第2532日目 〈又吉直樹『火花』について。〉 [日々の思い・独り言]

 タレントの書いた小説がいま見るような形でもてはやされるようになったのは、いつ頃からだったろう。いまは様々なジャンルの小説史が調べられてその成果が出版されているけれど、タレントの書いた小説と真っ向から取り組んだ調査結果は上梓されたことがないようだ。それどころか、このジャンルの出版点数は確実に増えているにもかかわらず、積極的踏破そのものはまだされていないのが現状らしい。わたくしはこの、タレントが書いた小説の歴史と研究こそが唯一「現代日本小説史」に欠けた部分であり、また今後見識ある者が挑むべき最後の未開地である、と考えている。
 さて、タレントのなかでも芸人に絞っていうと、隆盛の先鞭をつけたのは明らかに劇団ひとりの『陰日向に咲く』であった。これが売れに売れて映画も好評だったものだから、二匹目のなんとやらで品川ヒロシ『ドロップ』や田村裕『ホームレス中学生』などなどあとに続くものが多く世に出たけれど、どれもこれも中学生が夏休みの宿題に嫌々書いた作文とさして変わるものではなく、さぞかし校正・校閲の手を患わせたことであろうと察せられる、一発花火的代物でしかなかった。2作目、3作目を物した人もいたけれど、お金を払って読む一般読者はもう騙されない。それらも前作同様評判になったなんていう話はどこからも伝わってこない。
 が、ここに1人の本物がいる。小説としては実質的な処女作となるのだろうが、それ以前から単著共著含めて複数を物していたこの人は、けっして一発屋で終わったりするまい。誰のことか、といえば、勿論、又吉直樹である。
 『火花』芥川賞受賞。このニュースに世間が騒いだ。綿矢りさ・金原ひとみてふ史上最年少コンビの受賞以来、読書にあまり縁なき人たちの記憶から薄らぐか或いは消えていた芥川賞への関心を再燃させるのに、又吉の受賞は十分すぎる程の話題であったのだ。受賞作が掲載された『文藝春秋』は創刊以来初の快挙となる増刷を経験した。人々は先を争うて『火花』を読んだのである──が、わたくしはこのブームに踊らされるのを潔しとせず(呵々)、実際に掲載誌を手にしたのはそれから1年近く経ってからのことなのだ(しかも貰い物だというね)。雑誌を入手する以前に既に単行本を買うて読んでしまっているから、今更感が漂うのは否定できないけれど。
 そうして今年。先月2月下旬である。『火花』が文春文庫から出た。ドラマが地上波で放送されるのに合わせた刊行であるのは想像に難くない。なぜなら文庫にはドラマのイメージ・フォトがあしらわれた特大帯が巻かれていたのだから。
 電子書籍版も購入していたので都合4ヴァージョンを架蔵している計算になるが、かというてわたくしは芸人としても作家としても又吉にそれ程入れこんでいるわけではない。才能も実力もあるとわかっているが、なんというか、いま一歩踏み込めないのだよね。わかってもらえるだろうか、この感じ? それはさておき、このたび文庫がお目見えしたこともあって改めて読み直してみた。休みの週末を殆ど潰して読み耽った。読後感にさしたる変化なく、また前回に比して読みが深くなったとはどうしても思えぬのが、まぁ難といえば難かもしれないけれど。
 またそのうち感想でも書くわ。楽しみにしててぇな。ほな、さいなら。◆

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