第0069日目 〈レビ記第26章2/2:祝福と呪い〉 [レビ記]

 レビ記第26章の後半です。

 民が「わたしの掟に従って進み、わたしの戒めを忠実に守るならば」(レビ26:3)、大地に豊かな実りを与え水を与え、国家安康を民に約束する。イスラエルの民が、敵対する者たちに国を滅ぼされ、さまようことはない。
 「わたしはあなたたちを顧み、あなたたちに子を生ませ、その数を増し、あなたたちとわたしの契約を立てる。」(26:9)
 「わたしはあなたたちのうちを巡り歩き、あなたたちの神となり、あなたたちはわたしの民となる。わたしはあなたたちが奴隷とされていたエジプトの国から導き出したあなたたちの神、主である。わたしはあなたたちの軛(くびき)を打ち砕き、あなたたちがまっすぐに立てるようにした。」(レビ26:12-13)

 しかし、もしイスラエルの民が「わたしの掟を捨て、わたしの法を捨て、何一つわたしの戒めに従わず、わたしの契約を破るならば」(レビ26:15-16)、病を流行らせ、敵に攻めのぼらせて占領させ、憎む者に踏みにじられるようになり、また、大地と天の恵みから見放され、家畜も人も滅びてゆくようになる。
 それでもまだ民が懲りない場合は、「わたしは激しい怒りをもって立ち向かい、あなたたちの罪に七倍の懲らしめを加える。」(レビ26:28)その結果、街は廃墟となり、至高の場所である聖所は荒らされ、もはやそこで焚かれる宥めの香りさえ効力を発揮しない。
 斯くして、かつて主の民であったイスラエル人は、国を追われてさまよい人となる。

 民が追われて遠近をさまよっている間は、大地の安息の時である。
 もし、民がわびるなら、わたし、主は昔彼らの先祖と交わした約束を思い出して、再び彼らを我が民として迎え入れよう。

 以上、主がシナイ山にてモーセに伝え、モーセの口から民に伝えられ定められた、掟と法と律法である。

 第26章後半こそ、創世記から出エジプト記、レビ記に至るこれまでの総決算的意味合いの強い部分であり、すべてはここに向かって進んでいたのだ、と深く感じました。


 人は誰しも心を入れ替えてゆけるし、悔い改めることだってできるんだ。
 なんで誰もそれをわかろうとしてくれないのだろう。
 そこまで人の罪の業は深くて、赦されること稀なのでしょうか━━?

 鈴木秀美=オーケストラ・リベラ・クラシカのハイドンとモーツァルトを、初めて聴きました。ハイドンはともかく、このモーツァルト(《セレナータ・ノットゥルナ》)は、ちょっとやり過ぎでは……でも、面白い。◆

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