第3439日目 〈机に積みあげた本から始まる独り言。〉 [日々の思い・独り言]

 自分で稼いだなけなしのお金を叩いて本を買え。渡部昇一始め誰彼が異口同音にいうことだ。
 買ってきたらひとまず机の上に積み重ねて、これだけ読まねばならんのだ、と自分にプレッシャーをかけろ。立花隆は『知のソフトウェア』(P108 講談社現代新書 1984/03)で説く。
 ──今日、久しぶりに都内に出て、新古書店と新刊書店を回り、昨日買った本とあわせて机の上に積みあげてみた(古書店が含まれていないのは、今日の行動範囲から大きく外れていたためである)。うーん、壮観である。定規で測ってみたら、47センチばかしあった。改めて;うーん、壮観だ。
 いつ頃からの習慣か忘れたけれど、どの本も買ったその日にざっとではあれ目は通すようにしている。勿論、頭のなかにはぼんやりした印象しか残っていない。でも意外と、キーワードや引っ掛かる箇所というのは朧ろ気ながら記憶に刻まれるようだ。
 もっともそれゆえに、後日特定の描写や件り、一語を求めてそれが「ある」と推測される本を捜索し、然る後片っ端からページを繰ってゆく作業が発生するわけだ。徒労に終わることが多いけれど、それでもひょんなことで探していたフレーズやらなにやらを見出せることも稀にある。
 さて、今日もこれから、買ってきた本に目を通す。こちらを向いた背表紙を眺めていると、小説の類が1冊もないことに「咨、やっぱり……」と嗟嘆する。こうまで人の嗜好は変わるものか、と見える形で突きつけられるとねぇ……やんぬるかな、と呻くよりない。そういえば最後に買った小説って、昨11月のひびきはじめさんの実話怪談本であったよ。
 ここ2年の間で手にして読んだ小説って、藤沢周平と『ビブリア古書堂の事件手帖』新シリーズの新作ぐらいだ。過去に読んだ作品の読み返しはここではカウントしていない。南木佳士と村上春樹は新作小説を出していないし、綾辻行人の『館』シリーズ完結作はそのまま著者の逃げ切りで終わりそうだ。キングもウッドハウスも買って積むだけで、読んではいない状況──一体どうなってんだ!?
 さて、話を戻して、──。
 安倍元首相追悼の特集を組んだ言論誌を中心にして、昨日今日で買いこんだのは政治やジャーナリズムの本ばっかりである。変わりダネは『国会便覧』第七十版(令和2年3月)かもしれぬが、新古書店で50%Offの値引きシールが貼られていたのを良いことに、即座に店舗備え付けの買い物カゴへ放りこんのだ。うーん、それにしても、立花隆の本が段々と比重を占めてきているな。池上さんと佐藤優の本も食指が動いたら買いこむとはいえ、一時のペースでは流石にない。
 法律や政治、経済といった社会科学の本をやたら読むようになったのは、これまで相応に人生経験を積んできたことと無縁ではないだろう。学生時代は単位取得のため勉強していたに過ぎぬ法学や政治学、統計学などがいまはとっても面白く、興奮とスリルさえ感じながら学べている。学生時代のテキストを引っ張り出して読み返し、新聞や雑誌の報道記事や、今日のように買いこんできた本へ目を通してアップデートすることを心掛けていれば、現代の国際社会や日本で起こっている事柄の背景や問題点もヒントぐらいは得られるようになる……と思いたいが、はてさて、本当に自分にはそれができているのかな? 不安である。
 とまれ、社会科学系については基礎がまだしっかりしていないので、これからも本を買いこみ、人に会い、アンテナを張り巡らせるなどして基礎をしっかり固め、視野を広げてゆこう。
 さて、それでは積みあげた本に、目を通してゆきますか。最初は鈴木宗男『政治人生』(中公新書ラクレ 2018/02)から。<鈴木宗男事件>については当時の報道や佐藤優の本で或る程度は知っているつもりだけれど、渦中にあった当人が如何なる人物であったかよく知らない。それゆえに今日、こんな本を買ってきた。そのあとは、安倍政権のメディアコントロールを書いた海外特派員の本、エトセトラエトセトラ。
 現在、00時09分……。◆



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