第3565日目 〈もうすぐ読み終わります。やっと読み終わります。──朔太郎『恋愛名歌集』のこと。〉 [日々の思い・独り言]

 断続的に読み進めてきた萩原朔太郎『恋愛名歌集』もようやく読了のメドが立った。ようやく? とかいうな。そう、ようやく、なのだ。読もうと思うても読まない日の方が多かったからなぁ。これだから在宅勤務って奴は……。怨み言はさておき。
 残すは「新古今和歌集」から選歌して朔太郎が評言を付したパートのみ。これを明日明後日(今日と明日、ですか)で読み、かつメモも作成しなくてはならぬ。(昨今のわたくしには)かなりの強行スケジュールとなるが、仕方ない、怠惰のツケが回ってきたに過ぎない話。
 それにしても、良かった、と思うのは、著者の希望を素直に汲んで、序言・解題一般のあとは選歌のパートをすっ飛ばして、総論に進んだこと。これを先に読んでほしい、とはけっして根拠なき著者の願いではなかった。
 朔太郎の『古今集』、六代歌集、『新古今集』への態度は総論を読んでおかないと、はっきりとは摑めない。八代集から選んだ各歌に対して、時に韻律の分析に終始したり、時に素っ気ない感想を1行記しただけの歌もあり、というのは、読者皆が自分の願いに沿って「総論」を先に読んでいると了解しての評言と受け取るのがいちばん妥当と思うのだ。
 ここに拘泥して行きつ戻りつして結局本書を閉じて部屋の片隅に抛つのを避けるためには、四の五のいわずに朔太郎が解題一般で切望する「読者諸氏は『総論』から先に読んでほしい」を素直に受け取って、実行するのが最善なのだ。勿論、頭から順番に読むことを否定する気持はないし、自分の読み方が(著者の願いを汲んだからとて)無二であると大言壮語する気もない。そのあたり、誤解しないでほしい。
 六代歌集のパートを読んで書いたメモのなかで、朔太郎の早過ぎる晩年を悔やみ、その入り口となる時期に『恋愛名歌集』が書かれたことを幸運と思う旨、記した。本書は昭和6(1931)年05月に上梓され、朔太郎はその11年後に逝ったのである。
 朔太郎はたくさんの詩を書き、たくさんの詩論を書き、記憶に残る小説も何編か書いた。そんな朔太郎の全業績のなかでも本書は、「詩」ではなく「短歌」という伝統詩型──日本人の背中に張りついたゴースト──を論じて異質の鑑賞スタイルを提示した点で、一頭地を抜く仕事になっているだろう。
 萩原朔太郎歿後80年てふメモリアル・イヤーに因んだ出版ではあるが、理由はともあれこうして(ふたたび)手軽に読めるようになったことを喜びたい。読書しながら折に付けそんなことを考えていた。学生時代に神保町の古本屋で購入した新潮文庫版は、労いの言葉をかけたあと引退いただくとしよう。◆

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