第0302日目 〈その瞬間に聴く音楽:バッハ《マタイ受難曲》その1〉 [日々の思い・独り言]

 スコットランドのローモンド湖の畔に小屋を建て、大バッハの《マタイ受難曲》を聴きながら逝くのが往生の理想です、といったら知人に笑われたけれど、この願いはあれから何年も経つ現在となっても、ちっとも変わらない。
 人間の手の入らない自然のみが統べる地で、嗚呼、バッハを聴くというのはなんと贅沢で喜ばしい希望であろう。

 県立図書館で借りたCDが、初めての《マタイ受難曲》であった。レオンハルト=ラ・プティット・バンド他による古楽器を用いたものだけれど、祈りにあふれた演奏で実に素敵だった。実をいえば、これを書いているいまも聴いている。敬虔な響きに魅了され、何ヶ月かして自分用に、と清水の舞台から飛び降りる覚悟で購入してしまったのだ。
 この聖なる作品の演奏は棚を覗けばまだ幾つかあるけれど、いつでも聴けるようにしてあるのは、このレオンハルトたちの盤だけ。

 愛聴盤というなら確かにレオンハルト盤だが、もう一つ、自分にとって特別な価値を持つ演奏がある。井形景紀=マタイ研究会合唱団・管弦楽団の《マタイ受難曲》がそれだ。
 井形のあまりに早すぎる死によって、もはや生きて聴くことのできぬ演奏だが、自主制作されたCDがあるので、かろうじて往時を偲べる。第20回公演を記念して録画されたVTRも存在するけれど、無財なるが故、手に入れられなかったのは残念であった。
 これを聴くのは年にわずか、思いの特別なときだけだが、信仰心なんか欠片もないのに、いつも以上に内省的となり、聖なる神の存在を信じたくなるような気持ちになってしまうのだから、音楽や人間の心というのはつくづく不思議なものだな、と実感することである。

 事情があって20代の幾度か、聖職に就きたい情念に駆られて、教会の扉を叩いたことがあった。いまにして思えば困難からの逃避でしかないが、当時はおかしいくらい真面目に考えていたのだ。
 諭されて断念こそしたものの、時々ミサへ出席するお許しを頂けた。或る年の復活祭の頃、《マタイ受難曲》を枕にした説教があった。冒頭で記した往生の願いも、その折りに映像として思い浮かんだのである。

 受難曲と往生の理想がここで結びついたのはなぜなのか、何度考えてもわからない。が、それはいまに至るも仲々に満足できる理想だ。
 此岸に別れを告げ、彼岸へ一歩踏み込む瞬間に、自らの周囲を流れている音楽として《マタイ受難曲》に優って相応しい作品が他にあるとは思えない。
 悲しみの淵にあってこそ、バッハは慰めをもたらす。あらゆる苦しみと悲しみが真の終焉を告げるとき、伴侶であってほしい、バッハの音楽よ。◆

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