第2617日目 〈おかえり、ATOK! ようやくブログを再開させられるよ!!〉 [聖書読書ノートブログ、再開への道]

 まず始めにお伝えしておきたいことがある。わたくしが日常、Macで文章を作成する際の日本語変換ソフトは、ATOK for Mac 2013であった。また、その時点でMacのOS(macOS)はMojaveである。
 と前置きして、今回のお話をさせていただこう。
 ──キーボードを叩いて任意の文章を一節、なんでもいいから入力しよう。次の作業は「変換」だ。たとえば、「グレン・グールド弾くショパンのピアノ・ソナタ第3番。」なる文章を打ったとする。たとい最初の変換時はちょいとおかしくっても、文節ごとにカーソル移動させて変換させてゆけば、或いは変換する単語の範囲を矢印キーで指定してやれば、上記のような正しい、すくなくとも意味の通じる文章には仕上げることが可能だ。
 ……が! 今回わたくしが見舞われたトラブルは、そんな程度では解決しない類のものだったのだ。のっけから「ぐれん」は「愚聯」と変換された。なんだ、その変換は!? と仰け反ること必至の誤変換。
 ATOKともあろうものが、醜態をさらすものじゃ……そう口のなかで呟きつつ、しかし「愚聯」ってどんな意味だよ、まったく、とぼやいてみる。そうして単語として認識・変換された「愚聯」を正しいものに検めるべく、スペースキーを数回叩いて「グレン」を選ぼうと……すると、それが消えた。「ぐれん」という単語そのものが目の前から、開かれたノートから、ぱっ、と消えた。
 茫然自失? どのような言葉を与えようと、目を疑ったのは事実である。いまの現象は果たしてなんだったのか──? そうして気を取り直して、キーボードに向かって文章をひねり変換するけれど、同じ現象に見舞われるだけだった。
 1つの文章を入力して、正しい文章と用字に検めて、次の文章でも同じ作業を行い、1個の作品ができあがるまで同じ作業を延々と繰り返す。そんな当たり前の作業ができない事態が、いよいよ到来したのである。幾つもある変換候補のうち、常に最初に変換された用字で正しいならばストレスもないのだが、そんなことがあるはずない。
 そんな、徐々にストレスが溜まってゆく日々が続いたがふと思い立って、ジャストシステムのHPを覗きに行って、愕然とする事実を突き付けられた──あなたの使っているATOK2013 for Macは、macOS/Mojaveでは動作対象外なのであしからず(※1)──。おお、なんてこったい!?
 遂に日本語変換ソフトを、暫定的な決定ではあるが、ATOKから他へ移さねばならない日が来たのである。ところが新たに乗り換えたソフトはATOK以上の<わろ>で、まるで使い物にならぬ。敢えて名は伏すが、日本語変換ソフトとしての能力は頭を抱えてしまうぐらいのレヴェル。その変換ソフトへは早々に三行半を叩きつけることとなり、その後も3つばかり他の日本語変換ソフトを試してみたが(勿論、すべてApp Storeで無料のアプリだ)、どれもこれも学習能力のない容量ばかり一丁前に占拠する無能の衆。
 結局ATOKに戻るのか、とジャストシステムの偉大さを実感しつつ紆余曲折の後、給料日の翌日に恙なく家電量販店にてATOK2017 for Macを購入(データ上は在庫があるのに売り場にない=入荷したばかりだったため、店員さんが取りに走ったというハプニングはあったと雖も)。
 帰宅後、iMacとMacBookAirへそれぞれインストールを完了させ、またATOK2013に辞書登録していた単語類の引き継ぎも済ませていま、こうして日曜日の夜に本稿を綴っている次第(※2)。顧みれば、macOSをアップデートしてATOKが動作対象外と判明する直前からこの方、満足に原稿を完結させたことは、ない。胸を張っていえる。
 いやぁ、しかし、いいですよ、やはり、ATOKは。日本語を熟知した会社が提供するだけのことはある。明解にして正確、かつ快適な日本語変換環境(ん、まぁそんな感じ)は他に比肩するものなき唯一無二の存在。日本語変換ソフトとして、もはやATOKは「一強」というだに相応しい。
 さて。
 斯様にして従前と同じ、否、もっと優れた環境を手にしたわたくしが為すべきは、ずっと前から言い続けて実行できていなかった、たった一つの約束を果たすこと。即ち、旧約聖書続編「マカバイ記 一」と「エズラ記(ラテン語)」の再読・再ノート……それ以外になにか宣言していたことって、あったかな? わたくしにはとんと覚えがないのだが……えへ。
 冗談はさておき、年明け早々にも開始する「マカバイ記・一」について、一言。これの読書を始めるにあたって自らに課していたのが、「ダニエル書」の再読だったがこちらはもう仲秋から晩秋の頃に済ませており、不完全ながらレジュメも作成済み。このレジュメをお披露目するか悩ましいところだけれど、まぁ年明けからの聖書読書ノートブログの再開はお約束できそうである。
 もしここに1つ、悩みどころがあるとすれば……そうさな……、読書に用いるのが新共同訳か、今月出版された約30年ぶりの新しい日本語訳聖書;聖書協会共同訳か、っていうあたりかな。これがなかなか頭を悩ませる問題で本稿を書いているいまも視界の端にあって折節ページを開いては「どっちで読もうかなぁ」と嘆息しているところ。多分に自分の怠慢ゆえということもあるのだが、そうして12月に刊行されると事前にわかっていたことはいえ、読書ノートブログの再開と聖書協会共同訳の出版のタイミングが重なるとはなぁ……。good grief.
 いやぁ、でもATOKを新しくしただけで斯くも最大級の懸念事項がにわかに具体的に動き始めるとは、思いもよりませんでしたよ。
 MacへのATOKの帰還、それは即ちブログ再開の目処が立ったことも意味する慶賀であった。けっして大仰な発言ではないことを、読者諸兄にはおわかりいただけることと信じる。──歌おう、感電する程の歓びをっ!!◆

※1:https://www.justsystems.com/jp/os/macosx/
※2:そうはいってもこの第2稿は月曜日の夜に書いているんですけれどね。てへ。■

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