第3661日目 〈朝のこの部屋、昨夜のこの部屋。〉 [日々の思い・独り言]

 06時13分にPagesを立ちあげて、朝食までの時間を用いて短いものを書こうと思っている。なにを書くか、まだまったくこの時点では決まっていない。
 2023年07月11日(火)天晴。西日本は大荒れの天気だというのに、こちらは相変わらずの晴れ日だ。この時間から早くも「熱中症注意」のアラートが出ている。
 わたくしのいる病室はちょうど東に面していて、しかも前は職員用駐車場兼救急車両の停車スポットということもあり、朝の陽光を遮るものはなにもない。左手の丘陵には戸建住宅が隙間なく建ち並び、遠くに新幹線や東名高速道路が視界を横断しているけれど、それが日射しを防ぐ役に立つわけでないのは考えるまでもなかろう。そも病室とそれらは目算2キロ近く離れているようであり。
 部屋が東に面していて、朝陽を遮るものがなにもない、ということは、容赦なく室内に日射しが降り注ぐ、ということでもある。もっと率直に、正直にいおう、この部屋にいる限り起床時に時計はいらないし、誰かに起こされるのを待つ必要もない。太陽が起こしてくれるのだ。要するに、日射しが早朝から入りこんで来て、わたくしの体を温めるのだ──否、蒸し焼きにしようとするのだ。太陽が時計代わりになってわたくしを起こしてくれる、といえば聞こえはいいが……。
 こうした生活を何日も続けていると、ああこれがいちばん健康的な生活サイクルなのかもしれないな、と考えてしまう。農家の生活サイクルを喩えてよくいわれる言葉──朝太陽が昇ると共に起き、太陽が沈むと共に寝る──が、いまのわたくしの生活である、といえば一笑に付されるだろうか。が、ここまで書いてきたことを読んでくださればこの喩え、わりと首肯いただけるのではないか。朝は太陽に6時前から起こされ、夜は日没から数時間後の21時前に休んでいる。消灯時間だからね。
 入院してからずっと書いている日記を繙けば、わたくしの起床時間と就寝時間は瞭然だ。消灯時間=就寝時間、とは必ずしもならないけれど、消灯から1時間が過ぎる頃にはもう寝ているんだよ。人間とは環境に適合する生物なのだ。周りが暗くなって、しかもなんの音もしないとなれば、体はなにかを察してお休みモードに切り替わるようである。
 いま試みに、入院翌日からのわたくしの起床時間を、その日記から列記すれば、──
 2023/07/03(月)天晴
 0515 起床。コードネーム・マダム・イアダにおしぼりで顔拭かれる。昨夜最後のお手洗いからの帰途の際、車椅子押したる者なり。
 2023/07/04(火)天晴
 06:21 部屋点灯、起床。血圧・血中酸素濃度・体温測定。数値知らされず。
 2023/07/05(水)天陰
 0644起床。血圧・体温測定に来たるで起きる。お水、お茶、看護補助の方新しいものを入れてくださる。
 2023/07/06(木)天陰→昼前より天晴
 06:30 電極の様子見に近る。雨,日附変わる頃から短時間強く。今はやむ。
 06:48 血圧・血中酸素濃度・体温測定に。今日高気圧酸素治療最初。08:30頃点滴外しに来ると云々。朝食07:30頃という。
 2023/07/07(金)天晴
 06:00 起床。この部屋東面するため朝の陽光よく刺しそれ故に起きる点もあり。なんと健康的な生活か。朝日のなかでダラダラとベッドの上で過ごして、↓
 06:25 洗面とお手洗い。
 2023/07/08(土)天陰→昼前から天晴
 06:15 起床。
 2023/07/09(日)天晴
 05:40 太陽の光を浴びながら、起床。要するに眩しくて、暑かったのである。
 2023/07/10(月)天晴
 06:00 起床。窓より差し込む陽光浴びながら微睡む。
──となる。
 今日火曜日は、──
 2023/07/11(火)天晴
 05:25 起床。
 05:46 微睡ののち体起こして、お手洗い。この起床時間、起きてから二度寝することなくある事、消灯時間、食事の時間、その内容、帰宅してのちどの程度まで維持できるか、あるいは完膚なきまでに崩れるか。
 それにしても陽の光浴びて目が覚めるとは、なんとも心地よく健全であることか。
 現在05:51。
──である。
 確実に、ではないから気のせいかもしれないけれど、だんだんと起床時間は早まってきているようだ。まるでスティーヴン・キングの『不眠症』である。幸いとわたくしはこの病院で〈クリムゾン・キング〉に会うことも〈ロウ・メン〉に狙われることもなく、安寧な日々を過ごせているが……。
 ただわたくしの場合はラルフのようになにかに導かれて就寝時間がどんどん短くなっているわけではなく、時間を有意義に使いたい、その一念だけから今日も昨日も6時前から起き出して顔を洗い、部屋の遮光カーテンで窓を半分くらいまで閉めて、ベッドの上に胡坐を掻いて本を読むなりMacを立ちあげて文章を綴るなりしているだけなのだ。まァ病院にいる以上、どこへふらり、と遊びに行くこともできませんからね。
 ──繰り返すが、この病室は、暑い。太陽が動いて頭上に来ている時間であっても、まだ部屋に朝の熱気が籠もっている。窓を開けることもできないから必然的にエアコンで調整するか、そのまま暑気が部屋から消えるのを待つしかない。幸いと午前中は、例の高気圧酸素治療であったりリハビリであったり、時にMRがあったり、で、病院にいるのになんだかタイトスケジュール(呵々)だから正直なところ、看護師や看護補助の方々が思う程暑さを猛烈に感じることはないのだ。
 が、昨日はなぜか暑気が籠もっている時間は、普段より長かったようだ。昼過ぎ、MRから戻ってくると3階の担当看護師が部屋のエアコンを調節して、涼しくしてくれていた。寒かったら呼んでください、というて去って行ったが、夕方まではその設定温度、結構快適であった。が、体が馴れたのだろう、夕食前の血圧・体温測定の頃には少し冷えてきたな、と感じて夜勤の看護師さんに頼んで設定温度を上げてもらった……なんとそれまでは設定温度22度だったそうである! 寒いわ、このままだったら風邪引くわ。
 しかし、本当の試練は消灯直後から始まった。寒い……。異様に寒い。部屋に霊がいるわけでもないのに、なんだか寒い。布団を足許から首まで掛け、肩をバスタオルでくるんで完全防備しても、既にその感覚ができあがっているせいか、徐々に肌を冷気が撫でてくる。まったく以て心地よくない愛撫だ。エアコンの吹き出し口から聞こえる風量の音は、気のせいかやたらと威勢よく、元気で、……寒さに震える体を痛めつける。
 耐えること約40分。遂に意を決して、ナースコールのボタンを押した。押そうか押すまいか、押したとしてどう伝えたら角が立たずに済むか、と考えていたら、そんな時間が経過していたのだ。もうどうにでもなれ、と云う気持ちであったことは否定しない。そうして呼んだ。2分くらい経ってから、夜勤の看護補助の方(男性)が見えたので事情を説明すると、すぐに首肯してエアコンを調整してくださった。設定温度は変えることなく、あまりに強かった風量を調整することで、事態は改善した。単純に設定温度の話かと思うていたのだが、風量の調整で済むとは思いもよらなんだ。ただ実際、その後は非常に快適で、エアコンの吹き出し口から聞こえてくる風の音もそれまで馴染んだ低い音だったので、さきほどの05時25分までお手洗いに起きることもなくぐっすりと眠れたわけである。
 もしかするとわたくしがこんな時間に今日起きて、眠気を感じることなくこの文章を不乱に綴っていることができるのは、エアコンの調整がきちんと為されたためかもしれない。老後の夫婦の寝室ではないが、部屋の温度は快適な朝を迎える必須要件というのは案外と本当のことのようである。
 現在07時26分。予定通りならばあと30分するかしないかのうちに朝食が配膳されるはずだ。それを理由に、わたくしもちょっと手を休めたい気分でいる。というわけで、本稿の筆はここでひとまず擱くことにしよう。◆

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第3660日目 〈入院生活7日目のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 九州北部と中国地方西部は線状降水帯の発生で酷い事態になっている。なによりも自分と、家族の命を守るための、最前の行動を取ってほしい。周囲に惑わされず、正しい情報に基づいて、行動してほしい。
 そんな文章を綴っているわたくしのいる横浜は、今日も朝から晴れている。日中や夜半など降雨もあるらしいが、旱天の慈雨には到底ならず、焼け石に水、なんて表現も的外れだろう。とまれ、今日も今日とて横浜は晴れている。晴れている、とはかなり生易しい表現だ。さきほどからスマホは横浜市全域に対して、熱中症アラートを表示しまくっている。NHKだけでなく、気象庁や自治体、お天気アプリ等々から発令されているアラートだ。
 ……が、申し訳ない。わたくしは現在入院中の身である。一日中空調が完備された病院内で、窓の外の世界をぼんやり眺め、TwitterやNHK防災・ニュースアプリで外の世界の事情を知るが精々なのだ。
 入院して一週間が経過、本日は日曜日である。リアルタイムで報道番組に接していないこともあって、気分はまるで浦島太郎。そうしてこの状況は、まだもう少しだけ続く模様なのだ。
 今月3日(日)午後に救急搬送されて、この病院で厄介になるようになったわたくし。ここに到着したときの状態は、われながら非道いものだった。右肩が上がらない、力が入らない(維持できない)、鉛筆を持つことはできても力が入らず字を書くことができない、言葉の呂律が回らない、唇を「イー」とやると右側の口角が左に較べて鋭角的で一直線に上がっている(普通は左右同じようになだらかな曲線を描いて、ほうれい線ができる)、といった具合。
 正直なところ、もうダメかな、と考えた。母の逝去からどうにか立ち直り、相続やらなにやらの作業も最終局面に差しかかろうとしていて、生活も新しい規範を作り出すことができて、新しく見附けた仕事も軌道に乗ってきたところだというのに、どうして……というのが本音だった。
 いや、神も仏も呪いましたね。どうして天はわたくしに斯様な試練を与えるのか、どうしてわたくしにだけこのような惨い仕打ちを与えるのか。殆ど旧約聖書のヨブみたいな気持ちですわ。ヨブは神とサタンによって信仰の強さ、誠を試されたわけだが、いったいわたくしの場合は……。
 それでもどうにか前向きになれたのは、これまでいろいろのことがあったことでいつの間にか、自分の心は逞しくなっていたせいかもしれない。挫けるよりも早く、治すんだ、治して早く家に帰り、摑みかけた新しい生活に戻るんだ、と云う気持の方が強かったものな。
 さすがに始めの2日程は、そんなポジティヴ思考と、前述のネガティヴ思考が相克していたのは認めざるを得ない事実だ。日が経ち、看護師さんや作業/理学療法士の方々、そうして担当医と話したり、周囲を見て自分が軽症であること、早めに連絡して最悪には至らずに済んだ幸運を噛みしめているうちに、再び、早く退院してそれまでの生活に戻らなくては、という願望と熱意が胸のなかに宿ってくるのを感じた。それからのわたくしは、その願望と熱意に加えて、ずっと(基本的に)ベッドと病室内で検査のない時間を過ごすことへの忍耐力を支えにして毎日を過ごした。
 そのお陰か、いまでは午後はのんびりと過ごしている。ベッド横サイドテーブルに載るテレビも視る気にならず(テレビカードを買おうとすると1階外来まで降りてゆかねばならぬのだが、外来診察中の時間帯は降りてゆくこと叶わず、結果としてカードを買うことなくテレビの電源を入れることなく、今日まで過ごすことになった)、ネットも意識的に切り離してデジタル・デトックスを実現し(元より配信とかとは無縁だし)、ただスマホだけは電話のみならずメール、Twitter、LINEの確認等があるので身辺から遠ざけられないが、それでも入院前に較べてスマホを手にする時間、使っている時間は著しく減少しているはずだ。
 検査とリハビリがいまではもう午前中に終わってしまうから、午後は──腹蔵なくいうてしまうと、暇、である。テレビを視ない、ネットも遠ざけている、スマホも殆ど使っていない、となると、では午後お前はなにをしているのか、という話になるが、……読書以外になにがある?
 1日の過半を読書に費やすのは、何年振りのことだろう。なににも煩わされることなく、ひたすら活字を追い、ページを繰ることにだけ集中できるというのは、こんなに幸福で、こんなに心躍る営みだったろうか。濃密な読書体験、もう二度と斯様な時間を過ごすことはできないだろう体験を、わたくしはここですることができた。
 読んでいる本は、ナポレオン・ヒル『思考は現実化する』。ずっとリュックのなかにあったがなぜか読むことなくそのまま入れっぱなしにしていた文庫の上巻を、『検証 安倍政権』に収められた論考の文章のあまりの拙さと内容への一知半解を理由に投げ出したあとに読み出した。入院して3日目、2階から3階病室に移ってきてのことである。
 他にすることがないから読書に耽り、他に読む本がないからヒルを読み続けてきた、というのは事実だ。否定のしようがない。が、わたくしはこれを、非常に良いタイミングで読むことができた、と考えている。これまでの自分を見つめ直して強烈な反省を促され、今回を最後のチャンスと捉えて残りの人生をいかに実り豊かな物にするか、そのためにいま自分はなにをすべきか、新たに富を築くために自分が為すべきことはなにか、その優先順位は……? など考え、検証し、イメージングするのに、入院はまたとない機会であった。読むことばかりでなく、それについて考える時間、自分を捉え直す時間を得ることができたからだ。何事もポジティブに捉えなくては、このナポレオン・ヒルやデール・カーネギー、ジョゼフ・マーフィー、本多静六博士が開陳してみせるような成功哲学は誰も実践し得ない。「望みだけで富を手にすることはできない」(ヒル『思考は現実化する』下巻P39 田中孝顕・訳 きこ書房 2014/04)
 実は今年の始めに立てた、文筆上の目標の1つだったのが、この成功哲学、について書かれた一連の書物を読み倒し(すべてではない、古典とされるものに少しの最近書かれた物を加えて)、エッセイを書く、というものだった。母が亡くなってからはグリーフケアや死後の生、政治と歴史の本が主軸になっていた感があり、成功哲学について本を読み文章を書くというのは忘れていた部分があったのだが、図らずも今回の入院でその端緒を摑むことができた寸法だ。
 上巻は既に読み終わり、現在は下巻。昨日からだが、既に半分を読んだ。退院までには全部、もしくは余すところあと1章、というところまで進められるかもしれない。帰宅したら色々することが山積みだから(仕事も再開せねばならんし)、最後まで読み果せたらいいいな、と思う。
 ……え、退院? そう、退院である。今日の昼間、日取りと時間が決まったのだ。この病院のお世話になるのも、あと少しだ。名残惜しいが、いつまでもいるような場所ではない。とても良いスタッフの方々に恵まれたので、去るのは後ろ髪引かれる思いだが、仕方ない。
 退院後にすること、やらなくてはならないこと、やりたいこと、等々リストアップして優先順位を付ける作業を始める傍ら、ヒルの読了に近附けるよう時間を無駄にすることなく残りの日々を過ごさなくては。◆

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第3659日目 〈高気圧酸素治療室から還りし者のモノローグ。〉 [日々の思い・独り言]

 2023年07月03日(月)19時47分……3時間半程前に、高気圧酸素治療から戻ってきた。
 ……これは息づまる時間だ。まるで「生きた埋葬」だ。酸素カプセルのなかにいる間、特に後半30分くらいになると胸が苦しくなり、これまでに観たドラマや漫画の生きながらにしての埋葬の場面を思い出し、棺に閉じこめられてそのまま土中に埋められる姿を想像してしまい、一刻も早くここから出してくれ、と口のなかで叫ぶ始末だった。カプセルの蓋が開いて検査室の電灯の明かりが頭上から挿しこんできたのに目を細めたときは、生きている幸福をしみじみと噛みしめたものだった……。
 が、この治療は10回1セットで残り9日間続くと聞いたときは、流石に目眩がして立ちくらみを起こしそうになったよ。あと9日──検査室から病室に戻る折、ナースから聞いたところによると、人によっては(というのは要するに治療の経過や症状如何によっては、という意味だが)10回も行うことなく終わる方も居られるという。理由は様々である。閉所恐怖症の方に当然この治療は不可能だ。高齢者の方(に限ったことではないが)で長時間、狭くて暗い場所に入っているのが苦しい、という方はお試し期間みたいな感じで早々に終わって、別の治療に切り替わる由。
 また、作業療法士さんのお話も加味すると、午前中に治療してその日の午後に退院、もっと極端なケースだと午前に治療、昼前に退院、ということもあるらしい。もっとも後者の場合、医事室が外来と並行して退院処理を行うことになるので、あまり推奨されてはいないようだ。平日午前中の病院の受付の混雑ぶりをいちどでも観察したことがある人なら、その場の光景を思い出して、ああ……と首肯できるはずだ。

 高気圧酸素治療とは、100%の酸素で充たされた高気圧酸素治療室へ一定時間入り、体内により多くの酸素を吸入して全身に行き渡らせ、低酸素状態を改善させることである。
 もう少し具体的にいうと、密閉された高気圧酸素治療室を100%の酸素で充たして、大気圧よりも気圧が2倍高い環境を作り出し、そのなかに90〜100分程度入っている間に体内へ酸素を取りこみ、血液により多くの酸素を溶かしこむ治療である。圧力が高くなると血液の液体成分である血清に酸素が溶けこむ(溶解型酸素)仕組みだ。
 高気圧酸素治療に要される時間は、約1時間30分〜1時間40分。内訳は──カプセル内の空気を入れ換えるのに約5-10分、1気圧上げるためにやはり5-10分、酸素治療自体に約60分、それが終えて気圧を下げるのと入れ替えに前述の時間を要す。計、約約1時間30分〜1時間40分。
 酸素治療の間は気圧の上げ下げがあるので、体の一部機能は飛行機に乗っているような感覚を覚える。つまり、内耳の圧迫、である。うまく耳抜きができないと、左右どちらか、或いは両方の耳が詰まったような感覚となる。それがどの程度の時間続くのか。人によりけりだが、病気に起因することではないから早ければ数十分で回復する人もいるし、その日の夜まで続いて翌朝になってようやく詰まりとオサラバできる人もいる。もっと長引く人もいる、つまり、数日とか。
 耳抜きする方法としては、欠伸をする、唾を飲みこむ、が一般的で、他にも水を飲むとか、鼻と口を押さえて耳から空気を出すようにしてみる、だとか、耳朶を引っ張ったり耳の下のあたり(胸鎖乳突筋、か)を押さえて軽く揉む、などいろいろな方法があるという。
 が、こういってはなんだが、どれを試しても「個人差があります」という註記からは逃れられまい。人によって最も良い耳抜きの方法は異なり、それぞれの人に合った方法があるのだ。ここに挙げた以外の方法を用いてうまく耳抜きできている人も、なかには当然いるだろう。
 わたくしは……脳梗塞や白血病を発症するより以前から、耳鳴りとはお付き合いがあるからなぁ。正直なところ、今更の感がある。

 さて、わたくしが初めてこの高気圧酸素治療に挑んだのは、上記した如く07月03日(月)夕刻。つまり入院翌日である。入院手続のパンフレットに高気圧酸素治療について説明した紙片が挟まっていたので、ああ自分もそのうちこれをやるんだな、くらいしか思うていなかった。始めるにしても、入院翌日にはまだやらないだろう……と楽観していたのだ。
 入院当日、わたくしはナースステーション正面の2人部屋に入っていた。同室者はなし。はじめての入院で個室同然の部屋で一晩を明かすのはちょっと心細いな、と思うていたのだが、その日の夜21時過ぎ(いい換えれば、消灯後の時間、である)、救急搬送されてきた男性が同室者となったことで、その心細さはひとまず解消。
 で、その男性が翌る日にこの高気圧酸素治療を行うことになった。日中のことである。ほう翌日でもこの治療を行うんだな、と内心思うた。それでもまだ、まさか自分も同じ日に治療を行うことになろうとは、夢に思うわけもない。治療室からぶじ帰還後、かれは看護師相手に、思っていた程ではなかった、(治療中は)YouTubeでM-1を観ていた、と語った。
 ……M-1? 治療中にYouTubeが観られるのか? どっか高気密の部屋に閉じこめられて、のんびり1時間強を過ごしているイメージが脳裏に浮かんだ。いまにして思えば、なんとまぁ極楽な、というところか。そんな治療なら早く受けたいな、と思うも仕方なしではあろう……。
 そうしてその日の夕刻に差しかかろうか、という頃。高気圧酸素治療室に行こう、と看護師さんから明るい声で誘われた。なんでも突然時間枠が空いたので、わたくしが呼ばれたそうだ。パジャマから検査着に着換えた検査室への道すがら看護師さんが想像していうには、外来の予約がキャンセルにでもなったのだろう、と。納得した。
 そうして2階の検査室、室内には担当の検査士が男女各1名、目の前にはカプセルが2台。向かって左側のカプセルに、寝台へ横になって入れられるわたくしである。男性に、音楽や映画など観ますか、と訊かれて、ああさっき同室の男性がいっていたのはこのことか、と合点しつつ、でもメガネも外しているから映像を観るって選択肢はないなぁ。では、とわたくしがリクエストしたのは、母生前の頃はときどき寝る際に聞いていたYouTubeの、〈ぐっすり寝られるBGM〉の類。DNAがどうとかなんとか謳っている、リラクシング音楽と映像である。映像はいらないから、音楽だけで……そう所望して、カプセル内に入った。
 初体験ゆえ最初の10分程度は物見遊山気分でカプセル内部を観察したり小窓から検査室内を眺めたりしていたが、それもすぐ飽きて、あとはひたすら瞑想と省察の時間──といえば聞こえは良いが、単に暇だったのである。
 やがて、わたくしは或ることに気が付いた。時間の間隔がまったくないのだ。あとになって小窓に時計が設置されていると知ったが、カプセルに入る際は知らなかったから、ひたすら忍耐の時間を過ごすことになったのである。おまけに、冒頭で書いたようにだんだん息苦しくなり、心拍も上がってくるのがよくわかり、ポオの短編や『CSI:科学捜査班』で印象的に描かれる〈生きた埋葬〉が思い出されて、自分がその状況に放りこまれたところを想像して、一刻も早くカプセルから脱出したくてならなかったのだ。だから、カプセルから出られたときの開放感と安堵、ラヴクラフトの小説を読んでいたからというわけではないが、名状しがたく筆舌に尽くしがたい歓喜、というより他にない。これは決して大仰な表現ではないのだ、モナミ。
 病室に戻ったわたくしは、さっそく対策を講じた(講じなければならなかった)。治療であるからカプセルに入るのは避けられない。しかし、カプセルの住人である間はYouTubeを使って時間を過ごすことができる。ならば、せめてそいつを使って、時間の経過がわかる〈なにか〉を視聴できるようにしよう。繰り返すが、メガネはカプセルに入る際外すことになるから、映像はダメ、音楽(音声)オンリーで。
 ……そうやって辿り着いたのが、ベートーヴェンの《第九》である。時間の経過がはっきりとわかるのは、(わたくしの場合)クラシック音楽以外にない。そのジャンルから自分が聴き馴染み、かつ演奏時間まで或る程度熟知しているのはなにか? オペラはNG。カプセル内に2時間もいるなら話は別だが、1時間である。所詮一幕が終わって二幕目に入ったところで中断であろう。それにオペラはやはり、映像と字幕附きで観たい。為、却下。ならば? 誰が演奏しても60分以上はかかり、かつ割に最後の方まで進んでいる曲といったら、なにがある? 考え続けて眠りこけ、翌る朝、目覚めた途端に唐突に思い浮かんだのだ、そうだ、《第九》があるじゃん、と。
 この思い着きは我ながらなかなかのものだった。特に演奏者を指定する必要もない。《第九》以上にわたくしが熟知した交響曲は他に、ブラームスしかない(が、4つある交響曲のいずれも60分以内で終わる)。最速を謳われた某指揮者の《第九》でさえ、たしか60分弱だ。YouTubeで視聴できるたいていの《第九》ならば、第4楽章の合唱に入るあたりまでは辿り着くだろう……。
 この目論見は、成功した。CMがどれだけ入るかで左右はされるが、今日2023年7月8日まで6回、この高気圧酸素治療を行っていて大体の時間経過もわかるようになったし、第4楽章の中盤──テノールが入り合唱がケルビムの栄光を讃美するあたり──まで辿り着けることもわかった。さすがのベートーヴェンも自分の曲が、治療の際の時計代わりに使われるとは想像だにしなかったであろう(時計繋がりでハイドンも一瞬だけ考えたが早々に却下した。いったい何回繰り返して聴けばいいんだ)。
 爾来、わたくしは健やかにカプセル内での時間を過ごしている。昨日と今日は第1楽章途中、もしくは第2楽章途中から第3楽章中葉まで眠りこけて過ごしている……検査の順番が朝イチというのも関係しているだろうが、それだけここで過ごす時間に馴れた、ということだ。
 長くなってしまった。そろそろ擱筆としよう。本稿は高気圧酸素治療の初日に、まさに部屋に戻って夕食を摂ったあとに最初の段落を書いたが放り出してあったものを、土曜日の14時台から16時台までの時間を使って書いた。治療は、あと4回ある。途中で退院と相成ったとしても確実に1回はある。それまでにこの《第九》の指揮者と独唱者が誰であるか、オーケストラと合唱団はどこか、何年何月にどこで収録されたか、等々検査室の担当の方にお訊きせねばならない(呵々)。でも、忘れてそのまま退院しそうだなぁ……(※)。◆


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第3658日目 〈脳梗塞の疑い有りで入院したわたくし。〉 [日々の思い・独り言]

 読者諸兄よ、脳梗塞、という病気をご存知だろうか。退院した数日後、かかりつけ医からの帰りに立ち寄った書店で求めた外科看護のテキストは、「脳動脈の狭窄や閉塞によって、灌流域が虚血となり、脳の神経細胞が壊死に陥った状態」と定義する(横井靖子・編『NEW はじめての脳神経外科看護』P21 メディカ出版 2023/07)。
 ──医学の専門教育を受け、医療現場で働く医師や看護師らには、ふむふむそうそう、と首肯できようけれど、門外漢のわれらにはさっぱりであります。そこでもう1冊、もっと一般向けに書かれた解説書に頼れば、こうである。曰く、──

 脳の血管が詰まったり破れたりする病気を総称して、「脳卒中」といいます。脳卒中にはいくつかの病気があり、脳梗塞はそのひとつです。
 脳卒中は、血管が破れる出血性脳卒中(くも膜下出血、脳出血)と、血管が詰まり血流不足になる虚血性脳卒中(脳梗塞)に分けられます。かつては脳卒中のほとんどが脳出血で、脳卒中というと脳出血とほぼイコールでしたが、近年は脳卒中の7割以上が脳梗塞です。
 (中略)一方脳梗塞が起こると、血管が詰まった部分から先の血流が途絶えて、脳細胞が死んでしまいます。脳梗塞を発症して、ほぼ完全に治る人もいますが、マヒなどの後遺症が残る人が多く、寝たきりになったり死亡したりする率もけっして低くありません。
(高木誠・監修『名医が答える! 脳梗塞治療大全』P42 講談社 2021/10)

──という。厳密にいえば脳梗塞も「アテローム血栓性脳梗塞」、「心原性脳塞栓症」と「ラクナ梗塞」の3つの病型に分類されるが、くだくだしい話になるので興味のある方は、まずは高木前掲書を繙いてみるとよいだろう。
 ちなみに脳梗塞は退院後の時間の経過と共に再発率は高くなり、発症から10年以内に約半数が再発しているデータも存在する由。いい方を換えれば発症10年以内の再発率は50%、ということである。いちど脳梗塞を発症した人は再発しやすい体質の持ち主といえる、とは『名医が答える! 脳梗塞治療大全』にある指摘だ。幸か不幸かわたくしはまだそれを体験していないし、それまで生きていられるかどうかも分からない。

 さて、唐突に脳梗塞の話を始めたのは他でもない、本稿タイトルにある通りこのわたくし、みくらさんさんかが昨日日曜日(2023/令和5年07月02日)日中にこの病気の兆候ありとて救急車で専門病院に運びこまれたからである。
 メモアプリから、不自由な手を使ってその晩病室でフリック入力した記録を転載するが、誤変換はそのままとさせていただく。〈そのとき〉を忘れぬよう自らに戒めるためである。ではその日の出来事(The Day Happenings)を時系列で示せば、こうなる。即ち、──
 14:25頃 外回りの掃除と庭草抜きを終えて上がる。暫くして右手を肩の高さまで上げてもすぐにだらり、と垂れ下がってしまうことに気附く。
 14:30頃 会社提出の書類を書く為ペンを持つも力入らず、それでもどうにか右手で書き上げる。
 スマホにて症状を入力して調べてみると、脳梗塞の疑いアリノ診断結果出る。
 14:40 けいゆう病院救急に電話。症状説明して、すぐに救急を呼べ、と指示あり。そのまますぐに切電される。そうだった、ここはこういうところだった。
 14:45 会社に電話。松田。明日の仕事断り、疑いの声調殊に伝わる。
 14:47 119に電話。
 15:00頃 救急隊到着[その間、動かせぬ右手に代わり左手のみで荷物をまとめる;本稿推敲時付記]。姓名・生年月日・今日の日附、問診あり。お薬手帳に基づき既往歴確認。慢性リンパ性白血病のみ。その間自宅前からマンション裏に移動、病院探してくださる。脳外科ない為他病院となり、現在の病院に決まる。
 15:25頃 最寄りから首都高速に入り、横浜駅近くを通過して病院着。
 MR検査(25分程)・血液検査、血液をさらさらにする薬の投与に関する同意書を左手で書き、2階病棟3号室に車椅子で移動。
 此の日一日、点滴のみで過ごす。お手洗いの頻度普段より多。
──と。
 本稿を書いているいまは一晩明けた月曜日の午前、11時05分。入院して2度目のMR検査を待っているところ。なお、現時点でまだ病名の特定はされておらず、脳梗塞である疑いが極めて濃厚、という段階に留まっている。
 2人部屋にいるのだが、新幹線の線路に面しているのでさぞかし外を愉しく眺めているとお思いだろうが然に非ず。わたくしのベッドは廊下側、ナースステーションの目の前で、窓には面していないのだ。残念。それでも入室した当初は先客はなかったから、外を愉しく眺めていたのは事実だ。但し新幹線は見えず、隣のベッドとの間に掛かるカーテンの上端隙間からただ青空が見えただけだけれどね。
 昨夜消灯後の21時過ぎ、やはり救急で搬送されてきた人(男性)がいて、隣ベッドは埋まり、カーテンが巡らされてしまった。ときどき鳥のさえずりが聞こえるが、むろんその姿も見ることは叶わずで。その隣ベッドの男性は、さきほど高気圧酸素検査を終えて戻ってきた。いまに至るまで会話はない。
 今朝から食事が始まり、常食である。朝食は、白飯にお吸い物、サンマにほうれん草のおひたし、枝豆と大根下ろしを和えたもの、ヤクルト、以上。さきほど終えた昼食は、カレーと玉子サラダ、ブロッコリー、キウイ、トウモロコシとタマネギを細かく刻んだお吸い物、以上。いずれも完食である。病院食は不味いと夙にいわれるが、人生はじめての病院食にそのような思いは抱かなかった。
 さて、予定ではもうすぐMR検査である。既にレントゲンと心電図は病室で終えた。が、MR検査は移動しなくてはならない。予定時間は12時40分で、現在は12時26分。検査時間は前後するといわれてるが、いずれにせよここでいったん切りあげることにする。◆

2023年07月03日 12時27分
2023年09月18日 14時58分推敲(前半部脳梗塞説明の補記が専ら、後半は字句修正、段落変更程度)

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第3657日目 〈改めての仕切り直しと、原稿差替えの、短い話。〉 [日々の思い・独り言]

 タイトル通りのお話です。
 旧第3657日目を投稿して以来、更新がぷっつりと途絶えてしまったこと、伏してお詫び申し上げます。
 なかには(脳梗塞や白血病の)症状悪化によって更新が停まったり、続稿の執筆が不可能になってしまったのでは、とご心配くださる方もある一方、死亡扱いして呵々する不埒の衆も居ったりでしたが、明日から更新を再開致します。
 更新が途絶えていた理由、ですか。そうですね、お話しておかなくては。
 旧第3657日目のお披露目直前、当該稿と続稿に確認・補記すべき内容あり、またそれに伴い修正箇所の発生も判明していました。すぐ作業に取り掛かればよいのですが、どうにも怠惰な夏となり、また労働に疲れて帰ってくると作業に取り掛かる意欲も削がれて後回しにしているうち、こんなにも時間が経ってしまった。人は怠惰に馴れるとなかなかそこから脱却できない、という良き見本となったわけであります。
 でもここ数週間は件の原稿への修正作業に頭を悩ませたり、新稿に取り掛かったりして過ごしております。仕事にも慣れて、帰り道に喫茶店へ寄り、以前のように文章を書くという余裕(精神的金銭的余裕)が持てるようになった。それゆえに、或る程度の原稿が溜まったいま、原稿を差し替えた上で明日から更新を再開します、というご報告ができるようになった次第であります。
 ついでにいえば、この10日程で読書のサイクルも確立してきたような気がしています。往復の電車のなかでは憲法もしくは自民党政治に関する本を読み、喫茶店ではそれらの本を読むこともあるけれどどちらかといえば小説を読むようになり、帰宅してからはベッド脇で待機している本を読む、という言うは簡単だが実行と継続がなかなか難しかったサイクルの確立……ああ、かつてはこれがなんの意思を要することもなく、労することもなく実行できていたのに……!
 ──ここまでで700字を超えました。800字になろうとしています。「短い」というた手前、このあたりで擱筆します。
 話し忘れたこと? 特に、ない。◆

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