第0590日目 〈ドストエフスキー『悪霊』を読了しました。〉 [日々の思い・独り言]

 息も絶えがちになりながら、ドストエフスキー『悪霊』を読了した。
 つかれた、というのが正直な意見だ。『白痴』程でないにせよ、自分のなかでは五十歩百歩。例えば村上春樹などは作者の晩年数年の内に書かれた傑作として、『カラマーゾフの兄弟』とこの『悪霊』を挙げているが、果たしてそれ程のすごい作品と言い得るのであろうか、本作は? 
 そんなわたくしが思うだけなのだが、『悪霊』を救っているのは偏に人物造形、もっとはっきりいえば、スタヴローギンの存在。これまで読んだドストエフスキーの小説のなかに、かれに匹敵する人物はいただろうか。せいぜいラスコーリニコフぐらいだろう。
 従って上巻よりも下巻が、しかも初刊時に削除されたスタヴローギンの章から第3部にかけてがいちばん面白い。というよりも、そこに至るまでは単純に忍耐である。上巻の砂を噛むにも似た思いを克服しただけに、件の箇所はわずかながらもカタストロフを感じさせられ、ここまで読んできて良かったぁ、と思わせられるのだ。上巻に約2ヶ月、下巻に1週間、というのが、すべてを物語っていないだろうか?
 斯く申せども残念ながら、おそらくもう二度と読む機会は摑めぬであろう。時機を逸したのだ。『ファウスト』や『ユリシーズ』を読み倒したあの頃(高校時代)に読んでおくべきであった。これが本音だ。
 『悪霊』を終えたいま、これから先には『未成年』と『カラマーゾフの兄弟』が控えている。もはやこのドストエフスキー読書は我が身に課したノルマとなった。ロシア文学史の講義でも受けているみたい気も、しないではない。でもその前に、自分へのご褒美に、太宰かチャンドラーを1冊、読もうかな。本当はウッドハウスかクリスティ、キングあたりがベターなのだろうが、そうなったらほぼ確実に、もうドストエフスキーなぞには戻らないだろう。
 いまは安息の時間。イスラエルの大地が捕囚の子らの帰還を待つのにも似た、安息の時間。いまはそれを享受しよう。◆

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