第3492日目 〈安倍元首相の国葬を見て。〉 [日々の思い・独り言]

 日本憲政史上或る意味で最も議論を呼んだ葬儀が終わりました。安倍晋三元内閣総理大臣の「国葬」であります。参列するつもりが体調不良のため、九段へ献花すること叶わなかったのが無念でなりません。
 フジテレビの生中継で映し出された献花の列に並ぶ人たちは、愛国者なのだろうか。歪なナショナリストなのだろうか。故人への敬意という純粋な気持ちからその場へ足を運んだ人たちなのだろうか。安倍さんと同じ病気を患った人が取材に答えていました。安倍さんからもらったという、あたたかい言葉で綴られた返事を紹介してくれていました。
 一方で、国葬が執り行われているまさにその時間帯に、国会議事堂前で国葬反対デモを繰り広げている人たちも取材されていた。かれらは果たして、心底義憤の念あって国葬に反対しているのでしょうか。デモ行進に参加することにのみ意味を見出す〈自称・活動家〉だったり、お祭り騒ぎに便乗してみたいだけの輩は1人もいなかったでしょうか。元SHIELDsは論外としても。あれは意識的無意識的な〈アベガー〉の集合体ですよ。
 かれらは故人を静かに見送る、という意識を欠いているようであります。公人はどれだけ批判しても構わぬ、とでも考えている様子です。せめて国葬が行われている時間だけでもデモを控えても良かったのではありませんか? かれらは右翼の街宣車と変わるところはありません。デモ隊がやったのは、死者に鞭打つ非人道的行為以外の何物でもない。非難されるべきはかれらではないでしょうか。
 自分の意見をここでようやく表明すれば、わたくしも国葬反対の立場です。安倍さんは好きだし、尊敬もしている。あの優しさに触れたらば、誰しも安倍さんのファンになりますよ。残した業績のすべてについて100点満点をつけるつもりはないし、そんなことは出来ないぐらい納得しかねることもありました。
 安倍さんは好きだが国葬は反対、これがわたくしの立場であります。せめて岸田首相はもっと正面から、逃げ道を断って野党に対して、国民に対して、説明を尽くし、その上で国葬実施の可否を判断すべきでした。一部で報道されているように、麻生が「誰がどういおうが、国葬だ」と岸田首相に迫ったのが本当ならば、もうこれは恫喝以外の何物でもありません。老害です。
 フジテレビの生中継は菅前首相の弔辞を、CMを入れるとか余計な雑音を排除してぜんぶ電波に乗せてくれました。菅さんが声を震わせた瞬間は、流石にこちらも眼がウルッ、としましたよ。菅さんらしい朴訥とした、ポキポキ話の腰が折れるような話し方で、首相時代はマイナス要因と捉えられたのが、此度の友人代表の弔辞ではそれが逆に株をぐっと上げる要素になったようです。
 もう一言いえば、チラリ、としか映らなかったけれど、野田元首相の姿が映ったのも良かったね。立憲民主党内の批判を押して参列したことは、人としてこうあるべき、という姿を見せてもらったように思います。国葬反対を叫ぶばかりの衆よ、野田さんのような矜恃がお前たちにあるか? 見習え。◆

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