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第0434日目 〈列王記下第25章2/2:〈ユダの統治者ゲダルヤ〉&〈ヨヤキンの解放〉〉 [列王記・下]

 列王記下第25章2/2です。

 王下25:22-26〈ユダの統治者ゲダルヤ〉
 「國敗れて山河あり」という様に、国は滅びても民は地上に残る。
 地上に残ったユダの民を監督する名目で、バビロン王ネブカドネツァルはかつてユダのヨシヤ王に仕えた書記官シャファンの孫でアヒカムの子ゲダルヤを総督に任命、ユダをバビロン王の名代として統治した。斯様に旧王国の関係者を然るべき立場に据えたのは、ユダの民に対してバビロン王、ひいてはバビロン国への服従を徹底させるためであった。
 が、それを不服に思うユダの民もいた。ゲダルヤはそんな輩たちに謀られて殺された。首謀者は王族の一人エリシャマの孫でネタンヤの子イシュマエル。彼は十人の部下を率いてゲダルヤを討った。

 王下25:27-30〈ヨヤキンの解放〉
 国が滅びて民は絶望した。が、そこに希望の曙光が灯される。
 かつて、エルサレム陥落ユダ滅亡の先立つ時代、バビロンの捕囚となった者に当時のユダの王ヨヤキンがいた。覚えておいでだろうか? 経緯(いきさつ)については王下24:15を参照されたい。
 彼はバビロンへ連行されてから37年後の暮れつ方、捕囚の立場から解放された。というのも、ネブカドネツァルに代わって新しくバビロン王の座にエビル・メロダクが就いたからである。ヨヤキンの捕囚解放は、その恩赦であった。
 新王はヨヤキンを篤くもてなし、共に食卓へ着くことを許した。ヨヤキンはその存命中、生きる糧を常に供されて生き続けた。

 ヨヤキン元王の血はやがて新約聖書にて〈神の子〉を出現させるに至る。ダビデの家の血、ユダの民の血、イスラエルの血がここに命脈を保ち、やがてイエスへ至るのです。
 ダビデ王の先祖の一人にルツがいて遥か未来でイエスにつながる、とずっと以前に書きましたが、ここでも同じことが指摘できると思います。いや、それ以上に大事な事柄かもしれません。
 幾つもの意味が重なって故の希望の曙光でもあるわけであります。



 帰り道、寒風に吹かれて夜空を見あげている。と、南東の空にオリオン座が輝いていました。そこに被るは翼端灯と機内の光を瞬かせる一機の旅客機。
 なにとはなしに、「いいなぁ」と感慨を覚えました。憧れ、渇望、歓喜へ至る苦悩、様々に湧きあがる想いの数々。
 死ぬときは独りぼっち:孤独死というのではなく。誰かのぬくもりにくるまれて死にたいのじゃ。リヴィング・プルーフ……おお、俺は生きている。

 あの人に、こんな歌詞を捧げます。
 Tell me,in a world without pity
 Do you think what I'm askin's too much
 I just want something to hold on me
 And a little of that Human Touch
 Just a little of that Human Touch
    冷たいこの世の中で
    俺の望みは高すぎるのか
    俺が望むのはただしがみつくことができるもの
    わずかばかりの人間のぬくもり
    そう、わずかでいい、人間のぬくもりが欲しい
       (B.SPRINGSTEEN:「Human Touch」より。訳は三浦久による)

 本日で聖書読書ノート「列王記下」を終わります。◆

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第0433日目 〈列王記下第25章1/2:〈エルサレムの陥落〉〉 [列王記・下]

 列王記下第25章1/2です。

 王下25:1-21〈エルサレムの陥落〉
 ユダの王都エルサレムは、バビロンによる2度に渡る占領の後、陥落した。それに伴い(南王国)ユダも滅亡した。紀元前587(586とも)年7月7日のことである。

 次第はこうである。まず、時のユダ王ゼデキヤがバビロンの捕囚となった。ゼデキヤ王第9年10の月の10日にエルサレムが包囲されたのがきっかけで、捕囚となったのである。
 バビロン王ネブカドネツァル自らの指揮する軍によってエルサレム包囲、兵糧攻めは続き、翌々年(ゼデキヤ王第11年)飢饉が深刻化した王都から脱出する人が続出した。そのなかにゼデキヤ王の姿もあった。
 バビロンと連携するカルデア軍がこれを追跡、エリコの荒れ野にて王を捕らえ、ネブカドネツァルの前に引き出した。ネブカドネツァルはゼデキヤの目の前で彼の王子を殺し、彼の両眼を潰した。斯くして、まず、時のユダ王ゼデキヤがバビロンの捕囚となった。
 王を失ったエルサレムへ、バビロン王の名代として親衛隊長ネブザルアダンが入った。彼は主の神殿を徹底的に破壊し、祭儀に用いる道具も同じようにした。イスラエルの神、主への信仰を民の間から根絶するためである。また彼は神殿と王宮、エルサレムにある建物家屋を焼き払った。一方でカルデア軍も、王都の周囲にめぐらされていた城壁をことごとく破壊した。
 まだ残っていたエルサレムの住民、王の側近や家臣らは捕らえられ、皆バビロンへ捕囚として連行された。
 事実上、エルサレムは廃都となった。
 これが名高き“バビロン捕囚”である。

 ついに王都エルサレムはバビロンの前に陥落し、ユダは滅びた。
 “ダビデの家”の血は、歴史の表舞台からしばらくの間姿を隠す。

 さんさんかから特に申し上げることはありません。とくと読み以て瞑すべし。歴史のなかに砂塵が荒れ狂う様が想像できます。



 「偶然」と「宿命」によって失われた人々に再び出逢わせてほしい。
 <華麗なる仮面>なんて、いらない。◆

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第0432日目 〈列王記下第24章:〈ユダの王ヨヤキム〉2/2、〈ユダの王ヨヤキン〉&〈ユダの王ゼデキヤ〉〉 [列王記・下]

 列王記下第24章です。

 王下24:1-7〈ユダの王ヨヤキム〉2/2
 ヨヤキムの御代、バビロンがユダを攻めた。時のバビロン王はネブカドネツァル。主はユダを滅ぼすためにバビロン軍の、カルデア人・アラム人・モアブ人・アンモン人の部隊を差し向けた。
 また、この頃既に、バビロンはエジプト領としてあったエジプトの川からユーフラテス川に至る地域を占領していた。為、ファラオは再びユダを攻めることはおろか、自分の領外へは一歩も出ることができなかった。
 「ユダが主の御前から退けられることは、まさに主の御命令によるが、それはマナセの罪のため、彼の行ったすべての事のためであり、またマナセが罪のない者の血を流し、エルサレムを罪のない者の血で満たしたためである。主はこれを赦そうとはされなかった。」(王下24:3-4 ex:王下21:2-16、殊に21:14-16)
 ヨヤキム王の事績、行ったすべてのことは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御して埋葬されて後は、その子ヨヤキンが次王となった。

 王下24:8-17〈ユダの王ヨヤキン〉
 ヨヤキムに代わってその子ヨヤキンが新しいユダ王となった。18才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて3ヶ月続いた。母はエルサレム出身エルナタンの娘ネフシュタ。
 彼も父王同様、主の目に悪と映ることをことごとく行った。
 このヨヤキン王の御代、バビロンの武将たちがエルサレムへ向かって攻め上り、包囲した。遅れて彼らの王ネブカドネツァルも到着した。
 ヨヤキンは母や家臣らと共に、バビロン王に謁見するため出て行ったが、もう王都へ戻ることがなかった。彼らはそのまま、エルサレムの全住民とすべての兵士と一緒に捕囚となり、バビロンへ連行された。
 バビロン王はヨヤキンに代わってそのおじ、マタンヤを(ゼデキヤと名を改めさせた上で)ユダの王に据えた。

 王下24:18-20〈ユダの王ゼデキヤ〉
 ヨヤキンに代わってそのおじ、マタンヤがゼデキヤと名を改めさせられて即位した。21歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて11年続いた。母はヨアハズ元王と同じく、リブナ出身イルメヤの娘ハムタル。
 彼も主の目に悪と映ることをことごとく行った。
 「エルサレムとユダは主の怒りによってこのような事態になり、ついにその御前から捨て去られることになった。ゼデキヤはバビロンの王に反旗を翻した。」(王下24:20)

 表現はとても簡素ですが、ユダ滅亡を真に決意した主の描写は、かつての北王国イスラエル滅亡のときよりも激しく、生々しい。そんな風に思えます。
 これもユダ王の系譜が即ち僕ダビデの家の血筋だからでしょうか? ダビデの家=歴代のユダ王とは、一種の“万世一系”なのであります。



 家族を守って死んだ父の分も生き直すと決めて臨む新しい人生。
 でもせめて、生きていてくれたら、と思うこともしばしば。  お父さん、逢いたいよ。◆

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第0431日目 〈列王記下第23章:〈ユダの王ヨアハズ〉、〈ユダの王ヨヤキム〉1/2with想い、恋い焦がれて。〉 [列王記・下]

 列王記下第23章です。

 王下23:31-35〈ユダの王ヨアハズ〉
 ヨシヤ王が崩御するとその子ヨアハズが、ユダの王位に就いた。23才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて3ヶ月続いた。母はリブナ出身イルメヤの娘ハムタル。
 彼は善行に努めた父王と異なり、また歴代のユダ王の多くと同様、主の目に悪と映ることをことごとく行った。
 前ユダ王ヨシヤをメギトで倒したエジプトのファラオ、ネコ2世。ファラオはハマトの地リブラ(※1)に幽閉、エジプトへ連行されてその地で客死した。
 空位になったユダの王位には、ヨシヤ元王のもう一人の息子エルヤキムが就いた。エルヤキムはファラオの肝煎りで王位に就き、名前をヨヤキムと改めさせられた(※2)。ファラオは、新王を戴いた王国に銀を要求したが、それはユダにとって、民に新たな税を課さねば賄えない程の額であった。

 王下23:36-37〈ユダの王ヨヤキム〉1/2
 ヨアハズの幽閉・連行後、新王としてエルヤキム改めヨヤキムが即位した。25才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて11年続いた。母はルマ出身ペダヤの娘ゼブダ。
 彼は主の目に悪と映ることをことごとく行った。

 ※1「ハマトの地リブラ」→現在のシリア・アラブ共和国とレバノン共和国の国境付近。シリア国ヒムシュ(ホムス)南方約34キロの位置にある、オロンテス川河畔のリブレ市一帯。
 ※2「エルヤキムはファラオの肝煎りで王位に就き」云々→空位になったユダを滅亡に追いこむチャンスだったのに、エジプトはなぜ新王を立てたりしたのだろう? いろいろあるように思うのですが、諸書の解説を読んでみてもいまひとつ納得がいきません。また、素通りしている本もある。
 もしかすると、敢えて触れる必要のない程「言わずもがな」な点なのでしょうか? わたくしは門外漢ゆえにどうでも構わないことに拘泥しすぎる傾向がある、と専門家・信者の方々からは石を投げられそうです。まぁ、いいでしょう。



 ドストエフスキーの処女作『貧しき人々』(新潮文庫)がこの3日間、まったく読めない。肉体と神経を酷使すると、意欲はあっても食指が動かなくなることがあるようだ。
 聖書を除けば読んでいるのは、寝しなにページを開くエリック・ホッファー『波止場日記』(みすず書房)ぐらいである。赤川次郎さえも滞っているし、これは生活のリズムを立て直すまでに相当時間がかかるかも知れない。
 それでも俺は、おぐゆーさんからの返事を待つ。彼女のためなら、仕事終わりの疲れた体を引きずって世界の果てまで行ってもいい。
 現在は帰宅してブログ更新後、『CSI:科学捜査班』と『CSI:マイアミ』、ときどき放ったらかして観るモノクロ映画や舞台が楽しみ。そして、小倉さんを想う。恋い焦がれるのだ。◆

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第0430日目 〈列王記下第23章:〈ユダの王ヨシヤ〉2/2〉 [列王記・下]

 列王記下第23章です。

 王下23:1-30〈ユダの王ヨシヤ〉2/2
 発見された律法の書を読みあげるため、ヨシヤ王は、ユダとエルサレムのすべての人々を職業や貴賎に関わりなく呼び集め、共に主の神殿へあがった。
 「(王は)すべての民と共に主の神殿に上り、主の神殿で見つかった契約の書のすべての言葉を彼らに読み聞かせた。それから王は柱の傍らに立って、主の御前で契約を結び、主に従って歩み、心を尽くし、魂を尽くして主の戒めと掟を守り、この書に記されているこの契約の言葉を実行することを誓った。民も皆、この契約に加わった。」(王下23:2-3)

 ━━契約の書(律法の書)の言葉を実行すると誓った王は、まず主の神殿内にあって、そこにあるのがそぐわないもの、主への信仰に背く物を徹底的に排除した。
 ユダの町々、エルサレム周辺の聖なる高台を汚し、その祭司たちを一掃した。かつてソロモン王が異神のために築いた聖なる高台━━エルサレムの東、滅びの山の南に築いた聖なる高台(王上11:7)も汚した。
 また、旧北王国領━━いまや〈サマリア州〉というべきか━━のベテルに進み、そこにあった祭壇と、ネバトの子ヤロブアムが造った聖なる高台と祭壇(王上12:31)を破壊した。
 そのときである、振り向いたヨシアの目に、山上の墓が見えた。そこの骨を祭壇の上で焼いて祭壇を汚した。「かつて神の人がこのことを告げたが、その神の人の告げた主の言葉のとおりになった。」(王下23:16)(※1)
 ヨシヤ王は旧北王国領を更に進み、サマリアの町々にある聖なる高台を汚し、祭司たちを皆殺しにした。
 これらのことが終わると、王は民を集めて、契約の書に記されているような過越祭(※2)を催し、共に祝った。
 「士師たちがイスラエルを治めていた時代からこの方、イスラエルの王、ユダの王の時代を通じて、このような過越祭が祝われることはなかった。ヨシヤ王治世第十八年に、エルサレムでこの主の過越祭が祝われた。」(王下23:22-23)

 「こうして彼は祭司ヒルキヤが主の神殿で見つけた契約の書の言葉を実行した。彼のようにまったくモーセの律法に従って、心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして主に立ち帰った王は、彼の前にはなかった。彼の後にも、彼のような王が立つことはなかった。
 しかし、マナセの引き起こした主のすべての憤りのために、主はユダに向かって燃え上がった激しい怒りの炎を収めようとなさらなかった。主は言われた。『わたしはイスラエルを退けたようにユダもわたしの前から退け、わたしが選んだこの都エルサレムも、わたしの名を置くと言ったこの神殿もわたしは忌み嫌う。』」(王下23:24-27)

 さて。このヨシヤ王の御代は、エジプト軍との一戦に王が倒れたことで幕を閉じた。
 エジプトはファラオ、ネコ2世に率いられて、メディア=バビロン連合軍と戦うアッシリアの援軍として、一路北東へと進んでいたのである。その途上で、エジプトはユダと衝突した。
 決戦の舞台はメギト。この地で、エジプトとユダは剣を交えて戦った。が、その最中(さなか)、ヨシヤ王はファラオ・ネコの前に倒れて、そのまま命を落とした。ユダは戦場で君主を失った。
 王の遺体は王都エルサレムへ運ばれ、彼の墓に埋葬された。
 ヨシヤ王の事績(※3)は『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 その子ヨアハズが国の民によって選ばれ、油を注がれて、ユダの次王となった。

 ※1神の人シェマヤはイスラエル王ヤロブアム(1世)の傍らの祭壇に向かって斯く言ひき、「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる、『見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤという。彼は、お前の上で香をたく聖なる高台の祭司たちを、お前の上でいけにえとしてささげ、人の骨をお前の上で焼く。』」(王上13:2)
 ※2「過越際」→申16:1-8
 ※3「ヨシヤ王の事績」→ヨシヤ王は発見された律法の書(契約の書)の精神を遵守し、王国統一に向けて様々に改革を行いました。参考図書として山折哲雄『聖書時代史 旧約篇』(岩波現代文庫)を挙げておきます(P157-162)。これらはユダヤ捕囚の時代まで継承された、と著者は指摘しております。



 クリスマス・イヴが最後の出逢いだった。あれからあと10日で1年、いまでもおぐゆーさんが忘れられない。
 新しい変化があった今日、ただ無性に、本当に、小倉さんに逢いたい。逢って話がしたい。帰り道、木の枝にかかった月を見ながら、そう思う。それが本心。
 小倉さんを想いつづけている。いまでも。いつまでも。
 だから、返事して。◆

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第0429日目 〈列王記下第22章:〈ユダの王ヨシヤ〉1/2〉 [列王記・下]

 列王記下第22章です。

 王下22:1-20〈ユダの王ヨシヤ〉1/2
 アモン王が死ぬとマナセ元王の子ヨシヤが、ユダの王位に就いた。8才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて31年続いた。母はボツカト(※1)出身アダヤの娘エディダ。
 このヨシヤ王は曾祖父ヒゼキヤ同様、主の目に正しく善いとされることをことごとく行い、父祖ダビデの道を歩んで右にも左にもそれることなく、その信仰はブレがなく揺るがなかった。
 ヨシヤ王第18年のこと。王は書記官シャファンを主の神殿に使わした。主の神殿の入り口に置かれた箱のなかの献金を、費用として、神殿の工事に携わる個々の担当者に渡すためである(ex:王下12:10-26)。
 書記官シャファトは行って役を果たし、王にその旨報告した。その席で彼は、大祭司ヒルキヤによって神殿で発見され、自分に手渡された「律法の書」の発見を報告し、王の前で読みあげた。
 この「律法の書」(王下23では「契約の書」とも)こそ主がモーセに与えたものであり、今日では殊に「申命記」を指すといわれる。その律法の書が発見され、ヨシヤ王の前で読みあげられたのである。
 王は律法の書の言葉を聞いて衣を引き裂いた。大祭司ヒルキヤ、書記官シャファトとその子アヒカム、ミカヤの子アクボル、家臣アサヤに命じた━━女預言者フルダ(※2)の許へ行き、「わたしのため、民のため、ユダ全体のために、主の御旨を尋ねに行け。我々の先祖がこの書の言葉に耳を傾けず、我々についてそこに記されたとおりにすべてのことを行わなかったために、我々に向かって燃え上がった主の怒りは激しいからだ。」(王下22:13)
 訪問を受けた女預言者フルダは、ユダの王ヨシヤにこう伝えなさい、といった。イスラエルの神、主はこういう、━━
 「見よ、わたしはユダの王が読んだこの書のすべての言葉のとおりに、この所とその住民に災いをくだす。彼らがわたしを捨て、他の神々に香をたき、自分たちの手で造ったすべてのものによってわたしを怒らせたために、わたしの怒りはこの所に向かって燃え上がり、消えることはない。」(王下22:16-17)
 また、女預言者は王の使者たちに、こうも伝えた。王が使者の口から聞いたいまの言葉について、イスラエルの神、主はこういう、━━
 「わたしがこの所とその住民につき、それが荒れ果て呪われたものとなると言ったのを聞いて、あなたは心を痛め、主の前にへりくだり、衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしはあなたの願いを聞き入れた、と主は言われる。それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖の数に加える。あなたは安らかに息を引き取って墓に葬られるであろう。わたしがこの所にくだす災いのどれも、その目で見ることがない。」(王下22:19-20)
 ━━エルサレムの王宮に戻ると、彼らは王に、フルダを通じて告げられた主の言葉を伝えた。

 ノート本文にも組みこみましたが、主の神殿で発見され読みあげられた「律法の書」は、モーセ五書の一つ、「申命記」であろうといいます。主が、民に課した様々な約束事(契約内容)がモーセの口を通して民に語られているのが、この「申命記」だからです。
 ただここでの「申命記」は、いま我々が読むような形ではなくもっと広範な内容を含んだものであったろう、といわれています。

 ※1「ボツカト」→ヨシュア記第15章第39節でユダ族に与えられた嗣業の土地の一つ。ラキシュに続けて名が出るため、場所的にはその近郊なのでしょう。
 ※2「女預言者フルダ」→分裂王国になってから唯一の女性の預言者。この前にはミリアム(出15:20「アロンの姉である女預言者ミリアムが小太鼓を手に取ると」云々)やデボラ(士4-5 士4:4「ラピドトの妻、女預言者デボラが、士師としてイスラエルを裁くようになったのはそのころである」云々)が女預言者として登場していました。

 ああ、聖書って、無心に、かつ一心に読んでいると、面白いな。深いな。
 あの子が生きててくれて、お嫁さんになってたら、いろいろ話せたのに。



 昨日の話なんだけれど、……
 今日の昼正午40分ごろ、永く使っていた傘が壊れた。柄の箇所で、ポッキリと。
 持って持てないことはないので、そのまま差そうかと考えたが、NEWDAYSでビニール傘購入。雨降りなので傘は必須アイテム。
 壊れた傘は駅で捨てた。階段を降りるとき、壊れて捨てた傘を一瞥した。悲しかった。申し訳なかった。捨ててゴメン。まぶたに焼き付いた。永いことありがとう。
 もっと別の形でお別れしてあげればよかった。なんだかポッカリ心に穴が開いた。
 また過去が一つ消えて、また思い出が増えてしまった。さびしい。◆

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第0428日目 〈列王記下第21章:〈ユダの王マナセ〉、〈ユダの王アモン〉〉 [列王記・下]

 列王記下第21章です。

 王下21:1-18〈ユダの王マナセ〉
 ヒゼキヤ王が崩御するとその子マナセが、ユダの王位に就いた。12才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて55年続いた。母の名はヘフツィ・バ。
 父王は信仰を正しい方へ戻した。が、マナセ王は継承しなかった。彼は再び聖なる高台を設置し、バアルの祭壇を築いた。自分の子に火のなかを歩かせ、口寄せや霊媒を用いた。また、アシェラの神像を造って神殿に置いた。
 マナセ王はユダ史上、最悪の王であった。
 かつて主はダビデとソロモンに、僕モーセに与えた律法を守らない場合は嗣業の民を敵の手に渡し、その餌食とし略奪の的になるようにする、と告げた。
 いまやユダは、マナセが信仰を踏みにじったために主の怒りを招いたのである。
 が、マナセは自分の欲望と本能に忠実であった。
 「マナセは主の目に悪とされることをユダに行わせて、罪を犯させた。彼はその罪を犯したばかりでなく、罪のない者の血を非常に多く流し、その血でエルサレムを端から端まで満たした。」(王下21:16)
 マナセの事績や言動、罪はすべて『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 死んで後は自分の王宮の庭園(ウザの庭園)に埋められ、その子アモンが次王となった。

 王下21:19-26〈ユダの王アモン〉
 マナセ王が死ぬとその子アモンが、ユダの王位に就いた。22才で即位した彼の御代は、王都エルサレムにて2年続いた。母は旧北王国ガリラヤ地方ヨトバ(ナザレの北方約20キロの位置にある町)出身ハルツの娘メシュレメト。
 ユダ史上最悪の王の息子らしく、アモンも主の信仰を顧みず異端に走った。
 そこで家臣たちが謀反を起こし王宮内で彼を殺したけれど、国民は反逆者とその一党を許さず処刑した。国民は次の王にマナセの子ヨシヤを擁立し、これを新しい王とした。
 マナセの事績は『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 殺されてからはウザの庭園に埋められ、その子ヨシヤが次王となった。

 「ざまぁみろ」というが良いのか、「あはれなるべし、ユダの王よ」というが良いのか、ここまで来ると、読後感にも苦しみというか揺れが生まれます。
 ここで「おっ」と思ったのは、国民の意思決定が次王の選別に働きかけていること。諸資料を検討すれば「国の民」が非常に限定された階層を指すのは明らかでありましょうが、それでもここで(おそらくは)初めて君主の選定に国民の意思が反映するようになった旨記述あることに、ときめきに似た喜びを感じているのです。これぞ民主主義勃興の瞬間?



 館山から持ってきた海鮮を使って鍋料理。嗚呼、美味。日本に生まれて良かった。◆

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第0427日目 〈列王記下第20章:〈ヒゼキヤ王の病気〉、〈バビロンからの見舞い客〉〉 [列王記・下]

 列王記下第20章です。

 王下20:1-11〈ヒゼキヤ王の病気〉
 ヒゼキヤ王は死の病を患った。預言者イザヤから余命幾ばくもないことを知らされた王は、主に願い、泣いた。「わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前を歩み、御目にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください。」(王下20:3)
 王の許を辞した預言者が王宮の中庭を歩いていると、主の言葉がイザヤに臨んだ。彼は王の枕辺に引き返してそれを告げた。
 主はこう仰いました、とイザヤはいった、━━
 「わたしはあなたの祈りの言葉を聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやし、三日目にあなたは主の神殿に上れるだろう。わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはわたし自身のために、わが僕ダビデのために、この都を守り抜く。」(王下20:5-6)
 集めさせた干し無花果を患部に当てると、王は病から回復した。
 王は預言者に訊ねた、三日目に主の神殿に上れることを示すしるしとは、いったいなんでしょう、と。
 イザヤはヒゼキヤにいった、日時計の影が十度進むか、十度戻るかである、と。
 王は預言者に答えた、影が十度進むのは容易いこと(当たり前のこと=自然の摂理)、むしろ日時計の影を十度戻してほしい、と。
 「そこで預言者イザヤが主に祈ると、主は日時計の影、アハズの日時計に落ちた影を十度後戻りさせられた。」(王下20:11)

 【さんさんかメモ】
 我らはかつて散々目の当たりにしてきた<主の奇蹟>━━科学の時代に生きる我らにいわせれば、超常現象並みの現象ではあったが━━について、若干なりとも鈍くなっていたようです。
 創世記や出エジプト記で揮われ、民を導き、討ったあの<力>の数々に較べれば、ここで見る日時計の影を十度戻して(=時間を逆回りさせて)人間の寿命を延ばすことなぞ、笑ってしまう程小さな業でしかないでしょう。


 王下20:12-21〈バビロンからの見舞い客〉
 ユダの王が臥せっていると聞いて、バビロン王バアルダンの息子メロダク・バアルダンはユダに使節を遣わした。手紙と見舞い品を携えさせて。
 この温情にヒゼキヤ王は感謝した。そこで王宮のなか、国のなかをあまねく案内した。バビロンからの使節は帰っていった。
 イザヤは王から、王宮のなか━━宝物庫や武器庫、倉庫のなかまでバビロンの使節を案内した、と聞くと、なんと馬鹿なことを、と嘆息した。
 嗚呼、王よ、主の言葉を聞きなさい、と預言者はいった、━━
 「王宮にあるもの、あなたの先祖が今日まで蓄えてきたものが、ことごとくバビロンに運び去られ、何も残らなくなる日が来る、と主はいわれる。あなたから生まれた息子の中には、バビロン王の宮殿に連れて行かれ、宦官にされるものもある。」(王下20:17-18)
 それでも王は、自分の存命中は国は安泰で時は平穏である、と信じていた。だから、預言者からの言葉も「ありがたいものだ」、と思う程度であった。

 ヒゼキヤ王の事績、すべての行ったこと、例えば貯水池と水道を造り整備して都に水を引いたことなどは、『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子マナセが次王となった。

 【さんさんかメモ】
 使節を案内してまわった、というのは、ヒゼキヤがすっかり舞いあがって有頂天になり考えもなく案内した、と捉えがちですが、そうではないのかもしれません。
 ユダの王バビロンが同盟関係にあったら、見舞いの使節の派遣も国内の案内も当然の儀礼である、とは考えられないでしょうか。モノの本でどう解釈されているかは存じませんが、少なくともわたくしはそう解釈した者であります。
 この場面を読んでいて最初に思い浮かんだ絵は、広野をかけずり回るパタリロと必死についてゆくバンコランの姿でした……すみません、おいらは不信心者です。
 また、さらりと触れられるに留まっていますが、郊外に貯水池を造り水道を都へ引いた、というのは生命線の確保につながる工事であり、多大な労力と緻密な計画を必要とする以上、王の強大な権力なくしては実行できない、とんでもない一大事業であったことを我らは肝に銘じておくべきです。
 民の信仰をイスラエルの神、主に戻したというのに匹敵するヒゼキヤ王の業績といえましょう。




 ドストエフスキー『白夜』読了。
 こんな短い一冊を苦痛を以て巻を閉じるなんて、読み始めた当初は考えもしなかった! むくつけき怒りがむらむらと湧きあがり、はらわたがぐらぐらと煮えくり返る、そんな思いすら!
 まったく、どの面さげてそんな台詞を吐くか、ナースチェンカよっ!? 「どうかわたしをお責めにならないでください、だってわたしはあなたを裏切るような真似はなにひとつしなかったのですもの。わたしはあなたを愛しつづけると申しました。いまでもあなたを愛しております。いえ、愛しているなどというなまやさしいものではありません。ああ! あなたがたお二人を同時に愛することができたならば! ああ、もしもあなたがあの人だったならば!」(P111)
 おい、いい加減にしろ、ナースチェンカ! ━━最後の最後でツッコミどころ満載の、愛についてチョージコチューなる者!
 この見下げ果てた小説を価値あるものと為さしめる救いは、<白夜>の醸す幻想的なメランコリックな雰囲気の演出と、最後の、あはれ哀しき恋の道化を演じ給うた主人公の独白である:ex;P114L3-115L3,殊にP114L10-最終行まで。
 ドストエフスキーの翻訳されて文庫で読めるなかでは、おそらくもっとも出会う(読む)年代を選ぶ小説である、といえましょう。◆

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第0426日目 〈列王記下第19章:〈センナケリブの攻撃〉2/2〉 [列王記・下]

 列王記下第19章です。

 王下19:1-37〈センナケリブの攻撃〉2/2
 ヒゼキヤ王はアッシリアのラブ・シャケの言葉を聞くと宮廷長、書記官と祭司の長老たちに粗布を纏わせ、彼らを預言者イザヤの許へ遣わした。
 対アッシリア反撃の準備は整ったが遂行できず焦燥する(王下19:3「胎児は産道に達したが、これを生み出す力がない」)ヒゼキヤは、預言者に斯く願った。
 アッシリアの使節ラブ・シャケの言葉、その冒瀆の言葉を主も聞かれたことであろう。どうかアモツの子イザヤ、預言者イザヤよ、ユダのため主に祈ってほしい、と。
 イザヤは粗布を纏った王の使者たちに、主の言葉を告げてヒゼキヤへ伝えるよういった。主は斯くいひき、とイザヤはいう、
 アッシリアの虚言に耳を傾ける事勿れ、私はアッシリア王センナケリブのなかに霊を贈り、噂によって彼とその軍隊を撤退させ果ての地で彼を謀殺させる、と。
 その頃、アッシリアはラキシュを発ち、エジプトの進軍を阻むため旧ペリシテとの国境近くにある町リブナを攻撃中であった。エルサレムをあとにしたラブ・シャケはその地で王と合流した。
 そんな折、クシュ(現在のエチオピア)の王ティルハカが対アッシリアの軍を進めているという報せがもたらされた。
 アッシリア王センナケリブはユダへ再び使者を出し、降伏勧告をした。
 ユダ王ヒゼキヤは主の神殿へ上り、主の前で祈った。「主よ、耳を傾けて聞いてください。主よ、目を開いて御覧ください。(中略)わたしたちの神、主よ、どうか今わたしたちを彼の手から救い、地上のすべての王国が、あなただけが主なる神であることを知るに至らせてください。」(王下19:16,19)
 預言者イザヤはヒゼキヤ王に使者を遣わした。
 ━━主はセンナケリブに斯く告げ給ふ、
 わたしはもうずっと以前から計画を立てていた、お前はわたしの傀儡となってそれを実行したのだ、と。
 お前が如何に行動し、怒り、わたしは驕っているかも知っている、と。
 「わたしはお前の鼻に鉤をかけ/口にくつわをはめ/お前が来た道を通って帰ってゆくようにする。」(王下19:28)
 イザヤは続ける、今度はユダに、ヒゼキヤに。主はユダに対してしるしを示す、そして、━━
 「エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。」(王下19:31)
 「わたしはこの都を守り抜いて救う。わたし自らのために、わが僕ダビデのために。」(王下19:34)

 その晩のことである。アッシリアの陣中で185,000人の兵が討たれて倒れた。主の御使いがこれを為したのである。
 センナケリブはユダから撤退し、アッシリアの首都ニネベに戻った。自分たちの神ニスロクの神殿にて礼拝中、王は息子2人の剣にかかって死んだ。
 その後継は末子エサル・ハドン。彼は父を殺めた兄2人とその勢力を一掃した。

 昨日に続いて数日うんうん唸り呻吟したノートを、無事公開できたことを感謝します。
 本当に何十回読んだのだろう……。でも、或る時突然目の前が、ぱーっ、と開けたときの感動は、なかなか忘れられません。
 そうしたあとで胸底まで震えた文言が、引用箇所:━━
 「エルサレムから残った者が、シオンの山から難を免れた者が現れ出る。万軍の主の熱情がこれを成就される。」
 ……噛みしめる程にそのすごさがわかる一節とえいます。ぴたっ、と皮膚感覚で理解されたとき、思わず体が震え、魂がおののくと共に、抑えきれぬ興奮を覚えたっ!!
 さて、エルサレム陥落・ユダ滅亡の危機は取り敢えず去りました。単に延命しただけは雖も。
 さりながらやがて遠からぬ日に、再びユダは脅威にさらされるのです。その場面で他ならぬ自分が、崩壊の手引きをする羽目にあることを、ヒゼキヤ王は知りません。



 以前図書館でコピーして袋に詰めたままだった書評家〈狐〉こと山村修氏の刊行本未収録文を、読んでいました。
 それにつけても思うのは、これ程に腰が据わり居住まいのきちんとした書評家は、いったい未来に現れ出るのだろうか、ということ━━。
 あまりに早い、早すぎる逝去が悔やまれます……! 嗚呼。◆

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第0425日目 〈列王記下第18章2/2:〈センナケリブの攻撃〉1/2〉 [列王記・下]

 列王記下第18章2/2です。

 王下18:13-37〈センナケリブの攻撃〉1/2
 ヒゼキヤ王第14年、(南王国)ユダは大きな危機に直面した。時のアッシリア王センナケリブが大軍を率いて攻めのぼり、砦の町をことごとく占領したのである。アッシリアの脅威がユダに満ちた。
 ヒゼキヤ王はセンナケリブの要求に従い金銀を贈り、主の神殿に用いられていた金さえ貢いだ。国庫は逼迫した。
 折も折、ユダ領内ラキシュの町に滞在中のセンナケリブは、大軍と共に3人の将軍たちをエルサレムへ派遣した。即ちタルタンとラブ・サリス、そしてラブ・シャケである。
 王都近郊で彼らを迎えたユダの使節は、宮廷長エルヤキム、書記官シェブナと補佐官ヨア。
 ユダの使節に向かって、アッシリア側の代表ラブ・シャケは問うた、非力で薄情なエジプトを頼るというのか、ユダは? と。
 続けてラブ・シャケは斯くいう、
 エジプトの煽動に乗るな、奴らは諸国を蜂起させて盾代わりとし自らの安泰を守りたいだけだ。ユダはエジプトの盾となって滅びるつもりか? 奴らの力を頼らねばならぬ程なユダが、如何にして我らアッシリアと剣を交えて戦い抜くつもりなのか。
 「わたしは今、主とかかわりなくこの所を滅ぼしに来たのだろうか。主がわたしに、『この地に向かって攻め上り、これを滅ぼせ』とお命じになったのだ。」(王下18:25)

 エルヤキムらユダの使節は、どうかアラム語(※1)で話してほしい、と乞うた。我々の言葉で喋ってくれるのはうれしいが民にも聞こえてわかってしまうから、と。
 ラブ・シャケは嘲(あざわら)った。我らが来たのはユダの民のためでもあるのだぞ、と。
 ラブ・シャケはいった、汝らが主君ヒゼキヤにだまされるな、と。ヒゼキヤは主をのみ依り頼み、主がアッシリアの脅威からユダを救い出してくれるというが、それは詭弁だ。アッシリアのみがユダを滅びの道から掬いあげることができる。ユダの民よ、自ら身を滅ぼす真似はせず、いまこそ賢明なる選択をせよ、と。
 「ヒゼキヤの言うことを聞くな。彼は、主は我々を救い出してくださると言って、お前たちを惑わしているのだ。諸国の神々は、それぞれ自分の地をアッシリア王の手から救い出すことができたであろうか。」(王下18:33)
 ……それを聞いても、ユダの民はなにもいうことができなかった。アッシリアからの派遣団には沈黙を貫くよう課せられていたからである。
 ユダの使節は哀しみを表して衣を引き裂き、王宮へ戻って王の前に立ち、ラブ・シャケの言葉を伝えた。

 ※1「アラム語」→当時この一帯の公用語であった言語。降伏勧告を相手国の言語で行うのは、相手国の国民に働きかける最良の心理戦である。太平洋戦争末期には日本も経験したことでなかったか?



 今日は真珠湾奇襲の日、つまり、太平洋戦争開戦の日。
 読売新聞のコラム「編集手帳」によると、真珠湾があるのは三重県、とおバカかつ暗澹とさせられる結果があるそう。家庭もそうだが教育現場もイカレておるぞ、無学文盲を教壇に立たせるぐらいなら予備校教師を義務教育現場に全員投入しろ!
 ま、それはともかくとして。確かに今年平成21(2009)年は昭和16(1941)年から数えて68年目、節目の年ではないが、この日をないがしろにするのも如何なものか?
 NHK総合ぐらいでしょ、この日を検証する番組を放送したのは。
 テレヴィ局(製作プロダクション含む)もくだらないバラエティ番組を放送/製作する暇があったら、一つ二つの特別番組でも作って放送しろよ。この国に自己反省の気概を持った輩は消え失せたのか!? それとも視聴率とれない番組は軒並みBSやCS回しってか? 呆れ果てた詭弁である、事情はわかるが。
 それに付随して。鳩山政権は早くも末期症状を呈してきたようだ。小沢や福島・亀井に翻弄されるこの内閣は、我らが祖国を破滅に導くつもりか? 「弱い犬程よく吠える」というが、君たちは未来永劫野党がお似合いだ。いまこそ新生自民党の政権与党への返り咲きを切に願うっ!
 民主党政権をご支持された方々、いま頃は麻生前政権というよりも自民党政権がどれだけ有能な政権であったかを、しみじみと痛感されていることでしょう?◆

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第0424日目 〈列王記下第18章1/2:〈ユダの王ヒゼキヤ〉〉 [列王記・下]

 列王記下第18章1/2です。
 北王国イスラエルは既になく、いまや王位を持つ者はユダにのみ在り、その名をヒゼキヤといった。とはいえ、即位当時、まだ北には王国イスラエルはあった。

 王下18:1-12〈ユダの王ヒゼキヤ〉
 北王国イスラエルがホシェア王第3年(実際は第6年)に、南王国ユダの王に即位したのはヒゼキヤである。25歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて29年続いた。母はゼカルヤの娘アビ。
 王は主の目に正しいと映ることをことごとく行った。歴代の王たちが為さなかったこと、即ち、聖なる高台を取り除き、石柱を打ち壊しアシェラ像を切り倒したのである。また、偶像化が進んでいた、モーセの造った青銅の蛇(民21:9)━━ヒゼキヤ王の時代には“ネフシュタン”と呼ばれていた━━を打ち砕いた。
 彼はイスラエルの神、主にのみ依り頼んだのである。その信念に基づきアッシリアに屈することがなく、ペリシテ人のいるガザとその周辺を見張りの塔から砦の町まで攻撃した。
 「彼はイスラエルの神、主にのみ依り頼んだ。その後ユダのすべての王の中で彼のような王はなく、また彼の前にもなかった。彼は主を固く信頼し、主に背いて離れ去ることなく、主がモーセに授けられた戒めを守った。」(王下18:5-6)
 アッシリアの王シャルマナサル5世が北王国イスラエルを攻め、3年間包囲した後に王都サマリアを陥落させたのは、イスラエルのホシェア王第9年であったが、それは南王国ユダにとってはこのヒゼキヤ王第6年の出来事である。

 王国分裂から長い歳月が経ちました。多くの王が北と南の両王国に立ち、倒れました。様々な軋轢に揉まれながら両国は存続を続けたものの、主の目にかなう正しいことを実行できたのは、南王国ユダの王ヒゼキヤが初めてだったのです。
 このヒゼキヤの改革によって、かつての主への信仰がユダのなかによみがえりました。が、実はこの行為がアッシリアからの揺さぶりを許し、王都エルサレム陥落の危機を招く事態になるのです。それは王下18:13以降でまた語られます。



 
 初めて逢った日の気持ちを、忘れないようにしよう。◆

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第0423日目 〈列王記下第17章3/3:〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉3/3〉 [列王記・下]

 列王記下第17章3/3です。
 ここでは、イスラエル人に代わってサマリアへ入植した人々の信仰について語られます。

 王下17:24-41〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉3/3
 いまやサマリアにイスラエル人の姿はない。代わりにバビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々がいた。彼らの町は当時アッシリアの勢力下にあり、サマリアへ強制移住させられたのである。
 これらの人々はイスラエルの神、主を畏れ敬う者ではなかった。主は新しいサマリア住民のなかに獅子を放ち、何人かを殺させた。新しい民はアッシリアの王に現状を訴えた。王はレビ人の祭司を一人呼び戻し、ベテルの地に於いて新しいサマリアの民に主への信仰と礼拝を教えさせた。
 新しい民は主を畏れ敬うようになった。が、一方で自分たちの神を崇めることもやめなかった。バビロン人はストコ・ベネトの神像を、クト人はネレガルの神像を、ハマト人はアシマの神像を、アワ人はニブハズとタルタクの神像をそれぞれ作って(イスラエルが残した)聖なる祭壇に安置して、いけにえをささげた。セファルワイム人は子供を火中に投じて自分たちの神アドラメレクとアナメレクへささげた。
 「このように、これらの民は主を畏れ敬うとともに、自分たちの偶像にも仕えていた。その子も孫も今日に至るまで先祖が行ったように行っている。」(王下17:41)

 ちょっと一言。
 王下17:34-40(後掲)は別の記者が加えたとされる箇所です。確かにこの箇所、それまでの記述の流れとしてはやたらに浮いております。
 後の時代になっても、新しいサマリア住民が同じように自分たちの神を崇めている現状を憂えた時の記者が、恐らくはやりきれぬ思いで挿入した箇所なのでありましょう。こんなところに聖書の記述がかつての我が国の史書同様、後代の筆が加えられて現在わたくしたちが知る形になった編纂過程が窺えるような気がして、実に面白く感じるところなのであります。
 読んでいて何度もつっかえ、中断させられる羽目になったのは、本来そこになかった文章がほぼ問答無用で挿入されているからでありましょう。どうしても加えたかったらば、王下17:41の後に続けるべきであったでしょう。

 では、王下17:34-40の全文です。節で区切ってみました。
 「34:彼らは今日に至るまで以前からの風習に従って行い、主を畏れ敬うことなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない。
 35:主は彼らと契約を結び、こう戒められた。『他の神々を畏れ敬ってはならない。これにひれ伏すことも、仕えることも、いけにえをささげることもあってはならない。
 36:大いなる力と伸ばした腕をもってあなたたちをエジプトの地から導き上った主にのみ畏れを抱き、その前にひれ伏し、いけにえをささげよ。
 37:主があなたたちのために記された掟と法と律法と戒めを、常に実行するように努めよ。他の神々を畏れ敬ってはならない。
 38:わたしがあなたたちと結んだ契約を忘れてはならない。他の神々を畏れ敬ってはならない。
 39:あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。』
 40:しかし、彼らは聞き従わず、ただ以前からの風習に従って行うばかりであった。」



 先日『死の家の記録』を読了、現在は引き続き『白夜』を読んでいる。
 学生時代ロシア文学のゼミで読まされた一作、どうにも好きになれぬ作品でいまも変わらずだが、読むと決めたので暇を見つけてページを繰っている。
 砂を噛むような思い……位置や価値は評価できても、好きになれぬ小説は、この世に幾らでもある。『白夜』も例外では、ない。あと半分か。……嗚呼!◆

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第0422日目 〈列王記下第17章2/3:〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉2/3〉 [列王記・下]

 列王記下第17章2/3です。
 ここでは、如何なる理由でイスラエルは滅びたか、が語られます。

 王下17:7-23〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉2/3
 北王国イスラエルが滅びたのは、王と民が主の言葉、主の教え、主の戒め、主の掟に背き続けたからである。
 アブラハムの子イサク、その子ヤコブを祖とするイスラエルの民がエジプトのファラオの許から脱出し、かつてカナンと呼ばれたこの地へ入った。主は先住していた異民とその風習を追い払い、自分以外の神を崇めたり偶像を作ったりするなどを厳しく禁じた。
 にも関わらず、王国が分裂してからは双方の王も民もたびたびその罪を犯して、主に罰せられた。
 主は何度となく預言者を通して、このようなことを行ってはいけない、と警告してきた。すべての律法に従い、自らが定めた戒めと掟を守れ、と口を酸っぱくして言い続けてきた。
 が、それが顧みられることはなかった。
 「主はついにその僕であるすべての預言者を通してお告げになっていたとおり、イスラエルを御前から退けられた。イスラエルはその土地からアッシリアに移され、今日に至っている。」(王下17:23)

 以前、主は残酷である、と書きました。
 主は慈悲に満ちた存在である、とも。
 いまここまで辿り着いて、さんさんかは思います。
 「残酷と慈悲は紙一重」と。
 これ程戦慄させられる事実があるでしょうか?

 さて。
 次の王下18:13-37のノートがうまく仕上がらない。誇張でなしにもう40回以上読み、ノートも4回稿を改めた。
 おいら馬鹿なのかなぁ。いやいや、といってみる。
 ノートの仕上がりに納得がいかないだけなんだ、単に。なんかね、プロットが錯綜しているように感じるんだ。
 理解/読みがじゅうぶんでない? おい、あんちゃん、それを言っちゃぁ、お終えよ。
 徒事はさておき。
 ラブ・シャケの言葉はユダを動揺させるための詭弁なのか? それとも本当に主が彼にユダの殲滅を命じたのか? 後者なら、ここから始まるエルサレム陥落劇の開幕も頷ける話なのだが。
 一説にいう、ラブ・シャケは、かつて北王国イスラエルの王都サマリアからアッシリア各地に強制移住させられたイスラエル人の一人であろう、と。さんさんかはここへ加えて斯く考える、ラブ・シャケは旧北王国の者にしてレビ人であったかも、と。ならばヒゼキヤ王(の使節)にアッシリア王の言葉を伝える役を彼が担い、再三ヒゼキヤ王の失策を責め立てる根拠もわかるのだが……。
 ん、これってひょっとして問題解決?



 亡き父と自分の誕生日を併せて、家族で食事をしました。慎ましくも大切な思い出。◆

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第0421日目 〈列王記下第17章1/3:〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉1/3〉 [列王記・下]

 列王記下第17章1/3です。
 ここでは、北王国イスラエルの終焉が報告されます。

 王下17:1-6〈イスラエルの王ホシェアとサマリアの陥落〉1/3
 南王国ユダがアハズ王第12年に、北王国イスラエルの王に即位したのはホシェアである。彼の御代は王都サマリアにて9年続いた。このホシェア王は北王国イスラエル最後の王である。
 ホシェアの御代、アッシリアの王はシャルマナサル5世(在位:前727-722年)であった。これがイスラエルへ攻め上ってきた際、ホシェア王は貢ぎ物をして服従した。
 「しかし、アッシリアの王は、ホシェアが謀反を企てて、エジプトの王ソ(※1)に使節を派遣し、アッシリアの王に年ごとの貢ぎ物を納めなくなったのを知るに至り、彼を捕らえて牢につないだ。」(王下17:4)
 また、謀反の露見が引き金となって、アッシリアは再びイスラエルを攻め(※2)、3年に渡ってその王都サマリアを包囲、占領して陥落させた。時にホシェア王第9年。
 イスラエル人はアッシリアへ連行され、ヘラ、ハボル、ゴザン川(ハブル川)、メディアの町、即ち現在のイラン、イラク、シリアの北部へ強制移住させられた。
 ━━ソロモン王の家臣ネバトの子ヤロブアム1世から始まったイスラエル王の系譜はここに途絶え、北王国イスラエルは瓦解して国家としての機能を失い、消滅した。

 ※1「エジプトの王ソ」:この名のファラオは、エジプトの歴史に登場しない。前730-715年頃のエジプト王オソルコン4世とする意見がある。
 ※2「アッシリアは再びイスラエルを攻め」:この出来事があった時代のアッシリア王はサルゴン2世(前722-705)とされる。

 かつてカナンの先住民がイスラエルに駆逐されたと同様、北王国イスラエルは外敵アッシリアの前に倒れました。
 遂に主は自分の民の命運を敵にゆだねたのです。と同時に、ホシェア王も北王国の民もこれまでの背反行為の数々を猛省したことでありましょう。



 雲の上を歩いているような、はにゃーん、とした気分になった夜でした。ゴールが見え、スタートが近づいた。
 斯く報告したと雖も、それが色めいた話なわけでは、もちろん、ありません。わかるでしょ? 
 もっと人生の根本に関わるお話です。◆

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第0420日目 〈列王記下第16章:〈ユダの王アハズ〉〉 [列王記・下]

 列王記下第16章です。

 王下16:1-20〈ユダの王アハズ〉
 北王国イスラエルがペカ王第17年に、南王国ユダの王に即位したのはアハズである。20歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて16年続いた。
 彼は父祖ダビデの道を歩まず、主の道に背き、「主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の忌むべき慣習に倣って、自分の子に火の中を通らせることさえした。」(王下16:3)
 このアハズ王の時代、レツィン王率いるアラムの軍とペカ王率いるイスラエルの軍がエルサレムを包囲した。そこでアハズはアッシリアの王ティグラト・ピレセル3世の助力を仰がんとして貢ぎ、特にアラムの王都ダマスコを陥落させレツィン王を討たせる結果をもたらした。
 南王国ユダのアハズ王はアッシリアに貢ぎ、その風習に染まり、それを範としてエルサレムにある主の祭壇と神殿を改修し、献げ物をささげるようになった。イスラエルの風習をアッシリアの色に染め変えた王は、主を顧みようとしなかった(王下16:8-18)。
 アハズの事績は『ユダ王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはそれでも“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子ヒゼキヤが次王となった。

 主を忘れ、アッシリアの習慣に従って献げ物をささげるユダ王アハズ。彼はアッシリアの懐に入りました。
 モーセ-ヨシュアの指導により“乳と蜜の流れる地”カナン入植を艱難辛苦の末に果たし、その後士師の時代を経てサウル-ダビデ-ソロモン諸王によって運営・統治されてきたイスラエル。ソロモン王の次の世代で分断したと雖も主の計らいによって周辺諸国の恐怖から逃れ続けて存続し得ていた北王国イスラエルと南王国ユダ。
 北王国イスラエルの王都サマリアが次章でアッシリアの手によって陥落し、やがてバビロンによって南王国ユダの王都エルサレムが陥落するわけですが、崩壊へ至るシナリオを起草し、実質的に幕を落とす役を担ったのは、この南王国ユダの王アハズであった、というてよいと思います。



 あいにくの雨模様な本日(昨日ですか)、12月03日(木)。某旅行社主催の日帰りバス旅行に参加してきました。
 行く先不明の「ミステリーツアー」。<海鮮つめ放題>を謳っていたため━━諸々のキーワードを根拠に━━行く先は静岡、駿河湾と予想。強く確信していたのですが、……いやぁ、(やっぱり?)外れました。バスは首都高速に乗って横羽線を一路東へ、アクアラインを使って房総半島へ!
 富津にあるソムリエの里で酒まんじゅうと限定日本酒を堪能し、金谷港の土産屋併設の食堂にて海の幸たっぷりの昼食を味わいました。
 そのあとはツアーの目玉、海鮮つめ放題の漁港へ篠突く雨のなかをひた走り。場所は館山。ビニール手袋片手にはめて、渡された発泡スチロールへ目の前に横たわる海産物を、詰めるだけ詰める!
 これがやってみると実に快感、如何に多くの種類と数を隙間なく、かつ蓋ができるよう(匂いが洩れたり腐る原因にもなるからね)詰めこむか。ひたすらチャレンジ、脳内テトリスの要領でひたすら詰めこむ。ホタテやアンコウ、シシャモ、イカ、アジの開き、他にもいろいろ詰めてきましたよ~。
 そして、充実感さえ覚えつつ、その場でふるまわれたタラの粗汁を何杯もお代わりし(10杯まではおかわり自由。10杯って……)、特別にふるまわれれた鮭のちゃんちゃん焼きも賞味して後は時間まで、煙る内湾をじっと見つめおり。参加していた夫婦の写真を撮ってあげたり、カラのお椀に顔を突っこむ猫にお詫びして、挙げ句の果てに風に転がるお椀を追いかけ一人港をダッシュ。そんな光景も散りばめられた館山での午後。
 漁協のみなさんにお別れを告げ、海上自衛隊の訓練ヘリコプターを窓の外に見、館山を後ろにしてバスは半島を東、内陸へ、山のなかを移動していった。その先にあるのは最後の目的地、即ち東京ドイツ村だった! ここかぁ、東京……ドイツ村……とうきょう。焼きたてのクロワッサンは美味。ギャル曽根が食したぐるぐるソーセージは、大して大きくない。雨はやまない、降り続ける。予定より早く到着した我らのために、園内のイルミネーションは早くから灯された。
 午後4時を過ぎて日が落ちると周囲は一気に闇夜、イルミネーションが美しさを主張を始める刻。木道を散策しながら眺める、左右に装飾された光の謝肉祭。フラミンゴやらアヒルやらが電飾で着飾り、青と白の小山の頂に鎮座坐すシロクマとペンギンの親子をカメラに収め、斜面いっぱいに施されたブルーの滝に思わず見惚れ、いつの間にやら増殖した観光バスの一台に乗りこみ、帰路へ就く。
 斯くして我らは闇が垂れこめた房総を抜け、館山道からアクアラインへ入り、行きとは違って海ほたるを素通りして故郷へ帰る━━。かつて最高の仲間に恵まれた職場がある<島>を左手に見、激しくなった雨のなかをお土産と海産物の詰まった箱を抱えて、午後6時半頃には帰宅できた。
 運転手さんと添乗員さん、同行のみなさま、良い旅をありがとうございました。
 明日からしばらく海鮮鍋と海鮮料理を食卓へ並べる、嗚呼、至高の日々よ……。らっき~らきらき~!。
 それにしても、この旅行会社を使うと概ね雨が降る。二年続けて航空自衛隊の基地祭(航空ショー)とか。なんでだぁ?
 あ、村上春樹の『羊男のクリスマス』(講談社文庫)は、ほんのちょっとしか読めませんでした。えへ。◆

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第0419日目 〈列王記下第15章:〈ユダの王アザルヤ〉、〈イスラエルの王ゼカルヤ〉他withそのとき安堵したのは、なぜだったのか?〉 [列王記・下]

 列王記下第15章です。

 王下15:1-7〈ユダの王アザルヤ〉
 北王国ユダがヤロブアム2世王第27年に、南王国ユダの王に即位したのはアザルヤである。アザルヤは「ウジヤ」という別称を持つ。16歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて52年続いた。母はエルサレム出身のエゴルヤ。
 彼は主の目に正しいと映ることをことごとく行ったが、聖なる高台は取り除かなかった。
 そこで主は王を打った。王は重い皮膚病にかかり、死ぬまで隔離された。王の代行を務めたのは王子ヨタムである。
 アザルヤの事績、行ったすべてのことは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子ヨタムが次王となった。

 王下15:8-12〈イスラエルの王ゼカルヤ〉
 南王国ユダがアザルヤ王第38年に、北王国イスラエルの王に即位したのはゼカルヤである。その御代は王都サマリアにて6ヶ月続いた。
 彼は主の目に悪とされることをことごとく行い、ネバトの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
 家臣シャルムの謀反により王は死に、イエフの血筋はここに途絶えた。イエフ王朝の終焉である。主がかつてイエフに告げた如くとなった(王下10:30)。
 ゼカルヤの事績は『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 王下15:13-16〈イスラエルの王シャルム〉
 南王国ユダがアザルヤ王第39年に、北王国イスラエルの王に即位したのはシャルムである。その御代は王都サマリアにて1ヶ月続いた。
 ガド人メナヘムが旧王都、エフライム山中のティルツァから軍勢を進め、現王都サマリアを攻めた。彼らの手にかかってシャルム王は打ち殺された。メナヘムが新しい王となった。
 メナヘムはティフサ(※1)をも攻め、これを落とした。

 王下15:17-22〈イスラエルの王メナヘム〉
 南王国ユダがアザルヤ王第39年に、北王国イスラエルの王に即位したのはメナヘムである。御代は王都サマリアにて10年続いた。
 彼も主の目に悪と映ることを行い、ネバトの子ヤロブアムの罪を犯し続けた。
 このメナヘム王の時代、アッシリアの王ティグラト・ピレセル3世(別に「プル」とも称される)がイスラエルを攻めた。メナヘムは、全イスラエルの有力者から銀50シェケルずつ徴収し、総額10,000キカルををアッシリア王へ貢いだ。アッシリアの力で以てイスラエルの国力を強化させる狙いだった(※2)。アッシリア軍はイスラエルから撤退した。
 メナヘムの事績は『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては埋葬され、その子ペカフヤが次王となった。

 王下15:23-26〈イスラエルの王ペカフヤ〉
 南王国ユダがアザルヤ王第50年に、北王国イスラエルの王に即位したのはペカフヤである。御代は王都サマリアにて2年続いた。
 彼も主の目に悪と映ることを行い、ネバトの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
 在位の終盤、家臣のペカが謀反を起こした。ペカはギレアド人らと組み、王宮内にて王を謀殺した。ペカが新しい王となった。
 ペカフヤの事績、行ったすべてのことは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 王下15:27-31〈イスラエルの王ペカ〉
 南王国ユダがアザルヤ王第52年に、北王国イスラエルの王に即位したのはペカである。御代は王都サマリアにて20年続いた。
 彼も主の目に悪と映ることを行い、ネバトの子ヤロブアムの罪から離れなかった。
 このペカ王の時代、再びアッシリアの王プル、即ちティグラト・ピレセル3世がイスラエルを攻め、北王国の北方、ほぼ全領土を占領した。住民は捕囚となり、アッシリアへ連行されていった(※3)。
 家臣エラの子ホシェアが王への謀反を企てた。彼はペカ王を殺め、新王に就いた。これは、南王国ユダではウジヤ王第20年の出来事であった。
 ペカの事績は『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 王下15:32-38〈ユダの王ヨタム〉
 北王国イスラエルがペカ王第2年に、南王国ユダの王に即位したのはヨタムである。25歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて16年続いた。父はアザルヤ(ウジヤ)王、母はツァドクの娘エルシャ。
 彼は主の目に正しいと映ることをことごとく行ったが、聖なる高台は取り除かなかった。王は主の神殿の上の門を建てた(※4)。
 また、主はこのヨタム王の時代、イスラエル王ペカとアラム王レツィンをユダに差し向け、攻めさせたのである。
 ヨタム王の事績、行ったことは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子アハズが次王となった。

 単純な記述が長々と続いた第15章、ここまでお読みいただきありがとうございました。
 それでは、補注です。ごめんなさい、これも、まぁちょっとだけ、長いです。
 ※1「ティフサ」→旧王都ティルツァと現王都サマリアの間にある町で、ティルツァの西約14キロに位置。ガト人メナヘムはエフライム山中の旧王都を発つと、まずこのティフサを落とした。ここで侵攻の足がかりを摑んで、王都サマリアへ攻め上ったのです。
 ※2「イスラエルの国力を強化」云々→北王国の王メナヘムに限らずイスラエル周辺諸国の王位簒奪者はアッシリアを後ろ盾に利用した、と岩波Ⅵ『列王記』脚注は指摘します(P224-5)。大なり小なりいまの世の中でもありますよね、国の内外を問わず。
 ※3「住民は捕囚となり、アッシリアへ連行されていった」→記述と併せて地図で確認すると、アッシリアの占領地域は非常に広大であることがわかります。「アッシリアの王ティグラト・ピレセルが攻めて来て、イヨン、アベル・ベト・マアカ、ヤノア、ケデシュ、ハツォル、ギレアド、ガリラヤ、およびナフタリの全地方を占領し」(王下15:29)たアッシリアはそこの住民を捕虜として連行、アッシリアの諸地域に分散させて、<主の民>という共同体意識を剥奪したのでした。
 ※4「主の神殿の上の門を建てた」→上の門がなにを指すのか、よくわかりません。



 先日『爆笑問題のニッポンの教養』を観ていて、長年の疑問が解決しました。太田が再た、20年以上もわだかまっていた疑問に解決の光を当ててくれた。
 婚約者が死んだあと胸のなかに生まれ、感じた安堵はいったいなんであったのか?
 否、と番組を観て納得がいった。
 ……不安が取り除かれただけなのだ。病に倒れ、病室で辛うじて息をしていた彼女、心臓は脈打ち脳もまだ活動している。が、いつそれに終止符が打たれるかは(その時点では)神のみぞ知る未来。わたくしはまだ訪れぬ未来に不安を抱き、恐怖していたのだった。
 やがてあの朝、彼女は逝った。静かに逝った。逝ってしまった、という悲しみが胸にあふれた。もう彼女が生きて目を開けることはなく、我らの未来は永劫に封印された。
 が、それは一方で、もう終わった……もう彼女がいつ死ぬか知れないという恐れから、不安から━━誰しもが解放された、むろんわたくしも。一寸先もわからぬ、闇のなかの未来(すぐあとには現実となりこの瞬間となる未来)はわたくしたちの前に突きつけられて、終わった。彼女はこの世にない。
 怯えや不安から離別したゆえの安堵だった、と20年以上をかけてようやく納得できた。◆

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第0418日目 〈列王記下第14章:〈ユダの王アマツヤ〉、〈アマツヤとヨアシュの戦い〉他〉 [列王記・下]

 列王記下第14章です。

 王下14:1-7〈ユダの王アマツヤ〉
 北王国イスラエルがヨアシュ王第2年に、南王国ユダの王に即位したのはアマツヤである。25歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて29年続いた。母はエルサレム出身のヨアダン。
 彼は(父祖ダビデ程ではないが)主の目に正しく映ることをした。が、聖なる高台は取り除かなかった。
 アマツヤは父ヨアシュ前王を謀殺した2人の家臣を打ち殺した。しかし、『モーセの律法の書』(※1)に従い、その子供たちの命までは奪わなかった。律法の書に於いて、主はこう定める、━━
 「父はこのゆえに定められず、子は父のゆえに定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。」(王下14:6)
 また、アマツヤ王は10,000人のエドム人を塩の谷で討ち、その町セラを攻め落としてヨクエテルと改名させた。今日に至るまでそれは同じだ。

 王下14:8-22〈アマツヤとヨアシュの戦い〉
 南王国ユダの王アマツヤはエドムを破った余勢を駆って、北王国イスラエルの王ヨアシュへ戦いを挑んだ。イスラエルはこれを諫めたが効果はなく、結局、ユダの領内ベト・シェメシュで剣を交えることとなった。
 戦果はイスラエルの勝利、ユダの惨敗に終わり、ユダ王アマツヤは捕らえられた。エルサレムに北王国の軍勢が入城した。エルサレムの城壁はエフライムの門から角の門まで400アンマ(約180メートル)に渡って破壊され、エルサレムに貯えられていた金や銀、祭具が人質と共にサマリアへ運ばれた。
 捕虜となって王都へ帰還したアマツヤに対して謀反が企てられた(※2)。王は逃亡先のラキシュで殺され、遺体はエルサレムに運ばれた。
 遺体は“ダビデの町”シオンへ埋葬され、民はその子アザルヤを次王に選んだ。
 アマツヤの事績は『ユダの王の歴代誌』に記されている。

 王下14:23-29〈イスラエルの王ヤロブアム2世〉
 南王国ユダがアマツヤ王第15年に、北王国イスラエルの王に即位したのはヤロブアムである。ここでは特に“2世”と断る。御代は王都サマリアにて41年続いた。
 彼も主の目に悪と映ることを行い、ネバトの子ヤロブアム(1世)の罪から離れなかった。
 が、ヤロブアム2世の時代、主は預言者ヨナ(アミタイの子)を通して、いまは失われたイスラエル領、即ちレボ・ハマトからアラバの海までの地域(※3)の回復を告げ、その通りとなった。
 「つながれている者も解き放たれている者もいなかった。しかし、主はイスラエルの名を天の下から消し去ろうとは言われず、ヨアシュの子ヤロブアムによって彼らを救われたのである。」(王下14:26-27)
 またヤロブアム2世の時代、イスラエルはユダに支配されていたダマスコとハマトを取り戻した。
 ヤロブアム2世の事績と功績、行ったすべてのことは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子ゼカルヤが次王となった。

 ※1『モーセの律法の書』:創世記から申命記までの<モーセ五書>、即ち「律法」である。件の文言は申24:16にある。
 ※2「謀反が企てられた」:捕虜となって王都へ帰還した王アマツヤ。それを見た家臣や民はどう思ったろうか。主君の首をすげ替える方向へ傾くのは是非ないことだろう。となれば謀反の動機は明らかである。その私見に基づき、ノートを作成した。
 岩波6『列王記』当該脚注で「動機も明らかではない」とするが、あまりに貧弱かつ消極的な意見だ。歴史書の空隙を埋めるための想像力が枯渇していれば、こんな意見を堂々と活字に残す愚も許されようか。
 ※3「レボ・ハマトからアラバの海までの地域」:ヨルダン川東岸一帯、即ち、王下10:32-33にてアラムによって侵略された地域を指す。レボ・ハマトはレバノン谷にある町、アラバの海は「塩の海」、現在の死海である。アモス書6:14でも触れられる箇所。



 来年2月にアリーナ・ディ・ヴェローナが来日、伝家の宝刀ヴェルディ《アイーダ》を上演します。
 指揮はドミンゴ。外題役、エジプトの捕囚にしてエチオピア王妃アイーダを歌うはダニエラ・デッシー、ライヴァルのエジプト王妃アムネリスにロッサーナ・リナルディ。そしてラダメスに扮して朗々とアリア「清きアイーダ」を聴かせてくれるのは、おお、ファビオ・アルミリアート!
 う~、た、楽しみだあっ。前日にはドミンゴのオペラ・ガラもあるしねぇ~。
 なんとかしてチケットを……。前日のガラと合わせて何万飛ぶのか━━。でも、いい。最高のスタッフとキャストで、最高のオペラを堪能するのだ、そして、夢の時間を過ごすのだ。これが一万円札数枚で我が手にできる恍惚の時間なら、そう滅多にあるものでもないのだ、これを限りと贅沢しまっせ!◆

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第0417日目 〈列王記下第13章:〈イスラエルの王ヨアハズ〉、〈エリシャの死〉他〉 [列王記・下]

 列王記下第13章です。

 王下13:1-9〈イスラエルの王ヨアハズ〉
 南王国ユダがヨアシュ王第23年に、北王国イスラエルの王に即位したのはヨアハズである。彼の御代は王都サマリアにて17年続いた。
 ヨアハズ王も民も誤った道を歩み続けた。ゆえに主はイスラエルをアラムの王ハザエルとその子ベン・ハダド(王下6:24にて王都を譲位したのと同人物か?)の手に渡していた。
 「しかし、ヨアハズが主をなだめたので、主はこれを聞き入れられた。主はイスラエルが圧迫されていること、アラムの王が彼らに圧迫を加えていることを御覧になったからである。」(王下13:4)
 その頃、主はイスラエルに一人の救い手(※1)を送った。お陰でイスラエルはアラムの支配から解放され、人々は自分たちの天幕へ帰ることができた。
 ヨアハズの事績と功績、すべての行ったことは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはサマリアに埋葬され、その子ヨアシュが次王となった。

 王下13:20-13〈イスラエルの王ヨアシュ〉
 南王国ユダがヨアシュ王第37年に、北王国イスラエルの王に即位したのはヨアシュである。彼の御代は王都サマリアにて16年続いた。
 このヨアシュも父や父祖同様、主の目に悪と映ることを行い、ネバトの子ヤロブアムの罪を犯し続けた。また彼の時代、ユダ王アマツヤとの間で戦があった(王下14:8-14)。
 ヨアシュの事績や功績、すべての行ったことは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはサマリアに埋葬され、ヤロブアム2世が次王となった。

 王下13:14-21〈エリシャの死〉
 預言者エリシャが死の病に臥せっていた時分である。
 イスラエル王ヨアシュが病床を訪れた、エリシャは王に弓を取らせ、東の窓を開けさせ、矢を射させた。エリシャはいった、━━
 「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを撃ち、滅ぼし尽くす。」(王下13:17)
 エリシャは王に再び弓を取らせ、地面に矢を射させた。王は3度射って止めた。エリシャは怒った、何度も射るべきであった、それだけ多くアラムを破れたろうから、と。
 「だが今となっては、三度しかアラムを撃ち破ることができない。」(王下13:17)
 その後エリシャは身罷り、葬られた。
 エリシャの骨に触れた死人は生き返り、自分の足で立ち、歩いた。(王下13:20-21)

 王下13:22-25〈イスラエルとアラムの戦い〉
 「アラムの王ハザエルはヨアハズの生きている間、絶えずイスラエルに圧迫を加えた。
 しかし、主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ契約のゆえに、彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、彼らを滅ぼそうとはされず、今に至るまで、御前から捨てることはなさらなかった。
 アラムの王ハザエルは死んで、その子ベン・ハダドが代わって王となった。
 ヨアハズの子ヨアシュは、父ヨアハズの手から奪い取られた町々を、ハザエルの子ベン・ハダドの手から取り返した。ヨアシュは三度彼を撃ち破り、イスラエルの町々を取り返した。」(王下13:22-25)

 ※1「主はイスラエルに一人の救い手を送った」:イスラエル・ユダ・エドム以外の国からアラムを攻めて、その勢力を削いだ者があったことを述べる。
 未詳ながら、岩波6『列王記』当該脚注では、新アッシリア王国時代のアッシリア王アダド・ニラリ3世(前811-783年)か、とする。在位期間の初期、前805-803年に行われたシリア遠征で、アラムの軍勢と衝突してその勢いを一時的ながら弱体化(=アッシリア領土の拡大)させている。また、配下のネルガル・エレシュは前796年、ベン・ハダド3世を討ってダマスコを占領、アッシリア支配下に置いている。
 そろそろ聖書の歴史はイスラエル・ユダ・エドムに留まらず、その周辺諸国へ広がり始めたことがおわかりでしょうか。これからは中高時代に世界史で習った、かすかに記憶のある固有名詞が多々出て来ることでしょう。このあたりでいっぺん、世界史の教科書やサブ・テキストを引っ張り出してホコリを払ってみるのもいいかもしれません。

 本文の訳に小さな疑問があります。
 王下13:4(引用済み)で「御覧になったからである」とありますが、「御覧になっていた」とするのが正しいと思います。「なった」はその瞬間を示し、「なっていた」は継続を示すからです。
 主がイスラエルの神であり、民を「自分の民」を称し、創世記時代のアブラハム-イサク-ヤコブとの間で結ばれた契約に常に帰ってイスラエルを延命させてきた事実がある以上、ここは「なった」という一時的な時間経過がもたらす結果ではなく「なっていた」と連続した時間軸のなかで行われた言葉にするのが正しいと思います。



 『LOST』Season5が今週最終回放送! 前回はついにジェイコブ(ヤコブだっ!)が姿を現しました。オーシャニック6と島の残存メンバーにもかかわる彼の真意は?
 なによりも、来る最終シーズンに向けてどんなラストが用意され、S6へつながるのか? 年末の一挙放送も忘れずチェック!◆

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第0416日目 〈列王記下第12章:〈ユダの王ヨアシュ〉〉 [列王記・下]

 列王記下第12章です。

 王下12:1-22〈ユダの王ヨアシュ〉
 北王国イスラエルがイエフ王第7年に、南王国ユダの王に即位したのはヨアシュである。7歳で王になった彼の御代は、王都エルサレムにて40年続いた。母はユダ南方ベエル・シェバの出身のツィブヤ。
 ヨアシュは主の目にかなう、正しいことを行った。が、聖なる高台は取り除かれた。
 この王の時代、主の神殿の修理がされた。本来なら主の神殿の祭司たちがそれぞれの民からの聖なる献金でそれは為されるはずであったが、第23年に至っても祭司たちが一向にその作業へ着手しないのに業を煮やして王は彼らを修理の監督から外したのである。
 代わりに、主の神殿の入り口に献金箱が置かれ、民からの聖なる献金はすべてそこに集められるようになった。献金が貯まると、王の書記官と大祭司が金額を確かめた。勘定が終わった献金は工事監督に渡され、修理に必要な部材の買い出しや修理従事者への賃金に充てられた。彼らは正しい人だったので、会計監査を受けることはなかった。

 ━━アラムの王ハザエルが、ガドを攻略してエルサレムへ迫ったのは、この頃である。
 ヨアシュはこれを退けんと、ヨシャファト以来父祖が聖別したすべての聖なる物、ヨアシュ自身が聖別したすべての聖なる物、主の神殿や王宮にあったすべての金(きん)をハザエルに渡した。ハザエルはエルサレムから遠ざかった。
 これに起因してであろう、多くの者がヨアシュに謀反を企て、なかでも家臣シムアトの子ヨザバドとショメルの子ヨザバトは、シラ(※1)へ下ろうとしていたヨアシュ王を、ベト・ミロ(※2)の地で討ち殺した。
 ヨアシュの事績、すべての行いは『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては“ダビデの町”シオンへ埋葬され、その子アマツヤが次王となった。

 ※1「シラ」→聖書に多くの地名頻出すと雖も「シラ」の名は他になく、岩波6『 列王記』当該脚注では、現在のシロアの古名か、とする意見を紹介(P209)。
 ※2「ベト・ミロ」→ミロは、王上9:15にエルサレムの南斜面を補強するテラスとしての名が記されている。ヨアシュはここで暗殺されたのか? これを踏まえてノート本文は、王下12:21の「下って行く」を「下ろうとしていた」意味に解釈して作成しました

 本章では、ヨアシュ王の特筆すべき事業として、神殿再建が比重を占めていたことがわかります。
 むろんこれは、前章にて徹底破壊されたバアルの神殿に代わる、真実正しい存在として機能すべき神、主のための神殿を修理・再建して、民の間に信仰を取り戻そうとしたためでありました。
 これだけなら善行で終わったでしょうが、その御代は、進軍してきたアラム王ハザエルへの対処の誤りによって幕を閉じたのでした。画竜点睛を欠く御代であった、といえるかもしれません。
 そのヨアシュを謀殺した2人は同じ名。溜め息出ちゃいますよね。



 蓮根だか御坊だかいう名前の某党議員、頭が悪いという噂は本当だろうか。
 第2位なんてないんですよ! あの業界、1位がすべてでしょう!?
 石原慎太郎都知事さまの「白痴的」批判には思わず快哉を叫んじゃったぜっ!!
 (ノート作成からweb公開までタイム・ラグがあることをご承知置きください)◆

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第0415日目 〈列王記下第11章:〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉〉 [列王記・下]

 列王記下第11章です。

 王下11:1-20〈祭司ヨヤダとアタルヤ〉
 南王国ユダの元王アハズヤはメギトで客死し、遺体はエルサレムへ運ばれた(ex:王下9:27-28)。アハズヤの母アタルヤはそれを見、王族を滅ぼそうと行動に移した。が、王子の一人ヨアシュだけは乳母と一緒にかくまわれ、6年間主の神殿に身を潜めていた。
 7年目、レビ人で祭司ヨヤダは、近衛兵で構成される百人隊の長とカリ人(クレタ人か?)を呼び、契約を結んで誓いを立てさせた。祭司は彼らにヨアシュを引き合わせて、いった、━━、
 「あなたたちがなすべきことはこれである」(王下11:5)
 汝ら、王となる者を守れ

 ヨヤダは彼らに指示を与えた。それは、
 ━━安息日が出勤日となっている者の
 1:1/3は王宮の警備に、
 2:1/3はスルの門の警備に、
 3:1/3は近衛兵の背後の門の警備に、それぞれ当たれ。
 ━━安息日が非番となっている2つのグループは、主の神殿にいる王(ヨアシュ)に侍って警護に当たれ。
 百人隊の長とカリ人はヨヤダの指示に従い、安息日を迎えた。

 主の神殿に民が集まっている。祭司ヨヤダは、民の前にヨアシュを連れて現れた。かつて命拾いし今日まで秘かにかくまわれてきた、アハズヤ前王の遺児ヨアシュを。
 ヨヤダはヨアシュに油を注ぎ、掟の書を与え、南王国ユダの王とした。
 「ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。」(王下11:17)
 民は歓喜し、「王様ばんざい!」と叫んだ。慶祝のラッパが吹き鳴らされた。
 その光景をアタルヤが目にし、謀反だ、と叫んだが、彼女は百人隊によって主の神殿から引きずり出され、王宮で殺された。「アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。」(王下11:20)
 主を信じるユダの民はバアルの残党狩りを行い、神殿を徹底破壊した。


 章の結びがバアルの駆逐であるせいもありましょうが、本章は王下10とよく似た構成を持っています。
 かつての王の一族を外様出身の者が滅ぼし、中間のエピソードを挟んで、バアルの駆逐と破壊・殺戮に至る。
 聖書では特に珍しくないことでありますが、この2章はサンプルとして挙げたいぐらい、わかりやすい構成である、と思います。



 昨日仕事帰りに買った『生きるための短歌』(岩波ジュニア新書)を読み止められない。定時制高校の生徒たちが詠んだ短歌と、その背景が活写された一冊。
 これを読んでいると自分の置かれた状況がどれだけ恵まれ、まだまだがんばっていないかを、強く実感させられます。一流企業で自分がなにをしているのかわからないまま流されて仕事をこなし、なんとなく植えこまれる組織への帰属意識を充実感とはき違えて外見のメッキ吹きつけ作業に勤しむ亡者たち(かつての自分だっ!!)に較べると、ずっと生きる意味と仕事の本質を会得してなおもがんばり続けている彼らの姿は清々しい。
 彼らにこそ、幸あれ。
 本当はこんな簡単な言葉で結ぶのも、彼らにはずっと失礼だとわかっている。でも、いまの俺にはこんな陳腐な言葉しかあげられないんだ。◆

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第0414日目 〈列王記下第10章:〈イエフの謀反〉2/2〉 [列王記・下]

 列王記下第10章です。

 王下10:1-36〈イエフの謀反〉2/2
 アハブ元王には70人の子供がおり(なんと!)、サマリアにて養育者の下で暮らしていた。
 イズレエルのイエフはサマリアの指導者たちに宛てて書いた、わたしイエフは主君ヨラムを謀って殺め、王位を簒奪した。あなた方がかつての主君を想って挙兵するなら受けて立とう、と。
 指導者たちはそれを読んで「否」を露わにし、北王国イスラエル王イエフに従うと意思表明した。斯くして続けて届けられた書状に従い、サマリアにいるアハブ元王の70人の王子の首を刎ね、イエフの許に届けたのである。それはイズレエルの町の入り口に曝された。
 イエフはアハブの家の者、アハブ側の有力者、祭司、親友すべてを討ち、親派を根絶した。
 王都サマリアを目指してイエフとその軍勢は出立した。途中レカブ人の祖と後に歌われる(エレ35:6)レカブの子ヨナダブに会い、敬いの心を示し、王都へ同道してもらった。
 サマリアに残るアハブの家の者、親派も根絶やしにされた。アハブの家の者はみな滅び、血は残らなかった。

 イエフは異神信仰の排除に着手した。そのためまず自らをバアルを崇める者に仕立て、焼き尽くすいけにえをささげるバアルのための聖会を主催する旨、イスラエルに住むすべてのバアル信者に通達した。
 「今バアルのすべての預言者、バアルに仕える者、すべての祭司をわたしのもとに呼べ。一人も欠席させてはならない。(中略)欠席する者はだれも生かしてはおかない。」(王下10:19)
 そして、信者のすべてがやってきて、バアルの神殿の隅々まで埋め尽くした。
 儀式もいよいよ佳境に至り、いけにえをささげ終わったとき、イエフは神殿の外で待機していた近衛兵と侍従たちにいった、━━
 「入って、彼らを討て。一人も外に出すな。」(王下10:25)
 バアルの信者はイスラエルの神、主に従う王の兵に討たれ、捨てられた。神殿は破壊され、今日に至るまで便所として遣われている。

 「このようにして、イエフはイスラエルからバアルを滅ぼし去った。ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れられず、ベテルとダンにある金の子牛を退けさせなかった。」(王下10:28-29)
 「このころから、主はイスラエルを衰退に向かわせられた。ハザエルがイスラエルをその領土の至るところで侵略したのである。侵略はヨルダン川の東岸にあるギレアドの全域、ガト、ルベン、マナセの地で行われ、アルノン側にあるアロエルから、ギレアドとバシャンにまで及んだ。」(王下10:32-33)

 イエフの事績と功績、すべてのことは『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。
 崩御してはサマリアに埋葬され、その子ヨアハズが北王国イスラエルの次王となった。


 イズレエルに上る途中でイエフが出会ったヨナダブ、その名は「主は寛大である」という意味を持ちます。場面としても、レカブの父祖としても、げに相応しい名であります。
 また、ここではイスラエルが本格的な斜陽の時代にさしかかったことが明言されました。即ち、遠からぬ将来にある王都サマリアの陥落(王下17:5,24)の予告もされたことを意味します。それは、アッシリアの軍勢によってなされるのでした。



 決意。来月は絶対コンコルダンスと事典を買うぞっ! サマリア陥落後の章を読んでいて、そろそろ自分用に持っていてもいいかな、と思いましてね。
 来年前半は歴史書の消化に費やされ、後半は詩編の消化に多くの時間を割くことになるでしょう。即ち、旧約聖書の中間部分に到着する、ということです。
 むむ、がんばる。

 心を離そうとしても、知らず求めてゆく……。君だけを。移りゆく季節のなかで。◆

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第0413日目 〈列王記下第9章:〈イエフの謀反〉1/2 & 劇団プロペラ『ヴェニスの商人』〉 [列王記・下]

 列王記下第9章です。

 王下9:1-37〈イエフの謀反〉1/2
 エリシャは預言者の仲間を呼び、腰に帯を締め油壺を持って、ラモト・ギレアドへ行くよう命じた。ニムシの孫、ヨシャファトの子イエフに油を注いでイスラエルの王とするためである。
 仲間(若者)はラモト・ギレアドへ下り、イエフを呼び、天幕のなかで彼の頭に油を注ぎ、主の言葉、エリシャからの言葉を伝えた。曰く、━━
 「イスラエルの神、主はこう言われる。『わたしはあなたに油を注ぎ、あなたを主の民イスラエルの王とする。あなたはあなたの主君アハブの家を撃たねばならない。こうしてわたしはイゼベルの手にかかった僕たち、預言者たちの血、すべての主の僕たちの血の復讐をする。アハブの家は全滅する。わたしは、イスラエルにおいて縛られている者も解き放たれている者も、アハブに属する男子をすべて絶ち滅ぼし、アハブの家をネバトの子ヤロブアムの家のようにし、アヒヤの子バシャの家のようにする。犬がイズレエルの所有地でイゼベルを食い、彼女を葬る者はいない。』」(王下9:6-10)
 イエフはイスラエルの新しい王となった。彼は謀反を起こした。
 その頃、アラムの王ハザエルとの戦いに傷ついたイスラエル王ヨラムがイズレエルに退き、ユダの王ヨラムが見舞いに到着していた。イエフは軍勢を引き連れ、狂ったように戦車を走らせ、イズレエルへ迫った。
 二人の王はイエフを出迎えたが、たちまち謀反だと見抜いて、逃げた。
 イエフは背後からヨラムの心臓を射抜き、かつてイズレエル人ナボトが所有していた畑へ投げ捨てさせた。

 ユダの王アハズヤはベト・ガンの道を通ってグルの坂まで逃げたがそこで傷を負い、メギドへ到着した頃に死んだ。
 遺体はエルサレムへ運ばれ、シオンに埋葬された。

 イズレエルの城塞でアハブ元王の妃イゼベルは、イエフの謀反を見ていた。彼がやって来ると、主君殺しのジムリ(ex:王上16:9-20)にイエフをなぞらえて、からかった。
 イエフは二、三人の宦官に命じて、イゼベルを窓から突き落とさせた。血は地に留まり、壁に散った。馬が死体を踏みつけ、野犬に喰われ、あとには頭蓋骨と両足、両手首だけが残っていた。


 王下9はイエフによる、主の言葉の一部実現が描かれました。
 油を注がれてイスラエルの王となったイエフ(王上19:16)は、アラムの手を逃れたイスラエル王ヨラムとユダ王アハズヤを討ち(王上19:17)、イゼベルを殺して犬に喰わせ(王上21:23)ました。
 そのあたりを読んでここへ戻ると、自ずと奥行きと明瞭な時間軸が誕生し、すべてがつながって前進している様子を、実感いただけると思います。そうすれば、イエフのその後も想像できましょう。
 なお、ナボトの畑については王上21を、ジムリについては王上16:9-20を、それぞれ直接当たってみていただきたい。ノートからどれ程ばかりのことを脱落させねばならなかったかの苦渋に、思いを馳せてもらえるとうれしいです。




 イギリス南部はウォーターミル・シアターを根拠に活動する劇団プロペラ。演出家エドワード・ホール(オペラの演出でも名を残す戦後の名演出家ピーター・ホールの御子息。女優レベッカ・ホールは異母妹)率いる、メンバー全員が男性だけで構成されるのが特徴です。専らシェイクスピアを上演する団体で名誉ある賞を幾つも受賞している、1997年創設と若いながらも演劇関係者、ファンの間では最も注目を浴びる劇団である由。
 その劇団プロペラが今年の夏に初来日(2009年7月)した際の映像を観ました。NHK教育の『芸術劇場』にて、演目は『ヴェニスの商人』。シアターガイドで来日を知って観に行きたかったのですが、どうしても出掛けられず涙を呑んだ公演がまさか地上波で放送されるとは……感謝! うう、……ようやく観ることができました。
 いままでにもシェイクスピア劇の公演には接してきました。が、どうにも野暮ったさとかったるさを拭いきれぬ場合が心のなかにその都度残った。変に歴史劇であることを意識した演出、違和感ばかりが印象的な現代風の演出、「読み替え」という意味ではどの演出にもそれなりの拠って立つ根拠というものがあったのでしょうけれど、もっと気軽に、もっと突き進んだテンポのシェイクスピアを観たかった。
 そういう点で、プロペラの『ヴェニスの商人』はとても楽しめました。ホールの演出は牢獄をモティーフにし、それを組み替えていって場面を構成して行くもの。開幕当初は確かに奇妙な感覚を覚えました。しかしながら、アップ・テンポで切り替わってゆく場面転換に飽きることはついぞなく、2つの場面を重ね合わて1つの場面を作りあげることでむしろ映画に親しんだ、あまり演劇を観ない人にもわかりやすく、視覚的にも好印象を抱きました。
 それに、映像の強みが発揮されました。というのは、役者の表情や身振りのアップが観られること。どういうことかといえば、台詞のない場面でこそちょっとした表情が心理や空気を語る手段になっている、その役者と演出家がおそらく最も神経を払ったであろう効果が画面の前にいる者には劇場にいた人よりも明瞭にわかり得る特権を享受できる、ということなのです。舞台を録画されて編集された映像で観る理由の1つになるでしょう。もっとも、その場でのみ醸成された劇場内の空気、一瞬の舞台と客席の間に流れる芳醇な関係が、映像ではこぼれ落ちてしまうのは致し方ないところ。「舞台芸術は劇場でこそ真実の姿を現す」━━まさしく、というところでありましょう。
 出演者では、特にシャイロック役のリチャード・グロージアーが良かった。情け無用のユダヤ人高利貸しを演じてこの人以上の存在が他にあろうか、と思わず胸のうちで叫んでしまいました。むろん、それもわたくしのさほど広くもないシェイクスピア観賞の範囲内で申し上げているだけなのですが。アントーニオ役のボブ・ベアレット、バッサーニオ役のジャック・タールトンの友情で結ばれたコンビ、バッサーニオの想い人ポーシャ役のケルシー・ブルックフィールドと付き人ネリッサ役のクリス・マイルズ、どの役者さんの演技もとっても新鮮で、幸せな気分になりました。折口博士の言を借りれば「目の正月をした」というところでしょうか。いつの日か再渡英を果たしたら是非にもウォーターミル・シアターを訪ねて本拠地でのシェイクスピアを観たいものだ、と夢想しておること、この際ですから白状しておきましょう。
 それにしても、やはり英国の団体によるシェイクスピアは良いですね。言葉が同じというのはやはり強みなのかなぁ……。こちらにしてみればそれが実に口惜しい点でありまして、シェイクスピアの英語、その陰影を、〈感じられない〉のは仕方ないながらも無念なのであります。
 いつの日か、劇団プロペラのシェイクスピア劇(他のでもいいのですけれど)、就中『ヘンリー6世』3部作と『ウィンザーの陽気な女房たち』を観る幸せが、わが人生に与えられますように。◆

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第0412日目 〈列王記下第8章:〈シュネムの婦人への返済〉、〈ダマスコでのエリシャの預言〉他〉 [列王記・下]

 列王記下第8章です。

 王下8:1-6〈シュネムの婦人への返済〉
 かつてその子供を生き返らせたシュネムの婦人の許を、エリシャは訪れた。これより7年間、主がこの地方を飢饉に襲わせるので他の、人間が住める土地へ移れ、と教えに来たのである。
 婦人は夫と子供と友にペリシテ人の土地に移り、そこで7年間暮らした。
 飢饉が終わった頃、エリシャの従者ゲハジがイスラエル王ヨラムに、預言者が行った大いなる業の数々について話していた。話がシュネムの奇跡に至ったまさにそのとき、件の婦人が子供を連れて王宮へやって来た。
 王は婦人の口から奇跡を聞き、当の子供を目の当たりにした。そこで王は婦人の訴え━━シュネムの家と畑の返還を聞き入れ、移住した日から今日までの畑の収穫も彼女に返すよう命じたのであった。

 王下8:7-15〈ダマスコでのエリシャの預言〉
 エリシャがアラムの王都ダマスコに滞在していたときのことである。
 アラムの王ベン・ハダドは病床にあった。エリシャが都にいると知った王は、腹心の将ハザエルに、自分の病気が治るかどうか、訊きに行かせた。
 王は回復する、とエリシャは答えた。が、やがて泣き崩れてしまった。
 理由を問うハザエルにエリシャは、それはあなたがベン・ハダドに代わってアラムの王となり、イスラエルに災いをもたらすようになるからだ、と答えた。
 「ハザエルは、『どうしてあなたは泣かれるのですか』と尋ねた。エリシャは答えた。『わたしはあなたがイスラエルの人々に災いをもたらすことを知っているからです。あなたはその砦に火を放ち、若者を剣にかけて殺し、幼子を打ちつけ、妊婦を切り裂きます』
 ハザエルは、『この僕、この犬にどうしてそんな大それたことができましょうか』といったが、エリシャは、『主があなたがアラムの王になることをわたしに示された』と答えた。」(王下8:12-13)
 ━━ハザエルはベン・ハダドのところへ戻り、王の病気は治ると預言者がいっていました、と報告した。
 その翌日、ハザエルは王を窒息死させ、代わってアラムの王となった。
 (ex:王上19:15預言者エリヤへの主の言葉)

 王下8:16-24〈ユダの王ヨラム〉
 北王国イスラエルがヨラム王第5年に、南王国ユダの王に即位したのはヨラムである。32歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて8年続いた。父ヨシャファト王との共同統治で、父の御代第18年に即位した(ex:王上22:41-51、王下1:17、王下3:1)
 ユダ王ヨラムの妻はイスラエル元王アハブの娘。それゆえにヨラムもアハブの道を歩み、主の目に悪と映ることを行った。が、ヨラムがダビデの家の者であるため、主はユダを滅ぼさなかった。
 このユダ王ヨラムの御代に、植民国エドムが反旗を翻し、自分たちの王を立てた。ヨラムは軍勢を率いて夜襲をかけ、エドムを破った。しかしエドム兵は自分たちの天幕に逃げ帰って、態勢を立て直した。斯くしてエドムはユダの統治から脱して独立したのである。この頃、リブナもユダに反旗を翻した。
 ヨラム王の事績、行ったすべてのことは、『ユダの王の歴代誌』に記されている。
 崩御しては先祖と共に“ダビデの町”シオンに埋葬され、その子アハズヤが次王となった。

 王下8:25-29〈ユダの王アハズヤ〉
 北王国イスラエルがヨラム王第12年に、南王国ユダの王に即位したのはアハズヤである。22歳で王となった彼の御代は、王都エルサレムにて1年続いた。母は、イスラエル元王オムリの孫アタルヤ。彼女はこのあと第9章で再登場する。
 ユダ王アハズヤはイスラエル王と共にアラム王ハザエルの軍と戦った。ラモト・ギレアドでイスラエル王が負傷し、イズレエルに退いた。ユダの王アハズヤはそれを見舞うため、イズレエルへ向かった。

 王下8:16-24に短い補足を。
 「エドム」は支配者不在のためユダが暫定統治、植民国化していた地でありました。
 「リブナ」は、ユダ平野に位置するレビ人の町(ヨシュ21:13)で、南王国とペリシテ領の国境からあまり遠くない場所にあります。使っている新共同訳聖書の巻末地図で確認すると、ペリシテ領エクロンのほぼ真南にあります。



 村上春樹訳すスコット・フィッツジェラルドの短編集『冬の夢』が単行本で出されました(中央公論新社)。このまま買ってしまうか、ブック・オフに出るのを根気よく待つか、思案の為所であります。
 表題作は訳者がいちばんに惚れこんだ短編で、十代のみぎりに分析まで試みた程の作物。先般出版された『若者はみな悲しい』(小川高義・訳 光文社古典新訳文庫)で初めて読んでからというもの、「村上訳ではどうなるのだろう」と、心秘かに楽しみにしていた短編なればこそ喉から手が出る一冊。
 『グレート・ギャツビー』冒頭の一節をずいぶんと上手く訳してあったのがきっかけで、ずっぽりはまりこんだ村上訳フィッツジェラルド。それゆえ遅かれ早かれレジへ持ってゆく姿は想像できるのだが、その店が果たして新刊書店なのか新古書店なのか、決めあぐねている。他にもいろいろ予定が、ねぇ……。
 ふむぅ。◆

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第0411日目 〈列王記下第7章:〈アラム軍の敗退〉2/2〉 [列王記・下]

 列王記下第7章です。

 王下7:1-20〈アラム軍の敗退〉2/2
 やがてアハズヤ王が到着した。午後のことである。エリシャは王に、明日のいま頃は物価の高騰も頭打ちとなり、正常に戻る、と教えた。それに対して王の介添えをする従者が、そんなことはあるまい、と疑を呈した。すると、エリシャはいった、━━
 「あなたは自分の目でそれを見る。だがそれを食べることはない。」(王下7:2)
 さて。サマリアの城門で4人の、重い皮膚病患者がたむろし、話しこんでいた。曰く、サマリアにいても死ぬばかりだ、なら外へ行ってアラムに投降しよう、生きるも死ぬも、ええ、ままよ。
 夕暮れの頃、彼らは城門を出て、アラムの陣営まで歩いていった。が、そこには人の姿はなく、軍馬の影も鳴き声もなく、張られた天幕が散見されるばかりだった。陣営は人気がまったく絶え、もぬけの殻と化していたのである。
 ふしぎに思いつつも彼らは残された食糧をしこたま腹に収め、飲み、金や銀、衣服を持ち出しては隠した。何度か繰り返していて、はた、と思い至った。今日は良い知らせの日だ、と。夜明けまでこんなことをしていては罰を受ける、王家の人々へ知らせよう、と。
 4人の報告にアハズヤ王は、アラムの作戦を感じ、偵察隊を出した。が、ヨルダン川のこちら側(西岸部)にアラム軍はいないのがわかった。
 本当にアラム軍がいないのだ、とわかると、人々は城門から出て来て、アラムが残していった物品の略奪を始めた。斯くしてエリシャの言葉通り、物価は下がって正常に戻ったのである。
 件の従者は、王の命令によって城門を管理していたが、物品の略奪に勇んだ民の下敷きになり、踏みつけられて、圧死した。これもエリシャの言葉通りであった。

 ━━ところで、なぜアラム軍は姿を消したのだろう? それはこういう理由(わけ)である。
 主がアラムの陣営に、戦車の音、軍馬の音、大軍の音を鳴り響かせた。
 アラムは、イスラエルがヘトやエジプトの諸王を買収して、応援を頼んだのだ、と思いこみ、勝ち目はないと判断してヨルダン川の向こう側へと逃げていった。斯様にしてアラム軍はイスラエルの前から敗走したのである。

 如何にして飢饉から解放され、アラムを退けるか? それが第7章の命題であったはずなのに、このようなあっけらかんとした解決が待っているとは……! さすが聖書、侮れません。
 なお、敗走したアラムは次章にて王位の交代がされます。



 ラジオの仕事をしている後輩がいます。彼女に、ショーロホフ『人間の運命』(角川文庫)を奨められ、買ってきました。『静かなるドン』を読んだのは、23才だったなぁ。◆

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第0410日目 〈列王記下第6章2/2:〈アラム軍の敗退〉1/2〉 [列王記・下]

 列王記下第6章2/2です。

 王下6:8-33〈アラム軍の敗退〉1/2
 アラムの王ベン・ハダドはイスラエル攻略の準備を着々と進めていた。そのため各地に陣を設けて敵を襲おうとしたが、イスラエルは預言者エリシャの警告を容れてそこを避け、警戒した。
 こんなことがたびたびあって、王は内通者があるのを疑った。家臣の一人がエリシャの存在を教えた。王が寝室で話す言葉まで神の人は知っている、と。ベン・ハダドは預言者エリシャの捕獲を命じ、部隊を差し向けた。エリシャのいるドタン(※1)の町を、捕獲隊が包囲した。
 それを見てエリシャの従者はおののいた。エリシャが主に祈って従者の目を開けさせると、彼の目には、エリシャを取り囲む火の馬と戦車が映った。
 アラムの捕獲隊がドタンを攻めた。エリシャは再び主に祈り、敵の目をくらませ、見えなくした。彼の曰く、「これはあなたたちの行く道ではない。これはあなたたちの求める町ではない。私についてきなさい。あなたたちの捜している人のところへ私が連れていってあげよう。」(王下6:19)
 彼ら捕獲隊の目が見えるようになると、そこはなんと、王都サマリアの中心であった。イスラエル王アハズヤは彼らを打ち殺そうとしたが、エリシャはそれを諫め、いまは捕虜となった彼らにじゅうぶんな食事を与えるよう指示。王は宴会を催し捕虜をもてなし、アラムへ帰した。かつて捕獲隊に属し、捕虜となった彼らは二度とイスラエルへ来なかった(※2)。

 その後、アラムの王ベン・ハダドは全軍でイスラエルを攻め、王都サマリアを包囲した。折からの飢饉に見舞われていたサマリアでは、物価が余計に高騰した。
 一人の女が、城壁の上を歩くアハズヤ王に訴えた。飢えをしのごうと、もう一人の女と互いの子供を食べようと約束しました、昨日はわたしの子、今日は彼女の子、なのに彼女は自分の子供を隠してしまったのです、と。
 王は衣を引き裂いた。民はそれを見た。
 王は叫んだ、━━
 「シャファトの子エリシャの首が今日も彼についているなら、神が幾重にもわたしを罰してくださるように。」(王下6:31)(※3)
 王はエリシャに使者を送った。それを既にエリシャは知っていた。彼は長老たちに、使者を門前払いするよう促した。あとからイスラエルの王アハズヤがやって来る、と知っていたからである。
 やがて使者が到着して、いった、━━
 「この不幸は主によって引き起こされた。もはや主に何を期待できるのか。」(王下6:33)

 ※1「ドタン」;王都サマリアの北方約14キロにある、イズレエル平野の要衝。ex:創37:17。

 ※2「二度とイスラエルへ来なかった」(原文「アラムの部隊は二度とイスラエルの地に来なかった」);何気ない短文だが背景を考えさせられる短文でもある。単に、彼らはその後のイスラエル攻略に参加しないでアラムの領内に留まったのか、エリシャ捕獲に失敗した上、捕虜となりアハズヤ王自らのもてなしを受けて帰国したことでなんらかの処罰(処刑など)が与えられたのか。
 個人的に引っかかりを感じ、そこに存在しただろう失われた物語を想像してしまう。

 ※3「シャファトの子エリシャの首が」云々;飢饉と敵の包囲をエリシャに責任転嫁している。うわべは預言者を糾弾しているが、その実、主自身に向けた王の悲痛な叫びに他ならない。
 また、王下6:33「この不幸は主によって」云々、新共同訳では使者がいったことになっているが、到着したアハズヤ王が口走った主への直接的な怒りの発露、と考える方が自然ではあるまいか?



♪Sunday Punch もうこれ以上
 ただ近くに いることさえ罪なんてね
 (中略)
 Sunday Punch キミの答え
 つらくないよ! 出逢えてホントに良かった♪
 (椎名へきる「Sunday Punch」より)
 ……おいら、だいじょうぶだよ。◆

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第0409日目 〈列王記下第6章1/2:〈エリシャの奇跡〉3/3〉 [列王記・下]

 列王記下第6章1/2です。

 王下6:1-7〈エリシャの奇跡〉3/3
 エリシャも住まうサマリアの預言者の仲間たちの住居は狭かった。
 彼らはヨルダン川のほとりで梁にするための材木を伐採しようと計画し、エリシャも作業に同道した。
 さて、伐採していると、預言者の仲間の一人が手を滑らせて、借り物の斧を川へ落としてしまった。エリシャは枝を取って、斧が落ちたあたりに放った。すると、斧が浮かんできたので、それを拾わせた。

 同じ第6章の〈アラムの敗走〉が次章(王下6:8-7:20)へまたがるため、王下6の前半は短いながら独立させた。ご了承ください。



 ささやかに仕事をして、ささやかな給料をもらい、毎日を生きる。なかなか良い人生だ。
 上を見ればきりがない。身の丈にあった生活を。斯様に豊かな生活が他にあり得ようか?

 「我らは夢と同じ糸で織られている。ささやかな一生は眠りによってその環を閉じる。」
 ~ウィリアム・シェイクスピア『テンペスト(あらし)』第4幕第1場◆

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第0408日目 〈列王記下第5章:〈エリシャの奇跡〉2/3〉 [列王記・下]

 列王記下第5章です。

 王下5:1-27〈エリシャの奇跡〉2/3
 ナアマンはアラムの軍の司令官、主君ベン・ハダドの重臣である。彼はかつて主に用いられて国を勝利に導いた。いまそのナアマンが重い皮膚病にかかってしまった。
 ナアマンの妻の侍女はイスラエル人だった。彼女はサマリアの預言者すなわちエリシャに診てもらうよう奨め、ナアマンはそれを王へ伝えた。
 アラムの王はイスラエルの王すなわちヨラムへ書状を送り、ナアマンの病の治癒に預言者の力を貸してほしい、と頼んだ。が、ヨラム王はそれに憤慨し、立腹した。ナアマンの来訪とその理由を知ったエリシャは、アラムの軍司令を自分の許へ来させた。
 エリシャの前にナアマンが立った。神の人はいった、ヨルダンの水で7回体を洗えば病は治り、身は清められる、と。
 そんなことか、とナアマンは立腹して去った。もっと神の人らしい治療がされる、と思っていたからである。体を洗えばよいのならヨルダンでなくても故国の川の水でじゅうぶんではないか、と思うていたからでもあった。
 が、従臣たちに取りなされて、ナアマンはヨルダンの流れで7回体を洗い、身を浸した。すると病は治り、身も清められたのである。
 ナアマンはエリシャの許へ戻り、謝り、お礼を述べた。エリシャはナアマンからの贈り物を一切辞退した。
 この一件を契機にナアマンは心を改め、主の僕の一人となった。但し、その立場ゆえベン・ハダドに従いて異神へ礼拝するのは許してほしい、そのナアマンの願いをエリシャは聞き入れた。
 ナアマンはサマリアを発ち、アラムへ帰っていった。

 ━━だが、話はここで終わらない。
 エリシャの従者ゲハジはナアマンの携えていた贈り物が忘れられず、あとを追った。追いつくと嘘を並べて贈り物の一部を騙し取り、サマリアへ帰ると着服した。
 が、それはエリシャの知るところであった。私の心がそのときそこになかったとでも考えているのか、と、エリシャはゲハジを詰問した。ゲハジの身に、ナアマンの重い皮膚病が呪いのように伝染(うつ)り、それは子々孫々へ至るまでの病となった。
 ゲハジは重い皮膚病で肌を雪のように白くさせ、預言者にして神の人、主人(あるじ)であるエリシャの前から去った。

 「信じる者は救われる、欺く者は呪われる」を明瞭に示した、或る意味でなかなか怖いエピソードであります。
 このように聖書には対照的で鮮烈なエピソードが語られること屡々(しばしば)なので、読んでいておもしろく考えさせられてしまうのです。



 年賀状用の小説が仕上がり、春に書いた短編の冒頭改稿を済ませ、今日から樹海が舞台の長編小説執筆を再開。グルメ・ライターと女テロリストの珍道中は続く……。
 今日(昨日ですか)図書館でアナトール・フランスの『シルヴェストル・ボナールの罪』と『新編ロシア文学案内』(共に岩波文庫)を借りました。◆

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第0407日目 〈列王記下第4章:〈エリヤの奇跡〉1/3〉 [列王記・下]

 列王記下第4章です。

 王下4:1-44〈エリシャの奇跡〉1/3
 預言者の仲間の妻、いまは未亡人の女性が困っていた。債権者が2人の子供を連れ去り奴隷にしようとしているのだ、と。
 エリシャはいった、家にある油を新しい器に注ぎ、売りに行け、と。それで負債を払いこれまで通り子供たちと生活できるから、と。
 未亡人はエリシャの言葉に従った。

 エリシャは度々所用でシュネムへ出掛けた。一人の裕福な婦人は彼にいつも食事を供していたが、エリシャが神の人であるのを知ると、年齢の離れた夫に頼んで階上に独立した部屋を設けて寝台と机と椅子と燭台を備えさせ、次からはこの部屋で食事を供するようになった。
 それに感謝し、連れのゲハジを通して件の女性に、自分にできることがあればなんなりといってほしい、といったが、いまの自分はなに不自由なく暮らしており満足である、との答えが返ってきた。改めてエリシャはゲハジに問うと、夫妻には子供がなく年齢が互いにずっと離れています、と連れの者(ゲハジ)は答えた。
 そこでエリシャは婦人に告げた、やがてあなたは懐妊し、来年の今頃は男の子を抱いている、と。婦人は訝ったが、果たしてその通りとなった。
 数年後、カルメル山のエリシャの許に、件の婦人が鞍を置いた雌ロバに乗ってやって来た。彼女はあれからのことを告白した、翌る年男児が生まれて健やかに成長したが、ある日頭痛を訴えてそのまま身罷ってしまった、わたしは息子をあの階上の部屋に置いて夫の制止を振り切りここへやって来たのである、と。彼女はエリシャにいった、━━
 「わたしがあなたに子供を求めたことがありましょうか。わたしを欺かないでくださいと申し上げたではありませんか。」(王下4:28)
 エリシャはゲハジを連れて、婦人と共にシュネムへ行った。
 寝台に横たわる男児の遺体。エリシャは部屋から2人をさがらせると、主に祈った。遺体の上に身をかがめ、口と目と手を重ねると遺体━━否、子供の体にぬくもりが戻った。家の中を歩きまわって再び身をかがめるエリシャ。すると、7回のくしゃみのあと、子供は寝台から起きあがった。そして、彼を母親に渡した。
 「彼女は近づいてエリシャの足もとに身をかがめ、地にひれ伏し、自分の子供を受け取って出て行った。」(王下4:37)

 エリシャは折しも飢饉に見舞われていたギルガルに戻った。従者に命じて預言者の仲間たちのために鍋で煮物を作らせた。が、それには野生の瓜(うり)が入っていたので、口にした人はみな一様に吐き気を訴えた。
 ならば、とエリシャはいった、麦粉を入れて食せ、と。その通りにすると、瓜に毒はなくなって食べられるようになった。
 (さんさんかより読者諸兄へ:くれぐれも真似しないように。責任は一切負いません)

 バアル・シュリシャ帰りの或る男がエリシャに初物のパンと大麦のパン20個、新しい穀物を持ってきた。エリシャはそれを皆に分け与えるようにいった。100人に分配するにはあきらかに不足であったが、神の人は再び命じてそれぞれに与えさせた。
 「彼らは食べきれずに残す」と主がいった通り、配ってもそれは余剰したのである。


 エリシャの「奇跡」と称す程もないエピソードが一括して紹介されました。シュネムの死んだ男児をよみがえらせたことが、辛うじて唯一それに当てはまるぐらいですが━━。
 むしろここは、〈エリシャが奇跡と生活の知恵を披露する〉など小見出しを変えた方が、遥かにぴったりだと、不信心にして信者にあらざるさんさんかは思うのでありました(御意見無用)。




 怒濤の事務作業がやっと終了。すっかり疲弊したおいらを、誰か癒しておくれ……。

 あー、いま、椎名へきるが歌っているよ、━━
 ♪くだらないことに悩んで つまらない日々を過ごして
  どうしようもなく全てがイヤになっちゃうよ Everyday
  こわれたアタマ抱えて 見上げた空はポッカリ
  抜け殻みたいなボクの魂のブラックホール♪ って。
 近頃おいらの頭のなかじゃ、椎名嬢の最新譜がヘヴィーローテンション中……。
 あの、椎名へきる、良い歌手だよ?◆

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第0406日目 〈列王記下第3章:〈イスラエルの王ヨラム〉〉 [列王記・下]

 列王記下第3章です。

 王下3:1-27〈イスラエルの王ヨラム〉
 南王国ユダがヨシャファト王第18年、ヨラムの第2年に、北王国イスラエルの王に即位したのはヨラムである。前王アハズヤ同様アハブ元王の子である。御代は12年続いた。彼もまた主の目に悪とされることを行ったが、父アハブ母イゼベル程ではなく、例えば父が据えたバアルの神像を取り除くなどした。しかし、ヤロブアムの罪は拭いきれずに犯し続けた。
 さて、アハブ元王が崩御すると、それまで100,000頭の小羊と同数の雄羊の羊毛を貢ぎ物として納めてきたモアブが、イスラエルに対して反旗を翻した。
 イスラエル王ヨラムはユダ王ヨシャファト、エドムの王(実際はユダ王の代理)と連合を組み、“エドムの荒れ野の道”を通って進軍した。が、迂回するのに7日を要したので、兵や家畜のための水が底をついてしまった。
 ヨラム王は絶望した。ヨシャファト王は、主の言葉を聞ける者はここにいるや否やを問うと、イスラエル王の家臣が、預言者エリシャが同道している、と教えた。王たちは彼のところへ赴いた。
 王たちに対してエリシャは冷淡だった。我らの間になんの関係があるのか、アハブやイゼベルの預言者たちに尋ねればよいではないか、と。ヨラム王の重ねての頼みにエリシャはいった、楽を奏する者を連れて来よ、と。
 楽が奏され、主の御手がエリシャに臨んだ。エリシャは主の言葉を告げた。この涸れ谷に沢山の堀を掘れ、やがてそこに水があふれる、と。続けてエリシャは王たちにいった、主はモアブをイスラエル=ユダ・エドムの連合軍の手に渡される、モアブの土地も町も人もあなた方が駆逐する、と。
 涸れ谷に沢山の空堀が掘られた。すると、水がエドムの方角から流れてきて、堀には水が満々と湛えられたのである。
 モアブの人々は涸れ谷に湛えられた水が夜明けの光に赤く染まっているのを見た。敵が内輪揉めをして互いを討ち合っているのだ、と勘違いしたモアブは、いまこそ、と涸れ谷の敵軍を攻めたが、隠れていたイスラエルの連合軍に逆に討たれ、そのまま敗走した。モアブの土地も町も人もみな、駆逐された。
 「モアブの王は戦いが自分の力の及ばないものになってきたのを見て、剣を携えた兵七百人を引き連れ、エドムの王に向かって突進しようとしたが、果たせなかった。そこで彼は、自分に代わって王となるはずの長男を連れて来て、城壁の上で焼き尽くすいけにえとしてささげた。イスラエルに対して激しい怒りが起こり、イスラエルはそこを引き揚げて自分の家に帰った。」(王下3:26-27)



 昨夜、ドストエフスキー『死者の家の記録』の第一部を読了しました。◆

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第0405日目 〈列王記下第2章:〈エリヤ、天に上げられる〉&〈エリシャの二つの奇跡〉〉 [列王記・下]

 列王記下第2章です。

 王下2:1-18〈エリヤ、天に上げられる〉
 主が嵐を起こし、ヨルダンのほとりで預言者エリヤを天に上げる直前のことだ。
 エリヤはエリシャを連れてギルガルを出、ベテル、エリコへ動いた。その都度エリヤは、ここに留まれ、といったが、エリシャは、あなたを離れません、と答えたので、二人はギルガルからベテル、エリコを経てヨルダンまで行を共にした。ベテルとエリコの預言者の仲間たちがエリシャに、「『主が今日、あなたの主人をあなたから取り去ろうとなさっているのを知っていますか』と問うと、エリシャは、『わたしも知っています。黙っていてください』と答えた。」(王下2:3,5)
 預言者の仲間たち50人をあとに連れて、エリヤとエリシャはヨルダン川のほとりに着いた。エリヤが脱いだ外套を丸めて河面を打つと、川の流れは左右に割れ、二人は乾いた川底を歩いて東岸へ渡った。預言者の仲間たちは留まった。
 エリヤは、私が天に上げられる前に望みがあればいってみなさい、といった。
 エリシャは答えた、あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい(※1)、と。
 難しい願いだが、と前置きして、エリヤはいった、私があなたから取り去られるのを見れば願いは果たされる、見なければ願いは果たされない、と。
 おお、そのときである、イスラエルに於ける主の御力の象徴、火の戦車と火の馬が向こうから現れて迫り、二人の間を分けていったではないか。その嵐のなかを、エリヤは天に上がっていった。
 「エリシャはこれを見て、『わが父よ、わが父よ、イスラエルの戦車よ、その騎兵よ』と叫んだが、もうエリヤは見えなかった。エリシャは自分の衣をつかんで二つに引き裂いた。エリヤの着ていた外套が落ちて来たので、彼はそれを拾い、ヨルダンの岸辺に引き返して立ち、落ちて来たエリヤの外套を取って、それで水を打ち、『エリヤの神、主はどこにおられますか』と言った。エリシャが水を打つと、水は左右に分かれ、彼は渡ることができた。」(王下2:12-14)
 ベテルとエリコの預言者たちはエリヤが天に上げられたと知ると、探しに行かせてほしい、もしかすると主の霊はどこかの山か谷にあなたの主人を落っことしたかもしれないから、とエリシャに頼んだ。重ねて乞われたので、エリシャは探索を許した。が、成果はなかった。エリシャは呟いた、だから行くなといったではないか、と。

 ※1「あなたの霊の2つの分を私に受け継がせてほしい」:長男は父から、他の2倍の財産を得ることができる。ここでは、エリヤの一番弟子たる自負からエリシャがそういったのである。

 王下2:19-25〈エリシャの二つの奇跡〉
 そのとき、エリシャはエリコにいた。町の人々は彼に相談した、エリコは住むには良いが水が悪く、周囲の土地は不毛なのです、と。
 エリシャの指示通り人々が新しい器を持ってくると、エリシャは水の源へ行って塩を投げこんだ。彼は人々にいった、━━
 「主はこう言われる。『わたしはこの水を浄めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」(王下2:21)
 その通り、水は清らかとなって今日にまで至っている。
 また、エリコからベテルにのぼったエリシャを、町の子供たちは罵り嘲った。エリシャは子供たちを呪い、2頭の熊にその内42人を引き裂かせた(※2)。
 エリシャはベテルを発つと、カルメル山を経由して王都サマリアへ戻った。 

 ※2「エリシャは子供たちを呪い」云々:これを果たして奇跡と呼ぶべきなのか? 新約に於ける神の子イエスに較べると、あまりにも「なんじゃ、そりゃ??」といいたくなる“奇跡”だ。

 本章に登場するエリコとは、もちろん、ヨシュアが占領し再建する者あらば呪いが訪れる、と宣言し、王上16:34にて再建を企てた者の長子と末子がその通り死に至った、と紹介された町、エリコのことであります。この時点ではもうそれなりの数の人が住み、生活も営まれるようになっていたのでしょう。
 そういえば、ゴスペル・ソングに『ジェリコの戦い』というのがありました。ロジェ・ワーグナー合唱団のデジタル録音版が、東芝EMIから<EMIクラシックス決定盤1300>というシリーズでリリースされています(歌詞対訳附き TOCE13050 1,300円)。



 ワーグナー絡みで。文筆業もこなした作曲家リヒャルト・ワーグナー、彼の作物で「読んでみたら」とお奨めできるのは、自作の歌劇台本を除けば小説「ベートーヴェン詣で」(岩波文庫)ぐらいでしょうか。良くも悪くも青年ワーグナーの青さと熱さが露骨に表れた一品です。◆

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