第3562日目 〈ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』を読みました。〉 [日々の思い・独り言]

 エイブラハム・リンカーンを作ったのは、信仰と読書、母の愛情であった。ジョン・クゥアン『ホワイトハウスを祈りの家に変えた大統領リンカーン』(吉田英里子・訳 小牧者出版 2010/02)を読むと、そう強く感ぜられることである。
 合衆国大統領は就任式の際、誰でもかならず聖書に手を置いて宣誓し、自ら選んだ聖書の文言を基にした就任演説を行ってきた(トランプでさえ!)。初代大統領ワシントンから現在の第46代大統領バイデンまで、1人の例外なく。
 歴代大統領のうちでも特に信仰が篤く、どんな場合でも祈りを欠かすことなく神に畏れ仕えた大統領に、第16代大統領リンカーンがいる。
 リンカーンの在任中に勃発した大きな出来事といえば、奴隷制度存続の是非を巡って国が二分された南北戦争を措いて他にない。それはリンカーンの就任からたった1カ月後のことだった。
 南北戦争は、奴隷制度によって大きな利益を得ていた南部11州がアメリカ連合を結成して合衆国からの離脱を宣言、奴隷制度廃止を旨とする北部アメリカの要塞サムターを攻撃したことで開戦した(1861年4月12日)。当初はリー将軍を擁す南軍が圧倒的に優勢であったが、軍需物資の自給が可能であった北軍は義勇兵を募って戦力を増強、イギリスとロシア以外の諸国から援助を受けたりして、徐々に南軍を圧していった。
 北軍の勝利=奴隷制度の廃止は様々な要因が重なって実現したのだが、著者クゥアンが本章で描き出す北軍最高司令官リンカーンは、あくまで信仰の人、祈りの人であり、そうして旧約聖書の一節に託せば、「彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま進み、右にも左にもそれなかった」(王下22:2)
 クゥアン曰く、──

 実際にリンカーンは聖書を黙想し、ダビデの詩を読んでその事実を悟ったのである。彼は、ダビデのようにどんな困難な状況にあっても神の側に立つことを願い、神の喜びとなることを願った。そうすれば、神が彼の人生のすべてに責任を負ってくださると固く信じていたためである。
 リンカーンは、日々謙遜にみことばを黙想し、祈りながら自分を神様に従わせていた。神様はそのようなリンカーンの心を知っておられ、彼の心を受け取られ、彼の味方になってくださったのである。(P160)

──と。
 その後、戦況は次第に北軍が優勢に転じ、遂に南北戦争最大の激戦、ゲティスバーグでの戦い(1863年7月)を迎える。視察したリンカーンは戦場の悲惨を目の当たりにして、こんな風に祈った、という。曰く、──

 全能の父なる神様。この戦争はあなたの戦争で、私はあなたの御心に従うことを望みます。あなたの若者たちが、無残に死んでいっています。かれらを守り、私たちがこの戦争で勝利できるよう助けてくだされば、私は生涯神様のためにこの人生をおささげすると約束します。(P162)

──と。
 北軍はゲティスバーグの戦いで南軍を破った。もはや南軍は総崩れしたも同じであった。1865年4月、アメリカを真っ二つに分断した南北戦争は、南軍が降伏したことで終結した。南部のプランテーション農家で使役されていた奴隷たちは解放された。かれらが白人と同等の人権を獲得するにはこの先、まだまだ長い時間を要すけれど、制度上の奴隷はこの国から消えたことになる。
 リンカーンは大統領という激務のなかでも、北軍の最高司令官としての重責のなかでも、神を信じ、神に祈ることを怠ったことのない人だった。
 そんな信仰の人、リンカーンだが、彼に神を畏れ敬う気持を根附かせたのは、2人の母だった。生母ナンシーと継母サラである。
 生母ナンシーはエイブラハムに聖書のお話をよく聞かせていた。「貧しく厳しい環境の中でも希望を失わないように励ました。特に、逆境の中でも挫折することなく夢を持っていた信仰の先輩たちのようになってほしいと強く願」(P26)ってのことだっという。
 成長したリンカーンは弁護士として活躍したが、誰の目にも正しく、公正な仕事をして多くの人々から信頼を勝ち得た。その当時を回想して、ワイロの誘惑や不正に屈しなかったのは、少年の頃に生母が教えてくれたモーセの十戒の話がいちばん印象に残っていたからだ、と述べたそうである(P26)。
 生母ナンシーはエイブラハムが9歳のとき、「風土病」(P27)を患って他界した。クゥアンの原文がどのようになっているか不明だが、これは「ミルク病」と訳した方がよかった。牧草地に生えるマルバフジバカマという植物が含む神経毒が、牛のミルクを媒介にして人体へ入りこみ、時に人を死に至らしめるのがミルク病である。
 死の床に就いていた或る日、ナンシーは息子を枕許へ呼び寄せて、1冊の古びた聖書を渡した。それはナンシーが両親から贈られた聖書で、彼女も何度となく読み返しているためボロボロになっていた。ナンシーはエイブラハムに、こういったそうである。曰く、──

 わたしはお前に百エイカー(約十二万二千坪)の土地を残すより、この一冊の聖書をあげることができて心からうれしく思うわ。エイブ! お前は聖書をよく読み、聖書のみことば通りに、神を愛し、隣人を愛する人になりなさい。これが私の最後のお願いよ。約束できるわね? (P28)

──と。むろん、少年リンカーンは母との約束を守った……生涯にわたって!
 先述した南北戦争時の揺るぎなき信仰と欠かすことのなかった祈りに明らかだが、加えてクゥアンは、後年、リンカーンが知人を相手にした告白に生母の信仰教育に感謝をささげた箇所がある、と紹介している。曰く、──

 私がまだ幼く、文字も読めないころから、母は毎日聖書を読んでくれ、いつも私のために祈ってくれた。丸太小屋で読んでくれた聖書のみことばと祈りの声が、今でも私の心に残っている。(P29)

──と。
 生母によって植えつけられた信仰心を更に育んだのが、エイブラハムの2人目の母、継母サラである。が、本書を読んでいるとサラは、むしろ、かれに読書の習慣を植えつけた点で生母と同格の役割を担っている、といえそうだ。実際のところ、このリンカーン伝に聖書以外の書物が登場してくるのは、父トマスがサラと再婚して以後なのだから。
 では、貧しい農家の子として育ち、学校教育を受けることもままならなかったエイブラハムがその頃読んだのは、どのような本だったのか。
 聖書を除くと、エイブラハム少年が読んだ本として挙げられているのは、『ウェブスター辞典』『ロビンソン・クルーソー』『アラビアン・ナイト』である。これらは再婚した父が継母を連れて帰る馬車の積み荷のなかにあった由。
 但し、ここでクゥアンが挙げる『ウェブスター辞典』については一寸小首を傾げてしまうところがある。というのもノア・ウェブスターが所謂『ウェブスター辞典』と呼ばれる辞書を初めて執筆、出版したのは、1825年の『An America Dictionary of the English Language』というからだ。トマスとサラの再婚は1819年と伝えられるから、後々リンカーンがこの辞書を読んだとしても馬車の積み荷のなかにあったとは思えぬのである。この点についてはわたくしも不明未詳の部分が多いので、要調査項目として後日の宿題としたい。
 ──サラはエイブラハムの読書好きを知ると、あちこちで良い本を借りてきてくれた。少年はそれを貪るようにして読み、時に徹夜に近い状態だったこともあるという。それゆえに、時に父の怒りが爆発することもあったようだ(「農作業をする子どもが本を読んで何になるんだ!」P34)。
 また、冬の農閑期には学校に通えるよう、サラは手配してくれた、という。そこでエイブラハムは読み書きや算数を学び、また自分に話術の才能あることを知った継母からウィリアム・スコット『弁論練習』を与えられて、演説の練習に励んだりもした──指摘するまでもなくそれらは長じて後、弁護士として、下院議員として、大統領として、大いに役立ち、発揮される能力の下地となったのである。
 本書は他にも、リンカーンが自分の身長の分だけ本を読むよう心がけ実行したことや、幼少期に読んで人生に影響を与えた4冊の本について触れた項目がある。いつの日か、それについてはまた述べようと思う。
 世にリンカーン伝は数多ありと雖もそのなかで本書が異彩を放っているのは、リンカーンというアメリカ合衆国史上類い稀なる人格を持った大統領を、読書と信仰の側から描いたことだ。信徒か否かの別なく、リンカーンについて知りたいと願う人ならば誰しも読んでおいてまったく損のない本だ。あとはデイル・カーネギーが書いたリンカーン伝と、優れた伝記作者の筆に成るリンカーン伝の3,4種を読んでおけば良いだろう。
 古書店で偶然見掛けて手にした本で、さしたる期待もしていなかったけれど、実に有意義かつ充実した読書の時間を味わわせてもらった。感謝。◆

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