第3681日目 〈ラダー・シリーズでやり直そう。〉 [日々の思い・独り言]

 先日、英語の勉強をやり直すことにした、と書いた。本稿執筆時点で件の原稿はまだ予約投稿していないので、たぶん一昨日なのだろうけれど、まったくもてそのあたり不明である。
 それはともかく、前稿のおさらいをすると、部屋の片附け中に出て来たLe Guinの原書を開いたら、当時みたくは読めなくて愕然とした、為に勉強し直すことにしました、てふ内容だった。今回はその続き、といおうか、付け足しというか、オマケっていえばいいのか……である。



 いま流行りのリスキリングには該当しないそうだ。スキル・アップというも的外れらしい。厳密なことをいえば両者に、「やり直し」の意味、「かつて持っていた力を取り戻す」意味は含まれないようなのである(知己の談)。なので、ここではその行為をこれまで通り、「勉強のやり直し」と表現させていただこう。
 では、本題、──。



 英語の本を再び読める様にする。手始めに取りかかるのは、Le GuinやDoyleが本来だろう。しかし、そこから始めるのはヤメにした。リヴェンジを果たすための能力──わずかながら残った英語力──が絶無に等しいのを思い出したからである。
 なにから始めようか。そんな思案を意識の片隅に留めて午前と午後、病院のハシゴをした帰りに丸善へ寄り、考えるともなく英語学習の棚を端から端まで眺めていたら、IBCパブリシングが本体価格1000円前後で刊行している「ラダー・シリーズ」が目に付いた。ジャケット袖に書かれたシリーズの特徴を引けば、──

 語学上達の秘訣はなんといっても多読です
 ラダーシリーズは、使用する単語を限定して段階別にやさしく書き改めた、多読・速読に最適な英文リーダーです。本文中の知りたい単語が全て載ったワードリストが巻末に付属、辞書なしでどこでも読書が楽しめます。

──と。
 原書を一冊最後まで読み通し、繰り返して英文読書を日常化させるコツは、「多読」あるのみ。ラダー・シリーズの「はじめに」にもあるが、「1.早く 2,訳さず英語のまま 3,なるべく辞書を使わず」読むのが、結局のところは王道なのだ。
 そういえば……16歳から20歳にかけて初めてその名を知り、著書(訳書)に触れた3人の外国文学者・言語学者も、「多読」という表現こそ使っていないが、若い頃多量の原書を浴びるようにして読んでその才を伸ばし、生涯の仕事の根幹としたのだった。本ブログの読者諸兄には既にお馴染みのお三方、出会った順に挙げれば──平井呈一、渡部昇一、生田耕作、がその面子だ。
 平井は中学のリーダーにあったハーン描く幽霊の人間性に惹かれ、また友人から借りたイギリスの雑誌に載ったマッケン作品の妖しい魅力に憑かれて、翻訳の世界に足を踏み入れた。渡部は紆余曲折の後アメリカに留学、各地の大学で教える傍ら英語で書かれた現代小説を片っ端から読み倒してゆくなかで遭遇した『マージョリー・モーニングスター』でようやく英語の小説を母語で書かれたそれの如くに面白く感じることができた。生田は京都・大阪・神戸の地の利を活かして古本屋に多量に放出された1920年代の現代アメリカ小説を漁っては読み耽り、を繰り返し、一方で雑誌が企画した原書100冊読破マラソンに挑んで達成、賞状をもらったなどの経験を振り出しに、長じてブルトンらシュルレアリスムや異端の文学の翻訳紹介に務めるようになった。
 長くなったが、共通するのは「多読」という経験である。焦らず急がず、じっくりと、一冊一冊と読み重ねてゆけば、原書を読む力は着実に蓄えられてゆく。その目的をかなえるならば、このラダー・シリーズは格好のシリーズ(の一つ)といえるだろう──。



 で、わたくしの場合だが。(←危うく忘れて本稿を閉じるところだった。その方が良い、という方もあろうが、わたくしは初稿に従って、まずは書く)
 丸善の棚の前で抜いて開いて戻して、を繰り返していたら、背の色が異なる一冊が目に付いた。ホームズ、プーさん、シェイクスピア、グリム童話、イギリス民話、ガンジーやアインシュタインの伝記……いずれも背表紙は青色だったのだが、その一冊だけが赤色だったのである。
 なんだろう? と手にしてみたら、なんと旧新約聖書のお話だった。天地創造やカインとアベル、ノアの方舟、モーセに率いられてのエジプト脱出、ダヴィデ王とペリシテ人ゴリアテ、イエスの誕生、良きサマリア人と放蕩息子の帰還、ラザロの復活、最後の晩餐、磔刑と復活、など計24話が載る。
 著者は、日本生まれのアメリカ人ジャーナリスト、Nina Wegner。ラダーのレヴェルは「4」で使用語数は2,000語。TOEICでは600〜700点に、英検では2級に相当する由。が、正直にいう! ラダーのレヴェル「3」のクリスティやドイル、ミルン(プーさん)、「2」の「シンデレラ」や「美女と野獣」なんかよりも、わたくしにはWegner ”Bible Stories”(『旧約聖書と新約聖書の物語』)の方がずっと読み易く、内容もよくわかったのである……当たり前といえば当たり前なんですけれどね。8年をかけて聖書にがっつり取り組んで、いまでも時々読んでいるんですから。
 使われている単語も文法も確かに「2」や「3」に較べて高度だ。英検2級レヴェルというのも頷ける。普通であれば歯が立たぬ代物だろう。聖書を読んでいなかったら、素直にレヴェル「1」から始めていたはず。
 にもかかわらず、レヴェル「4」の本書を選ぶのは、取り挙げられるエピソードに馴染みがあり、よお分からん単語が出て来ても、「こういう意味だろう」と類推できてしまうからだ(それが大概正解であったりする)。それで解決しなければ巻末のワードリストに頼ればいいだけの話。
 既に知っている作品を英語で読むことに、どこまでの意味があるか。そんな疑問は確かにある。が、敢えて申し上げれば、知っている作品があるからこそ多読が可能となる。シーンを思い浮かべられるならば、そこでどのようなことが語られているか、想像するのは容易い。然ればそこに書かれた単語が不明であっても憶測は容易だろう。文法はどうなるのか、という別角度からの疑問も出ようが、ラダー・シリーズに限っていえばそこまで複雑な構文は見当たらない……中学生レヴェルの文法書が手許に用意できれば(当時使っていた教科書でも参考書でもよい)、それを使い倒せばよいのではないか。
 「ラダー・シリーズを読む イコール 多量の英文リーダーを読む体力と免疫を付ける」なのだ、とわたくしは思うている。とはいえ、Wegnerを終えたらレヴェル「4」に留まるのではなく、イギリス民話とガンジー伝が読みたいこともあってレヴェル「1」から始めてゆくつもりだ。



 最後に。
 ついでにいえばもう一つ、”Bible Stories”を選んだ理由がある。企み、というてよいか。それは、各エピソードの和訳を作って、本ブログでお披露目すること(勿論、許可を得た上で)。
 本ブログの本来の姿はなんであったか? 格好のネタと思いにならないか? LeicesterのGhost Storiesは、そのあとだ。◆

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