第3763日目 〈病床からのレポート──2024年02月17日「おはらななかへの大嘘と「白峯」翻訳」篇〉 [日々の思い・独り言]

 おはらななかへの想いを未練がましいものにしない為、居もしない奥さんと子供の話をでっちあげて、自分のまわりを〈大嘘〉という名の壁と濠を張りめぐらして整理して、そろそろ3年が経つ。「敵を騙すには味方から」を実践しなければならなかったのは些か慚愧に堪えるけれど。
 このお陰で、さいわいとおはらななかは自分の求める幸せを摑み、いまは子供も生まれて静穏無事に暮らしていると想像したい。これぞわたくしが望んだ彼女の未来、おはらななかにもわたくしにもWin-Winな世界の訪れである──そう思おう。幸あれ。
 考えてもみろ、おれが幸せに家庭を持てる立場であるわけないだろ。

 さて、話題を変えて。

 春一番の吹く少し前、化学療法の副作用期を脱する頃。気分の安定する日が目立ってきた。その頃から始めたのが、『雨月物語』巻頭を飾る「白峯」の翻訳である。
 ポツリポツリと好みの怪談を見附けては気儘にお披露目している「近世怪談翻訳帖」の一つを成し、『雨月物語』からは「浅茅が宿」に続く翻訳となる。
 当初の予定では、──というのはつまり、入院なんて事態に出喰わさなければ、「吉備津の釜」もしくは「貧福論」の現代語訳のはずで、それに関してはかつてここでもその旨表明した(覚えがある)けれど、それを思い立って「白峯」に変更したのは、──
 男の軟弱さと女の憎念を描いた「吉備津の釜」やお金にまつわる「貧福論」は、ちっとばかしこちらの神経に障る点あって、翻訳できないなぁ到底無理だよ、精神的にかなりきつい。気が滅入る。ならば歴史に材を取った怪異を扱えど崇徳院と西行法師の問答で話が前へ進む「白峯」に手を着けるのが精神衛生上すこぶる健全、賢明と判断した次第。
 たまたま『平家物語』をきっかけにして、崇徳院対鳥羽院の皇位を巡る争いを描いた『保元物語』と平家と源氏の武士勢力が初めて正面から激突してその後の日本史の流れをほぼ決定づけたというてよい『平治物語』を読み返す気になっていたので、案外とこのタイミングで「白峯」翻訳は理にかなった行為であったかなぁ、と考えている。
 いつ退院できるかわからないけれど気持の上では既にその心づもりで動いている日々である。できれば病院にいる間に第一稿に先行する下訳は不完全ながらも最後まで完成させておきたい。未完成の傑作よりも完成した瑕疵だらけの原稿の方に価値はあるのだ。──どなたか異論はおありだろうか?◆

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