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第1336日目 〈オバデヤ書:〈エドムの傲慢と滅亡〉&〈イスラエルの回復〉with「ガンダム」シリーズの新作、10月放送スタート。〉 [オバデヤ書]

 オバデヤ書です。

 オバ1-18〈エドムの傲慢と滅亡〉&19-21〈イスラエルの回復〉
 預言者オバデヤに臨んだエドムへの審判の言葉、――
 わたしはエドムを地上で最も小さな存在とする。それがきっかけとなり、諸国から侮られるようになるだろう。
 エドムよ、お前がどれだけ豊かになり、強くなろうとも、わたしはお前を引きずり下ろして地の塵芥にまみれさせる。侵略者が来たら痛めつけられて、貯えられていた富は探し出されて奪われてゆく。かつての同盟国がお前に立ち向かい、国境まで追撃し、無力にし、主人(あるじ)なきあとのエドムの地を征服する。
 エドムよ、お前が兄弟イスラエルに対して非道なことを行ったから、斯様な苦痛を味わうことになるのだ。それが原因で、お前たちは永久に滅ぼされる。
 兄弟イスラエルが苦しんでいるとき、悩んでいるとき、災いに見舞われているとき、お前はなにをしていたか。エドムよ、お前はイスラエルの苦しみ、悩み、災いを慰めるどころか、逆にそれを助長させた。敵の手を避けて逃れてきた者を待ち伏せした。生き残った者を引き渡してはならない。
 「主の日は、すべての国に近づいている。/お前がしたように、お前もされる。/お前の業は、お前の頭上に返る。」(オバ15)
 わたしの聖なる山で飲んで泥酔したお前たちは、(へべれけになり、前後不覚となり)まるで最初から存在しなかったかのようになる。シオンの生き残りは帰ってきて、再びそこを聖なる山とする。
 かれらは回復して、自分たちの土地を取り返し、侵略者たちの土地を所有する。回復したイスラエルは、シナイ半島一帯からギレアド、ティルス近郊、(ペリシテ人の地を含む)大海の沿岸地域までを所有する。

 昨日の「前夜」でこの「オバデヤ書」と「エレミヤ書」に相似する点がある旨、申し上げました。該当箇所はオバ1-9とエレ49:7-22。いずれもエドムへ対する警告であるのは勿論ですが、語られる内容や表現がとてもよく似ている、というのであります。
 たとえば、――
 エレ49:9「ぶどうを取り入れる者が来れば/ひと房も残すことはない。/盗人が夜来れば欲しいものをすべて持って行く。」(エレ49:9)
 オバ5「もし、盗人がお前のところに押し入り/夜の侵略者が来れば/いかに、お前は痛めつけられることか。/彼らは欲しいだけ盗んで行くではないか。/ぶどうを収穫する者が、お前のもとに来れば/取り残しの実しか残さないではないか。」
 或いは、――
 エレ49:14-16「わたし(エレミヤ)は主から知らせを聞いた。/使者が諸国へ遣わされ/『集まれ、エドムを攻めよ。/戦いに出よ』という。/見よ、わたしはお前を諸国のうちで/最も小さいものとする。/お前は人々にさげすまれる。/岩の裂け目にいる者よ/丘の頂に立てこもる者らよ/お前の脅しもうぬぼれもお前を支えはしない。/お前が鷲のように高いところに巣を造っても/わたしはお前をそこから引き降ろす」。
 オバ1-4「我々は主から知らせを聞いた。使者が諸国に遣わされ/『立て、立ち上がって/エドムと戦おう』と告げる。主なる神はエドムについてこう言われる。/『見よ、わたしはお前を/諸国のうちで最も小さいものとする。/お前は、大いに侮られる。/お前は自分の傲慢な心に欺かれている。/岩の裂け目に住み、高い所に住みかを設け/『誰がわたしを地に引きずり降ろせるか』と/心に思っている。/たとえ、お前が鷲のように高く昇り/星の間に巣を作っても/わたしは、そこからお前を引き降ろす』」。
 斯様な点から「エレミヤ書」と「オバデヤ書」の影響関係について侃々諤々いわれてきましたが、現在では、どちらの書物が先に成立してもう一方がそれを参考にしたのだろう、というのではなく、互いに同じ資料を基にして執筆されたと考える方が大勢を占めているようであります。わたくしが「オバデヤ書」を初めて読んだときの既視感は「エレミヤ書」で読んだ表現が似た形で登場し、かつそれがなんとなく記憶に残っていたためでありましょう。
 オバ20に出る地名、サレプタとセファラド。サレプタはティルスとシドンの間にあるフェニキヤ人の町で、かつて王上17:-24で預言者エリヤと寡婦(やもめ)の故事の舞台がこの町でした。セファラドは位置は未詳ながら一説に拠れば、小アジアはリディア国の首都云々。これに基づけば、エルサレムの捕囚はバビロニア以外の国にもいたことになります。リディアもエドム同様、バビロニア軍によるエルサレム陥落/ユダ滅亡に協力していた、ということでしょうか。
 なお、19-21節〈イスラエルの回復〉は本文では「回復したイスラエルは、シナイ半島一帯から」以下の文章です。
 「オバデヤ書」は今日で終わり、明日から「ヨナ書」に入ります。



 今年10月から「ガンダム」シリーズの新作として『ガンダムビルドファイターズ』が放送される由。SKE48松井玲奈をプレゼンターとした発表会見があったそうですね。
 新作「ガンダム」のテーマはガンプラ。ガンプラが流行している近未来を舞台に、ガンプラを操作してガンプラバトル世界大会での優勝を目指す主人公の活躍を描く、という内容。宇宙世紀の話ではなさそうですね。
 これを聞いて、わたくしぐらいの世代の方なら思い出すコミックがあるのではないか。「週刊少年チャンピオン」誌で連載されていた『プラレス3四郎』と、「コミックボンボン」で連載されていた『プラモ狂四郎』である。
 殊に後者は新作「ガンダム」との共通項を大きく感じる。なによりも『プラモ狂四郎』は、やはり当時大流行していたガンプラをフューチャーしたバトル漫画であった。模型店のオヤジさんが趣味で開発したヴァーチャル・リアリティの装置を使って、主人公の狂四郎が自作のオリジナル・ガンダムでさまざまなライヴァルと戦ってゆく、というのが『プラモ狂四郎』の粗筋。なんとなく今回の新作「ガンダム」を想起させますね。もっとも、こちらにはガンダムや他のMSだけでなく、エルガイムなどサンライズ作品のバンダイ製プラモデルが大挙して登場していた覚えがありますが。
 『ガンダムビルドファイターズ』を単純に21世紀版『プラモ狂四郎』と判断していいのか、判断するのは早計だが、これまでの「ガンダム」シリーズと明らかに一線を画す作品であるのは確か。<オール・ガンダム>を掲げた今作は全シリーズの全MSが登場するという。この点について特に楽しみにしていることを最後に告白しておきます。◆

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第1335日目 〈「オバデヤ書」前夜with横浜タワーレコードが閉店します。〉 [オバデヤ書]

 えーっ、と、旧約聖書にたびたび登場する国にエドムっていう所がありまして。「創世記」にて父イサクの祝福を弟ヤコブ(イスラエル)に騙し取られて地団駄を踏んだエサウ、その子孫がエドム人であります。もう細かいことは書きませんが、かれらはその後、国を興し、再三再四にわたってイスラエルにちょっかいを出し、敵対し、剣を交え、苦しめた。――先の登場になりますが、幼子イエスを恐れて殺そうとしたヘロデ大王(マタ2:1-18、特に2:16。 ※1)は当時イドマヤ人と呼ばれたエドム人でありました。
 国境は南がアカバ湾に、北がセレド川でモアブに、西で南王国ユダに接している。山岳地帯が国土の多くを占めていることもあり、その首都(とされる)ボツラは難攻不落の要害であった、といいます。イスラエルやティルスなどシリア・パレスティナ地方の諸国と貿易する一方、海上にも交易路を持ち、スエズ湾経由でエジプトと交易があった。それゆえエドムは当時としては相当の金満国家であった様子です。
 今日と明日で読む「オバデヤ書」では専らこのエドムへの審判の言葉が語られます。エドムの傲慢、報復、そうして、滅亡。単一章の、聖書全編中で最も短い書物の一つ(※2)ですが、これまでまとまってページを割かれることの少なかったエドムへの審判がはっきりと告げられている点、見逃すことも軽視することもできぬ一書と考えます。「オバデヤ書」は「エレミヤ書」との相似が指摘されていますが、これについては明日述べることと致します。
 預言者オバデヤの出自や来歴、またかれの活動した時代などは未詳という。旧約聖書には同名の人物が何人かいますが、そのうちの誰一人として預言者に結び付けられる存在ではありません。こうまで空白の履歴を持つ人は、少なくとも主役級の人物としては珍しいのではないでしょうか。
 ――とはいえ、かれの生きた時代については若干の手掛かりが残されている。エドムの対ユダ活動や主の審判の言葉の一節に、推測の材料があるという。
 『新エッセンシャル聖書辞典』(いのちのことば社)の「オバデヤ書」の項目では、ヨラム王の御代にあったペリシテ人とアラビヤ人のユダ攻撃(代下21:16-17)や、バビロニア王ネブカドネツァルによるエルサレム陥落/宝物略奪にエドムが加担・便乗した事柄(詩137:7。ex;哀4:21-22)が、オバデヤの生涯の背景にあるのではないか、とします。他の研究書や注釈書などはどちらかといえば後者の意見に与する解釈が多いように見受けられます。
 が、いずれも決め手に欠くため、結局オバデヤがいつの人なのか、誰の息子であるのかはわからない、というのが正直なところのようであります。
 1章21節の短い書物、「オバデヤ書」。明日はこれを読んでゆきましょう。そのあとは一種の冒険譚である「ヨナ書」を。

 ※1;オバデヤ同様、ヘロデ王も聖書に同名の人物が複数おります。上に挙げた、イエスの誕生を知ってベツレヘムとその周辺にいる2歳以下の男児を一人残らず殺せ、と命じたヘロデ王の他に、有名な同名の人物としては、例のオスカー・ワイルド『サロメ』に登場する領主ヘロデ即ちヘロデ・アンテパスがおります(マタ14:1-12)。
 こちらのヘロデは王の第4夫人が生んだ人で、兄弟フィリポの妻ヘロディアと通じてこれを妻とし、ヘロディアの連れ子サロメの要望を拒みきれず幽閉中であった洗礼者ヨハネ(戯曲とオペラでは「ヨカナーン」)の首を銀の盆に載せて贈った。なお、『サロメ』では最後、ヘロデ王がサロメの首を刎ねるよう命じる場面で終わりますが、むろん、新約聖書の当該章にはそうした場面はありません。また、洗礼者ヨハネは<バプテスマのヨハネ>、「バプテスマ」は「洗礼者」の意味であります。「ヨハネによる福音書」や「ヨハネの手紙」を著した使徒ヨハネとは別人。
 ……まったく聖書の人名ってややこしくて紛らわしいですね。混乱しちゃいます。
 ※2;旧約聖書で単一章の書物は「オバデヤ書」だけですが、旧約聖書続編に「エレミヤの手紙」、「ダニエル書補遺」(3篇いずれも)、「マナセの祈り」が、新約聖書に「フィレモンへの手紙」、「ヨハネの手紙」二と三、「ユダの手紙」が、同じ単一章の書物であります。



 今月2013年7月21日を以て横浜駅西口の岡田屋More'sが改装のため、一時閉店になる。そのため一時休業するテナントもあれば、これを機会に(?)クローズされる店舗もある。
 会社の帰りに寄ってそれと知ったのだが、クローズ店舗にタワーレコードが入っていた。昨今のソフト販売が如何にパッケージ商品からダウンロードへと比重を移したかを如実に見せられる思いだ。
 理由が別にあるとはいえ、以前みたく頻繁には足が向かなくなったこの数年だけれど、たまに出没して時間をかけて店内を一周すれば音楽産業の動向は或る程度まで把握することができた。「或る程度」までながら「把握できた」というのは、それだけタワーレコードが情報を発信し、実売店舗としての役割をじゅうぶんに果たしている事実を意味する。
 この店で、ふとした拍子に購入した音盤がきっかけで現代音楽と吹奏楽のジャンルへ足を踏み入れ、興味の触手が伸びてたまにジャズやカントリーに手を伸ばし、新譜が出ればJ-POPと洋楽へ戻りもした。レジへ十数枚のCDや書籍を運ぶたび、レジの人はわたくしの分裂症気味な嗜好に内心小首を傾げたかもしれないけれど。
 オープンは確か2001年頃であったか。まだ不動産会社に在籍していた頃だ。もう思い出の詰まった店舗がこの世から消えてしまうことに一抹どころではない淋しさを感じている。この行き場のない嘆きを一体どこにぶちまければいいのだろう? ――More's店での最後の買い物はラザール・ベルマン弾くシューベルトのピアノ・ソナタ第21番とカラヤンのムック、映画『ホビット』と『テッド』のDVDと決めてある。◆

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