第3500日目 〈見えてしまった未来を実現させないために。〉 [日々の思い・独り言]

 昨春、第3000日目をカラヤン=BPOのベートーヴェン《英雄》感想文で飾った。それから1年半くらいが過ぎて迎えた第3500日目。数日前から「なんを書くか」倩考えて、同じクラシックから……と企んだ。なかでもYouTubeで視聴可能なベーム=BPOのブラームス交響曲第2番を。
 そこまで考えていたにもかかわらず通常運転へ切り換えるのは、今日、これを書いている場所へ来るまでの道すがら、心のなかでざわつくものを感じたからだ。そのざわつきを文字に留めて、ここに刻印しておきたかったからだ。秋の涼気を孕んだ空気のなかに、雨ぞ降り染む……。

 JRの駅を出て、地下街への階段を降りる。階段途中の踊り場には、国道の真下をくぐって反対側へ出るコンコースがある。夜から明け方にかけて、今日のような雨の日は終日、ホームレスがダンボールハウスを作って時間を過ごす。
 ホームレスの数は一ト頃よりも減った気がする。朧ろ気な記憶でしかないが、バブル崩壊から拓銀と山一証券破綻に象徴される金融危機へ至る数年と、サブプライムローン問題に端を発してリーマン・ショックが追い打ちとなったプチ恐慌の時分は、流石にもっと多くなかったかな。
 まだいるけれど、数は減った。巨視的に見ればホームレスが減ったのは良いことだ。なにかしらの職を得たり、簡易的で当座のしのぎ程度ではあっても住むところが見附かり、毎日の食事にありつけたるようになった、という証しだろうから。行政のみならずNPO法人、ボランティアの地道な支援活動もあってのことだろう。
 が、本当に減ったのか、という疑問はある(浚い取られたホームレスが本当にそれに値する人物であったのか、という疑問もある)。単に居場所を変えただけかもしれない。荼毘に付された人/火葬された人もいたかもしれない。事故・事件で命を落とした人だって──。ステレオ・タイプの想像とは承知している。
 場所について言葉を補えば、この駅から何キロか南に歩けば、〈日本3大ドヤ街〉の1つに数えられる一帯がある。肉体労働に耐えられる体力があって、上手く気持ちをコントロールできるならば、日雇いゆえ安定した就労環境は得にくいけれど、そちらへ移る人もなかにはあろう。
 亡くなった、というパターンについては、駄弁を控える。
 仕事の帰り、飲んだ帰り、あのコンコースを横に見て駅へ急ぐ。視界の端に、休むかれらが映る。ダンボールハウスで外界を遮断し、毛布をかぶって眠りに就く。かれらはどんな思いで朝を迎え、昼を過ごし、夜を迎えて目を閉じるのか。親兄弟を思うたり、幸福な時代を回顧するのか。そもそもそんなことがあるのか。
 あれはきっと、未来の自分だ。遠からずわたくしは、かれらと同じ境遇に身をやつす。井戸の底から丸く切り取られた青空を仰いで、こんなはずではなかったのに、と過去の自分を恨むだろう。
 自分の未来がそう見える。だから、わたくしはもがく。そんな未来を実現させないために。働いて、お金を貯めて、死ぬまでの衣食住を確保する。税金を納め、年金と健康保険を納め、支払わなくてはならないものはきちんと支払う。すべては自分のために、ホームレスに堕ちないために。産み育ててくれた親の恩に報いるため。
 これは、わたくしの所信表明です。

 これを書いた日の宵刻、地下街の階段踊り場に設置されたフリーペーパー・スタンドの側で傘を畳んでいたら、1人の無職と思しき中太り男にイチャモンを付けられた。ボキャブラリーの貧弱な者だった。思考回路の単純な者だった。もしかしたらショートしているのかもしれない。
 彼奴はそのまま、駅に向かうわたくしの後ろを10メートルばかり開けて尾[つ]いて来て、知能を疑う程度の低い悪態を吐いて周囲の耳目を浴びた。駅地下の、本文冒頭で触れた踊り場コンコースのあたりで声が途切れたところから察するに、ホームレスの一員だったのだろう。
 世の中を渡ることができず、仕事もなかなか決まらず明日の展望に望みなく、悶々として不満も溜まっていたところに、運悪くわたくしは接触してしまったのだろう。どちらも哀れじゃ。これまで通りホームレスの自立支援はするが、彼奴の言動を思い出すと、失望と虚しさが綯い交ぜになった溜め息を吐いてしまうのである。
 ──ああいう風にはならない。◆

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