第3454日目 〈現代語訳「浅茅が宿」;上田秋成『雨月物語』より。7/9〉 [近世怪談翻訳帖]

 里の人で知る者はないか──そう思い立つと勝四郎は涙を拭き拭きして腰をあげ、ふらり、と家の外へ出て四囲を眺め渡した。既に太陽は中天近くにまで昇っている刻だった。外を往来する里の者らしき人は何人も目に付いたが、どれも昔からの住人ではなかった。いちばん近い家を訪ねても、それは同じだった。というよりも、むしろ勝四郎の方が里人から、何者、と怪しまれる始末。そこで勝四郎は、この見知らぬ隣人に丁重に挨拶を述べると腰を低うして、いった。
 「突然で申し訳ありませぬ。わたしは昔、あの──」と、自分の家を指さした。「あの家に住んでいた者でございます。この7年の間、仕事でここを離れて京都におりまして、昨夜ようやく帰ってまいりましたら、あの有様です。留守の間は妻が独りで暮らしていましたが、どうやら亡くなったらしく、どなたかの手で塚が拵えてありました。家や妻のことでなにか御存知ではあるまいか、と思い、こうしてお訪ね申した次第です」
 対応した隣家の主人は、勝四郎の話を聞いて、大層不憫がった。が、その人はここに住むようになって、まだ1年ばかりなのだという。それ以前の里のことはなにも知らないらしい。いま真間郷で生活している者は皆、戦いが他の場所に移ったあとで住み着くようになったのだ、と教えてくれた。
 そういえば、とその男が、思い出したようにいった。「ここが戦場になる前から暮らしている方がお一人、おられます。時々あの家に入っていって、お水を替えたりして菩提を弔われている様子なので、なにか御存知のことがあるかもしれません。訪ねて訊いてみては如何でしょう」
 「そのような方がまだこの里におられたとは。早速に伺ってみます。その方のお住居はおわかりですか?」
 勿論、と男はいった。なんでもここから浜(江戸湾)の方向に百歩(ぶ)──約180メートル──ばかり行った土地(ところ)に麻畑があり、そこが件の人物の所有せる所ゆえ、近くに庵を結んで住まっている由。
 「ありがとうございます。では、これから行ってみます」
 勝四郎は頭をさげて礼を述べると、踵を返して、浜の方へとてくてく歩き始めた。しばらく行くと、麻畑[27]が広がる場所に出た。そばには隣家の主人がいった通り、小さな庵もあった。
 土間に造り付けられた竈の前で、腰の非道く曲がった70歳ぐらいの老翁が1人、藁で編んだ円い敷物に坐って、お茶を啜っている。その老翁、こちらへやって来る若者が勝四郎とわかるや途端に、
 「お前、どうしていま頃ノコノコ帰ってきた!?」
と、立ちあがって一喝した。□



[27]麻畑
 →下総国はむかしから麻の産地として知られていた。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。