのんも最初から結論は出ていたようで、その夜に訪ねてきたLiella!メンバーの前で「行かないよ」と宣言してしまっている。それを遠くから盗み聞きしているマルガリーテの聴力と心中は察するに余りあるが、 でも「身から出た錆」ということわざが日本にはある。すべては己の不遜と高慢がアキレス腱になって自滅したのだ。大会を冷静に反芻した後反省して、おとなしく帰国してくれれば良い。15歳の少女に酷なことをいってるとは重々承知。が、まかり間違っても来年春結ヶ岡女子高等学校に編入してくる、なんて暴挙は止めてくれ。というかむしろこれは花田と京極氏にくれぐれもお願いする事柄ですな。ホント、止めてくださいよ、編入してきたら『ラブライブ!スーパースター!!』、もう見るの止めますんで。
 ちぃちゃんが最後に爆弾発言して最終話へのブリッジとなりましたが、まさか誰も(視聴者さえも)「かのんちゃんは留学してほしい」なんて台詞聞くとは思いませんでしたよね……。可可の帰国問題もきちんと片附いていない内から新たな問題の火種が、しかも部長の口から発せられるとはなぁ……。唯一、コタツ未体験だった恋ちゃんが途端にダメ人間(ポンコツ)になるあたりは。想定されている〈黄金のワンパターン〉とはいえ、心和まされるものがありました──。
 上述のちぃちゃんの台詞ですが、あれを念頭に置くと次回予告で彼女が流す涙はかなり意味深です。送り出すにあたっての別れ(距離的な意味でも心理的な意味でも)なのか、或いは、やはりそれでも日本に残ると決めたかのんの気持ちに共鳴しての涙なのか……。いやもう否応なく最終回「私を叶える物語」ヘの期待は高まりますね。あとは、花田氏がぐちゃぐちゃな脚本を書いていないことを祈ります。
 ──ざっとメモと箇条書きを整理したような一発書きに等しいものになりましたが、後日にまた手を加えてゆきましょう。自分はもう昨年とは違う状況、環境にあるのだ、ということを、『ラブライブ!スーパースター!!』感想を書いているとつくづくと思い知らされています。◆

※おそらくラブライブ!大会エントリー用のダミーネームだろう。ドイツ語圏でマルガレーテは極めてポピュラーな「名前」である。さて、此奴の姓はなんというか? 最終回でのんびりかのんの実家カフェで食事している場面が予告で流れたが、その際には是非口を割っていただきたいものである。□

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第3496日目 〈きのうのおまけ。──スコット・トゥロー『ハーヴァード・ロー・スクール』から。〉 [日々の思い・独り言]

 下村満子『ハーバード・メモリーズ』からアメリカの大学生がどれだけ勉強しているか、しなくてはならないか、それについて思う様を述べた昨日のオマケとして、スコット・トゥロー(タロー)『ハーヴァード・ロー・スクール』ではそのあたりがどんな風に書かれているか、簡単にご紹介します(二日酔いのお茶濁しではないので、念のため)。
 全体を読めば自ずと浮かびあがってくるところではあるのだが、それが端的に描かれた箇所を、著者本人のそれと訳者による付記から引こう。曰く、──

 週末を通して、ぼくは大いに勉強した。あの夜の巣喰いがたい無能さの自覚を、ふたたび味わいたくなかったからだ。刑事法と契約法の宿題として出されたテキストの章を入念に要約し、そのあと、ペリーニが調べるように命じた二つの事件を、何度も読み返した。そして一語一語熟考し、あらゆる角度から調べたりしながら、二件に関する細密な判例メモを作成した。授業で指されたときの答えのリハーサルもやった。法律時点も充分調べ、しまいには、オピニオンに出てくる重要な法律用語の定義をすっかり暗記してしまったぐらいだ。ペリーニについてはこれで大丈夫。万全の構えはできた。
(「登録──敵との出会い」P44-5)

 肩にかついだしん玄袋ふうのナップザックに、千四、五百頁もある判例集を数冊詰め込んで、教室から教室へと移動するのが、アメリカの法学生の姿だが、宿題に追われて、オチオチ新聞も読んでいられない彼らからみれば、教養を積む暇も、人によっては遊ぶ暇さえある日本の法学生がふしぎに映るかもしれない。アメリカのロー・スクール図書館は、午前八時から夜半まで開いている。ハーヴァードでは土曜は午後六時まで、日曜は午後一時から開くというのが、以前は一日中開いていたというから、学習の圧力のすごさがしのばれる。
(山室まりや「付記/日・米法学教育事情の比較」P303-4)

──と。
 これらが事実であることは、本文をお読みいただければ容易におわかりいただけるのだが──特にペリーニ教授の講義ね! あんなに肝の潰れる思い味わわされる講義が、日本の大学にあるのだろうか?──、残念なことに本書は現在絶版で、新版としての再刊予定もないらしい。古書店でも新古書店でも見掛けたら、悩まず買うのが良いと思います。
 本書を読んでいると、(法律の)勉強法それ自体についても成る程なぁ、と首肯するところがあった。曰く、──

 ある学生便覧に、クラスでノートを取るとき、さまざまな色のインキを使う者があると書いてあったのを思いだした。……それで早速、ハーヴァード広場に駆けつけ、高価な万年筆を数本買って、インキの色を数種に分けた。判例メモは黒で、クラスで使うノートは青で書いた。特定の法原則は赤、そして理解しかねる事柄は緑を使った。ペンはリュックのポケットに、同色を二本ずつ入れて持ち歩いた。……ぼくのノートはしだいに、ある程度整然としてきた。『ノートなんて時がたてば自然に整ってくるものだ』とだれかにいわれることがあると、ぼくはもちろん同意した。だがぼくはリュックにペンを入れて歩くことも、黒、赤、青、緑でノートをとることも止めなかった」(P71-2)

──と。
 わたくしも、例えば池上彰の本を読みながら同じように、テーマ毎にペンの色を決めて読書を進めた昨冬の楽しい経験がある。抜き書きノートでも青は引用、緑は自分の意見、茶色は改ページの指示、と分けて使った。あとで読み返しても、時間を要すことなく内容を思い出してゆける点は利点といえましょう。但し、本の扉あたりにどの色はどんな意味合いで使う、ということを箇条書きしておくのが良いでしょうね。混乱とも無縁で内容を思い出してゆけます。実はこんなことをしているのも、遠因を辿れば『ハーヴァード・ロー・スクール』からの影響なのであります。
 然り、己の経験も踏まえて申せば、内容や趣旨によってラインを引いたり語句を囲ったりメモ入れするペンの色を変える、というのは、使うべき色を間違えたり後日色の意味を忘れるなんてケアレス・ミスを防げるならば、価値あり益ある方法だと思います。いまでは数多の勉強法の本ではお馴染みの手段になってしまったけれどね。
 ちなみに『ハーヴァード・ロー・スクール』はスコット・トゥローは処女作であり、かれはその後シカゴの検事補を務めながら小説『推定無罪』を著してフィクション界にデビューしました(ハリソン・フォード主演で映画化された同題作品の原作)。いまでも第一線で活躍する放送であると共に、第一線で活躍し続ける作家でもあります。◆

スコット・トゥロー『ハーヴァード・ロー・スクール』山室まりや・訳 ハヤカワ文庫NF 1985/04

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