第3519日目 〈読書抜き書きノートと、自分が心から好きだといえる分野、について。〉 [日々の思い・独り言]

 昨日の続きというか、付け足しのような話だ。
 引用とコメントから成る抜き書きノートは、今日から遠藤周作『聖書のなかの女性たち』。新約聖書の記述を踏まえて、そこから話題が紡がれてゆくエッセイでもあるため、福音書の当該箇所を読んだ後で『聖書のなかの女性たち』から引用する箇所を書き写すようにしないと、置いてきぼりにあった気分に陥ること、一度や二度のことではない。コメントを付す際も同じだ。話が明後日の方向へ行かぬよう、水際対策を取る必要があるから。
 とはいえ、このノートだけで福音書の当該箇所がどう書かれているか、わかるようにしておきたい。為、後日の自分への便宜を図れるよう遠藤引用箇所を書き写す前に、福音書の当該章節も併せて写すことにした。聖書本文を書き写すのはお手のものだ。聖書読書ノートブログだった頃、何万字から成る文章を、ブログ原稿に書き写しておったか……。気分は中世ヨーロッパの写字生である(高宮利行『西洋書物学事始め』口絵1、第1章、第3章)。
 そんな理由あって残り12ページですべて収まるか、という不安が今日になってふたたび頭をもたげたが、まぁどうにかなるだろう。ケ・セラ・セラ、である。

 先達ての告白ではないけれど自分がだんだんと、気持の上でも本道へ帰ろうとしているのを実感する。こうした聖書絡みの本を読んだり、書いたりしていると、妙に心が落ち着く。と同時に、静かに、ゆっくりと、自分のなかで燃え盛る〈なにか〉があるのも感じる。
 それは聖書/キリスト教/ユダヤ教/歴史に関わるもののみではない。生田耕作先生や高宮利行、鹿島茂を始めとする書物愛好、林望や中野三敏を中心に読んできた書誌学など、書物それ自体について書かれた古今東西の本、好きな作家についての研究書やエッセイなどでも、同じだ。──一周回って軌道を外れかけたからこそ、いま頃になって改めて自分の、心底からの好みを確かめられたと思うている。
 ここ数日、取り留めのないエッセイになったが、〈帰還へ至る足跡〉を墓標代わりに記録している、と、そう捉えていただければ幸いだ。◆

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