第3271日目 〈さようなら、海部さん。〜〈昭和から平成へ〉〉 [日々の思い・独り言]

 風刺漫画である。海部元首相が満面の笑みで幸世夫人に報告する。「竹下さんが内閣総理大臣賞をくれたよ」聞いた夫人は思わずツッコミを入れた。「総理大臣はアンタでしょ!」と。
 海部政権が竹下派の肝いりで生まれ、傀儡政権と呼ばれていたことを揶揄した漫画である。
 今月9日、海部元首相が逝去した。91歳。早大雄弁会のエースが官房副長官、文部大臣等を経て自民党総裁の座に就いたのは、平成元年8月。国内では<政治とカネ>の問題が表面化して追及が過熱し、海外では東欧解体や湾岸危機/戦争に揺れた時代だった。
 上皇陛下の即位式に臨んで歴史的な「天皇陛下、万歳」を唱した。昭和生まれの最初の首相が、昭和生まれの最初の天皇を寿ぐ国営放送の映像が、脳裏に焼きついている。
 竹下派、殊に小沢幹事長の<傀儡>といわれながらも、小選挙区制導入の地均しなど現在の政治体制の基盤を築く気骨のある人だった。自身の肝いりであった政治改革関連法案の廃案は寝耳に水だったようで、記者たちに指摘されて初めて知った様子。そのときの映像も、どこかの放送局に残されていないか。
 海部さん、とあえて呼ばせてもらう。政治の面白さを知ったのは、海部さんの時代だった。もう片方にはおたかさん率いる旧野党があった。与党と野党の、最高にエキサイティングな<大人のケンカ>をリアルタイムで見られたことを、幸運に思う。
 在任中か退陣後か記憶は曖昧だが、疾うに廃刊された雑誌に、海部さんに触れた記事があった。UFOの存在を信じ、文相時代に調査チームを作ったことがある、という内容の手紙を紹介する記事だった。タイトルは、「夢を信じたい」ではなかったか。
 少年のようにキラキラした眼の人だった。飾り気のない笑顔が素敵な人だった。水玉ネクタイに誇りを持った人だった。<判官贔屓>を地でゆく政治家だった。
 今日01月14日午後、ニュースが流れた。海部俊樹元首相、逝去。岸田首相は、いまこそ海部さんに本物の内閣総理大臣賞を。◆

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