第0038日目 〈レビ記第1章・焼き尽くす献げ物〉 [レビ記]

 しばらくぶりで聖書の読書ノートを始めます。
 再開は、「レビ記」から。今日はその第1章です。

 臨在の幕屋にて主は、モーセを通じてイスラエルの民へ言いました。
 わたしに家畜の献げ物をするときは、牛、羊、鳥を献げ物としなさい、と。 

1:献げ物をする牛は無傷の雄に限られる。
[罪を贖う儀式]→奉納者は幕屋の入り口で、牛の頭に手を置く。
        それが罪を贖う儀式として受け容れられる。
[焼き尽くす献げ物]→・血を祭壇の四面へ注ぐ。
          ・剥いで各部へ分割した皮を、頭部と脂肪と共に、祭壇に用意され
           ている薪にくべて、焼く。
          ・水で洗った内臓と四肢を祭壇で燃やして灰にする。

2:献げ物をする羊は無傷の雄に限られる。
・祭壇の北側で屠った羊の血を、祭壇の四面へ注ぐ。
・それぞれに分割した各部と頭と脂肪を、薪へくべて焼く。
・水で洗った内臓と四肢を祭壇で燃やして灰にする。

3:献げ物とする鳥は、山鳩か家鳩に限られる。
・首をもいで、血を祭壇の側面に絞る。
・餌袋とその中身を取り除いて、捨てる。
・胴体から翼を完全には引き裂かぬようにし、薪の上で灰にする。

「これが焼き尽くす献げ物であり、燃やして主にささげる宥めの香りである。」(レビ記1:9,1:13,1:17)


 さりげなく残酷な指示がされていますが、これこそが聖書、殊に旧約聖書の大きな特徴といえるかもしれません。
 動物愛護団体が知ったら目を剝くかもしれませんが、ここまで犠牲を求めなくてはならないほど、人間の業は主にとり深いものなのかもしれない、と思わされる部分でありましょう。



 これを書きながら、1975年ベーム=ウィーン・フィルの来日公演から、ストラヴィンスキーの《火の鳥》を聴きました。◆

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