第3586日目 〈今日は昨日の続き、明日は今日の続き。その影に埋もれる無くなりつつある生活の古典について。〉 [日々の思い・独り言]

 年齢を重ねると、新しい年を迎える、もう今年も今日で終わりだ、という実感は薄れてゆく。今日は昨日の続きであり、明日は今日の続きである。
 若い頃はそんな風には思いませんでした。12月31日は12月30日の翌日という意味しか持たず、01月01日は12月31日の翌日でしかない。ただ年が改まるから……今年から来年へ、去年から今年へ……、なんとなく区切りになっているだけのこと。とはいえ、地元の神社に参詣して、おせちを食べて、年賀状を見て、等々正月にやるべきことは当然やりますけれどね。
 子供時代のように祖父母の家に親戚一同が集まることがあれば、大晦日やお正月の意識も多少はされて胸も弾むのだろうけれど、そんな年来の習慣を継続できている<家>が果たしてどれだけあるのでしょう。晦日──30日に仏壇から位牌や写真をおろして綺麗にし、神棚をおろして神宮や氏神のお札を新しくして注連縄をさげて、台所の竈神のお札を取り替えて幣をささげるなどする<家>が、一体いまの世にどれだけあるだろう。晦日の内に松飾りを立てて、一夜飾りにならぬよう注意している<家>がどれだけあるか。
 コロナに見舞われるずっと前から、この国からそんな風習は消えてゆこうとしている。ないことを当たり前に捉えて生きる世代がこれから増えてきて、あの愉しい風習もかれらには廃れた歴史の一コマになるのでしょう。が、──それは果たして仕方のない話なのか。
 20世紀末に某鉄道会社のCMからブームと化した「Discovery Japan」に加えて、21世紀に入ってから顕在化したグローバリズムと、嫌韓ブームがトリガーとなって湧き起こったピンボケしたナショナリズム、そうしてインターネットの普及が後押ししたCool Japanが一体となって生まれた「日本ってこんなに素晴らしい国なんだぞ」ムーブメント。
 それらによって日本の習俗習慣が新たに着目されるようになったとはいえ、ひとたび失われた民俗はもはや生活の古典として再生することはできません。できた/できる、というのは単なる錯覚で、表面的な部分の再現でしかなく、それを連綿と培ってきた人びとの記憶や伝統、技術や知恵までが受け継がれたのではないのです。
 幸いと明日は元日、生活の古典としての民俗がまだ生きている時季となりました。だらだらとスマホやテレヴィで時間を無為に浪費するのではなく、どのような習俗習慣がかつての日本にはあり、生活の古典を体験して継承していったのか、知る機会になれば良いと思います。そうすれば、今日は昨日の続きであり明日は今日の続きというなかに、忘れられてしまった日本、失われようとしている日本の姿を、その一片なりとも見附けられるのではないでしょうか。
 この時季になると家に閉じこもるせいか、ここに書いたような、われらの先祖が伝えてきた祭事や風習などが消えてゆこうとしていることに淋しさを覚えて、めずらしく民俗学の文献やフィールドワークの記録など繙いて倩考えこんでしまうのであります。

 ……おかしいな、ベーム=BPOのブラームス交響曲第2番を書こうとしていた筈だが?◆

共通テーマ:日記・雑感

第3585日目 〈近世怪談試訳 「女房、女の孕みたる腹を焼き破る事」。〉 [近世怪談翻訳帖]

 摂州大阪に、富裕で知られる男があった。妻ある身でありながら別の女を深く想い、体を重ねること幾度もあったので、女が子を宿すのは当然の帰結といえた。
 それを知って黙っていられぬのが、男の妻だ。夫が家を空けた時、妻はかねてからの計略を実行に移した。不倫相手を呼び寄せて、狭い部屋に押しこめたのである。然る後、下僕数人を使って不倫相手の大きくなった腹に真っ赤になって湯気を立てる焼き鏝をあてて、肉をただれさせ、肉を溶かし、腸が見える程になった。不倫相手はもはや虫の息である。そんな不倫相手を母親のところへ返すため、男の妻は駕籠を呼んで追い返した。実家に到着して駕籠を降りると不倫相手はそのまま息絶えた。
 母親は嘆いた。大いに嘆いた。自分でもそれとわからぬまま遠近を彷徨い歩き、諸々の神社に詣で、喚き泣き叫んだ。物の怪が憑いたかのようにあちこち飛び跳ね回った。そうして、「わが子の仇を取ってください」と祈願した。或いは境内の樹木に釘を打ちつけて、残酷な手段で以て娘を死に至らしめた輩を呪った。そうやって様々な方法で相手を呪っているうちに、母も絶命した。
 その日以後、かの妻の許へ、不倫相手のその母の亡霊が毎日現れるようになった。やがて妻なる人は病気になって床に伏すようになり、譫言を口走り、だんだんと衰弱していった。終には、剃刀で自分の腹を裂き(切り破り)、絶命した。それからというもの、その家には不倫相手とその母の亡霊が取り憑いて、どんな祈祷をしても離れようとしないのだという。
 その家は然るべき身分の家でもあるので、詳細をここに書くことはできぬ。読者も、詳しくは知らない身であれば霊障を被ることもあるまい。ただ、因果の道理というものを世人に知らしめんとするだけである。かの男の妻が犯した咎を記して、その家への筆誅とするのではない。



 本稿は、『善悪報ばなし』巻三ノ三「女房、女の孕みたる腹を焼き破る事」の試訳であります。本来ならば決定稿をお披露目すべきですが、ちょっと訳があって、急遽お披露目とした次第です。
 昼間読んでいたときは思わずゾッとしたり、その因果応報の深さに寒気を覚えたものですが、こうして訳してみると……原典の空恐ろしさを毫も伝えられていないようで反省頻りであります。
 なお、最後の「されば人を損ずるは、我身を損ずる事をしらずして、自他の分別かたく、愛執の念慮深き習ひは、かへすがへす愚かに迷へる心なるべし」という一文は上の試訳では省いてあります。といいますのも、どうにもうまい訳文を捻り出せなかったからであります。ご寛恕下さい。
 『善悪報ばなし』は編著者不明、元禄年間開版の因果談集。翻訳の底本とした高田衛編『江戸怪談集 上』(岩波文庫 1989/01)解説に拠れば、「当時流行していた『御伽物語』などの、亜流を意図した出版とも考えられる。近世期の怪談が内容的に因果、因縁ばなしの傾向をつよめてゆく過程を観察できる怪談集だが、ハナシの精彩はかえって先行怪談集には及んでいない」(P397)とのこと。とはいえ、因果応報、人を呪わば穴二つを説いて聞かせるには打ってつけの教本に思えて、その点については楽しく読める作品ではないでしょうか。
 まだわたくしの心が怪談に向けられているうちに、本稿を推敲してお披露目したく思います。◆

第3584日目 〈時間をかけてじっくり取り組みたい本、蘇峰の次はカレルを。〉 [日々の思い・独り言]

 時間をかけてじっくり取り組むに足る本、というのはあると思う。読み急ぐことなく腰を据えて一行一節、一言一句を読み落とすことなく、不明点があれば労を惜しまず文献を繙いて、自分を高めつつ怯むことなく対峙する本──そんな本は必ず、ある。読書人であれば、そうした本を必ず持っている。
 いまは御多分に洩れず蘇峰『近世日本国民史』だが、それ以前には『古事記』があり、『論語』があり、『聖書』があった。メモやノートを取る或いは論文を書くのと密接に関わった本だ。後者はともかく前者に則していえば、メモやノートが必要になる程、挑み甲斐のある/読み甲斐のある本なのだった。
 然り、時間をかけてじっくり取り組むに足る本はある。いまは『近世日本国民史』だけれど、それが終わったら次は是非、積年の宿願を果たすという意味もこめて、今度こそカレル『人間 この未知なるもの』に挑戦したい。近年刊行された(訳者の教え子によって改竄・去勢された)改訂新版ではなく、そのオリジナルとなった三笠書房版(渡部昇一・訳 知的生き方文庫 1992/05)で。どれだけ自分の養分になるか分からんけれど、まァ、内藤陳流にいえば「読まずに死ねるかっ!」ってところですね。要するに、読み残したまま逝くのは嫌だな、と……。
 近頃いろいろ大風呂敷を広げているが、読書については生きている間に1冊でも多く養分となる本を喰らい、読みたいと願っていながら未読で残っている本を1冊でも減らしておきたい。時間をかけてじっくり取り組む本、まずは蘇峰、次はカレル、その次は──。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3583日目 〈イギリスの歴史が複雑怪奇に映るのは、自分だけか?〉 [日々の思い・独り言]

 荒俣宏編『平井呈一 生涯とその作品』にある。晩年の平井はディケンズ作品の翻訳に備えて、海外から多量のディケンズ研究書を購入した、と。
 妙にその記述が心に残っている。シェイクスピア読書に向けた研究書や註釈書を買い集めているからだ。書店で「これは!」と思う本を見附けて、こちらの背の丈に合うものであれば、懐具合と置き場所を考慮した上で購う。
 そうやって集まってきた和書洋書は並べてみれば、1メートルまであと少しか。全部を最初から最後まで読んだわけでは無論ないけれど、必要と思うたページに貼った付箋や、間に挟んだ紙片のせいで満艦飾の様相を呈している。
 いちばん賑やかなのは英国史の本2冊だ。シェイクスピア時代の英国史と、作品の背景となった時代の英国史。これを通読していると、シェイクスピアは英国史の良き入門書のように思えてくる。シェイクスピアを読むことは英国の歴史を繙くことだ。「時代と寝た」作家の感を強く抱くのも、その認識に行き当たったせいだろう。
 このあたりの歴史を解説した2冊を、ひいこらふうこら、いいながらどうにか読んだ(蘇峰読書を遅らせた原因の一である、実は)。頭ンなかはカオス状態。
 シェイクスピアが生涯に書いた戯曲は37編という。その嚆矢となる『ヘンリー6世』はランカスター家とヨーク家のバラ戦争を背景とし、続くチューダー王朝期もシェイクスピア作品に重要な題材を提供した。
 シェイクスピアの歴史劇はほぼすべてが百年戦争とバラ戦争、チューダー王朝の時代を背景にしているそうだから、この時代がどんな時代で、どんな人物が活躍し、どんな場所が舞台になったのか、を知っておかねば読書も底の浅い、活字を目に留めただけのそれに収まってしまうだろう。そうならぬためにも、これを機会に英国史を勉強しておこうかな、というのだ。
 百年戦争とバラ戦争の時代の英国史は、日本史へ馴染んだ者には複雑怪奇である。なぜか。極言すれば、日本では王朝交代が実現しなかったから。細かな点で皇統の交代はあったけれど、神武天皇を祖とする天皇家が他に取って代わることはなかった。皇位簒奪や王朝転覆を謀った衆はいたけれど、結局天皇家が歴史から姿を消す事態には至らなかった。
 つまり、万世一系の歴史を当然として育ってきた者に、英国や中国に代表される王朝交代が当たり前の過去を持つ国の歴史は複雑に映り、その内情を知るとまさしく怪奇なのである。ゆえにエリザベス1世が登場するまでの英国史は、王様の名前、王朝の名前を覚えるだけでも一苦労するのだ……わたくしだけか?
 シェイクスピア読書に備えて資料を買い集めている。が、その内容、英国史や国王列伝の類が半分を占めるのも致し方ない話だろう。作品の研究書や註釈書、テキストは歴史の本が満艦飾に彩られているせいでか、まるで有るのが目立たない。ファーストフォリオや出版史にまつわる本は、ついさっきまで読んでいたから、山のいちばん上にあるんですけれどね。
 果たしてシェイクスピア読書はいつから始まるのか。赤穂義士に関する蘇峰の史書、鳶魚の随筆、大佛の小説(と青果の戯曲;読むんだろうか)を終えたら『ヘンリー6世』に取り掛かるから、そうね……早くても1年後?◆

共通テーマ:日記・雑感

第3582日目 〈誤ちを正す。〉 [日々の思い・独り言]

 表題、過ちを正す、とは、どうやらこれまで長いこと勘違いしていた記憶を正しくする、の謂である。いうなれば、誰も待望していない、わたくしも想像していなかった第3577日目の姉妹篇であり、第3576日目から出典に疑いありそれゆえ論旨不明のため最終的に削除したる部分の、発展的補足である。
 チューニングの話なのだ。
 『近世日本国民史』のどの巻を繙いてもツマラヌ本を読まされている意識は微塵もない、たとい斯様に思う一巻に当たったとしても本の内容と自分の間でチューニングが済めばいつしか面白く、夢中になって読んでしまうのだろう──なる意味の文章を一度は書いたが、前述の理由で最終的にチューニングの箇所はバッサリと、削り落としたのである。
 ──と、ここからが表題につながる本題。
 当該箇所を削る前に帰宅後、チューニングの話を確かめんと山村修『増補 遅読のすすめ』(ちくま文庫 2011/10)を読んでみた。なんと、山村が用いているのは「ウォーミング・アップ」という単語で、しかも自分の文章ではなく、遠藤隆吉『読書法』の一節を挙げて田中菊雄が自著『現代読書法』で書いた文章を山村が引用して一言、二言加えるというのが実際なのだ(P57)。
 いやぁ、これには参りました。山村自身の文章という思い込み、「チューニング」という表現を使っていたという思い込み。二重の思い込みに何年も囚われていた。哀れ? 否、滑稽だ。
 ならば肝心の、読書を始めるにあたってはチューニングが必要だ、という趣旨の文章を、わたくしはいったいどこで読んだのか、その文章の作者は誰だったのか。──当然湧いて出る疑問だろう。実際この一週間、終始とはいわぬまでも会社からの帰り道や1日のうち何度かは必ず訪れる呆とした瞬間、浮かび来たって離れぬものとなった。チューニング。それは誰の、なんという文章で読んだのか。誤った形ながら斯くも記憶にこびりついているのだから、何度となく読み返した本なのだろうが……。
 そうして今日(昨日ですか)である。12月26日夕刻。尾籠な話で恐縮だが、憚りの供になんの気なく岡崎武志『読書の腕前』(光文社新書 2007/03)を選んだ。あちこちパラパラ、ページを繰って目を通していた。あまり長時間いるような場所でもないので、用を済ませたらサッサと出るつもりだった──のだがその矢先、目撃してしまったのである。過ちを正すその回答を。
 つまり、こういうことだ。本と読者の間にはチューニング(の時間)が必要だ、と書いたのは、山村修ではなく岡崎武志だった。その文章は『遅読のすすめ』ではなく『読書の腕前』にあった。こちらも何度となく読み返した本だから、いつしかこうした錯誤も発生してしまったようである。言い訳をすれば岡崎のこの本、ほぼ3年ぶりの再読だった……。
 それにしても面白いのは山村と岡崎が、他の著者の本から引用してウォーミング・アップとチューニングを話題にしたことだ。岡崎は、小説家保坂和志の文章を引いた。孫引きだが、その保坂の文章を紹介しよう。新潮文学賞選考委員を務めた際の言葉だそうである。曰く、──

 はじめての小説に出会うと、読み手をチューニングする必要がある。そういう小説を読みたい。評論ならチューニングの痕跡の伝わるものを読みたい。(P59)

──と。
 続けて岡崎の文章から、曰く、──

 ここで保坂が言う「チューニング」とは、その作者が築き上げた小説世界のなかに、読み手がうまく波長を合わせながら踏み込み、同調していくということだ。……チューニングは一種の技術だから、慣れが必要だ。(同)

──と。
 それは小説に限らず、どんなジャンルの、どんな本でも同じだ。然り、所要時間の長短はともかくとしても、チューニングを要さぬ「はじめての」読書なぞ無いのである。
 ここで話が振り出しに戻るのだけれど、『近世日本国民史』もさしたる興味のない時代であろうと「うまく波長を合わせながら踏み込み、同調していく」労を厭いさえしなければ、──関心の濃淡は最早どうこうすることはできないにしても──、相応に面白く読めるんじゃアあるまいか、といいたいのである。
 「引用された史料にどんなことが書いてあるか、分かんねーんだよ!」という、この手の本を読むとき必ず付き纏う問題はスルーしたい。なぜなら、大丈夫、何遍か読み返せばなにが書いてあるか、なんとなく分かってくるから。数をこなせば自然と馴れて抵抗がなくなり、史料の頻出ワードの読み方も解し方も、なんとなく分かってくるから。心配めされるな、読者諸氏。何事もなんとかなるさ。
 ──以上が、数年にわたる勘違いの修正報告であり、同時に第3576日目削除部分の発展的補足となる。『近世日本国民史』も聖書も『薔薇の名前』も、読み難きてふ理由の幾許かは、不遜を承知で申しあげれば〈調律〉の成否に帰すとわたくしには思われる。どうだろうか?
 最後に余談。それにしても講談社学術文庫には頑張ってもらいたかった、『近世日本国民史』全100巻の文庫化を。経営を危うくする夢物語、無理難題であることは承知しながらも。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3581日目 〈肉筆浮世絵コレクター、今西菊松氏の夢。〉 [日々の思い・独り言]

 商店街にあったO書店で立ち読みして、後日神保町のS書店でようやく見附けて購入したのが、長山靖生『コレクターシップ 「集める」ことの叡智と冒険』である(JICC 1994/04)。鳥類学者や美術品コレクター、博物学者たちのコレクション形成や「集めた」蒐集品からどのような業績が生まれていったか、沢山の先人の足跡を羅列・紹介した1冊だ。
 O書店はバブル崩壊から程なくして店終いした。『コレクターシップ』はおそらく新刊として入荷したのだろう。棚にささったままの本を偶々手にして、夢中になって立ち読みしたのは1992年の秋頃でなかったか。その1992年といえばわたくしはまだ学生で、必要なテキストや研究書を爪に火を灯すようにしてすこしずつ買い集めていた時期である。そんなわたくしが『コレクターシップ』を読んで最も共鳴し、そのコレクターシップに感銘を受け、すこぶる崇敬の念さえ抱いたのが、肉筆浮世絵コレクターとして知られた今西菊松氏だった。
 本書で今西氏を知り、咨、今西氏の生活とコレクションへの情熱って、自分のなかにも同じようなものがあってよく分かるな、と勝手に親しみを覚えたことを急ぎ言い添えたい。
 神保町のS書店で『コレクターシップ』を購い、何度も読み返した或る日、神保町の美術展目録を多く扱う古書店の棚へ目を走らせていると、この今西コレクションの展覧会目録があった。勿論、財布と相談の上で、購入した。そうして帰りのJRのなかで内心溜め息つきつつ読み進め、それはいまでも廊下の書棚にある。ますます今西氏への共鳴は強くなった。いずれ展覧会目録も材料にしたエッセイを物せたら、と思う。
 さて、『コレクターシップ』が今西氏の生涯や業績等、取り挙げた最後に著者はこうした一節を綴っている。それは独り今西氏に対してのみならず、決して空間や資金に恵まれていない貧しきコレクターたちへの言葉でもある。本稿〆括りの前に、その一節を引く。曰く、──

 彼が亡くなった時、その四畳半の狭い部屋の中には、ろくな家具とてなく、ベッドを残して、あとの空間にはすべて肉筆浮世絵や茶道具が雑然と積み上げられていた。
 たぶん彼は、それらをじっくり味わうこともできなかっただろう。彼の部屋には、それらを広げてみるだけのスペースさえもなかったのだ。だが、彼は夜ごと、空想のなかで茶会を催し、愛してやまなかった肉筆浮世絵を一堂に広げて眺めていたことだろう。もし彼に、もう一度人生をやり直せるとして、平凡な幸せと、コレクターとしての幸せとどちらを取るかと尋ねたら、おそらく氏は後者を選ぶに違いない。私はそう確信するのである。(P104)

──と。
 咨、わたくしも同じだッ!◆

共通テーマ:日記・雑感

第3580日目 〈「ヤコブの手紙」第3章に自分への戒めの言葉を読む。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日はクリスマス・イヴということもあって、久しぶりに聖書を話題にしました。続きを企むわけではありませんが今日は“当日”でもありますので、再た聖書のお話をすることに致します。同じく新約聖書から、〈公同書簡〉の1つ、「ヤコブの手紙」を。
 ヤコブはイエスの縁者、兄弟で、原始キリスト教会の指導者。62年にエルサレムの城壁から突き落とされて殉教した、と伝えられる人です。そのヤコブが、「離散している十二部族の人たち」(ヤコ1:1)へ宛てて書いた、とされるのが、「ヤコブの手紙」であります。「とされる」というのは聖書によくあることで、ヤコブに仮託して後代のキリスト者が書いた手紙、という意味で、執筆年代は80年頃ともされます。実際の執筆者が誰であるか、ここで詮索したり想像したりはしません。
 しかし、手紙の宛先である「離散している十二部族の人たち」とは、誰をいうのか? フランシスコ会訳聖書の傍註に拠れば、「キリスト教に改宗したユダヤ人、あるいは、離散している神の民である新イスラエル、すなわち、キリスト教会全体を指す」という。これは2013年02月にサン パウロから発行された旧約聖書との合冊版に付された傍註の説明ですが、ちょっと分かりにくい。
 わたくしが初めて買った新約聖書がフランシスコ会訳で馴染みあり新共同訳に次いで勝手が良いためここで用いているのですが、1984年10月改訂初版フランシスコ会訳新約聖書の「ヤコブの手紙」解説ではこう書かれています。曰く、「単純にユダヤ人であれ、異邦人であれ、ローマ帝国中に散らばっている神のためを意味すると解するのが妥当である」と。こちらの解説の方が、すっきりとしていて、分かりやすく捉えられるのではないでしょうか。
 寝しなに新約聖書を読んでいて、「ヤコブの手紙」を開くことも間々あるのですが、ちかごろやたらと共鳴する箇所がこの第3章にあります。昨日同様、お話しを進める前に、新共同訳とフランシスコ会訳から当該章節となるヤコ3:13-18を下に引きましょう。曰く、──

 (新共同訳)
 13) あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
 14) しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。15) そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。16) ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。
 17) 上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。
 18) 義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。

 (フランシスコ会訳)
 13) あなたがたのうちに、知恵があり物分かりのよい人がいますか。その人は、知恵にかなった柔和な行いを、立派な生活によって示しなさい。
 14) もしあなた方が、心に激しい妬みや利己心を抱いているのなら、驕り高ぶり、真理に背いて偽るのをやめなさい。15) このような知恵は、上から下ってくるものではなく、地上的なもの、この世の命に生きるもの、悪魔的なものです。16) 妬みと利己心のある所には、秩序の乱れとあらゆる悪行があります。
 17) 上からの知恵はまず第一に清く、次に平和で、寛容で、温順なものであり、憐れみと善い実に満ち、偏見はなく、偽りのないものです。
 18) 義の実を結ぶ種は、平和をもたらす人によって、平和のうちに蒔かれます。


──と。
 いちばんわたくしの心を捕らえて考えさせてしまうのは、14節と16節であります。字面の通りにしか受け取っていないせいもありますが、わたくし自身への戒めの言葉であるように捉えてしまうのです。まるでそれは、罪状記録のようにも思えてしまい……。
 わたくしはそんなに知恵ある者でもなければ、それゆゑに知恵ある者に相応しい柔和な行いを、立派な生き方をすることで示すことも出来ない。内心はいつも焦りと疑心と妬みと利己心と私欲に塗れている。そんなわたくしにこの一節は氷のように冷たく、よく研がれた剣の切っ先を肌に立てられたような痛みを感じさせる。
 「ねたみや利己心のあるところ/妬みと利己心のある所」とは言葉を補えば、「妬みと利己心を持つ人のいる所には」となろう。つまり、──わたくしの行く所、居る所常に禍いあり、という……。イエスの言葉、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ」(マタ10:34)を思い出させるけれど、意味するところはまったく異なる。
 では、柔和な行いを立派な生き方で示すことができるよう知恵を得て、かつ物分かりのよい人間となるために果たしてどうすればいいか。わたくしのような非キリスト者の場合は? 信仰なき者に「上から出た知恵」は与えられまいから。──聖書……ヤコブ(に仮託した真の作者)はなにも答えてくれない。当たり前だ、巻を開いたら望む言葉が提示されている書物ではないのだ。
 この答えを求めて、その手掛かりを探して、しばらく彼方此方の書物をひもとく日々となりそうである。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3579日目 〈「ルカ伝」の「灯し火の喩え話」について。〉 [日々の思い・独り言]

 風呂あがりに「♪ハイホー、ハイホー♪」と7人の小人の歌をうたっていたら、奥方様に「どうかしちゃった?」とおでこごっつんこされたみくらさんさんかです。ハイホーではなく、”Hojotoho! Heiaha!”にすれば良かったな、と反省しつつ、それでは、と今日の話に移ることにして、──

 新約聖書を読んでいると、心のどこかにずっと残り続けている一節、というのが幾つもあります。正確に覚えているとかではなく、福音書でイエスはあんな喩え話をしていたな、パウロ書簡に信仰と義の話があった、公同書簡に正しいことを為すがゆえに苦しむてふ文言があった、黙示録に大淫婦が裁かれるエピソードがあった、なんてレヴェルですが、そんな具合にずっと心の片隅にあるか、深い底へ沈んでいたのが、なにかの折にすーっ、と表面に浮かびあがってくる一節や挿話があります。新約聖書を読んだことのある人であれば、誰しも同じような経験を持つと思うのですが、如何でしょうか。
 「ルカによる福音書」にある「灯し火の喩え話」の話も、わたくしには心のどこかでずっと残り続けているイエスの喩え話の1つであります。この「ルカ伝」に同様の喩え話は2箇所に出ますが(「マタイ」と「マルコ」に各々並行箇所あり)、わたくしが話すよりも先に当該節を下に引いておきましょう。曰く、──

 (イエスが弟子たちに)
 「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない。だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる。」(ルカ8:16-18)

 (イエスが弟子たちに)
 「ともし火をともして、それを穴蔵の中や、升の下に置く者はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。あなたの体のともし火は目である。目が澄んでいれば、あなたの全身が明るいが、濁っていれば、体も暗い。だから、あなたの中にある光が消えていないか調べなさい。あなたの全身が明るく、少しも暗いところがなければ、ちょうど、ともし火がその輝きであなたを照らすときのように、全身は輝いている。」(ルカ11:33-36)

──と。
 4つある福音書のうち、わたくしが最も好むのは「ルカ伝」です。なかでも上に引いた「灯し火の喩え話」に一際惹かれ、印象にも深く、為にこそふとした拍子に思い出すのでしょう。実際のところ、新約聖書を寝床で読んでも指は自然と「ルカ伝」を開き、「灯し火の喩え話」のページを開こうとします。
 斯様に好む箇所で幾度も読み返していながら、この喩え話を理解しているとは到底言い難い。摑み所がないのです。なんとなく分かるな、と思えるけれど、そこから先へ行こうとすると途端に自分の理解に迷いが生じてしまう。
 ルカ8:18「どう聞くべきかに注意しなさい」──なにを「聞く」のか? 神の言葉を「聞く」のである。「灯し火」とは「神の言葉」の譬えである。心も体も悪や偽りに染まることなく自分を律して、いつでも神の言葉へ真摯に耳を傾けられるよう清らかでありなさい。
 その神の言葉をどう聞くか? 「あなたの体のともし火は目である」がゆえにその目に濁りがないならば全身は(ここでいう「全身」が肉体のみならず心までも含めていうているのは、明らかでありましょう)、自ずと輝いている。つまり、心も肉体も悪や偽りなどに染まっていなければ、かの神の言葉を歪曲することなく素直に聞くことができ、その考えや求めを実感的に捉えることができる、というのでしょう。
 これを非キリスト者へ向けて敷衍すれば、こういう話になるのではないか──他人に対して悪意や軽蔑を持って接する者の目は濁ってその表情も心根も卑しく、澄んだ目を持つ者はその逆である、と。あながちこの解釈に誤りはあるまい、とわたくしは自負するのであります(これを考えるときわたくしは、かつて仕事で出喰わした部下の幾足りかの顔と言動を思い出す)。
 が、ルカ8:16-18を読むとき、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、公にならないものはない」(ルカ8:17)はどうにか合点がゆくとしても、続く「だから、どう聞くべきかに注意しなさい。持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」(ルカ8:18)については疑問符が浮かんでならぬのであります。
 「聞く」は神の言葉をどう聞くかてふ意味合いであろうこと、既に述べた。ならば、「持っている人は更に与えられ、持っていない人は持っていると思うものまでも取り上げられる」は? 神の言葉へ耳を傾ける態度のできていない者を「持っていない人」というのであれば、かれが「持っていると思うもの」とはなにか? 信仰を指すか? 然るにかれは偽りのキリスト者というのか。
 どうもこのあたりが、わたくしには分かりません。この点について触れた註釈書や研究書は幾つもある。が、こちらを納得させてくれる説明にお目に掛かったことはない。わたくしの頭の悪さを棚にあげた台詞だけれど読めば読む程、一度はこの手に摑み取ったのに指の間からするすると零れ落ちていってしまうに似た感覚を味わうのです。難しく考えすぎて堂々回りをしているに過ぎないのかもしれない。けれど、「ルカ伝」が伝える「灯し火の喩え話」は、いま一つその理解にあと一歩及ばぬ感が付き纏うのであります。
 もう一度、新約聖書を部分的にではなく最初から読み通して考えてみよ、というお達しなのか(誰からの?)。まァ、宿題を出されたに等しいのかもしれませんね。
 来年はこの宿題を仕上げるために、新約聖書を読み通してみる(読み返してみる)必要がありそうです。これまでの新共同訳から気分を変えて聖書協会共同訳で読んでみる、良い機会になるかもしれないな……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3578日目 〈Better Days, for My Mother, My Wife, My Daughter.〉 [日々の思い・独り言]

 正当な理由と正当とは言い難い権利を行使して、明日から年末年始の休みに突入する。不動産会社勤務時代には及ばないけれど、それでも世間よりは数日早い休み始めである。ただ今年は正月三が日明けまで仕事とは完全に無縁でいられるのが、不動産会社時代といちばん異なる点か。
 世間と較べれば1週間程早く休みに突入するわけだけれど、クリスマスも大晦日も正月も、大掃除も年始の仕度もなにもかも、母と奥方様と、初めてクリスマスと正月を経験する娘と、迎えられるのが嬉しい。
 「昨日の続きとしての今日」以外の何物でもない祭日と催日を過ごしてきた。ずっと宙ぶらりんの付き合いだった奥方様を正式に妻として迎えた昨年からは、やはり祭日と催日の意味合いがそれまでと異なってきた。入籍からちょうど10ヶ月後に産声をあげてわれらの所へ来てくれた子どものいる今年は、その祭日と催日の意味合いも、だいぶ世間並みになってきたように思う。
 地に足が着いた生活をしている──それを実現し、実感させてくれた奥方様と娘と、ずっと支えてくれた母への感謝一入の令和4年の師走である。
 世間より約1週間早い休みが、明日から始まる。家族を得た喜びと責任を昨年以上に噛みしめる休みになる。1日1日の営みを大切にしよう。この幸せを当たり前と思うてはならぬことは、過去の自分がいちばん承知している。◆

 森は今、花さきみだれ
 艶なりや、五月たちける。
 神よ、擁護をたれたまへ、
 あまりに幸のおほければ。
──パウル・バルシュ「春」より
上田敏・訳『上田敏全訳詩集』P68 岩波文庫 1962/12□


共通テーマ:日記・雑感

第3577日目 〈トイレ読書への疑問、ひとまず疑問氷解す。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日のエッセイには省いた記述があった。山村修(狐)『遅読のすすめ』にある一節だったが、記憶にあるものと実際のそれが異なり、そのまま引用等してもエッセイには馴染まぬと判断、省いたのだ。
 件の一節を調べるため、正味5分程、手前に積み重なる文庫の山を切り崩し、『遅読のすすめ』を取り出した。結果は上述した通り。
 が、そのまま棚に戻してふたたび文庫の山で閉ざすのも気が引ける。為、そのまま今日の数10分を、それを読むのに費やした──すると、偶然開いたページに、時々意識に上っては消えていった疑問の答えが書かれていたのである。
 トイレ読書についてつれづれ想い巡らすときは決まって、籠もるたびにカントを読み続けて数年後に完読した人物のあったことを思う。そうして、それは誰であったか、本当にカントであったか、と小首を傾げ、誰の何という本で読んだか思い出せぬことに溜め息する。
 答えは期待していないとき、突然向こうからやって来る。と、誰かがいっていた。誠の言葉である。今日わたくしはそれを経験した。
 多読家、速読家の読書スタイルに疑を呈し、丁寧に読む書き手として裁判官を務めて多忙を極めた倉田卓次を挙げ、その文章に共感、共鳴を示した章のなかの、下記の一文である。

 もちろんその読書エッセイにあきらかなように、倉田卓次はけっして急いで読まない。聖書などは旧約・新約ともに一日一章を目途とし、四年をかけてトイレで(!)読んだ。(P152)

 それは誰であったか──倉田卓次であった!
 本当にカントであったか──否、まさかの聖書だった!!
 人間の記憶が如何に曖昧で、事実を都合よく(無意識に)改ざんするか。好例といわずしてどうするか。今度、図書館に出かけて『裁判官の書斎』シリーズを検めてみよう。
 さて──、聖書であれば、倉田がどれだけ一行一行を舐めるようにして読み、見落としがち、読み流しがちな箇所をも読んでいたか、わたくしもありありと想像できる。けっして広いとはいい難い個室で聖書を読破するというのは、言うは易く行うは難しの例を持ち出すまでもなく、なかなか至難な行いである。スタバのような場所でもなかなか至難だったのだから、個室トイレとなると尚更では……、
 自宅のトイレでのみ読んだのか、勤務先でも都度持ちこんで読んでいたのか、原文にあたらぬまま本稿を書いているため未詳だ(この点については後日調査して、結果を反映させよう)。が、短い、限られた時間でかなりの集中力を要しただろうことは疑い得ない。時に立ち止まり、戻ったり、を繰り返して誠実に対象と相対したであろうことも、また然りである。旧新約聖書を4年かけて読了した、というから、おそらく旧約聖書に3年弱、残りが新約聖書に費やした時間であったろうか。
 ──山村の本で斯様な件に遭遇したけれど、正直なところ、わたくしはまだ、トイレでカントを読破した誰かのことを何かで読んだ、という年来の思い込みを捨てることができずにいる。
 とはいえ、斯様に疑わしき部分を孕むと雖も、まずはこの件、ひとまず疑問氷解とする。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3576日目 〈蘇峰「赤穂義士篇」メモ、お披露目手筈のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏の随筆にある。谷崎潤一郎が文化勲章を受賞した際のことだ。式後、会食の席での志賀直哉と吉田茂の会話が契機となり、中央公論社が『細雪』を昭和天皇に献上した。ご多忙中でも陛下がすこしずつ読み進めている様子が、栞の位置で分かった。──と(記憶で書いているので、事実関係に誤りがあったらご寛恕の程願う)。
 『近世日本国民史』「赤穂義士篇」をゆっくりと(否、のんべんだらりと)読み進めているのは、何度もここで話題とし、一部の読者諸兄には耳タコ状態であろうとお詫び申し上げる。正直な話、読まぬ日が何日も、何週間も続くと、「もう読むの止めようかな」と思うこと、無きにしも非ずで、幾度斯く思うたやら。
 しかし、──途中で抛つ程ツマラヌ代物を読んでいるわけでも、引用されている史料や蘇峰の漢文調の文章に辟易したり理解読解に悩まされているわけでも無し。
 前者については赤穂義士の巻ゆえに斯く思う部分あることを否定できぬが、実は是、他巻──わが故郷の歴史に深くかかわる黒船来航から開国、通商条約の調印、生麦事件までの数巻は勿論、その人物にはさしたる興味もない秀吉治世の諸巻についても、同様にツマラヌ代物を読んでいるてふ気持、わが心中には微塵も生じないのだった。
 後者に関しては特に言葉がない。学生時代からその後の続く数年間、恩師の下で、また独習で、古文漢文、史料の読解など徹底的にやっておいて良かったな、というのみだ。
 要するに中断する理由を探そうとしてもまるで見附からぬ、幸せな読書の時間を過ごしているのである。
 色々中断放置等間々ありと雖も抛つことなく『近世日本国民史』「赤穂義士篇」の読書は、(当初からは予想外に長引いてしまっているけれど)ゆっくりゆっくり、着実に進行中。冒頭の入江氏の随筆をわたくしは、蘇峰の読書中かならずというて良い程思い出し、読書の支えとしている。然り、毎日でなくても少しずつ、着実に、前へ進むが吉なのだ。
 いまはまだ極めて大それた望みで実現の時来たるや否やも不明ながら、それだけの時間を許されるならばその際は、『近世日本国民史』全100巻を始めの第1巻から終いの第100巻まで通読したく思うのである。

 さて、表題の件につき以下、謹言致し候。
 かの「赤穂義士篇」読了の暁には各章毎に書き綴った〈メモ〉を、整理の上ここにお披露目する。現時点で全18章のうち第11章まで、〈メモ〉は出来上がっている。
 年度内に始められれば、お慰み。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3575日目 〈明日の骨子。〉 [日々の思い・独り言]

 まず以て詫びを。然る後に功無しを告げる。悔いてしあらむ事を低頭して述べ、復活に向けて自ずから準備したる事皆々無駄となりしを涙声で云ふ。
 明日の御方の御求め、署名に非ず提案なりし事を畏ミ畏ミお祈り致し居り候。而してその祈り叶はざる際は斬首を請ひ願ひ出る者也。

 ex;ミッドウェー海戦に於けるアメリカ海軍の諜報戦。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3574日目 〈一筆啓上、過去に仕事した人たちへの言葉。〉 [日々の思い・独り言]

 久しくお会いしておりませんが、ご健勝と存じます。先達ての宴席での拙事、ご依頼を承けて下記の如く改めてお話申しあげます。宮様に於かれましてはお胸内にお仕舞いくだされば幸甚と存じます。
 その席では湿っぽい話となりました。然れど重ねて申しあげます通り、あれは拙の偽らざる本心となります。
 知る方はもはやこの世に僅かの数となりましたが、せめてと思うは一緒に仕事をした各々が選んだ道で幸せになり、また選んだ夢で大成してほしい、と心底より願う者であります。
 一緒に仕事した各々には此方の気持など伝わりますまい。誤解と偏見と思込と嘲笑と愚蔑の外にかれらが何を思い抱き、心に残しましょうぞ。
 斯様に有りと雖も致し方無しと思う我確かに裡に在り、否めぬが誠の所と云わざるを得ませぬ。致し方なし。払拭の手立て幾許ぞ有りと申せども講じれば却って泥沼、更なる誹謗を招くのみと思われます。
 然れど宮様に於かれましては長年来の交誼を賜りますがゆゑご承知と存じますが、我に人を否み、悪しく思うたり厭いまた忌避する者唯の一人も無し。
 たぶん誰も本意を知ることなく各々の人生は潰えるのでしょう。哀しくも亦其れ致し方なし。併し、貸金庫に預けた宣戦布告と罪状報告を破棄するは出来かねる。優位なカードを自ら棄てるなど如何に出来ましょうか。むろんこれをPROPAGANDAの一種と覧るは各自の自由と申しあげて擱筆致します。
 宮様に於かれましては心忙しい歳末となりましょう。諸事有り御多用とは存じますが、何卒お気をつけて年末をお過ごし下さいますよう臣謹んで申しあげます。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3573日目 〈なかなか読み終えぬ書物に寄せる悲歌。〉 [日々の思い・独り言]

 果たして我はいつ、蘇峰を読み終わるや。
 嘆息である。
 なぜかうも赤穂義士に拘泥するや。
 咨。

 まぁ、そんなこというても赤穂義士の物語、史伝、映画も講談も面白いですよね。
 うん、これはまさしく古き良き日本人の魂の古里。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3572日目 〈読書用の手帳を買おう。〉 [日々の思い・独り言]

 つらつらと「今年読んだ本のなかでベストといえるのは、なんだったかなぁ」と考えこんで、気附けばモレスキンに著者名と書名を列記していました。
 まだ2週間以上も残っているのにこんな作業を始める自分ですが、ぼんやり正月以後の読書を振り返り、帰宅しては部屋の本また本を眺めて、はて? と思う。
 ──おれは今年、どの本を読んだんだ?
 由々しき事態の発生であります。もはや自分が今年、どの本を読んだのか覚えていないなんて!? 咨、元より貧弱と心得てはいたが、斯くも記憶力が減退していようとは……。
 という冗談はさておき、顧みても今年読んだか昨年読んだか、すぐに思い出せぬは事実なり。むろんすべての本に対してそうなのではなく、一部の本についてのみなので、誤解なさらぬようお願い申しあげます。
 この現象、昨年末あたりから読み続けている遠藤周作と藤沢周平に顕著だったのですが、帰宅して抜き書きノートを開くまで、どの本をいつ読んだのか、確とした記憶は甦らせられなかった。
 遠藤の『イエスの生涯』は正月三が日の間に読了、藤沢の『義民が駆ける』は新年度の頃に読了。これがまったく思い出せなかったのだ。遠藤は年越し読書ゆえ斯様な錯誤が生じるのは致し方なしとしても、藤沢周平はねぇ……原則として発表年代順に読むようにしているのだから、昨年末に読了した『一茶』とこの『義民が駆ける』の発表年代を調べれば、すぐ思い出せたろうに。
 たまたま遠藤と藤沢の2作を引き合いに出しましたが、今年読んだ本ベスト……、なる文章を本当に書こうとするなら、この記憶の混乱(ごちゃ混ぜ状態)は決して笑って済ませられやしない。
 帰宅後、どうにか思い出して格好はつけたけれど、考えてみれば抜き書きノートは作っていても読んだ本すべてから抜き書きするわけではなく、読んだ本すべての感想文を認めて本ブログでお披露目するわけでも、或いはTwitterで読了ツイートを流すわけでもない。要するに、今年読んだ本はなにか、一目瞭然な控えとなる記録は作成していないのである。
 というわけで考えたのが、標題にあるように、読書に徹した手帳を持つ、という解決策であります。通勤・休憩時のお伴なる本、調べ事で繙いた本、流し読み程度で済ませた本、図書館で借りた本、などなど、著者名と書名、出版社程度の簡単なメモを手帳に控えてゆけば、来年のいま頃は記憶の混乱(ごった煮状態)とはサヨウナラできるでしょう。──そう期待したい。
 そうと決まれば善は急げ、であります。明日、有隣堂やハンズ、ロフト、無印良品など回って、手頃な手帳を探してきましょう、わくわくしながらそんなことを書いているけれど、最終的に新潮文庫やちくま文庫の文庫ノートに落ち着いたりしてね。これはこれで良し、か。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3571日目 〈年末が近くなると、SKE48〈パレオはエメラルド〉が聴きたくなる。〉 [日々の思い・独り言]

 捜し物はなんですか? 見附けにくいものですか? と或るブツを捜索中の脳内で、斉藤由貴の名曲のフレーズがエンドレスで再生されていました。捜し物はCDです。見附けにくいといえば見附けにくいです。だって……本だらけで、どこにCDがあるのかさえ分からんからさ。
 いや、ホント、どこにあるんやろ。──と、自分で自分にツッコんだ途端、発見できました。あった、あった。懐かしいな、このジャケット。そうそう、劇場版を持っていんだっけ。なんだか年末になると聴きたくなるんですよねぇ。たぶん、年末恒例のあの番組の刷込効果でしょう。
 SKE48〈パレオはエメラルド〉ですが、この時期になるとふとした弾みでエンドレス再生される。困ったものです。この事態を平和裡に解決するためには、聴くしかない。気が済むまで、拒絶反応が出るまで。……そういえば、それゆゑに50回くらい聴き返したっけ。いや、マジで。
 紅白歌合戦に単独初出場を果たした頃が、グループの最全盛期だった。以前にもお話ししたことなので繰り返しませんが、あの年──2012年の紅白でいまでも記憶に残っているのはトリを飾ったSMAPと、藤本美月と須田亜香里が衝撃的なパフォーマンスを披露して研究生を含めた全員による圧巻のラインダンスを魅せたSKE48だけしか覚えていない。金爆やTOKIOとかもいたはずなのにね。それだけ記憶に残るステージだったのです。
 ──そんなことを書いていたら、聴く準備がすっかり出来上がった。それでは、気が済むまで、精神が悲鳴をあげるまでこの荒療治、続けましょう。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3570日目 〈Twitterを使うと使うまいと。〉 [日々の思い・独り言]

 1週間程前から試験的に、Twitterの更新通知をしないようにしています。何年も通知を流すように設定していたので、試験運用とはいえアクセス数に支障が出ないか、いま以上に閲覧者数が減ったりしないか、など不安でした。
 が、ここ1週間の、1日に於けるアクセス数や最新記事の閲読数を検めてみたところ、さしたる変化の見受けられないことが判明。意外でもあり、ショックでもありました。ならばここ数年のTwitter利用はなんであったのか、と。
 顧みればブログ開設から数年は、Twitterの更新通知を利用していなかった。敢えていうなら原点回帰、かもしれません(そんなご大層なことでもないか)。──Twitterからの新たな読者は殆ど固定せず、従来の読者諸兄についてはTwitterでの更新通知なぞまるで関係なかった。
 為、今後しばらくの間、Twitterの更新通知の利用は控えて、試験運用を継続することにします。いつまで? そんなの、知らな〜い(向田茉夏風に)。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3569日目 〈今日12月14日は、赤穂義士討ち入りの日です。〉 [日々の思い・独り言]

 細かな暦の問題はさておくにしても今日、12月14日は赤穂義士の吉良邸討ち入り日。それにあわせて『近世日本国民史』の再読を始めたわけでは、ない。というよりも、すっかり意識の外だった。過去に読んだ章のメモを書いていて、ああそうか明日か、と思い至った程。
 しかしですね、最後まで忠を尽くして最期に切腹して果てた四十七士を世間はとかく讃美し、討ち入り決行の直前までの間に脱盟した者らに不忠の輩と世間が白い眼を向けるてふ風潮には、なんだかなぁ……、と考えこんでしまいます。
 忠を尽くした者らは本懐達成で満足であったろう。が、脱盟組にも言い分はある筈だ。むろん、臆病風に吹かれて逃げ出した者もあれば、義の板挟みになって煩悶した末背反を決めた者もあっただろう。事情は人それぞれ、それを本懐達成の満足に酔い痴れて自分たちと行を共にしなかった衆を、不忠だの臆病だのと罵る権利があろう筈はない。
 徳富蘇峰『近世日本国民史』から「赤穂義士篇」を読んでいて、つくづく世間の判官贔屓の声は広範囲に届き、時を変えても残るに対して、不忠にも六分の義ありと擁護する声は社会の大勢に呑みこまれて埋もれて、却ってヘイトの対象になりもする、と感じ入ってしまった。
 なんだか現代のSNS全盛の時代に於ける、〈自分の考えを述べることへの抵抗と、意見を異にする徒党を組んだ匿名者たちによる謂われなきバッシング〉を想起させませんか?
 が、なんらかの理由あって道から外れて、結果歴史に葬られたた者たちの声や心の内に想像を巡らせることは、歴史からなにかを学び取るためには必要な行いではあるまいか。むろん、徒に想像するのではなく史資料に基づいた上で、エビデンスある想像を巡らせよ、ということだ。
 わたくしはどうも、道を外れざるを得なかった人たちへの共感が過ぎるな。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3568日目 〈歴史書を読む楽しみが復活した。〉 [日々の思い・独り言]

 読書感想文こそまだ書いていないが『恋愛名歌集』を読了したことで、ようやく途中で終わっていた本の続きに取り掛かれる。外出の際はリュックに入れたりお伴にしていたのが、いつしかずっと机の上へ置きっぱなしになり、ちら、と目をそちらへやるたび胸のどこかがチクリと痛むのを感じていた1冊。
 事情や動機がどうあれ、通勤時に読む本が、タイミングよく無くなったのは、大仰にいえば慶賀である。だってこれで心おきなく、読むのを途中で止めていた歴史書に戻れるんだから。正直にいうとこの2ヶ月ばかり、その本を開いたことはただの1度もない。
 為、すんなりと本のなかの世界に戻ってゆけるか、すこぶる不安でならなかった。けれども──行きの電車のなか、昼休憩の際、進むページはわずかだけれど、赤穂義士の討ち入り事後の記録へ没頭できたのだ。吉良邸周辺の屋敷や援助者たちの動向が史料を通じて、殺伐としたオフィスの一角に、人の揺られる通勤電車のなかに、生彩に甦ってきたのである。
 メモをまだ取っていない章があるから、近日中に読書一旦中断の憂き目には遭うだろう。が、それでも習慣とリズムを取り戻した今後は、牛歩の如くスローペースながら着実に前に進み続けられるに相違ない。歴史書を読む愉しみ、復活。
 けれど──講談社学術文庫が『近世日本国民史』を全点文庫化してくれていたら、時事通信社版本巻100冊を購入する気持は失せていたろうなぁ(総索引と付録の巻は、別に買えば良い)。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3567日目 〈有隣堂ランドマークプラザ店のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 書棚の整理をしているとなつかしい本や雑誌に再会すること多く、その度手が止まってしばし懐旧の想いに浸りながらページを繰ってしまうのは、「畜本家あるある」かもしれません。
 今日も今日とて雑誌やムックなど大判書籍を詰めこんだ棚を点検していたら、1994(平成6)年7月発行の雑誌『Executive』が挟まっているのを見附けた。薄手の雑誌のせいであまり自己主張することなくひっそりとそこに在り続けた。巻頭のワイド特集は「本の大冒険」。
 塀のなかの読書を振り返る安部譲二や書評家井家上隆幸の読書術、猪狩春男や内藤陳のオススメ本などの記事が埋まるが、或る意味で出色なのは冒頭、石垣島を舞台にした荒俣宏の「耽・溺・読・書 本を10冊ぶら下げて野生の島・石垣へ」だ。
 なぜ? 取りあげられるのは南洋の航海記やフィールドワークのレポート、海生生物の本など荒俣らしいセレクトで、その意味ではさして目新しい切り口ではない。わたくしが出色というたのはもっと下世話なお話で、ビキニショーツをはいた荒俣の写真に当時とてつもない衝撃を受けたことをしっかりと覚えているから、というだけの話に過ぎない。
 それでは本題。
 雑誌のなか程に、各ジャンルで秀でた特徴を持つ首都圏の書店を紹介するコラムがある。題して、「本棚探検隊スペシャル あの書店のこの棚を狙え!」という。『Executive』連載記事の特別版である由。歴史であれば渋谷・大盛堂書店、今週の新刊であれば銀座・教文館、女性本であれば青山のラ・リヴィエール流水書房、コミックであれば吉祥寺のBOOKSルー・エ、という具合だ。
 紹介された書店にはなつかしい場所が多い。それらの過半が既に営業を終了しているか統合合併、社名変更で往時の──雑誌紹介当時の──面影を失っているのが淋しい限りだ。
 なかでも一際その感を強く抱くのが、洋書であれば、と紹介された有隣堂ランドマークプラザ店である。同誌で紹介された店舗でここ程自分がなつかしく思い、いまでもその閉店を惜しむ店は他にない。

 とにかく、贅沢な書店である。間口は前面ガラス張り、棚と棚の間の通路もたっぷりスペースをとってあり、何よりも店が見やすいのが嬉しい。……売り場面積三〇〇坪のうち約半分の一二〇坪が洋書売り場。……「東京に行かなくても洋書の買える店」(岡井店長)を目指し、現在は英語を中心に常備二万冊、洋雑誌約五〇〇誌と首都圏では丸善、紀伊國屋に迫る品揃えを誇る。(P56)

 そう、この店舗が洋書に力を入れている間、わたくしは東京で、古書を除けば洋書を購入したことはなかった。注文すれば取り寄せもしてくれたしね。
 この書店で洋書のお世話になったいちばん最初の記憶に残っているのは、大学の英文学か英詩のレポートを書いているときだった。スイスの湖の呼称が日本語で馴れ親しんだ湖の呼称とは異なっているが、文脈から両者はイコールとしか思えぬが、湖沼地帯の湖の一つゆえもしかしたら別々の湖かもしれない。そんな疑念を晴らす根拠はなかった。
 どうしよう? 思い余ってわたくしは冬の夕方、家を出て有隣堂ランドマークプラザ店のあるみなとみらい地区までてくてく歩いていったのだ。そうしてスイスの、能う限り詳細な地図を苦労して見附け出して、疑念を晴らしたのである。インターネットが普及する前夜のことだ。もっとも、その時点でインターネットが家庭に入りこんでいても、サービス提供されて間もないGoogle Mapがどれだけ精確か、全面的に依拠などできなかっただろうけれど。
 お陰様でレポートは無事に書きあげられた。爾来、この店舗には随分とお世話になった。そごう横浜店の紀伊國屋洋書コーナーと併せて、雑誌もペーパーバックもハードカバーも、どれだけ買ったのかな。いまでも覚えている有隣堂ランドマークプラザ店での買い物は、ケンブリッジ大学から出ていた英国の民話や童話を集めた400ページ程の、挿し絵の入ったハードカバーだった。手許にいまでもあれば書名など正しく引けるが、如何せん、”あの日”に失ってしまいました。
 で、この有隣堂ランドマークプラザ店だけれど、もともと伊勢佐木モールの有隣堂本店の──何階だった、3階あたりか? フロアの奥の方が洋書コーナーになっていたのが、閉鎖に伴って新しく開設したランドマークプラザへ有隣堂が出店する際、洋書を中核にするてふコンセプトができあがったと思しい。
 そのなつかしいお店も、いまはない。幾度か、和書と洋書と文具の比率を変えつつ、2006年のリニューアルを経て有隣堂ランドマークプラザ店は、2009年07月に閉店した。1993年07月、ランドマークプラザのオープンから丸16年の営業であった。その後、ここにはくまざわ書店が出店して大いに気を吐いていたけれど閉店、翌年02月に現在の2階へ場所を移して再オープンした。
 しかし、なんで横浜ってこうも喫茶店や書店が根附かない土地なんやろ。横浜の文化レヴェルは音楽以外は低いよ。生まれ育った町だから苦言を呈すけれどさ。未来はなくなったのかなぁ、この港町・横浜には。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3566日目 〈安息日にすることのお知らせ。〉 [日々の思い・独り言]

 なんだか突然やる気が萎んでしまったのであります。
 萩原朔太郎『恋愛名歌集』と相前後して伊藤昌哉『自民党戦国史』上下を読了、奥方様が娘を連れて昨夜から実家へ帰省中なのを良いことに終日録り溜めた映画を観て、橘外男のホラー小説集『蒲団』を縁側で日向ぼっこしながら読み耽るという、久々の贅沢な時間を過ごしていたらすっかり精神が弛緩しきってしまい、ブログになにを書くということも考えられぬまま夜を迎え、1時間ばかり考えあぐねて端緒になるものさえ見附からなかったので、この際久しぶりの安息日を設けることを決め、いまこんなお知らせの文章を認めているのであります。
 明日からは(たぶん)これまで通りに更新してゆきますので、どうぞ宜しくお願い致します。
 だけど、娘も奥方様もいないとわが家はこんなに淋しくて、満たされぬ空気に覆われるのか……。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3565日目 〈もうすぐ読み終わります。やっと読み終わります。──朔太郎『恋愛名歌集』のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 断続的に読み進めてきた萩原朔太郎『恋愛名歌集』もようやく読了のメドが立った。ようやく? とかいうな。そう、ようやく、なのだ。読もうと思うても読まない日の方が多かったからなぁ。これだから在宅勤務って奴は……。怨み言はさておき。
 残すは「新古今和歌集」から選歌して朔太郎が評言を付したパートのみ。これを明日明後日(今日と明日、ですか)で読み、かつメモも作成しなくてはならぬ。(昨今のわたくしには)かなりの強行スケジュールとなるが、仕方ない、怠惰のツケが回ってきたに過ぎない話。
 それにしても、良かった、と思うのは、著者の希望を素直に汲んで、序言・解題一般のあとは選歌のパートをすっ飛ばして、総論に進んだこと。これを先に読んでほしい、とはけっして根拠なき著者の願いではなかった。
 朔太郎の『古今集』、六代歌集、『新古今集』への態度は総論を読んでおかないと、はっきりとは摑めない。八代集から選んだ各歌に対して、時に韻律の分析に終始したり、時に素っ気ない感想を1行記しただけの歌もあり、というのは、読者皆が自分の願いに沿って「総論」を先に読んでいると了解しての評言と受け取るのがいちばん妥当と思うのだ。
 ここに拘泥して行きつ戻りつして結局本書を閉じて部屋の片隅に抛つのを避けるためには、四の五のいわずに朔太郎が解題一般で切望する「読者諸氏は『総論』から先に読んでほしい」を素直に受け取って、実行するのが最善なのだ。勿論、頭から順番に読むことを否定する気持はないし、自分の読み方が(著者の願いを汲んだからとて)無二であると大言壮語する気もない。そのあたり、誤解しないでほしい。
 六代歌集のパートを読んで書いたメモのなかで、朔太郎の早過ぎる晩年を悔やみ、その入り口となる時期に『恋愛名歌集』が書かれたことを幸運と思う旨、記した。本書は昭和6(1931)年05月に上梓され、朔太郎はその11年後に逝ったのである。
 朔太郎はたくさんの詩を書き、たくさんの詩論を書き、記憶に残る小説も何編か書いた。そんな朔太郎の全業績のなかでも本書は、「詩」ではなく「短歌」という伝統詩型──日本人の背中に張りついたゴースト──を論じて異質の鑑賞スタイルを提示した点で、一頭地を抜く仕事になっているだろう。
 萩原朔太郎歿後80年てふメモリアル・イヤーに因んだ出版ではあるが、理由はともあれこうして(ふたたび)手軽に読めるようになったことを喜びたい。読書しながら折に付けそんなことを考えていた。学生時代に神保町の古本屋で購入した新潮文庫版は、労いの言葉をかけたあと引退いただくとしよう。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3564日目 〈この3週間で、こんなCDを買ったり聴いたりした──たとえば、フリッチャイの《第九》など。〉 [日々の思い・独り言]

 けっして調子づいたわけではない。そんな風にしてハメを外したら、あとで手痛いシッペ返しが来るのがわかっているから。
 この前、すこしずつ日々の生活のなかに音楽を聴く時間が戻ってきたことへの感謝を、ここに綴った。ノー・イヤフォン、ノー・ライフな点に違いはないが、聴く時間がほんのちょっとずつ延びてきていることと、反動のように襲ってくる耳鳴りが耐え難い程大きくなってそれが幾日も続くことは減少を一途をたどっていることが、違いといえばいえようか。
 それが証拠に、というわけではないけれど、この3週間で購入したCD(いずれもDisc Unionにて)は5枚に及ぶ。──すくないな。往時の1/10だ。その代わり、購入した1枚、1枚にじっくり耳を傾け、何度も繰り返して聴くようになった。なんだか原点回帰した気分です。
 10日程前か、YouTubeでフリッチャイ=ベルリン・フィル他の《第九》第4楽章を聴いた。フルトヴェングラーの〈バイロイトの《第九》(1951)〉の流れで偶然にたどり着いた演奏だ。レコード店で働いていてクラシック担当だったにもかかわらず、フリッチャイの演奏はバルトークぐらいしか聴いた覚えがない。
 正直なところ、最初のうちは聞き流していた。BGMだったのだ。それが歓喜の主題が奏でられたあたりから耳がそちらへ引き寄せられ、最後にはペンを置き、本を置き、ひたすら音楽に集中していた──なんと自分好みの《第九》! 恰幅がよく、音に厚みある、悠然として堂々たる演奏!! 独唱陣も合唱団も、文句1つだに付けようなきクオリティ!! おまけに名バリトン、フィッシャー=ディースカウが参加した、正規録音では唯一の《第九》!!!
 翌日、病院の帰りに寄ったDisc Unionでフリッチャイのベートーヴェン選集を見附けたときは、自分の幸運を喜びましたね……まったく珍しくないセットものですが、興奮冷めやらぬタイミングで、まさにその演奏を収めたCDを買えたときは、嬉しくてたまりません。
 このフリッチャイはハンガリーに生まれた、20世紀を代表する指揮者の1人である。同郷の指揮者にはショルティやスワロフスキー、セルなどがいる。
 そうして、ハンガリー出身の作曲家といえば前述したバルトークの他、〈鍵盤の魔術師〉といわれ、わたくしも長い期間その沼へド嵌まりしたリストがいる。《メリー・ウィドウ》という惚れ惚れするくらい魅力的で、甘くて切ないオペレッタを書いたレハールもいる。
 リストについてはピアノ向けに編曲したシューベルト歌曲をボレットが弾いた盤と、大好きなピアニスト、ベルマンが弾いた《超絶技巧練習曲集》と《巡礼の年》のCDのレヴューがあるが、これはお披露目のタイミングを完全に逸してしまった。レハール《メリー・ウィドウ》聴き較べの一文も然り。
 ──Disc Unionでいちばん最近購入したものに、オイストラフがヴァイオリン独奏したブラームスの協奏曲2作があるけれど、こちらについて触れるのは別の日と致しましょう。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3563日目 〈鬼も許してくれる時期になったので、来年の話をしてみます。〉 [日々の思い・独り言]

 炬燵に潜ってミカンを食べるこそ至福の時期、到来。娘の笑顔と奥方様のしあわせと母の安寧をそばに見ながら、こうしてブログを書いているのも至福ではありますが、こちらはミカンや炬燵とちがって通年のことだから。
 さて、それはともかく。
 来年の話をしても鬼が笑わぬ時期にもなったので、ちょっとしてみたいと思います。けっして話題が尽きて苦し紛れの文章じゃあ、ありません(きりっ)。
 自筆原稿のままながら近世文学にまつわるエッセイが3〜4編、発表済みの小説の続編が2編(完成済み。短編と掌編)、それぞれあるので、2023年中にお披露目したく考えています。もっとも小説は私的事情により今月のうちに分載を始めるかも。その可能性がある、ということです。
 近世怪談翻訳帖は既に先日お話しした内容で変更はありません。秋成や庭鐘の小説の現代語訳は……第3549日目を読み返してみましたが、お話していなかったようですね。まぁ、ぼんやり読みながら、候補作を考えています。
 聖書のことは語るを止めましょう。語った端からすべて水泡に帰しそうな気がしますから。
 とはいえ、「ヨブ記」と「詩篇」の〈前夜〉だけは仕上げておかねば。この2つの書物について書き終えれば、もう〈前夜〉の新稿執筆作業は終わりが見えたも同然。「イザヤ書」以後の預言書は明らかな誤りの訂正と補筆で済むはずですから。そうして旧約聖書続編と新約聖書の〈前夜〉は、再掲という形で問題ないはずですから(むろん、明らかな誤りは正します)。
 聖書に関していえば、これは完全に絵に描いた餅になるけれど、「出エジプト記」中盤以後と「レビ記」全体の再読──イコール聖書読書ブログノートの時限的再開──もしておきたいな、と思うています。はじめのころに読んだ書物はかなり行き当たりばったりな読書になってしまっており、加えて聖書関連、ユダヤ教/キリスト教関連の本を読む体力も思考する力もいまよりは欠いていた。こうした反省が「出エジプト記」と「レビ記」の再読をわたくしをして検討させるのですが、はて、この件、1年後はどんな結果になっていますことやら。
 あとは、メモワールですね。それと、わが家の宗教である真言宗と天台宗についてもですね。
 こうしてあげていると書くネタ、やたらとあるのですが、如何せん意思と体力がそれを欠くことを拒むというね。これはなかなか厄介ですよ。敵は自分のなかにこそあり。本当だと思います。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3562日目 〈ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 エイブラハム・リンカーンを作ったのは、信仰と読書、母の愛情であった。ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』(吉田英里子・訳 小牧者出版 2010/02)を読むと、そう強く感ぜられることである。
 合衆国大統領は就任式の際、誰でもかならず聖書に手を置いて宣誓し、自ら選んだ聖書の文言を基にした就任演説を行ってきた(トランプでさえ!)。初代大統領ワシントンから現在の第46代大統領バイデンまで、1人の例外なく。
 歴代大統領のうちでも特に信仰が篤く、どんな場合でも祈りを欠かすことなく神に畏れ仕えた大統領に、第16代大統領リンカーンがいる。
 リンカーンの在任中に勃発した大きな出来事といえば、奴隷制度存続の是非を巡って国が二分された南北戦争を措いて他にない。それはリンカーンの就任からたった1カ月後のことだった。
 南北戦争は、奴隷制度によって大きな利益を得ていた南部11州がアメリカ連合を結成して合衆国からの離脱を宣言、奴隷制度廃止を旨とする北部アメリカの要塞サムターを攻撃したことで開戦した(1861年4月12日)。当初はリー将軍を擁す南軍が圧倒的に優勢であったが、軍需物資の自給が可能であった北軍は義勇兵を募って戦力を増強、イギリスとロシア以外の諸国から援助を受けたりして、徐々に南軍を圧していった。
 北軍の勝利=奴隷制度の廃止は様々な要因が重なって実現したのだが、著者クゥアンが本章で描き出す北軍最高司令官リンカーンは、あくまで信仰の人、祈りの人であり、そうして旧約聖書の一節に託せば、「彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま進み、右にも左にもそれなかった」(王下22:2)
 クゥアン曰く、──

 実際にリンカーンは聖書を黙想し、ダビデの詩を読んでその事実を悟ったのである。彼は、ダビデのようにどんな困難な状況にあっても神の側に立つことを願い、神の喜びとなることを願った。そうすれば、神が彼の人生のすべてに責任を負ってくださると固く信じていたためである。
 リンカーンは、日々謙遜にみことばを黙想し、祈りながら自分を神様に従わせていた。神様はそのようなリンカーンの心を知っておられ、彼の心を受け取られ、彼の味方になってくださったのである。(P160)

──と。
 その後、戦況は次第に北軍が優勢に転じ、遂に南北戦争最大の激戦、ゲティスバーグでの戦い(1863年7月)を迎える。視察したリンカーンは戦場の悲惨を目の当たりにして、こんな風に祈った、という。曰く、──

 全能の父なる神様。この戦争はあなたの戦争で、私はあなたの御心に従うことを望みます。あなたの若者たちが、無残に死んでいっています。かれらを守り、私たちがこの戦争で勝利できるよう助けてくだされば、私は生涯神様のためにこの人生をおささげすると約束します。(P162)

──と。
 北軍はゲティスバーグの戦いで南軍を破った。もはや南軍は総崩れしたも同じであった。1865年4月、アメリカを真っ二つに分断した南北戦争は、南軍が降伏したことで終結した。南部のプランテーション農家で使役されていた奴隷たちは解放された。かれらが白人と同等の人権を獲得するにはこの先、まだまだ長い時間を要すけれど、制度上の奴隷はこの国から消えたことになる。
 リンカーンは大統領という激務のなかでも、北軍の最高司令官としての重責のなかでも、神を信じ、神に祈ることを怠ったことのない人だった。
 そんな信仰の人、リンカーンだが、彼に神を畏れ敬う気持を根附かせたのは、2人の母だった。生母ナンシーと継母サラである。
 生母ナンシーはエイブラハムに聖書のお話をよく聞かせていた。「貧しく厳しい環境の中でも希望を失わないように励ました。特に、逆境の中でも挫折することなく夢を持っていた信仰の先輩たちのようになってほしいと強く願」(P26)ってのことだっという。
 成長したリンカーンは弁護士として活躍したが、誰の目にも正しく、公正な仕事をして多くの人々から信頼を勝ち得た。その当時を回想して、ワイロの誘惑や不正に屈しなかったのは、少年の頃に生母が教えてくれたモーセの十戒の話がいちばん印象に残っていたからだ、と述べたそうである(P26)。
 生母ナンシーはエイブラハムが9歳のとき、「風土病」(P27)を患って他界した。クゥアンの原文がどのようになっているか不明だが、これは「ミルク病」と訳した方がよかった。牧草地に生えるマルバフジバカマという植物が含む神経毒が、牛のミルクを媒介にして人体へ入りこみ、時に人を死に至らしめるのがミルク病である。
 死の床に就いていた或る日、ナンシーは息子を枕許へ呼び寄せて、1冊の古びた聖書を渡した。それはナンシーが両親から贈られた聖書で、彼女も何度となく読み返しているためボロボロになっていた。ナンシーはエイブラハムに、こういったそうである。曰く、──

 わたしはお前に百エイカー(約十二万二千坪)の土地を残すより、この一冊の聖書をあげることができて心からうれしく思うわ。エイブ! お前は聖書をよく読み、聖書のみことば通りに、神を愛し、隣人を愛する人になりなさい。これが私の最後のお願いよ。約束できるわね? (P28)

──と。むろん、少年リンカーンは母との約束を守った……生涯にわたって!
 先述した南北戦争時の揺るぎなき信仰と欠かすことのなかった祈りに明らかだが、加えてクゥアンは、後年、リンカーンが知人を相手にした告白に生母の信仰教育に感謝をささげた箇所がある、と紹介している。曰く、──

 私がまだ幼く、文字も読めないころから、母は毎日聖書を読んでくれ、いつも私のために祈ってくれた。丸太小屋で読んでくれた聖書のみことばと祈りの声が、今でも私の心に残っている。(P29)

──と。
 生母によって植えつけられた信仰心を更に育んだのが、エイブラハムの2人目の母、継母サラである。が、本書を読んでいるとサラは、むしろ、かれに読書の習慣を植えつけた点で生母と同格の役割を担っている、といえそうだ。実際のところ、このリンカーン伝に聖書以外の書物が登場してくるのは、父トマスがサラと再婚して以後なのだから。
 では、貧しい農家の子として育ち、学校教育を受けることもままならなかったエイブラハムがその頃読んだのは、どのような本だったのか。
 聖書を除くと、エイブラハム少年が読んだ本として挙げられているのは、『ウェブスター辞典』『ロビンソン・クルーソー』『アラビアン・ナイト』である。これらは再婚した父が継母を連れて帰る馬車の積み荷のなかにあった由。
 但し、ここでクゥアンが挙げる『ウェブスター辞典』については一寸小首を傾げてしまうところがある。というのもノア・ウェブスターが所謂『ウェブスター辞典』と呼ばれる辞書を初めて執筆、出版したのは、1825年の『An America Dictionary of the English Language』というからだ。トマスとサラの再婚は1819年と伝えられるから、後々リンカーンがこの辞書を読んだとしても馬車の積み荷のなかにあったとは思えぬのである。この点についてはわたくしも不明未詳の部分が多いので、要調査項目として後日の宿題としたい。
 ──サラはエイブラハムの読書好きを知ると、あちこちで良い本を借りてきてくれた。少年はそれを貪るようにして読み、時に徹夜に近い状態だったこともあるという。それゆえに、時に父の怒りが爆発することもあったようだ(「農作業をする子どもが本を読んで何になるんだ!」P34)。
 また、冬の農閑期には学校に通えるよう、サラは手配してくれた、という。そこでエイブラハムは読み書きや算数を学び、また自分に話術の才能あることを知った継母からウィリアム・スコット『弁論練習』を与えられて、演説の練習に励んだりもした──指摘するまでもなくそれらは長じて後、弁護士として、下院議員として、大統領として、大いに役立ち、発揮される能力の下地となったのである。
 本書は他にも、リンカーンが自分の身長の分だけ本を読むよう心がけ実行したことや、幼少期に読んで人生に影響を与えた4冊の本について触れた項目がある。いつの日か、それについてはまた述べようと思う。
 世にリンカーン伝は数多ありと雖もそのなかで本書が異彩を放っているのは、リンカーンというアメリカ合衆国史上類い稀なる人格を持った大統領を、読書と信仰の側から描いたことだ。信徒か否かの別なく、リンカーンについて知りたいと願う人ならば誰しも読んでおいてまったく損のない本だ。あとはデイル・カーネギーが書いたリンカーン伝と、優れた伝記作者の筆に成るリンカーン伝の3,4種を読んでおけば良いだろう。
 古書店で偶然見掛けて手にした本で、さしたる期待もしていなかったけれど、実に有意義かつ充実した読書の時間を味わわせてもらった。感謝。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3561日目 〈過去のニュースを一定の期間置いて(寝かせて)新聞を読み返す/スクラップする。〉 [日々の思い・独り言]

 新聞記事をスクラップしていると、だんだん自分が気になる分野の傾向が見えてくる。それと同種の発言を著書のなかでしていたのは、さて、池上彰であったか、松林薫であったか、それともまったく別か。
 エビデンスはこの際不問とするにしても、スクラップを続けていると自分がふだん気にかけている情報がどのようなものか判別がついてくる、というのは至言であると思います。
 初めのうちはちょっとでも気になる記事が載っていると、バッサバッサと切り抜いてゆくが、「続けてゆく」とはいい換えればその分、スクラップするための時間と労力を要すということ。それを毎日でなくても定期的に、そうね、1週間に1度、なんて風にやってご覧。面倒臭くなって、スクラップ自体を止めてしまうか(勿体ない!)、立ち止まって自分の興味や嗜好を冷静に顧みて、スクラップという作業と並行して記事の吟味を始めて徹底するか、いずれかになるのではないか、と思います。自分がそうだった。後者のパターンでしたね。
 最初の頃に較べると、スクラップする記事はかなり減りましたね。それでも新聞の再読からルーズリーフに貼りこむまで、平均2時間は費やすことになりますが、それはそれで過去1週間のニュースが時系列で、まとまった形で頭に入ってくる(追いかけられる)ので、スクラップするしないに関わらず、この時期には全国で、地方でこういうニュースがあった、こんな投書が載っていた、日経平均はどれぐらいだった、など、なんとなくでも記憶に残るようになってきました。
 わたくしの場合をいえばたとえば、経済面では最近は報道が落ち着いたサハリン2とサハリン1の、日本企業の出資検討とロシア側の認可を巡る問題のスクラップだけが、最終的に、継続してファイルに収まっています。スクラップを続けることで自分がどれだけ医療記事や科学記事を以前から、製磁や国際面以上に熱心に読んでいたかを発見することが出来たのもこの作業を通してでした。そうして、これは母の影響もありますし、わたくし自身の性向もあるのでしょうけれど、新聞購読者の声、その体験をベースに書かれた記事が載ったページをいちばんよく読み、スクラップする切り抜きの量もけっして少なくないのです。
 新聞1紙に載る膨大な報道、情報のなかから
 過去のニュースを一定の期間置いて(寝かせて)新聞を読み返す/スクラップするのは、その時間、その作業すべて引っくるめてけっして無駄な行為ではない。『池上彰の新聞勉強術』(文春文庫 2011/12)を読んだときは頭でしか理解していませんでしたが、いまなら実感を持ってそれを理解することが出来る。
 スクラップする記事の取捨選択が出来るようになることは即ち、自分にとって関心の高い分野、深く興味を惹かれるニュースがどのようなものなのか、と知ることです。新聞を読み、記事を切り抜き、方眼ルーズリーフに貼る作業を通してそれと知ったことは、すこぶる幸せに思うのであります。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3560日目 〈黄金の1カ月を使って、みくらさんさんかはなにを読んだか?〉 [日々の思い・独り言]

 黄金の1カ月をどれだけ満喫できたか、と訊かれると、甚だ心許ない返答をせざるを得ぬ。怠けて過ごしたわけでは、ない。普段より読書に徹する時間は多かった、と記憶する。
 もっとも家のこと、家族のこと、仕事のこと、諸々やりながらの読書ゆゑ、本人だけがそう思うだけで、俯瞰すればけっしてそんなことはなかったかもしれないけれど。
 顧みるとこの間の読書は、大きく3つの柱を持っていたように思う。
 1つは、萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読みながら、モレスキンにメモをして。
 2つは、聖書及びそれにまつわる諸書を、ふしぎと敬虔な気持になりながら。
 3つは、上に含まれない雑書の類を読み散らして、部屋の片隅に積みあげて。
 ──2つ目の柱はその成果の一斑として、『ハイデルベルク信仰問答』の拙い読書感想文に発展した。昨日までは寝る前の時間、ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家にした大統領リンカーン』(小牧者出版 2010/02)を読んでいた。信仰の面からリンカーンを捉えており、有益な読書体験であった。今日からは片柳弘史『何を信じて生きるのか』(PHP研究所 2022/07)を読もうと、宮台に待機させてある。これらいずれも2つ目の柱に包含される書物だ。
 本当ならここで、神学書や旧約聖書成立史を読んでいます、といえば格好も付くのだろうが、うん、見栄張っていうのもね。虚しくて、情けない気分になるだけじゃ。
 とはいえ、それっぽい本も読んでいるのだよ──〈前夜〉執筆の準備を兼ねての読書になるが、いま、頭ごちゃごちゃになりつつも丸ごかしに、泥縄式に読んでいるのは、A・ファン・セルムス『コンパクト聖書註解 ヨブ記』(登家勝也・訳 2002/08)。併読して加藤隆『旧約聖書の誕生』(ちくま学芸文庫 2011/12)を、旧約聖書に収まる「ヨブ記」(新共同訳)は当然として。
 ……おかしいなぁ、ぼく、非キリスト者なんだけれど。真言宗豊山派に属する家の者なんだけれど。それがどうして聖書を、都合15年近くも読んで途切れることがないんやろか?
 答えのない質問ゆゑここから先は続けぬが、異教に惹かれてそちらを覗くはむかしからこの国の民の習性。別に弾圧を喰らったり迫害されるわけじゃないから、咨、まったく良い世の中である(新興宗教という名のアレとアレは弾圧されて然るべきと思うけれど)。
 ──萩原朔太郎『恋愛名歌集』については上述の通り、メモを作っている。『恋愛名歌集』を読んで思うたこと感じたこと、或いは朔太郎の主張などだが、特に整理立てて書いてはいないので、そのまま本ブログに載せられはしない。残りの六代集、新古今集選歌を読み終えたら短くまとめて、読書感想文のお披露目としよう。年内にできるか? いやぁ、お約束はできかねる。
 雑書? ああ、雑書ね。3つ目の。ここは内外諸氏の読書エッセイ・書痴小説、県内及び縁ある府県の怪談実話本、民俗学や文化人類学の本などを含む。そういえばこの前、古本屋で購入した永田守弘『官能小説の奥義』(角川ソフィア文庫 2016/04)を寝床で読んでいたらとても面白くて巻を閉じるにはなかなか勇気が要った。これについてもいずれ、読書感想文を……と考えているが、こちらは果たして実現しますかどうか。
 心理学にカテゴライズされる本もまとめて机上にあって、ポツリポツリと読んでいるが、こちらはまだ柱と呼ぶべき程でもないので、触れるのは止めておく。
 要約すれば「黄金の1カ月」と銘打ったこの時期、それなりに読書は捗り、幅も広がったのです。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3559日目 〈【実話怪談】アパートの隣人。〉 [日々の思い・独り言]

 付き合いのある不動産会社の人から聞いた話である。
 管理しているアパートの住人Nさんから或る日、こんな話が出たそうだ。Nさんはそのアパートが新築のときに入居した、20代後半のSEである。
 日頃からふしぎな出来事とはまるで縁がなく、そうした事象に遭遇したことさえいちどもなかった。学生時代、事故物件に2年程住まったことがあるが、その間いちども心霊現象の類を経験したことがないという。
 そんなNさんが件のアパートで暮らし始めて3年が経った、或る秋の夜である。
 時刻は、おあつらえ向きに丑三つ刻だった。
 Nさんは目を覚ました。便意を催したのである。秋、というても冬の気配が日一日と強く感じられるようになっていた頃だ。トイレには行きたい。でも、あたたかい布団から出るのはなかなか勇気が要った。
 が──もはや限界だった。Nさんは思い切って布団から出、足の裏にフローリングの冷たさを感じながら、トイレに歩いていった。
 荷物の多いNさんが借りているのは、2Kの物件である。西南に面したベランダのある洋室を寝室とし、キッチンやバスのある部屋との間にもう1室、LDとして使っている洋室がある。
 Nさんが用を済ませて、さっぱりした表情で布団へ戻ろう、とLDを横切っていたときだ。
 うぅーん、うぅーん。
 人間の唸り声が聞こえた。半分ばかり寝ぼけていたとはいえ、その唸り声が幻聴でもなんでもないことは断言できる。──Nさんは不動産会社の担当者に、そう訴えたそうである。
 うぅーん、うぅーん。
 唸り声は止みそうにない。それに、耳をそばだてていると、唸り声よりも低い声で、なにかいっているように聞こえた。
 これまでにいちどとして心霊現象とかふしぎな出来事に遭ったことがないNさんだったので、きっと隣室の人が悪い夢でも見て魘されているのだろう、と考えて、そのまま布団へ潜りこみ、健やかな朝を迎えた。
 それから2日の間、その唸り声は隣から聞こえてきた。Nさんは大して気に留めることなく、余程厭な夢、怖い夢に毎晩悩まされているんだな、と同情するが精々だった。
 3日目、会社で午後の休憩を取っていたNさんのスマートフォンが鳴った。不動産会社からである。なんでも先月の家賃が残高不足で引き落とせなかったのだそうだ。
 引落口座を別にしているNさんには心当たりがあった。平謝りして、今日会社が終わったら金融機関のATMから振込む旨伝えて、その話は済んだ。
 そのとき、ふと、Nさんは例の唸り声の話をした。
 途端、電話口の向こうの担当者が沈黙した。
 Nさんは嫌な予感に駆られた。え、まさか、事故物件? 怖い、という気持ちよりも、マジかよ、参ったな、という嗟嘆の方が優った、という。
 が、ややあって担当者が告げたのは、Nさんの想像とはまるで違っていた。
 あのォ、Nさんの隣の部屋はですね、先月退去されていて、いまは誰も住んでいませんよ。昼間ならクリーニング業者ってことも考えられますが、もうそれも終わっていますからね。Nさんがその声を聞いているのって、夜中ですよね? そんな時間には誰もいませんよ。鍵もうちとオーナーが持っているだけですし、今日も別件でアパートに行きましたけれど、Nさんの隣の部屋の玄関ドアの鍵が壊された形跡もありません。先月退去された方も新築時から入居されていたので、あの部屋が事故物件なんてこともないですよ。勿論、他の部屋もです。あのォ、失礼ですが、寝ぼけていらしたのでは?
 電話を切って、Nさんはゾッとした。そうだ、隣人の退去の場面を自分も見ているではないか。挨拶も交わした。そうして自分の部屋はアパート最上階の角部屋である。背筋が急に寒くなった。生涯で初めてわが身に経験する、恐怖、という感情である。
 その夜は、アパートに帰るのが怖かった。でも、帰らねばならん。寝床はそこにしかないからだ。
 もう寝ようという時刻、Nさんはドラッグストアで購入した睡眠誘導剤を処方通り服んだ。ノイズキャンセリングのヘッドフォンを付けて、横になった。
 そうして壁掛け時計の針は進んで、丑三つ刻。
 Nさんはまたもや便意を催した。今度は、あたたかい布団の誘惑を断ち切って、すぐさまトイレに立った。ノイズキャンセリングのヘッドフォンはしっかりと装着されたままであるのを、確認して。
 途中、LDに置いたテーブルにぶつかって、Nさんはつんのめった。その拍子にヘッドフォンが床へ落ちた。ちなみにそのときの衝撃でヘッドフォンは壊れたそうである。
 Nさんが拾おうとしたときだ。再び、あの唸り声がNさんの耳を捉えた。
 うぅーん、うぅーん。
 気のせいか、これまでよりも唸り声は大きいように感じる。Nさんはその場にしゃがみこんで、両耳を塞ごうとした。しかし、できなかった。怖さのあまり、体がもうそれ以上動かなかったのである。
 うぅーん、うぅーん。
 もうやめてくれ、いったいなんなんだよ。そうNさんは口のなかで呟いた。住んでいる人がいないなら、この声の主は何物なんだ。事故物件でもなんでもないなら、なんなんだよ。
 うぅーん、うぅーん。
 唸り声は途切れず続いた。誰か(なにか?)に向かって話しているような声も、今日はいつもよりはっきり聞こえてくる。
 Nさんはただひたすら、それらが止んでくれることだけを祈って、その場に崩折れた。
 と、どれぐらいの時間が経ったろう。いつしか唸り声は止み、話し声らしきものも聞こえなくなっていた。
 Nさんは安堵しつつ、こわばった足の痺れを心地よく感じながら、立ちあがろうとした。まさに、そのときだった。
 ギャアッ!!
 耳を聾するような悲鳴が、隣室から聞こえた。断末魔の悲鳴、不意に命を奪われたかのような悲鳴。Nさんの部屋全体が震えたように感じた。
 ──Nさんは短な叫び声をあげて、その場で昏倒したそうだ。弛緩した肉体がもたらした結果については触れない。
 なお、このあとNさんは更新期間を1年以上残して、短時日で荷物をまとめて退去した。隣室の唸り声と悲鳴について、知ることはなにもないまま。

 Nさんが退去した部屋はその後、クリーニングも済み、新しい入居者を募集し始めるとすぐに申込みが入った。例の隣室もあまり変わらぬタイミングで申込みがあり、ほぼ同じ時期に入居した。
 どちらからもふしぎな話は出ることなく、今日に至っている。◆

共通テーマ:日記・雑感

第3558日目 〈『万葉集』へのアプローチ──マロニエ通りの学校に於ける個人史の”if”。〉3/3 [日々の思い・独り言]

 斯様にマロニエ通りの学校で『万葉集』を中心に講じた加藤守雄だが、その正式な後任が阿部先生だった。そうしてその点にこそ、阿部先生に講義で『万葉集』を取りあげることを考えさせ、断念させた理由が隠されているのではないか。
 阿部先生は『万葉集』を文学として読もうとしていた。あくまで「鑑賞」を旨とする講義を考えていた。即ち、前任者加藤とは全く別の──或る意味では本来の──アプローチを採るつもりだった。『古事記』の講義でもそうだったが、先生は奈良朝文学に塗りこめられた当時の日本人の習俗に、あまり研究者的意味での関心はお持ちでなかった様子だ。必要なレヴェルで民俗学の領域に属する内容を説明することはあるが、それを出発点に柳田國男や宮本常一、芳賀日出男、折口などなど先人の如くそのルーツや類縁を辿ったお話をされることはなかった、と記憶する。先人、には当然加藤も含まれる。
 マロニエ通りの学校の国文科は、わたくしが在籍していた時期も、既に池田・加藤は鬼籍に入り、折口の学風を伝えるのは岩松先生お1人であったとはいえ、「リトル慶應」の俗称が暗に示す通り、たとえば『万葉集』を語るに際しても民俗学の要素を削ぎ落とした講義を実施するには、それを両手で歓迎しない空気は、たしかに存在していた。空気を読んだ、なんて下世話な解釈に落ち着く気はないが、阿部先生をして『万葉集』講義を断念させた理由の一斑にはなるように思われる。──自由を校風とし、戦時中も当局に従う素振りを見せなかったあのマロニエ通りの学校にも、目に見えぬ学閥の力学が働いていたように感じられて、寒々しい気持を抱いたのは否定できぬ。
 ──結局阿部先生の、在学中だた1年だけ開かれた奈良朝文学の講義は、『古事記』となった。テキストは岩波書店の日本古典文学大系。講義は各項1人ずつ学生を(あらかじめ)指名し、訓読文を読ませ、現代語訳を披露させ、それについて先生がコメントを付す、というまさに演習形式で行われた。わたくしはたいてい前の方の席にいたのでよく目にできたのだが、『古事記』を講義しているときの先生は本当に愉しそうだった。
 最後の1年間で先生の講義を履修する幸運を得たわたくしは、近世期国学への関心からスライドして『古事記』を卒業論文のテーマとし、卒論指導という名目で毎水曜日昼頃まで先生の謦咳に接することができた。年度末には日帰りの鎌倉旅行へお誘いして、実現したことは、既に述べた通りである。
 一寸話が横道に逸れるが、ご勘弁を。卒論指導の折、なにかの拍子に筑摩書房から出ていた『明治文学全集』の話になり、それを索引だけ残して処分されたことが何10年も経ったいまでも、職員室の光景も含めてまざまざと甦ってくることである。わたくしは阿部先生の来し方についてなにも聞くことはなかったが、それを全巻所持していたというぐらいなのでもしかすると、先生の本来の専門は近代文学であったかもしれない、といまでは思う。

 さて、やっと本題。──学生時代、もし阿部先生から『万葉集』を教わっていたら、わたくしはそれを好きになっていたか?
 早々に結論;かなりの留保附きではあるが、たぶん好きになっていただろう。すくなくとも現在のように、相性が悪い、とまでは思わなかったのではないか。八代集を通読した如く、『万葉集』全巻も最初から最後まで読んで、己の肥やしとしていたのではないかな、と考える。
 が、そうはならなかった。個人史とはいえ所詮は ”if” である。〈必然〉によって歴史は定まる。だから、現在(いま)がある。『恋愛名歌集』を読んで、『万葉集』との相性がすこしでも良くなることを願う現在はなかった、ということだ。──どっちがいい?◆

共通テーマ:日記・雑感

第3557日目 〈『万葉集』へのアプローチ──マロニエ通りの学校に於ける個人史の”if”。〉2/3 [日々の思い・独り言]

 その加藤守雄はマロニエ通りの学校で、何年にもわたって『万葉集』を講じた。但しその講義は文学としての『万葉集』というよりは、民俗学の方面からのアプローチがメインだったようだ。『加藤守雄著作集』を企図する以前に、その学問を知りたい、その文章を読みたい、の一念から一夏三田の図書館に籠もって論文やエッセイの掲載誌をコピーしまくり読みまくり、秋から師走に掛けてはマロニエ通りの学校、國學院大學折口博士記念古代研究所では資料の借覧とコピーをいただき、知る人の話を伺うこともできた。
 そうして手許に集まった加藤の文章の1つに、マロニエ通りの学校の履修要項がある、これはたしか、事務の中村さんの手を患わせたのではなかったか。これを読んでいると、上代文学の時間は『万葉集』を講読し、ゼミでは民俗学を主体にしていたようである。試みに、1983年度の履修要項から加藤が担当した3つの講義内容を引いてみよう。曰く──

日本文学演習・奈良朝
『萬葉集・巻一』講読
 萬葉集巻一及び巻二は、雑歌・相聞・挽歌という部類立てを持つ、宮廷詩のオーソドックスな形を示す巻である。年代的にも萬葉集中、もっとも古い歌群とされる。巻一の講読のかたわら、萬葉集の成立、様式の変遷等を考えてゆく積りである。

日本近代文学
近代短歌史(釈迢空論)
 釈迢空は、少年期に『明星』はの短歌の影響のもとに出発し、のち『アララギ』はの一員として、写生を基本態度とするようになった。しかし、それにもあきたらず、独自の境地を、自ら開拓した。本名、折口信夫、すぐれた古典学者、民俗学者であり、詩・小説にも、ユニークな作品を残している。

日文ゼミナール
歴史と民俗
 歴史学と民俗学との対象および方法の相違を考え、民俗学の扱うべき分野について、個々の事例をあげて概説する。読むべき本は、その時どきに支持する。
 (注)
 日本ゼミナール[ママ:引用者注]は三年生に限る。但し日本文学コース及び創作コースの一、二年生は、選択科目として受講することが出来る。

──と。
 手許にあって確認できる履修要項(1974-87年度)に拠れば、「日本文学演習・奈良朝」ではずっと『万葉集』がテキストとなり、それは就任から間もない頃から始まってたと卒業生から聞いている。1年で1巻を講読するスタイルが昭和30年代後半から固持されているならば、おそらく加藤は『万葉集』全巻の講読をマロニエ通りの学校で果たしている可能性が高い。が、そう単純な話はあるまい。というのも、1973年度と1974年度は続けて『万葉集』巻一講読が行われているからだ。ただ、講義で取り挙げる巻がなにであっても『万葉集』を文学史的見地から、また、折口の弟子として学び、フィールドワークを行った経験も反映させた、単なる演習の域を超えた内容であったろうことは、加藤の下で日本文学を学んだ卒業生たちの談話から容易に推察できる。
 「日本近代文学」は年度によって担当者が異なるが、加藤が担当した際は上述した釈迢空論を専らとした近代短歌史の他、釈迢空の小説『死者の書』研究(1986年度)、与謝野鉄幹・晶子夫妻の短歌、かれらが主導した『明星』派の短歌を軸とした近代短歌史の講義(1979-82年度)、短歌を中心にその生涯や為人、理想を探る与謝野晶子論(1985年度)などを講じた。基本的には師折口信夫と『明星』派の短歌/歌人がテーマであるが、後者はマロニエ通りの学校創立期の講師陣に与謝野夫妻が加わり、晶子もまた短歌実作や『源氏物語』講義を担当したことから、テーマとした側面もあったろう。
 「日文ゼミナール」は当初「「国文ゼミナール」で、1976年度から名称変更された。1974-87年度の間、加藤がゼミで取り扱った中心は、民俗学であった。既に引用した民俗学概説や年中行事(1984年度)、祭り(1985年度)、柳田國男『遠野物語』(1986年度)と『雪国の春』(1987年度)、という題目にそれは明らかだろう。一方で日本の古典、即ち、『古事記』、『風土記』、『日本霊異記』、『今昔物語』も取り扱っている。それらについても卒業生の話に拠れば日本文学演習・奈良朝同様、作品の民俗学的部分、歴史的部分の話がよく出たそうだ。加藤の学問が民俗学に立脚した文学研究であったことは、この点からも明らかだろう。なお日文ゼミナールは1976年度だけ、与謝野鉄幹・晶子夫妻研究を扱ってる。邪推すれば1979年度から始まった日本近代文学を担当する予行であったかもしれない、と履修要項を眺めながら考えている(1978年度の日本近代文学は年間休講)。
 加藤の学問は民俗学に立脚している。では教壇に立つ以前、つまり三田の学生だった頃だが、民俗学への傾倒その研究成果は、どんな形で表出したか。一例として池田彌三郎と行った、昭和11(1936)〜16年(1941)年までの伊豆に於けるフィールドワーク(民俗採訪)が挙げらる。
 このフィールドワークをもうすこし詳しく話せば、当時としては珍しくカメラを担いで、伊豆地方各地に残る道祖神の写真を撮って回る、というすこぶる単純なものではあった。池田と加藤にはこの成果をまとめて世に出す案があり、出版社も決まっていたがいつの間にか立ち消えとなった。折口は昭和16年8月『むらさき』誌上でこの、弟子たちのフィールドワークを「道の神 境の神」なるエッセイで紹介した。このときに写真は整理されて陽の目を見、その後全集にも収められたが、加藤が預かっていたネガと記録は戦災で焼失したという(「わたしの履歴」 『わが師わが学』P168 桜楓社 1967/04)。
 他にも池田と加藤は「花祭りや雪祭りの採集などにも一緒にでかけたり、近江の木地屋の本拠へ文書をうつしに行ったりもしたが、九州を歩いた十余日の旅行が印象深い」(前掲P169)とのこと。こうした日本各地への、学生から院生時代に行った採集旅行にのめり込んでゆく過程で、むかしの日本人の暮らしを、各地に残る風習や祭祀、人工物から辿る研究を始めたのである。
 そうして勿論、慶應義塾大学の国文科、恒例行事たる万葉旅行での経験も、土壌にあった民俗学への関心を深めるきっかけになっただろう。池田と加藤が学生だった頃、旅行の引率役は折口であったが(ex;池田彌三郎「万葉集輪講座談会・万葉旅行」 『孤影の人 折口信夫と釈迢空のあいだ』P273-4 旺文社文庫 1981/09)、この万葉旅行については本筋から大きく外れる話題であるためこれ以上述を省くが、いつか別に稿を起こしてみたく思うている。□

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。