第3423日目1/2 〈〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉を備えたる歴史家、徳富蘇峰。〉 [日々の思い・独り言]

 徳富蘇峰『近世日本国民史』を読んでいる。「赤穂義士」の巻だ。藤沢周平から地滑りした読書であることは既にお伝えしているが、立川文庫、吉川英治、縄田一夫・編のアンソロジー、と来て、ようやく本丸攻略に着手したてふ気分である。
 わたくしにとって徳富蘇峰、と来れば、渡部昇一のエッセイである。始まりは『知的生活の方法』で買った本を置く空間に悩まされた若き日の回想、古本屋で戦前の版50巻を見附けたので来日中のアメリカ人日本史研究者に教えて買うよう奨めた、というエピソード(P96 講談社現代新書 1976/04)だ。十何冊も著者の本を読むとお目にかかる話題の1つでもある。
 そのエピソードの末に『近世日本国民史』に関しては『腐敗の時代』に書いた、とあるのでさっそく探したけれど、どうしてか見附けること叶わず、Web上で全国の古書店の在庫を見られるようになると今度は状態の良いものが見附からず、結局その全文を読んだのは、歿後刊行された『歴史への遺言 未来を拓く日本人へ』(ビジネス社 2019/11)に再録されたなかである。件のエッセイ、題を「真の戦闘者・徳富蘇峰」という。
 それに拠ればかつて蘇峰のこの本は戦後すぐの頃、一部歴史学者の間では古傷を抉るが如きアイテムだったようだ。
 というのも、渡部が田舎の恩師から依頼を承けて、『近世日本国民史』の信憑性について質問した相手、辻善之助は昭和11年11月05日、蘇峰の文章報国五十年祝賀会(於帝国ホテル)の席上で当時52巻(「文久元治の時局」昭和11/1936年08月刊)まで刊行されていた『近世日本国民史』に触れて、「徳富先生は史家の三長をことごとく具えられた方であるといってもよろしいかと思います」といい、林羅山・春斎『本朝通鑑』や水戸藩編纂『大日本史』と『近世日本国民史』を並べて絶讃の言葉を連ね、〆括り近くで『本朝通鑑』や『大日本史』が組織の後ろ盾あって為された事業であるに対して『近世日本国民史』は、「個人の仕事としては徳富先生の大業に及ぶものは絶無なのであります。更に識の点、及び才の点、つまり歴史に対する識見や史筆において徳富先生は新井白石か頼山陽に当ると思われます」とその大事業を寿ぐ(前掲書P203-205)。
 なお、辻の祝辞のなかに出る「史家の三長」とは、「学(学問)」と「識(識見)」と「才(才力殊に文章力)」、を指す。
 これがどうやら古傷となって、渡部の私意なき質問に不快そうな表情を浮かべてしまった背景になったらしい。間には大東亜戦争と敗戦、米軍による占領統治という有史以来この国が経験したことのない出来事が出来した。時代が変わった、といえばそれまでだが、斯くも価値観や思想の驚天動地を経験した時代も他にあるまいから、辻博士の不快も仕方ないことだろう。
 さて、肝心の渡部の質問に対する辻のアンサーは如何様なものであったか。曰く、──

 蘇峰は多くの助手を使って書いた。資料編纂所の資料をよく使っている。そういうところは信憑性があるということで五十パーセントだ。(前掲書P202-3)

──と。つまり、史資料を引いた部分は信憑性あり、けれども蘇峰が書いた部分はねぇ……ということか。冷静に考えれば変な話であるが──この部分は自分が『近世日本国民史』を買い揃えて通読したらば、検討してみよう。
 話が若干横道に逸れたようだ。戻そう。
 その後、講談社学術文庫に収まった何巻かを、伊勢佐木モールの古本屋で購入した。真面目に読書に取り組み始めたのは此度の赤穂事件への関心からだが、実際に自分で読んでみて、これ程信頼を置くに値する近代以後に書かれた史書もそう多くはあるまい、と感じた。
 蘇峰の史料の扱い方は公平である。どちらか一方に与してそれを称揚し、もう片方を陥れるような資料の用い方はしない。蘇峰自身の筆も公正であることにこれ努め、両者の言い分を掬いあげて時に留保、時に両成敗の判断を下して、出来事の推移を見極めてゆく。提供された諸史料や三田村玄龍のような同時代人の著書をも参照・引用しながら事件の根本を冷静に見つめ、それらいずれに於いても検証の煩を厭わずかつ己の意見を明記して、歴史の必然たることを説いてゆく。
 〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉なくして史書は書けぬ、史論は書けぬ。新井白石『読史余論』、頼山陽『日本外史』は近世期の作物だが、〈歴史を視る目〉と〈歴史を図る素地〉いずれも不足なき人によって書かれた史書、史論と申せよう。
 時代変わって、近代以後にそれに匹敵するものは果たしてあったか。挙げ得るは原勝郎と田中義成、竹越与三郎(三叉)を除けば唯一、この蘇峰のみであるまいか。──内、『近世日本国民史』こそは蘇峰の筆力とネームバリュー(執筆中の蘇峰の許には全国から資料の提供があった、という)が見事に融合して成った稀代の史書といえる。わたくしはそう固く信じて疑わない。
 現代? 個々の出来事について述べるは優秀でも通史を一貫した視点持って語り得る人物は学会にも在野にも皆無であるまいか。実際に書かれたものとなると殆ど玉砕でないか。もはや現代は通史を書くことに不向きな時代であるのかもしれない、余りに細分化され、余りに重箱の隅を突きまくって穴が開くまで突くことが慣習化しており、ゆえに水平方向の往来ができにくくなっているようだから。神話の時代からこの腐敗の時代までの歴史を俯瞰する自らの視点を持たぬ歴史家の絶えて少ないことこそ哀れなるべし。
 本稿でもたびたび名前を挙げている渡部昇一にも『渡部昇一「日本の歴史』(WAC 2010/02-11/02 「特別版 読む年表 日本の歴史」あり、WAC 2011/06)や『渡部昇一の少年日本史』(致知出版社 2017/04)といった、いわゆる日本史の〈通史〉を書いた著書がある。
 けれど、わたくしはあれは、絶えず疑義を差し挟みながら読み進めてゆくべき代物である、と考える。全体的には良い本なのだが、一つ一つを掬いあげてゆくと「え、ちょっと待ってよ。それは資料の読み違いも甚だしくはありませんか?」など亡き著者にツッコミを入れたくなってしまう箇所がある。たとえばだが『渡部昇一「日本の歴史』第4巻「近世篇 世界一の都市 江戸の繁栄」(2010/07)は読んでいて、多少知るところある他よりはある時代とあって琴線に触れて響く箇所も卓見と膝を叩く場面もなく、本当に退屈だった。得るところ、触発されるところが殆どない。そうして近代以後は既に他書で書かれたことの繰り返しが過半である。
 少なくとも日本史に於いて渡部昇一は、徳富蘇峰になろうとしてなれなかった人、とわたくしは捉える。
 ──蘇峰のこの本、『近世日本国民史』の赤穂義士の巻についての感想は、また改めてここにお披露目する。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。