第3383日目 〈ホームシックを支えた鏡花の小説。〉 [日々の思い・独り言]

 すっかりタイトルを忘れていた鏡花の小説がある。伊豆半島を巡って江浦や沼津が登場する小説だ。
 偶々入ったブックオフで東雅夫編『妖怪文藝』全3巻(小学館文庫 2005/9-11)を見附けて懐かしさからすぐに手が伸び、順番に目次を開いていった。
 1冊なら2年に1回ぐらいは見掛けるが全3巻揃いとなると実店舗で見ること稀で、わたくし自身こう書きながら倩思い返して全巻揃いを見たのはおそらく15〜16年ぶりか、と唖然としてしまうている。旧東海道脇の如何にもな古本屋の棚にそこそこなお値段でひっそりと飾られていたが、翌日仕事帰りに立ち寄ったら誰かが買ったあとらしくもう置いていなかった。
 まぁ、そんな思い出もあっての懐かしさでね、と話を戻して。
 第3巻「魑魅魍魎列島」の目次を開いたら、鏡花の名前が真っ先に飛びこんできた。当該ページを開いて1ページ読んですぐに、「これだっ!」と内心叫び──次の瞬間には全3冊をカゴのなかに入れていた。小島政二郎『眼中の人』(岩波文庫)といっしょにレジへ運んだのは、それから10分と経たぬ頃である。
 その鏡花の小説、題を「半島一奇抄」という。始まりからしばらくは西伊豆周遊記のようになっていて、登場するのが子供の頃から親しんでいた場所ばかりとあって読みながら、次から次へと彼方此方の光景のみならず駿河湾に浮かぶ淡島や海彼に霞んで見える千本松原に霊峰富士、愛鷹連峰に沼津アルプス、清水港に田子の浦の工業地帯、陽光に輝き一閃放つ波頭に紺碧と濃緑の混じりあった湾の水面、カモメとトビの高くあとを引くいななき、道沿いの売り子呼びこみの声また声、漁船の鈍いエンジン音、魚市場に水揚げされた魚を競りにかけるせり人や仲卸業者らの声、声、声──。
 そうだ、わたくしが始めて本作を読んだのが全集だったのか、それともなにかのアンソロジーの類であったか忘れてしまったけれど、たしか沼津や伊豆の人、風物光景空気が無性に思い出されて一種のホームシックになっていた時分に読んだのだ。むろん「半島一奇抄」に出合うたのは偶然に過ぎぬ。しかしそこにはなにかしらのシンパシーが働いていた、と信じたい。それからしばらくの間、この短編はなにかにつけて子供時代を過ごした第二の故郷を思う縁となってくれた──。
 筋などは別の機会に感想といっしょに綴りたいが一つだけ。既に収録書名や作者名から薄々お察しのことと思うが、この「半島一奇抄」、江浦の沖で目撃された妖怪、鮟鱇坊主の話なのである。伊豆や箱根一帯にはこうした妖怪の伝承が幾つもあるので(箱根山を挟んで反対側の大雄山には、天狗様が居られるしな。箱根山中の金時山は金太郎伝説発祥の地である。駅を出たら目の前で金太郎とクマさんが出迎えてくれるよ)、公然と横浜と伊豆の二重生活ができるようになったら、こうした愛すべき魑魅魍魎たちの話を採集して歩きたいね。◆

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