第3537日目 〈秋の古本狂詩曲[結語];本棚にすべての本を並べたい。〉 [日々の思い・独り言]

 シリーズが一段落して気が抜けてしまいました。それにしても、ぎょうさん買いこんだものや。自分、アホちゃうか。討ち死にじゃあっ! と内心叫んで理性を抑えこみ、散財した結果がいま、わたくしの前で新たなる山脈を築く。
 奥方様が、あなたの部屋にはいるのイヤだ、と可愛らしくお冠なのも頷ける。正直なところを告白すれば、獣道を歩くのはわたくしも怖いのだ。縫うようにして歩く、ってこういうことをいうんだろうな。
 が、わたくしはまるで後悔していない。先日購うた本の雑誌編集部『絶景本棚』正続(2018/02,2020/08 更なる続刊予定もあるだろう)を覗いてみると、部屋のなかに本棚が何棹も林立して、その間に、人の身長よりも高いかほぼ変わらぬぐらいに山積みとなった本の山が奥から手前まで幾つも幾つも列なり、ピサの斜塔よろしく傾斜している写真がページをどれだけ目繰っても続くのだ。咨、これに較べればわたくしの部屋はまだマシである。そう思うて奥方様にその本を見せたら、ドン引きされた。そうして目の前の夫を見た。
 きっとこいつの部屋も近いうちにこれと同じような状況になるに違いない。
 不安に駆られたのだろう。途端に、鉄筋アパートの空室を書庫にするのを奨められた。部屋の広さゆえに却って借り手が付かないという部屋だ。ここに本棚を何棹も、向かい合わせに林立させて能う限りの本をそこへ詰めこめ、というのだ。ついでに仕事部屋も移す? と訊かれたが、流石にそれはなぁ……。家族の気配が感じられる場所、家族の声が聞こえる場所で仕事したい。
 とはいえ、空室を自分で借り上げるというのは極めて現実的な対処方法だ。幸いと1階なので、本を運びこむのも楽である。もっとも、その準備を想像した途端にゲンナリしてしまうのだが、それは致し方ないことで、他人任せにできない作業だからね──と自分にいい聞かせてみても、やはり腰は重い。あーあ、ドラえもんがいたらなぁ。
 本棚を設置して、能う限りの本をそこに並べて、背表紙が見える状態にするのは多量の蔵書を持つ人ならば共通の夢ではないか。きちんと棚に収まり、背表紙がこちらを向いて、いつでも手に取れるような状態になるのは、なんと素晴らしいことか。まさに夢のようだ。必要な本を必要なときに取り出せる便利さ。ふと目に付いた本を気軽に抜き出して読み耽る歓び。意外な本同士が化学融合して思いもしなかったアイデアが生まれる愉しさ。これが現実になったら、どんなに良いだろう……。あれ、そうするとやはり物を書く作業は(原則として)すべて書庫で行わねばならぬということか。んんん、悩ましい。
 自分の蔵書すべてがずらり、と本棚に収まり、背表紙をこちらへ見せている光景を夢想する。ジャンル毎、テーマ毎、作家毎に収まったその本棚を想像すると、やたら興奮してしまう。夜中に夢想しようものなら目が冴えて眠れなくなる。どれだけ睡眠誘導剤を服んでも無駄なことだ。そんなとき、奥方様はぐっすり眠りこんでいて、娘も平和な寝顔を見せていて、オマケに観たい映画もドラマもアニメも放送されていない(録画したものもない)。good grief.
 お陰様で今年はもう大きな買い物をすることは、金額はともかく量としてはない(はず)。時間を見附けて蔵書の点検を行い、処分するものがあれば潔く古本屋行きにして、すくなくとも今回買った揃い物の本が仕舞えるよう努めよう。……『近世日本国民史』はともかく旧新約聖書註解はどうにか他の聖書や、関連書物と同じ場所に納められるようにしたい。◆

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