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第0208日目 〈ヨシュア記第24章:〈シケムの契約〉、〈ヨシュアの死〉&〈ヨセフの埋葬、エルアザルの死〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第24章です。
 ヨシュア記、結びの一章です。

 ヨシュ24:1-28〈シケムの契約〉
 死の少し前、ヨシュアは全イスラエルの民と、長老や役人たちをシケムへ呼び集めた。
 主はこういった、とヨシュアはいう。イスラエルの祖アブラハムがユーフラテス川の向こうからカナンへ移住し曾孫ヨセフが理由あってエジプトへ下った事を、預言者モーセを遣わしてエジプトを脱出させてから再びこのカナンの地に入った事を、多くの先住民を攻めて絶やしその土地へ定住した事を、主はヨシュアを通していった。
 イスラエルはだから、真心もて主に仕えよ。それを望まぬ者は異神を崇めるがよい。ヨシュアはいう、「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」(ヨシュ24:15)

 これを聞いた民は、そんな真似は決してしない、と誓った。エジプトを脱出させ、アモリ人の土地を与えてくれた主に背こうはずがない、と。
 「わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」(ヨシュ24:18)

 ヨシュアは更にいい、民は更に誓った。
 ヨ)主は聖なる神で熱情の神、背きと罪を赦しはしない。「外国の神々に仕えるなら、あなたたちを幸せにした後でも、一転して災いをくだし、あなたたちを滅ぼし尽くされる。」(ヨシュ24:20)
 民)「いいえ、わたしたちは主を礼拝します。」(ヨシュ24:21)
 ヨ)「あなたたちが主を選び、主に仕えるということの証人はあなたたち自身である。」(ヨシュ24:22)
 民)「そのとおり、わたしたちが証人です。」(ヨシュ24:22)
 ヨ)「(では異神を崇める心を捨てて)イスラエルの神、主に心を傾けなさい。」(ヨシュ24:23)
 民)「わたしたちの神、主にわたしたちは仕え、その声に聞き従います。」(ヨシュ24:24)
以上の信仰告白を踏まえて、ヨシュアは民とシケムで契約した。再び当該箇所を引用する。

 「その日、ヨシュアはシケムで民と契約を結び、彼らのために掟と法とを定めた。ヨシュアは、これらの言葉を神の教えの書に記し、次いで、大きな石を取り、主の聖所にあるテレビンの木のもとに立て、民全員に告げた。
 『見よ、この石がわたしたちに対して証拠となる。この石は、わたしたちに語られた主の仰せをことごとく聞いているからである。この石はあなたたちが神を欺くことのないように、あなたたちに対して証拠となる。』」(ヨシュ24:25-27)
【このような誓いの証拠の石は、創28:18-22,創31:43-54に見られ、ヨシュ4:1-4でも類似の証拠の石が登場している[ヨルダン渡河]。この伝統が継承されているのだろう。】

 この契約の後、ヨシュアは集まっていた全イスラエルを、それぞれの嗣業の土地へ帰還させた。
【だが、我らは忘れず記憶に留めるべきである。ヨシュ24:24にて民は主に仕えると誓ったが、主とヨシュアの求めのすべてに応じて主を崇めるわけではない、ということを。これが、「士師記」での大きなモチーフになる。】


 ヨシュ24:29-31〈ヨシュアの死〉
 モーセ亡きあとイスラエルを指導し、主が父祖と交わした約束を成就させるに功あったヨシュア。彼は遂にみまかった。享年110。その遺体は彼に与えられた嗣業の土地ティムナト・セラ(ヨシュ19:50)に埋葬された。
 ヨシュア亡きあとも長老たちが存命している間は、イスラエルは主に仕えた(この意味深長な一節はヨシュ24:24と呼応する)。


 ヨシュ24:32-33〈ヨセフの埋葬、エルアザルの死〉
 ヨセフはアブラハムの曾孫にしてヤコブの息子、理由あってエジプトへ下りその国で出世して兄弟並びに父と再会し、彼らをエジプトへ呼び寄せた(創37:1-47:12)。彼の遺骨はモーセが携えてエジプトを出、その後はイスラエルが持ち歩いていた。いまヨセフの遺骨は、嘗て創33:19にてヤコブがシケムの地に買った野の一角に埋められた。
 また、ヨシュアと共にイスラエルを指導した、アロンの子祭司エルアザルも死んだ。彼は息子ピネハスへ与えられた土地、エフライム山地のギブアに葬られた。


 創世記から続いてきた主の約束が、このヨシュア記で果たされ、完了しました。
 また、これまでに登場してきた、大きな役回りを持った人々の死が相次いで語られたことからも、〈一つの時代〉の終わりが感じられます。即ち、新しい時代への転換を迎える準備が整った、ということです。
 気になるのは、ノートでも触れたヨシュ24:24。極めて意味の深い一節です。これこそ新しい時代の人々の運命でした。
 主への信心の乱れが描かれる、新しい時代の最初の書物が、次の「士師記」であります。ヨシュア記は歴史書の先頭に位置していますが、性格的にも律法(モーセ五書)の完結編という趣が濃い。「士師記」はまさしく歴史の始まりを象徴する最初の書物でもあるのです。
 いずれ近いうちに再会しましょう。




 あなたの悲しげな横顔がリフレインされる。これをどうすればいい?
 アナトール・フランスの『舞姫タイス』(白水社uブックス)を読み出しました。
 
 Just one kiss from you my brother
 And we'll ride until we fall
 We'll sleep in the friends
 We'll sleep by the rivers and in the morning
 We'll make a plan
 Well if you can't make it
 Stay hard,stay hungry,stay arive
 If you can
 And meet me in a dream of this hard land.
 (兄弟よ、お前がキスしてくれたら、
  落ちるまで一緒に風に乗ってゆこう。
  野原や川辺に眠り、
  朝になったら計画を立てよう。
  もし来られないなら、
  辛いかもしれないがしっかりと生きてほしい。
  もし来られるなら、
  この厳しい土地の夢のなかで待っていてほしい。)
 ━B.SPRINGSTEEN from「THIS HARD LAND」


 また会おう。◆

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第0207日目 〈ヨシュア記第23章:〈ヨシュアの告別の言葉〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第23章です。

 ヨシュ23:1-16〈ヨシュアの告別の言葉〉
 さらに歳月が流れてもはやヨシュアも老い、すべての者が行く所へ向かう心づもりでいた。
 彼はすべてのイスラエルの民を集めてこういった、━━
 主は約束されたようにヨルダン川一帯から大海へ至る約束の地を、占領した場所もそうでない場所も含めて、我らへ与えてくださった。そこにはむろん、未だ占領せざる国の民もいるが、やがては追い払われるであろう。
 神、主を堅く信じ、モーセが残した教えの書(契約の書)にあることを守って生きよ。
 しかし、忘れるな。主は我らのこの地を与えると約束して、それを守った。だが、こうもいったのだ、異神を崇め、異民と交わり、異国の風習に染まるなかれ━━背いてこれらを行えば、たちまち主の怒りはイスラエルの上に落ちて、この約束の地から根絶する、と。
 だから心を強くし、主を敬い忠実に仕え、律法を守ってとく生きよ。
 そうヨシュアはこのときいった。
 「あなたたちは心を尽くし、魂を尽くしてわきまえ知らねばならない。」(ヨシュ23:14)


 <私(主)は約束を守った。だからあなたたちも私との約束(契約)を守りなさい>
 とどのつまり、神、主のいいたいことはこれです。
 それゆえに、<守る者には祝福と繁栄を。守らぬ者(裏切り者)には怒りが落ちて彼らは滅びる>なる結果がついて回るのです。
 前にも書きましたが、このあたり、無慈悲と取るか公正明大と取るか、受け手によって大きく変わって参りましょう。
 
 申命記同様、ヨシュア記も預言者の告別の言葉(申33,ヨシュ23)と彼の死(申34,ヨシュ24)を以て巻を閉じます。ゆえにこれを含めて「モーセ六書」と呼ばれる場合もある由。読めば納得の説であります。



 新宿の街は、もの悲しい美しさに充ちみちている。それを彩るのは脆くて儚い仰視できない想いである。
 「たったひとつの夢を胸に長く生きすぎたおかげで、ずいぶん高い代償を支払わなくてはならなかった」(F.スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』村上春樹訳 P290-291 中央公論新社)◆

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第0206日目 〈ヨシュア記第22章:〈ヨルダン川東岸諸部族の帰還〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第22章です。
【ヨシュアとイスラエルはツィンの荒れ野からモアブを経て北上し、ヨルダン川東岸諸国を討ち滅ぼした。そこはガド族とルベン族、マナセの半部族へ嗣業の土地として与えられた。女子供はそこへ天幕を張って住まったが、男たちは戦士であったので、他の9部族と共に渡河してカナン侵攻に加わった。年月が流れてカナンの地はイスラエルの領土となり、嗣業の土地もくじ引きで同胞に与えられて彼の地は治められた。即ちガド族とルベン族、マナセの半部族の役割は終わったのである。これがヨシュア記第22章の前史である。】


 ヨシュ22:1-34〈ヨルダン川東岸諸部族の帰還〉
 ある日、ヨシュアはガド族とルベン族、マナセの半部族のこれまでの活躍を讃え、嗣業の土地への帰還を命じた。モーセの教えと戒めを忠実に守り、主を愛し仕え、主の示した道を歩み、心を尽くしなさい、と。
 東ヨルダンの3部族はシロの地で同胞と別れて自分たちの土地への帰還の途に就いた。その途中、彼らは西ヨルダンはベニヤミン族の土地にあるゲリロト(=ギルガル/ベト・ホトル ヘスP290,また「ヨルダン川一帯/ヨルダン川のそば」とも[新改訳他])に目立って大きな祭壇を築いた。
 西ヨルダンのイスラエルはこれを知って紛糾し、軍の派遣を求めたが、まず先遣隊として祭司エルアザルの子ピネハスと、10人の各部族の指導者をゲリロトへ差し向けた。
 その地でピネハスは問うた、これは如何なる事ぞ、主へ背反するなら今日我らは滅びるだろう、嘗てペオルで犯された罪故に我らは未だ汚れの身なるぞ、と。また、ヨルダンの東が汚れているならばこちらへ渡ってきて我らのなかに嗣業の土地を求めるがよい、祭壇を築き反逆の意志を示してはならぬ、嘗てゼラの子アカンが犯した罪故に主の怒りは多くの者の上に落ちたではないか、と。
 ガド族とルベン族、マナセの半部族は、これに「否」といった。主はすべてを知っている、と。だから同胞よ、あなた方もわかってほしい、とも。
 わたしたちが祭壇を築いたのは、決して主への反逆ではありません。ここで(勝手に)焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物、和解の献げ物をささげるためではありません。これはたった一つの心配のために築いた祭壇です。
 (今回のカナン侵攻を直接は知らぬ)あなた方の子供たちが東ヨルダンのわたしたちの子供たちに対して、「お前たちと主はなんの関係もなく(われわれは同じイスラエルの同胞ではなく)、主の割り当てもない」といわないように、東ヨルダンとあなた方西ヨルダンの諸部族の間柄を示す証拠として、この地ベニヤミン領、即ち西ヨルダンの地にわたしたちは祭壇を築いたのです。
 ましてやここで焼き尽くす献げ物や穀物の献げ物、和解の献げ物を、主に背いてささげようとは微塵も考えておりません。
 ━━ガド族とルベン族、マナセの半部族はピネハス以下西ヨルダンの先遣隊にそういった。ピネハスらはそれを良きことと判断した。
 これを聞いてピネハスは、「わたしたちは今日、主がわたしたちの中におられることを知った。あなたたちは主に対してこの背信の行為をすることなく、イスラエルの民が、主の手にかけられるのを免れた。」(ヨシュ22:31)といった。
 ピネハス以下の先遣隊はゲリロトで東ヨルダンの同胞と別れてシロへ帰り、イスラエルの共同体はその報告を聞いて、大いに良きこと、と思い、神を讃えた。もはや背反者となじり滅ぼすべきという声もあがらなかった。ガド族とルベン族、マナセの半部族はゲリロトを発ってヨルダン渡河して、ヨルダン東岸の自分たちの嗣業の土地へ帰っていった。

 「ルベンとガドの人々はこの祭壇を、「わたしたちの間では主が神であることの証人」と名付けた。」(ヨシュ22:34)


 ここは重要な章です。ここでは律法に基づいた信仰と祭壇についての議論が描かれています。
 ゲリロトに築かれた祭壇は西ヨルダンにとっては過去の主への背反と主の怒りという〈負〉(恐怖)を思い起こさせ、東ヨルダンには東西に別れたイスラエルの同胞の間を結びつける絆という意識がありました。ピネハスの言葉(引用部分)は議論に決着をつけ、意見の正しい側を是と認める判決の言葉でもあるのでありましょう。
 実をいえばここは普通に読み流していつも通りにノートをこしらえたのですが、顧みてなにか引っかかりを感じ、昨日(04/24)、今日(04/25)とずっと読んでいてようやくその重要性に感じ入り、ここでなにが描かれているのかを(十全にでこそないにしても)気附かされて、改めて筆を起こしてノートを記した次第です。そのせいもあって、一寸長くなってしまいまして、申し訳なく思うところであります。でも、以前に書いたノートよりはずっと話の筋が通り、意味や重要さもわかるようになった、とは小さくも自負しております。
 まこと、<読書百遍~>の意を強う思うたときでもありました。
 なお、いつもは新共同訳に(のみ)拠っておりましたが、今日の読解についてはフランシスコ会訳や新改訳、より大きく岩波訳にも拠ったことを、申し添えておきます。
 [文体を少しばかり平井呈一翁調に加えて折口博士風にもして楽しませていただきました]

 残り2章でヨシュア記は終わり。さほど間を置くことなく「士師記」へ入りましょう。



 『Sweet Rain 死神の精度』(日本映画専門チャンネル 707ch)を観ました。うん、生きていれば、たまにはこんな良い日もあるんだよね。……人によるけど。◆

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第0205日目 〈ヨシュア記第21章:〈レビ人の町〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第21章です。
 民数記第35章へ目を通してから本章を読むと良いでしょう。

 ヨシュ21:1-45〈レビ人の町〉
 「主は、わたしたちに住む町と家畜の放牧地を与えるよう、モーセを通してお命じになりました。」(ヨシュ21:1-2)
 「嗣業として所有する土地の一部をレビ人に与えて、彼らが住む町とし、その町の周辺の放牧地をレビ人に与えなさい。町は彼らの住む所、放牧地は彼らの家畜とその群れ、その他すべての動物のためである。/レビ人に与える町の放牧地は、町の城壁から外側に向かって周囲千アンマとする。」(民35:2-4)

 斯くしてそれは与えられた。

 ○レビ人のケハトの諸氏族、祭司アロンの子孫に与えられた町(全部で13)
 ユダ族とシメオン族からは、逃れの町であるユダの山地のキルヤト・アルバ即ちヘブロン、リブナ、ヤティル、エシュテモア、ホロン、デビル、アシャン、ユタ、ベト・シェメシュ。合計9つの町とその周辺の放牧地。
 ベニヤミン族からはギブオン、ゲバ、アナトト、アルモン。合計4つの町とその周辺の放牧地。

 ○ケハトの諸氏族で残りのレビ人に与えられた町(全部で10)
 エフライム族からは逃れの町シケム、ゲゼル、キブツァイム、ベト・ホロン。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 ダン族からはエルテケ、ギベトン、アヤロン、ガト・リモン。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 マナセの半部族(カナン)からはタナク、イブレアム。合計2つの町とその周辺の放牧地。

 ○レビ人の一氏族、ゲルションの人々に与えられた町(全部で13)
 マナセの半部族(ヨルダン川東岸)からは高地バシャンのゴラン、ベエシュテラ。合計2つの町とその周辺の放牧地。
 イサカル族からはキシュヨン、ダベラト、ヤルムト、エン・ガニム。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 アシュル族からはミシュアル、アブドン、ヘルカト、レホブ。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 ナフタリ族からは逃れの町ガリラヤのケデシュ、ハモト・ドル、カルタン。合計3つの町とその周辺の放牧地。

 ○レビ人の一氏族、メラリの人々へ与えられた町(全部で12)
 ゼブルン族からはヨクネアム、カルタ、リモナ、ナハラル。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 ルベン族からは逃れの町ベツェル、ヤハツ、ケデモト、メファアト。合計4つの町とその周辺の放牧地。
 ガド族からは逃れの町ギレアドのラモト、マハナイム、ヘシュボン、ヤゼル。合計4つの町とその周辺の放牧地。

以上6つの逃れの町すべてを含む48の町とその周辺1,000アンマの放牧地が、レビ人へ与えられた。

 「主が先祖に誓われた土地をことごとくイスラエルに与えられたので、彼らはそこを手に入れ、そこに住んだ。主はまた、先祖に誓われた通り、彼らの周囲を安らかに住めるようにされたので、彼らに立ちはだかる敵は一人もなくなった。主は敵を一人残らず彼らの手に渡された。主がイスラエルの家に告げられた恵みの約束は何一つたがわず、すべて実現した。」(ヨシュ21:43-45)

 これでヨルダン川東岸とカナンの土地配分は終わります。各部族、ヨシュアへの配分、逃れの町の建設、レビ人の町の付与。この順番こそが一連の章のキモであります。



 昨夜、眠れぬままに『グレート・ギャツビー』を読了。切ない……なんと侘びしいのだろう。胸を締めつけられるような思いがする。近日中に再読予定。
 いつかギャツビーとデイジーのように、わたくしとあの人もなるのかもしれない。そんなの嫌だけど……。ジェイ・ギャツビーとは、嗚呼、わたくしのことか?
 過去に読み漁ってきたうちで、こうも親近感を感じた小説の登場人物はなかったように思う(作者に感じたことはあったけれど━━エミリ・ブロンテとH.P.ラヴクラフト、藤原定家と上田秋成━━)。そんな意味でも、特別な小説だ。
 生きてめぐりあえたことに、「サンキャー」といおう。◆

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第0204日目 〈ヨシュア記第20章:〈逃れの町〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第20章です。

 ヨシュ20:1-9〈逃れの町〉
 民35:9-15にて指示されていた逃れの町が建設されます。逃れの町の性格については民数記、申命記の当該箇所を読んでいただきたい、と切に願うものであります。

 主はモーセにいった、ヨルダン川東岸とカナンの地に3つずつ逃れの町を建てよ、と。
 ヨシュアは“乳と蜜の流れる土地”カナンを殆ど制圧後、いよいよそれを実行に移した。
 逃れの町が置かれたのは、━━
 ○ヨルダン川東岸
  ・ルベン族の嗣業の土地、台地の荒れ野のべツォル、
・ガド族の嗣業の土地、キネレトのラツォル、
・マナセの半部族の嗣業の土地、バシャン地方のゴラン高原、であった。
 ○“約束の地”カナン
・ナフタリ族の嗣業の土地、山地のガリラヤのケデシュ、
・エフライム族の嗣業の土地、ゲリジム山ふもとのシケム、
・ユダ族の嗣業の土地、平地のキルヤト・アルバ即ちヘブロン、であった。
以上、6つの町が、過って人を殺めた者、イスラエルのなかの寄留者たちのために用意された逃れの町である。

 逃れの町の門の外には、逃れ行った殺害者がなにかの拍子に町の外へ出てくる機会をじっと待ち構える復讐者、或いは雇われ暗殺者の姿もあったのだろうな、と想像を逞しくしています。

 本章と次の第21章は民数記第35章を踏まえた内容になります。



 おぐゆーさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん、LFJ誘ってくださぁい。召使いになります。
 目が死んでいたってだいじょうぶ、社会人大先輩のおいらが復活させてあげまス。
 こほむ(と咳払い……「咳をしても一人」)。
 昨日から堂々のGW12連休突入。この休みはなにをするのか、って?
 ……、……、……、おぐゆーさん、デートしよう(してください)。◆

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第0203日目 〈ヨシュア記第19章:〈シメオン族〉、〈相続地の配分を終わる〉他〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第19章です。

 ヨシュ19:1-9〈シメオン族〉
 二番目のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、シメオン族であった。
 彼らの嗣業の土地は理由あって、ユダ族の嗣業の土地(ヨシュ15:1-12)のなかに設けられた。というのも、ユダ族へ与えられた地が多すぎたので、シメオン族の嗣業の土地がそこへ与えられたのである。
 地内の他の町はベエル・シェバ、バラなどユダ族と一部重複。市内で分割、それぞれに統治されていたのでしょう。嘗てのベルリンや今日のエルサレムのように。
 東部には既述の町の他ハツァル・シュアルを擁する13(14)の町とそれに属する村が、西部にはエン・リモンを擁する4つの町とそれに属する村が、それとその周辺、バアラト・ベエル、ラマト、ネゲブへ至るすべての村が、シメオン族の嗣業の土地のなかにある。
 彼らの嗣業の土地の境界線は明記されていないが、ユダ族の土地のほぼ中央部一帯、即ち塩の海(死海)とベリシテ平野にはさまれた地域と想像できる。

 ヨシュ19:10-16〈ゼブルン族〉
 三番目のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、ゼブルン族であった。
 彼らの嗣業の土地はマナセの半部族の土地(ヨシュ17:1-13)の北側にあり、東はイサカル族(ヨシュ19:17-23)とナフタリ族(ヨシュ19:32-39)に接し、西はアシェル族(ヨシュ19:24-31)に接する。サリドという町をその中心とする。
 ベツレヘムを擁する12の町とそれに属する村がある。

 ヨシュ19:17-23〈イサカル族〉
 四番目のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、イサカル族であった。
 彼らの嗣業の土地はマナセの半部族の土地(ヨシュ17:1-13)の北側にあり、北はナフタリ族(ヨシュ19:32-39)、北西はゼブルン族(19:10-16)に接し、東境はキネレト湖から流れるヨルダン川であった。その中央にイズレエル平野がある。
 イズレエル、シオンを擁する16の町とそれに属する村がある。

 ヨシュ19:24-31〈アシェル族〉
 五番目のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、アシェル族であった。
 彼らの嗣業の土地はマナセの半部族の土地(ヨシュ17:1-13)の北側にあり東はナフタリ族(ヨシュ19:32-39)とゼブルン族(ヨシュ19:10-16)に接し、西は大海(地中海)に面した、縦に細長い土地で、北端は大シドン(ヨシュ11:8)を望む。
 マフラブを擁する12の町とそれに属する村がある。

 ヨシュ19:32-39〈ナフタリ族〉
 六番目のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、ナフタリ族であった。
 彼らの嗣業の土地はイサカル族の土地(ヨシュ19:17-23)の北側にあり、西はゼブルン族(ヨシュ19:10-16)とアシェル族(ヨシュ19:24-31)に接し、東境はダン族の第二の嗣業の土地(ヨシュ19:40-48,特に19:47)とその南方にある湖(現在の地図では見られない)とキネレト湖と、その双方を結んで流れる川である。
 ハツォル、ケデシュなどを擁する19の町とそれに属する村がある。

 ヨシュ19:40-48〈ダン族〉
 七番目、つまり最後のくじで嗣業の土地を割り当てられたのは、ダン族であった。
 彼らの嗣業の土地はユダ族の土地(ヨシュ15:1-12)の北側にあり、東はベニヤミン族(ヨシュ18:11-28)、北はエフライム族(ヨシュ16:4-10)に接し、西は大海に面す。
 ティムナを擁する18の町とそれに属する村(但しティンデル・ヨシュア記では「アゾル」の既述なく17の町となる。なお、アゾルは70人訳の写本に記述あると雖も、マソラ本文にはそれ無き由)がある。
 ━━しかしながら後年、ダン族は土地を奪われ、ずっと北のレシェム(ナフタリ族の土地とヨルダン川東岸にいるマナセの半部族の土地の間にあり、キネレト湖の上にあった無名の湖の北方に広がる地域)を攻めて滅ぼし、ここを自分たちの第二の嗣業の土地とした。その折にレシェムからダンと改められた。

 ヨシュ19:49-51〈相続地の配分を終わる〉
 こうして嗣業の土地が与えられたのである。各部族はヨシュアに、自分たちの嗣業の土地の一部を贈った。
 ヨシュアは主の命令に従って、エフライム族の土地の中央丘陵にあるティムナト・セラ(シケムの南西の町キルベト・ティブネ)に町を建てて住まい、後にそこへ葬られた。
 土地の配分はシロにある臨在の幕屋、主の前でヨシュアと祭司エルアザルがくじ引きで行い(ヨシュ14:1)、ダン族とヨシュアへの配分を以て終了した(ヨシュ19:51)。

 「レビ記」で見た“律法”と、ここ「ヨシュア記」他で見た“地理”は腰を据えて読むよりない、でもわかって読むと無類に面白い箇所である、と事ここに至ってようやく自信を持って言い切ることができるようになりました。
 地図を開いて注釈書を繙き、と作業はぐんと増えたものの、元来の地理好き・歴史好きが幸いしてとても楽しく読むことができた、と告白しておきます。

 ノートに「70人訳」と「マソラ本文」とありますが、今後も出てくるかもしれないので、簡単に説明しておきますと、━━
 ・マソラ本文;旧約聖書(ヘブライ語聖書)の原典は、マソラ(「継承」イ)学者と呼ばれるユダヤ教の聖書学者たちが残したもので、今日各地にその写本が伝わって活用されています。それに基づいたのが、「マソラ本文」であります。
 ・「70人訳」;本来なら「七十人」と変換すべきなのでしょうが、横書きだとこちらの方が据わりがいいので……。こちらは紀元前3-2世紀にヘブライ語原典から翻訳されたギリシア語訳であります。新約聖書で旧訳の内容に触れる場合、このギリシア語訳/70人訳に拠った、とのこと。最古の写本といって過言ではないのでしょう。



 『銀河ヒッチハイクガイド』を観ました(260ch 洋画シネフィル・イマジカ)。何十回目?
 奇想天外なストーリー。シュールな世界観、ユニークな設定。小技の効いたギャグ。一筋縄ではいかないキャラクター。どれも好きです。
 博士、おいらも海岸線を造りたいです。そちらがフィヨルドで賞を受けたなら、こちらは三陸海岸のリアス式海岸をちまちま造って、ちっちゃい賞をもらいます。
 加えてボヤキ節炸裂のマーヴィンがねぇ、途轍もなくかわいくて、すっとぼけていて良いのです。おいらのなかでは、青色ネコ型ロボットと双璧をなすロボット。

 この映画について書くなら、この三つの文句を欠いてはならぬ。つまり、━━
 ♪さよなら、魚をありがとう♪ So Long, and Thanks For All The Fish.
 どんなときもタオルを忘れるな 
 慌てるな Don't Panic!

 原作は河出文庫からシリーズ全作(全三部全五冊)が邦訳されています。読むべし。
 ダグラス・アダムスは物故しましたが、その世界は不滅です。◆

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第0202日目 〈ヨシュア記第18章:〈その他の七部族〉&〈ベニヤミン族〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第18章です。

 ヨシュ18:1-10〈その他の七部族〉
 かのやうにしてヨルダン川東岸はガドとルベン族、マナセの半部族に、川の西岸はユダとエフライム族、マナセの半部族に嗣業の土地として分割され統治された。
 ヨルダン川の東に嗣業の土地を与えられるのは他に七つの部族、その順番はくじ引きで決定され、以下のように為された(ex:ヨシュ13:7「九つの部族とマナセの半部族に」云々)。
 も少しいえば、ヨシュアは残る七部族から三名ずつ出させ、未だ与えられていない嗣業の地を巡回、七つに分割させて記録させ、自分の許に戻ってくるよういってあった。それらの作業が済むと、ヨシュアは残る七部族のために、シロ(エフライム族の嗣業の土地のなかにある)に集まった共同体全体の前で、そこに置かれた臨在の幕屋に坐す主の前で、分配のくじを引いたのであった。
 「あなたたちは、いつまでためらっているのだ。あなたたちの先祖の神、主が既に与えられた土地を取りに行くだけなのだ。」(ヨシュ18:3)

 ヨシュ18:11-28〈ベニヤミン族〉
 一番目のくじで土地を割り与えられたのは、ベニヤミン族であった。
 彼らの嗣業の土地はヨルダン川下流域西岸にあり、南はユダ族、西はダン族、北はエフライム族と境界を接している。いうてみれば、潰れた鳩サブレーみたいな形だ。
 エリコを擁す、12の町とそれに属する村がある東部地域と、エブス即ちエルサレムを擁す、14の町とそれに属する村がある西部地域に分けられる(ティンデル・ヨシュア記 R.S.ヘス P289-292 いのちのことば社)。

 シロ、という町が登場します。この町は本文に記したようにエフライム族の嗣業の土地のなかにありますが、ヘスの前述書によれば、シロに聖所、臨在の幕屋を置くことはイスラエルにとって神との約束の成就であり、3つ後ろに置かれた「サムエル記上」第1-4章に見る如くエリの時代まで祭儀の中心を担った町である由(P286-288)。
 ちなみに、サムエル記上第4章にて、シロから契約の箱、即ち聖櫃(アーク)が奪われます。まさに<失われた聖櫃>なのであります。インディでも呼べばいいのにね。
 「栄光はイスラエルを去った。神の箱が奪われた。」(サム上4:22)



 想いに圧しつぶされそうなときがある……おぐゆーさん、元気で毎日働いているかなぁ。
 ━━月明かりの下を帰りながら、そう思う。あ、俺やっぱりあの子が好きだ、とも。◆

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第0201日目 〈ヨシュア記第17章:〈マナセ族〉&〈ヨセフの一族の開拓地〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第17章です。

 ヨシュ17:1-13〈マナセ族〉
 ヨセフの長男マナセの半部族に与えられた土地は、中央の丘陵地帯の北側である。くじ引きで土地が配分された。残る半部族には既にヨルダン川西岸に、ガド族やルベン族と共に嗣業の土地が与えられた。
 さて。マナセの長子マキルはギレアドとバシャン地方を手に入れた。その他、10の嗣業の土地がマナセの5人の息子と5人の娘へ与えられた。
 北の境界線は次のように引かれた。川の東岸の或る一点を起点として、イズレエル平野の南方をほぼ左上がりに行き、大海に至る。こうして引かれたのが、北の境界線である。
 南の境界線は次のように引かれた。ヨルダン川を南下していった或る一点を起点として、呪いが置かれたエバル山(申11:29)の南方を抜け、ゆるやかな下り線を描いて大海へ至る。こうして引かれたのが、南の境界線である。これはエフライムの北境に接する。
 東の境界線はヨルダン川であり、西の境界線は北と南の境界線の西端を結んだ海岸線である。

 ヨシュ17:14-18〈ヨセフの一族の開拓地〉
 ヨセフの子らがヨシュアに訊ねた。なぜ一つの土地しか与えられないのか、我らは主に祝福されてこんなに数が多くなったというのに?
 ヨシュアはヨセフの子らに答えた。手狭と思うなら山地の森林に入ってそこを開拓し、レファイム人他の土地を開拓すればよいではないか。
 ヨセフの子らがヨシュアに重ねて訊ねた。開拓せよ、と仰る土地に住むカナン人やレファイム人他は鉄の戦車を持っているというのに?
 ヨシュアはヨセフの子らに重ねて答えた。彼らは強いかもしれないが、あなた方も数が多く強いのだから、必ずや追い出すことができよう。

 くだらぬ問答を聞かされている気分であります。



 あなたを世界で誰よりも想っています。真実。
 どれだけ待ってもいい。
 共に生きて、すべてを分かち合いたい。◆

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第0200日目 〈ヨシュア記第16章:〈ヨセフの一族〉&〈エフライム〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第16章です。

 ヨシュ16:1-3〈ヨセフの一族〉
 ヨセフにはマナセとエフライムという二人の息子がいた。それぞれに嗣業の土地が与えられた。彼らの土地はヨルダン川東岸地方に広がり、北はヨシュ19:10-31で詳述されるゼブルン、イサカル、アシェル族の南の境界に接し、南はヨシュ18:11-28のベニヤミン族、ヨシュ19:40-48のダン族の北の境界に接する。
 丘陵地帯の中央がエフライムとマナセに与えられた嗣業の土地である。

 ヨシュ16:4-10〈エフライム〉
 中央の丘陵地帯の南側がエフライムに与えられた。
 東と北の境界線は次のように引かれる。川の東岸の一ヶ所を起点として、祝福が置かれたゲリジム山(申11:19)のふもとのシケムの町を目指し、そこから西方向へ大海に向けてゆるやかな弧を描く。こうして引かれた線が、東と北の境界線である。
 南の境界線は次のように引かれる。川の東岸の同じ一ヶ所を起点として、ベテルの町の南方を通ってやや急な左上がりの線を描き、やがて大海に至る。こうして引かれた線が、南の境界線である。
 西の境界線は北と南の境界線の西端を結んだ海岸線である。
 他にも、マナセ族の土地のなかにもエフライム族の町がある。
 また、エフライム族はゲゼルに住むカナン人を完全に駆逐することはできず、彼らを強制労働に服させている。

 聖書に出て来る地名は必ずしも一つの名前のみを持つわけではない。その単純な事実を念頭に置いておくと、案外頭を悩ませないで済むかもしれません。
 むろん古代の書物に記された地名ゆえ、後の「ゲリロト」と「ギルガル」の如く、絶対的なイコールで結んでよいか否か、学者や教会の人々の意見が割れる場合もあるようですが。
 でも、わたくしたちは(すくなくともさんさんか自身は)そんなことに拘泥する必要もないでしょう。取り敢えずは素直に味わえばよい。目の前に出されたままで、そこに書かれた記述を丸ごかしに噛み砕いてゆけばよい。疑念が生じたら他の訳や事典や概説書を繙いて納得ゆくまで調べればよい。そう思うております。



 性懲りもなくCSで放送中の『ブレード・ランナー』を観る。いまはリドリー・スコット監督によるディレクターズ・カット版を放送中。◆

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第0199日目 〈ヨシュア記第15章:〈ユダ族の境界線〉、〈オトニエル〉&〈ユダ族の町〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第15章です。
 ここから各部族の嗣業の土地配分が語られます。本章はユダ族。
 多少記述が煩雑になりますが、宜しくご了承下さい。

 ヨシュ15:1-12〈ユダ族の境界線〉
 ユダ族へ割り与えられた土地の境界線は、以下の通りである。
 ○南境
 塩の海(死海)の南端から南西方向へ、ツィンの荒れ野を貫きカデシュ・バルネアへ至る。そこからアツモン目指し西北方向へ線を引いてゆくと、エジプトの川(ワディ・エル・アリーシュ)にぶつかる。その流れに沿って大海(地中海)へ出る。これが南の境界線である。
 ○東境
 塩の海の湖岸線が東の境界線である。
 ○北境
 塩の海へヨルダン川は注ぎこむ。その河口を起点として西の方角へ線を引く。エルサレムの南方、ベツレヘムの北方を横断してベト・シェメシュを経て大海へ出る。これが北の境界線である。
 ○西境
 ここは大海の海岸線である。北の境界線と南の境界線を結んだ線が、西の境界線である。

 ヨシュ15:13-19〈オトニエル〉
 カレブはヨシュ14:12でヨシュアに約束した、己の嗣業の土地として与えられたヘブロン(旧名:キルヤト・アルバ)に潜むアナク人は自分が駆逐する、と。彼はそれを実行し、そのままデビル(旧名:キルヤト・セフェル)へ攻め上がった。
 カレブはそこを占領した、兄弟ケナズの子オトニエルに娘アクサを妻として与えた。カレブは彼女を祝福して上の泉と下の泉を与えた(ヨシュ15:18-19)。
 ※この箇所は創24、イサクとリベカの出逢いと結婚の再現である由(ティンデル・ヨシュア記、リチャード・S・ヘス P266、いのちのことば社)。

 ヨシュ15:20-63〈ユダ族の町〉
 以下は4つの地域それぞれに含まれるユダ族の町の数である。()内の数字は本文に基づく町の実数である。
 ・南部ネゲブ(ヨシュ15:21-32)には29(35or36)の町とそれに属する村が、
 ・西部山麓(ヨシュ15:33-47)には39(40)の町とそれに属する村と、エクロンやガザ、大海沿岸の町とそれに属する村が、
 ・丘陵地帯(ヨシュ15:48-60)には49の町とそれに属する村が、
 ・荒れ野(ヨシュ15:61-62)には6つの町とそれに属する村が、
ユダ族に与えられ、子孫が受け継いだ嗣業の土地である。
 なお、エルサレムは嘗てアモリ人の町で、後にエブス人の町になった。イスラエルはエルサレムからエブス人を駆逐することができなかった。ゆえにエブス人はイスラエルとこの町で共存することになった。この町は後の世になってダビデ王が支配した。
 ※今日のエルサレム問題の遠因といえましょうか。

 今回のノートは手こずりました。読むのは数分でも、ノートを作成するのに約1時間半。理由は、旧約聖書の当該本文をご覧になればおわかり頂けるでしょう。……わかってくれよぉ~っ!
 そろそろ写真(スキャンした地図)を載せる必要が出てきたかなぁ━━。物書きの意地でなんとか言葉と文章だけで、大まかなイメージを読み手の頭のなかに浮かばせたい、と願っているのですが……。



 雨が降る寒い土曜日。出掛ける予定も特になく、日がな一日ブラームスを聴く。
 交響曲第1番(カラヤン=BPO:ロンドン・ラスト・コンサート)で弾みをつけ室内楽と歌曲。
 ブラームスの作品で好きなのはなにか、と訊かれて迷いなくすぐに挙げるのは、弦楽六重奏曲すべてと弦楽五重奏曲すべてです。「すべて」といっても各2曲しかないのですが、どれも室内楽全体の傑作と称すべき逸品。定家の口吻を拝借すれば握玩して常に傍らへ侍らせどこまでも鍾愛して能わざる作品であります。
 これに限らずブラームスの室内楽に外れがあるとは思えない。もしブラームスを軽んじる自称・室内楽愛好家がいたなら、それはスノッブを気取った一知半解の衆であります。極言すれば、後ろ指を指したって一向構わないと思います。わたくしは先に挙げた他は、特にヴァイオリンとクラリネットの為に書かれた各ソナタをよく聴く者であります。
 就中ブラームスは室内楽ばかりでなく、作品のムラが全ジャンルに渡って著しく少ない作曲家といえましょう。LFJがブラームスをテーマにしたら、喜び勇んで馳せ参じることでしょう。◆

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第0198日目 〈ヨシュア記第14章:〈ヨルダン川の西側〉&〈カレブ〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第14章です。

 ヨシュ14:1-5〈ヨルダン川の西側〉
 シナイの荒れ野から北上したイスラエルの民は、まずヨルダン川東岸諸国を攻め滅ぼして後、川を渡って西岸に広がる諸国へ侵攻、これを自らのものとした。
 その地域は、ヨシュアと祭司エルアザルによって9つ半の部族に、くじ引きで分け与えられ、嗣業の土地として各部族のものとなった。それは第15章以後で語られる。

 ヨシュ14:6-15〈カレブ〉
 ここで我らは一つの懐かしい名前に出会う。それをユダ族のケナズ人エフネの子即ちカレブという。嘗て民13:1-14:38にてカナン偵察隊の一員として彼の地へ赴き、帰還して最後まで唯一生き残った者である。
 このときカレブは齢85。彼は或る日、ヨシュアの許を訪れて、斯く曰く、━━
 カナン偵察から帰還してモーセに報告をした、仲間はカナン侵攻断念を進言し、私カレブは主の意志に従ったカナン侵攻を訴えた。結局我々はカナンへ入り、その地を自らのものとして今日ここにいる。
 私がカナン侵攻を支持したとき、主はいわれた。あなた即ち私カレブが足を踏み入れた土地は永遠に、あなたとその子孫の嗣業の土地になる、と。ですからヨシュアよ、あのヘブロンの山地を私に与えてください、と。
 ヨシュアはこれを是として祝福し、ヘブロン一帯をカレブとその子孫に嗣業の土地として与えた。そこには未だアモリ人が潜んでいたが、それはカレブが一掃すると誓ったのである。
 この地方の戦いは、斯くして終わった。

 以前登場した人物がひょっこりと顔を出してくる場面に会うと、無性にうれしくなるものであります。旧約聖書の場合も同様ですが、殊に多くが契約や約束に絡んでの登場となるのは、やはり「旧約」の性質ゆえなのかもしれません。
 今回はカレブが再登場しました。忘れたころにやってくるサブ・キャラクター。なんとも口許がほころぶときであります。もっとも、自分の要求をいうだけいって退場するキャラクターでもあるのですが……。
 まぁ、多くは問いますまい。



 図書館で村上春樹の『もし僕らの言葉がウィスキーであったなら』(新潮文庫)を借りました。嗚呼、ウィスキー……。これのコーヒー版を書きたいなぁ。
 おいらの夢は、お金を貯めて横浜市内でパブかカフェを開くこと。ささやかだなぁ。◆

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第0197日目 〈ヨシュア記第13章:〈各部族の領地〉、〈ルベン族〉他〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第13章です。

 ヨシュ13:1-14〈各部族の領地〉
 歳月が流れて、主は老いたヨシュアにいった、━━
 侵攻して占領すべき土地はまだまだたくさんある。それは広大だが、私、あなた方の神、主はイスラエルの民のためにその土地に住まう人々すべてを追い払う。ヨシュアよ、敵対した彼らの土地を、イスラエルの9つの部族へ嗣業の土地として分け与えよ。それはヨルダン川東岸から西の海(地中海)沿岸までの地域である、と。
 既にガド族、ルベン族、マナセの半部族には、ヨルダン川西域が嗣業の土地として与えられていた。民32,申3に於いてモーセは、3つの部族にそれぞれ嗣業の土地を与えた。それは以下の通りである。

 ヨシュ13:15-23〈ルベン族〉
 ルベン族に与えられた嗣業の土地は、アルノン川から北方、メデバの台地全域がルベン族の嗣業の土地である。嘗てその全域は、アモリ人の王シホンの王国であった。

 ヨシュ13:24-28〈ガド族〉
 ガド族に与えられた嗣業の土地は、ヤゼル、ギレアド全域、アンモンの国の半分である。嘗てそこはシホン王の王国の一部であり、ギネレト湖南方へ至る、縦に細長い地域であった。

 ヨシュ13:29-33〈マナセの半部族〉
 マナセの半部族に与えられた嗣業の土地は、「マナハイムからバシャン全域、すなわちバシャンの王オグの王国全体、およびバシャンにあるヤイムの集落のすべてである六十の町、ギレアド地方の半分、バシャンのオグ王国の町アシュタロト、エドレイに及んだ。」(ヨシュ13:30-31)
 おわかりのように、3部族に配分されたなかではいちばん広大な嗣業の土地を、マナセの半部族は与えられた。
 なお、レビ族に嗣業の土地はない。主こそ彼らの嗣業であるからゆえに。

 これらは既に民数記と申命記にも出て参りました。
 参考までに申し上げれば、シホン王とオグ王への勝利は民21:21-35,申2:24-37,申3:1-11に、ガド族とルベン族、マナセの半部族への土地配分は民32:1-33,申3:12-17に、触れられてております。



 前々からまとめて読んでみたいと思っていた近代作家の一人が夏目漱石。今日ブック・オフでちくま文庫の全集第2巻を見つけ、わずかに逡巡して、戸板康二の『松井須磨子』(文春文庫)と共に購いました。むろん、小説全集というが正しいのですけれど。
 2009年中葉から後半にかけた読書テーマは漱石山脈の踏破になるかも……。2月の芥川龍之介、3月の中勘助と寺田寅彦で味を占めたかなぁ。◆

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第0196日目 〈ヨシュア記第12章:〈ヨルダン川の東方で征服された王たち〉&〈ヨルダン川の西側で征服された王たち〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第12章です。

 ヨシュ12:1-6〈ヨルダン川の東方で征服された王たち〉
 カナン侵攻の序盤、モーセとその一行は荒れ野を北上し、アルノン川を渡った。
 戦の末に彼らはアモリ人の王シホンが支配する東アラバ全域と、レファイム人でシホン王の領国の上、即ちバシャンの王オグが支配するバシャン全域とギレアドの半分を占領した(ex:申2:24-37、申3:1-17)。
 二人の王は撃ち殺され、その領国をモーセはガド族とルベン族、マナセの半部族に与えた(ex:申3:12-17)。

 ヨシュ12:7-24〈ヨルダン川の西側で征服された王たち〉
 カナン侵攻の中盤と終盤にかけて、ヨシュアとその一行はヨルダン川を渡り、その西方諸国を攻めた。それは、「レバノンの谷にあるバアル・ガドからセイル途上にあるハラク山に至る地域」(ヨシュ12:7)であり、「山地、シェフェラ、アラバ、傾斜地、荒れ野、ネゲブであって、(中略)ヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人が」(ヨシュ12:8)暮らす地域であった。そこはことごとく攻め落とされ、占領下に置かれた。
 西方諸国の王は全部で31人。以下がそのリストである。
 01:エリコの王
 02:ペテルに近いアイの王
 03:エルサレムの王
 04:ヘブロンの王
 05:ヤルムトの王
 06:ラキシュの王
 07:エクロンの王
 08:ゲゼルの王
 09:デビルの王
 10:ゲデルの王
 11:ホルマの王
 12:アラドの王
 13:リブナの王
 14:アドラムの王
 15:マケダの王
 16:ベテルの王
 17:タブアの王
 18:へフェルの王
 19:シャロンにあるアフェクの王
 20:マドンの王
 21:ハツォルの王
 22:シムオンの王
 23:メロンの王
 24:アクシャフの王
 25:ダナクの王
 26:メギドの王
 27:ケデシュの王
 28:カルメルのヨクネアムの王
 29:ドル台地のドルの王
 30:ガリラヤのゴイムの王
 31:ティルツァの王
以上である。
 イスラエルの諸部族への、これら占領した西方諸国の領土分割がヨシュア記第13章から語られてゆく。

 こうしてイスラエル諸部族のための、かねてより約束されていた領土(嗣業の土地)のくじ引き、それに従った土地配分が行われる、いわば下準備が完了したことを告げる章であります。
 簡潔ながらも心引き締められるものを感じるのでありました。



 数年ぶりに母校の三田の丘へ行き、涼風に吹かれながら、懐かしい時間を一緒に過ごしました。
 相変わらず公園は隠れ家的スポット。大銀杏の下は女子大生に人気のよう。毎度ながら生協は混雑……。
 変わる環境のなかに変わらぬ時間がある。本郷も御茶ノ水も、三田も。そんななかで生きてゆきたい。◆

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第0195日目 〈ヨシュア記第11章:〈ハツォルとその同盟国の征服〉&〈占領地〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第11章です。

 ヨシュ11:1-15〈ハツォルとその同盟国の征服〉
 王国の盟主、ハツォルの王ヤビンがイスラエルを迎え撃つため、同盟国へ伝令を遣わし、メロムの水場へ集結、総力戦に挑んだ。
 しかし、主は既に彼らの運命を自らの民へ渡していた。ヨシュアはメロムの水場を急襲し、ハツォルの連合軍を破り、人間をことごとく剣にかけて滅ぼし、馬の脚の筋を切り、戦車を焼き払った。ハツォルは占領され、王も殺められ、町は焼き滅ぼされた。但し、焼き討ちに遭ったのはハツォルのみで、他の、丘の上の町はそのままであった。
 「主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりとした。主がモーセに命じられたことで行わなかったことは何一つなかった。」(ヨシュ11:15)

 ヨシュ11:16-23〈占領地〉
 これらの侵攻によってヨシュア/イスラエルは塩の海(死海)のずっと北方、キネレト湖(ガリラヤ湖。現在のチベリアス湖)の周辺地域、即ち、「山地、ネゲブ全域、ゴシュンの全地域、シェフェラ、アラバ、イスラエルの山地とそれに続くシェフェラ、すなわちセイル途上にあるハラク山から北はヘルモン山のふもとにあるレバノンの谷にあるバアル・ガドまで」(ヨシュ11:16-17)の広大な一帯である。
 このうち和を結んで得たのはギブオンのみで、他はすべて侵攻の途上の戦によって得た。アナク人はイスラエルの領内から敗走し、ガザ(※)などに残るのみとなった。
 「この地方の戦いは、こうして終わった。」(ヨシュ11:23)

 ※昨今世界情勢の話題の的になる、あのガザであります。

 いよいよ、聖書事典の類と地図を導入する気になりました。しかし、前者はともかく、後者はなかなか良いものがない……。困ったものであります。



 晴れ渡って雲一つないこの前の日曜日、赤レンガ倉庫へおふらんすからやって来た機械仕掛けの大クモと小クモのパレードを観てきました。故郷の町の開港150年博を飾るイヴェントの一環。
 ふと、“群衆のなかのロビンソン・クルーソー”という言葉が浮かぶ。嘗て江戸川乱歩がアーサー・マッケンを評して残した名句。今日の自分はつくづくそれだな、と。
 多くの家族連れがいて、多くのカップルがいて。結婚式までやっていて、花婿さんも花嫁さんも幸せそうで、周囲の人から歓声と祝福と拍手を受けて。
 世の中には何故斯くもパートナーのいる人ばかりなのだろう?
 独り身って本当はこの世界にぼくだけしかいないのではないか?
 この人混みのなかにあの人がいる。なぜか、そう思った。たちまち深い孤独感に襲われた。そして、その場を離れた。あの人が誰かと仲むつまじくしている場面なんて、できれば目にしない方が良いに決まっている。
 あんなちっぽけな幸せさえ、ぼくには求めても与えられないのか。その努力さえ常に無に帰すばかりで。なんでこんなにカップルやパートナーのいる人ばかりなんだろう。たった一つの希望は、ただ一人の人と向き合うことだけなのに。
 愛する者はすべて、根刮ぎ奪い取られる。それはぼくの人生に於いて不変の真実である。それは永久に続くのかな?
 ただ一つの希望を与えてほしい。おぐゆーさん、ぼくを救ってください。……。

 まぁ、mixiなりどこなりででも、自分たちだけの閉鎖されたコミュニティで、“カカカ”と笑えばいい。
 ぼくはそんな「君たち」を軽蔑し冷笑する。「君たち」はぼくの何を知っているの? どんな<事実>を知っているんだい?
 「君たち」がやっているのは、単なる子供じみた中傷。◆

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第0194日目 〈ヨシュア記第10章:〈五人の王の征服〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第10章です。

 ヨシュ10:1-43〈五人の王の征服〉
 【小見出しの五人の王とはアモリ人、即ちエルサレムの王アドニ・ツェデク、ヘブロンの王ホハム、ヤルムトの王ピルアム、ラキシュの王ヤフィア、エグロンの王デビルである。彼らはヨシュア率いるイスラエルの民のよって殺され、その町は占領、息ある者はみな滅ぼされた。】

 エルサレムの王アドニ・ツェデクはヨシュア一行の進撃に恐れ、ギブオン服従を知ると、他のアモリ人の王に呼びかけて連合軍を結成し、ギブオンを攻めた。
 ヨシュアはこれを守るために迎撃し、敗走するエルサレムの連合軍を背後から討ち、また、主はベト・ホロンの下り坂で大粒の雹を降らせて連合軍の兵士を多く死なせた。
 「主がこの日のように人の訴えを聞き届けられたことは、後にも先にもなかった。主はイスラエルのために戦われたのである。」(ヨシュ10:14)
 斯くして、「ヨシュア率いるイスラエルの人々は敵に決定的な大打撃を与え、ついに全滅させた。」(ヨシュ10:20)
 敗走するエルサレムの連合軍の王はマケダの洞穴に隠れていたのを発見されて、首を踏みつけられて処刑された。
 その後、ヨシュア率いるイスラエルの民はマケダの町を、リブナの町を、ラキシュの町を、エグロンの町を、ヘブロンの町を、デビルの町を攻めて占領し、王を含めた全住民を剣にかけて滅ぼし尽くした。ヨシュアはこの地域一帯を征服し、ギルガルへ凱旋した。

 聖書を読んでいると記述の錯簡に惑わされそうになることがあります。
 これは町の名前なのか? 人の名前ではなかったか? などなど、疑問に思い始めれば、無限の疑惑ループに陥りかねないほど。
 でもこれは、我が国の『古事記』や六国史、或いは朝鮮半島の史書でも同じ問題を抱えているので、研究目的でない限り、いちいち拘泥する必要はないと思います。



 カフカの『変身』を読みました(池内紀・訳 白水社uブックス)。面白くて恐ろしい、最後の希望がまた残酷……。嗚呼、グレーゴル・ザムザよ!◆

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第0193日目 〈ヨシュア記第9章:〈ギブオン人の征服〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第9章です。

 ヨシュ9:1-27〈ギブオン人の征服〉
 主が率いるイスラエルの民の軍は、エリコとアイを滅ぼして猶進撃の歩を休めなかった。これを、「ヨルダン川の西側の山地、シェフェラ、レバノン山のふもとに至る大海の沿岸地方に住むヘト人、アモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の王たちは」(ヨシュ9:1)団結して迎え撃とうと決め、準備を始めた。
 だがヒビ人、ギブオンの住民は主のイスラエルの民の軍の強力なのを知って、身をやつし素性を隠してヨシュアの許へ亡命した。ヨシュアは彼らがこれから討つ土地の先住民であるのを知らない。ヨシュアはギブオンの住民と講和を結び、命を守る誓いを、民の長老たちと誓った。
 その三日後、ギブオンの住民たちの素性がばれた。ヨシュアは彼らを詰問した。ギブオンの住民たちが答えて曰く、━━「あなたたちのゆえに命を失うのを非常に恐れ、このことをいたしました。ご覧ください。わたしたちは今はあなたたちの手の中にあります。あなたが良いとみなし、正しいと見なされることをなさってください。」(ヨシュ9:24-25)
 斯くしてヨシュアはギブオンの住人を受け容れ、共同体の奴隷として使役した。

 ヨシュ2に於いて遊女ラハブが、主が守りヨシュアが率いるイスラエルの民の力に恐れ、心くじけ、命を失うことを恐れたがゆえに、斥候二人に命乞いをしました。本章ヨシュ9に於けるギブオンの住民たちも、ラハブとまったく同じ気持ちから主の軍に服従する道を選び、自分たちの命の存続を図ります。
 記述があるからラバンとギブオン住民が目立ちますけれど、実際にはもっと多くの亡命者(投降者)がいて、イスラエルへ従属した者がいたのではないか、と思います━━真っ当に考えれば、そうなるでしょう。
 また、読んでいてこの章が、カナン侵攻の正当性を後世に信じさせるために生まれ、差し挟まれた挿話のような感じも抱きました……特に根拠あっての論ではなく、あくまで直感でありますが。我が国の『古事記』や『日本書紀』(六国史の他の史書には、さすがにこんな形跡は見当たりませんが)が同様の作業を経て今日見るような形になったことを思えば、民族のルーツを著す書物になべて斯様な作業が成された、と考えるのは、決して乱暴な、そして、故なきことではありません。



 ラジオ・ドラマの入稿がGW開けになった。GWも働けってか。合点だ。任せておけ。
 で、妄想/希望/願望のお時間が始まる。
 おぐゆーさんがLFJの差し入れに一緒に行こうよ、と誘ってきたら? そりゃもちろん、行きますよ。例え電車が人身事故で停まったって、交通事故で病院へかつぎ込まれたって、おいらは行く。その様、足が地に着いていないでしょうナ。はい。◆

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第0192日目 〈ヨシュア記第8章:〈アイの滅亡〉&〈エバル山での律法の朗読〉、今年のLFJに向けて。〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第8章です。

 ヨシュ8:1-29〈アイの滅亡〉
 エリコに続きアイの町を、イスラエルの民は攻めて滅ぼした。それは下のようにして為された。
 ヨシュアは三万の兵を選りすぐり、アイの町の後方へ、伏兵として夜に配した。
 彼らはヨシュア率いる軍勢がアイへ接近し、敵をおびき出して町から引き離したら、守備なきアイを攻め滅ぼして煙をあげ、敵勢を背後から討って挟み打ちにし、これを亡き者とする。
 斯様にして陥落したアイの町の分捕り品と家畜は我らのものである。
 アイの町は久遠の廃墟と化して捨て置かれ、王は吊し首とされた。「アイの王を木にかけて夕方までさらし、太陽の沈むころ、命じてその死体を木から下ろさせ」(ヨシュ8:29)た。これは、申21:23などの実行であった。

 ヨシュ8:30-35〈エバル山での律法の朗読〉
 ヨシュアは、嘗てモーセが申27:1-26で命じたように、ヨルダン川を渡りカナンの地へ入ったらば、教えたように祭壇を築き律法を石へ刻み、神の祝福と呪いの言葉(申28:1-68)、そうして律法の言葉を、エバル山とゲリジム山へそれぞれ民を立たせて、すべてのイスラエルの民の前で朗読したのであった。

 ヨシュア記は前半のカナン侵略、後半の土地配分に分けられますが、この章は前半のクライマックス的位置づけをできる箇所。加えて、侵略が一区切りしたことを示す章でもあります。ゆえに律法が朗読され、神の祝福と呪いと律法の朗読が、満を持して行われたのでありました。



 知己の男と約5時間ほど対談。テーマは「バッハ」。むろん、今年のラ・フォル・ジュルネに合わせたのである。媒体は某CDショップのフリー・マガジンだが、掲載は危うい方向へ。事情は省く。
 初めてコンサートで聴いたバッハはBWV243 《マニフィカト》、次いでBWV244《マタイ受難曲》、BWV245《ヨハネ受難曲》。《マタイ》は二種のヴァージョンで聴いた。マタイ研究会管弦楽団・合唱団の演奏は未だ最高水準だね、という話を経て井方景紀氏のシューマンのLPに飛び、戻ってカンタータと賛美歌、詩篇の関係、シュヴァイツァーとバルヒャ、リヒター、グールド、カザルス、コーガン、メンゲルベルクのバッハ演奏について放談し、昨今のCD事情へ話題を移し、最後は個人的に偏愛するバッハ作品を挙げてお開き。
 わたくしが挙げたのは、前述の3作品に加えて以下のようになった。個人的備忘録を兼ねて列記します。考えすぎると、却って無難なセレクションになるという見本になりましょう。
 ・BWV1041ヴァイオリン協奏曲第1番
 ・BWV846-869《平均率クラヴィーア曲集》第一巻
 ・BWV870-893《平均率クラヴィーア曲集》第二巻
 ・BWV988《ゴルドベルク変奏曲》
 ・BWV578《フーガ》ト短調(小フーガ)
カンタータからは悩みに悩んで結局無難に、
 ・BWV140《目覚めよ、とわれらに呼ばわる物見らの声》
 ・BWV147《心と口と行いと生活もて》
 ・BWV202《消えよ、悲しみの声》(結婚カンタータ)
 ・BWV208《楽しき狩こそ我が悦び》(狩りのカンタータ)
 ・BWV211《お静かに、お喋りせず》(コーヒー・カンタータ)
 ・BWV212《われらの新しいご領主様に》(農民カンタータ)
の6曲を。こんな事せずとも、バッハの声楽曲と鍵盤曲はすべて聴いていたいのだ━━。
 で、問題はこの対談が終わったあとに起こったのだが、まぁ、語るのは止めておきましょう。互いの名誉のために。◆

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第0191日目 〈ヨシュア記第7章:〈アカンの罪〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第7章です。

 ヨシュ7:1-26〈アカンの罪〉
 エリコ近郊にアコルと呼ばれる谷がある。アコルとは「主によってもたらされる災い(アカル)」という意味であった。
 その谷がアコルの谷と呼ばれるようになったのは、次のような謂からである。

 ペテルの東、ベト・アベン近くにあるアイの町の攻略は失敗に終わった。ヨシュアは、これが祟って、却ってイスラエルが滅亡するやもしれぬ、なぜこんなことになってしまったのか、と主へ訴えた。すると、主の曰く、━━
 エリコ攻めの折、滅ぼし尽くすべきものはすべて主へささげ(ヨシュ6:17)、それを欲しがったり掠め取ったりしないようにせよ(ヨシュ6:18)、とわたし、あなた方の神である神、主は命じた。その命令に、ユダ族はゼラ氏族、ザブディ家のカルミの子アカンが背き、ささげられるべき滅ぼし尽くすものの一部を隠匿していたのが発覚した。
 ヨシュアは隠匿物を差し押さえて焼き、アカンとその家族を石で打ち殺した。これがアコルの谷での出来事であった。彼らを埋めた塚は、今日でもそこにある。
 こうして主の怒りは収まったのだった。

 「イスラエルの人々は、滅ぼし尽くしてささげるべきものに対して不誠実であった。」(ヨシュ7:1)
 「立ちなさい。なぜ、そのようにひれ伏しているのか。」(ヨシュ7:10)

 一にして全、全にして一。この均衡が崩れたときが主への背反であり、凄まじい怒りが民の上に落ちる。
 創世記以来たびたび目にしてきた光景であり、思想━━主は自らの民、イスラエルを純潔の民として他とは明確に区別する、という強固な意志のゆえに斯くも無慈悲であり続けてるのか、ふとそう思うのであります。



 ぽっくら、ぽっくら帰宅して最初にしたことは、長く生気の失せた溜め息をつくことであった。なんともgood grief(やつてられんわ)な気分に支配された一日であったのだ、とのみいまは語る。
 なんともやりきれんので、明日は昼から一見さんお断りの店に籠もり、手酌で一杯きこしめそう。これって淋しいことだが、無カノジョだからできることなんだよな……。
 おぐゆーさんがカノジョだったら? そんな……てへ、てへ。━━以上、妄想収監。◆

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第0190日目 〈ヨシュア記第6章:〈エリコの占領〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第6章であります。

 ヨシュ6:1-27〈エリコの占領〉
 主はヨシュアに命じ、ヨシュアは民に命じ、民はエリコの町を攻略する。それは次のような手順で為された。

 これより七日後にエリコを討ち、壊滅させる。
 まず、七人の祭司は雄羊の角笛を携えて、契約の箱を先導せよ。武装兵は二つに分けて、前衛は祭司の前を行き、後衛は契約の箱へ従え。民はその後ろにあって進む。
 初日から六日目まで、あなた方は町のまわりを一日に一周する。祭司は雄羊の角笛を吹き鳴らす。
 七日目は町のまわりを七周し、七周目に角笛が長く吹き流されたら、民は鬨(とき)の声をあげる。エリコの警備がそれに戦(おのの)き、崩れたら、そこから町へ攻めこみこれを滅ぼせ。
 斥候二人をかくまってくれた遊女ラハブとその縁者を連れ出し避難させ、金と銀と銅器と鉄器を主の宝物倉へ収める他は、すべて滅ぼし尽くすべきものである。背く者に災いあれ。

 イスラエルの民の手に落ちたエリコの町は、その後、再建されることがなかった。ヨシュアが斯く申し渡したからである。
 「この町エリコを再建しようとする者は、/主の呪いを受ける。/基礎を据えたときに長子を、/城門を建てたときに末子を失う。」(ヨシュ6:26)



 今回はちょっと個人的な書き置き。或る方へ向けた、酒の席でヒート・アップした話題の最終答弁です。
 嘗ての勤務先へ差し入れと称して遊びに行ったり、無意味に接触を取ったりする(個人的に、ではなく)のは、一社会人として最低の行為やと思います。ケジメをつけるのは、社会人として最低限守るべき礼儀や道徳でしょう。
 それを受け容れている側にも問題あると思いますけれどね。まぁ、お友達感覚でしかない職場なら話は別でしょうが。
 私? 仮にどんな終わり方をしたとしても、縁が切れた以上は招聘されない限り足を向けたりしませんな。みっともない。
 これが当方の答弁です、J.Aさん。◆

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第0189日目 〈ヨシュア記第5章:〈契約のしるし〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第5章です。

 ヨシュ5:1-15〈契約のしるし〉
 主はヨシュアに命じた。途中荒れ野で生まれた者らへ割礼を施せ、と。
 エジプトを脱出した往時の民、戦士である成人男子は嘗て荒れ野で割礼を施されていたが、荒れ野生まれの者たちは未だ割礼されていなかったからである。ヨシュアは火打ち石の刃物をこしらえて、民全員に割礼を受けさせた。
 これによって、エジプトでの恥辱は取り除かれた(ガラ)。それ故にこの地はギルガルと呼ばれるようになった。

 その日の十四日の夕刻、エリコの平野で過越祭が祝われ、土地の産物は酵母なしのパンなどにして食べた。最早、彼らにマナはない。それまで民の常食だったマナは、土地の産物を食べるようになってから既になくなっていたのである。
 また、エリコの平野で、ヨシュアは、抜き身の剣を持った主の将軍と出会った。将軍は、ここは聖なる地だから履き物を脱げ、と命じ、ヨシュアはそれに従った。

 割礼とマナ。ここでようやく我々読者は、民全体が世代交代を果たしたことを、如実に教えられるのでありました。それは、小見出しの示す通りであります。



 できたてのカレーパンを食べたら、舌の先をちょいヤケドしました。それだけの話。◆

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第0188日目 〈ヨシュア記第4章:〈記念の十二の石〉with『友情』から「ハイリンゲンシュタットの遺書」へ。〉 2021/04/17改訂 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第4章です。

 ヨシュ4:1-24〈記念の十二の石〉
 主はヨシュアを通じて民に命じた。契約の箱を担ぎヨルダン川のなかにいてその流れを塞き止めているレビ人の祭司たちの許へ、各部族の代表者各1名、計12名を遣わしてそこから、それぞれ1個ずつ合計12個の石を拾わせ、今宵宿営する場所へ立てよ。
 それらの石の意味を、謂われを知らぬ子供たちへこう伝えて教えよ。「ヨルダン川の流れは、主の契約の箱の前でせき止められた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダンの流れはせき止められた。これらの石は永久にイスラエルの人々の記念となる。」(ヨシュ4:7)

 主はヨシュアを通してレビ人の祭司たちへ命じた。ヨルダン川から上がって来よ、と。すると塞き止められていた川の水は奔流となって、元のように堤を越えんばかりに流れ始めたのである。
 これは葦の海、即ち現在の紅海が割れてエジプトを脱出したのと同様に、主の御業である。

 その夜、民はエリコの東方、ギルガルに宿営し、件の12の石を立てた。これらの石の意味を、謂われを知らぬ子供たちへこう伝えて教えよ。「子供たちに、イスラエルはヨルダン川の乾いたところを渡ったのだと教えねばならない。あなたたちの神、主はあなたたちが渡りきるまで、あなたたちのためにヨルダン川の水を涸らしてくださった。(中略)それは、地上の全ての民が主の御手の力強いことを知るためであり、また、あなたたちが常に、あなたたちの神、主を敬うためである。」(ヨシュ4:2-24)


 第3章と対を成す、エリコ侵攻に伴って主が起こした奇跡を語る、後半に当たる部分であります。
 自分の拙い経験から申し上げれば、ヨシュア記第3章から第5章までは途切れることなく読んでしまった方が、理解もできましょうし覚えてもいられましょう、それに、物語としてもその方が楽しめます。




 武者小路実篤の代表作『友情』の結びの一文はこうである。
 「自分は淋しさをやっとたえて来た。今後なお耐えなければならないのか、まったく一人で。君よ助けたまえ。」
 一字だけアレンジさせて頂いた。興味ある向きは書店にて確かめられよ。
 また、ベートーヴェンの「ハイリンゲンシュタットの遺書」に斯くある。
 「この憧れていた希望━━すくなくともある程度までは、よくなるという望みを抱いてここまで来たのに━━その希望は、今やまったく私を見捨ててしまうに違いない。(中略)われに喜びの清い一日をいちどお与え下さい。(中略)だめですか━━おおそれはあまりにひどすぎる。」
 諸井三郎の著書『ベートーベン』(新潮文庫)より引用した。
 私はいつだってあなたの前に膝を折って額(ぬか)ずこう。◆

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第0187日目 〈ヨシュア記第3章:〈ヨルダン川を渡る〉 & 『篤姫』〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第3章です。

 ヨシュ3:1-17〈ヨルダン川を渡る〉
 カナン侵入、エリコ侵攻が始まる。イスラエルの民よ、レビ人の祭司たちが契約の箱を担いで進んだら、約2,000アンマの距離を置いて従い進め。
 ヨシュアは民に斯く曰(い)ひき、主は明日、驚くべきことを行う、と。
 主はヨシュアに斯く曰(のたま)ひき、契約の箱を担ぐ者らに命じよ、ヨルダンの川岸へ着いたら、その川のなかで立ち止まれ、と。
 「見よ、全地の主の契約の箱があなたたちの先に立ってヨルダン川を渡ってゆく。(中略)全地の主である主の箱を担ぐ祭司たちの足がヨルダン川の水に入ると、川上から流れてくる水がせき止められ、ヨルダン川の水は、壁のように立つであろう。」(ヨシュ3:11,13)

 時は春の刈り入れ時だった。民の進軍によりヨルダン川の水はずっと上流の町で塞き止められ、塩の海(アラバの海、とも)へ注ぐ水は一切立たれた。
 嘗てエジプト脱出のときに紅海(葦の海)が割れて民がその間を通っていったのと同じように、いままたイスラエルの民は、契約の箱を担ぐ祭司らが立って干上がったヨルダンの川底を通り、目指すエリコへ進んでいった。

 出エジプト記の遠いエコーですが、嘗てほどの逼迫感がないのは、民に主が示した明確な目標━━<約束の地>に住まう先住者の駆逐と占拠という明確な目標があって、それが支えになっているためなのかもしれません。



 いまさらながら『篤姫』を観ているよッ! DVD全巻レンタル計画進行じゃ。でもまだ後半の巻は新作扱いで、半額で借りても3日後には返さねばならぬのじゃ。なんとかして頂きたいのじゃ。放送中も殆ど毎回観ていたのにな~。
 閑話休題。
 幕末の人々って、みんなまっすぐだったんだな。自分の信念や理想、希望や夢、誇りにまっすぐな志を持っていた人々じゃった。調書(ずしよ)さまだって御自分の信念に生きて潔く自害なされたお方じゃ。彼らの末裔である現代の日本人は、彼らの目にはどう映るのだろう。
 吉田拓郎の「落陽」という歌の一節にあったな、「♪この国に賭けるものなどないさ」と。ゆえに流離いつづけるより他にない、と? そこまで落ちぶれた国民ではない、そう俺は信じる。

 ……で、大手町の大手企業にて商談後、本屋で宮尾登美子の『天璋院篤姫』(上下・講談社)を買って車中にて読み耽る。むろん、ドラマの原作じゃ。◆

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第0186日目1/2 〈ヨシュア記第2章:〈エリコを探る〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第2章です。

 ヨシュ2:1-24〈エリコを探る〉
 エリコ攻撃に先立ち、ヨシュアは二人の斥候を送り出した。
 彼らはエリコへ潜入したが、遊女ラハブの許にいるのが知れてしまった。ラハブの機転により難を脱した斥候の二人。ラハブは既にエリコの住民は、主に率いられたイスラエルの民を存在を恐れ、心がくじけてしまっている、と告げた。
 納得する二人に、ラハブが重ねて告げた。私はこうして主に従順を示したのだから、私と両親兄弟親類の命は助けて欲しい、と。
 斥候たちは諾った。目印となるよう窓枠に赤いリボンを結べ、そうすればお前たちの命は助けよう。但し、攻撃の際この建物の外にお前の縁者がいて犠牲になっても、我らに責任はない。また、我らのことを密告したら、赤のリボンの有無にかかわらず、お前たちを討つ。
 そうして斥候たちはラハブの手引きでエリコを脱出し、ヨシュアの許へ戻った。
 彼らは既にエリコの住民の心が、主の民の前にくじけている、と報告した。

 一人の女性がこうまでクローズ・アップされて語られるのは、旧約聖書では珍しいといいます。ざっと先までページを繰ってみましたが、なるほど、そうかもしれない。これが新約聖書になると女性の役割もずっと変わってくるのですが。そういう意味で、ラハブの存在は忘れがたいといえるかもしれません。
 いずれにせよ、カナン侵攻の前哨戦ともいえるエリコ攻略が、具体的に姿を現した章であります。



 日本映画専門チャンネル(706ch)で『丘を越えて』を観ていました。感想は別枠にて。◆

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第0185日目 〈ヨシュア記第1章:〈モーセの後継者ヨシュア〉〉 [ヨシュア記]

 ヨシュア記第1章です。

 ヨシュ1:1-18〈モーセの後継者ヨシュア〉
 主はモーセの後継、ヌンの子ヨシュアにヨルダン川を渡って、カナンへの侵攻を命じた。ヨルダン川と塩の海(死海)の西側一帯、太陽の沈む大海(地中海)までが、主が嘗て民へ与えると約束した地である。
 「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」(ヨシュ1:8-9)

 ヨシュアは役人を通じて、各部族へヨルダン川を渡る準備を命じた。
 また、既に嗣業の土地を与えられているルベン人、ガド人、マナセの半部族へ、嘗て主があなた方に嗣業の土地を与えられたと同様他の部族にはこれから嗣業の土地が与えられようとしている。あなた方はこれからヨルダン川を渡って同胞がその地を得られるよう助力し、それが済んだら自分たちの土地へ帰還せよ、と伝えた。
 彼らはそれを諾い、約束した。

 モーセの喪が明け、ヨルダン川を渡りカナンへ侵攻する用意が始まりました。このヨシュア記ではカナン侵攻、エリコ陥落、アイの滅亡、各部族への土地配分、シケムでの契約、ヨシュアの死、が語られます。
 言い換えるなら、旧約聖書の「歴史」のパートが開幕したわけであります。



 不要の請求書や原稿のコピーなど数百枚をシュレッダーにかけていた。だんだん許容範囲を超えてきたのかフウフウ喘いで、挙げ句にプンスカしてプヒッ、と止まってしまった。
 ピンセットやらで詰まった紙くずを地味~に、小一時間かけて取り除いてゆく。そんな自分の姿を想像して、思わず一言口走った(独り言っす)。━━「CSIになった気分だぜっ!」◆

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第0184日目 〈「ヨシュア記」前夜〉 [ヨシュア記]

 明日から聖書の読書ノートを再開始します。今回は、モーセ亡き後のイスラエルの民がカナンへ侵攻する、旧約聖書第六の書物、「ヨシュア記」であります。
 いまナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで『聖書の旅』という番組を放送中なのですが、こちらの方も適宜ご紹介してゆければいいと目論んでいますが、我ながら情けないことに自信はありません~。

 新年度になって新生活も2週間目に突入。新社会人のみなさん、もう馴れましたか?

 『宇宙戦争』(2005 監督:S.スピルバーグ、原作:H.Gウェルズ、出演:T.クルーズ・D.ファニング・T.ロビンス他)と『初恋』(2006 監督:塙幸成、原作:中原みすず、出演:宮﨑あおい・小出恵介・宮﨑将他)を観ました。後者の感想は後日。◆

  『初恋』公式サイト → http://www.hatsu-koi.jp/

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