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第2220日目 〈フィリピの信徒への手紙第4章2/2:〈勧めの言葉〉、〈贈り物への感謝〉&〈結びの言葉〉with読了の挨拶。〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第4章2/2です。

 フィリ4:2-9〈勧めの言葉〉
 エボディアとシンティケには、主に於いて同じ思いを抱くよう奨めます。真実の協力者よ、2人を支えてください。彼女らは他の協力者と一緒になって、福音のために戦ってくれたのです。
 あなた方よ、主に於いて喜びなさい。あなた方の広い心がすべての人に知られるようになさい。主はあなた方のすぐ近くにいます。
 「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリ4:6-7)
 フィリピの兄弟たちよ、すべてに於いて真実なこと、気高いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、名誉なこと、その他徳や称賛に値することがあれば、心に留めなさい。
 フィリピの兄弟たちよ、わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共にいることでしょう。

 フィリ4:10-20〈贈り物への感謝〉
 あなた方が示してくれた心遣いに感謝します。物欲しさからいうのではないが、これまではその思いはあっても実行に移すのは簡単でなかったのでしょうね。
 でも、わたしは自分の置かれた境遇で満足することを覚えたのです。豊かに暮らす術も、貧しく暮らす術も身に付けています。満腹であれ空腹であれ、物が有り余っていようが不足していようが、現状で対処する術といいますか、秘訣を授かっているのです。
 「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」(フィリ4:13)
 あなた方もご存知のように、福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、互いに物資のやり取りが行える教会はあなた方の他にありませんでした。また、テサロニケにいたときもあなた方はわが窮状を救おうとして、援助のための物資を届けてくれました。そうして今回もエパフロディトの手で……。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくれるいけにえであります。
 「わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。」(フィリ4:19)
 われらが父なる神に、代々限りなき栄光がありますように。アーメン。

 フィリ4:21-23〈結びの言葉〉
 キリストに結ばれたすべての聖なる者たちへ宜しくお伝えください。
 わたしと共にいる兄弟たちがあなた方へ宜しく、といっています。
 こちらの聖なる者たち、就中皇帝の家の人々からも、宜しくとの言伝を預かっています。
 主イエス・キリストの恵みがあなた方の“霊”と共にありますように。

 本稿冒頭で触れられる2人の女性──エボディアとシンティケがどのような人物なのか、先達てのエパフロディト同様、否、それ以上に定かではありません。エパフロディトの場合は或る程度まで類推するための材料が2つ3つと雖も与えられていましたが、彼女たちはフィリピ教会に属する人という以外はなにもわからぬ。どうしてパウロがこの2人を名指したのかも。
 「使徒言行録」にはエボディアの名もシンティケの名も記されませんが、彼女たちは(西洋初のキリスト者となった)リディアの縁者の1人であるかもしれません。2人のどちらかは、霊に憑かれていた女奴隷であった可能性だって否定はできない。例によって真相は、歴史のカーテンのずーっと奥に取り残されています。
 同様に、「命の書」なるものに名が記されているクレメンスや真実の協力者についても、<真相不明>というもどかしさが残るのには変わりありません。やはりマケドニア州に住まう、パウロにとっては異邦人、地理的に見ればギリシア人であろう、というが精々な。
 因みにクレメンスという名を挙げれば、ローマ教皇のなかにはその名を持つ人物が2世紀から18世紀までに14名おりますし、2世紀にはアレクサンドリアのクレメンスと称される、ギリシアはアテネ出身とされるキリスト教の神学者がおりました。クレメンスという名は地中海世界では、殊ギリシア地方に多い名前だったのかもしれません。この点については、好きな指揮者の名前でもありますので、も少し調べてみようと思います(その指揮者──クレメンス・クラウス──はウィーン出身で、ギリシアとは縁が薄そうですが)。
 それにしても本章にて、本書簡でわたくしがいちばん共感の思いを抱いたのは、パウロが自分は自分の置かれた境遇で満足することを覚えたのです、と告白している点であります。境遇とはあくまで訳語ですから、これを環境とも状況とも言い換えてよいでありましょう。現代風にミニマル・ライフと表現したってよい。個人の生活という視点で見ても、これは或る種の憧れというてよいように思います。ストイック、というのではなく、簡素──シンプルな生活様式というのは、(西洋に於いては)もしかするとパウロのような人物によって始められたのかもしれませんね。
 突飛な連想と苦笑されそうですが、わたくしはこの箇所を読んでいて、たとえば、20世紀アメリカの怪奇小説作家、H.P.ラヴクラフトを思い、近世期の国学者/歌人/俳人/茶人/医者にして小説家、上田秋成を思い、19世紀イギリスの女流作家、エミリ・ブロンテを思いました。わたくしがパウロのこの文章に反応したのは、わが文学的灯台、北極星であるかれらの生活とオーバーラップしていることへ無意識にも感応したためなのかもしれません……。
 フィリ4:22にある「皇帝の家の人々」とは、パウロが監禁されていた牢獄を警護するローマ兵でありましょう。牢獄のパウロは最も身近にいる異邦人、即ちローマ兵に福音を説いてかれらの心を動かしたのであります。



 「フィリピの信徒への手紙」は本日を以て読了。〈前夜〉を含めればわずか5日の読書であったが、無事にこの日を迎えられたことを喜ぶのは他の書物となんら変わりありません。読者諸兄の支えなくして日々の読書と執筆、本ブログの更新があり得ぬのも然り。サンキー・サイ。
 次の「コロサイの信徒への手紙」は少し日を置くことになるかもしれません。が、わたくしは必ず帰還する。約束。聖書の読了まで道の果ての開拓地へ行ったりしないということも、ここに誓っておこう。
 ──それにしても今回、久しぶりに聖書の読書と原稿の執筆、ワープロ稿の作成とその後のブログ更新をすべて一つながりの作業として退勤後の3時間か4時間をかけて行ったが、やはりこの方法が自分にはいちばん馴染んでいるかなぁ。原稿のストックがあると、どうも怠けていけない。◆

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第2219日目 〈フィリピの信徒への手紙第3章&第4章1/2:〈キリストを信じるとは〉&〈目標を目指して〉〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第3章と第4章1/2です。

 フィリ3:1-11〈キリストを信じるとは〉
 あなた方のなかに動揺と困惑をもたらしたあのユダヤ主義者たち、あの犬どもに注意しなさい。あの邪な働き手たちに注意しなさい。切り傷に過ぎない割礼を持つ者たちを軽快しなさい。われらこそ神の霊によって真の割礼を受けた者なのですから。
 わたしは生まれて8日目に割礼を受けた、イスラエルに属するベニヤミン族の出身です。わたしはヘブライ人のなかのヘブライ人。律法に関してはファリサイ派の一員で、熱心さについては教会の迫害者、律法の義については非の打ち所のない者でした。
 わたしにとってこれらは有利なことでした。しかし、いまは却ってキリストゆえに損失と見做しています。のみならず、主キリスト・イエスを知ることの素晴らしさによって、いまでは他の一切を損失と見るようになりました。いまやそれらは塵芥でしかありません。
 「わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。」(フィリ3:9)
 キリストとその復活の力を知ったわたしは、その苦しみに与り、その死の姿にあやかりながら、なんとかして死者のなかからの復活を果たしたいのです。

 フィリ3:12-4:1〈目標を目指して〉
 わたしは自分が欲しいと願うものはまだ得ていませんし、完全な者となっているわけでもありません。どうにかしてそれを得ようと(捕まえようと)努めているところです。というのも、自分はまだイエス・キリストに捕らわれている者だからであります。
 「なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリ3:13-14)
 わたしは以上のような目標を目指して達することができるよう、努めます。あなた方のなかには異なる目標や考えのある人もいるでしょう。いずれにせよ、われらは到達したところに基づいて進むべきなのです。
 あなた方はわたしに倣う者となりなさい。われらを模範として歩む人々へ目を向けなさい。いま再た涙ながらにいいますが、キリストの十字架に敵対する輩は未だ多いのです。かれらの行き着く先にあるのは、滅びです。かれらの神は腹、誇りとするのは恥ずべき諸事、かれらの考えることはこの世のことばかりです。
 しかし、われらは違う。われらの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが来て、われらを救うのです。われらはそれを待っているのです。万物を支配下に置くことのできる力を、キリストは持っています。その力によってわれらは、この卑しい体からキリストと同じ栄光があふれる体へと変えられるのです。
 「だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。」(フィリ4:1)

 パウロはキリストによって死者のなかからの復活を果たしたい、と望む。ここでいう復活は、肉体が滅びたあと訪れる<死>からのそれではなく、回心を経て新たにキリスト者として新生する、という意味合いであるように、わたくしは思います。律法への義に縛られていた過去の自分からの脱却、キリストへの信仰による義に基づく新たな自分に生まれ変わること、といえばいいでしょうか。それが延いては最終的な目標としてパウロが掲げた、天に召されて神やキリストと共にあることへとつながってゆくのでしょう。
 そのパウロは、信仰による義を基として神からの義に授かろうとする。その最終目標は、前述したように神からの賞与をもらうことでした。ではその賞与はなにか、といえば、上(天)に召されて神や主キリストと共に在る、というものです。そうした最終目標を目指して活動する自らの様子を「走る」という行為に喩えたのが、引用したフィリ3:13-14であります。
 この箇所は誰もが──すくなくとも向上心を持ち、人生になんらかの目標を掲げる人ならば、誰しも首肯・共感できるのではないでしょうか。後ろのものを忘れて前を見て、ひたすらに目標目指して走る。実に励みとなる文言ではありませんか。◆

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第2218日目 〈フィリピの信徒への手紙第2章:〈キリストを模範とせよ〉、〈共に喜ぶ〉他with昨日と変わることのない3月11日を過ごそう。〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第2章です。

 フィリ2:1-11〈キリストを模範とせよ〉
 もしもあなた方にキリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、慈しみ、憐れみがあるならば、皆同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてほしい。「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。互いにこのことを心がけなさい。」(フィリ2:3-5)
 イエス・キリストも然り。キリストは神の身でありながらその身分に固執しなかった。自分を無にして、僕となり、人間の姿で現れて、へりくだり、十字架上の死に至るまで従順だったのです。いと素晴らしきかな、範とすべきかな。このキリストの行いのため、神はキリストを高く上げ、世界へあまねく知られる名を、あらゆる名に優って知られる名を与えたのでした。
 斯くして天上のもの、地上のもの、地下のものがその御名の前にひざまずき、すべてが口を揃えてキリストを主といい、父なる神を讃えるのであります。

 フィリ2:12-19〈共に喜ぶ〉
 わが愛するフィリピの人々よ。わたしが共にいないときは尚更従順でいてください。恐れ戦きつつ自分の救いを達成するよう努めてください。神はあなた方の内に在ってあなた方へ働きかけているのですから。
 「何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」(フィリ2:14-16)
 あなた方が務めれば、わたしの労苦も報われる。わたしはそれをキリストの日に誇れることだろう。
 更に信仰に基づいてあなた方がいけにえをささげ、礼拝を行う際にわたしの血がそこへ注がれたとしても、わたしは喜びます。あなた方一同が喜ぶなら、共に喜びます。だからあなた方もわたし同様に喜びなさい。

 フィリ2:20-30〈テモテとエパフロディトを送る〉
 わたしはあなた方の様子が知りたい。そこでテモテをそちらへ遣わします。わたしと同じかそれ以上にあなた方を想うものがあるとすれば、それはテモテを措いて他にありません。テモテが如何なる人物か、あなた方はご存知でしょう。かれはわたしと共に福音へ仕えた者です。
 自分のことで見通しが付き次第、テモテをそちらへ派遣します。じきにわたしも主キリストによってそちらへ行くことでしょう。
 ところでわたしはエパフロディトをそちらへ帰さなくてはなりません。かれはあなた方によって、贈り物を携えてわたしのところへ遣わされてきました。エパフロディトはこちらで、「わたしに奉仕することであなたがたのできない分を果たそうと、彼はキリストの業に命をかけ、死ぬほどの目に遭った」(フィリ2:30)。瀕死の重傷を負ったかれですが、いまは神の憐れみもあって回復しています。
 自分の病気があなた方に知られたことで、かれは面目なさそうにしています。心苦しく思うているようです。そうして、いまはとてもあなた方に会いたがっています。そんなこともあるので、わたしはかれをなるべく早急にあなた方の許へ帰そうと思います。きっとあなた方はエパフロディトとの再会を喜び、エパフロディトはあなた方との再会を喜ぶことでしょう。わたしも、淋しいですが喜びます。
 どうかかれを主に結ばれている者として歓迎し、かれのような人々を敬ってください。かれは──エパフロディトはわが兄弟、わが協力者というに留まらず、窮乏時のわが奉仕者であり、そうして戦友です。

 エパフロディトの人物像はよくわかりません。マケドニア州フィリピの出身であろうとは推測できますし、選ばれてパウロの許へ派遣されたということは教会の主立った人の内の1人、もしくはその信仰の篤さが皆から認められて敬愛される信徒だったのでしょうか。
 かれはキリストの業のため命を賭して活動し、瀕死の重傷を負った、といいます。特に記されてはおりませんが、フィリピからシリアのカイサリアまでの長旅(小アジア横断!)の疲れ癒えぬうちに福音宣教を始めて無理に無理を重ねて、結果倒れて寝こんでしまったのかもしれない。もしかすると、パウロがそうであったようにエパフロディトもユダヤ人の反対者や暴徒によって負傷したのかもしれない。
 どちらであったのか、或いはどちらでもなく別の理由によるのか、定かでないけれど、──すくなくとも本書簡が書かれた頃は命に別状ないことが判明し、幸いと順調に回復している様子。パウロがかれをフィリピへ帰す意向を示したということは、逆にいえばそれだけエパフロディトの体力が再度の長旅に耐えられるぐらいには戻ってきているわけだ。旅立ちの日が近附いていることがわかっているパウロの筆は、その文言と同じで淋しそうであります……。
 ──引用したフィリ2:3-5はイエスが説いた隣人愛をそのまま敷衍してゆけばこうなる、という見本、好例と申せましょうね。



 2度目の再婚を3月11日に行う友がいる。つまり3度目の結婚であるわけで、そのたび呼ばれるわれら友人一同は「そろそろ落ち着いてくれないかなぁ」と財布の中身と相談しつつぼやくわけだ。その友人から聞いた話。
 かれは、頼んでもいないのに結婚式でのスピーチを自ら買って出てきた職場の上司から、日取りが3月11日に決まっていることを伝えたその場で「君たちはなんて常識外れなんだ」と非難されたという。「日本中が東北を悼むべき日に祝い事なんて以ての外じゃないのかな。せめて他の日に変更したまえよ。ぼくは式には出ないよ」
 聞いて呆れるとはこのことだ。ならば1月17日にはなにを思うか。この日、阪神地方も未曾有の被害を受けたんだ。津波も原発もなかったけれど、だから<1.17>が人々の脳裏から霞んでいいわけではない。
 <3.11>を風化させてはならない、とは叫ぶものの、自分自身の記憶も風化しつつあることを否定はできない。今年の3月11日は震災から5年の節目の時。この日が近附くとなにやら思い出したように被災地の、草の根レベルの情報が取り挙げられ、種々の催しや活動を取材しては「忘れてはいけない記憶ですね」と耳当たりのいいコメントがセットでお茶の間に流される。が、その日が過ぎるとそれらの活動がメディアで報じられることは殆どなくなってしまう。
 記憶は語り継がなくてはならない。震災遺構は次の世代も交えて残すか取り壊すか決めるべきだし、震災復興にまつわる様々な事業への助演金は減額されることはあっても打ち切るべきではない。こうした活動や支援が記憶の風化を阻む礎となろうし、収集・整理された記録が震災を知らない世代へ渡されることこそが風化を留める堤防となる。
 でも、われらはあの日を普通に迎えて、生活するべきなのである。われらは<3.11>を前にすると冷静でいられなくなるようだ。正直なところ、あまりに過敏、あまりに過剰という気がしている。<3.11>だからとて、なににつけ厳に自粛するというのは方向が間違っている。冒頭の「祝い事は慎め」など言語道断、ならばその日が誕生日や結婚記念日だとかいう人に対しては、事前に済ませておくか、事後に行え、とでもいうのか。そんなことされて、被災地の人は喜ぶか? 被災地の人はそれを望んでいるか? 普通に生活すること、それがいちばん大事なんだ。
 <3.11>ゆえに祝い事を慎め、慶賀は自粛しろ、という人々よ。あなた方は<1.17>を自粛して生きているかい? <3.11>はダメで<9.11>はいいのかい? <9.11>。これ、外国の惨事というたかて、あすこには日本人犠牲者もいたんやで。わたくしも目の前であの惨事を経験し、知人2名を亡くした。海の向こうで犠牲になった人は悼まなくてもよし、国内の天災・人災で亡くなった人たちばかりを悼め? なんたる傲慢、なんたる驕り、なんたる自己中。
 むろん、震災で亡くなった方々、家族を失った方々、原発で避難を余儀なくされた方々へ手向けるべき言葉はたくさんある。が、それは直接その方々へ向けて発信すればいいこと。<3.11>ゆえに結婚式は控えろ、なんていわれちゃったんだよね、とぼやいた友人の言葉に日頃の思いが一気に固まったので、今日はそのことについて書いてみた。
 悼む気持ちは持とう。あの日を忘れるな。されど静かに、穏やかに、あくまで平常に過ごそう。1年365日あるうちの、昨日と変わることのない3月11日を過ごそう。◆

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第2217日目 〈フィリピの信徒への手紙第1章:〈挨拶〉、〈フィリピの信徒のための祈り〉他withよく聴くビートルズ・アルバムはといえば、……〉 [フィリピの信徒への手紙]

 フィリピの信徒への手紙第1章です。

 フィリ1:1-2〈挨拶〉
 キリストの使徒パウロとテモテから、フィリピの町の聖なる者たち、監督者、奉仕者たちへ。父なる神と主キリストの恵みと平和がありますように。

 フィリ1:3-11〈フィリピの信徒のための祈り〉
 あなたのなかで善い業を始めた方がキリスト・イエスの日の訪れまでにその業を成し遂げてくれる、わたしはそう確信しています。というのも、このように監禁されている間も、福音を弁明して立証するときも、あなた方一同のことをともに恵みに与る者と思い、心に留めているからであります。
 「わたしが、キリスト・イエスの愛の力で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。」(フィリ1:8)
 どうかあなた方が知る力と見抜く力を併せ持ち、愛がますます豊かになり、本当に重要なことがあふれるぐらいに受け取れ、神の栄光と誉れを受け取られますように。
 ──わたしはそう祈ります、あなた方のために。

 フィリ1:12-30〈わたしにとって、生きるとはキリストを生きること〉
 フィリピの兄弟たちよ、わたしはいま、獄中の身。が、嘆くなかれ。これは福音の前進のために役立つ出来事となるだろうから。わたしが囚われている理由がキリストのためであることが、この監獄のある兵営に詰める人々、その他のここで暮らす人々に知れ渡り、捕らわれたわたしを見て主の兄弟たちの多くの者が確信を得て、ますます勇敢に、恐れることなく、御言葉を語るようになったのです。
 が、キリストを宣べ伝えることは必ずしも純粋な動機によるものばかりではありません。種々の不純な動機に起因する場合もあるでしょう。が、だからどうしたというのです。わたしは──動機はともあれ──キリストの福音が多くの人々によって語られ、広められてゆくのを喜んでいます。わたしはどんなことにも恥をかかず、生きるにしても死ぬにしても、わが身によってキリストが公然と崇められる時が来るように、と、切に願い希望しています。
 「わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。」(フィリ1:21)
 わたしはこの世を去ってキリストと共に在ることを熱望している。正直なところ、肉に留まるよりはその方がずっと望ましいのです。が、しかし、わたしはこのまま生きることでしょう。わたしはあなた方にとって必要な存在です。あなた方の信仰を深め、喜びをもたらすが如く、いつも共にいることになるでしょう。あなた方の前にわたしが再び姿を現すとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなた方の誇りは、わたしゆえにいや増しにますことでしょう。
 フィリピの兄弟たちよ。ひたすらキリストの福音に相応しい生活をしなさい。そうすればわたしはあなた方について、会ったときでも離れているときでも、きっとこのようなことが聞けるでしょう。曰く、──
 「あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。」(フィリ1:27-28)
 おわかりになるでしょうか、あなた方はキリストを信じるだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのだ、ということを。あなた方はわたしの戦いを見て、聞いています。あなた方も、いまわたしが経験しているのと同じ戦いを戦っているのです。

 本章を読んでいていちばん驚かされたのは、御言葉を語るにあたってはその動機が純粋なものであろうと不純なものであろうとどちらでも構わない、というパウロの一言。心からの思いあってこそ人は動き、また動かされるのではないか。そう小首を傾げたくなるのであります。
 が、パウロにいわせれば勿論そうではない。これはおそらく、最初のきっかけはかりに利益を求めたり、獄中のパウロを苦しめんがためのことであったとしても、御言葉を語るにつれてだんだんと御言葉それ自身が話者に作用して不純な動機で語り始めたかれを改悛させることだろう、という、それが内包する力、人に及ぼす力に信頼を置いて斯く言い放ったのかも知れません。或いはも少し単純に、不純な動機で語り始めた人は御言葉によって自滅することだろう、とわかっているからこその発言であったか。結局それは(フィリ3:18-19で書かれたように)十字架に敵対している者たちなのだから、やがては滅びてしまうだろうね、と……。
 どちらであるにせよ、どちらでもないにせよ、すくなくとも「フィリピの信徒への手紙」を読み始めたばかりの現時点では、パウロの真意が奈辺にあるか定かでありません。
 読みが浅いせいか、殊に過半を占める〈わたしにとって、生きるとはキリストを生きること〉は難渋してしまいました。こんなことでどうするのか。以前ぐらいに時間と体力があって、集中力を持続させられ、<灰色の脳細胞>が活発に動いてくれればなぁ。そうしたら、リカバリできる? と秘書。勿論、とわたくし。嗚呼、というべきか、呵々というて〆括るべきか。



 ビートルズのアルバムでいちばん聴いているのは、実は『イエロー・サブマリン 〜ソングトラックス〜』であったりする。オリジナル盤からジョージ・マーティン(2016年3月8日90歳にて逝去、合掌)作曲のオーケストラ曲を除いて、映画『イエロー・サブマリン』に使用されたビートルズの歌だけで構成した一種の企画盤であるけれど、これがなんともいえない法悦をもたらしてくれるのだ。これはこれでじゅうぶんにアリだ。或る意味で入門盤としてオススメできるかも。
 これに次いでよく聴いているアルバムは『パストマスターズ』Vol-1とVol-2かな。オリジナル・アルバムが出て来ないのがいやはやなんともなのだが、そちらはほぼまんべんなく聴いているからどれがいちばん聴いている、という比較ができないのだね。
 でも、自分が今回のビートルズ洗礼以前に聴いていたかれらの歌は、アルバム収録のヴァージョンというよりも『パストマスターズ』に収められたヴァージョンのような気がしてならぬのは、果たして気のせいだろうか。もとより確認する術は最早ないけれど、そんな風に耳が記憶しているのである。ふむぅ。◆

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第2216日目 〈「フィリピの信徒への手紙」前夜〉 [フィリピの信徒への手紙]

 パウロ書簡を読み始めてから、以前に増して伝ルカ著「使徒言行録」をしばしば繙くようになりました。ここの書簡がいつ、どこで、どのような背景あって書かれたものなのか、手掛かりは「使徒言行録」に埋めこまれている場合が多々である、と申して過言でありません。ほんとう、「ロマ書」以来果たして何度、「使徒行伝」に戻ってページをめくり、該当箇所を前にして考えこんだことでしょうか。
 今日から読むフィリピも、「使徒言行録」に記された第2回宣教旅行の途次立ち寄ったフィリピ訪問の記事が出発点となっています。パウロは小アジアでの宣教をひとまず済ませると、今度は随伴者たちと共に海を渡り、マケドニアの地を踏み、遂に西洋古典文明の牙城でキリストの福音を宣べ伝えるのであります。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マコ16:15)
 パウロとフィリピのかかわりは使16:12に始まる。シラスとテモテを伴って小アジアはトロアスの町から海路、サモトラケ島を経てネアポリスの港でマケドニアへ上陸。そのままマケドニア州第一区の都市にしてローマ帝国の植民都市、フィリピへ入ったのであります。そこでかれはリディアという女性を回心させ、ギリシア初のキリスト者とした。別の日には川岸の祈りの場所へ出掛ける途中、女奴隷に憑いた霊を追い払った。これが原因でパウロとシラスは投獄されたが、ローマ市民権を持つ者ゆえに釈放された。──「使徒言行録」が記録するパウロとフィリピの町のかかわりであります。これが縁となってパウロはこの地に西洋初の教会を設立(50年頃)、その信徒の多くは異邦人でありました。
 本書簡の筆が執られたきっかけは、フィリピ教会にユダヤ主義者が入りこんで割礼を強要したことにあった。この割礼を強要するユダヤ主義者が「ガラテヤ書」のときのようなユダヤ人キリスト者と同じ主張をしたのか定かでありません。単に割礼を強いてユダヤ教に回心させようとしたのか、真にキリスト者となるには割礼しなくてはならないと誤った教えを説いたのか、判然としません。ユダヤ主義者であるならば前者の可能性が高くなるのかな、と思うが精一杯で。ただ、かれらの登場によってフィリピ教会が動揺、混乱したのはたしかなのでしょう。パウロはこれを知って、信徒の動揺や混乱、迷いを鎮めるために本書簡の筆を執った──そう考えるのが自然であるように思います。そのユダヤ主義者たちはフィリ3:2にて「あの犬ども」と罵っております。
 「エフェソ書」同様〈獄中書簡〉を構成する1つである本書簡は、やはり同じように58-60年頃、シリアのカイサリアにて書かれた、と思しい。その内容は大きく2つに大別でき、1つはフィリ2:6-11に於けるイエス・キリストの受難と栄誉を讃える部分、もう1つはフィリ3:8-11に於けるパウロの義認(義化)論の部分である。本書簡は<喜びの手紙>または<感謝の手紙>と呼ばれ、それは専らフィリピからシリアのカイサリアへ援助物資である贈り物を携えてきたエパフロディトと、斯様に厚意を示してくれ、かつ自分のために祈ってくれもするフィリピ教会への感謝と喜びに由来するようだが、わたくしは同時にキリストへの感謝、喜び、信頼、畏敬といった想いに彩られた手紙であるがための呼称であるとも思うのであります。
 上記に関して、ヴァルター・クライバーはこう述べています、「手紙全体を通して注意を引くのは、パウロが実に親密に語り、実に心を込めて教会への勧めをなしている点である。この点において、パウロとこの教会との特別な関係が明らかになる」(『聖書ガイドブック』P248 教文館 2000.9)と。至極もっともな指摘といえましょう。
 それではフィリピとはどのような町であったのか。最後はその点に触れておきましょう。
 「使徒言行録」でこの町がどう紹介されているのかは、前に述べました。フィリピの町の起源は前358-6年頃、マケドニア王フィリポス2世によって整備されて復興した。それ以前はクレニデスと呼ばれて廃都に等しかった由。フィリポス2世はアレクサンドロス3世ことアレクサンドロス(アレクサンダー)大王の父王であります。
 その後、世界の覇権は共和政ローマに移り、前42年9月、ローマにとってもフィリピの町にとってもターニング・ポイントとなる出来事が起こりました──共和主義者のブルータス=カシウス連合軍と第2回三頭政治により手を結んだアントニウス=オクタヴィアヌス連合軍がこの地で武力衝突したのであります。結果はアントニウス=オクタヴィアヌス連合軍の大勝利。この戦いは事実上共和政ローマの終焉を知らせると同時に、時代の流れが帝政ローマ誕生へ舵を切った瞬間でした。やがてこの地はオクタヴィアヌスこと初代ローマ皇帝アウグスティヌスによってローマ帝国へ併合され、属州として生きることとなったのです。『ローマの歴史』(中公文庫)の著者、インドロ・モルタネリはこのフィリピの戦いを指して、「共和政とその良心はともにフィリピで滅んだ」と慨嘆しております(P306)。
 なお、フィリピの町は帝都ローマからトラキア州ビザンティウムへ至るエグナティア街道の途中に位置しておりました。この街道は他のローマ街道と同じく軍事上、商業上の主要幹線であり、パウロがギリシア本土に於ける宣教活動の第一歩にここを選んだことは、かれなりの戦略あってのことだったのでありましょう。福音書や「使徒言行録」、各書簡の背景を繙くことは自ずとかの時代の様々な出来事を知ることであります。シリア・パレスティナ、地中海世界──就中ギリシアや共和制/帝政ローマの歴史を聖書読書と併せて知ることの愉しみは、なににも代え難い知的快楽、知的道楽と申せましょう。もとより歴史のアマチュアの手慰みであるのは承知のことです。
 蛇足ではありますが、ビザンティウムはローマ帝国皇帝コンスタンティヌス1世によってコンスタンティノープルとして生まれ変わり(330年)、395年にローマ帝国が東西に分裂後は東ローマ帝国の帝都として繁栄し、1453年に帝国が滅亡するとオスマン帝国の首都となりイスタンブールに改称されました。そうしてここはオリエント急行の始発/終着駅……名探偵ポアロはイスタンブールでの事件解決後、オリエント急行に乗車してあの事件に巻きこまれたのでありました。
 それでは明日から1日1章の原則で「フィリピの信徒への手紙」を読んでゆきましょう。◆

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