第1395日目 〈レスピーギ《ローマ三部作》&《古風な舞曲とアリア》を聴きました。〉 [日々の思い・独り言]

 暑い日が続くなか、オペラを聴き、観、文を書き、勿論ちゃんと仕事にも出かける。そんなルーチンワーク化しつつある日常に活を入れようと、思い立ってイタリアの作曲家、オットリーノ・レスピーギという作曲家のCDを、この数日ずっと聴いていた。
 実をいえばこれまでイタリア音楽、フランス音楽は一部を除いて敬遠してきていた。まぁ、個人的感情によるところ大なのだが、“雪解け”が始まったのは昨年の末、否、今年に入ってからか。どうというきっかけがあったわけでもないが、とにかくこれまで聴いてこなかった国・時代の音楽、作曲家、演奏家、が無性に聴きたくなって仕方なくなったのだ。レスピーギを聴くに至った理由も、そこにある。
 わたくしが購った《ローマ三部作》はBRILLIANTというレーベルから出ているものだが、2枚組で約1,000円。確かお釣りが来た。演奏者はリッカルド・ムーティ=フィラデルフィア管弦楽団、これはかつてレコード・アカデミー賞を受賞した録音を発売元のEMIからライセンス取得してリリースしているものだ。初めて(全曲を通して、本来あるべきあたりまえの形で)聴いた《ローマ三部作》は衝撃的だった。決して無限ではない音階をあらゆる方法で構成することによって、こんなにカラフルで写実的、瑞々しさ際だつ「音による風景の描写」が可能なのか、ということに。
 《ローマ三部作》は《ローマの噴水》、《ローマの松》、《ローマの祭り》の三作から成る作品だが、なかでもわたくしは《ローマの噴水》に惹かれた。きらめく水面に映る数多の影、光、情景、それを伺い見る者の心象風景が十全に描かれた、極めて心理描写に優れた音楽のように感じられたからだ。これだけを――全4曲から成り立っているのだが――日がな一日、は言い過ぎでも、半日は飽きず繰り返し聴き耽っていたことがあるぐらい。むろん、他の2曲が劣る、というのでは、断じてない。《~の松》からは、カラリとした空気感が甦ってくるような錯覚を覚えたものだし、《~の祭り》には底知れぬ魂の轟きを感じもした。だが、わたくしは《ローマの噴水》にどうしても心が帰ってしまうのだ。それは、環境的意味合いもあるのかもしれないが。
 一方、《古風な舞曲とアリア》はサー・ネヴィル・マリナー=アカデミー室内管弦楽団の演奏。某通販サイトでのユーザーレヴューでは一部暴徒から散々な批判を浴びている、或る意味に於いて誤解された演奏のようだが、仲々どうして、端正で品格のある演奏である。イギリス勢による演奏だから、というわけでもあるまいが、却ってこうしたエレガントでノーブルな演奏の方がレスピーギには合っているのかもしれないな、などと真剣に考えさせられてしまうのだ。なお、この2枚目には《ボッティチェリアの三枚の絵》という曲も入っている。寡聞にしてこの曲の入っている国内盤CDは見かけたことがない。このあたりからも、これまでのレスピーギ無関心ぶりが窺えるだろう。
 とにかくこのCDは、わたくしのようにこれまでイタリア音楽へ能動的には接したことのなかった人、20世紀音楽に或る種の偏見を抱く方にオススメしたい。
 そうしてもう少しレスピーギを聴きたい、と思われた方には《ローマ三部作》の名盤中の名盤トスカニーニ=NBC交響楽団のCDや、ミッテンヴァルトというレーベルから出ている弦楽四重奏曲やメゾ・ソプラノが加わる《夕暮れ》という曲が収められているCD なども、併せてご紹介しておきたい。 後者はわたくしにとって大切な一枚となっている。
 このレスピーギ体験を大事にして、新たなイタリア音楽逍遥の旅に出よう。◆

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