第3554日目 〈『万葉集』との相性の悪さが、この短歌で解消したら嬉しい。〉 [日々の思い・独り言]

 2日のブランクのあとでふたたび萩原朔太郎『恋愛名歌集』を読み始めています。各集選歌のパートとなった途端に糸が切れたようになって2日の間、手を伸ばすことがなかったのだけれど病院への往復のお伴に、と再度リュックに詰めてお出掛け。
 各集選歌のパート、そのトップバッターは当然『万葉集』である。
 奈良時代に成立した日本最古の歌集である。本書の執筆にあたって朔太郎が拠り所とした『万葉集』が、いったいどこの出版社から出たものなのかは未詳である。全集を繙くなどすれば解決するのかな。
 朔太郎は本書総論「『万葉集』について」のなかで、現代人の感性にいちばん近いであろう古典歌集というた(P179)。同じ文章の別の箇所ではこんな風に述べる。曰く、──

 今日現代の吾人読者は、他のあらゆる歌集にまさって、「万葉集」に最高の興味を感ずるのである。……「万葉集」の方に魅力を感じ、肉感的に親しく惹き付けられる愛を持っている。第一に「万葉集」は、何よりも吾人にとって解り易い歌集であり、その点で特別の親しみを感じさせる。(P177)

──と。
 翻って朔太郎が本書を執筆した昭和6(1931)年とその前後は、まさに『万葉集』リヴァイヴァルの熱盛っていた時期である。今日の目で眺めるとそれは研究者サイドよりも実作者、即ち歌人や詩人たちの熱狂が学会に波及していったように映る。
 一例を挙げたい。『早稲田文学』昭和2(1927)年2月号は「第二萬葉研究」と題して、武田祐吉(「萬葉集の生命」)、西村眞次(「萬葉集の人類学的考察)、窪田空穂(平安朝の歌と実際生活との関係)などの論考を載せる。もっと唸らされるのは同号巻頭の広告ページで、『早稲田文学』新年号「萬葉集研究號」の再版(佐佐木信綱、土岐善麿、相馬御風、尾上紫舟ほか)、武田祐吉編『続萬葉集』再版、次田潤『改訂版 萬葉集進講』、土岐善麿編著『作者別萬葉全集』と『作者別萬葉以後』(解説;折口信夫)他、当時の『万葉集』研究の一翼を担った文献が並ぶ。はっきりいってその様は、壮観である。
 さて。
 正直なところわたくしは『万葉集』を学生のみぎりより好きになれぬまま今日まで過ごし、途中折口信夫の『口訳 万葉集』や折口学派の並み居る国文学者、民俗学者及びその周辺に位置する人物の著作や謦咳に接してきたり、近年では新海誠『言の葉の庭』の雪野先生の台詞がきっかけになったりで、『万葉集』とは無縁の歳月を過ごしてきたわけでは、けっしてない。
 そのせいもあって本書『万葉集』のパートはあまり乗り気せぬまま、機械的にページを繰っていたことは否定できぬ。歌詠みとしての出発点というよりも和歌へのめり込んでゆくその出発点にあったのが『新古今和歌集』であることが大きく影響していよう。いうまでもなくそれは、『万葉集』とは対極にある歌集だ。つまり「短歌を詠む/読む」のそもそもの始まりから『万葉集』から遠く離れたスタイルを持った短歌に惹かれ、嵌まっていったわけだ。
 顧みれば非常に勿体ないことであった、と自省している。いくら自分の好む歌のスタイルとは違う、自分の心情や想心を技巧や虚構の裏に塗りこめて本音を表面に出さぬ歌を好み、また詠んできた身にいわせれば、『万葉集』はあまりに明け透けだ。読んでいると時々、恥ずかしくて赤面してしまう歌と遭遇する。ストレートかつパッショネイトな古代の歌詠みたちに仄かな憧れを抱くことも刹那あったけれど、いずれも一過性のものでしかなく、その憧れの気持迸るのもなにか外的要因あってのことで、ゆめ自分の心が彷徨うた末にそこへ辿り着いたてふわけではない。
 まァ、要約すれば『万葉集』とわたくしはどうも相性が悪いようである、ということだ。かつてモーツァルトの音楽との相性が悪かったのと同じぐらいの意味で。
 朔太郎が選んだ『万葉集』の歌も、頬杖ついてページを目繰りながら流していた次第だけれど、むかしから好きだった短歌が2首、選ばれているところでようやく機械的に動いていた指が止まった──いずれも巻十一の相聞歌、殆ど隣接する詠人不知の歌である。

 朝寝髪われは梳らじ美[うるは]しき君が手枕触れてしものを
 (朝寝髪吾はけづらじ愛しき君が手枕触れてしものを)

 験[しるし]なき恋をもするか夕されば人の手巻きて寝なむ子ゆゑに
 (しるしなき恋をもするか夕されば人の手まきて寝なむ児ゆゑに)

 いずれも同書26ページ。引用歌下()は佐佐木信綱編『新訂 新訓万葉集』下巻の訓だ(P23-24 岩波文庫 1927/10初刷, 1955/05改版)。
 「朝寝髪われは梳らじ」は『万葉集』らしからぬ、やや王朝和歌を連想させるところがあるので朔太郎は選んでいまいな、と思うておったら、不意打ちである、ページを繰った途端に出てきた。朔太郎評して曰く、「田園的野趣に富んだ万葉の歌として例外であり、むしろ平安朝以後の女流作家を思わせる。濃艶無比である」と。
 ──濃艶無比! なんと相応しい標語であることか。エロスを漂わせる歌は『万葉集』には他にもあるが(なんというても「情熱は素朴で赤裸々に表出され」[P176]るのが『万葉集』の歌の特徴の1つである、と朔太郎は述べるのだ)、この歌はその点で群を抜くと共に、群を抜いて異質でもある。それは朔太郎がいうように、女性を詠人とした王朝和歌の濃艶の空気を充満させているからだ。いまにして思うとわたくしがこの歌に惹かれたのも、こんな理由だったのだろう。
 対して「験なき恋をもするか」はたとえそれぞれの言葉の意味がわからずとも感覚的に、報われることなき恋を詠んだ歌とわかる。朔太郎の評にもある如く、「苦しい恋の心境を歌って」いるのだ。
 面識はある、しかし、なにかしらの理由により結ばれることはない2人の男女の姿が、この歌の向こうにはっきり見える。むろん、2人は結ばれることを、心の底では望んでいる。それが本心だ。しかし、女の側か男の側か、それを許さぬ理由が、乗り越えることも打ち壊すこともできぬ障壁が、間にある。この歌の世界はずっと後代まで下って類縁を求めることができる。
 こうした歌が好きなのだ。どれだけ深く、真剣に想うても、どれだけ自分を偽り、気持を断とうとも、忘れ得ぬ、心に傷を残す程に愛した異性と結ばれることを祈る歌が。……わたくしの心が、そうした歌を呼んで、のめり込ませ、邪淫の妄執を生み、逆に成長したそれに呑みこまれて死ぬのだ。
 既に述べたようにわたくしは、『万葉集』を好きになれない。さまで自分の心を隠すことなく謳うことに抵抗を感じるからだ。そうしたなかに斯くも自分の好みに合う歌のあることはしあわせである。もしかしたら、好きになるきっかけになるやもしれぬ。かつてマーク=ロンドン響=ペイエのクラリネット協奏曲が突破口となってモーツァルトの音楽へ親近してゆくことができたと同じように。
 でも、岩波文庫の『新訂 新訓万葉集』や角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス『万葉集』、犬養孝の鑑賞本などを読んでも、いま一つピン、と来ないのですよね。どんな本を読んでも、それは同じ。従って朔太郎の『恋愛名歌集』が突破口になってくれるだろうなんてこと、実はあまり期待していないのですよ……。◆

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