第2770日目 〈好きな作家の本だけは、新刊書店で買う。〉 [日々の思い・独り言]

 話を<小説家>に限定する。
 ささやかながら、読書好きが好きな作家に応援できることといえば、その著書を新刊で買う、という点のみに尽きるのではないか。
 好きな現役作家はこれからも作品を書き続けて欲しいから、どうしても不可能な場合は除いて新刊書店で、単行本でも新書でも文庫でも身銭を切って買うようにしている。1冊と雖も売れれば印税として計上され、作家の懐は──雀の涙程度であっても──潤うことになる。そうすれば、次の本を出せるようになるかもしれない。淡い期待かもしれないけれど、常々そんなことを考えて、本屋さんのレジへ本を積みあげるのだ。
 メジャーとかマイナーとか、日本人作家とか外国人作家とか、その区別に意味はない。真にその作家を応援したいなら、新刊発売日であろうとなかろうと、新刊書店の平台から、棚から、本を手に取り、ああまたこの人の新作が読めるんだなぁ、うれしいなぁ幸せだなぁ、と倩思いながら、レジへ直行するだけだ。取り寄せであっても、その変わるところはなにもない。但し、既に絶版品切れとなっているものは仕方ない。古本屋を廻って歩くことになるが、それもたいした労ではあるまい(ネット古書店やヤフオク! 使ってもいいわけだから)。
 以前──たしか相沢沙呼『小説の神様』であったか、いまちょっと本が手許にないので記憶に頼るが、曰く、海賊版サイトで漫画読み放題はユーザーには課金する必要なく楽しめて便利だが、それが積もって作家や出版社にお金が入らなくなり、自然、作品の売れ行き不振で打ち切り、最悪の場合は作家に作品発表の舞台がなくなってしまう、と。幾つかの場面に分かれてそんな主張がされるので、必ずしも正確なところではないが、内容として間違っているところはないはずだ。
 この部分を読んで、大いに共感したことである。自分が買うことで作家の命脈が保たれるならば、(ラモーンズばりに、否、それとも『ペット・セマタリー』ばりに?)ヘイヤッホーやったろうじゃないか、と心中叫んで新刊書店での購書に励むことになるのは、至極当然であろう。
 とはいえ、日本人作家でそんな風に本を買う作家というのは、実はすくなくなってしまった。物故した作家ばかりでなく或る時点で、荷風の台詞を借りれば「あの人は駄目になりました」と口のなかで呟いて買うを止めた作家もあるからだ。悲しく、そうして、淋しい。近年欠けた作家のなかでいちばん痛かったのは、葉室麟の逝去だった。ライトノベル出身の直木賞作家だったら、微塵も感情が動かなかっただろうけれど。
 では新刊が出れば必ず買う、もう入手不可能なもの以外は新刊書店で買うように努めている現役作家はどれだけいるだろうか、と検めてみると、朝井まかてと綾辻行人、南條竹則と西崎憲、南木佳士と村上春樹、スティーヴン・キングとカズオ・イシグロ、イアン・マキューアンぐらいか。ピックアップして意外と少ないことに驚いている。いちばん衝撃的なのは、このなかでコンスタントに新刊書籍(翻訳書)を発表している人が、朝井まかて独りだけという事実。参った。
 まぁ、立ち読みしてから買うかどうか決める作家なら、(見切りを付けた/三行半を叩き付けた作家程ではないけれど)たくさんいるんだけれどな……敢えて名前は伏せるが。
 生き続けるということは、すべての著書を読みたいぐらいに鍾愛する作家が減ってゆくのを意味するんだな、とつくづく感じている。◆

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