第3766日目 〈桜木町で、人混みのなかで、気づけばあなたを探している。〉 [日々の思い・独り言]

 ぼくはいちどもマスクをはずしたあなたの顔をみたことが、ない。それでも今日、すれちがい様にあなたとわかったのは、なんども夢のなかで素顔のあなたに逢っていたから。
 入院中、パソコンの不要なファイルやフォルダを、自分でもそら恐ろしくなるくらいのいきおいで削除した。ゴミ箱のなかみがすべてなくなるのに二分もかかったなんて、はじめてのことだ。
 そのあいだにかんがえたこと──自分の記憶を任意に削除することができたとして、最後まで手をつけない領域は、なにか? 家族との思い出、あなたといっしょに仕事した一年とその後の偶然のすれちがいの想い出。これだけは……。
 ホームであなたとすぐわかったのは、髪型と着ている外套の印象が当時のあなたとかわりなかったこと、なによりも涼やかな目許。……身長? んんん、それは否定できない。
 すぐわかったけれど、すこし行きすぎてから振りかえったのは、声をかけたらあなたが怯えてその場を移動してしまうのではないか、不審者扱いされて駅員室に問答無用で連行されて病院の外来ですっかり体力を消耗している状態で何時間も詰問される危惧を抱いたからだ。みみっちいね。
 振りかえったとき、一瞬ながら目があったように感じた。気持の変化がまるでないと知った。
 もうあなたは手のとどかぬ場所にいる人なのだろう。帰れば待つ人もあるだろう。でももし、そうでないならば──満身創痍の状態でどうにか生の世界に踏み留まっているようなぼくなのだが、いっしょに暮らしてほしい。着の身着のままで構わない。事前の準備は必要だけれど。
 「我我は彼女を愛するために往々彼女のほかの女人を彼女の身代わりにするものである」(※)──あなたに代わることのできる女性なんて、この世のどこにもいません。
 上書き保存も削除もできない愛ほどつらいものはありません。◆


※芥川龍之介『侏儒の言葉』「身代わり」 『芥川龍之介全集』第7巻P226 ちくま文庫 1989/07  ──新潮文庫の芥川作品集、どこにしまいこんじゃったかなぁ。こちらを出典にしたかったのに□
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第3765日目 〈入院、退院、帰宅、それ以後。03月07日までの記録。〉 [日々の思い・独り言]

 2024年──
 01月01日(月)午前5時、救急を要請。午前6時、かかりつけのみなとみらいの病院に搬送。
 同日午前8時入院。
 03月01日(金)午前11時に退院、夕刻帰宅。
 03月04日(月)、初外来。8時30分、採血、入院中の採血注射跡、内出血、アザ等目立ち満身創痍。→10時頃から赤血球と血小板の輸血。15時頃会計済ませて買い物して帰宅。
 03月07日(木)、外来。スケジュール、及び輸血内容、上に変わらず。早くも内科治療室の常連と化す。主治医曰く、わずかずつながら回復傾向の由。悩み事の相談、主治医でも見当つかずとぞ。→会計終えて、丸善にて必要資料の『孟子』購い、そのままみなとみらい線で馬車道。スタバにて懐かしき人たちと再会、コーヒー二杯、ピザトーストとドーナツを食す。だんだん常態に復すようこれ努めなくては。
→17時40分頃、市役所のなかを通り、市役所側改札から桜木町駅。おはらななかを見る。マスクはずしている素顔美しくも愛らしき。18時過ぎ、自宅帰宅。
 ずっと誰に頼ることもなく自分の足で病院からスタバを経由して帰宅できたこと、体力回復の兆候ありか。でも、無理はしないこと。適度に休んで水分補給すること。なによりも人混みではマスクして、感染症に注意して、転ばないように、ぶつからないようにすること。
 今日の励みはやはり桜木町駅のホームですれちがいではあっても、出合えたことか。こう書くと、警戒されるなぁ。でもこれ以外に書きようがないのである。
 今後は週に二度、採血・輸血のため、外来がある。今月の後半には3回目の化学療法(抗がん剤治療)がある。はぁ……。◆

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第3764日目 〈病床からのレポート──2024年02月25-26日「白峯」下訳進捗篇〉 [日々の思い・独り言]

 退院までに「白峯」の下訳を終わらせたい。たとえ不十分なものであったとしても。
 それは現実になった。
 本篇最後までどうにかたどり着いたのだ。02月11日からまだ「なんちゃって」レヴェルに過ぎぬ筆を執り始めて、毎日1時間から2時間をこの作業に費やして、今日02月25日午前に終いの一文、「かの国にかよふ人は、必幣をさゝげて斎ひまつるべき御神なりけらし」へ至った。
 化学療法が始まるまでに少しでも作業を進めておきたい。その一心から、修正テープと茶色のペンを片手に読み返しを行いながら、細かな字句修正やまるまる一文の手直しを始めたのだ。
 でも、本当の意味では、下訳は完了していなかった。冒頭、東国歌枕の道行と崇徳院の荒れ果てた行在所での描写は、ほぼ手抜き状態の訳と最初からわかっていたけれど、……まさか読み進めるうちに同様の箇所が幾つも見つかるとはおもわなんだ。
 仮訳もできぬ状態だったか、原文を引いた箇所や、たといそうでなくともそれを示す記号も付けず場面一つをすっ飛ばしていたり、ほとほと頭を抱えこむ事態に遭遇しながら作業中……。
 訳文の修正は後回しにして、まずは抜け落ちている場面を翻訳しなくてはならない。……一、二箇所であれば、採血とほぼ100%輸血がある明日であっても、体力と気力次第でどうにかなると思うんだけれど──果たしてどうなるんでしょうね?◆(24/02/25)

翌日追記
 抜け漏れのあった場面の下訳は終わった。あとは上にも書いたように細かな字句修正や段落全体の訳し直しなどである。
 訳し始めた最初の頃の文章は、なぜか文意が通じなかったり、文脈を完全に無視した代物になっており、頭を抱えてしまう程の出来の悪さ。
 が、そうね、『孟子』の易姓革命あたりからと、一旦最後までたどり着いたあとで訳した冒頭くらいになれば、茶色の修正も前半に較べれば、ぐっ、と減るんではないか、と期待している。
 さてどうなりますか。□(24/02/26)

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