第3464日目 〈子供ができると、人はこうまで変わるものか。〉 [日々の思い・独り言]

 電車のなかで幼児が泣いている。お母さんがベビーカーを押すのに難儀している。呆と過ごすカフェで子供が騒々しい。
 いままでネガティヴな感情で眺めていた光景だ。事情を忖度するのは二の次、三の次。偏狭な男であった。
 が、人間は身勝手だ。子供を授かった途端、そうした人々に寄り添うことができるのだから。
 幼な子を育てる親の苦労や喜びが、身に染みてわかるようになった。困っている親を見たら声掛けしたり、手を貸すことが自然の振る舞いとなった。
 その親の許ですくすく育つ子供たちを、優しい目で見ることができるようになった。赤ちゃんが泣いていても、泣かないと意思を伝えられないものな、と思う自分を見附けた。
 日曜日、自転車の練習をする子供と、そばで見守る父親とすれ違った。ここ数ヶ月で見た幾つもの光景のうち、最も憧憬の念深いものだった。
 かつてのネガティヴな感情は、自分がその光景のなかに置かれることで霧消した。人は何歳でも、如何様にも変われる。教えてくれたわが子と、奥方様に、感謝。◆

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第3463日目 〈驕るな、無礼者。〉 [日々の思い・独り言]

 08月28日(日)朝日新聞の投稿欄〈声〉に載った投書である。投稿者29歳は「老害」に出喰わした。中華料理店で高齢の客が外国籍店員に怒鳴っている。原因はタブレット端末で注文する方法だった。「注文方法がわかりづらい、口頭で伝えた方が楽ではないか!」と店員に怒鳴ったのだ、という。珍しい光景ではない。
 自分は時代に適応できないと満天下に自ら暴露した、と投稿者は客を断ずる。続けて、件の客にこんな疑問を投げるのである。時代に適応する努力をしているのか、と。
 こんな軽々しい上から目線の台詞を、よくも吐けた。客が怒鳴るまでの店員とのやり取りや、店員が客に対してどのように説明したのか、投稿者は全体像を把握して斯く述べるのか。果たして投稿者に客の立場に立って物を考える配慮が、この人物にあったろうか。
 「努力をしても時代についていけない、というのではない。彼のあの態度は人にお願いをするそれとしてふさわしいだろうか。だから若者から『老害』と言われてしまうのではないか」という。論旨が飛躍してはいまいか。引用箇所とその前後を読んでも、努力をしているか、なる疑問から、だから「老害」といわれるのではないか、に行き着くまでの投稿者の思考の跡を追うことができない。
 その中華料理店が投稿者にとって、馴染みの店なのか、初めての店なのか、文章からは判断できない。馴染みの店ならば、その客がいつも見掛ける人でいつも怒鳴っているのか、オーダーの仕方以外の場面ではどんな振る舞いをしているのか、など背景情報を盛りこんだ方が、投稿者の意見はより鮮明になったのではないか。初めての店ならば、偶々目にした光景を見て湧きあがった感情が鎮まるのを待って、論旨を整理した上で投稿するよう心掛けた方が良かったのでは。
 投稿者は、デジタル化が高齢者に無理を強いていることをじゅうぶん承知していながら、あたかも「無理であっても時代に取り残されぬよう、適応する努力を最大限にせよ」というているように読める。個人の能力や環境を蔑ろにしているように、読める。
 いったい投稿者がどんな職業に就いているか、勿論知るところはなにもない(いや、知ってたらコワイっすわ)。願わくばかれがサービス業や医療現場、コールセンターなど他人の気持ちを慮り、寄り添わねば成立しない業種に籍を置いていないことを祈る。
 さて、投稿者氏よ。貴方は中華料理店で遭遇した高齢客に対して、「時代に適応する努力をしていますか?」と訊ねる。貴方が件の客と変わらぬ年齢になったとき、29歳の「若者」から同じ疑問を呈されることなく、かつ「老害」といわれぬよう努めてほしい。できますよね?◆

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第3462日目 〈ヘイトの底にある感情。〉 [日々の思い・独り言]

 21世紀の日本人は、海外で大きな問題を起こしている国の国民や宗教の信仰者をターゲットにして、自らが抱えこむ閉塞感や「ままならなさ」といった行き場のない感情をぶつけて発散しているだけのように思える。少なくともそこに確固たる主張やエビデンスはあるまい。負の感情に囚われて、碌に自分自身で検証したりすることなく、自分にとって都合の良い主張に安易に便乗しているだけのように映る。
 偉そうなことを書いてはいるが、とはいえわたくしにも、探ればヘイトの感情はある。先達て本ブログでも書いたが(第3447日目 〈『クルアーン』を買ってきた。〉)、9.11に遭遇して友人2人を奪ったアル・カーイダを憎んだ。知識も理解もないままイスラーム教徒を憎悪した。イラク戦争後に日本語学校の教室でイスラーム教徒の生徒たちを受け持たなければ、かれらへのヘイトは、あちこちで活動を始めていた大きな暴力の渦に身を任せて、そのまま先鋭化していたに違いない。
 イスラーム教徒へのヘイトの感情は、もうない。が、在日韓国人へのそれは、正直にいえば、ある。「嫌悪感」という方がより実態に近いだろうけれど。
 教室には韓国人生徒もいたのに、理解に努めようとしなかったのは、なぜか。
 発端は韓国人生徒たちの居座り、が遠因と分析(呵呵)する。事の詳細を語る気はない。かれらにも事情はあったのかもしれない。が、居座り組の中心人物が「校長」と「親密な関係」を結んでいたので「目こぼし」されている、と判明するや、もうかれらへの理解はそれ以上のステップに進むことはなく──というよりも、停止した。理解しようと努める気持ちが嫌悪感に変わるまで、然程の時間を要さなかった。これが、遠因。
 現在は、こんなことではいけないなぁ、と反省の日々である。もう日本語を教える現場からは離れているけれど、却ってそれが良かったのかもしれない。現場から離れてもう5年以上になるけれど、その間に幾人もの在日韓国人と仕事で、プライヴェートで接する機会が増えた。どうしても障る部分はあるけれど、それは同胞に対するそれと質の面では大差ない。誰にだって好きになれない相手、相容れない相手はいる。そうした意味では、どこの国の人だろうが大差はないのである。好きな人は好き、苦手な人・嫌いな人は……、ということだ。
 好きな人もいる、嫌いな人もいる。それを差別というのなら──その感情の底にあるのはなにか? 日本と周辺国、日本人とかの国の人々が歩んできた歴史もあるが、昨今の異国人に対するヘイトや嫌悪の根っこにあるものは、もっと個人レヴェルで説明できるように思う。
 つまり、生活する上でなにかしら感情を害される場面が多かった、日本の社会法規或いは道徳や秩序もしくは常識から逸脱した行為に遭遇・反感を抱いた、──そのあたりに集約できるのではないか。
 自身を顧みても、そんなところから出発して今日に至っていると考える。たとえば、──
 夜中に外を歩きながら大きな声で喋りまくっている。赤信号を無視して国道1号線を横断しようとする。棒が降りた踏切に侵入して横断そのまま遁走、電車の遅延を招いた。他所様の家の敷地内に不法侵入して坐りこみ、缶ビールを飲み喫煙をして、ゴミを放置した。
──エトセトラ、エトセトラ。
 ちゃんと育てられた日本人なら、まずしないでしょ、ということを平気な面でしでかして、それを詰られたら逆ギレして胸ぐら摑んでくる。こんな連衆を、一体どうやって好きになれ、と?
 まぁ、上記はわたくしが体験した出来事だが、いつしか大声お喋りメンズとゴミ放置男は地域から姿を消した。ご近所の<怖い>方々が追い払ったと噂に聞くが、実際は警察も知らない。かれらの行方は杳として知れない。
 とまれ、平和は戻った。思えばこの頃からだったかしら、わたくしのかれらへの嫌悪のレヴェルが著しく低下し、先述のように職場やプライヴェートで知り合ったかれらとなんの悪感情もなく接することができるようになったのは。もっとも、単に相手に恵まれただけであろうけれど、それはここでは不問とし。
 昨日(22/08/26)の神奈川新聞社会面に、大阪府茨木市にあるコリア国際学園放火事件(22/04/05AM)の公判記事が載った。理事を務める人物の発言が紹介されている。曰く、「今の日本の状況なら起こり得る、と。もはやヘイトスピーチからヘイトクライムへ移行してきている」と。この記事を読んで、ゾッとした。自分がヘイトする側に立っていたら、なにをしていただろうか。そんなゆめ否定できない光景を想像して、寒気がした。吐き気がした。
 この記事を切り抜いていつも持ち歩いているクリアフォルダに仕舞い、自分が外国人に対して負の感情を抱きそうになったら取り出して反省のツールとし、道を踏み外さぬよう己を諫める。◆

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第3461日目 〈知識の欠落部分を補いたい。〉 [日々の思い・独り言]

 最近は松井玲奈ロスで茉夏……いやいや、夏の猛暑を乗り切れそうになかったのですが、ワクチン接種した帰りの今朝、新聞を買いに立ち寄ったコンビニでお久し振りな総大将の笑顔が表紙を飾る某写真週刊誌が視界に入り、と同時に手が伸びて新聞と一緒にレジへ運んでホクホク顔な、生後4カ月の娘を持つみくらさんさんかです。
 今日は、●●のお話。

 中高で習う日本史はたいがい関東大震災あたりで終わり、その後はかなり駆け足で詰めこまれて、という感じで3学期の終業式を迎える。わたくしの中高時代はこんな風だった。現在もこの傾向はあてはまるのではないか。
 近現代史の知識に則していえば、太平洋戦争の通史や個々の戦闘について相応に知るのは、興味を持ってその類の本を読み、ドキュメンタリー番組を観てきたからだ。が、その一方で陸軍の、特に大陸での数々の戦闘や事件については、教科書の1行以上のことを知らず大人になった。
 知るきっかけは、渡部昇一の昭和史の本。この人の歴史本に漂う或る種の<いかがわしさ>を、いまははっきり感じ取れるようになったが、<知るきっかけ>を与えてくれたには感謝している。
 ──わたくしは南京虐殺も、ノモンハン事件も盧溝橋事件も張作霖爆殺事件も、その背後に蠢く関東軍についても、近代史の講義で習った以上は知らずにのんびり今日まで暮らしてきた。いま熱に浮かされたように、専ら支那であった関東軍や陸軍の戦闘、事件の本を読んでいるのは、その種の知識の圧倒的欠落を自覚し、無知ゆえの焦燥に駆られてのことだ。
 知りたいのだ、──
 陸軍があの戦争でなにをおこなったのか。なにを主張して、海軍や政府や昭和天皇との間に生じた摩擦や対立がどのようなものであったか。海軍も含めて、極東国際軍事裁判所謂東京裁判で誰がA級戦犯となり、なにを問われ、どのように裁かれたか。加えてB級戦犯・C級戦犯が横浜裁判で、誰がどのような現地での戦争犯罪を犯したのか、どう弾劾されてどう弁護したのか、最終的に銘々がどんな判決を下されて、或る人は死刑となり、或る人は釈放されたのか。
──などなどを。
 いま最も興味を惹かれているのは、故郷にまつわる戦中戦後の出来事。就中横浜空襲と横浜裁判である。そうして米軍の相模湾上陸作戦と茅ヶ崎を中心にした日本側の防衛計画である。
 横浜空襲は中学校区の出来事にもかかわらず学校で習ったことは1度もなく、横浜裁判の概要はつい最近知った。いずれも先行文献は沢山ある。いい換えれば当時を記憶する人たちがだんだんといなくなり、記録の存在も忘れられつつあることをも意味しよう。──蒐集、然る後に読書を。
 これら郷土の近過去を勉強して、自分なりの記録をここに留めたい。

 先に「今後はこうしたテーマの文章を書いてゆきたい」旨発言した(第3427日目)。本稿はその追補編と受け取っていただきたい。
 堅くて、いつもながらの話題であった。◆

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第3460日目 〈あなたのパソコン、誰にも覗かれていませんか?〉 [日々の思い・独り言]

 市内某所のスタバにいる。例によって例の如し、だ。夏休みのせいか、普段なら空く時間帯でも席は埋まっている。そんなときはあたりをブラブラしてから戻り、うまい具合に空席を見附けてしばしの時間を過ごす。そこまでして……という嘆息がどこかから聞こえてくるが、聞こえないふりしてスルーしよう。
 そのスタバも何年か前にリニューアル。円柱を取り囲むようにカウンター席が設けられた。そこは電源が埋めこまれているので、わたくしのようにノートPCを持ちこんで作業する向きには大人気の席である。そのカウンター席にあぶれるとすぐ後ろの丸テーブルの席か、同じ並びの丸テーブル席に座を占めるのがわたくしの定番的行為だ。
 さて、本題である。
 いまわたくしはカウンター席すぐ後ろの、窓際に面した丸テーブル席に坐っている。黄昏の刻、空は徐々に薄闇に染まってきた。
 ぼんやり外を眺めているうち、カウンター席の客が席を立った。荷物を片附けてその場を去ったのではない。お手洗いに立ったのか、ドリンク或いはフードの追加注文か、はたまた別用か。定かではない。正直、どうでもいい。が、その客は使っていたノートPCの画面をそのままにして、席を外したのである。ちょっと視線をそちらへ動かせば、画面は丸見え、どんなソフトを使ってどんな作業をしているのか、すべて否応なく見えてしまう……。
 この人には安心しているのか。誰も覗きはしない、と。根拠なき自信に満ちているのか。作業中の画面を見られても支障はない、と。それともただのおっちょこちょい、或いはただの忘れんぼさん、もしくはただ単にセキュリティの認識がないだけか。
 他の企業がどうだか知らないけれど、コールセンター業界では自分の端末をロックして離席するのは最初の研修で叩きこまれる一つ。会社によっては当該オペレーターが戻ったら即座に呼び出し、上長から指摘とお説教とフィードバックと研修内容思い出しが渾然一体となった〈お話〉がそのあとに控えている。
 案外とこれを忘れる人が多いのだ。急いで離席せねばならぬ理由があるわけでもない者は勿論、管理者もうっかりと忘れて席を離れることがある。ただ管理者の場合離席の理由は様々ゆえ、いちいち画面をロックしていられない、という事情もあるけれど──。
 とはいえ、これはあくまで社内の話。幾らでも情報流出の阻止は講じられる。それに、他の人の、監視する目がある。安全とはいい切れないけれど、セキュリティの脅威に曝されている屋外──業務エリア以外のすべての場所──よりはずっと安全だろう。勿論、サイバーテロを受けて情報漏洩してしまいました、とか、どこかの阿呆がメール等に添付されたファイルを開いたりURLをクリックして情報漏洩orウィルス感染してしまいました、なんていう、認識の甘さが招いた事故とは無縁であることはできないけれど。
 とはいえ、それでも屋外でWi-Fiにつないだまま作業する、画面をロックしないで席を外す、などに較べれば、リスクはまだ低いように思うのだ。
 然り、屋外でネット環境につないで(長時間)作業する、画面未ロックで離席することは、そのままあらゆる第三者の好奇の目を向けさせるにじゅうぶんであり、時に知らずハッキングされてパソコン内部のデータを吸い取られるといったリスクに曝されていることをも意味する(macOSや殊iOSでAirDropを使った「わいせつ物頒布罪」(刑法175条1項)相当の〈ポルノ爆弾〉も一時話題になった)。
 ノートPCについてお話してきたけれど、大画面のスマホやタブレットでも同様のことがいえよう。もっとも後者の場合、離席するときは大抵持ち歩くでしょうから然程問題視しなくていいのかもしれませんけれどね。……盗難に遭った経験ある人は顔を紅潮させて、「否!!」と叫ぶでしょうけれどね。
 ……いま、件の人物が戻ってきて、なにもなかったかのように作業を再開した。あなたが留守中、誰もあなたの端末に興味は示さなかったろうか? 直接画面を覗き見る人こそいなかったが、ちょっと技術のある人なら痕跡残すことなくハッキングすることは簡単だろう。
 自分も経験があるので、その点は十分に注意している──作業中は余程の理由がない限りネット環境につながないこと、離席する際はMBAをスリープ状態にするか持ち歩くかすること、を常としている。むろん、そこに奥方様のように信頼置ける人が同席していれば、端末の管理込みでお留守番を頼めるけれど、なかなかそんな幸運に出喰わすことは残念ながら、ない。
 あなたも、同じだ。◆

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第3459日目 〈責任者の悔恨、責任者の涙。〉 [日々の思い・独り言]

 奥方様が持っている『SP』TVシリーズDVD-BOXを観始めた。劇場版しか知らないこちらには各キャラクターの為人が新鮮に映り、第1話はあっという間に終わった。終わったところで先日の診察で渡された処方箋を手に、いつもの調剤局へ。
 ふだん誰もいない調剤局は人でいっぱいだった。確認もあったので待つこと約30分、朝ドラの再放送と17時からのニュースをぼんやり観ていた。すると、──
 警察庁長官と奈良県警本部長の辞意表明が報じられた。安倍元首相狙撃事件の責任を取ってのことだ。意外であった。「さぞ口惜しかろう、無念だろう」と口のなかで呟いた。
 自分なりに事件の続報には注視してきた。警察幹部の処分が報じられない不思議さに小首を傾げたのはいつだったか。よしんば処分の報があったとしても、日々の膨大な報道に埋もれて気附かなかったのかもしれない。購読する以外の新聞(地元紙含めて)には掲載されていたのかもしれない。どちらへ転ぶにせよ、「見落とし」に変わりはない。
 警察庁長官のと併せて、奈良県警本部長の辞意表明会見の様子が、夕方のニュースで流れた。その後各新聞社のwebサイトでこの会見の記事を読んだ。本部長氏の言葉である、「はかりきれない衝撃と、責任の重さに押しつぶされそうになる毎日だった」と。
 気持ちの軽くなる日とも、晴れやかな顔をする日とも、無縁の49日だったろう。取り戻せぬ命の重さを痛感して罪の意識に苛まれ、どれだけの眠れぬ夜を過ごしたことだろう。本部長氏が会見で眼を潤ませた瞬間の映像が、記憶の襞に焼き付いている。奇しくも今日は安倍元首相の四十九日であった。
 同日(08月25日)、事件当日の警護の検証報告書がまとめられ、警察庁HPで公開された。警察庁長官と奈良県警本部長の辞意表明会見は、これがまとまるのを待って為されたと思しいが、後任が誰に代わっても要人警護の見直しがされなければ、かれらの辞任は意味がない。報告書は要人警護体制の抜本的見直しを要請。これを承けて「警護要則」が平成6/1994年6月以来、なんと28年ぶりに改正されるという。
 今後も動機はともあれ、要人を狙う暴力行為は続くだろう。この事件の教訓が活かされることを願って、奈良県警本部長も警察庁長官も辞意を表明した。かれらの辞任が無意味であった、などという未来があってはならない。
 本部長氏は、『SP』を観ていただろうか。現場に岡田准一演じる井上薫ら第4係のメンバーがいたら……。その仮定はあまりに酷か。◆

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第3458日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第06話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 日曜日から月曜日に変わる頃、録画していた『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第06話「DEKKAIDOW!」を観ました。あまり気乗りしないまま、観ました。



 前回、集中的に糾弾した鬼塚の件に関しては──第1期の恋加入回程ではないにせよ、予定調和的かつ矛盾を脇に押しやって無理に整合性を整えた感を微量に漂わせて(物語上は)、解決しました。要するに、肝心な回であることをじゅうぶんに承知しながらも視聴者たるわたくしには「捨て回」としか映らなかった、ということでもあります。
 ただ、鬼塚のマニー信仰がどこから来たのか、その由来を知ると、この子をヒール役とかどうとかいえなくなってしまうのも事実。たいていの人が1つの夢を実現させるためひたむきに努力して、見事それを実現させられるわけではない。挫折しても新しい夢を見附けて、実現のための第一歩を踏み出すことを繰り返してゆくばかりである。
 第01話で鬼塚がきな子に掛けた台詞に曰く、──

 向いていないことを幾ら頑張ったって、ダメなものはダメです。
 でも、やってもないのに向いているかどうかなんて、わからないでしょ?

──と。
 これを第06話の段階で顧みれば、鬼塚が過去に描いてきた夢の数々と、同じだけ経験してきた挫折──というよりも「諦め」が、かの台詞の背後にあることを、否応なしに痛感させられます。咨、わたくしはもう少し鬼塚夏美の過去について、想像力を逞しうするべきであったかもしれません。そうすれば前話での姑息な手段にも寛容になれたろうものを。
 鬼塚は鬼塚なりに自分の当面の目標を達成するために、あるいはゴールと設定した場所へ少しでも近附くために、彼女なりの努力をしていたのです。夢は、きな子に問われて答えたように、”いまは”ないのかもしれない。しかし、鬼塚を動かす原動力は、なにも他の子たちや、なによりもむかしの自分が描いていた「夢」ばかりではない。
 思い出そう、彼女が配信した動画のなかに、「【禁断】夏美のオニ辛口徹底追及〜時事ネタ編〜Part1」なるタイトルがあったことを。第05話時点での再生回数は221、公開は2週間前(5月中旬から下旬? 第05話で学生たちは夏服だった。既に衣替えは済んでいる様子なので、そこから2週間前であれば、少なくともGWは終えているはずだ)でした。
 ここでは時事ネタ篇を謳っているが、高校1年生の女の子がなぜこんな「手に余る」ネタを取りあげたのだろう。憶測の域は勿論でないが、彼女のマニー信仰に起因するのではあるまいか。いつから動画配信を始めたのか、会社の設立がいつだったのか、定かにする資料は供されていません。
 しかしながら、株式会社を設立し、曲がりなりにも代表取締役を務め、CEOを歴任すると自称する以上は、社会の動向に注視せざるを得ないでしょう。ネットニュースや新聞社のサイトに載る記事、或いはテレヴィのニュース番組や鬼塚商店に毎日配達されているだろう新聞に触れて、社会の動きが経済へ直結することを学び、自分でもたとえば某動画投稿サイトや初心者向けのブログやホームページで勉強したりしたのだと思います。でなければ、「日経平均全面安」という台詞も、ただ「いってみただけ」のそれになってしまいます。
 「【禁断】夏美のオニ辛口徹底追及〜時事ネタ編」はそうした勉強の賜物であり、経済の流れや経済用語が或る程度わかってきた証左にもなっている、とわたくしは考えるのであります。──前回から一変して、かなり好意的な見方になっていることは承知しております。然れど変節に非ず。以前は見えていなかった部分が見えてきたために、意見に修正を加えたに過ぎません……という弁明。

 本話にていちばんわたくしの胸を貫いたのは、熊のパーカーを着て、きな子実家近くへ姿を現した、澁谷かのん嬢でありました。東京にいるときは、1年生部員が突然別行動を宣言・旅立ったことで顔を覆って放心する程曇り、かと思えば1年生の練習風景を撮影した動画を観てそのパフォーマンス・レヴェルの成長ぶりに手を叩いて喜ぶなど、メンタルの乱高下が確認できた。久々に針が両極端に振り切れた情緒不安定ッぷりを披露してくださったかのん嬢ですが、そんな彼女もと或る事情で北海道へ。
 屋外の五右衛門風呂で鬼塚ときな子がシリアスな会話を展開している最中に、森のなかからふらりと現れ、鬼塚が1人になると草を踏み荒らしながら木陰からぬっと姿を見せる。熊のパーカーが殆ど着ぐるみにしか見えないぐらいサイズが大きいものだから、そりゃあ鬼塚でなくても「クマーッ!?」と叫びます。幸い事は、そこに猟銃を持ったきな子やその親御さんがいなかったこと。もしいたら、いま頃は……第07話からまったく違う話になっているか、NHKから強制打ち切りを通達されるか、でしょうね。むろん、どこからでも湧いて出る抗議団体は、放送終了直後からクレーム活動を展開するでしょうね。
 まぁ、そんなブラックな話はともかく。
 この、熊のパーカーを着たかのん嬢が、とても可愛らしいのです。うん、愛おしいですね。叫ぶ鬼塚を宥めるためにフードを取る過程のかのんの表情、その1つ1つもスクリーンショットで保存したくなるぐらいの可愛さだ。「可愛い」の連呼ばかりで語彙力不足を実感している。勘弁してほしい。だって本当に可愛いんだから、仕方ないじゃん。
 どうして「熊」と「澁谷かのん」はこんなに親和性が高いのだろう。というよりも、このパーカー、偶々北海道に出掛けていたお父さんの忘れ物を届けた際、お土産に、って買ってくれたものであるとのこと。
 娘に、長女にこうしたプレゼントを贈るぐらいだから、親はわかっていたのだろう、熊とかのんの親和性を。或いはその愛好の深さを。案外とかのん、幼い頃は家で仕事をしている両親の邪魔にならぬよう、時には妹と一緒に(ちぃちゃんも一緒?)『クマのプーさん』シリーズのDVDでも繰り返し観てたのかもしれない。……かのんの年齢で流石に『テッド』はブラック過ぎるし、『パディントン』も──これは観ている可能性あり、か。
 なお、『クマのプーさん』シリーズでは、定評ある劇場用長編『クリストファー・ロビンを探せ!』が屈指の名作である。クリストファー・ロビンを想って夜中、1人(1匹……1頭か)歌うプーさんの淋しげな姿にかのん嬢の涙腺が崩壊していたかも、と想像すると──済みません、書いているこちらもヤバいんですけれど。
 父親がお土産に買ってくれたパーカーを着て、後輩たちに差し入れするなんて、なんとまぁ茶目っ気たっぷりなLiella!のリーダーではありませんか。もっとも、先程お話ししたように場合によっては命の危険もあったわけですが。
 それにしても澁谷父子の仲の良さは羨ましいな。親子仲が良好なのは良いことであるよ。
 でも、翻訳家のお父さんは、北海道でなにをしていたのでしょう。録画したものを最初に観たときからずっと、仕事かな、と思うていた。翻訳家仲間、出版社や編集プロダクションの担当者、そうした人々との勉強会や懇親会(実態はともかく)であったのかもしれない、と。
 しかし、実際はスクールアイドルの練習で忙しい長女は不参加の、家族旅行であったかもしれない、と思い始めた。そうなると差し入れの提案やアドヴァイスは母親から出たかもしれないし、きな子実家までの交通機関の料金は両親が出してくれた可能性だってある。澁谷家程父親が物語の表層に現れて、展開に関与するファミリーも珍しいが、これも1期で家族のつながりや関係性を端的ながらきちんと描いて見せ、家庭のあたたかさを想起させる部分を見せていたからこそでありましょう。

 ──多少の問題は残しつつも、鬼塚夏美はLiella!9人目のメンバーになった。可可いうところの、「スクールアイドルの“9”は絶対数。レジェンドスクールアイドルが残した“9の奇跡”!! これでLiella!もレジェンドスクールアイドルの仲間入りをする資格を得た」わけですが、鬼塚は是非、可可とメイのスクールアイドル講義を受講して9人目になったことの意味をしっかり理解してほしい。
 9人になって初めての曲、「ビタミンSUMMER!」はアイドル鬼塚夏美のデビューを飾るに相応しい、活発で健康的な作品でした。早くフルサイズで聴きたいものであります。
 もっとも9人体制は今期のみで、3期では12人になる気もしているのですが。……江東区の某虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を参照のこと(2期)。かのんの妹ありあや、年齢不詳ながらすみれの妹が入部したら面白いとは思うけれど、これはこれで予定調和の域を出ませんね。

 実は本話に関してはちょっと、どうしても見過ごせない問題が1つ、あるのですが、それはまた別の機会にお話ししましょう。ネタの温存を図っているのではありませんよ、いや、マジで。




 第07話「UR 葉月恋」は08月28日放送予定。
 それにしても「UR」とは。本話で可可に借りたゲーム端末ですっかりゲームに嵌まった恋ちゃんの、ポンコツ・エピソードふたたび……? また開けなくてもいい扉を開いたのか、恋ちゃん。
 あれ、キャラクターのフルネームがサブタイトルになるのは、これが初めてな気がする……。◆

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第3457日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;訳者あとがき(って程のものでもない)。〉 [近世怪談翻訳帖]

 5月終わり頃から翻訳作業を始めて、8月5日に全稿が仕上がった「浅茅が宿」現代語訳。
 この間、もう本当に色々ありましたわ。大袈裟な物言いになるけれど、この約2ヶ月ちょっとはこの翻訳だけが生きる縁になっていた。享徳の乱を背景にした夫婦の物語へ耽溺した時間は、現実から逃れることができていたものね。
 笑わば笑え。これが事実なることを知る人のみが首肯してくだされば、良い。
 次に現代語訳する近世怪談がなにか、まるで決めていない。風邪が治ったらあちこち本を引っ繰り返して、3つ4つの目星を付けてみるつもりでいる。◆

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第3456日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。9/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 寝ようとしてもなかなか2人共寝附けぬ晩だった。そんな晩、翁が問はず語りに聞かせた話に曰く、──
 「儂の祖父も、そのまた祖父も生まれていない、ずっと古のことだよ。この真間に1人の、それはそれは美しい娘御がおったそうだ。手児奈、というてな。身装(みなり)は質素で髪も梳らず、素足のまま野を歩き土を踏む、まぁ、田舎娘といえばそれまでだが、美貌で鳴らした人らしくその顔は望月のように冴え冴えと輝き、花がパッと咲いたような笑顔の持ち主だったそうだ。朝廷に出仕する女御更衣がどれだけ豪奢に着飾り、化粧に精出し、着物に香を焚きしめてみたところで手児奈の美しさに敵うものではなかった、という。
 そんな女であったから、里の男衆は勿論のこと、隣国や遠く都にまでその名は届き、評判を聞いた男は誰もが関心を抱き、なかには直接口説いてくる輩もあったらしい。が、手児奈はそんな男衆の浮ついた好意に靡くような女じゃなかった。いい寄ってくる男は1人の例外もなく退けたそうだよ。
 だがな、誰にも靡かなかったとはいえ、何人(なんぴと)も気附かぬところで深く憂いていたようじゃ。どうかして皆を傷附けることなく丸く収める方法を模索しておったのだろう。が、彼女の出した結論は、あまりに無残なものだった。つまりな、この先の入江に寄せて砕ける波間へ身を投げたのじゃ。むろん、助かろうはずはないな。
 古の人は手児奈の苦悶と最期を非道く哀れに感じて、その哀れの最たる例という意味も含めて歌に詠み、いまの世へ至るまで絶えず語り継いできたのだ。
 儂も子供の頃、手児奈の話は母から何度となく聞いたものだ。そのときの母の口ぶりときたら、お前、湿っぽくならぬよう淡々とした調子であったが、そんな風に話していても、手児奈の物語の悲しさというか、切なさやそういった感じは伝わってくるのじゃな。子供心にも哀れを誘われたものだったよ。
 手児奈のことを詠った歌か? たしか、こういうものじゃったな、──
  かつしかの 真間の入江に うちなびく 玉藻苅りけむ 手児奈し思ほゆ[29]
……もっと長いものらしいが、儂が子供の頃に聞かされていまでも覚えておるのは、この一首だけじゃ。
 それにしても、のう、勝四郎。お前を死して後まで想い続けた宮木殿の御心は、この手児奈のいじらしさ、真正直さにいっそう優って美しくありはせんかの?」
 ──漆間の翁の話はそうして終わった。翁は涙声である。仕方がない、話題が話題なのだから。加えて老齢になるにつれて人は涙脆くなってしまうものだから。
 いまや男やもめが確定した勝四郎の悲しみは、翁の比ではなかった。悲しみも極まるとその気持ちに言葉を与えて表現するのは困難なのである。
 翁の話を聞いて、真間の手児奈と妻なる宮木とを心のなかで重ね合わせていた勝四郎。およそ洗練とは無縁の、ゴツゴツした風合いながら、苦心して一首の短歌を詠んだ。無骨なるがゆえに却って思うことを正直に、飾ることも衒うこともなく、素朴な一首を読んだのである。曰く、──
  いにしへの 真間の手児奈を かくばかり 恋ひてしあらん 真間の手児奈を[30]
──と。
 故人への想いを十全に詠み得たとはいえないけれど、普段から歌を詠じることのある人のそれよりも、余程哀切の伝わってくる歌ではないだろうか。
 ……これは、仕事でしばしば下総国へ通う商人がかの地で聞いて、帰国後に誰彼となく伝えていた話をここに記録したものである[31]。□



[29]かつしかの 真間の入江に うちなびく 玉藻苅りけむ 手児奈し思ほゆ
 →出典;『万葉集』巻三「挽歌」433・山部赤人/長歌1反歌2の反歌-2。詞書「勝鹿の真間娘子の墓を過ぎし時、山辺宿禰赤人の作れる歌一首並に短歌」
[30]いにしへの 真間の手児奈を かくばかり 恋ひてしあらん 真間の手児奈を
 →出典/典拠:なし。秋成詠か。或いは周囲の歌人の作か。
[31]伝えていた話をここに記録したものである。
 →原文「かたりけるなりき。」は説話文学のスタイルを踏襲した〆括り方である。鵜月洋云「聞き伝えた話、語り伝えた話という意味で作品を結ぼうとするつもりで、こういう結語をとったのであろう」(P265 『雨月物語評釈』角川書店 1969/03)
 たとえば、『宇治拾遺物語』を任意に繙くと、次のような結語で〆括られる挿話が幾つもある。曰く、──
 「〜いひけるとか」 巻第十一・十一「丹後守保昌下向ノ時致経父ニ逢フ事」
 「〜とかたり侍けり」 巻第十・十「海賊発心出家ノ事」
 「〜となん人のかたりし」 巻第十・九「小槻当平ノ事」
──などである。秋成もこうしたスタイルに倣って、過去を舞台にした「浅茅が宿」を結んだのだろう。◆

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第3455日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。8/9〉) [近世怪談翻訳帖]

 よくよく見ればその老翁は、勝四郎も知っている昔からの住人、漆間の翁である。勝四郎は翁の長命を寿ぎ、長の無沙汰をわびた。そうしてこの7年間の顛末を語り、昨夜の妻との一件を語った。
 「なんでも家内の塚を拵えてくだすったり、水を替えるなどいただいているそうで、ありがたい限りです」
 そんなことを話しているうちにも自然と涙が零れてくるのだった。
 勝四郎の話を聞き、泣くのが収まるのを待って、漆間の翁は、勝四郎不在の間のこと、独り家に籠もってどこへも避難しようとしなかった宮木のことを語った(なんでも翁がここへ残ることになったのは、足が不自由で戦火を避けて逃げること困難だったため、という)。
 「そう、避難だ徴兵だ何だ、で、宮木殿と儂以外、この里に住む人間はいなくなった。当然、里はどこもかしこも荒れ放題となる。そうした場所には樹神(こだま)なんぞという妖怪の類が棲みつく、という。こんな風に変わり果てた里に、宮木殿のような美しきたをやめが独りして住まい、気丈に振る舞っている様子は、これまでの人生で見てきたもののうちでも、なんとも気の毒なものであったな」
 そこまでいって翁は一旦、口を閉ざして、ちらり、と勝四郎を見やった。勝四郎は俯いたまま、身じろぎもしない。翁は話を続けた。
 「宮木殿がお亡くなりになったのは、お前さんが都へ出発した次の年だったよ。夏で──8月10日だったな、あれは。亡骸をそのままにはしておけまいて。悲しみに暮れながら儂が自分で土を掘って棺に納め埋め、塚を拵えた。今際の際にでもお書きになったのだろうか、歌を書き留めた紙があったので、それを板切れ1枚に貼り付けて、墓石代わりにしてな。
 でも儂は字が書けんでの。亡くなった年月を書き添えてやることはできなんだ。おまけに寺は遠く、この足でもあるものじゃから、宮木殿に戒名を授けてもらうことも叶わんでな。そのことは本当に済まなく思うておる[28]。
 ──そうか、あれからもう5年も経ってしまったのだな。
 強気なところもあった宮木殿が、長年待たされたことへの恨み言の1つでもいいたくなって、お前さんの帰りに合わせて逢いに来たんじゃろう。一途でもあり、健気でもあり、可愛くもあるな。のう、勝四郎。そう思わぬかの?
 さあ、帰ってあげなさい。そうして奥様の霊を弔ってあげなさい」
 漆間の翁はそういって、勝四郎に帰宅を促した。が、かれの足はなかなか動こうとしない。そこで翁は促すだけでなく前に立って、勝四郎の家目指して歩き出した。「どれ、儂も行って、宮木殿の霊前に手を合わせるとしようか」といいながら。ようやく勝四郎も歩き始めた。
 ──葎が庭を埋め、蔦葛が壁を這い、屋根は?がれて床は落ち、梁も根太も丸見えになった家に着くと、2人は、宮木の塚の前に臥した。それから声をあげて、宮木の死や果敢無い生涯、夫へ寄せ続けた情愛の深さ、などを思って、嘆き悲しみ、彼女の霊を弔ったのである。
 その晩は翁もそこに泊まり、霊前で合掌して念仏を唱えるなどして過ごした。□



[28]「そのことは本当に済まなく思うておる」
 →これは亡き宮木に対する悔恨の台詞であろうか、それとも勝四郎への詫びであろうか。わたくしにはどうも前者のように受け取れる。◆

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第3454日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。7/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 里の人で知る者はないか──そう思い立つと勝四郎は涙を拭き拭きして腰をあげ、ふらり、と家の外へ出て四囲を眺め渡した。既に太陽は中天近くにまで昇っている刻だった。外を往来する里の者らしき人は何人も目に付いたが、どれも昔からの住人ではなかった。いちばん近い家を訪ねても、それは同じだった。というよりも、むしろ勝四郎の方が里人から、何者、と怪しまれる始末。そこで勝四郎は、この見知らぬ隣人に丁重に挨拶を述べると腰を低うして、いった。
 「突然で申し訳ありませぬ。わたしは昔、あの──」と、自分の家を指さした。「あの家に住んでいた者でございます。この7年の間、仕事でここを離れて京都におりまして、昨夜ようやく帰ってまいりましたら、あの有様です。留守の間は妻が独りで暮らしていましたが、どうやら亡くなったらしく、どなたかの手で塚が拵えてありました。家や妻のことでなにか御存知ではあるまいか、と思い、こうしてお訪ね申した次第です」
 対応した隣家の主人は、勝四郎の話を聞いて、大層不憫がった。が、その人はここに住むようになって、まだ1年ばかりなのだという。それ以前の里のことはなにも知らないらしい。いま真間郷で生活している者は皆、戦いが他の場所に移ったあとで住み着くようになったのだ、と教えてくれた。
 そういえば、とその男が、思い出したようにいった。「ここが戦場になる前から暮らしている方がお一人、おられます。時々あの家に入っていって、お水を替えたりして菩提を弔われている様子なので、なにか御存知のことがあるかもしれません。訪ねて訊いてみては如何でしょう」
 「そのような方がまだこの里におられたとは。早速に伺ってみます。その方のお住居はおわかりですか?」
 勿論、と男はいった。なんでもここから浜(江戸湾)の方向に百歩(ぶ)──約180メートル──ばかり行った土地(ところ)に麻畑があり、そこが件の人物の所有せる所ゆえ、近くに庵を結んで住まっている由。
 「ありがとうございます。では、これから行ってみます」
 勝四郎は頭をさげて礼を述べると、踵を返して、浜の方へとてくてく歩き始めた。しばらく行くと、麻畑[27]が広がる場所に出た。そばには隣家の主人がいった通り、小さな庵もあった。
 土間に造り付けられた竈の前で、腰の非道く曲がった70歳ぐらいの老翁が1人、藁で編んだ円い敷物に坐って、お茶を啜っている。その老翁、こちらへやって来る若者が勝四郎とわかるや途端に、
 「お前、どうしていま頃ノコノコ帰ってきた!?」
と、立ちあがって一喝した。□



[27]麻畑
 →下総国はむかしから麻の産地として知られていた。◆

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第3453日目2/2 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第05話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 既にお伝え済みではありますが、初見の方もおられようゆえ、これまでの第05話に関する発言要旨を述べた上で、本題に入ろうと思います。
 第01話から第04話までの平均登場時間、約2分強というシリーズ屈指のレアキャラ化していた鬼塚夏美。会社経営者である彼女が如何にしてLiella!に加入することになるか、それがようやく描かれてゆく第05話だったのですが、これを観てわたくしは胸糞悪くなった。斯くも人格の破綻した愚人がこれまでシリーズに登場した例しがなかったからである。
 正直なところ、〝コレ〟の卑しさに呆れて、視聴を止めようかと考えたことは二度や三度ではない。が、第1期に引き続いて最終話まで感想を必ず書くと決めてしまった以上、事務的であっても書いてお披露目するが義務と荒ぶ気持ちを宥めて、筆を執っている。当然録画したものを観ながらの感想執筆となるので、再び腸煮えくり返ることもあるだろうけれど、能う限り抑えて書いてゆくつもり──。怒り荒ぶることあらば、読者諸兄よ、どうぞお許し給へ。
 それでは──、



 要旨をまとめると、鬼塚夏美のイカレっぷりと平安名すみれの頼もしさ、1年生トリオの実力差に対する悩みの深さ、この3点が『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第05話「マニーは天下の回りもの」の柱となる部分であった。もう少し具体的に述べれば以下の通り。

 まずは鬼塚夏美の件。
 「オニナッツチャンネル」のチャンネル登録者数は68人。動画コンテンツは上から順番に「【現役JKが歌う】スクールアイドルメドレー アカペラで歌ってみた!」(723回再生 3日前)、「【激ヤバ】22時間ぶっとおしで寝てみた!」(102回再生 2週間前)、「【禁断】夏美のオニ辛口徹底追及〜時事ネタ編〜Part1」(221回再生 2週間前)、「【大食い】おにぎり100コ作って食べてみた【超過酷】」(118回再生・3週間前)。00分58秒〜01分01秒他の画面で流れた。
 それにしても……主体性なきアホ企画満載のチャンネルらしい。日経平均を気にかけていたのは「オニ辛口徹底追及」のネタとして観測していた可能性も出て来た。いずれにせよ高校生レヴェルの時事ネタ徹底追及である。他人のフンドシ借りて……が精々であろう。
 しかもこの直後の場面で判明するが、スクールアイドルメドレーの動画をあげていながら自分の通う学校のスクールアイドルのSNSをチェックしていなかった模様(01分14秒〜01分19秒)。いつの間にかこんなにフォロワー数が(増えていた)……というていたので、鬼塚がLiella!をチェックしたのは入学して間もない時期であったろうと推測できる。そうしてその後はまったくチェックしていなかったことも、推測できる。
 さて。
 いよいよ鬼塚がLiella!に接近した。なぜ、どのようにして? 目的はやはり、自身の動画コンテンツの再生回数増、いいね増、チャンネル登録者数増、であった。つまり、スクールアイドルLiella!の人気(この場合はフォロワー数と再生回数)に便乗して、これを巧くたらし込んで陣営に引きずりこみ、営利目的に活用する、というのが「なぜ」への回答。これは大方予想した通りであった。
 「どのようにして」に関しては案外と正攻法で接近した印象である。Liella!の人気を更に高めるため=ラブライブ!優勝を確実に視野に入れるため、自分の会社とタッグを組みませんか? あなたがたの広報役を務めますわよ。それが鬼塚の言い分。結構ストレートかつ包み隠さずの交渉だったので、視聴するこちらは却って拍子抜けした程だ。
 鬼塚の提案に、Liella!リーダー澁谷かのんは生徒会長たる葉月恋とスクールアイドル部部長嵐千砂都に助言を仰ぐ。恋はやや不安そうな口調ながら「そうした役を担ってくれる人がいてくれた方が、私たちは練習や作詞作曲に集中できますが……」と留保附きの同意を示した。一方で千砂都はかのん信仰が足許を掬ったか、「良いんじゃない」と一言で鬼塚の提案を受け入れることに前向きな発言をした。
 疑問なるはなぜここでかのんは、すみれと可可に意見を求めなかったのか、だ。少なくともすみれはどれだけネタにされてしまっていようと、ショービズ界を経験している唯一の人だ。かのんはそれをすっかり忘れ果ててしまっていたのだろうか。彼女はもう少し慎重になるべきだった。すみれに意見を仰がなかったこと、契約締結にあたってすみれを重用しなかったこと、この2つが鬼塚の台頭を許し、後に触れるLiella!分断を演出させたのだ。「チョロいですね」という鬼塚のかのん評も殊この件に関する限り誤りではない。
 本音をいえばもはや定例となっている会話の再現すらしたくないのが、検証のためには必要なので作業に取りかかろう。──鬼塚夏美の人格を、その言葉から考えたい。
 ○01分24秒〜01分32秒
  (Liella!のSNSをチェックしていて、)
 鬼塚;そうですわ。これを利用すれば……。(下心丸出しの表情で)にゃは〜。マニーですの。マニーですのー!!
 ○05分24秒〜05分52秒
 鬼塚;(ぼやく1年生トリオを盗撮して)くっくっく。あの3人がスクールアイドル部に入ったことで、1年生からの人気が急上昇中。私ともあろう者がさっさと利用すべきでしたの。Liella!のフォロワー数と動画の再生回数、そこにオニナッツのプロデュースによって起きる効果を加えると──にゃは〜ん。マニーですの、(下心丸出しの表情で)この世はすべてマニーですの〜!
 ※この直後、鬼塚はスクールアイドル部の部室を訪ねているのだが、驚いたり喜んだりするメンバーのなかで唯一、四季だけが疑惑というか厳しい目で鬼塚を見ているのが印象的である。本章を察するぐらい人間観察に優れた能力を持つのか、四季は。
 ○12分29秒〜12分53秒
  (自室にて。スマホ画面に「リエラ!とあそんでみた〜!(51,312回再生 チャンネル登録者数3,620人)」)
鬼塚;(自室にて)にゃは〜ん。マニー。来ましたの。再生数が、再生数が、どんどんマニーになってゆく〜! (自室の窓を開けて。鬼塚商店の看板、その横に(株)オニナッツの看板)マニーは天下の回りもの。遂に私に回ってきたんですの〜!!
 ○13分44秒〜13分56秒
  (学校屋上、1年生トリオ相手に撮影を始める鬼塚)
 きな子;今日も1日、撮影するんすか?
 鬼塚;勿論ですの。この前のゲームの動画であれだけ稼げたんですのよ。練習となれば……。
 四季;稼げた?
 鬼塚;うわっ、いやいや──
 かのん;遅れてごめーん!
 15分45秒〜16分13秒
  (夏休み明けの地区大会と学園祭でのステージについて、両方とも8人になったLiella!で臨むべきだと主張してそれに皆が同意した様子を見て)
 鬼塚;成る程。そういう構図になっているんですのね。
 すみれ;──どうかした?
 ※このときのすみれは既に何事かを見抜いている様子である。
 可可;ではランニング行きましょう!
 かのん;夏美ちゃんはどうする?
 鬼塚;あー、では撮影しながらついていきますの。(ランニングについてゆくが息切れしてバテそうになる。走りながら)だがしかし登録者数のため、マニーのため、Liella!は使える……。
 ○19分59秒〜22分15秒
 鬼塚;では、本当に怒っているわけではないんですのね?
 きな子;はいっす。明日もよかったら来てほしい、って。
 四季;いってた。
 鬼塚;──思ったよりチョロかったですの。
 きな子;チョロ?
 鬼塚;いえいえ、では明日からも普段通りに。
 ○21分54秒〜
 鬼塚;(部室の外で、1年生トリオの別行動が許可されたことを盗み聞きして、)くっくっく。上手くいきました。上手くいきましたの。分断成功。あとは夏美の思うがまま。(屋上に飛び出して)マニーですの。マニーですの〜!
──如何であろう。
 アニメだからとて許容されて然るべき範囲を超えている。これ程『ラブライブ!』シリーズの世界観をぶち壊して傲然とのさばっているキャラクターも、珍しいのではないか。『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の鐘嵐珠や三船栞子は、スクスタ版からアニメ版へ移行する際設定が大幅変更されて、人気度など赤丸附きで急上昇していった(回復した?)人たちだった。しかし鬼塚夏美にスクスタ版という、仮に黒歴史であってもアニメ化で設定変更されて相殺される履歴はない(Liella!メンバー全員対象者ではあるけれど。というかそもそも、『ラブライブ!スーパースター!!』がスクスタに参加していない──これを幸運と取るか否か、わたくしにはちょっと判断できない)。
 前稿にて結構糞味噌に罵倒したが、その思い、残念ながら本稿執筆の現在でも変節する様子がない。やはり何度観返しても鬼塚夏美は畜生で、愚人で、人格破綻者で、思考回路と精神構造に重篤な欠損のあるキャラクターという印象は維持されている。次回第06話「DEKKAIDOW!」での言動次第でまだこちらの印象、変わる余地はあるけれど、期待するは殆ど無駄であろうか……?

 第1期から第2期で格段に成長したのが、平安名すみれである。第1期では事ある毎にショービズ界の経験を鼻にかけていた彼女であったが(※)、殊本話に関してはプラスの方向に働いた。
 論より証拠。2つの場面での会話を再現しよう。曰く、──
 ○08分10秒〜08分25秒
  (部室で鬼塚のプロデュース案を聞いた後、可可宅前の歩道にて)
 すみれ;(かのんのスマホに転送された(株)オニナッツの契約書を読む)報酬は受け取らない……但し制作費の実費として、動画収入を株式会社オニナッツが受け取ることとする……。
 って、これをOKしたの!?
 かのん;うん。別にわたしたち、お金儲けしたいわけじゃないし。
 すみれ;でも──!
 ○17分31秒〜18分29秒
 すみれ;(オニナッツチャンネルのサイトを鬼塚に突きつけて)これについて話があるんだけど?
 恋;エルチューブ、ですか?
 可可;急になんの話デスか?
 すみれ;これ、この前の動画とか確認したんだけど、結構再生数稼いでいるみたいね?
 鬼塚;うあっ……それはよかったですの……(冷や汗を垂らしながら)。
 すみれ;あんた、プロデュースとかなんとかいいながら、私たちを利用してお金儲けしようとしているんじゃないの?
 鬼塚;い……。
 可可;なにをいい出すかと思ったら、すみれみたいな卑しい考えといっしょにするな、デス。
 千砂都;そうだよ。今日だって──
 四季;実は、私も調べた。このまま行くと、将来的な収益は──
  (四季、推定数値を可可、恋、千砂都に見せる)
 恋;こんなにですか!?
 可可;知らなかったです!
 千砂都;私たちに内緒で──。
  (鬼塚に鋭い眼差しを向けるすみれたち5人)
 鬼塚;いや、これはですね……
 すみれ;ちゃんと説明してもらえる? ショービジネス的にはあり得ない話なんだけど?
 鬼塚;むうー。(逃げる)
 ○18分37秒〜18分44秒
 かのん;夏美ちゃんが?
 恋;すみれさんの話が正しければですが……。
 可可;お金に関しては流石、カンが鋭いですね。
 すみれ;言い方!
──と。
 Liella!メンバーのなかで契約書なるものといちばん親しんでいたのは、他ならぬすみれであった。子役時代(グソクムシ時代)、実際に製作サイドと契約を交わす役は保護者やプロダクション関係者であったろうが、それでも契約書というものがどういう性質の書類か、隅々まで読んで署名捺印しないと時に意に反した仕事をこなさねばならぬ場合もあること(ex;『青春ブタ野郎』シリーズ桜島麻衣のケース)、ギャラに関わる一切の文言を読み落とさぬこと、なによりも自分たちが未成年者(制限行為能力者)であるがゆえに保護者やそれに準ずる立場の成年者を法定代理人としてその同意なく締結された契約は無効となること、など業界経験を通して肌で味わい、身を以て経験し、事務所や保護者から聞かされてきたであろう。
 それゆえに上記かのんに見せられた契約書の内容について驚き、かのんに「この内容にOKしたの!?」と詰問したのだ。それでもすみれは鬼塚の行動と人によっては聞き漏らしかねない発言に不審を抱き、オニナッツの動画サイトを視聴してLiella!を取りあげた動画の再生回数と他の動画の再生回数の極端な差に着目し、Liella!動画再生回数と1回の投げ銭上限を掛けて鬼塚の懐へ入る収入額を計算し、(明確な知識の有無にかかわらず)民法6条に抵触する可能性をチラつかせたのは、すみれでなくては決してできなかった行為といえる。
 このあたりの反撃はあらかじめLiella!メンバーについて知識を仕入れていれば、対策を講じることができたはずである。それができていなかったというのは、単に鬼塚の準備不足であり、相手を見くびっていた証左に他ならない。鬼塚はかのんを指して「チョロい相手だ」と発言したが、それがそのままブーメランとなって返ってきたわけである。鬼塚を指して愚人というは専らこの点を指しての言だ。商取引相手のリサーチを怠るなんていう商売の基本を欠くようでは、鬼塚夏美の経営者能力に大いなる疑問を呈さざるを得ない。本話に於ける鬼塚最大の誤算は、Liella!メンバーに芸能活動の実績を持つ平安名すみれがいたことである。
 それにしてもなぜかのんはすみれになにも相談や助言を仰ぐことがなかったのであろう。もっとも過去の(第1期の)すみれの(かのんへの)対応──たとえば第05話に於ける学園祭問題を巡る普通科内の説得など──を見ていれば、相談相手とするには考えてしまうことあるかもしれないけれど、それでもLiella!1期生はすみれの履歴に敬意を表して相談等するべきであった。そうすればすみれ自身では解決できなくとも、これまでの人脈や親御さんを通して解決の糸口を見出すことができたかもしれない。そも鬼塚の提示してきた契約内容に疑い有りや無しやを訊ねることができたはずだ。
 勿論主たる原因は鬼塚に帰せられるが、かのんたちLiella!側にも此度の争動の一因はあるといわざるを得ない。未成年者であっても法的書面を交わすことに危険は伴うのだ、とはおそらくすみれのみが知ることであり、そのすみれに相談を仰がなかったことは彼女を除くLiella!側の失態としか言い様がないからだ。
 厳しくも真面目なことをいうたが、これが本件に関するわたくしの見解であり、感想である。

※但し9割方は可可に粉砕される。なお、2人の秀逸なるボケツッコミが回を重ねるごとに夫婦漫才化したことと、第1期第11話以後見せた素直になりきれない友情の育みと秘密の共有が、絆を強固にしたのだ。その結果、”くぅすみ”かぷという、或る意味『ラブライブ!スーパースター!!』最強クラスの萌えの温床を提供することに。このお陰でファンの脳味噌はいつも蕩けさせられている。

 そもLiella!の日常と練習に潜りこんだ鬼塚が、本話終盤で2年生と1年生の分断を実現させたのは、練習帰りの1年生のぼやきを盗撮したのが発端であった(05分04秒〜05分54秒)。
 ではそのぼやきとはどのような内容だったか。練習していて否応なく感じざるを得ない先輩メンバーとの圧倒的な差について、であった。どれだけ練習しても追いつけない、却って足を引っ張っているだけではないか、2学期に控えるラブライブ!地区大会と学園祭のステージで自分たちはLiella!メンバーとして恥ずかしくないパフォーマンスができるのか、エトセトラ、エトセトラ。
 どれだけ嵐部長が「練習メニューも少しリニューアルしてみたよ。1年生も増えたし、それぞれに合ったところから始められたらいいかな、って」(03分21秒〜03分28秒)と配慮してくれても──それでも1年生にはキツかったのだ。きな子は(予想通り)倒れこみ、メイもそれに続き、一人平然と汗を拭いているように見えた四季さえ「私も結構ギリギリ」という始末(03分39秒)。
 無理のない話だ。既に1年の歳月が経過しているのだから、先輩メンバーとの間に差はついて当たり前である。入部して2ヶ月3ヶ月程度ならば、その差は多少なりとも埋まったとしても比肩して見劣りなしと万人が認められる程にパフォーマンスが仕上がっていることは、まずあるまい。
 それに顧みるまでもなく2年生メンバーと1年生メンバーには、スクールアイドルを始める以前から、それぞれが持つスキルに圧倒的差異が生じている点を忘れてはならぬ。かのんの堂々たる歌唱力と伸びやかな声と豊かな声量(肺活量)。千砂都のダンスと恋のバレエ、即ち2人とも身体能力の高さと基礎体力が備わっている。すみれの芸能界経験で培った適応力と吸収力の高さ。可可の……可可の……苦手を克服して夢を達成させる意志の強さとブレのなさ。既にメイからきな子に伝えられたことを、ここでは変奏させてみた。1年生組には予めわかっていたことであろう。
 しかし、それでも彼女たちは先輩メンバーに追いつかなくてはならない。なんとなればいま自分たちが所属しているスクールアイドルは、次回ラブライブ!の優勝候補で多くのファンや関係者から注目されているLiella!なのだ。それに恥ずかしくないパフォーマンスをすること、それが(過程はどうあれ)Liella!に加入したきな子、メイ、四季3人に課せられた使命だ。
 でも、本話にて1年生トリオの特技というか隠れた才能も徐々に披露されてきた(03分40秒〜04分49秒)。四季は「ダンスやってたの?」と千砂都に訊かれて否定するもスクールアイドルの動画を観て踊っていたことがあるようだし、メイは、四季が暴露したことでピアノが弾けるという特技を皆の前で披露した/させられた。弾いた曲は、シリーズ史上屈指の名曲と思うクーカーの「Tiny Star」であった。そうしてきな子はノートに歌詞を書き溜めていることが先輩メンバーたちの知るところとなっていた。
 理想と現実のギャップに悩むのは10代であれば誰しも経験あること。それを彼女たちはいま、部活動で経験した。先輩たちのパフォーマンス、そのクオリティに自分たちは歌もダンスも到底及んでいない……そりゃあ、帰り道に3人並んでベンチに坐って、「はあ……」と溜め息を吐きたくなるよな(05分04秒〜05分23秒)。わかるわ、この感覚。部活ではないけれど、様々な場面で味わってきたから。
 そこに鬼塚に付け込まれた3人は不運であったかもしれない。彼女たちの口惜しさや失望感を利用した鬼塚。夏休みの間は先輩メンバーと別行動して、自分たちを見つめ直してみたい=自分たちのパフォーマンスを向上させるべく自主練したい、と嘆願したメイたち3人の言葉のどこまでが鬼塚の入れ知恵で、どこからが彼女たちの本心であるのか、経緯が説明されていないため判別は付きかねる。
 ただ、ヒントはある。20分14秒から21分03秒の場面である。曰く、──
 メイ;ってことは、これからも動画を公開するのか?
 鬼塚;勿論。それが私の仕事ですので。──ん? なにかあるんですの?
 メイ;いや、事実だから仕様がないんだけどさ。もし日常だけじゃなくて、歌やダンスの動画をLiella!のファンが観たら、1年生と2年生で実力に差があるって、はっきりわかっちゃうよな、って。
 鬼塚;それは……
 きな子;笑われるっす。
 四季;間違いない。
  (困り顔できな子たちを見る鬼塚。なにかを思いついた表情で)
 鬼塚;にゃは〜ん。思い着きましたの。わたしたちは全員、1年生。皆さん、ちょっとご相談がありますの。
──と。
 鬼塚は確かにLiella!を、2年生と1年生に分断した。が、その分断はLiella!に向けられた黒い感情ではなく、むしろ1年生の技術向上のための分断であった、と考えられるのが、上記に再現した1年生カルテットの会話である。むろん、鬼塚とて無償の協力ではあるまい。1年生たちの自主練の場を提供する代わりに練習風景を撮影させてほしい、と交渉でもしたのであろう。ギブ・アンド・テイク。資本主義の原理に則った、極めて妥当な行為である。
 それをふまえた上で次回第06話予告を観ると、鬼塚がストーリーラインを作ったとしても、それは案外と建設的なそれであったようにも思うのだ(あくまで表面上の話)。
 というのも、3人の練習風景を撮影する鬼塚の表情や、わざわざ北海道までやって来たのか、かのんの鬼塚に対する慈母の如き表情などからして、鬼塚も流石に露骨な提案はしなかったであろう。しかもそれは、公園に居合わせたメンバーから鬼塚の企みと収益を聞かされたあとなのだ。確かに部室での曇った様子のかのんは気になって仕方ないが……。救いというか期待したいのは、予告の最後に流れた1年生カルテットの笑顔である。これが予定調和といわれようと幸福な着地点となってくれることを望みたい。
 正直なところ、第05話から第06話までどのような(視聴者が納得できるような)ブリッジが架けられ、どのようにして鬼塚に対するメンバーの不信が解消されてLiella!加入に落ち着くのか。まったくその流れが見えない。第1期に於ける恋のLiella!加入の流れよりも不透明で、考える程にモヤモヤした気分に襲われる。
 かつてすみれに関する考察を第1期放送中に書いて、本ブログでお披露目した。そのなかで述べたことの言い直しになるが、今後の展開で鬼塚への新章が回復するようなことがあればいいな、と心の底から希望している。
 ──ふと思うのは、鬼塚はLiella!メンバーとしてパフォーマンスするよりは、邪念を棄ててその広報に徹した方が良いのではないか、ということ。振り返ってみれば、それは恋ちゃんの希望でもあった。その方が鬼塚も自分の能力をフルに発揮して、様々な面でLiella!に貢献できるのではないか。難しいかなぁ。
 ……そういえば、シリーズ先行作に似たようなポジションの方がおられましたな……その名を、高咲侑、っていうんだけれど。そっか、侑ちゃんか……成る程。この2人が接触したら瞬く間に鬼塚は侑ちゃんにマウント取られて、その色に染めあげられるんだろうな。え、その色ってどんな色、って? だって『ラブライブ!』じゃん。



 追加で申しあげることがあるとすれば、レジェンドスクールアイドルが創りあげた〈9の奇跡〉で可可とメイが大騒ぎした場面(06分02秒~06分32秒)と、可可の部屋でゲーム機を見附けてそれに夢中になる場面(10分28秒〜11分35秒)ですね。特に恋ちゃん、皆の会話そっちのけでゲームに興じている横顔、とっても可愛いです。生徒会や音楽科の生徒はこうした恋の姿、知っているのかなぁ。◆

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第3453日目1/2 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。6/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 夏夜にもかかわらず過ごしやすい晩だった。障子紙の破れ目から松風が途絶えることなくそよそよと吹きこんできていたせいかもしれない。勝四郎は寝苦しさを覚えることなく明け方まで、旅の疲れと帰宅した安心感からぐっすりと、寝入ったのである。
 ──五更、というから、現代でいえば午前4時から6時の間。夏であるから空が白んで太陽が昇る頃だった。
 幾ら涼しい夜だったとはいえ、流石に寒さを感じた。勝四郎は寝ぼけ眼のまま、そこにあるはずの夜着を被ろうと、手を伸ばして探った。なにやら、さやさやいう音が耳朶をくすぐるのに気附き、今度は本当に目を覚ました。
 顔にひんやりとしたなにかが触れた。触れた、というよりは、零れてきた、という方が正しいか。おや、雨漏りでもしているのかな。勝四郎はぼんやりした頭でそんな風に考えた。が、それはすぐに新たな疑問に打ち消された──昨夜、雨なんて降ったっけ? 勝四郎はその瞬間、がばっ、と起きあがって、あたりを──懐かしきわが家を見回した。
 果たして、なんとしたことか──家はわずか一晩のうちに荒れ朽ちていた。
 風にまくられて屋根は剥げ、梁と梁の間から白んだ空が見えた。有明の月、中天の星がその空にはまだあった。扉は外れ、床板は剥がれ根太が覗いている。床下の地面からは荻やら薄やらが好き放題に、背を競うように伸びていた。
 先程勝四郎の顔に零れたものの正体は、この荻や薄の穂に付いた朝露が偶々夜着の上に落ちて濡らし、それを被ったがゆえにかれの顔へその滴が零れたのである。
 更に顔を巡らすと、壁には蔦葛が這い、庭は葎で覆い尽くされていた。
 その印象を一言でいえば、まさしくボロ家、である。
 狐狸の見せる幻か。否、現実だ。どれだけ荒れ朽ちて草生す廃屋となり果てても、ここは住み馴れたかつてのわが家である。好みや要に合わせてしっかりと造作のされたわが家だ。
 呆然とした表情で勝四郎は、床が崩れて足の置き場もない家のなかを改めて見渡してみて、ああそうか、と殆ど直感のようにして悟ったのである。宮木は──いつのことかわからないが既に身罷っており、住む人をなくしたこの家には代わって狐狸が棲みつくようになったのだな。であれば、妖しの存在が幻を見せたとしても、いっかな不思議じゃあない。もしかすると俺の帰りを察して黄泉の国から戻ってきた妻の魂が、あんな風に繰り言をいったのかもしれないな。だとしたら、俺があいつのことをずっと想っていたのと同じように、あいつも夫の俺を終生想ってくれていたのかなぁ……[25]。
 そう考え至った途端、勝四郎は目が熱くなった。が、滂沱と滴り落ちてもよさそうな程の涙は、流れてこない──あまりの慟哭の深さに却って涙の一粒すら零れてくれないのだ。まァ、そんなものであろう。あまりに深い哀しみに直面したとき人は、得てしてそうなるものなのである。
 妻は逝き、家は廃れ、あたりの様子も含めてなにもかもが変わってしまった。なのに自分だけが昔と変わらず、ここにこうしてある。
 そう独り言ちながら勝四郎は家内をあちこち歩いて回り、最後に、夫婦がむかし寝室として使っていた奥の部屋に辿り着いた。ここも床板が外れていた。床の裂け目に目をやると、露わになった黒い地面の一部が、他よりすこし高く盛りあがっている。それは、塚、なのだった。それを守るようにして三方は板切れで囲まれ、雨露を防げるよう屋根が、やはり板切れで設(しつら)えてある。
 昨晩の妻の霊はここから出てきたのか、と嘆息した。怖い、というよりも、懐かしい、とか、愛おしい、という感情の方が、かれのなかで湧き起こって優った。昨晩の宮木の言葉や表情や肢体が勝四郎の心のなかに浮かんでは消えてゆく。
 ふと視線を動かすと、塚の前には手向けの水が注がれた器がある他、一片の木片が刺さっていた。古びた那須野紙が貼ってある。なにか、書いてあった。所々は薄れて判読もすぐにはできない程だが、そこにあるのは確かに宮木の筆跡である。
 よくよく読むと、書かれているのは法名や月日ではない。短歌が一首、書きつけられている。曰く、──
  さりともと 思ふ心に はかられて 世にもけふまで 生ける命か[26]
──と。
 事ここに至ってようやっとかれは、妻の死を確認することができた。途端、大いにむせび泣いて、泣いて、泣いて、膝から崩折れて、妻の名を呼び、泣き叫んだ。
 ……。
 ……息も絶え絶えの勝四郎は、木片に手を伸ばして、那須野紙の隅にまで目を凝らしてみた。が、妻の命日となった月日は、手掛かりだに残されていない。大切な人がいつ身罷ったのか詳らかにならぬとは、なんと情けなく、また惨めであろうか。□



[25]「あんな風に繰り言をいったのかもしれないな。だとしたら、俺があいつのことをずっと想っていたのと同じように、あいつも夫の俺を終生想ってくれていたのかなぁ……」
 →勝四郎は本当に脳天気かつ自分本位かつお目出度い人物である。昨晩の宮木の台詞が繰り言とわかっているなら、想い想われだけで出てきたわけじゃあるまい、とわかりそうなものだが。もっとも、想うているからこそ繰り言の一つも出るのだ、ということは理解しているようだが、……。少なくとも勝四郎の如き人を知己には持ちたくですな。
[26]さりともと 思ふ心に はかられて 世にもけふまで 生ける命か
 →典拠;『敦忠集』(権中納言敦忠卿集)並びに『続後撰和歌集』巻十三恋三「さりともと おもふこころに なくさみて けふまてよにも いけるいのちか」(857)◆

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第3452日目2/2 〈『LLSS』S2#05感想文について。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 標題の件、以下のように申しあげます。
 本来なら既にお披露目されているはずの『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第05話感想文ですが、明日中に公開致します。
 鬼塚夏美の愚人ぶり人格破綻者ぶりに腸煮えくり返る思いを抱くも、数日かけてどうにか抑えられるようになりましたので、上記のように申しあげる次第。
 感想執筆等のため観返して再燃する可能性極めて濃厚ながら、最終話まで感想を書くと決めてしまった以上、今回(とおそらく来週の第06話も)は事務的にであっても片附けてしまおう、というわけであります。文章は感情を暴走させる、といいますのでその点はくれぐれも自重して。
 単なるヒール役ではない、ただの精神構造と思考回路に重篤な欠損あるキャラクターを『ラブライブ!』シリーズでお目に掛かるとはね……。
 うーん、かのんたちは株式会社オニナッツに対して法的措置を講じて、契約撤回を申し出ることはできないのかな……別のアニメになってしまうよ、という意見はこの際無視で。◆

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第3452日目1/2 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。5/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 女の声が返ってきた。1日とて忘れたことのない、──記憶にある、若々しく溌溂とした声ではなかったけれど。随分とねびたれた(年齢を感じさせる)声ではあったけれど──たしかに妻の声である。夢ではないか? 否、現実だ。そうすぐに信じた。
 勝四郎は震える声で、家のなかの女性──妻宮木にいった。
 「俺だよ、宮木。勝四郎だ。随分と待たせてしまったが、いま京都から着いたところだ」われながら喉の奥から絞り出したみたいな声だった。「まさか、まだここにお前が住んでいるなんて……知る人のいなくなった浅茅が原に、まさかお前が独りで……」
 刹那の後、扉の向こうで閂を外す重い音がした。それから、そっと静かに、扉が開かれてゆく。燈火の灯るのを背にして顔を覗かせた女人は、咨、幾分やつれこそしたものの、かつての面影を面に残した宮木である。
 屋内からの明かりが、暗がりのなかを進んできた勝四郎の目には眩しく感じられた。が、目がそれに馴れてきて、改めて宮木の顔をまじまじと見ると──どれだけ面影を宿しているとはいえ、やはり流れた歳月と世情の艱難が、容(かんばせ)の上にしっかりと刻印されているのがわかる。肌色は垢づきのためもあって黒ずんでおり、張りは失われていた。目は、疲労が蓄積されていたり、もしかすると病気を患っているのかもしれない、ひどい落ち窪みようであった。以前はきちんと結っていた髪もいまはサンバラ髪になって梳っていない様子で、艶はなくなっている。手入れをしていないその髪は、背中へ流れて腰まで落ちていた。
 7年ぶりの再会に、さめざめと涙を流す妻。彼女を前に勝四郎はその変わり様にしばし言葉を失っていたが、気を取り直すと、こういった。
 「てっきり戦に巻きこまれて死んだものだとばかり……生きているとわかっていたら、無駄な時間を過ごさず、無理を押して帰ってきたのに……」
 そうして7年前の夏の朝[21]、真間を発って今日帰ってくるまでのことを、あれこれ話して聞かせたのである。「ずっと淋しい思いをさせてしまって、済まなかった」と結んで、勝四郎は自分の話を〆括った。
 身じろぎもせず、ただ涙を流しながら聞いていた宮木が、今度はこの7年間のことを問はず語りした。
 「秋には帰る、というあなた様を信じて待っているうち、世は戦乱となり、ここも戦場になりました。どんどん人が消えてゆき、野良者がうろつくようになると、夜は勿論、昼間も安全とはいえなくなったのでございます。そんな連衆から何度となく脅されたり襲われそうになりました。けれど、わたしはあなた様の妻でございます。あたらそのような輩に手籠めにされて貞節を汚すよりは、と思い、堅く戸を閉ざして退けてまいりました[22]。
 でも、約束した秋になってもあなた様は帰らない。秋の間、待てど暮らせどあなた様の姿はない。様子を知らせる文もない。ならばいっそのこと、わたしが京都へ参ろうか、そうしてあなたを捜そうか──本気でそんな風に考えたのですよ。
 でも、京都への道は至る所に関所が設けられた、というではありませんか。ますらをにさえ固く閉ざされた扉が、どうしてたをやめの前に開かれましょう。泣く泣く諦めてわたしは、あなた様もご覧になったはずの、あの(といって、宮木は勝四郎の背後の松の木を指さした)、雷に砕けた松を話し相手に、狸梟を孤独を紛らす友にして、今日まで暮らしてきたのです。
 そりゃあ、ちょっぴりは恨みもしましたよ[23]。帰ってくる、といった季節に、事情は先程の話でわかりましたが、帰ってこなかったのは事実なのですから。文の1つもお寄越しになりませんでしたものね。
 でも、もう良いのです。なにはともあれ、あなた様は無事に、こうして帰ってきてくださった。なんの思い残しもありません。わたしはただ、再びお逢いできたことが嬉しいのです[24]。
 お帰りなさい。あなた……」
 話し終えるや泣き崩れた妻を勝四郎はすぐに抱きとめ、肉が落ちてすっかり細くなってしまった体をかき抱いた。宮木も夫の背中へ腕をやり、胸元へ更に深く顔を埋めた。
 「夏の夜は短い。つもる話は明日にして、もう寝(やす)もう」
 勝四郎はそういうと、家の扉を閉め、宮木を伴って布団へ横になった。□



[21]「そうして7年前の夏の朝?勝四郎はそういうと、家の扉を閉め、……」
 →コイツら、家の扉口でなに長語りしてるんだ? 一旦家に入れや、といいたい。そんな風に思うのである。隣近所の人が訪ねてきて立ち話してるんじゃないんだからさ。
[22]「けれど、わたしはあなた様の妻でございます。あたらそのような輩に手籠めにされて貞節を汚すよりは、と思い、堅く戸を閉ざして退けてまいりました」
 →ここから宮木の死因について考えることはできないか。この台詞や後の漆間の翁の台詞、或いは真間に独り残った宮木を手籠めにしようとしていた人のある描写などを総合すると、彼女の死因は病気とか餓死とか、そうした自然死の類ではない、と思える。
 野良者たちが遂に家に押し入って、宮木を手籠めにして挙げ句殺したのではないか。いわゆる強姦殺人、押し入り殺人である。深読みすると、そんな結論を導き出してしまう。
[23]ちょっぴりは恨みもしましたよ
 →女が、「ちょっぴり」といったときは、「かなり」のいい換えでもあることに留意せよ。
[24]なんの思い残しもありません。わたしはただ、再びお逢いできたことが嬉しいのです。
 →霊が、この台詞を想い人にいっているかと思うと、自然と涙が出て来るな……。◆

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第3451日目2/2 〈このニュースに接したのも、「なにかのご縁」です。〉 [日々の思い・独り言]

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 08月16日 始値1,035円 終値1,024円
 08月17日 始値1,031円 終値1,051円

 病癒えて復調しつつあるこの1週間、自宅で購読する以外の新聞をコンビニで買って目を通している。エッセイ執筆準備の過程で新聞活用術・勉強術の類の本を読んでいるうち、その熱にあてられていろいろ買いこみ、各紙のカラーの違いや同じ内容の記事の読み比べを楽しむようになったのだ。そうした本に書かれているような、或る新聞では報じているが他では報じていないものがあることを、自分でも知った。
 シャープが「液晶事業への回帰を進めている」と報じたのは、08月17日付朝日新聞の経済欄、中村建太氏の署名記事。
 同社の液晶事業と聞いて株主でなくても脳裏を過ぎるのは、AQUOSの華々しいCMと、中国や台湾の新興メーカーに圧されて売上げが激減したニュースだ。一消費者としてはこれを以て日本は、電機産業大国の覇者の座から陥落したという印象が強い。この20年、わが国の電機産業の栄華はその残滓を舐めるが精々の印象である。
 今年2022年春、台湾の鴻海精密工業がシャープを買収。それに伴い液晶パネルを製造していた堺ディスプレイプロダクト(株)(SDP)はシャープと鴻海の共同運営に切り替わった。
 にもかかわらずこの夏、シャープはSDPの完全子会社化を発表したのである。先行き不透明な企業が、子会社とはいえやはり営業不振の企業をまるごと抱えこむのは「シンプルな戦略」(当該記事、シャープに近い関係者談より)だそうだ。本当に大丈夫なのか……、と株主たちの間に不安が際限なく広がってゆくのは自然の理。
 が、わたくしの如き楽観的な経済の素人は思うのである;これが電機産業大国日本の復活の狼煙になるのではないか、と。エビデンスはない、勘と希望でいうだけだ。不安は確かに募る。当時株主でなくても、シャープ株の低迷と事業の行き詰まりは見ていて唖然とした。しかしいまは、このニュースに期待の一欠片を見る。
 上に掲げたのは既におわかりのようにシャープの、昨日と今日(一昨日と昨日、ですか)の株価だ。普段買わない朝日新聞でこのニュースに接したのも、黒髪の乙女ではないが「なにかのご縁」。──なにをいいたいかはお察しあれ。
 それにしても──このニュース、読み得た限りの08月17日付新聞では、朝日新聞でしか読めなかった。報道自体は既に初夏の頃からされていたので他紙が記事にしなかったのも宜なるかな。ではなぜ朝日新聞だけが?
 ああ、そうか。これが所謂、「まとめモノ」記事(松林薫『新聞の正しい読み方』P112 NTT出版 2016/03)というものなのかもしれぬ。◆

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第3451日目1/2 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。4/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 世の動乱は箱根山の向こうの関八州のみに留まらず、次第次第に全国へ飛び火してゆく。飛び火した先では新たな動乱が生まれた。京都も例外でない。
 まず、隣接する河内国で畠山家[18]の家督争いが勃発した。同族相食む争いは解決の糸口の見えぬまま泥沼化していった。3代将軍義満によって南北朝が統一[19]されて以後──少なくとも外見上は──泰平を謳歌していた都を、キナ臭い空気が覆った。人心も落ち着きを欠いていった。
 その京都も災いに見舞われた。春のことだ。疫病が蔓延して、多くの人が命を落とした。往来には屍が棄てられ、積みあげられ、死臭が漂った。その光景は、あたかも人の世の終わりが現出したようだ。──罹患を免れて次の日を迎えられた人は、屍が無造作に打ち棄てられた町の様子を目にして、心の限りに悲しく、痛ましく思い、同時に、無情、ということを思わずにいられなかったのである……。
 勝四郎も、件の光景に接して、心中思うところのある1人だ。武佐に長く住んでいるとはいえ、特段、所縁ある地でもなければ、ここに定まった仕事があるわけでもない。児玉も所詮は他人で、好意に甘えて然るべき身内ではない。──果たしてこのままで良いのだろうか? 否、良いわけがない。
 浮浪者(ふらもの)同然の生活を続けるぐらいならいっそ、命の危険を賭してでも故郷へ帰り、妻の跡を訪ね、もし本当に亡くなっているなら塚を建てて、弔ってやるべきではないのか。
 そう倩思い悩みしていた勝四郎だが、ようやく決心すると、梅雨の晴れ間の1日を選んで武佐を発ち、真間を目指した。10日ぐらいの旅であった。勝四郎がこのとき、どんなルートを辿ったか、詳らかにしない。
 ──。
 なつかしい真間郷へ着くと、既に宵刻。陽は西に沈み、雨雲を敷きつめたように空は暗い。地を照らす明かりはなにもなかった。足許がおぼつかない。が、久しく帰っていなかったとはいえ、祖父の代から暮らす里である。迷うこともあるまい──勝四郎はそう思い思いして、夏野をかき分けて、家があると思しき方角へ進み、古歌に詠まれた継橋の落ちた川を越えた。馬のいななき、足音もしない宵の真間[20]。田畑は手入れする人もなく、荒れ放題、放ったらかしにされたまま。旧の道もいまはどこやら定かでない。かつてそこにあったはずの人家もそこで生活していた人々の姿も、ない。偶さか行き交う人ありと雖もむかしからの里人には非ず。同じく時々人家を見るもむかしからの家にや非ず。
 そんな風に変わり果ててしまった故郷を歩きながら勝四郎は、段々と不安になってきた。自分の家はどこだろうか、と。いまいる場所で立ち惑うてから、更に20歩ばかり歩いてみると、──
 折良く雲の間から星影が覗き、地はやさしく照らされた。そのなかに、落雷で幹が割れた松の老樹のシルエットが浮かびあがる。勝四郎は、はっ、と息を呑んで、その松を凝視した。自分の家に昔からあった松に相違ない──あれぞわが家を知らす導!
 あふれんばかりの喜びを胸に歩を進めながら目を凝らして行く手を見やると、その松の向こうに一軒の家が、闇のなかでうずくまるように、しかし昔と変わらぬまま建っていた。誰かが住んでいるらしく、戸のすき間から燈火が細く洩れている。──ここに住む人もまた、むかしと同じ人ではないのだろうな。諦め半分の勝四郎だったが、宮木がいて、あれからずっと自分を想い慕い夫たる自分を待ってくれているのかも……という身勝手かつさもしい期待も半分、持っていた。
 家への路の窪みや石ころ、勝手気儘に生え伸びた草に足を奪られて転ばぬよう、はやる気持ちを抑えて、勝四郎は、松の傍らを過ぎて家の前に立った。閉ざされた扉の前で、コホン、とわざとらしく、なかの人にわかるぐらい大きく咳払いをする。
 と、それを聞きつけて、家のなかから、
 「どちら様ですか?」□



[18]畠山家
 →畠山政長と畠山義就兄弟(同根)による家督争い。既に兄弟の間には享徳の頃より不和の種蒔かれ、度々衝突を繰り返した。寛正2/1461年6月、山名是豊・毛利豊元の後援を得た政長が義就を破って、家督を継いだ。が、これに黙っている義就でもなく、応仁元/1467年、政長を京都に攻めた。ここに斯波家や将軍家の家督争いが絡んで、応仁・文明の乱が勃発した。
 家督争いが度々各家で発生し、時に国を揺るがす大事に発展するのは、南北朝時代この方、嫡子単独相続が行われるようになっていたためである。かつてのような分割相続ではなく、家督はただ1人が嗣ぐ、となれば、皆々同根相争う事態が出来するのは必然だろう。
[19]「3代将軍義満によって南北朝が統一……」
 →南朝元中9・北朝明徳3/1392年の出来事。南朝の後亀山天皇が京都入りして、所有する三種の神器を、自身の譲位という形で北朝の後小松天皇に授けたことで、南北朝合一が為された。
 義満が南朝に出した合一の条件は、①三種の神器を北朝へ渡すこと、②北条氏の時代と同じように天皇は両統から交互に出して即位させること(両統迭立)、③南朝が皇室領地(公領)を管理・相続すること、であった。
 が、③は実施されず南朝側は困窮を極め、②は当初から義満(というか幕府)にその意思なく、以後は北朝からのみ天皇が出た。南朝の断絶、である。
 斯様に北朝正統が立証されたようなものだが、江戸時代になるといわゆる〈南北朝正閏問題〉が起き、南朝正統論が出るようになった。明治時代の国定教科書問題もその延長線上にある。
[20]「古歌に詠まれた継橋の落ちた川を越えた。馬のいななき、足音もしない宵の真間」
 →典拠;『万葉集』巻十四「東歌」 「足(あ)の音せず 行かむ駒もが 葛飾の 真間の継橋 止まず通はむ」詠人不知(歌番3387)
 「右の四首、下総国の歌」てふ詞書あり。4首(歌番3384-3387)中3首が真間を詠み、その内2首が手児奈を詠う。(『万葉集 三』日本古典文学全集4 小学館 1973/12)◆

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第3450日目2/2 〈わが家の戦争体験。〜〈昭和から平成へ・特別編〉〉 [日々の思い・独り言]

 母方の祖父は戦時中、特高だかに拘留されて、2日程ながら留置所に入れられたそうだ。
 小さいながらも商社の小売り部門に勤めていた祖父は当時、食料品の管理等を任されていた。その倉庫には砂糖や小麦粉など当時としては稀少品が保管されている。不勉強のため詳細は未詳だが、当時食料品倉庫には保管してよい食料と保管してはいけない食料があり、祖父の勤務するその商店の倉庫には両方が保管されていた由。
 或る日。特高だかが来て倉庫の保管物をチェックし始めた。そこには、保管していてはいけない食料があった。それが、砂糖である。戦時中の砂糖は稀少品どころか贅沢品だ(輸入困難となっていたため)。ゆえに祖父は引っ張られた。
 本来ならば商店の社長が引っ張られるところを、なぜ祖父がそうした目に遭ったのかわからない。社長はまだ若かったから、とか、そんな話を聞いたが、もはや実際は闇の向こうである。また、2日とはいえ拘留期間中、祖父がどのような扱いを受けたのか誰も知らぬ。祖母は知っていたろうが、母たち娘らは一切聞いたことがない、という。
 件の倉庫に贅沢品だった砂糖が保管されていた理由もその過程等含めて不明だ。ただ戦前からあって戦後まで取引が続いた日清製粉が絡んでいたろうことは想像に難くない。然れど、──
 倉庫保管品の可否を定めたリストがあったとは、初耳である。それがいつ施行されたのか、民間に──業界に──伝達されたのはいつなのか(どのような形で告知されたのか)、そこで働く人達はそうしたリストがあり砂糖など倉庫保管してはいけない品目があることを知っていたのか、など疑問点は幾つもある。
 確かに子供時分から、実家には戦中も潤沢ではないながら(小麦粉や)砂糖があってカステラなど作って食べていた、と聞いてはいた。単純に富裕だったのだな、と思う程度であったが、もしかしたらそれは倉庫の話のあとの時代のことなのかもしれない。あくまでそれは倉庫保管品の可否であって、個人所有品の可否ではないからだ。
 砂糖は商店から消えた。母の話では砂糖がなくなったあとは各種佃煮など置いていたそうである。母からは商店の倉庫、と聞いただけだが、上述佃煮の話を加味すると、戦後は業務拡張して不動産も取り扱った「商店」の、いまでいえば小売り部門に当時の祖父は勤めていたのかもしれない、とはわたくしの推測に過ぎない。この不動産に関して、母方の実家と母と某政治家宅及びその邸宅前でのデモにまつわる挿話があるが、また別の機会に。
 亡父にもおそらく話したことがないという母の思い出話である。◆

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第3450日目1/2 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。3/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 さて、こちらは西国の勝四郎である。関東で多くの命が失われ、貧窮の一途を辿っていたのに対し、〈禅の精神に基づく簡素さと、幽玄・侘びを基調とした〉当時の京都文化[09]は華美を好む傾向がな装いが流行りだった。そのせいで勝四郎が持参した足利染めの絹は飛ぶように売れ[10]、思わぬ財産を築くことができた。
 勝四郎はホクホク顔で売り上げを数え、その一方で帰郷の準備を始めもした。そんなかれのまわりでいろいろな人が様々な、東国にまつわる噂話を囁いている。その内容は気持ちを重くし、不安にさせ、帰郷準備の手を休ませるにじゅうぶんであった。
 京都の人の口の端に上り、勝四郎の心をザワザワさせた噂話とは、大体次のようなものであった。曰く、──
 上杉の軍勢が鎌倉攻めしてこれを陥落(オト)し、遠近へ四散した鎌倉の残党を追討している。勝四郎の故郷のあたりも戦渦に巻きこまれて、いまや住む人もいない荒れ地となったらしい。などなど。
 宮木──。勝四郎は、故郷へ置いてきてしまった妻の姿を心に浮かべた。真間も戦場になったのか、ならば宮木はもしかしたら……。
 あづま路のなお奥つ方の国のことである。実際にその場の様子を見てきた者があるわけではない。あくまで、噂だ。
 そう勝四郎は自分にいい聞かせて、はやる気持ちを懸命に抑えて、日を過ごした。──が、京都に留まって安全に暮らすよりも、残してきた妻の身を案じる気持ちの方が優る瞬間(トキ)が、来た。
 8月初旬。勝四郎は京都を発って下総国を目指した。鎌倉を通過する東海道[11]は避けて、近江国と陸奥国を結ぶ東山道[12]を選んだのは、時勢を考えれば自然な選択であったろう。が、その東山道も、真坂、という場所あたりまで来て災難が降りかかった。真坂は、美濃国と信濃国の境近くにある[13]。
 日暮れ刻だった。勝四郎の行く手を阻むように山賊の集団が現れて、身ぐるみ引っ剥がしてしまったのである。加えて真坂の人がいうには、ここより東の各所には関所が新しく設けられ[14]、人の往来を厳しく取り締まるようになった、と。それは即ち勝四郎にとって、故郷への帰途の手段が絶たれたことを意味する。同時に、妻宮木の消息を知る手段が失われたことも。
 帰国を断腸の思いで諦めた勝四郎は、京都への道を戻り始めた。が、悪いときは悪いことが重なるものである。近江国へ入ったあたりで体の不調を感じた。段々と気分が悪くなり、高熱で足許がふらつき、意識朦朧となることが多くなった。
 幸いだったのは、いま勝四郎のいる場所が、件の雀部の曾次の妻の実家のある、武佐[15]、という村に程近いことだった。気力と体力を振り絞ってその家を尋ね当てた勝四郎は、涙ながらに事情を説明した。
 雀部の妻の実家は近隣でも名うての素封家で、当主の児玉嘉兵衛は、体調不良を押してようやく家の門を潜ってきた勝四郎を丁寧に迎え入れて、医者を呼び薬を服ませるなどして、予期せぬ客人の介抱にこれ努めた。
 どれだけの月日が経ったか。布団から起きあがれるぐらいには回復した勝四郎は、この家の当主が自ら付きっきりで介抱してくれたことに感謝し、篤い恩を抱かずにはおれなかった[16]。そうして勝四郎は翌る年の春まで、児玉の家の世話になったのだった。
 武佐滞在が1日1日と長引くにつれて、親しう交わるぐらいの知己もできてきた。元々正直者で心根の素直な勝四郎であるから、土地の人々からも気に入られたのである。
 やがてすこしばかり遠くまで歩いてゆけるようになると勝四郎は、京都へ上って雀部を訪ね、武佐へ戻っては児玉の家に身を寄せる、という生活を続けた[17]。そんな生活を続けるうちに、7年という歳月が流れていた。
 年改まって、寛正2(1461)年。□



[09]「〈禅の精神に基づく簡素さと、幽玄・侘びを基調とした〉当時の京都文化」
 →〈〉内は『【詳解】日本史用語事典』P151コラム「東山文化」より引用(三省堂編修所 三省堂 2003/09)。東山文化とは概ね上記のように説明され、今日の日本文化や生活様式の温床となったものであるけれど、それゆえもあってその特質、俯瞰して物言いするのは難しい。侘び寂び幽玄の文化が確立した一方で、義政自身の好みも反映して華美であったのは事実だが、その双方に幾許かの対立と矛盾を孕んでいるような違和感を、わたくしは覚える。むろん、当方の勉強不足は否めぬところであるが──。
[10]「足利染めの絹は飛ぶように売れ」
 →第二稿「足利染めの絹は世の求めに合致して飛ぶように売れ、」から「世の求めに合致して」を削除〔覚書〕。
[11]東海道
 →いまでは江戸時代初頭に幕府が定めた「五街道」としての東海道がポピュラーだが、奈良時代の律令制下で整備された「五畿七道」の一、東海道をここでは指す。「五畿」は大和・山城・摂津・河内・和泉(現在の奈良県・京都府・大阪府に相当)、「七道」は東海道の他、北陸道・山陽道・山陰道・南海道・西海道そうして次で註釈する東山道である。
 東海道の通過国は以下の通り。即ち、──伊賀・伊勢・志摩・尾張・三河・遠江・駿河・伊豆・甲斐・相模・(武蔵;宝亀2/771年に編入・)安房・上総・下総・常陸、である。京都を起点に現在の三重県・愛知県・静岡県・山梨県・神奈川県・(東京都/埼玉県・)千葉県・茨城県、である。
 七道時代の東海道紀行文として菅原孝標女『更級日記』と阿仏尼『十六夜日記』が有名。
[12]東山道
 →東山道を始め古代律令制下で制定された七道は、広域地方行政区画でありそこを通る幹線道路である。
 東山道の通過国は以下のようになる。即ち、──近江・美濃・飛騨・信濃・上野・下野・武蔵・出羽・陸奥で、現在の都府県でいえば、滋賀県・岐阜県・長野県・群馬県・栃木県・東京都/埼玉県・福島県/宮城県/岩手県(陸奥国)・山形県/秋田県(出羽国)、である。
 先述のように武蔵国は宝亀2/771年に東海道に所属変更されたが、それまでは上総国新田から東山道の枝道たる東山道武蔵路を南下して武蔵国国府つまり府中を巡って同路を北上、下野国足利ヘ出るルートであった。
 『続日本紀』巻第二文武天皇大宝2年12月10日条云、「壬寅、始めて美濃国に岐蘇の山道を開く」(『続日本紀 一』P63 新日本古典文学大系12 岩波書店 1989/03)と。東山道は美濃国恵那郡坂本駅(岐阜県中津川市)から御坂峠(神坂峠)を越えて信濃国伊那郡阿智駅へ至る。Wikipediaは東山道の歴史でこの一文に触れて「東山道の建設について〔の;みくら補記〕……断片的な記録」とする。
 が、この条文と和銅6年7月7日条「戊辰、美濃・信濃の二国の堺、径道険隘にして、往還艱難なり。仍て吉蘇路を通す」(前掲書P203)を重ね合わせると、『続日本紀』が記録するのは東山道開削ではなく、新しく開削された吉蘇路の工事の始まりと終わりの記録なのではないか。この新しい吉蘇路は、前掲書補注に従えば、「(美濃国)坂本駅からさらに木曽川沿いに恵那郡を北上、県坂(長野県木曽郡木祖村と楢川村との境の鳥井峠)を越えて信濃国筑摩郡に達する」と云々(P428)。
[13]「真坂は、美濃国と信濃国の境近くにある」
 →長野県西筑摩郡山口村(→同県木曽郡山口村)、現在の岐阜県中津川市の馬籠峠が「岐曾の真坂」だ(2005年2月、長野県木曽郡から岐阜県中津川市に編入合併)。美濃国(岐阜県)と信濃国(長野県)の県境で木曾街道の要衝。
[14]「ここより東の各所には関所が新しく設けられ」
 →東国乱れるの報を承けてか、既存のみでは対処しきれず、入国制限・渡航禁止措置を名目にこの時代、関所が各地に新しく設けられたのは事実である。東国からの入国者、西国からの出国者の前に、関所は頑としてその重い扉を開かなかった。
[15]武佐
 →近江国蒲生郡武佐、現在の滋賀県近江八幡市武佐町。江戸時代は中山道66番目の宿場町であった。いまは近江鉄道万葉あかね線の駅がある辺り。安土城址から南へ約2.5キロ弱。先の真坂で山賊に荷物を奪われ、東国へ戻ることを断念した勝四郎は、来た道を引き返して武佐まで来た。行きと同じ東山道を戻ってきたのだ。坂本駅から各務、不破を経て彦根、近江八幡(武佐)へ。岐阜を過ぎたあたりから東山道と中山道はほぼ重なっているようだ。
[16]「感謝し、篤い恩を抱かずにはおれなかった」
 →その割には勝四郎、児玉の家で一宿一飯の恩を返すような描写はない。実際しなかっただろう、ただ寄食して無駄飯を喰らい、日を過ごしただけであるまいか。勝四郎、寄生虫ライフ満喫中、というところか。
[17]「京都へ上って雀部を訪ね、武佐へ戻っては児玉の家に身を寄せる、という生活を続けた」
 →勝四郎って厚顔無恥だな!
 人の世話になり、京都まで歩けるようになってもまだ、自分で生活をどうかしようということもなく、ただただ児玉の家の好意に甘えているばかり。
 宮木はこんな男をよくもまァ、待ったものである。たぶん、漆間の翁がいうように、繰り言の一つもいわねば気が済まぬ、ということであったのだろう。
 宮木が夫の帰りを待ってその晩、〈浅茅が宿〉に現れたのは、ゆめ想いが募っての話ではない。
 「浅茅が宿」はゆめ夫婦の愛の、幽冥の境を隔てた恋物語ではなく、田畑を全部売り払って残る者の生活の糧をすべて奪い、事情ありと雖も約束を破った夫への「この恨み、晴らさでおくべきか」という怨念の物語でもあるように、わたくしには読める。
 どうしようもない夫に対する、妻の報復、これが「浅茅が宿」の本当の顔ではないか?◆

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第3449日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。2/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 その年、享徳4(1455)年夏6月。遂に、関東で大きな戦いが始まった。後に、享徳の乱、と呼ばれる戦である。当時、関東支配の中枢を担う鎌倉には鎌倉公方という、たとえていえば地方長官がおり、その補佐役として、関東管領、という役職が設けられていた。
 勝四郎が京都へ出発したその年、鎌倉公方には足利成氏が、関東管領には上杉憲忠が、それぞれ就いていた。
 以前から折り合いの悪かった2人だが、享徳4年6月、それは決定的な局面を迎えた。即ち、鎌倉公方による関東管領の謀殺、である。これをきっかけに足利成氏は、鎌倉から上杉氏とそれに味方する勢力を一掃しようと企てた。
 それを知るや幕府はただちに、殺された憲忠の弟、房顕を後任の関東管領に任命し、それを頭とする軍勢を差し向けた。幕府軍は鎌倉に到着すると、公方の館を跡形もなく焼き払った。足利成氏は自分の所領がある下総国古河へ逃れたが、幕府軍との戦闘は続けられた。これが、関東一帯を大乱の舞台としたのである[05]。
 ──関東を戦乱が覆った。老人は山へ逃げ隠れ、若者は徴兵されていった。明日は何処其処が焼かれるぞ、次に戦場になるのは某所のあたりらしい、など、流言蜚語が飛び交った。それを聞いて、女子供は怯え、恐怖した。なにが正しく、なにがデマなのか、もはや誰にもわからなくなっていた。
 里の人が次々と真間を離れていった。それを見る宮木も、一時はどこかへ避難するのを考えたけれど、「この秋にはきっと帰ってくる」といい残して行った夫を信じて、里へ留まることを選んだのだった。
 その折に、宮木が詠んだ歌、──
  身の憂さは 人しも告げじ あふ坂の 夕づけ鳥よ 秋も暮れぬと[06]
──と。これは、約束の秋になっても帰る様子のない夫を恨めしく、淋しく、悲しく思うて詠まれた歌である。
 しかし、多くの国が下総と京都の間にあって、しかも、こんな御時世であるのも手伝って、この一首を想い人の許へ届けることは適わぬのだった。
 世のなかが乱れてゆくに従って、人心も卑しく、野蛮になる。──世に「好事魔多し」という。美貌で巷間に名を馳せる宮木であったから、夫子ある身なれどいまは独りしてそこに住むと噂が流れれば、近郷の男どもがいい寄ってくることは必至。実際、そうなった。それはしつこく、キモかった。ゆえに宮木は家の門戸を固く閉ざしてそれを拒み、遠国の空の下にいる夫を想い、帰りをひたぶるに待つのである。
 やがて宮木に仕えていた婢女(はしため)が去り、彼女は本当に独りぼっちになった。僅かばかりの貯えも底をついた。文字通り、明日をも知れぬ生活の始まりである。
 享徳4年が暮れて新年になったが、戦乱の収まる様子はまるでない。否、それどころではなかった。むしろ戦局は拡大してゆくばかりである。
 享徳4年秋には将軍義政の命令で、美濃国郡上に居を構える武将、東常縁が軍勢を率いて関東へ東下していた。
 その東常縁[07]、千葉氏の出自で、所領は下総国香取郡にある。常縁はここを本拠にして同族の千葉実胤と組んで、古河公方とそれに味方或いは加勢する者たちを攻めた。古河公方とは前の鎌倉公方、足利成氏を指し、かれの所領が下総国古河にあり、そこへ引っこんで戦いの足掛かりとしたので、「古河公方」の名がある。
 東常縁と千葉実胤の連合軍はよく戦った。が、古河公方もさるもの。善戦して件の連合軍を撃破することたびたびであった。斯様な次第で両者の戦いの結着は、なかなか着かなかったのである。
 庶民を不安にさせ、恐怖させたのは、なにも侍たちばかりではない。あちこちに山賊が出没して自分たちの砦を築き、近隣諸方の村々を焼き討ちにしては略奪するを繰り返した。
 もはや関八州に安寧の場所はない。なんとも嘆かわしく愚かな世となったものである。まさに戦争とは、世の営み全般に損失ばかりを与える行為といえよう[08]。□



[05]「足利成氏は自分の所領がある……」
 →関東一円を戦場とした、享徳の乱の勃発である。発端については本文で説明した。
 幕府は、成氏後任の鎌倉公方として将軍義政の弟正知を下向させた(長禄元/1457年 ※この年、扇谷上杉氏の執事太田道灌が江戸城築城)。が、抵抗に遭い鎌倉に入ることはできず、伊豆国田方郡堀越を拠点に成氏方と交戦した。正知歿後は息茶々丸が跡を継いだが北条早雲に滅ぼされた(明応2/1493年)。
 では、永享の乱(永享10/1438年?永享11/1439年)と並んで応仁・文明の乱の序幕と捉えてよいこの乱はどのようにして収束したか? 和睦したのである。まず文明9/1477年時の関東管領上杉顕定が古河公方足利成氏と和睦したのに続いて文明14/1482年、幕府と古河公方の和睦が成立して享徳の乱は終結した。
[06]「身の憂さは 人しも告げじ あふ坂の 夕づけ鳥よ 秋も暮れぬと」
 →典拠;『古今和歌集』巻十一 恋歌一 「相坂(あふさか)の木綿(ゆふ)つけ鳥もわがごとく人やこひしき音のみなく覧(らむ)」詠み人知らず(536)
[07]東常縁
 →応永8/1401年〜明応3/1494年頃? 本文に補記した如く、下総国の守護大名千葉氏の流れで、美濃国郡上郡にあった篠脇城の城主である。「浅茅が宿」では関東平定の武将として登場。この留守中、居城たる篠脇城を美濃守斎藤妙椿に奪われるが、落城を嘆く常縁の歌に感じ入って妙椿が城を返還した、という逸話がある。
 このことからもわかるように、常縁は武将であると共に、二条派の歌人でもあった(私家集『常縁集』、歌学書『東野州聞書』が今日まで伝わる)。が、今日常縁の名は専ら古今伝授の祖として、歴史に記される。
 古今伝授は「『古今和歌集』の解釈を師匠から弟子に秘伝すること」と『【詳解】日本史用語事典』(P153 三省堂 2003/09)あるが、生温い解説だ。も少し話せば、古今伝授は『古今和歌集』講釈と三木三鳥の切紙伝授を中心とする、二条家発祥の秘伝をいう。
 古今伝授は2つの流派からなった。1つは頓阿から伝わる二条流説を頓阿の曾孫堯孝(ぎょうこう)が養子堯恵(ぎょうえ)に伝え、堯恵が後柏原院や鳥居小路経厚らに伝授した<二条堯恵流>と、もう1つは堯孝から藤原為家(定家息。二条・京極・冷泉家は為家息をそれぞれ祖とする)から東家に伝えられ、東常縁から連歌師・宗祇へ、宗祇から三条西実隆や牡丹花肖柏らへ伝授され、そこから様々に分派した<二条宗祇流>の古今伝授だ。
 うち、三条西家伝授は実隆孫実澄(実枝)で一旦途絶えるが、実澄から伝授された丹後国田辺城主・細川幽斎が実澄孫実条(さねえだ)と八条宮(桂宮)智仁親王へ伝授したことで命脈を保った。智仁親王は後水尾院へ古今伝授したことで御所伝授が成立、これを中核として近衛家や飛鳥井家といった堂上貴族や有栖川宮家や閑院宮家へ伝わった。一方でこれまた細川幽斎が松永貞徳や北村季吟に古今伝授を行ったことで地下伝授も成立、諸派様々に全国へ伝えられた。もはやここまで来たら、飯の種、である。
 なお細川幽斎は関ヶ原の合戦の直前、居城たる田辺城を石田三成側の軍勢に囲まれ、籠城戦を余儀なくされたが、古今伝授の断絶を恐れた八条宮智仁親王の勅命で双方の間に講和が結ばれた。このエピソードは、古今伝授の歴史・逸話を語る際よく引き合いに出される。
 『雨月物語』執筆当時既に、古典や歴史に関心を寄せていた秋成が、「浅茅が宿」にて東常縁を登場させたのは、けっして史実に基づいてこの時代の様子を描いているばかりではあるまい。『古今和歌集』の秘伝古今伝授の祖としてその存在を知ることで、時代と文学の交差点を作中に留めおいた、という側面も考えられないか?
[08]「もはや関八州に安寧の場所はない。なんとも嘆かわしく愚かな世となったものである。まさに戦争とは、世の営み全般に損失ばかりを与える行為といえよう」
 →原文「八州すべて安き所もなく、浅ましき世の費なりけり」
 原文のままには現代語訳できないので、少々の補足と意訳を加えた。「浅ましき世の費」の中身を限りなく深刻に、民の悲しみや憤り、憎苦を濃縮すればそのまま、ロシアのウクライナ侵略戦争に重ね合わせられないだろうか。◆

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第3448日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。1/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 足利幕府が8代将軍、義政[01]の時代である。あづま路の道の果てよりもなお奥つ方、下総国は真間と呼ばれる里に勝四郎という男がいた。
 祖父の代からこの里に住んでいて、田畑を多く所有している。そのためもあって家はだいぶ裕福であった。
 そうした家に3代目として生まれた勝四郎は、優しいというてしまえばそれまでだが、生まれながらにしてざっくばらんな性格で、物事をあまり深く考えぬ人であった。それが災いして家業にあまり身を入れることなかったため、家はかれの代になるとたちまち傾き、親族郎党の鼻つまみ者、厄介者となってしまったのである。
 が、そんな勝四郎にもそれを気に病み、失地回復を図りたい、というつもりはあったらしい。どうにかして落ちぶれたわが家を再興する手段はないものか、とあれこれ思案に暮れていた。
 その頃、足利染め[02]の絹の取引で京都から関東へ毎年来ている、雀部の曾次、という人がいた。かれは関東へ下ってくるたび、一族の者が住まうこの真間の里へ顔を出している。その関係で曾次はいつしか、勝四郎とも面識を持つようになっていた。或る日、勝四郎は里へ来た雀部に向かって、
 「私もあなたのように商人になり、都へ行こうと考えているのですが、どうでしょうか?」
と、相談した。雀部は二つ返事で頷き、
 「いつ頃出発できそうか。早い方が良いのだが」
と、せっついた。
 雀部は商いの心得や、京都で商売するメリット、デメリット、等々それは熱心に、懇切に説明して、勝四郎を段々とその気にさせてゆく。
 雀部の話を聞いているうちに、だんだんとその気になってきた勝四郎。家に戻ると、さっそく上京の仕度を始めたのである。まず、人手に渡らずまだ残っている田畑をすべて売り払って、お金に換えた[03]。今度はそのお金で足利染めの絹を可能な限り買い付ける。勝四郎の、上京の準備は着々と進んでいった。
 ──ところで、勝四郎は独り身であったか? 否、である。宮木、という、誰もが美人と認める妻がいた。人目を惹く程の美貌の持ち主で、気遣いのよく行き届く、所謂〈できた〉嫁だったのだ。
 とはいえ、さすがに宮木も、今度の夫の京都行きの話には、開いた口が塞がらなかった。呆れ果てた、の域を超えていた。夫が商売に向いた性格でないことを、誰よりもよく知っていたからである。どれだけ言葉を尽くして諫めてみても、為すべきことを蔑ろにして考えの足りぬ勝四郎を翻意させることはできなかった。夫を心変わりさせるのを諦めた宮木は、不本意ながらも上京の支度を手伝い始めた。
 いよいよ明日が出発、という日の夜。一抹の淋しさを覚える宮木は明日からの、夫とのしばしの別れを惜しんでいた。
 「明日は早いのですよね」
 「ああ、そうだな」と勝四郎はいった。「当分、1人になるが、大丈夫か」[04]
 宮木は頭を振って、こういった。
 「そんなこと……。あなたの他に頼れる方などおりません。縋(すが)る方なき女の心には、憂い事ばかりが浮かんできます。あなたは男だからそんなこと思いもしないでしょうけれど、あなたの帰りを待つ女がこの真間にいることだけは、どうか忘れないでくださいまし」
 忘れるはずがない、と勝四郎はそっと妻を抱き寄せて、艶のあるその黒髪のひと筋ひと筋を指でかきやりながら、いった。
 「住んだことも知った人もない国で、お前を忘れる程長く過ごしたりするはずがないではないか。安心をし。この秋には、きっと帰ってくるよ」
 いよいよ実感されてきた別れを思い、頬を濡らす涙を拭いながら、宮木は、
 「命が思い通りになるならばともかく、明日のことなど誰にもわからぬのですから、どうぞ、この待つ女を心に留めて哀れとお思いくださいませ」
 夫婦は残された時間のなかで互いの想いを言葉にして伝え、そうしたあと勝四郎と宮木は時間を惜しんで相手を求め、荒い息の収まりと共に眠ったのである。
 そうして明け方、勝四郎は宮木に見送られながら雀部の曾次と連れだって、真間を発ち、京都への道を足早に進んでいった。
 ──なぜ、早く道を進んでゆく必要があったのか? 途中の鎌倉を中心に関東で戦乱の兆しがあったからだ。□



[01]8代将軍、義政
 →永享8/1436?延徳2/1490年1月(享年55) 足利幕府第8代将軍(在位;宝徳元/1449年4月?文明5/1473年)。父6代足利義教、母日野重子。次男。妻日野富子、息足利義尚(9代)。
 富子に子供が生まれなかったため弟義視を養嗣子とするも、富子には前述の如く義尚が生まれた。義視を支持する細川勝元と義政から義尚の後見を頼まれた山名持豊の対立が、その後10年に渡る応仁・文明の乱(応仁元/1467年?文明9/1477年)を引き起こし、1世紀超に及ぶ戦国時代(応仁元/1467年?永禄11/1568年)の幕開けともなった。永禄11年は織田信長が足利義昭を奉じて入京した年である。
 義政自身は文芸に秀でて後の東山文化を創出、東山に慈照寺(銀閣)を造営した。
[02]足利染め
 →下野国足利産の染絹。足利は現在の栃木県足利市一帯。「武家時代には、旗指物・陣幕・陣羽織等に、この足利染の絹や平絹の足利絹が用いられた」という(鵜月洋『有家物語評釈』P190 角川書店 1969/03)。『徒然草』第216段に「足利の染物」とある。
[03]人手に渡らず……
 →あとに残された宮木の生活の糧をすべて奪った、の意味にもなる。勝四郎の計画性のなさ、無意識の薄情さ、無計画な性格を表している。
[04]「当分、1人になるが、……」
 →お前の台詞じゃない!! と思うのはわたくしのみであろうか? 大丈夫か、と訊かれて、大丈夫ではありません、と率直に真情吐露できる宮木では、この頃はなかったであろう。ゆえに「気丈夫」と描かれ、また勝四郎帰国後はその胸で淋しかった、と訴える姿が余計にいじましく映るのではないか?◆

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第3447日目 〈『クルアーン』を買ってきた。〉 [日々の思い・独り言]

 『コーラン』はイスラム教の聖典。ムハンマドが西暦610年から約23年に渡って、アッラーの神から啓示を受けた内容を記した書物、である。『クルアーン』とも表記されるが、こちらは聖典をアラビア語読みしたもので、正確には定冠詞を伴って『アル=クルアーン』。『コーラン』とは日本で慣習化した欧州語由来の読みという。本稿では以後、『クルアーン』と表記する。
 アラビア語で書かれた『クルアーン』のみを唯一とし、各国語に訳された『クルアーン』は「その国の言語で書かれた解説書」という立場しか持たぬ。
 と或る新古書店で『クルアーン』を買った。世界三大宗教の聖典を新古書店に売った人もどうかと思うが、流石に買ったわたくしが意見する話ではないか。え、価格? 定価約2,900円のものが税込み約1,900円でした。ほんと、なんだかなぁ、だよね、恵さん。
 ずっと本ブログをお読みになっている方のなかにはご記憶の方あるやもしれぬが、聖書を読了したあとなにを読むか、考えていた時分、候補に『論語』が挙がり、ダンテ『神曲』が挙がり、そうして一瞬ではあったがこの『クルアーン』も挙がった。──たぶん、ムハンマドの登場が預言された(とされる)申18:18を読んで間もない頃でなかったか。
 とはいえ、それとは関係なく『クルアーン』を読んでみたいな、目を通しておきたいな、と思う機会もしばしばあった。個人的事情を別にしても21世紀の世界の動向は、イスラム教抜きで考えられないからだ。
 ──わたくしは、9.11を経験した。友の死を眼前にした。汝、汝の敵を知れ。
 その後何人かの、イスラム教徒;ムスリムの日本語の教え子を持った。かれらは憎しみの相手ではない。かれらは知己だ。かれらの生活と信仰を目にする幸運があったからこそ、いまになってではあるがわたくしは『クルアーン』を読みたく思うた。
 かつて縁あった人々の生活や心の根底にどんな信仰が根附いておったのか、それをいま、わたくしは真摯に知りたく思う。そんな意味でも、かの新古書店にこれを売ってくれた人に、サンキャー。
 ……ふーん、『クルアーン』の最初の方には、ユダヤ教徒・キリスト教徒への改宗の勧めがあるのか。成る程。これは面白そうな読み物である。◆

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第3446日目 〈シー・イー・オー、鬼塚夏美、〉【改訂・補筆版】 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 まさか『ラブライブ!』で「日経平均」という単語を聞く日が来ようとは! 正直なところ、あの瞬間は耳を疑い、違うアニメを観ているのか、と錯覚もし。──むろんそんなことはない、07月24日放送の『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第02話「2年生と1年生」からの一コマだ。
 さっそくではあるが、件の発言が飛び出した状況を確認しておこう。きなこが四季に促されて、メイをスクールアイドルに誘う場面でのこと。時間にして09分12秒-09分32秒の場面。曰く、──
 きな子;ほかの1年生かあ。
 夏美;ナッツー!
 きな子;あ……?
 夏美; (涙目で)これは想定外ですの〜。このままでは今月の目標が……。マニー、マニー、マニィー〜!
  (横目で夏美を見るきな子。「この人はないわぁ」というような眼差しがなんともいえぬ風情を醸している)
 きな子;──あっ!
  (メイをスクールアイドルに誘え、と四季が目で支持してくる)
 きな子;本当に……行くんすか〜?
──と。
 特に反応した生徒がなかったということは、まだこの世界に於いて結ヶ丘女子高等学校や生徒の出身中学(概ね渋谷区・港区・目黒区を中心としたエリア)では、金融リテラシーについての金融機関や弁護士たちによる出張講座は開催されていないと思しい。ゆえに誰の耳目も引かなかった、可哀想な「日経平均」であった。
 そもそも「日経平均」ってなに? という話になる流れなので、調子に乗ってこのまま話を続けたい(「日経平均」って、それ、美味しいの? とかバカを露呈するようなテンプレ反応を返す輩は、わたくしは大嫌いだ。どうしてそんな頭の悪そうな返しをするのだ。そんなことして自分が可愛いとか、無様なことでも考えているのか?)。日経平均はどんな株式や経済学の本にでも載る経済と投資の基礎用語である。その定義とは、こうだ、──

 日本の代表的な株価指数の1つが日経平均株価(日経平均)です。東証第1部上場銘柄から流動性や業種のバランスを考慮して225銘柄を選び、これらの株価の平均値を計算するのが基本です。

──と。引用は、『やさしい株式投資〈第2版〉』P66(日本経済新聞社 2014年02月)から。ついでにいえばこの225銘柄、年に1回定期的に見直されて入れ換えられる。なお日経平均の説明はWebであれば岡三オンラインのそれがわかりやすい。
 既に新聞や報道で御存知のように、市場区分の見直しが実施されて現在、長く耳に馴染んだ「(東証)第1部/第2部」や「JASDAQ(スタンダード・グロース)」、「マザーズ」という名称は廃止された。今年2022年4月4日からは「プライム市場」「スタンダード市場」「グロース市場」の3つの市場に再編されている。
 斯様な相違あると雖もこの本はとてもわかりやすく市場の原理を説明し、為替相場や株価推移の背景と分析方法、株式投資の手順や投資に役立つ(日本経済新聞社の)経済専門紙誌を紹介している。それに正直なところ、第1部、第2部等が廃止されてプライムやスタンダードなどに再編されても、これから投資する側にさしたる影響はない(というか、再編のため大混乱未だ継続中とか投資の手続きが変わるわけでもないから、こうした歴史があった、ということを認識しておけば良い)。
 マンガであったりもっと噛み砕いた内容の本もあるけれど、天下の日経が本気で書いてきたこのレヴェルの入門書を読みこなせる力ぐらい、投資をする人なら備えておいていほしい。或いはこの本を読むことでその力を鍛えてほしい。読み手への期待値も込みで、一言でいって、オススメかつ必読必携の1冊。
 話が脱線した。好きなことであるからつい口が過ぎてしまった。
 さてこの夏美の台詞(「日経平均全面安!」)、キャスト一同もびっくりであったらしい(というか、なんの意味なのか、どんな単語なのかも理解していなかった様子……)。07月31日配信の『ラブライブ!スーパースター!! Liella!生放送 〜TVアニメ2期放送開始記念! 夏もみんなでスーパースタート!!〜』にて鬼塚夏美役の絵森彩が証言している(44分28秒−45分24秒)。同じ場で彼女はこうもいう、「唯一喋った言葉がこれっていう。もうちょっとなにかあったでしょ、ぐらいの感じだったので」と。
 わたくしもそう思う。が、考えようによってはこれ以外になかった、とも思う。花田氏が意味を理解して夏美の背景に相応しいから斯くいわしめたのか、或いは単に「それっぽいから使っちゃえ〜」なんてノリで書いたのか不明だが、少なくともこの台詞こそ未だ片鱗だに明らかとならない夏美の「マニー信仰」の根っこを考える突破口になるように思えてならないからだ。
 ここで思い出すべきは第01話、夏美が初対面のきな子に名刺を渡す場面である。そこにはなんと書かれていたか? ──「株式会社オニナッツ / 代表取締役社長 CEO / 鬼塚夏美」である。
 株式会社オニナッツの主要事業は? いつ作ったのか? 資本金は? その出所は? 他に社員はいるか? 専従社員として親兄弟等を社員として登録したのか、それとも本物の社員(従業員)がいるのか? ならば年商はどのぐらい?
 ──同じく会社の経営者として、まず単純にこんな疑問が思い浮かぶ。そして夏美と語り合いたい、設立趣旨や今後の見通し(業績予想)、書類一式が正式に受理されるまでどのぐらい時間が掛かったか、特に書き直した書類はなにか(察しは付くが)、などなど……。まァ、前半は銀行でもさんざっぱらヒアリングされたろうが、後半に関しては同じ経営者同士、腹を割ってムカついたことも含めて話し合おうではないか──と、結構本気で夢想してしまう。
 そういえば、きな子にとって夏美はダメ元でもスクールアイドルとして先輩たちと一緒にやってみよう、と背中を押してくれた人(それを更に後押しして一歩を踏み出させたのが、メイだった)。そんな或る意味で恩人の1人たる夏美を、きな子はこう呼ぶ、「CEO」と。そのいい方、敢えて文字に起こせばアルファベットの「CEO」ではなく、片仮名の「シー・イー・オー」なのだ。このいい方が格別に可愛らしく聞こえるのだが、それはともかく。
 その度に「夏美でいいって」と律儀に訂正するあたり、つし……沼津の自称〈堕天使〉ヨハネを思い出しますね。あちらはヨハネというか善子さんというかが「ヨハネよ!」とキレ気味にツッコんでくるのがお約束ですが、こちらはどうなのでしょう。きな子が「CEO」呼びする毎に、「だから夏美でいいって」と律儀に返してくるのでしょうか。
 まだこのやり取りが1度だけしかないのでなんともいえぬところではありますが、今後2人の接点は増えてくることと思います──第01話から第04話まで本編合計約92分(アバン、Aパート、Bパートの集計)中、登場時間のトータル約2分11秒!──。夏美のLiella!加入は確定なのですから、どんな経緯であろうとネタにならない程度にナチュラルに、きな子と夏美のこのやり取りが継続されたらうれしいな、と思うている。
 これで夏美のあだ名が「CEO」で定着したら、きな子の功績といえましょうね。
 ──それにしても、夏美の出身地はどこなのだろう? 「だから夏美でいいって」という台詞のアクセントにどうも引っ掛かってしまうのだ。引っ掛かるというのは耳に障るとか不自然というのではまったくなく、いつかどこかで日常的に耳に馴染んでいたアクセントのように感じるからだ。絵森彩と同じく山梨県なのか。公式サイトのプロフィール等にそのあたり、なにも書かれていない。咨、このアクセント! 彼女の出身地、或いは両親の出身地、彼女が子供の頃どこで育ったか、気になって仕方ない……!──
 さてこの「CEO」なる単語も、キャスト側を混乱させた様子である。前述した『ラブライブ!スーパースター!! Liella!生放送 〜TVアニメ2期放送開始記念! 夏もみんなでスーパースタート!!〜』にて視聴者からのコメントを紹介したペイトン尚未が、「CEOってなんの略なんだ」と疑問を呈した(46分17秒-46分20秒 その視線は自ずと絵森彩に向けられた)。
 絵森は収録前であったかに意味を調べたそうである。流石に気になって、ググったのだろう。調べ方はともかく、良い心がけだと思う。しかし──漢字7文字ぐらいが並んでいて、などしっかり調べた形跡が確かめられる発言に好感を持ったが、どうやら日本語訳は記憶に定着しなかった模様。うん、まぁ、すぐには覚えられないような訳語だよね。しかも同じような表記で同じような訳語の肩書きもあるし。たぶん、一緒に調べてしまって混乱してしまったのだろう。自分でもやたら好意的な解釈であるのは承知している。
 「CEO」とはどんな意味か? 絵森は「(確か)最高責任管理者(とかなんとかだったと思う)」という(46分20秒-46分23秒)が、惜しい。正解は「最高経営責任者」”Chief Executive Officer”でした。
 では、どの仕事の内容は?
 日本のCEOとは社内向けの役職に過ぎない。最高経営責任者として会社の経営方針全体の責任を負う立場であるが、むしろ日本企業に於けるCEOとは、代表取締役社長とほぼ同義で使用されているケースが目立つようだ。従って夏美の名刺に「CEO」と印刷されているからとて、彼女が取締役会の方針に従って「株式会社オニナッツ」の経営方針を打ち出したり、事業戦略のプランニングや決定等に関して責任を負う、というわけでもない。
 CEOなんて凄そうな肩書きが付いているけれど、ビビるに及ばず。実は日本企業に於いて会社の代表権を持つのは、代表取締役と取締役、代表執行役(委員会設置会社の場合)なのだ。CEOやCFO(最高財務責任者)、COO(最高執行責任者)等の名称の役職者に会社を代表する権限や責任に法的裏付けはないのである。……実はこれ、本稿を書くにあたっていろいろ調べている過程で初めて知ったことなんだよね。いや、マジ勉強になった。ふーん、そうなんだ。
 むしろあの名詞に記載された肩書きで、夏美が意識せねばならぬのは代表取締役社長の方であろう。
 代表、というからには他にも取締役はいるわけだ。会社法では、株式会社は1名以上の取締役を置かなくてはならず(326条1項)、株式公開する取締役会設置会社は3名以上の取締役を置かなくてはならない(331条5項)。未成年が起業する場合の多くと同様、(株)オニナッツも(おそらく)発起人であろう夏美の他は親が取締役に名を連ねている可能性が高い。片方なのか両親なのか定かでないが、殊未成年が会社を設立しました、というときって大概親が社員として名を連ねる(なお、未成年の商業登記に関しては、商法5条未成年者登記・商業登記法35条から37条を参照のこと)。
 それはなぜか、というと、税金対策である。個人事業で自分の仕事を手伝ってくれる家族や肉親を専従社員というが、専従社員に支払う給与は実は経費として申告できたり(青色申告)、最高86万円を控除できる(白色申告。ただし専従者が配偶者の場合)。実際にこれをやると、かなり違うのだ。過去の申告書に記載された数字の数々を思い出し、実感を込めて力強く頷く。
 それはさておき。
 株式会社オニナッツが取締役会を設けているのか不明であり、株式公開をしているのかも不明だ。でも、株式公開はしていないと思うんだよな……公開しているならば、会社の事業内容がもう少し明確に、たとい片鱗であっても夏美の台詞や名詞の情報からこちら側へ伝わってきそうなものだ。そも代表取締役社長がアルバイト(副業)をしている時点で、会社経営が軌道に乗っているようには映らない。それは第04話に於ける夏美の台詞からも容易に窺えることである(引越トラックの荷台でバカになりそうな腰をいたわりつつ、「このあと配信用の動画撮影と編集があるんですの〜!」と呻くのだ)。
 きな子訊ねて曰く、鬼塚さんあなたエルチューバーって奴っすかあ!? と。自己紹介コメントにも「人気エルチューバーとして活躍していた私ですが、この度、スクールアイドルとしてデビューすることに致しましたの」とある。
 このあたりから推測して、どうやら株式会社オニナッツの主要事業は動画製作と配信にあり、設立目的も本音は税金対策であると考えられる。どれぐらいの投げ銭があるのか、エルチューバーとしての実入りがどの程度のものか、未だすべて想像の域を出ないけれど、あの年齢で会社設立を思い立ち、かつそれを実行したのは単に企業熱に浮かされたのではなく、課税対象になるぐらいの収入を得られるようになったためだろう。趣味の世界ではよく聞く話です。
 「大金が必要でないならば株式投資にまで手を出す必要はないだろう」旨発言している人のあるのを、どこかのオプチャか掲示板で見掛けた。夏美がLiella!に加入する流れを予想する流れだったと記憶する。
 うーん、この人、根本的に投資というものを理解していないのではないか。或いは、──株式投資で大金稼ぐなんて、この人はバブル期に大変美味しい思いをされた経験がある方なのか? だとしたらわたくしよりも年上になるが、もしこの発言者が若い人であるならば、株式投資はお金を大量に生み出すこと可能な錬金術かなにかと幻想を抱いているのでは。
 前者なら斯様な発言の出ることも理解できる。記憶がそれを忘れさせてくれないんだね。よくある話だ。が、後者であるならば……最前わたくしが日経平均の引用をした本をお買いになって熟読の上、投資を実践された方がよろしいのではあるまいか。むろん、後者であっても株で大金を得た実体験があり、それを継続しているならば話は別だ(もっとも「大金」の定義をどうするか、に問題が残りますが)。
 ──未だLiella!加入の流れが見えない夏美でありますが、加入の動機はなにか。自己紹介コメントを敷衍すればチャンネル登録者増と再生回数増、「いいね」増、の3点に集約できる。ただもしこれを動機として堂々とLiella!メンバーの前で披露したらば、……夏美の前には2人の巨大な壁が立ちはだかる光景は目に見えている。勿論、可可とメイである。この2人をどういなして加入するのか。まさか今更、スクールアイドルLiella!の活動に興味を持って……なんて順当な段取りは望めないだろう。
 主たる疑問の解決は、間もなく放送される第05話「マニーは天下の回りもの」と続く数回で明らかにされよう(と願う)。いよいよ鬼塚夏美のプロフィールが白日の下に曝される──「日経平均全面安!」以来どうにも無視できぬ存在となった彼女の今後に期待、である。
 なお、経営者は実はあまり日経平均の行方に、一喜一憂していない。下がり続けて歯止めが効かない場合は別だけれど。最後にそれだけお話して、さらば。◆

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第3445日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第04話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 遅ればせながら『LLSS』S2#04「科学室の2人」の感想文です。だいぶ日数があいてしまった。
 悪質な夏風邪のぶり返しもあって書こう、書こうと思いながら気怠さや疲労を理由に日1日と先延ばしにしてきましたが、流石にもうこれ以上の延滞は難しいと判断。次回第05話放送を前にした今日、まだ若干熱っぽさと倦怠の残る身体に鞭打ってキーボードに向かっている次第です。
 なお本稿は買ったばかりの有線キーボードの慣熟テストを兼ねているため、いつもより分量がちょっとだけ少なくなることを、あらかじめお断りしておきます。



 今回は前回予告通り、米女メイと若菜四季のLiella!加入回。
 初登場時から限界オタクぶりが噂され、回を追うごとにその素顔が視聴者の前に露わとなっていったメイですが、一方でスクールアイドル好きを若菜四季以外の誰かに察せられるのを厭うて、きな子とクラスメイトがスクールアイドルについて話したりしていると睨めつけてきたりしました。その理由は本話にて解明されますが、メイの加入過程は(最後の加入者鬼塚夏美のそれと同じく、)極めて興味深いものでありました。
 観終わったいま、第04話「科学室の2人」はメイと四季という、互いに不器用で似た者同士な、歪んだ鏡が見せる相似形の2人がたがいの気持ちをおそらく知りあって初めて、ストレートにぶつけ合って絆を深めるのと一緒に、気持ちに正直になって新しい一歩を踏み出した<新しい2人>の物語であった。こちらのフィルターが掛かっているせいかしれませんが、憑きが落ちたかのようなその後のメイと四季の笑顔はとても純粋で、ほんの少しだけ成長した2人を見るような思いがするのであります。
 第2話でしたか、メイは、スクールアイドルをやってゆけるか不安だったきな子に向かって、「自分がやりたい、目指したい、って思ったことを信じてみろよ。周りの声なんて──気にするな」と諭しました。それはきっと、自分への言葉だったのでしょう。スクールアイドルに興味があるどころか憧れていて、しかも同中の2人が所属するLiella!の熱狂的ファンで匿名で差し入れしちゃう程の愛と行動力を持っていても、見た目がそれっぽくなく言動もまた然りゆえに自分にスクールアイドルは向いていない、と自分で分析、結論附けたメイ。その世界から一歩引いていた自分だったからこそきな子に、あたかも希望を託すかのようなあの台詞を手向け、同時に自分のなかに残るスクールアイドルへの逆巻く愛を宥めていたのかもしれないな──本話まで観たあと改めて過去回を観直すと、思うのであります。
 そういえばメイは<代々木アイドルフェスティヴァル>(第03話「優勝候補」)で撮ったLiella!の写真を休み時間、恍惚とした表情で眺めておりました。これまでクラスメイトはメイのスクールアイドル好きを本当には知っていなかったかもしれませんが、それはいい換えれば本話00分43秒で見せた件の表情を見たことのない人が1人もいなかったことの証左。
 これはメイ側にしてみれば巧みな隠蔽工作の賜物なのでしょうか。否、そうではあるまい。
 ここで改めて公式サイトのメンバー紹介に戻りたい。米女メイの発言である。曰く、「小さい頃からいつも目つきが悪いって、友達にも怖がられてきたんだし。大体、好きじゃないんだよ。そんな風に自分のこと話すのって」と。また運営がキャラ紹介文として付けたプロフィールには、「斜に構えた、一見とっつきにくい不良っぽい女の子。そのせいか、周りから怖がられることも多いが、若菜四季とは不器用な者同士、つかず離れずの関係を続けている」と。加えて、本話ではきな子の証言(?)も飛び出した。曰く、「それで、クラスでちょっと怖がられているんっすね」(12分24秒-12分27秒)と。
 ここから想像するにクラスメイトたちは、同じクラスということで表面上は無難に付き合いをしていても、四季とばかり関わって他のクラスメイトは基本的にシャットアウトしているように映るメイと、どんな話題を、どんな風に切り出せば良いか、考えあぐねているのではないか。それが、きな子が四季に促されて姪をスクールアイドルに誘った際のあの、一見過剰とも思えるクラスメイトたちの反応である(第02話)。
 もしかすると彼女たちは、いま学内で話題のLiella!へ加入した(=スクールアイドル部に入部した)きな子を触媒に、スクールアイドルの話ができると思いこんだ……もとい、期待したのかもしれない。まだ年度も改まってそう経っていない時分であるから(GWにはまだなっていない?)、皆が皆、同じクラスの生徒について知っているわけではあるまいし、結ヶ岡女子高等学校は中等部を併設しない高等部のみの学校であるのだ。いい方は悪いかもしれぬが、全く以て未知の存在たる生徒も多かろう。「あの子はどんな子なんだろう?」「あの子となにを話したら良いかな」と胸中、いろいろ思うところもあろう。
 ましてや米女メイ、その外見と目つきの悪さゆえに人を遠ざけてしまっていること、上に引いたプロフィールと自己紹介コメントから推察することは容易でありましょう。今回、ぶじLiella!へ加入したことで、クラスメイトたちとメイの会話する場面が増えることを祈ります。

 外苑西中学から結ヶ岡女子高等学校へ進学した生徒は、第1期だけで7人が確認できました。かのんと千砂都、ナナミ、ヤエ、ココノ、第01話冒頭でかのんと会話していた音楽科に進学した2人、であります。新設されたばかりの結ヶ岡女子普通科1年に何クラスあったか、定かでありませんが、画面に映った普通科の制服を着た生徒の延べ人数から推測しても、精々が2クラスでしょう。
 現在の高校の1クラス平均人数がどれだけなのか知りませんが、親戚や友人の子供などに訊くと35-40人程度はいそう。まぁ35人としても内4人が同じクラスにいるって、なかなかの比率だと思うのでしょうが、どうでしょうか。
 なにがいいたいかというと、外苑西中学は立地の関係もあって、これまでとあまり生活圏の変わらぬ、しかも卒業生がスクールアイドルとして活躍している近隣の結ヶ岡女子高等学校を、進路指導の際に奨めることは自然な流れであり、第2期に於いて最終的にどれだけの外苑西中出身者が結ヶ岡女子へ進学したかわからぬけれど、そのうちの2人が他ならぬ米女メイと若菜四季であったことが今回判明した新事実である、ということをいいたかったのだ。
 そう、4人は同中だったのです。米女メイと若菜四季2人の中学時代の回想場面を観ていて、見覚えのある制服だな、と思うていたらそれが、第1期第01話冒頭でかのんが着ていた外苑西中学の制服でありました。すみれは違う中学出身であることが既に明らかとなっておりますが(第1期第04話)、恋の出身中学はどのようなところだったのだろう、とはたしかそのとき、脳裏をかすめた疑問でありました。
 それにしても、……『ラブライブ!スーパースター!!』の世界では学校の制服に、学年毎の差異を付けるということはしないのでしょうか。音ノ木坂学院も浦の星女学院も、虹ヶ咲学園も、ブレザーやセーラーの違いこそあれ、リボン・タイで学年の識別ができるようになっていました。現実的に考えても、そのあたりで区別するものでありましょう。
 しかし、なぜ結ヶ岡女子高等学校は? 外苑西中学は? 識別するためのアクセサリーがデザインされなかったのか。不要であるならば、その結論に至った理由は? スタッフは誰一人、その点について疑問を抱かなかったのか。デザインするのが面倒臭かった? 斯様に細かな部分への目配りが作品世界を堅牢なものへ近附ける、と、どうしてわからないのかな。──わたくしが気が付いていないだけであったら、どうぞご指摘ください。

 これまでスクールアイドル部に、部長はいなかった! 1年間活動してきたのに!? 或る意味でこれが本話、もう1つの柱となるトピックでありました。
 初年度は生徒数も少なく部活の数はともかく部員が少ないことで、風通しも見通しも良く、下世話な話をすれば予算配分もそう難しいものではなかったでしょう。が、創立2年目、普通科も音楽科も生徒数が増えれば既存のクラブは人数が膨れあがるところ発生し、新設される部活・同好会の類はどれだけの数になるか予想が付かない(虹ヶ咲学園程ではないでしょうけれど)。
 全体を把握するという生徒会の目的を果たすため、恋は部長会のようなものを開こうと思いまして……と、屋上での練習中にメンバーに伝える。その過程で、ではスクールアイドル部の部長はは誰にするか、という話になり、かのん以外のメンバーは当然かのんが部長に相応しい、といい出す──半分責任回避である。
 それを承けての06分05秒-06分19秒、久しぶりに描かれた千砂都のバイト先でのかのんと千砂都の会話です。曰く、──
 かのん;だからこそ、新しくなろうとしているLiella!の部長は、自分じゃない人の方が良いと思う。たとえば……ちぃちゃん、とか。
 千砂都:私!? 私はムリだよぉ。
 かのん;どうして?
 千砂都;だって、そういうの向いてないし……。
 このあと、若菜四季がかのんたちを訪ねてきてこの話、一旦中断となるのだが、或ることをきっかけに千砂都が立ちあがる(Chisato is rising,)。
 15分57秒-15分59秒
 メイ;だからいってるだろ。私は向いてないって。
 16分12秒-16分15秒
 千砂都;……向いてない……。
  (千砂都の回想)
 (秋の公園、池の畔。幼少期のかのんと千砂都、並んで坐っている。泣きじゃくっている千砂都)
 かのん;できるよ。ちぃちゃんはなんだってできる! 
 千砂都;……できないよ……。
 かのん;(千砂都の手を両手で握って)ちぃちゃんは、自分ができないって思いこんでいるだけ。だから大丈夫!
 千砂都;かのんちゃん……。
  (現在に戻る)
 (若菜四季を見送るメイを見る千砂都)
 16分56秒-17分12秒
 千砂都;向いてない……
 かのん;え?
 千砂都;決めちゃってたよね、メイちゃん。
 かのん;えっ──うん。
 千砂都;できるって思えばできるかもしれないのに。
 かのん;んあぁ……
 千砂都;かのんちゃん、あのね──!
 17分15秒-18分01秒
  (黒板に「結ヶ岡女子高等 第一回部長会」)
 恋;ではこれより、結ヶ岡女子高等学校第一回部長会を始めます。 
 四季;科学愛好会部長、若菜四季。
 千砂都;──スクールアイドル部部長、嵐千砂都です!
  (その様子を扉の影から見ているLiella!4人)
 かのん;──ちぃちゃん!
  (そのまま時間遡り、部室)
 恋;千砂都さんが!?
 可可;部長を!?
 千砂都;迷惑かけるかもしれないんだけど、自分にもできるんじゃないかって。チャレンジしたいんだ。
 可可;素敵デス!
 きな子;付いてゆきます、先輩!
  (可可、すみれ、恋、頷く)
 千砂都;みんな……。
 こんなに長々と台詞を引用してきたのは。10題は可能性の塊だ、という古臭くて小っ恥ずかしいことを敢えていうためでありました。社会人になっても大同小異ですが、やらぬ内からできないと逃げ道を作って、いつでもそこへ逃げこめる準備をしておくのは最低であります。過去に失敗したトラウマがあるならまだしも、新しい世界を見るチャンスを自分から潰しに掛かるのは、単なる腰砕けというて宜しいでしょう。自分自身の体験も踏まえて、そう思います。
 そんな次第で、斯様にできないと泣いていた千砂都が、部長、という立場を経験してみようと思い立ってそれを実現させたことは、千砂都自身にとっても大きな前進の一歩であったろうし、『ラブライブ!』シリーズが掲げる〈みんなで叶える物語〉の一変形であるように感じられるのであります。
 また、07月31日にライブ配信された『ラブライブ!スーパースター!! Liella!生放送 〜TVアニメ2期放送開始記念! 夏もみんなでスーパースタート!!〜』にて嵐千砂都役岬なこが第2期第01話と第02話の放送を振り返っての見所3つを挙げた際、3つ目に「安心と信頼のちぃ」と書き、Liella!メンバーを一歩引いたところから見ているような、とコメントしている(24分30秒付近)。
 わたくしは本話の千砂都の部長就任までの流れや皆とのやり取りなど観ていて、ふとこの配信を思い出し、これ以上望むべくも難しい形で実現したことを喜ばしく思うている。



 準備不足は否めない。あれを書こう、という気持ちが先走りすぎて、盛り沢山になるのを理性を以てそれを御し、時間が許せば本話の感想文は2回に分けたいとさえ思うた。が、それはできない。臥せっていた間に溜まったことの処理や役所と病院・銀行通いを最優先で片附けなくてはならないからだ。
 というわけで、本話についてはメイのことばかり語ってしまったけれど、機を見て同じぐらいの比重で若菜四季のことも語るつもり(特に20分40秒から20分45秒の四季ちゃんな!)。これが本稿への増補になるのか、独立した若菜四季についてのエッセイに組みこむかは未定。でも、書きますよ。四季のことを語らずしてメイのことは語ったことにならず、メイのことを語らずして若菜四季のことを語ったことにもならず。というわけである。
 ただこの段階で1つだけいうておきたいのは、若菜四季と米女メイ、この2人が同じ中学で出会い、親友になり、同じ高校に進学できたことに感謝したい、ということ。この2人はですね、断ち切ってはならん2人ですよ。因みに本話のED歌唱はこの2人でした。
 8人で「Song for All」やったの、良かったね。
 次回第05話はようやく鬼塚夏美メイン回(加入回はいうていない)、「マニーは天下の回りもの」。第01話を除いて登場平均時間1分の夏美がバイトに明け暮れる理由や、そもそも「株式会社オニナッツー」がなんの事業を行っているのか、など片鱗だけでも説明されたらいいのですが……夏美の部屋に積まれた10万円貯金箱(画面で確認できるだけで6個!)も気になりますね。それにしてもLiella!メンバーで「日経平均」とか「CEO」の意味を知っている人がいない、っていうのも、なんだかなぁ……である。◆

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第3444日目 〈病癒えたる者の感謝の言葉。〉 [日々の思い・独り言]

 1回だけ気紛れに更新して以来音沙汰なしの本ブログでしたが、本日から定時更新を再開します。更新しようとしなかろうとアクセス数にさしたる変化なく、相変わらず時間帯によってアクセス数ゼロというこれまで経験したこと稀なる不穏な出来事あると雖も、却って気が晴れましたので(納得)、不遜な態度に更なる磨きをかけて(呵々大笑)更新してゆきます! 
 とりあえず一昨日の昼間にようやく37度台に熱が下がり、翌日つまり昨日の午前からずっと平熱に戻って上昇する心配なしと判断、床上げしました。久しぶりのわが家……文字通り目と鼻の先にあるわが家に帰るのがこんなに嬉しくて、こんなに喜ばしいことだとは!! 歌おう、感電する程の歓びを!!!
 そうして独りの時間;最後の箇所に至って、気持ちを落ち着けて読もうと思い読み止して、なぜか数ヶ月が過ぎてしまっていた遠藤周作『キリストの誕生』を読了し、徳富蘇峰『近世日本国民史』〜「赤穂義士」を読みながらノートを執るという、佐藤優曰く最も非効率的なやり方という方法で読み進め(※)、今後の原稿のための材料の仕込みも再開した。溜まりに溜まった1週間分の新聞をまとめ読みして考えた話題については、明日書きます。
 おお、いろんなことが、以前と同じようになってきている。臥せる以前と変わらぬ日常が、戻ってきている。欠けているものは、いまのところなにも、ない。サンキー・サイ。
 とはいえ、まだ最初の1日だ。明日がどうかはわからない。あれもこれも、と一時に欲張らず、消化できるものから消化してゆこう。ゆっくり噛み砕いて。◆

※でもわたくしにはこの方法が、殊この本に関しては、いちばんしっくり来るのである。□

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第3443日目 〈病床で読む本について、つぶやき・なう。〉 [日々の思い・独り言]

 収まりそうにない咳と喉の痛みに悩まされて、全然眠れない。というわけで、今日は(暇つぶしを兼ねて)ブログ更新。『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第04話の感想を書きたいが、そんな体力はない。
 ノートPCほか荷物少々を携えていまも自主隔離、継続中。誰かの息吹も気配も、言葉も感じられないのが溜まらなく淋しい。ふと目を覚ました夜中、天井を見あげて何処にいるのか一瞬、わからなくなる。
 プルーストの語り手ではないが輾転反側して、寝るのを(ちょっとだけ)諦めて枕許の本へ手を伸ばす。いちばん上にあった本は、寝こむ前々日に買いこんだものだ。未読である。楽しみにして巻を開いてページを繰ったところ、──これは病床で読む本ではない、と早々に悟り、放り出した。集中力を継続させること困難ないまのわたくしにとって、隔離先に持ちこんだ本はどれもそこで読むのに適さない本だったのだ……。
 諦めて部屋の電気を保安灯だけにして、眠気が襲ってくるまでぼんやり天井の節目を眺めて過ごしているうち、金縛りみたいなものにあって「ぎゃあっ!」と悲鳴をあげてしまったのだが、これについてはまた別のお話。
 さて翌日である。早々に奥方様に事情を説明して、〈軽い読み物〉を差し入れてくれるようお願いした。〈軽い読み物〉というてもわたくしにとってのそれであり、奥方様に於ける〈軽い読み物〉ではないことを、さりげなく強調して。それから約1時間後、──
 「はい、持ってきたよ。これでよかったかな?」と奥方様が持参した文庫6冊の背表紙を見れば、ナイス・チョイス、というしかないセレクトであった。文庫化された当時は彼女もわたくしも夢中になっていた『図書館戦争』シリーズである。
 これならば隔離中のわたくしも、憂い事や体調のことなどしばし忘れて、純粋に愉しみながら時間を過ごすことができそうである。ただ難点は、併せて実写映画版やアニメ版も観たくなってしまうことだけれど、……こちらは快癒してからの愉しみに取っておきましょう。◆

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第3442日目 〈コロナに非ず、但し発熱上昇中。〉 [日々の思い・独り言]

 ただいま体温、39.4度。数日前から喉の調子がおかしかったり、倦怠感を覚えるようなことがあった。でも、それでも体温は37.9度を超えることはなかったんだよなぁ。
 既にコロナに非ず、の診断は受けているけれど、母と奥方様と娘に感染らぬよう敷地内のアパートの1室に自主隔離。ノートPCと本と布団を抱えて家を出る父を、娘が不思議そうな顔で見ているが、許せ、お姫さま、君のためなのだ。近いうちに帰ってくるからね。
 また、上記の理由により数日、ブログをお休みします。◆

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第3441日目 〈メモワール〉 [日々の思い・独り言]

 9715 3,875円
 4708 1,106円 (8031 2,967.5円)

 ただし、わたしたちがここで実名を挙げたのは、いずれも公職をもつかそれに準ずる立場にいた強い人たちである。本書を通じ、「弱い者いじめ」をした部分は1カ所もない。
鈴木宗男・佐藤優『反省』P11(「はじめに」より アスコム 2007/06)


 (本書では)研修生として親しい関係にあった武藤君との距離ができていく物語が進行してゆく。(中略)私が武藤君と会話を交わすことは、生涯ないと思う。しかし、武藤君が研修生時代の私にとってかけがえのない友人であったという記憶は一生消えない。
佐藤優『紳士協定 私のイギリス物語』P314-5(「あとがき」より 新潮社 2012/03)




 コールセンター業界でのメモワールを概ね実名で書き続けています。まだ終わりは見えないが、お披露目の予定はありません。◆

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第3440日目 〈北極星の役割を果たした《第九》。──もはや筆を執ることなき「1枚のレコード」から〉 [日々の思い・独り言]

 楽聖ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの第九交響曲に多くの録音ありと雖も、わたくしにとって「この1枚」といえるのは、最晩年のカラヤンとベルリン・フィルの1983年盤をおいて他にない。
 「苦悩を克服して歓喜に至る」──ベートーヴェン生涯の思想は、紆余曲折を経た後、遂にこの畢生の名作で結実した。
 カラヤンの演奏も、まるで己の生涯を振り返るようにして成った、唯一無二の名演といえまいか。既に関係悪化の頂点に達していた指揮者とオーケストラであっても、本気になれば進行中の確執など思わせもせぬ、力強く生命力に満ちた演奏を物すのだ。
 これを特に思い出に残る1枚として挙げるのは、これまでの人生でいつも、北極星のような役割を果たしてきたからだ。目標としていた夢を見失いかけたとき、壁に突き当たって思い悩んだとき、常に道標となり、立って前に進む力を与えてくれたのは、この《合唱》交響曲であった。
 強くあれ、逞しくあれ。振り返ることなく前に進め。北極星と信じたものをのみ信じてそこへ行け。人生は戦いの連続である。満身創痍となっても揺らぐことのない一生を、と望まずにいられない。◆

ジャネット・ペリー(Sp) アグネス・バルツァ(A) ヴィンソン・コール(Tn) ジョセ・ファン・ダム(Bs) ウィーン楽友協会合唱団 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ヘルベルト・フォン・カラヤン 1983年9月 ベルリン□

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第3439日目 〈机に積みあげた本から始まる独り言。〉 [日々の思い・独り言]

 自分で稼いだなけなしのお金を叩いて本を買え。渡部昇一始め誰彼が異口同音にいうことだ。
 買ってきたらひとまず机の上に積み重ねて、これだけ読まねばならんのだ、と自分にプレッシャーをかけろ。立花隆は『知のソフトウェア』(P108 講談社現代新書 1984/03)で説く。
 ──今日、久しぶりに都内に出て、新古書店と新刊書店を回り、昨日買った本とあわせて机の上に積みあげてみた(古書店が含まれていないのは、今日の行動範囲から大きく外れていたためである)。うーん、壮観である。定規で測ってみたら、47センチばかしあった。改めて;うーん、壮観だ。
 いつ頃からの習慣か忘れたけれど、どの本も買ったその日にざっとではあれ目は通すようにしている。勿論、頭のなかにはぼんやりした印象しか残っていない。でも意外と、キーワードや引っ掛かる箇所というのは朧ろ気ながら記憶に刻まれるようだ。
 もっともそれゆえに、後日特定の描写や件り、一語を求めてそれが「ある」と推測される本を捜索し、然る後片っ端からページを繰ってゆく作業が発生するわけだ。徒労に終わることが多いけれど、それでもひょんなことで探していたフレーズやらなにやらを見出せることも稀にある。
 さて、今日もこれから、買ってきた本に目を通す。こちらを向いた背表紙を眺めていると、小説の類が1冊もないことに「咨、やっぱり……」と嗟嘆する。こうまで人の嗜好は変わるものか、と見える形で突きつけられるとねぇ……やんぬるかな、と呻くよりない。そういえば最後に買った小説って、昨11月のひびきはじめさんの実話怪談本であったよ。
 ここ2年の間で手にして読んだ小説って、藤沢周平と『ビブリア古書堂の事件手帖』新シリーズの新作ぐらいだ。過去に読んだ作品の読み返しはここではカウントしていない。南木佳士と村上春樹は新作小説を出していないし、綾辻行人の『館』シリーズ完結作はそのまま著者の逃げ切りで終わりそうだ。キングもウッドハウスも買って積むだけで、読んではいない状況──一体どうなってんだ!?
 さて、話を戻して、──。
 安倍元首相追悼の特集を組んだ言論誌を中心にして、昨日今日で買いこんだのは政治やジャーナリズムの本ばっかりである。変わりダネは『国会便覧』第七十版(令和2年3月)かもしれぬが、新古書店で50%Offの値引きシールが貼られていたのを良いことに、即座に店舗備え付けの買い物カゴへ放りこんのだ。うーん、それにしても、立花隆の本が段々と比重を占めてきているな。池上さんと佐藤優の本も食指が動いたら買いこむとはいえ、一時のペースでは流石にない。
 法律や政治、経済といった社会科学の本をやたら読むようになったのは、これまで相応に人生経験を積んできたことと無縁ではないだろう。学生時代は単位取得のため勉強していたに過ぎぬ法学や政治学、統計学などがいまはとっても面白く、興奮とスリルさえ感じながら学べている。学生時代のテキストを引っ張り出して読み返し、新聞や雑誌の報道記事や、今日のように買いこんできた本へ目を通してアップデートすることを心掛けていれば、現代の国際社会や日本で起こっている事柄の背景や問題点もヒントぐらいは得られるようになる……と思いたいが、はてさて、本当に自分にはそれができているのかな? 不安である。
 とまれ、社会科学系については基礎がまだしっかりしていないので、これからも本を買いこみ、人に会い、アンテナを張り巡らせるなどして基礎をしっかり固め、視野を広げてゆこう。
 さて、それでは積みあげた本に、目を通してゆきますか。最初は鈴木宗男『政治人生』(中公新書ラクレ 2018/02)から。<鈴木宗男事件>については当時の報道や佐藤優の本で或る程度は知っているつもりだけれど、渦中にあった当人が如何なる人物であったかよく知らない。それゆえに今日、こんな本を買ってきた。そのあとは、安倍政権のメディアコントロールを書いた海外特派員の本、エトセトラエトセトラ。
 現在、00時09分……。◆



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