第3752日目 〈親しき人、ヨブ。〉 [日々の思い・独り言]

 旧約聖書に収まる「ヨブ記」とは身に覚えのない罪によって肉体的苦痛精神的苦痛を味わわされた男の、神を呪詛する物語である。友ならざる友が好き放題に喚く身勝手ステレオ・タイプの主張に悩まされる男の話でもある。信仰が本物かどうかを試される男の話、というのが一般的にいわれるところ。
 最初に読んだとき、なんて難解な書物だろう、と何度頭を抱えたことか。いまでも難解という印象に変わりはない。繰り返し本文へ目を通しても、幾種かの註解や研究書を読んでみても、肝心の部分は未だ濃い霧のなかにある。
 斯様な状況にありながらもちか頃は、突破口となりそうなものを見附けた気がしている。「ヨブ記」に抱く難しさにかわりはないが、その内容・思想へ迫る取っ掛かりを、得たように思う。
 突破口とは、いまわたくしが味わっている肉体的苦痛である。それが生み出す不安と絶望である。空想の力によって創られた、快癒への希望である。
 「ヨブ記」は、神なる主とサタンによって、永遠に続くかのような苦しみと痛みを味わう羽目に陥った、ウツの地に住むヨブという男の話だ。どうして? なぜ自分が? この苦痛を与えた──なんの罪もないのに不当の苦しみを与えた自分の神を、ヨブは呪う(サタンの関与をかれは知らない)。この苦痛から解放されるならば、とヨブは、神なる主との論争に正面から挑む。
 わたくしの場合原因は概ね判明していると雖も、やはり「なぜ、このタイミングで?」「なぜ、わたくしばかりが?」「わたくしがどんな罪を犯したというのか?」という疑問からは逃れられない。特に痛みがひどい夜中には、ありったけの呪詛の言葉を吐き続けた。
 咨、これはもしかすると──ヨブと一緒ではないのか。あのとき、ヨブはこんな気持だったのだろうか。だとすれば、自分はいまこそ「ヨブ記」がわかるような気がする──。
 この思いを失うことがなければ、そうして元気でさえいられれば、「ヨブ記」〈前夜〉への着手と初稿の完成は、案外と早そうだ。◆

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