第0788日目 〈詩編第090篇:〈主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。〉〉 [詩編]

 詩編第90篇です。

 詩90:1-17〈主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。〉
 題詞は「祈り。神の人モーセの詩。」

 「詩編」第四巻が始まる。詩90-100,104-105は《モーセ詩集》、第四巻の中心を成すグループであり、途中で《第三ダビデ詩集》などが入る。
 この詩90は「詩編」の中でも最古の作か、とされる。なお、モーセの詩/歌は他に出15と申32にあった。
 神にとって千年の時間の流れは昨日から今日へ移ろう一時のものでしかなく、人間の七〇年程度の生涯は溜め息に過ぎない。永遠なる神の御前に在っては有限の命を持つ人間は畏れ敬うよりなく、それによってあなたの御怒りを知るようになる。
 「主よ、帰ってきてください。/いつまで捨てておかれるのですか。/あなたの僕らを力づけてください。/朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ/生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。/あなたがわたしたちを苦しめられた日々と/苦難に遭わされた年月を思って/わたしたちに喜びを返してください。」(詩90:13-15)
 単純に神の永遠性を讃える詩とはいい切れぬものを、わたくしは感じる。永遠と有限の対比に於いて脳裏へ浮かぶのは、中世文学の神髄ともいうべき<無常>だ。この詩を読むたび、わたくしは『徒然草』を思い出す。嗚呼、そこに描かれた儚さよッ!

 「生涯の日を正しく数えるように教えてください。/知恵ある心を得ることが出来ますように。」(詩90:12)



 飽きもせずにラトルとBPOの《くるみ割り人形》のCDを聴いています。この興奮、未だ収まらぬ謂われはなにぞ? 聴くたび胸奥でよみがえるしあわせは、至上の法悦(エクスタシー)。
 この約二週間、合間を縫ってラム姉弟の『シェイクスピア物語』(新潮文庫)を読んできました。もうすぐ終わります。今日は「ロミオとジュリエット」を読了。楽しみに味わってきたのに、残念でなりません。残すは「ハムレット」と「オセロ」(個人的には「オテロ」というた方がしっくり来ますが)、そうして、あとに回した「マクベス」の三作。
 ラムの筆にかかると要所がすっきり整理され、却って原作以上のパンチを生み出している箇所もあり、これを読んだあとで原作へ触れた人は、ちょっと物足りなく思ってしまうのではないのかな? 英語圏の国であればね、シェイクスピアの表現を取りこんでいることで原典へ向かうことは比較的容易かもしれないけれど、誰の訳であれ翻訳で『シェイクスピア物語』を読んでしまうと、そこから先にはなかなか進まないんじゃないかしら。少年少女向けに複数の訳が存在することも考えると、余計にそう思うのであります。
 ここまで完成度の高いリライトを読んだあとでは、そんな疑念を覚えるのも事実なのである。◆

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