第3494日目 〈眠られる夜を迎えるために、枕頭で開く本。〉 原題;〈井上ひさしの真似をするわけではないけれど……。〉 [日々の思い・独り言]

 なかなか寝つけない日が、1ヶ月のうち1日くらいはある。時には何日も続くことだって。軽く体を動かせば(ストレッチとかね)どうにかなるか、と思うて試してみたが結果は空振り。
 人は眠れぬ夜、どう過ごすのだろう。或る年の或る日、気になって当時の同僚男子らに訊いてみると、ひたすら眠りが訪れるのを寝床でじっと待つ、或いは、スマホを弄って無為な時間を過ごす、と返事が両横綱であったのを覚えている。
 ひたすら待つのは結構辛く、スマホをいじくる趣味もないわたくしは結局、この酒席で行ったアンケートの結果にいたく落胆し、まるで自分の不眠解消策の役に立たぬことに頭をがっくり落としましたよ。
 まぁ、本でも読んでいよう。そうすれば直に眠りが訪れて、いわゆる寝落ちでもするさ。──実際そんな効果ある日もあった。そうしたなか薄々わかりかけてきたのは、普段から読んでいるような本ではなく、もっとテーマも内容も小難しくて素っ気ない、極端なことをいえばデータしか載っていないような本こそ、少なくともわたくしの場合は相応しいようである、ということ。
 はじめの頃は、多少なりとも経済学の知識があって、その筋で働いているような人を念頭に置いた経済書を古本屋で安く買って読んでいた。その頃はチンプンカンプンの内容だった。数字とデータ、専門用語と机上の空論を振りかざした〈魔導書〉のように思えてねぇ。開いて数分もすればたちまち眠りの世界に一歩足を踏み入れること、間違いなしの1冊だった。……が、経済に興味を抱き、自分でも投資などし始めたら、もうこの読書は本来の役目を失った。読めば読む程目が冴えて、「成る程、成る程」と呟くことも多くなってしまったのだから。奥方様と2人きりで過ごした初めての夜以来、この本を寝しなに読むことは止めている。
 年は流れて、現在。ふたたび何日も続けて、なかなか眠れない夜が続く。が、いまはかつての経済書と同じ目的で枕頭に侍らす本が、何冊かある。今年1月だったと記憶するが、秋葉原の古本屋(ブックオフじゃないよ)で『井上ひさしの読書眼鏡』(中公文庫 2015/10)を店頭の均一棚から掘り出した。帰りの電車のなかで読み始めてすぐ、うれしくて飛びあがりたくなってしまう文章に出会った。曰く、不眠症のときどうしているか、大江健三郎に訊いたら、大野晋『岩波古語辞典』を読むてふ返事が「この方法だとよく眠れる」というお墨付きで返ってきた、と。

 試してみて、その効果にびっくりしました。なにしろ、辞典には物語も伏線クライマックスもありませんから、いつでもやめることができます。……すぐに眠りに落ちてしまう。それ以来、この大江式就眠法で不眠症を退治しています。(P12)

 思わず膝を叩いたのはいうまでもない(そんな気持ちになった、ということだ。なにしろ帰りの電車のなかである)。この方法、いただきだっ! が、そんなときに限って大江式就眠法、わたくしには井上式就眠法を実践して不眠をやっつける日は訪れない。
 そうして、いま(just now)。眠れぬ夜を悶々と過ごしていたとき、不意にこの方法を思い出して、開くべき本はないか、とあれこれ脳内選定した末に枕頭へ運ばれたのが、『データブック・オブ・ザ・ワールド 2022年版』(二宮書店 2022/01)と『法律学小辞典 第5版』(有斐閣 2016/03)である。
 前者は副題に「世界各国要覧と最新統計」とあるように、東京を中心とした世界主要都市との時差や人口、農作物や鉱業他の統計がずらり、と並んだあとに世界196ヶ国のデータを載せるという、この種の目的で使うには至れり尽くせりの1冊。これをじっと読んでいると、なんと世界は様々な個性に満ちた国で構成されていることか、と感心してしまうこと請け合いだ。どれだけ面積の小さな国でも軍事上、宗教上、政治上の変革の歴史を抱えているのだな、と思わず考えさせられてしまった。南米スリナム共和国の歴史や日本の対スリナム貿易に関して、ちょっとした、最低限の知識をつけるならこの1冊から始めると良いですな(どうしてスリナム? なんて質問はなしだ)。
 後者は──イカン、これはかつての経済学と同じ顛末を辿りそうだ、という懸念こそわずかに抱いているが、いまはまだ字面を追っているだけで目蓋が重くなってくるから一安心。とはいえ、開いたページに関心がある項目が記載されていると、しばし読み耽ってしまうけれどね。これは致し方ない。「成年後見」は宅建でおなじみの項目ゆえに読み耽りそうだが、そんなときは隣のページへ目を移して「政府契約」や「精密司法」の項目を読めば良い。しかし、この『法律学小辞典 第5版』に目を通しているとわれらが住む世界は、国の別なくあらゆる形の法律がそれを支えているのだなぁ、と呆れ顔で納得しまう。それも、どんな言葉もチェックを怠りさえしなければ、年間を通じて1度くらいは報道されるような出来事に関わっている。──そんな小さな発見に満足しているうちに眠気が襲ってきて、パタン、と巻を閉じて──良かった、今日も奥方様を起こさずに済んだ、と安堵して──部屋の電気を消す。
 さて、今夜ですが、ちょっといつもとは違う形で、眠気は訪れてきました。つまり、今宵の睡眠誘導剤はこうした本ではなく、本稿の執筆だったのです。それが証拠に、ミスタイピングが増えてきた。もう寝ます。◆


井上ひさしの読書眼鏡 (中公文庫)

井上ひさしの読書眼鏡 (中公文庫)

  • 作者: 井上 ひさし
  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2015/10/23
  • メディア: 文庫



データブック オブ・ザ・ワールド 2022 (2022年版 vol.62)

データブック オブ・ザ・ワールド 2022 (2022年版 vol.62)

  • 出版社/メーカー: 二宮書店
  • 発売日: 2021/12/22
  • メディア: 単行本



法律学小辞典 第5版

法律学小辞典 第5版

  • 出版社/メーカー: 有斐閣
  • 発売日: 2016/03/12
  • メディア: 単行本



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第3493日目 〈ブログ改訂作業を通じて、過去を「なかった」ことにすることはできない、と痛感する。〉 [日々の思い・独り言]

 ここ数日というものちょこまかと、目立たぬように、公開済みエッセイの改訂を行っています。いまに始まったことではないけれど、ふとしたときに集中して作業に没頭するのですよね。
 とはいえ、内容を替えるとか論旨を真逆にするとか「歴史修正」に類するそれではありません。誤字誤変換を直し、表現をより相応しいものへ改めたり、内容はそのままだけれど段落の順番を入れ替えたり、という程度の作業。これを指してまさか非難する方もおられますまい……。
 稀にTwitterで改訂した過去記事を投稿することがあります。これは、上述の作業を施したという報告なのです。顧みても改訂/修正作業を行った記事についてツイートしなかったことは、一度もありません。これは自慢して良いことだと思うている。
 「報告」は読者諸兄への最低限の礼儀であり、ブログ主としての義務であり、読者諸兄に言葉を尽くして説明する責任を負っていることを自覚しているからであります。わたくしはね、岸田とは違うんです(呵呵)。理屈をこねくり回して詭弁を弄して過去を葬ろうとする行為は決して許されない。そんなこと、どれだけ組織ぐるみで隠蔽しようとしても無駄である、と知るからであります。
 ゆえに、流石にこれはどうか……という内容或いは主義主張の文章も、原則としてそのまま残してあります。残すことに心苦しい気持ちがしてしまうエッセイもありました。良心を苛まされる内容のエッセイもありました。しかしそれを敢えて残しているのはそれが、当時のわたくしの信条告白であり、過去のことだからとてそれをなかったことにすることは、決してできないためでありました。──これはわたくしなりに、誠意である、と思うております。
 長く続けば続く程、過去記事について定期的見直しを図り、文章をブラッシュアップさせ、論旨をわかりやすくするため内容そのままで段落を入れ替えるなどの作業は、必要不可欠の作業となる。足掛け14年実質13年目に突入した本ブログも、その例に洩れるものではありません。
 これからも日々の事柄や読書感想文、翻訳、考証随筆、政権模様、社会情勢、皇室批判など様々書くでしょう。未来の作物も一度お披露目したものについて細部の修正等はあっても、(原稿そのものの)入れ替えや論旨を逆にするなんていう無責任かつ尻軽な行為には及ばぬよう、自分の、その時点での考えを慎重に見極めて明らかとし、プロットを構築して、文章を綴るよう心懸けます。
 ──気が向いたときに行っているのでいつになるかわかりませんが、改訂作業が一段落したら、その方針や凡例などまとめて一文を草し、読者諸兄にお披露目してみたいと思います。◆

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第3492日目 〈安倍元首相の国葬を見て。〉 [日々の思い・独り言]

 日本憲政史上或る意味で最も議論を呼んだ葬儀が終わりました。安倍晋三元内閣総理大臣の「国葬」であります。参列するつもりが体調不良のため、九段へ献花すること叶わなかったのが無念でなりません。
 フジテレビの生中継で映し出された献花の列に並ぶ人たちは、愛国者なのだろうか。歪なナショナリストなのだろうか。故人への敬意という純粋な気持ちからその場へ足を運んだ人たちなのだろうか。安倍さんと同じ病気を患った人が取材に答えていました。安倍さんからもらったという、あたたかい言葉で綴られた返事を紹介してくれていました。
 一方で、国葬が執り行われているまさにその時間帯に、国会議事堂前で国葬反対デモを繰り広げている人たちも取材されていた。かれらは果たして、心底義憤の念あって国葬に反対しているのでしょうか。デモ行進に参加することにのみ意味を見出す〈自称・活動家〉だったり、お祭り騒ぎに便乗してみたいだけの輩は1人もいなかったでしょうか。元SHIELDsは論外としても。あれは意識的無意識的な〈アベガー〉の集合体ですよ。
 かれらは故人を静かに見送る、という意識を欠いているようであります。公人はどれだけ批判しても構わぬ、とでも考えている様子です。せめて国葬が行われている時間だけでもデモを控えても良かったのではありませんか? かれらは右翼の街宣車と変わるところはありません。デモ隊がやったのは、死者に鞭打つ非人道的行為以外の何物でもない。非難されるべきはかれらではないでしょうか。
 自分の意見をここでようやく表明すれば、わたくしも国葬反対の立場です。安倍さんは好きだし、尊敬もしている。あの優しさに触れたらば、誰しも安倍さんのファンになりますよ。残した業績のすべてについて100点満点をつけるつもりはないし、そんなことは出来ないぐらい納得しかねることもありました。
 安倍さんは好きだが国葬は反対、これがわたくしの立場であります。せめて岸田首相はもっと正面から、逃げ道を断って野党に対して、国民に対して、説明を尽くし、その上で国葬実施の可否を判断すべきでした。一部で報道されているように、麻生が「誰がどういおうが、国葬だ」と岸田首相に迫ったのが本当ならば、もうこれは恫喝以外の何物でもありません。老害です。
 フジテレビの生中継は菅前首相の弔辞を、CMを入れるとか余計な雑音を排除してぜんぶ電波に乗せてくれました。菅さんが声を震わせた瞬間は、流石にこちらも眼がウルッ、としましたよ。菅さんらしい朴訥とした、ポキポキ話の腰が折れるような話し方で、首相時代はマイナス要因と捉えられたのが、此度の友人代表の弔辞ではそれが逆に株をぐっと上げる要素になったようです。
 もう一言いえば、チラリ、としか映らなかったけれど、野田元首相の姿が映ったのも良かったね。立憲民主党内の批判を押して参列したことは、人としてこうあるべき、という姿を見せてもらったように思います。国葬反対を叫ぶばかりの衆よ、野田さんのような矜恃がお前たちにあるか? 見習え。◆

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第3491日目 〈『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』から、オムル・ハングの台詞。〉 [日々の思い・独り言]

 オムル・ハング「お前に足りなかったことが/あるとすれば/それは才能じゃない/その才能を/開花させようとする/情熱だ」
(『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』第1巻P100 才谷ウメタロウ/漫画・脚本/大脇千尋 角川コミックス・エース 2022/08)

 漫画を読んでいて久しぶりにグサリ、と来る台詞に出会った。
 オムル・ハングは『機動戦士ガンダム』でホワイトベースのメカニックマンだった。安彦良和『機動戦士ガンダム ジ・オリジン』にも度々登場する。
 『機動戦士ガンダム ピューリッツァー』は、『逆襲のシャア』ラストでアクシズの地球落下を防ぐべくこれに立ち向かったアムロ・レイが消息を絶って、1年半後から始まる。元ホワイトベース乗員のキッカ・コバヤシは、幼き頃に船で行動を共にし、間近で接していたアムロと、世間からは英雄視され“撃墜王”と呼ばれるアムロの間に感じる「ズレ」「ギャップ」を抱いていた。
 時まさに第2次ネオ・ジオン抗争から2年を経た宇宙世紀0094。アムロが正式に戦死者扱いされ、戦没者慰霊碑に名前が載ることが決まった頃。
 そうした現実を前にキッカは、「彼の足跡を辿って/彼がなにを思い/何に悩み/何のために戦い続けたのかを/記して伝えたい/それが私なりの/アムロさんとの/お別れになると/思うから」(P36)と、義母から紹介された、やはり元ホワイトベース隊のパイロットでいまはジャーナリストのカイ・シデンに紹介された人物を訪ね歩いて、かれらの見た/感じたアムロ・レイ像を取材してゆくのだ。
 冒頭のオムル・ハングの台詞は、そうしたなかで接触できたかれの口からキッカが聞いた言葉だが、実はこれ、オムルがキッカに、アムロについて語った台詞ではない。最初キッカは他クルーの許を訪ねたのだが、そこに偶々居合わせたのがオムル・ハング。そうしてオムルの台詞は、その元クルーに向けてのものだった。
 元クルーの名前をジョブ・ジョンという。こちらもガンダム世界には不可欠の存在(キャラクター)で、オムルにいわせれば「ホワイトベースの何でも屋」だった。
 モビルスーツにも乗れば整備に携わることもある。対空銃座に坐ったかと思えば、白兵戦では先頭に立って身を投じる。オムルにしてみれば評価の台詞だが、ジョブ・ジョンにはそうではなかった。正規兵にもかかわらず、アムロやセイラ他民間出身の乗員、パイロットに活躍の場を押され、戦後はそれがかれを縛る呪縛となったそうだ。
 そんな風に燻るジョブ・ジョンに、オムルがいったのが上述の台詞、曰く、「お前に足りなかったことが/あるとすれば/それは才能じゃない/その才能を/開花させようとする/情熱だ」と。
 小手先が器用、というか、「何でも屋」の表現がいみじくも語るようにジョブ・ジョンはどんな作業でもそれなりの能力を発揮し、現場に貢献できる人物だった。器用貧乏、そういうても良かろうか。
 尾籠(不敵)な話で恐縮だが、わたくしも似たようなものだ。どの仕事に就いても、余程場違いなジャンルでなければ、それなりにやってゆける自信はあるし、それなりの立場に昇る自身もある。しかし、器用貧乏と腰の坐らなさ、持っている才能を開花させるための情熱と持続力を欠くから、いまでも燻り、憧憬の想い断ち難く、もしかしたらその世界で活動していたかも知れぬ自分を諦めきれていない。
 件の台詞は、そんなわたくしの気持ちに突きつけられた匕首である。多芸なれどそれが恒久的収入と仕事受注の継続につながらないならば、才能は却って罪だ。いつか身を滅ぼすに決まっている。

 さて、みくらさんさんか……これからどうする?◆






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第3490日目 〈イギリス料理が好きな男が、コモンウェルス崩壊の始まりを考えて嗟嘆する。〉 [日々の思い・独り言]

 エリザベス2世の国葬はつつがなく終わり、ウィンザー城に埋葬された。チャールズ3世の御代に祝福あれ。安倍氏の国葬を結局説明らしいものもないまま強行する岸田政権よ、自壊せよ。
 娘がもう少し大きくなったら、知己のイギリス料理店に連れてゆきたい。フィッシュ・アンド・チップス、ジャケットポテト、シェパーズパイ、ブリティッシュパイ、スコッチエッグ……。そんなものを食べさせてあげたいのだ。問題は飲み物だが──ああ、娘よ、くれぐれもパパが腹の底へ流しこむ黒ビールに関心を抱かないでくれたまえ。
 ──こんなとりとめもない内容の、短い覚書めいた文章を書いているのは、ゴルバチョフ自伝を予定の分だけ読み終えたあと手近にあった佐藤優の『紳士協定 私のイギリス物語』(新潮文庫 2014/11)を気の向くままに読んでいたからだ。
 外務省へ入省した佐藤氏は1986年07月初めから1987年08月末まで、語学研修のためイギリスで生活した。その回想記が『紳士協定』と『亡命者の古書店 続・私のイギリス物語』(同 2018/02)。
 佐藤氏が経験したイギリスは、わたくしが渡英した1990年03月でも健在だったようだ。既にサッチャー政権に陰りが見え始めて、国民の不満が頂点に向かっていた頃だったけれど、社会を支える人々の感情や食文化、ロンドンの書店やチャイナタウンの様子など、記憶にあるのとあまり変わらぬイギリスを佐藤氏の著作に見ることができる。
 翻っていまの、21世紀のイギリスはどうなのだろうか。トラス首相が新しい英国首相に就任し、前述のようにチャールズ3世が史上最年長で国王に即位した。コモンウェルスの連帯は女王の崩御によってさっそく揺らぎはじめ、独立の意思表示をする国も少なからず登場しているらしい。例によってアイルランドとスコットランドは独立問題が再燃し、共和制への移行も真面目に検討されている、と聞く。
 20代の一時は真剣に移住を考えた英国の栄光が、既にむかし話に過ぎなくなっているとは承知している。しかし、と考えてしまう……エリザベス2世の存在と役割の大きさと、時代のあまりに早すぎる変化のことを。
 もはや地上に〈陽の沈まない国〉は残滓も存在しなくなるのか。◆


紳士協定: 私のイギリス物語 (新潮文庫)

紳士協定: 私のイギリス物語 (新潮文庫)

  • 作者: 佐藤 優
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2014/10/28
  • メディア: 文庫



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第3489日目 〈子を想う父は遺言書を書く。〉 [日々の思い・独り言]

 このまま無視して今日は安息日、と決めこむつもりだったが、やはり書くことにした。



 遺言書──むろんメモの域を出ぬけれど、なんだかずっと咳が止まらない体に不安を覚えて、いまから準備しておくことにした次第。まぁたいした内容ではないが、子供に伝えておきたいことはなによりも、──

 正しく生きてください。

ってことですね。
 他は、──

 他人の悲しみや痛みに寄り添える心を持ってください。
 道徳と礼儀を身につけ、弁えた人間になってください。
 お金を大切に扱ってください。欲望や周囲の悪意に流されないでください。
 ママのような女性になってください。
 難しいだろうし、時に残酷かも知れないけれど、お友達は選んでください。お友達次第であなたの人生は上質なものにも、惨めなものにもなりますから。
 自分を大切にしてください。

ということでしょうか。
 まだあるけれど、いまはここまで。なんというてもまだ「メモの域を出ぬ」代物ですからね。

 それでは、ちゃお!◆

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第3488日目 〈汝、自身を知れ。〉 [日々の思い・独り言]

 いま抱えている病気について知りたいとの思いから、家庭用医学書のみならず近頃は、医学生や医療現場の人たちを対象にした医学書にまで手を出している。元がみくら家、医者であるせいか、こうした医学書をペラペラ目繰ることにまったく抵抗はない(むろん、書かれている内容が理解できるかは天と地の違いである)。
 あれこれ読み散らして納得したのは、自分の病気が日本では珍しい種類のそれであり、治療には長く時間を要すということ。
 種々の検査結果を踏まえて、主治医から正式に病名が告げられた。
 予兆ありとは別の病院にて既に知らされていたが、こうしてMRや血液検査などを経て改めて正式に、「あなたの病気は○○という名称です。これからはこのような治療をしてゆこうと考えています。薬は処方しますが最初から本来の錠数の服用は避けて、少しずつ増やしていって体がそれに耐えられるか様子を見ましょう」と告げられときは、未来に多少の不安こそあれむしろ安堵の方が優ったことを覚えている。
 抗がん剤の必要がない、とわかっただけで慶賀だ。日本人の発症率一桁てふ病気だが、そのなかで抗がん剤不要の人が占める割合がどのくらいかは、どの文献をひもといても詳しく載っていなかった。
 が、斯様に標準治療の可能な群に属することで幸いと感じるのは、抗がん剤の不要なる点のみではない。抗がん剤治療の対象になっていたら、検査のために通院する日は果たして月に何度あるか。毎回の血液検査の結果によっては検査入院の必要も生じる由。──これがどれだけ生活や仕事に影を落とすことになるか、夢想だにゾッとする。
 薬代については──役所に限度額申請をして、書くべき書類を正しく記入して期日までに提出しさえすれば、どれだけ多量に処方されても一定額内で収まることを考えれば、標準治療の範囲にあろうとあるまいと、そのあたりはどちらへ転ぼうと支払う額は同じになるのかな、なんて不謹慎なことを述べてみたり。
 今回は数ヶ月前に告知されて治療続行中の病気について、取り敢えず初心者でもどうにか理解できそうな本を片っ端から購うて調べてみた。自分の病気について、(医学書を平素から手掛けている出版社から出された)専門書や入門書、家庭向け医学書であれ、信頼できるWebの情報(医療従事者、厚生労働省他所轄官庁、行政、保健所などのブログやHP)であれ、自分が抱える病気について正しい知識を得て、どんな治療方法があるのか、隣接する病気にどのようなものがあるのか、など自分のなかへ蓄えておくに越したことはない。
 医師の説明がまるでチンプンカンプンでは、困ってしまう。少しでもわかるようにしておくための知識である。──本やWebで得た知識を絶対的なものとして担当医と渡り合おうなんて愚者は、流石に居らんでしょう。
 「汝、自身を知れ」とは古代ギリシアの格言で、本来の意味はここで用うのとはやや異なると雖も、自分自身について正しく知ることを常とせよ、という程度の意味で使っております。◆

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第3487日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第09話を観ました。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 そろそろ『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第09話「勝利のために」の感想を……と思い、ようやっと今日(昨日ですか)腰をあげたところです。
 しかし、──普段なら感想文第一稿があがるまで閲覧を禁じている感想サイト(動画含む)なのですが、偶さか開いてしまったオープンチャットで、気にかかる文言を見てしまうた。
 それが此度の感想の一部を成す話題と被る部分あったので、他の話題は後日にまわして急ぎその点についての自分の考えをまとめてみたのが、本稿であります。
 後日お披露目する正本では文体をいつもと同じくする作業を施し、誤字脱字・誤変換、記憶違い等訂正を要す箇所を直し、段落の順番を入れ換える等以外、下記本題に於ける当方の考えは些かの改変もないはずです。



 前提;「調べれば神津島は品川区扱いで」(Twitter→オプチャより)
 疑問;「品川区扱い」という発言のエビデンスは? ラブライブ!の地区予選は、選挙区や陸運局の扱いに準じるのか。
 おさらい/東京都;23区、即ち特別区を指す「区部」。26市3町1村から成る「多摩地域」。2町7村から成る「島嶼部」。以上3エリアで構成される。

 これまで地域単位の大会については『ラブライブ!』以後度々触れられてきたが、より具体的でより詳細な設定が起こされたのは、『ラブライブ!スーパースター!!』からではないか。
 μ’sとA-RISEが覇権を競った時代、推定5年後の世界にいるAqoursの時代、ラブライブ!大会は夏冬の2回開催されていた。翻ってLiella!とSunny Passionが活動する『ラブライブ!スーパースター!!』の時代は冬季大会のみ開催となっている。
 スクールアイドルが大量増殖したこととそれに伴う玉石混淆が進んだこと、そうして動画視聴サイトの整備とウェブ投票環境の構築が成されたことで、μ’s/Aqours時代の何次にも渡る選考作業そのものを簡略化できたという背景があったろう。それは参加スクールアイドルの負担軽減(地元と会場の往復や宿泊費等々)になったろうが、同時にすべてのスクールアイドルに対してパフォーマンスの向上のみならず撮影や編集の技術の向上を強いもした、といえるのではないか。
 『ラブライブ!スーパースター!!』になってようやく、というか遂に、「オンライン投票によって地区大会通過者が決まる」と明言された(第2期第08話 鬼塚)。いい換えれば、パフォーマンスは勿論、動画撮影や編集技術も生半可なレヴェルでは視聴者の心と(クリックする)指に働きかけられなくなった時代に突入したことも意味する。第08話にて表参道で歌うLiella!を撮影する機材がプロ並みのそれであったことも、こんな話を裏附けるだろう。
 さて、話が逸れたようだ。軌道に戻そう。
 「神津島、品川区扱い」の件だ。今一度オプチャの投稿者に問いたい(正確にはオプチャ投稿者が紹介したTwitterのツイート主に、だが)。これのエビデンスはなにか?「調べれば神津島は品川区扱い」とツイートした根拠は、その典拠はどこにあるのかを知りたい。教えてほしい。
 疑問だ。
 神津島の行政は大島支庁が管轄し、ここには神津島出張所が置かれる。が、あくまでこれは島嶼部としての行政管区であり、選挙区や陸運局の扱いはこれと異なる。選挙区でいえば神津島は品川区と大田区の一部同様東京第3区にあたり、車輌のナンバープレート発行など登録関係は関東運輸局東京運輸支局本庁舎のある品川で行われる(神津島始め島嶼部の自動車のナンバープレートが殆ど品川ナンバーなのはこのせいか)。
 しかし、ラブライブ!の地区大会は行政や選挙区と同じブロック割を採用しているだろうか? 第1期第10話のアキバリポーター(シブヤレポーター、か)の台詞から推測すれば、それはどうも怪しい話だ。
 無印時代・Aqours時代とは名を変えて登場した彼女は、Liella!メンバーを含む説明会参加スクールアイドルたちの前で斯く発表する。曰く、「毎年盛り上がる地区予選ですが〜! 今年は出場校が多く、全てのグループに歌ってもらうのは困難と判断したため、(中略)各地区ごと歌に課題をつけることになりました! (かのん;課題?)出された課題を歌に盛り込んで大会で披露してもらうことになりま〜す! ここ東京南西地区は渋谷を含む流行の最先端地区! (後略)」と(03分20秒-04分02秒)
 これは渋谷区を含んだ地域を対象にした、東京南西地区予選の説明会。つまり、『ラブライブ!スーパースター!!』の時代では最小規模の、いわば1次予選だ(※)。第2期ではSunny Passionがウィーン・マルガレーテに敗北を喫した予選である(第09話)。運輸局の括りでは渋谷区と品川区は同じ品川ナンバーエリアになるが、選挙区をベースにしたらば第3区と第7区でまったく別のエリアだ。為、わたくしはラブライブ!大会の地区予選/地区大会は、これとは別なエリア設定がされている、と考える。
 では、どのようなエリア設定になっているか、と訊かれるだろうけれど、万民を納得させられる解答や推論は持てずにいるのが悩ましい。
 ただ、島嶼部と23区を一緒の予選エリアであるならば、参加スクールアイドルの過疎化ゆえに大会運営がエリア合併に踏み切った可能性は否定できない。裏を返せば、島嶼部だけでじゅうぶん予選エリアとして成立する(数的に)だけのスクールアイドルの参加が見込めれば、エリア合併させる必要は生じないことを意味する。そんな風には考えている。
 これを突き詰めてゆけば、(大会実施年度の)初回エントリー〆切後に判明したエントリー総数によってブロック割が決定するため、それは一律固定化されるものではなく多分に流動的である、ということにもなるだろう。極めて他愛ない結論に辿り着いたが、まぁ世間で実施されるイヴェントとは得てしてそんなものであろう。

※但し、23区各区に存在する高等学校(定時制・高専含む)の総数を考慮すれば、1区だけでじゅうぶんに地区予選は成立するような気もするが、そこはやはり数区を一緒にして作業を簡略化したいという大会運営側の思惑が隠されているのだろう。視聴者(投票者)の負担を軽くする、という名目──大義名分──の下に。



 無印時代からずっとモヤモヤしていた、ラブライブ!大会運営サイドにも踏みこんだ内容は初めて書いたかもしれません。
 この点、考えれば考える程、突き詰めれば突き詰める程悩ましくなってきて、困ってします。でも、知的愉楽を堪能できるという意味でもわたくしは『ラブライブ!スーパースター!!』を偏愛している……そうでなければ娘の名前をここから採ったりしないよっ!!!
 にもかかわらずわたくしがアニメ作品をネタにこんな、現実とリンクさせた検証を感想文にかこつけて書いているかといえば……恩師が東京サザエさん学会代表だったせいかなぁ。学生時代はかなり感化されたからねぇ。わたくしの、アニメや漫画をタネにした検証癖のルーツは、たぶんここだ。意味のわからぬ人は『磯野家の謎』、『磯野家の謎 おかわり』及び『磯野家の危機』(いずれも飛鳥新社)を、どうぞ。
 それはさておき、残る第09話感想の柱は、ウィーン問題と可可とすみれの件ですね。鬼塚と四季の悪ふざけ(……か?)も取りあげたいけれど、文字数は200字程度にしかならんだろうなぁ。しかし「ウィーン問題」、こう書くとまるで国際問題ですね。世界史用語集に出てきそうだ。◆

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第3486日目 〈もしかしたら呪われてるんじゃあ、なかろうか?〉 [日々の思い・独り言]

 ──1ヶ月半くらい前からだったか。両手首に、腱鞘炎か、と思い紛うような症状が出始めた。手首を一定の角度以上に曲げようとすると、途端に痺れと痛みが走るようになったのだ──時に顔をしかめる程にね。
 呪いじゃないかな、なんて冗談で紛らせつつも心のどこかで本気にしているのは、一ヶ所の痛みが引くと今度は別の部位が痛むようになる、痺れてしまう、そこが治ると今度は別の部位が……というルーティンに悩まされているからのだ。
 最初は、夢のなかで魘されて思わずベッド脇の壁を叩いたら運悪く窓枠に当たって、痛みで飛び起き、しばらくのたうち回った。それが、右手の指の付け根である。痛みがどうにか引くと、次は左手の手首が外に曲げられなくなった。ドラッグストアで購入した塗り薬のお世話になって、それでも5日か6日はその痛みに耐えなくてはならなかった。
 それから今日まで、痛む部位は左足の甲→右手首→左手の甲→右手首→左足の甲と、ほぼ同じ間隔を置いて巡っている。メビウス・リンクじゃあるまいに。
 本稿を書いているいまも、そうした痛みや痺れは、ある。かなり手首へ負担がかかっているはずなのに、ふしぎとキーボードを叩いたりペンを持って書いていても、さしたる支障は感じない。まぁ、手首を曲げる方向が逆だから当然かも知れないけれど。
 しかし、こんな風に同じような痛みや症状が定感覚で、しかもほぼ同じ場所に現れるものか。
 本件について病院へはまだ行っていないが、収まる様子が一向に見られそうもないときは、次回通院時についでに診てもらおうか、と考えている。もしこの症状が骨にヒビが入っているとか現在抱えている病気に起因するなどでないならば──もはやこのルーティン・ペインはオカルト方面に理由を探す方が良いのかもしれない。
 決して呪いとかオカルト現象を恐れるわけではないが、そうした事象に対抗措置が執れるのであればなるべく早い段階で対策を講じておくのがベターであろう。
 万一、この症状が本当に呪いに起因するものだったとしよう。その場合、呪い主に1人2人の心当たりがある。尋問して呪い主が判明したら、その人から医療費等々請求できるかな。◆

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第3485日目 〈48グループが「いた」時代。〉 [日々の思い・独り言]

 長く愛読(立ち読み)してきた『Sax World』誌の連載、「古畑奈和の輝け! サクソフォン次世代エースへの道」が現在発売中の最新号で最終回となった。その事実に、打ちのめされてはいないが一抹の淋しさを覚えているのは否定できないみくらさんさんかです。
 今年05月にSKE48を卒業したことも関係あるのだろうが、1年に4回の愉しみがなくなってしまうのは、やはり淋しいものです。黒髪時代の奈和ちゃんからピンク髪の奈和ちゃん、髪の色が落ち着いて良い感じになった奈和ちゃんまで、娘の成長アルバムを見るかの如き感覚はもう味わえなくなるんだな。なんだかね、目のなかに入れても痛くない愛娘の成長を見守り、遂にはお嫁に出す(”ドロボー野郎”に奪われてゆく)父親の気分であります。
 そういえば古畑奈和がSKE48に5期生として加入した頃は、まさにグループが「AKBに追いつけ、追い越せ」と下克上も視野に入れた活動をしていた時分であった。時系列は前後するが、念願のナゴヤドーム単独コンサートを実現し、シングル売上げ枚数は時に秋葉原の本体に肉薄し、地上波やCSチャンネルで冠番組が(地方局も含めて)誕生し、『紅白歌合戦』で単独出場した際は(夏先生が本当に企てかは知らんけど”ももクロ潰し”を狙って)須田ちゃんに8回ターンさせたり藤本美月に3連続バック宙させて話題を振りまき、NHK名古屋放送の音楽番組『Uta-Tube』では常連となり、ドキュメンタリー映画が製作されたり、等々等。
 あの頃をリアルタイムで知るメンバーは、現在のSKE48にどれだけいるか。総大将も教祖様も鳥姫も”んんん”も、3バカトリオも、場末のスナックのママも、”たからづか”も、”カツオ”も”男乙女”も”絵師”も、”うなさん”も、”キャプテン”も”かなかな”も、”姉さん”も””スマスマ事件”も、いまはもういない(※)。
 古畑奈和と同じく須田亜香里も卒業したいま、あの時代は完全に過去の栄光となった。そうしてそれは恐らく、2度と戻らぬ幸せな時代でもあった。
 最早わたくしが箱推し、もしくは単推ししたSKE48は消滅した。今後〈SKE48箱推し〉は勿論、そこから誰かを見附けて推す……なんてことは決してないだろう。できない、というよりも、する気がない。
 そも箱推ししていたのは、AKB48のシングル/アルバム売上げ数でもコンサート実働人数でも後塵を拝していたSKEメンバーを、一人でも多く神7のなかへ送りこみ、秋葉原組の牙城を崩すという使命が、当時のSKE48を支えるわれらにはあったからだ。
 ちょっと年数はかかったけれど、その目的は最終的には果たされた──と軌を一にして48グループ全体の凋落も始まった。各グループの全盛期を支えたメンバーがその前後からグループを去ってソロ活動に移ったり、引退したり、を始めたからだ。まぁ、対戦相手が自分都合で退場したから順当に繰りあがった、というのが、いい方は非道いが実情だ。
 斯様にして去った元48グループメンバーは数多ありと雖も残念ながら、その後目立つ活動を残した人物は殆どいない。指原莉乃と松井玲奈の他に誰が?
 某クイズ番組の準レギュラーであった大家志津香は、お茶の間の知名度こそ指原と同等かそれに準じようが、さて、件の番組以外での活躍といえば……ああ、最早目的を見失った「池の水全部抜きます」番組があったな。まだ出演しているかわからんけれど、それがきっかけでソロ曲がもらえたのは儲けもんであったろう。
 卒業後も相応に安泰な活動をしているのは、むしろ坂道シリーズの面々ではないか。単純に、テレヴィを点けたらCM等でよく顔を見かける、という貧弱かつ最高にわかりやすい基準で判断している。それはいい換えれば、継続して流されるCMの本数(社数)、諸番組に出演する回数など「頻度」の話でもある。そうした観点でテレヴィを点けた場合、──48グループの卒業生の誰を、坂道シリーズの卒業生たち以上に見ますか? わたくしは残念ながら「否」である。
 かつてのモー娘。のように48グループが、或いはそのなかの1つが息を吹き返して後続グループに対して巻き返しを図り、J-POPシーンの第一線で健闘する姿を目にすることはあるまい。が、見方を変えれば48グループの凋落と坂道グループの躍進と停滞は、音楽が消費される現代の象徴的存在といえる。爆発的に売れるよりは、地味にしぶとく売れる/聴かれる方が、人々の記憶に残りやすい、という意味も含む。然り、彼女たちはネガティヴな意味でのアイコンなのだ。
 彼女たちの存在とその盛衰は、他の歌手たちにこんな課題を突きつけたも同然と思う。即ち、「今後、如何にして長く聴かれてゆく(消費されない)音楽を作り出してゆくか」、「たかだか1曲程度ブレイクしたからといって慢心せずに自分を保ってゆくにはどうしたらいいか」、「自分の音楽を見失うことなく、少しでも長く活動してゆくその方法と心掛けるべきことは?」──。
 まァ48グループの没落は、メジャーデビュー以前から劇場で観てきた(観させられてきた)者からすれば、非常に悲しいことではあるけれどいずれは訪れた未来の姿。あらかじめ予定されていた未来が実現しただけのこと。
 盛衰の過程でSKE48という姉妹グループが生まれ、そこから本稿で名前を挙げた数名のみならず多くのアイドルたちが活躍する土壌を提供した、という点に於いて感謝しよう。たくさんのメンバーが去った。もう彼女たちは蜃気楼のような姿しか見せてくれない。森田健作ではないが、「さらば、涙といおう」である。
 ──ふと思い立って画像検索してみた。そうして改めて確認した。
 古畑奈和って本当に昔っから(堀北真希と瓜二つなお子様な頃から)、ホッペタの丸っこい愛すべき狸顔やったんやな。狸顔好きやから、別に構へんけどな。そこがまた可愛いわけやし。◆


※「誰のこと?」と訊かれる前に、氏名を挙げます。順に、──
 松井玲奈、大矢真那、高柳明音、向田茉夏、木﨑ゆりあ、木本花音、矢神久美、小木曽汐莉、秦佐和子、桑原みずき、中西優香、古川愛李、北原里英、平田璃香子、平松加奈子、佐藤実絵子、菅なな子、
──であった。
 ここに、宮前杏実と東李苑、本文中に名を出した古畑奈和、須田亜香里、藤本美月、を加えれば、わたくしにとってのSKE48ベスト・メンバーとなる(但し1名、便宜上加えざるを得なかった人を除く)。
 それにしても懐かしい名前が並んだなぁ。□

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第3484日目 〈自伝と伝記。〉 [日々の思い・独り言]

 先日読売新聞の書評欄でも紹介された『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』(東京堂出版2022/07)をゆっくりと読んでいる。〆切のある原稿を依頼されたわけでもなし。ゆえに文中の地名や戦闘を電脳空間の力を借りて確認しながら読み進め。これは素人の特権といえるだろう。
 活躍した分野に関係なく伝記や自伝を好むのは、小学生の頃所謂「偉人の伝記」を読み散らして飽きることがなかったからだろう。学研のマンガやポプラ社、講談社ほかの伝記を買い与えてくれた両親、貸してくれた兄と友人、それを揃えた学校図書館、いずれにも感謝である。
 さて、話題を『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』に戻して。
 1度は最後まで目を通したとはいえ、まだ第1章。いまの再読はどちらかといえばじっくりなペースなので、こんなことになった。ざっと最後まで目を通して、これはきちんと読まなくっちゃアカンな、と思うて読み直しているのである。
 読み返して良かった。最初の通読ではゴルバチョフ幼少時の家族の歴史、就中父の従軍にまつわるエピソード、子供たちを食べさせるために母が負った苦労など、印刷された活字の域を出るものではなかったからだ。
 いまは──違う。命を吹きこまれて血の通った生身の人間として、わたくしの前に立ち現れる。後のゴルバチョフ、即ち幼いミーシャを中心にした一個のライフ・ヒストリーが再現されている。
 読み直し(とは事実上の初読も同然だが)によって、教科書や大部の世界史書籍では語られない独ソ戦の一戦闘にゴルバチョフ父が参加し、武勲をあげていたこと、母が食糧を得るために遠くの村まで出掛けていって、許可された配給以上の量を持って帰ってきたことなど、この作業なくして目を留めることは恥ずかしながら、なかっただろう。
 果たしてこうした出来事が、第三者の筆に成る伝記に記載されるか。あたかもレポートのような扱いで載ることはあっても、そこには〈人間〉がいない。紙芝居や人形劇を観ている気分だ。そこそこ精細に書かれたとしても、今回の場合であれば自伝を典拠とした引き写しになるのでは。生前のゴルバチョフ本人にインタヴューした、軍当局に保管される資料を発掘した──いずれも余程のケースでなければ望み得ないだろう。
 自伝と伝記の異なる点は、1つは客観的な立場で、視点で書かれているかどうか、1つは幼少時の家族の歴史が詳細に描かれているかどうか、に尽きる。対象人物が存命か故人かは大きな差異ではない。自伝は存命中に書かれる(語られる)のが常だが、伝記は没した後に書かれるとは限らぬ。カラヤンを見よ。1989年07月に亡くなるまで、いったい何種の伝記が公刊されたか。
 そうして表舞台に登場するまでの出来事──生い立ち、一族の歴史、個々人のパーソナル・ヒストリー、その人生の断片──に関しては、伝記よりもやはり本人の口から報告される自伝の方に、軍配は挙がるように感じられる。
 だから、というわけではないが、伝記よりは自伝が好きだ。語られる事柄に信憑性の疑わしい部分があったとしても、多少なりその人物について知識あれば自身を正当化するような記述に遭遇しても、やはり大事なのは「本人の口から語られている」ことではないかな。今度はその発言を検証してゆく、という愉しみもある(自分だけ?)。
 それにね、正直なところをいえば、ゴルバチョフくらいの人物になると書かれる伝記は余りに精微に過ぎて、途中で読む気をなくしてしまうんッすよね〜(桜小路きな子風に)。やれやれ。◆

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第3483日目 〈終活、始めました。〉 [日々の思い・独り言]

 買ったは良いが読みそうもない本は処分する。たといそれが好きな作家の未読本であっても。
 処分するなら未読本にせよ。既読本は或る時ふと読みたくなったり、参照する必要があるから処分するな。──『遺留捜査』の糸村警部補ではないが、そんなことを誰かがいってた。
 蓋し格言と思う。未読本には未練なし、書いてある内容も知らない。が、既読本は……というわけである。
 それを念頭に部屋を見渡すと……あるわあるわ、読むつもりで買ったが未だ読めていない本がゴロゴロしている。ざっと検分したら、「まぁ、これは売り払っても良いか」というものが過半。
 というわけで、明日からしばらく終活作業の一環として、蔵書の点検あらため蔵書の分別を始めることにした。分別とは単純に、棄てるか残すか、である。
 それを一段落させたら、保有資産の整理と保険の見直しに移る。前者は所有不動産の売却と株式等々の点検、後者は病気を踏まえてより相応しいそれへの切替と娘の将来を見据えてのことだ。
 終活というにはこれまでと同じことをしているように思わぬでもないが、蔵書の処分やらなにやらは或る年齢を境にその行き着く先が終活になるのだろう。つくづくそう感じることである。◆

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第3482日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第08話を観ました。〉(メモ) [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 あっという間の1週間であった。メモのある安心が感想文へ集中するのを後回しにし、斯様な事態に相成った。
 本稿は過日も触れた第08話のメモである。重複したり飛んだ内容もあるが、いまは敢えて殆ど手を加えることなくお披露目とする。勿論このまま放置ではなく、ちゃんとした感想文の体裁に整えることだけは決めてある。




『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第08話「Chance Way」

○ようやく生徒会新体制。→きな子の緊張しつつも足を運んでゆく姿が初々しい。ちょっとの間に成長したなぁ……。ナナミって七草ナナミっていうのがフルネームなのね。なにげに神モブのフルネームが設定、登場したのは彼女が最初ではないか。

○結女の疑問→私立にしては校則ゆるゆるだな、という印象。自分も私立で、海軍の気風漂わせた高校(驚愕になったその年から「甘〜い」学校に成り下がった。ここが現在では高校野球県大会の強豪校なんていわれているんだから、最早世も末である。)だったからけっこう校則は厳しく、体罰や居残り説教とかも茶飯事だったので、女子校とはいえこんなに校則ゆるゆるな学校を見ると羨ましくなってしまう。
 メイはリボンをブラウスに着けたことが1度もないし(確認できる範囲では、制服を着崩しているのはメイ一人で、余計に目立つことから注意対象になるはずなのだが……)、ソックスについてもカラーや長さではなく履く履かないのレヴェルで特に指定はない様子。校内を自走式シューズで移動したりなど、生徒の自主性を重んじているなんて範疇の話ではない。それとも、21世紀の私立校なんてこれが正常なのかな。
 そういえば生徒会任命式に、音楽科の制服着た子たちがいましたね。席次は相変わらず音楽科が前列のようだけれど、全体の場面では普通科の制服と音楽科の制服が混じっている。それが隣り合っているシーンなんて、第1期を振り返るとまさに胸が熱くなりますな……感慨深い、という奴である。

○ありあとかのん。オープンキャンパス。劇中では10月である。無印で雪穂と亜里沙が着ていた中学の制服が、第1期に続いて登場する。
 ありあは休みの日はたいがい本を読んで過ごすインドア派らしく、そこはお父さんに似たのかな、とはお姉ちゃんの弁。
 妹がふと呟いた「なぜこの場所に結ヶ丘が創られたのか?」が、かのんのなかで地区予選ステージ選定の旅の回答へのヒントになった。と同時に、わたくしの上述の疑問を更に深めることになった。
 でも、かのんが案内した部屋が図書室だとしたら、……ちょっと狭くない? スチール棚を並べただけのかつての物置小屋、といわれても素直に頷いてしまいそうな程なのだ。創立2年目とかそういうの、関係ない気がするんだけれど……。

○挿入曲「Chance Day, Chance Way」 お祭りテイスト。元気でわくわくさせられる曲だ。
 そういえばウィーン・マルガリータ、久しぶりに登場したな。相変わらず含むところある、尊大な表情を見せておった。来週は波乱のエピソードが用意されているのだろうか?
 かのんが突然走り出して到着した先は、銀杏並木の美しい表参道。
 山車を造ったのは可可? 構造計算もできちゃう才媛か!? 山車の天辺にいたマンマルとチビ(の人形/ハリボテ──適切な言葉が思い浮かばない)がイイ味出してる!

○第1期のわちゃわちゃ感というか密感が薄れてきたな、という印象あり。クーカーの縁は薄くなり、可可はすみれに急接近して漫才コンビになり(最近の傾向;可可は噛ませ犬)、かのちぃという或る意味シリーズでいちばんヤバい幼馴染みコンビのダークさも背景に押しやられた感じ。変わらぬはただ、恋ちゃんの影の薄さ、狂言回し的役割のみである。
 その分、2期生が非常に(早くも)良い味を出してきた。四季メイは相変わらず公然たる百合路線を突っ走っているし、きな子は1期生と2期生をつなぐ接着剤役・部内の潤滑油役を果たし、時に迷走するLiella!の背中を押したり、本道に立ち戻らせる役を果たしている。鬼塚は……もうアレはギャグ枠以外の役は不可能ですな。良い意味でいっているか否かは読者諸兄が深読みしてくださればよろしかろ。
 きな子については、そうした面があるからこそ、生徒会書記なんて大役に就いたのかもね。2年生と1年生をつなぐパイプ役、窓口として。

○結女の疑問;生徒会→前話、かのんが恋を心配して理事長のところへ行ったときである。理事長は、恋の生徒会の仕事がオーバーワークだとわかっていながら、大丈夫だからという恋の言葉を盲目的に信じこんで本話に至るまで一切の措置を講じてこなかった。生徒会長しかいない生徒会の不自然さ、歪さ、を理事長は本当に理解していたのか? 
 本当に理解していたのであれば、定例の職員会議や緊急の会議を開いて、副会長や会計、書記のいる、きちんと機能する生徒会の設置を決めて、恋に通達しなくてはならなかったのではないか。それとも、職員の決議をはねつけられるほど、生徒会長は月恋の権限は旧お題だったのだろうか? ならば、第1期第1話でかのんが懸念したように、学校は葉月恋の思い通りにすることができてしまうのでは。それは生徒が職員以上の権限を持ち、独裁体制を敷くことも可能で或る、というに等しい。
 「恋が、学校創立者の娘だから」なんて理屈は、この場合全く意味を成さない。「理屈と膏薬はどこにでも付く」を地でゆくことになるではないか。

○今週の「かのんちゃん可愛い」枠は、屋上での練習風景から。千砂都と恋がペアストレッチで、フレームインしてくるところ。このフレームイン、まるで意味のない行動(と思われる)だが、このときのかのんちゃんの表情や動きがなんとも愛らしいのである。

○次回予告。すみれの制止を振り切って走り去る可可の場面があった。遂に可可の帰国(強制送還)問題が来週の軸となる? あとは──四季ちゃんの悪党ヅラが気になるな。◆

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第3481日目 〈貧乏性の読書──つまらん小説を読みながら。〉 [日々の思い・独り言]

 貧乏性である。読みかけの本を中断する、そんな芸当のできる人が羨ましい。1度か2度の例外を除いて、最後まで読むのが常。勿論そこに、資料的な意味合いで購うたものは含まぬ。
 やはり貧乏性なのだ。いま読んでいる小説も、扱われているテーマは好みで、しかも前作に相当する作品を面白く読んだだけにチョットは期待して(月遅れながら)購入。寝る前に・昼間の気分転換に読み進めているが──やたら単調な一人称に辟易してしまっている。長いキャリアを持つにもかかわらず文章は極めて不味く、無神経で、がさつだ。おまけに話の途中でオチがわかってしまい、しかも正解してしまうからね。やれやれ、であります。
 亡くなる10数年前に雑誌に掲載されたきりで、これまで1度も単行本等にまとまったことがなかった。これを聞いたら、よくぞまとめてくれました、となるところなのだが、……果たして定価で買う程の価値が、自分にはあったかどうか。書肆盛林堂から自費出版物として世に出る可能性もあったそうだが──冗談じゃない。こんな質も実もない薄っぺらい代物に5,000円も6,000円も払えるものか。本当に読みたかったら、図書館で掲載誌を探してコピーしてきますよ。
 閑話休題。
 読みかけの本を、潔く巻を閉じて、時には床へ叩きつけることのできる人が、心底羨ましい。こちらは根っからの貧乏性なので、途中で「ツマラネエッ!!」と感じるものでも最後まで読んでしまう。然る後、すぐさまブックオフ行きが決定、それ用のダンボール箱に放りこまれて顧みられることは、2度とない。
 どうして最後まで読んでしまうのか。詰まるところ、折角買ったのだから最後まで読まないと勿体ない、という思いが根本にある。惹かれる言葉、使ってみたい表現、印象的な1行に出会うかもしれない。仮にそんな出会いがなくても、最後まで読むことで、曲がりなりにも批判等々はできるようになるだろう……。
 話の発端となった小説だが、読み始めてすくなくとも1週間は経過しているのに、全8篇中ようやく半分を終えたところである。惰性の読書は披露しか生まない。身を以て知った。
 かつて生田耕作先生が遠藤周作の小説を批判した言葉を思い出す。原本が手許にないので記憶頼りになるが、『白い人・黄色い人』や『海と毒薬』など読んでみたが、文章はがさつで読めたもんではない、という内容だった。粗雑にして言霊なし。そういい換えてもよいか。
 遠藤作品の多くを読んだわけではない。が、この言葉にははっきり首肯できる。『聖書のなかの女性たち』(講談社文庫 1972/11)は、現時点で既読となった遠藤作品のうちでも文章の不味さ、という点ではぶっちぎりの最高峰を記録している。
 同じことが読進中の小説にもいえる。否、ハチャメチャSFで話題になった頃は巧みにカモフラージュされていた文章の粗雑さが、実は晩年になるに従ってますます磨きがかかっていたことを裏附ける、稀有にして残酷な1冊なのだ。この人、推敲とか殆どしない人だったんだろうなぁ。
 さて、残り4篇。心を無にしてページを繰ろう。◆


平成古書奇談 (ちくま文庫)

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  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2022/07/09
  • メディア: 文庫




聖書のなかの女性たち (講談社文庫)

聖書のなかの女性たち (講談社文庫)

  • 作者: 遠藤周作
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2013/12/13
  • メディア: Kindle版




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第3480日目 〈どうやって未読本を既読本にしてゆくか?〉 [日々の思い・独り言]

 読む本のジャンルが広がり過ぎて、そこに加えて毎日の新聞読書もあり、いまやわたくしの脳ミソは飽和状態である。
 机に積みあげた本の背表紙を眺めてみたい。支離滅裂もお分かりいただけよう。順不同でゆく。刊年や訳者名は省いた。即ち、──
 ミハイル・ゴルバチョフ『変わりゆく世界のなかで』(朝日新聞社)
 ミハイル・ゴルバチョフ『我が人生 ミハイル・ゴルバチョフ自伝』(東京堂出版)
 野見山剛『若者たちのB級C級戦犯』(dZERO)
 神奈川新聞報道部『知事誕生』(神奈川新聞社)
 マリオン・ヴァン・ランテルゲム『アンゲラ・メルケル』(東京書籍)
 中北浩爾『日本共産党』(中公新書)
 立花隆『日本共産党の研究』(全3冊 講談社文庫)
 池上彰/保阪正康『歴史の予兆を読む』(朝日新書)
 青木理『安倍三代』(朝日文庫)
 大西比呂志・栗田尚弥・小風英雄『相模湾上陸作戦』(有隣新書)
 君塚直隆『物語 イギリスの歴史』(全2冊 中公新書)
 中村隆文『物語 スコットランドの歴史』(中公新書)
 秋山信一『菅義偉とメディア』(毎日新聞出版)
 柳沢高志『孤独の宰相 菅義偉とは何者だったのか』(文藝春秋)
 財部誠一『冷徹と誠実 令和の平民宰相菅義偉論』(KADOKAWA)
 マシュー・デニソン『ザ・クイーン』(KANZEN)
 木村汎『プーチンとロシア人』(産経NF文庫)
 朝日新聞国際報道部『プーチンの実像』(朝日文庫)
 井出孫六『抵抗の新聞人 桐生悠々』(岩波現代文庫)
 小山堅『エネルギーの地政学』(朝日新書)
 神沼三平太『湘南怪談』(竹書房怪談文庫)
 H.P.ラヴクラフト『アウトサイダー』(新潮文庫)
 立花隆『エコロジー的思考のすすめ』(中公文庫)/『新装版 思考の技術』(中公新書ラクレ)
 朝日新聞昭和報道検証・取材班『新聞と「昭和」』(全2冊 朝日文庫)
 鈴木昭典『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(角川ソフィア文庫)
 美濃部達吉『憲法講話』(岩波文庫/白)
 鵜飼信成『憲法』(岩波文庫/白)
 古関彰一『日本国憲法の誕生 増補改訂版』(岩波現代文庫)
 大石眞『日本憲法史』(講談社学術文庫)
 伊藤博文『憲法義解』(岩波文庫/青 宮沢俊義後註)
 小山哲・藤原辰史『中学生から知りたい ウクライナのこと』(ミシマ社)
──以上。他にも机辺に積まれた本が、山程ある。
 説明が遅くなった。ここで「積みあげた本」というは、読まねばならぬ/読んでおきたい/読みたい、各種の本を指す。机の上にない未読本も、勿論あるのだ。既読本が放置されているわけでは、ない。
 目下の課題は、これらを如何にして既読本へ切り替えてゆくか、である。実はこれが、本当に難題デネ。
 当面の打開策として、1テーマ10〜14日間の集中読書期間の設定と実行を考えている。それを踏まえて反省、改善を繰り返して今後に活かし、消化作業を進めてゆければよい。
 (実はこれ、奥方様の読書法・勉強法を参考、下敷きにしている)
 では、なにから着手するか。取り敢えず時事性の強い/濃い話題から、それにまつわる本を……ゴルバチョフの自伝と回想録→プーチン、ウクライナ問題→エリザベス2世の伝記→メルケル元独首相の伝記(読みこぼしの消化)、かしらん。
 憲法関係の本は、流石に10〜14日じゃあ、キツイかな。こんなに買うているとは、思わんかったわ。good grief.◆

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第3479日目 〈今日「も」おやすみ。〉 [日々の思い・独り言]

 ふざけたお話で申し訳ないが……。
 昨日に続いて更新しません! お休み満喫中でーす!
 『ラブライブ!スーパースター!!』の感想にもまったく、──ここは強調しておきたいので、気持ちとしては特大ゴシック体にしたいのだが──まったく手を着けていません。諸事に紛れて手が回らないんじゃなくて、頭が回らないのである。
 もういっそ、このままね、Pagesで約1400字くらいになっているメモを転用しようかな、と。
 勿論、文章の流れを良くして、読み返すに値する日本語にして、感情と論理のバランスをもっと良くして……その上で、メモらしからぬメモとして、感想をお披露目……。どうだろうかねぇ。許されるかなぁ。許されねぇだろうなぁ。←元ネタわかる人〜、いますかぁ?
 え? 昨日の時点で「今日も明日もお休みです」って宣言しているのに、なぜ更新してるんだ、ですって? これまでのパターンを踏襲しているだけですが──黄金のワンパターン、って奴だ。
 でもね、漫画家でもしばしば見受けられるじゃないですか。今週休載にも関わらず、書き下ろしの4コマやキャラのボツ・スケッチ、連載前の下書き、ずっと過去に書いて連載中の作品となにかしら関わり持つ習作、などなど載せてくれる人。
 あれと同じです。偉大なる先例に敬意を表して、真似しているだけなのです。むろん、毎日なにかを書いていないと気が済まない性分ゆえに、という事実は見過ごせぬところではありますが。
 まぁ、葛城ミサトさんのお言葉を借りれば、サービス、サービスぅ! ってところですね。そういえばこれ、途中で使われなくなりましたね。◆

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第3478日目 〈秋のブログ休載日になりました。〉 [日々の思い・独り言]

 タイトルは、なかば冗談、なかば真面目です。
 さて、──
 本日と明日は所用により、更新をお休み致します。
 その合間を縫って、『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第08話のメモを基にして感想文を書ければいいのですが。
 諸々ご了承ください。◆

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第3477日目 〈風化してゆく”9.11”を憂う。〉 [日々の思い・独り言]

 どんな大事件であっても歳月の前には無力らしい。どんな出来事であっても時間の経過は人々の記憶を風化させてしまう。
 いつもと変わらぬ平凡な朝は、2度と忘れられぬ朝になった。誰もが悟ったのではないか。21世紀は恒久的平和とは無縁の、前世紀よりもっと非道い戦争の世紀になるのだろう、と。
 2001/平成13年09月11日朝(現地時間)、アメリカ。アル・カーイダのテロリストたちが民間機4機をハイジャックした。内2機の向かった先がニューヨークの世界貿易センタービル(WTC)の南棟と北棟である。残る2機の内1機は国防総省に激突し、内1機は乗客の反撃で墜落した。

午前7時46分 アメリカン航空11便 ボストン/ローガン国際空港出発 ボストン発ロサンゼルス行き
午前8時14分 ユナイテッド航空175便 ボストン/ローガン国際空港出発 ボストン発ロサンゼルス行き
午前8時20分 アメリカン航空77便 ワシントン/ダレス国際空港出発 ワシントン発ロサンゼルス行き
午前8時42分 ユナイテッド航空93便 ニュージャージー州ニューアーク/ニューアーク・リバティー国際空港出発 ニューアーク発サンフランシスコ行き
午前8時46分 アメリカン航空11便 北棟 衝突 この時点ではパイロットの操縦ミスという説が有力だった。
午前9時02分 ユナイテッド航空175便 南棟 突入 既に報道陣や民間人が撮影を始めていたため、多角度から突入の様子が確認できた。この段階で事故ではなく「攻撃」であると判断された。
午前9時37分 アメリカン航空77便 国防総省突入
午前9時42分 ー 連邦航空局/FAA;合衆国大陸部内の民間機の離陸禁止、飛行中の機体には速やかな着陸を命令
午前9時59分 ユナイテッド航空175便 南棟 倒壊
午前10時03分 ユナイテッド航空93便 ペンシルヴァニア州ピッツバーグ市郊外に墜落 ワシントン・合衆国議会議事堂、ホワイトハウスが標的だったと思われる。
午前10時28分 アメリカン航空11便 北棟 倒壊

 死者、2,996名(実行犯19名を含む)。負傷者、25,600名以上。
 ──WTCの跡地の再利用計画は迷走した模様だ。最終的に、南棟と北棟跡地を囲むようにして数本の高層ビルが建つ複合オフィスビルとして、再開発が決定した。
 身元の確認作業は2005年03月に打ち切られた。ツインタワーの跡地には、亡くなった方々の氏名が刻まれて、慰霊者に惨劇の凄まじさの一端を伝えている。
 広島や長崎、沖縄、アウシュビッツと同じく、ここにも惨劇の様子を後世に伝えるための記念館が設立された。跡地に建てられた「国立9.11記念館・博物館」とロウアー・マンハッタンに設立された「9.11追悼博物館」である。
 いずれの施設も来館者は年々減少の一途を辿り、ここ2年はCOVID-19感染拡大の影響で特に落ちこんでいたそうだ。それでも2つの記念館が役目を果たし続けていたことは確かだろう。
 しかし、である。先日の新聞(読売新聞22-09-11 7面国際)に、「9.11追悼博物館」が08月17日に閉鎖されたという記事が載った。展示物はや記録映像の大半は、ニューヨーク州博物館に移管される由。
 この報道には愕然とした。
 当該紙以外にこのニュースを伝える新聞がなかったから、だけではない。これで記憶の風化は加速するのだろう、と懸念したからだ。
 ”9.11”の記事自体が、殆どの新聞(全国紙)には載らなかったことも、懸念の1つだ。英女王の崩御というビッグニュースの前ではどんなニュースも霞んでしまうが、それでも……と思う。
 それでも、新聞社にはこの事件を、たといベタ記事同様の扱いでも報道してほしかった。紙面に限りがあります、というなら、そこでこそwebサイトの出番ではないのかな。
 21年も経てば同時多発テロも日本にとって、所詮は「対岸の火事」でしかなかったのか? 否、そんなことはあるまい。歳月の経過に伴って悲劇の記憶が風化してゆくことを、日本人は自身の戦争体験を通して骨身に沁みてわかっているはずだ。ならばこの場合の報道が果たす役割は、〈語り継ぐこと〉に他あるまい。
 「9.11追悼博物館」の閉鎖をわたくしは憂う。そうして、危惧する。テロを知らない世代にとって”9.11”が、歴史の教科書の1ページ、否、1行にしかならぬことを。惨劇を自分の目で見、自分の心に去来する〈なにか〉を摑むことできぬまま育つ子供たちが、これからどんどん増えてゆくことを。
 自分たちとは無関係な外国の出来事、で片附けないためにも、この事件を如何にして語り継ぐか。遺族も巻きこまれた人間も、これまで以上に声を発して、次の世代、後の世代に伝える時が来ているのかもしれない。世代交代という必然かつ残酷な現実には抗えないものね。◆

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第3476日目 〈女王と天皇。〉 [日々の思い・独り言]

 在位70年を祝うプラチナ・ジュビリーに、エリザベス女王が崩御された。09月08日午後である(現地時間)。享年96。滞在先のスコットランドはバルモラル城にて。
 バルモラル城は先年04月、故フィリップ殿下(99歳)と初めて出逢い、求婚された思い出の場所だったそうだ。崩御は夫君を看取って1年5ヶ月後のことだった。
 王室のメンバーが何度となく日本を訪れているのを考えると、女王の来日が1度だけだったとは意外の感がある。1975年というから昭和50年5月、昭和天皇在位50年の年だ(当たり前か)。女王は在位23年目を迎えていた。
 産経新聞22-09-10 27面社会欄が当時の模様を伝える。なかでもクローズアップされたのは(見出しにもなったのは)、接遇担当として外務省儀典長を務めた内田宏氏が、日本を離れる女王に「いちばん印象に残っていることは?」と訊ねたときのことだ。
 「昭和天皇にお目にかかり、教えを受けたことです」とエリザベス女王はお答えになった由。共に孤独な立場であると話した上で女王は、「重大な決定を下すのは自分しかいない」「この立場がわかっていただけるのは天皇陛下しかいない」と仰った、という。
 重大な決定を下せるのは自分だけ。──相手が、ポツダム宣言を受諾して戦争を終わらせる決断を下した昭和天皇だったからこそ、斯様な印象を殊更鮮明に与えられたのだろう。戴冠式の夜にラジオ放送でのメッセージ──「生涯を通じて全身全霊、国民の信頼に値するよう努力する」──を、そのとき女王は重ね合わせなかったろうか。
 エリザベス女王も昭和天皇も、ご自分のお立場とお役目、影響力の大きさを、身に染みてご存知でおられた。ゆえに政治や政策、軍事等についてのオフィシャルな発言は控えられた。皇太子時代は度々物議を醸す発言をし、時に批判もされた新国王、チャールズ3世は、どうか? 船出を祝うと共に、航海を見届けよう。◆

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第3475日目 〈『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第07話を観ました。〉【一部加筆版】 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 どさくさのうちに、というか、なかば強引な方法で、〈鬼塚夏美問題〉は解決された模様であります。その背景を根掘り葉掘り詮索、検証するのは本稿の目的でないから止めとして、とまれLiella!は「レジェンドスクールアイドルたちが遺した”9”の奇跡」を継承する資格を得た様子。
 まさかこの台詞をいわせたいがために、2期生の加入を決めたわけではあるまいが、いまは溜飲をひとまず下げて、正式に9人体制となった新星Liella!の出発を祝うことに致しましょう。



 『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第07話「UR 葉月恋」は、前話にてすっかりゲームに嵌まった恋ちゃんが、沼から抜け出そうとメイに縋ってもがいて、挙げ句にメンバー全員の力を借りて更生(ん?)するお話でした。
 と、その一方で米女メイと若菜四季を核にする百合公認の世界観が提示された、貴重なエピソードでもあった(その百合世界、もはや全シリーズで突出している)。そうして澁谷かのんの、「やさぐれ」とはひと味違う「すねた」表情と声音を堪能できる場面もありましたね……いやぁ、アレは鼻の下伸ばして繰り返し再生する価値あるシーンだった。

 残念ながら当方にいまのゲームや筐体に関する知識がないので、恋の部屋のテーブル上に、整然と置かれていた懐かしいものから最新(何だろうな、きっと)のゲーム機がずらりと並んでいる場面を観ても、正直心騒ぐところはなにもない。
 が、アーケード・ゲームまでが何台も壁に沿って置かれているのを目にしたら、住宅販売に携わり注文住宅の施主でもある当方にしてみれば、床の耐荷重、どれくらいあるんだよ!? と突っ込みたくなってしまいます。幾ら葉月家にグランドピアノが置かれているからとて、それはピアノ設置場所だけ床下を補強したり、床下の根太の間隔を他よりも狭くしたりしているから可能なのです(※)。
 果たして葉月恋の部屋の床は、グランドピアノ級の重量物が置かれる想定で工事されていたのか。或いは、第1期最終話で恋ちゃん父が学校存続の資金援助を開始し、また第2期05話で恋がゲームに嵌まったことをサヤさんから訊いた恋ちゃん父がなかなか会えない娘のため、いろいろ苦労をかけてしまったせめてものお詫び代わりにか、事ある毎にゲーム機を贈ってくるようになったことを考え合わせると、アーケードゲーム機を贈る前にリフォーム業者を手配して、娘の部屋の床が重量に耐えられるよう工事させたのか……。どちらにせよ、第1期中盤まで「お金がないのです……」と一人娘にいわせていた家の当主のお金の使い方とは思えません。なんだかね、葉月家の最早待ったなしの財政危機、その原因は父親にあるのではないか、とさえ勘繰ってしまうのであります。
 いや、それにしても恋ちゃんのゲームへの集中力と依存度は、すみれの言葉を借りれば「いつもの恋じゃないわね」といわざるを得ません。あすこで四季がメイを問い詰めなかったら、もしかすると恋ちゃんはゲーム廃人になって、Liella!の活動を継続できなくなってしまったかもしれないのですよ(生徒会長退任劇に発展する可能性もあった!)。つまり、あれ程可可とメイが(夏美加入で)狂喜したレジェンドスクールアイドルの系譜に列なる資格は剥奪される、ということでもありました。くわばら、くわばら。
 でも、恋ちゃんがすごく楽しそうにしている姿を久々に観られたこと、青山なぎさの演技をシリアスからギャグ、崩壊に至るまで存分に(これまでになく)堪能できたこと、この2点だけでも第07話視聴の価値はありそうです。

※新築建売戸建(※※)にピアノを置く場合、床補強する必要はない、という意見があるのは、事前にリビングのこの場所は既にピアノが置かれることを想定しているから。
 「ここに置くのであれば特に補強の必要はありません。但し、置かれるピアノはアップライトピアノを想定しており、それでも恒久的に床の丈夫を保証するものではありません」=「築年が古くなるにつれて床が沈むことはじゅうぶん考えられます。しかし、弊社が保証する範囲ではありません」という意味です。勘違いしないように。
 加えていえば、アップライトピアノの平均的重量を基に構造計算されてあらかじめ根太の間隔を詰めるなどの工事をしているため、演奏者の体重や演奏用の椅子、その他諸々の各重量或いは総重量については配慮するものではありません。
 え、グランドピアノを置きたいんです? しかも、ベーゼンドルファー? 引き渡し後に専門業者にご依頼下さい。対応してあげたいけれど引渡し前にはできませんよ、検査の目は逃れられませんからね。
 でも日本の湿度にベーゼンドルファーは耐えられない、って聞いた覚えがあるけれど……ホールなんかにこの〈ピアノの帝王〉が鎮座坐していられるのは、ちゃんと湿度や温度等々の管理がされているからであって、日本の家屋にベーゼンドルファーを置くと維持費に結構なお金が掛かると、ピアノメーカーに勤める親戚がいっていたことを、そのままお伝えしましょう。
※※建売戸建、とわざわざ断ったのは、注文住宅ならばそもそも「床補強する」以前の話でしょう。打ち合わせ時にその話をしなかったのなら、それは9割方施主に問題があります。

 そうして、百合、であります。
 『けいおん!』のいつかの回で琴吹紬(ムギちゃん)が、「女の子同士がキャッキャッしているところを見るのが好き」と発言しておりました。が、そちらには仄かな百合要素こそ漂っていても個人の趣味の範囲を超えるものではなく(『THE IDOLM@STER』の小鳥さんと、そのあたりは同レヴェルか)、『ラブライブ!』シリーズ程ガチなものではなかった。
 百合は『ラブライブ!』シリーズの基調低音の1つであります。それはμ’sが始動し始めた当初から、ファンの間では囁かれてきたことであり、それゆえにその類の同人誌が後を絶つことはなかった。SSでしっかりとそのあたりを描いた作品があるのも、シリーズがどうしてもその要素を払拭できなかった証しといえるでしょう。
 とはいえ、公式がそれを認めて前面に押し出すことは、流石になかった。公式絵師たちが描くイラストやコミックに〈それ〉を思わせる部分ありと雖も、あくまで仲の良さを描いたものであって、そうした意味では事前回避がじゅうぶんに可能だったのだ。
 しかし、──遂に回避できないシーンが、ライバーの眼前に突きつけられた。他の解釈が無理矢理であったり、色褪せてしまうような、決定的なシーンが『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第07話で描かれてしまったのでありました……。
 その決定的なシーンを演じたのが、2期生の米女メイと若菜四季。かのんと千砂都の、中学の後輩コンビであります。
 勿論前兆はありました。否、予告、というた方が良いやもしれぬ。番組スタート前の自己紹介で、四季は「好きなもの:メイ」と明言していた。四季がメイを想う心は第01話から描かれ、第04話で方向性は確立した。が、そこまでであれば、これまでのシリーズ先行作と変わるところはなにもない。
 「新しい『ラブライブ!』を作る」という意気込みは、イレギュラーながら正道を歩んだ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』を如何にして越えるか、あらゆる意味で原点にして頂点の地位から揺らがないシリーズ第1作『ラブライブ!』を越えるか、暗中模索の裏返しだったのだろうか。その模索が袋小路に陥ったとき、スタッフの脳裏に起死回生の作戦が生まれたのかもしれない。即ち、──
 仄かな百合要素を最初から漂わせ、既に二次創作では既定路線となっていたあの2人、四季とメイをくっつけよう、という。
 恋の部屋でゲームに打ち興じているメンバーたちのなかで、四季1人がゲームの進行状況に興味を向けていなかった。(恋が)ゲームでなかなか攻略できないところがあるって(メイから)聞いた、と、選抜メンバーでその箇所の攻略に挑むきっかけを作った本人が、ゲームの展開にまるで興味なく、メイの感謝の言葉に頬赤らめて生気(精気?)を抜かれたような表情になり、仕舞いにはメイにおんぶされて帰る羽目になる。時間にすれば僅かだけれど、四季の台詞がもう恋する乙女で、可愛いんだよなぁ。

 百合の件で序にいえば、学校の中庭から部室に至るシーン、その台詞をじっくり考えてみると、Liella!メンバーのなかで好き合う女の子同士がカップルになるのは当たり前だ、という認識が共有されている様子であります。
 学校の中庭で恋が、メイにこんな相談をしていた。封印したゲームの続きが気になって作曲がはかどらない、と。それがあまりに深刻だったせいか、メイが助け船を出して曰く、自分もテスト勉強をしているとスクールアイドルの動画を観たくてたまらなくなるときがある、と。それに喰らいついてメイの手を握ってにじり寄り、目を見開いて迫る恋。
 その様子を茂みのなかから観察していたのが、可可、すみれ、きな子、四季、夏美であります。ただならぬ気配の2人を観察して出された仮の結論が、「恋」だった。そのワードにびっくりして息を呑み、発言者の四季を見やる4人の表情が面白く、なかでも可可ときな子は口許まで描かれているせいか、その驚天動地な表情がよりコミカルに感じてしまうのですが、この直後、5人は部室に駆け戻る。
 可可;どうするのですか!?
 すみれ;ショウビジネス的にアイドルに恋愛は御法度。止めなさいったら止めなさい!
 鬼塚;いや、ここはいっそ、炎上させる方法も……!
 すみれ;止めなさい!
 四季;……禁止。
 そこに疑惑の中心、メイが来て四季に尋問され、更に脳天気な表情で「うぃっすー!」の声朗らかに部室に来たちぃちゃんの、空気を察してキョトンとしたり、ととにかくこの僅かな時間で描かれたメンバーの言動はコミカルかつ個性的でありました。
 ──このあたりの台詞の掛け合いや動きがなんともいえぬのですが、こうした台詞からも、上述の共有された認識を窺うことができます。
 いずれにしましても、公式が遂に作品でキャラクター間の百合関係を認定した、記念すべき会であったことは間違いないでしょう。

 これ以上の増量は避けなくてはならない。寄り道したせいだ。でも、そんなこと恐れる必要もないので、続けよう。Go Ahead.
 そうして……あぁん、かのんちゃん! この子、メンタルはシリーズ主人公のなかで最弱クラスなのに、どうしたわけかドSを巧みに使い分けられる稀有の存在であったことが判明しました。
 ゲーム依存を告白した恋に向かって、「それじゃあ、黙ってた罰として〜」とか、メイに、ゲームのある部屋の鍵はかのん先輩に預かってもらえば、といわれた際の恋の妄想でかのんがぼやいた「ゲームに興じる生徒会長のいる学校が〜?」、或いは「恋ちゃん──きらい」てふ台詞。この「嫌い」っていうときの声が本当にゾクゾクするんだよなぁ、というのは余談として──
 なんだかね、メンタルはシリーズ主人公最弱クラスながら、声の表情は最も幅広くドスの利いたやさぐれ声から天井知らずの上機嫌な声まで、すねた声のふて腐れた感じからいたずらっ子めいた感じまで、現実にいたらたいていの女の子が知らず発しているであろう喋り方がリアルに再現されてしまったことに、わたくしは驚いているのであります。否、驚いている、というよりも、深く心に印象的であった、という方がより事実に近いかな。
 昨春までリアルJKであった伊達さゆりをキャストに得た強みが、案外とこうした澁谷かのんの表情豊かな声に反映しているのかもしれませんね。
 くだくだしく述べていますが要約すると、誰がなんといおうとこの場面に於けるかのんの台詞は、とっても可愛らしいのです。

 ──本話のかのんについては、自発的に生徒会副会長に立候補したことにもびっくり。
 もっとびっくりしたのは、新1年生も入学して生徒数も増えたことからじゅうぶんに体制は作れるはずなのに、未だ恋ちゃん1人が生徒会の全仕事を請け負っていることと、それについて学校側が特になんの措置を講じなかったこと。
 本稿ではくだくだしく物をいうたりしないが、明らかに結ヶ岡女子高等学校の運営は常軌を逸している。この点については改めて別稿を設けて、お話しせねばなるまい。いまここでいうておきたいのは、そりゃあ恋ちゃん、ゲームに嵌まって没入したくもなるよね、ということであります。



 COVID-19感染拡大の影響により製作スケジュールに支障が出た関係で放送は1週間、お休みとなったが『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第08話「Chance Way」は今日、09月11日19時から放送予定となっている。
 この間のスパスタS2ロスを補う目的でか、YouTubeの公式チャンネルはLiella!メンバー全員の朗読動画を配信した。現在も視聴は可能。
 御多分に洩れずS2ロスを補うために視聴した口だ。各メンバー平均3回程度しか観ていないが、忙しいなかを縫っての視聴と考えれば、平均3回はじゅうぶんに「観た」と胸を張ってもよろしかろう。が、スパスタS2ロスはますます深刻化した。
 オリンピックを間に挟んだ昨年S1よりは良しとしても、なぜか禁断症状は今年の方がずっと強い。原因は定かでない。が、事実は1つだけ、深刻化したということ。
 その深刻なロスを解消するため、明日は録画視聴ではなく、リアルタイム視聴を実現させられるよう努めることに致します。◆

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第3474日目 〈「引用と意見」が活用される日は来るか?〉 [日々の思い・独り言]

å いったいどれだけの時間を、これに費やしたのか……。まぁ、作業しない日の方が圧倒的に多かったせいで、今日まで長引いたのだが、それにしても、である。
 つい先程、とは20時54分であるが、松本薫『新聞の正しい読み方』(NTT出版 2016/03)の引用と意見を、Numberへ入力し終わった。
 新聞の読み方と活用についてのエッセイの下準備で、作業していたのである。これと池上さんの本を中心にして、他の人たちや自分自身の経験を絡めたものに仕立てるつもりだが、……こりゃあ、当初考えていたよりもかなり膨大になるぞ。
 そんな危惧あり、いまから当該エッセイの執筆の放棄を考えている。スタコラサッサと逃げるわけではないが、これを書くとなったら一体何日かかかるんだ、という恐ろしさもあって、絵に描いた餅で終わらせようか、と考えているのだ。
 ちょっとずつ書き進めれば、なんということはないのだろうけれど、どうにもわたくし、腰が重かったり、それなりの大きさのものを仕上げる情熱とそれを支える根気に欠けているものでね。とはいえ、これまで相応の時間を費やしてきた「引用と意見」を、そのままフォルダに眠らせてしまうのは惜しいからな……。使えるものは残り火でも使いたい、貧乏性なのである。

 秋から書き始めて、年末までにお披露目できたら良い、と思います。その際は、既にできている原稿の点検とアップデートも忘れないように──。◆


新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

  • 作者: 松林 薫
  • 出版社/メーカー: NTT出版
  • 発売日: 2016/03/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)




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第3473日目 〈奥方様の気持ち。〉 [日々の思い・独り言]

 子供が生まれてからというもの、奥方様からの突き上げが激しくなった。同居する母の援護射撃を得てからは、ますます激しくなってきた。これまで先延ばしにしてきたことを、今回こそは実行に移せ、というのである。
 いつから送られてくるようになったか忘れたが、いまでは1年に数回程度、横浜市から「定期健康診断の勧め」が送られてくる。がん検診、風疹検診、等々も。
 「行かなきゃなぁ」と思いつつも先延ばしにしてきた理由は、特にない。封を切ってなかの書類一式に目を通し、然様、行かなくてならんな、と思いながらいままで受診しなかったのは、単にわたくしの怠慢である。
 これまで何度となく、自治体から健康診断や各種検診の案内をもらっていた。きちんと受診していれば、わたくしも子供を授かって早々に発覚した白血病なんて病気を回避できたかもしれない。そんなぼやきを聞く奥方様にしてみれば、首肯するより他ない話だろう。
 自分までが〈病気〉なるものを抱えこんだいま、娘を除けば家庭内で唯一の健康優良児たる奥方様が夫にこれらを受診するよう事ある事に訴えてくるのも、宜なるかな、なのである。
 がん検診「要精密検査」先延ばし厳禁──毎日新聞22-09-05 13面「くらしナビ」の記事だ。職場の大腸がん検査を受けた記者が「要精密検査」の結果をもらったことから始まる。
 じっくりと、繰り返し読んだ。たぶんその日の新聞各紙の記事ではいちばん、何度となく読み返した記事のはず。自信はないけれど。
 横浜市から送られてくるがん検診の案内は、記事によれば「自治体の対策型」という。そういえば、区役所に行くとがん検診のパンフレットやポスターがあって、窓口でときどき「市の健康診断、受けてますか?」って訊かれるっけ。時期によって「健康診断」は「がん検診」など任意の内容に変わるが。──婚姻届を出した日は、結構しつこくそのあたり、訊かれたり説明された覚えも、なんとなく記憶の片隅のどっかその辺にある(ような気がしないこともなくはない)。
 ──自治体の補助ありで無料だしな。受診するか。そんなことをつらつら考えているうちに眠気が襲ってきて、優雅に午睡して(呵呵)目が覚めたら、奥方様から胸を突かれるような事実を聞かされた。「○日に風疹検査の予約、取ったから」と。「例の病気があっても受診するのは問題ないけれど、当日かならず医師にその旨伝えて判断を仰ぐように、だって」とも。
 今後は市から健康診断の案内とか届いたら、かならず行ってもらうからね。これは大黒柱であり夫であり、父であるあなたに課せられた義務です。斯く奥方様は語りき。母は隣で頷き給ふ。
 病気は早期に見附けて撲滅すべし。実感のこもった内の声が、脳内に響く。これまで健康管理を怠ってきた報いが、いま来たのだ。ときどき覗く「がん情報サービス」HPの記載である。曰く、「がん検診には、利益と不利益がありますが、正しい方法を正しく行うことにより、がんによる死亡を減少させることができます」と。
 こうしたアナウンスにはほぼかならず、根拠薄弱な否定を吐き散らす輩がいる。が、そんな連衆の言葉に耳は貸すまい。これまでの自分を悔い改め、今回は奥方様の好意と手配を素直に感謝しよう。
 我が儘を1つだけいえば、行きつけの病院が受診場所だったら良かったのに。初めての病院は、不安だぜ。◆

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第3472日目 〈奥方様への気持ち。〉 [日々の思い・独り言]

 不思議とわれら夫婦は「3」という数字に縁がある。
 初めて出逢ったのは09月03日。今年でちょうど22年になる。独身時代は3度プロポーズし、3度目で諾の返事をもらった。
 最後のプロポーズから入籍までは、わずか3週間。昨21年06月03日に入籍し、翌22年つまり今年04月03日午前3時台に娘が誕生した。他にも極めてプライヴェートな部分で「3」という所縁ある数字が、われらの前には度々現れるが、割愛する。
 娘を抱く、母となった奥方様を見て思う。22年前はブレザーを着て、義父の背中の向こうからこちらを観察するような眼差しを向けていた女の子が、いつしか商社OLとなり海外で何年も仕事してキャリアを積み、なのにためらいなく将来を捨てて専業主婦に収まっている。
 彼女が正式に退職して3ヶ月。毎日毎時間を一緒に過ごしている。娘をあやす妻を見て、キッチンに立って食事の支度をしている妻を見て、リヴィングで母とくつろぐ妻を見て、苦しくなることがある。
 ──数日前まで、新聞の経済欄を騒がせていたプロジェクトの一員として、当該国の省庁や企業の担当者と渡り合ってきた。そんな彼女が〈実現が約束されていたのに自ら放棄した未来〉を思うと……。
 本人はじゅうぶんに納得して会社を辞めて、ここにいることを選んでくれた。感謝である。
 が、わたくしが奥方様の、今後築いていただろうキャリアを、未来の可能性を、潰してしまったのではないか。そんな疑念に襲われるのだ。
 「自己陶酔」と揶揄する声もあろうが、構わない。いまの自分にできることは、魔が差したように心の隙間へ入りこむ疑念を封じこんで、あの子にわずかな不安も与えぬよう力を尽くすこと。幸いにも、外野が無責任に喚き立てる揶揄の声へ傾ける耳を、わたくしは持っていない。
 退職したリケジョが、キャリアをなに1つ無駄にすることなくそれまでと同等の仕事へ戻れる社会が、真の意味で実現かつ継続するとうれしいなあ。◆

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第3471日目 〈忘れているわけではない。──LLSS-S2-#07感想文を巡る一問一答。〉 [『ラブライブ!スーパースター!!』]

 進行役;皆様、大変お待たせ致しました。それでは只今より本ブログ運営者、みくらさんさんか氏への質疑応答の時間を設けさせていただきます。話題は、『ラブライブ!スーパースター!!』に関することに限らせていただきます。──それでは、どうぞ。
 記者A;『ラブライブ!スーパースター!!』第2期第07話の感想文はもう書かないのですか。
 みくらさんさんか;書きます。
 記者B;いつ公開されますか?
 みくらさんさんか;第08話放送直前までには公開できるよう、お約束します。
 記者B;第08話の放送は09月11日、とNHKからアナウンスされています。通常とは異なって1週間、間が開くわけですね。今回の感想公開が遅れているのはそうした点も関係しているのでしょうか?
 みくらさんさんか;率直に申しあげますと、仰る通り、関係していますね。
 記者B;それゆえに「はやく書かなければ」という緊張感と内圧がゆるんで、書いたり公開するのが遅くなっているのでしょうか?
 みくらさんさんか;仰る通りです。そこに付け加える言葉は、1つもございません。
 記者A;脇から失礼します。それでは第07話感想は、09月11日放送予定の第08話が放送されるまでに、貴ブログで公開される、と考えてよろしいのでしょうか。直截なお答えをいただけますか。
 みくらさんさんか;勿論、そのようにお考えいただいて構いません。これは、わたくしから読者諸兄並びに記者団の方々へお約束することであります。
 記者C;約束が実行されなかった場合の、貴兄の去就について教えてください。
 みくらさんさんか;約束が果たされないということはございませんので、去就についてのご質問にはお答えしかねます。
 記者C;進退問題には発展しない、ということですか?
 みくらさんさんか;どのような意味で「進展問題」と仰っておられますか?
 記者C;最終的にブログの閉鎖にまで至るのか、という意味です。
 みくらさんさんか;どうしてそこまでの問題に発展させようとしているのか、こちらか逆に伺いたい。本ブログは『ラブライブ!スーパースター!!』感想だけで構成されているわけではありませんので、閉鎖問題を持ち出してきた真意を伺いたい。
 記者C;……楽しみにしている読者がいます。
 みくらさんさんか;それはおおきに、ありがとな。(記者団から苦笑、洩れる)しかし『ラブライブ!スーパースター!!』感想はあくまで本ブログの氷山の一角でありまして、たかだか現時点での最新話の感想が未だ公開されていないという一点を以てのみ閉鎖問題に発展させる、貴兄の心情がわたくしには理解できません。ただ、第2期の特定回以後、感想文を書く意欲がかなり低下しているのは事実です。過去回感想の公開日からわかるように次の放送回直前に公開されることがこの2週間ばかり続いているのは、そうした理由がいちばん大きい。先にお断りしておきますが、「第2期の特定回」がいつの回であったのか、お話する予定は本会見を含めてございません。……他にご質問のある方は?
 記者A;過去に公開された感想文のなかで、台詞の再現がされていないものがありましたが、いま仰った意欲の低下が絡んでいるのでしょうか。
 みくらさんさんか;100%ではありませんが、絡んでいるのは事実です。
 記者B;先程、第07話「UR 葉月恋」の感想は09月11日(日)19時までに公開、というお答えでしたが、公開がそこまで延びるのは、意欲の低下だけが理由なのでしょうか。
 みくらさんさんか;そうではありませんね。うん、そうとばかりはいえません。自分がゲームに疎い、ということも、今回の遅延の大きな理由です。なので、第07話のゲーム以外のどの部分についての感想を膨らませるか、回避策をいま検討しているところです。
 記者B;よくわかりました。ありがとうございます。
 進行役;それでは只今を持ちまして、本日の記者会見を終わります。皆様、お疲れ様でした。◆

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第3470日目 〈会社への不信は、下から。〉 [日々の思い・独り言]

 横浜市某地域に於いて朝日新聞は非常に評判が悪かった。正確には朝日新聞が、ではなく、その販売センターが、である。
 それはマンションの1階にあった。商売柄、まだあたりが寝静まっている時間帯から忙しく動き回り、購読者宅への配達準備であわただしい空気が満ちていた。致し方ないことだが歩道は配達用のバイクで埋まり、出陣前に円陣でも組んでいるのか、ときどきかれらの気合い入れる声が、坂の上まで風に乗って聞こえてきた。するうちバイク何台ものエンジン音が響き、刹那の後にあたりは何事もなかったかのように静穏に包まれる。
 宵っ張りの生活を送っていた頃はかれらの出陣式が、時計代わりになっていた。ああ、こんな時間か、そろそろ寝るか、と。そうした意味ではありがたい存在だった。こうした人々あるお陰でわれらは、毎朝毎夜、当たり前のように自宅で新聞を読むことができるのだから。
 が、それはあくまで配達に関してのみのこと。
 「◌◌新聞の勧誘が強引すぎる」
 「むりやり購読契約させられた」
 「──そんな類の苦情が消費者センターに多数寄せられています」
 新聞社の強引な勧誘が社会問題化すると、某社のニュース番組や解説番組で取りあげられた。新聞の購読世帯が減少の一途を辿り始めた最初期であったか。それだけどの新聞社も購読者の獲得に躍起となり、熾烈な競争をせざるを得ない時代だったのだろう。
 そんな世の潮流に従ったわけではあるまいが、当時の朝日新聞の勧誘も、なかなか激しいものであった。
 昨日附けの原稿(第3469日目)からコピペすれば、「強引な勧誘は当然、日常茶飯事として、配達済みの他紙をポストから抜き取って捨ててみたり、勧誘役の敷地内不法侵入や非常識な振る舞いの数々」が繰り広げられたのだ。もう1度いうが、ホントのことさ。
 むろん、すべての勧誘員がそうだったわけではない。むしろ引用した行為に及ぶ人の方が圧倒的少数派であろう。そう信じたい。その圧倒的少数派(推測)の行為が自発的にされたのか、止むに止まれずされたのか、わたくしは知らない。
 鬱憤晴らしなのか。センター長に忖度したのか。〈営業あるある〉の1つとして、ノルマ達成のために合法と違法の狭間を行くしかなかったのか。件の少数派(と思いたい)人たちがどのような思いで、斯様な蛮行に及んでいたのか、いまとなっては知る術はない。
 が、正直なところをいえば、ノルマ達成の辛さ、大変さ、っていうのは骨身まで沁みていまでも忘れられないから、勧誘員の苦労には理解できるんだよな。「購読世帯が減少すること」イコール「(最終的に)かれらの生活を脅かすこと」だから、新規購読者の獲得に必死になるのも理解できるけれど、……地域のみならず消費者センターにまで苦情が行ってしまうような勧誘は、流石にダメだよ。
 関係あるか知らないけれど、マンション外装工事の時期にかの販売センターは撤収した。購読者減少に伴う販売センターの統廃合の一環だろう。そう思いたい。……優しすぎ?
 横浜市某地域に於いて朝日新聞は非常に評判が悪かった。それは販売センターに起因する。思想はともかく、内部の体質はともかく、掲載される記事や論説は宅配されている新聞とは基調が反対だもん。読んでいてあちらでは好意的に取りあげられたニュースがこちらでは徹底的に批判されている、なんてこと、朝日新聞と読売新聞(あ……)を読み比べたことのある人なら誰しも経験しているでしょう。
 ──07月28日宵刻、本稿は萌芽した(呵呵)。まだメモの域を出ていないが、そのなかの書きつけである。曰く、「住民(エンドユーザー)といちばん接する人の応対によって、会社へのイメージや信頼は損なわれもするし、(良い企業と)見直されもする。(ex;関西電力と大阪ガス)朝日新聞社は自分にとってはその好例」と。
 要するに、会社への不信はエンドユーザーと接する場所から生まれるのだ。新聞の場合は販売センターの対応から。そこに誤報や隠蔽といった新聞の内容に関わる自体が加わると、購読者数は減り、部数も減るのは必然としか言い様がない。
 その昔、スイスにヒルティという法学者がいた。『スイス連邦共和国政治年鑑』の創刊・編集に携わりもした。どの著作であったか、すぐには思い出せないが、こんな趣旨のことを書いている。曰く、「国家の根本を成すは国民であり、国民が良くなれば上の階層にいる人たち(政治家や法律家など)も良くなり、国家も自ずと良くなる」と。
 どこかの国の政治家たちに聞かせたいが、いまは新聞の話。これを適用すれば、──
 新聞社の根幹を成すは基本的にエンドユーザーと直接接する販売センター所属の人たちであり、かれらの言動如何に購読者の増減がかかっている。かならずしも両者──言動と増減──はイコールではないが、非常に近しい関係にある。
 購読世帯の新規契約数や駅売り部数が伸びれば、本社支社に属する記者や論説委員たちの士気も上がり、より良い記事を物してゆくことができる。整理部は良質な記事が集まれば集まる程、どの記事をどれだけの大きさで扱うか、迷って嬉しい悲鳴をあげるだろう。
 部数が伸びれば、つまり業績が上向きになって株価も上がれば、それはもしかすると社員の給与アップにつながったり、特別賞与の支給額だってあがるかもしれない(株主も、ウハウハである)。それは社員の生活の安定を保証するだろう。子供をもっと良い学校に行かせることもできるだろう。独身社員は結婚も現実的に考えられるようになるだろう。まさにWin-Winだ。
 但し一定以上の役職に就いた場合、外部的要因によって幾らでも変質するので、ヒルティの言葉はかならずしも当てはまるものではないことは、留意する必要がある。
──となる。むろん、これが理想以外のなにものでもないことは承知だ。
 基本的に、会社への不信は〈下〉から生まれる。同様に、信頼も〈下〉から生まれる。各種営業職、コールセンターのOPや管理者、物流に携わる人々、役所窓口の人々、医療現場の人々、あらゆるサービス業、等々エンドユーザーとなにかしらの形で接する仕事をしていれば、自ずとおわかりいただける部分あるのではないか。
 なお、販売センターについてASAのみを挙げたが勿論、同じ問題は他紙販売センターでも往々にして起こり得ることであり、ゆえに本稿がASA批判目的で書かれたわけではないとご理解賜れれば幸いである。
 付言すればASAの件はもう何年も前の話であり、現在は新聞社のサイトで直接宅配なり電子版なりの契約ができるようになったので、「勧誘」という行為自体が減ってかつてのようなトラブルも減少している、と聞く。◆

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第3469日目 〈毎日新聞を買うのは苦労する。〉 [日々の思い・独り言]

 8月中旬から今日まで天候にかかわらず、午前中は買い物兼お散歩を毎日続けている。近所のコンビニで新聞各紙を購入するため、なかば強制的に外へ出るよう心掛けているのだ。
 いまやたいていの店で、「新聞を買いに来る人」と覚えられている気配を、レジのこちらにいるわたくしは感じている。まぁ、買う新聞が殆ど決まっているから、たとえ地域のコンビニを日替わりで巡回していても、そりゃあ覚えられても仕方ないわな。
 現在は神奈川新聞と日本経済新聞、毎日新聞をコンビニで買っている。朝日新聞は週4日程度、か。実はここに1つ問題がある。毎日新聞を買う場所だ。
 コンビニを巡回していると、毎日新聞の取扱店舗が少ないことを実感する。近所に何軒もあるファミマで毎日新聞は扱いがない。セブンイレブンも同じ。毎日新聞を入れているのは国道沿いのローソンと線路向こうのNewDays、2軒のみ。
 しかも、取扱のあるローソンもNewDaysもかならず置いているわけではない。売っていない曜日もあれば、昼近い時間帯だと売り切れていることもある。そんな日は、どうしたわけか気持ちはブルー。毎日新聞のサイトを眺めて慰める。そろそろ有料会員になるか迷っているが、同じくらいに宅配してもらおうかな、とも考える。
 基本的に朝刊しか読まない(買わない)。コンビニで買うのと宅配契約とでは、数百円ながらコンビニに軍配が上がる。確実に読める安心感を得るため数百円増の支出に目を瞑り、宅配契約を結ぶか否か。うぅん、悩ましい。
 ……宅配契約の締結は悩ましいのだ。というのも毎日新聞を扱う、わが家一帯を配達エリアとする配達センターはいずれもASAなのだ。ASAとは「朝日新聞販売所」である。
 いまは多少なりと改善されたかも知れないが、以前がうちの近所にあったASA、頗る評判が悪くてな。強引な勧誘は当然、日常茶飯事として、配達済みの他紙をポストから抜き取って捨ててみたり、勧誘役の敷地内不法侵入や非常識な振る舞いの数々は、いまでも忘れられない。ホントのことさ。
 このことは別に書いたが、新聞について書いたエッセイと一緒にお披露目したい、と企んでいる。なぜ毎日新聞を毎日読みたいのか? についても、同じ理由で他日の稿としたい。
 なぜこんな風に、お茶を濁して急ぎ退場の幕を降ろそうとしているか。それは、──
 ごめんよ、パトラッシュ、眠いんだ……。◆

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第3468日目 〈崎陽軒!〉 [日々の思い・独り言]

 マニアックな崎陽軒の本を買った。ベストな食べ方の順番を考察する、誰が読んでどこに需要があるのか、と小首を傾げてしまうような内容。書名を、『崎陽軒シウマイ弁当 ゲノム解読完全データ』(食べ方学会)という。
 有隣堂で本を探しているとき、偶然にこの本を見附けた。安倍さん追悼の言論誌の上に置かれていた。こうした発見こそ、リアル書店を歩く楽しみ! しかもこの本、同人誌だというのです! メロンブックスHPに拠ればわたくしが見たのは第5巻であるらしく──既刊分を注文してしまいました。
 崎陽軒といえば獅子文六『やっさもっさ』(ちくま文庫 2019/12)だけれど、この文庫には発売当初、県内限定で崎陽軒シウマイ弁当の包み紙を模した特別カバーが巻かれていた。傑作なので、カバー云々は別としても前述した『崎陽軒シウマイ弁当 ゲノム解読完全データ』と併せて、機会あれば読んでほしい。
 ここからチト、暴言をお許しいただきたい。──横浜市民で崎陽軒のシウマイを食べたことがないなんて、モグリの最右翼。横浜に来て崎陽軒のシウマイ弁当を食したことがないなんて、いったい横浜くんだりまでなにしに来たのか。
 あと、崎陽軒は、シュウマイではなく、シウマイだから! フェリスをどう発音するか、崎陽軒の看板商品をどう発音するか、で昔からの横浜市民かどうかがわかる。子供の頃から聞かされて今日まで継承された。
 ……ああ、崎陽軒のシウマイ弁当、食べたくなったな。いろいろな企業がシュウマイ入り弁当を出しているけれど、最後には【ここ】に戻る横浜市民のソウルフード。シンプル・イズ・ベストを体現したようなお弁当。初手にして、マスト。なお、田舎へ行くときのお土産は、ここのシウマイであります。
 もしあなたが、関内のマリナード地下街の街角ピアノを聴きながら崎陽軒のお弁当を頬張っている男性を見掛けたら、8割方それはわたくしです(横濱ピラフとハマスタ☆応援弁当、美味しいよ)。あたたかい目で見守ってください。ああ、好きなんだな、と。
 その崎陽軒もお弁当ばかりかシウマイ単品(昔ながらのシウマイ)を、来月10月01日から値上げするそうだ(※)。シウマイ弁当が840円から900円に。シウマイも15個入りが620円から640円に。いやんなっちゃうなあ……。◆

※日本経済新聞22-09-02 朝刊 35面神奈川・首都圏経済、神奈川新聞22-09-02 朝刊 11面経済□

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第3467日目 〈ゴルバチョフ、逝く。〉 [日々の思い・独り言]

 元ソヴィエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフが08月30日、モスクワ市内の病院で亡くなった。91歳。死因は公表されていない。が、COVID-19感染拡大を受けて医師の奨めもあり、病院に入院していた由。
 ゴルバチョフといえば1989年12月、米国との間で冷戦を終結させた功績をまず思い出す。米国とソ連の指導者が同じテーブルに着いて、和やかなムードで談笑している光景は、当時の、確か夜のNHKニュースで流された、と記憶する。
 その後、ソヴィエト連邦は1991年のクーデターに端を発す政変で崩壊し、ロシア連邦が誕生した。ゴルバチョフは最初で最後のソ連大統領となったわけだが、その後も2004年05月、事実上の政界引退をした後も新党結成など、その改革意欲は衰えることがなかった様子である。
 プーチン大統領はゴルバチョフ逝去を承けて、「深い哀悼の意を表明した」そうだ。ベスコフ大統領補佐官が語った(インタファクス通信 毎日新聞09月01日1面)。が、それは形式上、儀礼上のことにしか過ぎまい。というのもプーチンはかねてより、「ソ連崩壊は20世紀最大の地政学的悲劇だ」と述べているからだ。いうまでもなく、ゴルバチョフの決断と実行を非難しての言葉である。かれだってソ連の消滅は望んでいなかったのに。
 プーチンが大統領の座に就いた際はそこに希望を感じていたようである。自分が成し遂げられなかった改革を実現させてくれる、とでも思ったのかもしれない。が、然に非ず。その後のロシアの動静は、現在のウクライナ侵略戦争も含めて、何年となくほぼ毎日報道されてきた通りだ。
 プーチンは冷戦の敗者のように受け取られた恨みを晴らすかのように、〈強いロシア〉の復活を目指している。コロナへの感染を避けてなるべく1人で過ごすようにしていたプーチンはその間、ロシア帝国時代の本を耽読していた、という(池上彰・保阪正康『歴史の予兆を読む』P22-23 朝日新書 2022/06)。その政治体制は時計の針を逆戻しして「共産党なきソ連の復活」といわれる。
 ゴルバチョフが掲げた理念は、プーチンには決して届くまい。



 ゴルバチョフの評価は海外で高く、国内で低い。国内に関してはどこまでが情報操作の賜物か知れないが、訃報に接したモスクワ市民の1人は「“功績”はソ連を崩壊させただけ」といったそうだ(東京新聞09月01日国際)。新聞各紙に紹介されるロシア国内の声は大同小異である。
 勿論、評価する人も少数派とはいえ存在するが、こうした否定的な意見が目立つのは正直、驚きだ。本気でソ連邦の崩壊を恨み、ソ連があのまま存続していたことを望んでいるのだろうか。それともこれは、日本でも第2次安倍政権にて喧しくいわれた〈歴史修正主義〉の教育と情報操作の賜物か──ロシア人に架空戦記物を読ませたら、狂喜乱舞するかもしれない。
 話を戻して、一方で海外からはバイデン米大統領が、ジョンソン英首相が、シュルツ独首相が、グテレス国連事務総長が、フォンデアライエン欧州委員長(EU連合)が、そうして日本からは岸田首相が、野党各党首が、それぞれ哀悼の意を表した。
 面白いのは日本共産党、穀田国対委員長のコメントだ。新聞に載ったのはコメントの一部だろうが、ちょっと紹介させていただきたい。曰く、──

 旧ソ連共産党の覇権主義を踏襲した人物で、日本共産党の論争相手だった。

──と。
 ちょうどタイミングよく、立花隆『日本共産党の研究』(全3巻 講談社文庫)や中北浩爾『日本共産党』(中公新書)を始めとしてコミンテルンまで遡って、日本とソ連の共産主義を中心に本を読んで勉強し始めたところなので、この発言が本来意味するところがなにか、未詳だ。
 が、その過程でより深く、ソ連/ロシアという歪で捉え所のない国について知ることもできるだろう。そうすれば、ゴルバチョフについても新たに知るところ、理解するところが出てきて、本稿の改訂や続稿に向かうこともできるだろう。

 故ミハイル・ゴルバチョフ(1931/03-2022/08)は1999年、白血病で亡くなった妻ライザ夫人の隣に埋葬される云々。◆

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第3466日目 〈願望はあっても希望は持たない。〉 [日々の思い・独り言]

 いつか本当のことが話せたらいいな、と思う。が、そんな機会は2度と巡ってこないだろう。どこにも書けない以上、願望はあっても希望は持っていない。
 よく似た人を見る。単に髪型が同じであったり、背格好が同じというだけで、ゆめ本人には非ず。そも存命なのか、それすら不明だ。いたずらに過去を振り返るのは、危険な行為だろう。夢にも出る。想いが生きているとは厄介である。
 この悔恨と懺悔をエピグラフにして書き継ごう、擱筆の時即ち破棄の時てふ運命の、あのメモワールを。そこには真実と事実が綴られる。失われた時間の向こう側にいる影を調伏する目的も持つ。
 本当のことを話す機会は2度とないだろう。願望はある。が、希望は持たない。◆

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第3465日目 〈旧統一教会と政治家の、例のアレ。〉 [日々の思い・独り言]

 1週間分の新聞を読んでいて、改めて驚かされる。──旧統一教会となにかしらの関わりを持った政治家って、与野党全体でこんなにいるのか!? 発端となった清和会にもあれだけの数が……。ほじくり返せばあと2,30人は出そうな気がする。
 しかし皆さん、どんな気持ちで献金を受けたり、ヴィデオ・メッセージを寄せたり、なんてことをしていたのだろう?
 殊いま現役で要職にある方々の初当選時期は、旧統一教会が合同結婚式と霊感商法で負のイメージを世に散布しまくった時期に重なるはず。リアルタイムで進行中な社会的出来事の推移には無関心で、己の選挙活動に必死だったのだろうか? そんなに地道でドブさらうような選挙活動を先生方、していたんですか? 
 関わることで政治家としてのキャリアに傷が付く、或いは世にこれが知れては政治家生命危うく再起も困難かもしれぬ、と想像することはできなかったのか? それとも、献金もメッセージもその他も、「すべて秘書のやったことです」と? 阿呆か。
 どちらにせよ今回名前が挙がって集中砲火を受けている先生方は、自分の心のなかに灯る黄色信号、赤信号を無視する胆力と、良心を欺き更にそれを埋めて均してその上を何事もなかったように闊歩する逞しさをお持ちのご様子。或る意味で羨ましい限りだ。
 旧統一教会がここまで党派の別なく政治家たちの活動に影を落としているとなると、病根は相当に深いだろう。関わりなき政治家たちがどれだけ声を大にして、あらゆる法規範を適用して一掃への道を切り拓いたとしても、根絶は難しいのではないか。
 政治(家)と宗教(団体)の複雑怪奇で切り離し困難な関係について、ヒートアップした頭を冷やし、此度の事件で植えつけられた固定観念を取り払って、歴史を踏まえて点検・検証してゆく作業が必要になりますね。実際の切り離しが強行できれば、もっと良し。
 もっとも──そうはいってもね、かつては一致もしくはかなりの部分で重なりあっていた両者を完全分離させるのって、元々不可能に思えるんだよな。それいい始めたら、公明党と創価学会はどうなんだ、っていう話になりますしね。

—— ○ ——


 ──と始まるエッセイを書いて一旦棚上げしたのは、2022年08月10日(水) 17時52分のことである。
 あれから20日が経過した。この問題は政界全体に飛び火した。他の党が本腰入れて所属議員に対して聞き取りなどを始めるなか、疑惑の本丸、自民党も当初の方針を改めて、所属議員全員の調査を開始、結果を報告するよう通知した(08月27日朝日新聞、毎日新聞他)。自民党の調査結果は来月6日に発表される予定。
 あとからあとから接点ある政治家の名前が、新聞各紙やNHKの報道で明らかになってゆく。共産党とれいわ新撰組以外はなにかしらの接点を持っていた、とは驚きだ(NHK-BS1『クローズアップ現代』〜「旧統一教会と政治 見過ごされてきた関係」)。が、然程驚くには値しないのかもしれない。まだ判明していない部分もあるはずだから。それにしても……民主党前代表の枝野さんまでが。
 岸田首相は08月10日夕刻、第2次岸田改造内閣を発足させた。旧統一教会との関わりを否定すべく、その批判をかわすべく、沈静させるべく断行した、起死回生の内閣改造であった。
 にもかかわらず、旧統一教会と接点ある閣僚を入閣させ、かつ後出しで関係が取り沙汰される閣僚が続出したことで批判の声は激しくなるばかり。
 朝日新聞が行った世論調査では岸田内閣の支持率は47%(08月29日朝刊)。7月参院選後に第2次岸田内閣が発足した直後の調査と較べれば、10%減(ちなみに不支持率は39%で14%増)。
 読売新聞が早稲田大学先端社会科学研究所と共同実施した世論調査での支持率は61%、不支持率は29%となった(08月28日朝刊)。
 後者の数字を見ると「なんだ、支持率高いじゃん」と錯覚するが、政権寄りの読売新聞らしくきちんとカラクリがあった。第2次岸田改造内閣発足直後に実施した単独での世論調査では51%だったが今回の共同調査では、「今回の調査は、急落する前の回答が大半を占めるため、支持率は61%だった」と摩訶不思議な説明が付されている。
 ここでは政権に厳しい目を向ける朝日新聞が発表した世論調査の支持率/不支持率の方が、より実体に近いだろう。どちらへ転んだにせよ、もはや政権はレイムダック寸前である。新興宗教と国葬断行ヘの対応不備が、クリーンなイメージで誕生した岸田首相を追いつめた形だ。
 おまけに、熊本県で首相の後援会長を務める人物が教団関連団体(日韓トンネル推進熊本県民会議)の議長を務めていた、という。首相自身は自分と教団の間に接点はない、とオンライン取材で答えたそうだが……。
 荻生田政務調査会長や高市経済安全保障担当大臣のような旧統一教会との関わりが判明しても、岸田首相はかれらを解任しようとしない。亡き元首相の影に怯える現役首相。最大派閥の数の論理と圧力に白旗あげる現役首相。手枷足枷嵌められて、拘束されているも同然の現役首相。国民はそんな首相を呆れ顔で眺めて、〈岸田ヴィジョン〉を見限りつつある。
 かれらの任命について、岸田首相は説明も釈明もしようとしない。ロッキード事件で有罪が確定している人物を入閣させたことを謝罪した、橋本元首相を見習ってはどうか(1997/09/22)。「過ちは早急に正したい。同時に国政に一刻の停滞も許されない。これが本日決断をいたしました人事についての私の率直な思いであります」──会見に於ける橋本元首相の言葉である。
 然り、国政に一刻の停滞も許されないのだ。岸田首相はこのことをご理解されているか。留学生30万人受け入れを見直して更に人数を増やす計画です、など脳ミソお花畑を疑われて国家を壊滅的させるような企み練っている場合では、ない。
 国葬強行への批判も相俟って、もはや岸田内閣に、「聞く力」をアピールしてきた岸田首相その人に信を置く者が、果たしてどれだけいるだろう。
 岸田さん、あなたがいまやるべきは、国葬の見直しと改憲の是非を国民に問うこと、旧統一教会と政権の癒着を徹底的に調査して膿を最後の一滴まで絞り出して永遠に関係を断つこと、北朝鮮・中国・ロシアの(核攻撃をチラつかせた)恫喝と脅威に毅然と立ち向かうこと、そうして「国民の生活を第一」に考えて物価高を能う限り抑えて生活への不安を取り除くべく行動すること、なのではないか。
 わが家は父方も母方も地縁を主理由に、自民党とは結党当初から浅からぬ縁がある。必然の流れとしてわたくしも、選挙権を持ってからはたいがい、自民党候補に票を入れてきた。いい換えれば、野党に票を投じざるを得ぬ程自民党政治に愛想を尽かしたときもある、ということ。
 いまはどうか。顧みれば現在くらい自民党の体質に、嫌悪感と失望を抱いたことはない。これまでは許容できる部分もあったが、現在は……なにもない! nothing! ポオ風にいえば、”never more”である(但し翻訳による)。
 かれらがなにをいっても、旧統一教会の影がそこにはチラつく。信じるのか。信じていいのか。それ程自民党の議員たちは、否、各党の政治家たちは、〈角栄事件〉や〈リクルート事件〉に匹敵する戦後最大クラスの政治不信を、国民に植えつけたのだ。
 選挙権を持つと持たざるとに関わらず、この際歴史に記録されて然るべき程の「否」の鉄槌をかれらへ叩きつけてよいのではないか。政教分離の徹底、という名目で、否の鉄槌と怒りの声を、連衆にぶつける機会ではないか。
 いっそのことね、衆参同時解散 / 全政党解体→国会議員総入替え選挙を実施すればいい。誰がどこでどう関係を持っていたか不透明な以上、例の団体とは無縁の政治家さんたちには申し訳ないが、そんな方々にもこの際、泥水飲んでもらいましょう。
 勿論そのときは、旧統一教会と繋がりのあった政治家は事務所の閉鎖・後援団体の解消・どこの選挙区からも出馬は永久禁止、この3点を誓約させ(選択肢はない)、更にあらゆる既存法人への就職を禁ずるのみならず、自分が設立或いは家族や秘書等関係者が設立した法人への就職を厳禁とする。
 ──え、収入が途絶える? どうやって生活してゆくんだ? なにを仰る。それくらいの預貯金や資産はございましょう。身分相応の暮らしをしなさいよ。呵呵。

 余談だが、「旧統一教会」が時々「給湯いつ今日かい」と変換されるのが、個人的に可笑しくてたまらない。やってくれるぜ、ATOK。◆

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