第0817日目 〈詩編第115篇:〈わたしたちではなく、主よ〉&たまには思い切りずっこけた小説を。〉 [詩編]

 詩編第115篇です。

 詩115:1-18〈わたしたちではなく、主よ〉
 題詞なし。
 《ハレルヤ詩集》の一。

 われらが主こそ神、主に依り頼む者は主を畏れ、主の教えを正しく守る。われらが主は偶像ではない。主は天と地の造り主。
 ━━ここでいうのは、主に依り頼む者は主に似る者となり、偶像に依り頼む者はそれに似る者となる、ということだ。明快な論理である。これは既に、モーセ五書や「士師記」-「列王記」/「歴代誌」へ至る諸巻にて、われらが読んできたことであった。ソロモン王の堕落も(一時的とは雖も)偶像崇拝によろめいた結果だ。
 詩115についてはG.A.F.ナイト著『詩篇 Ⅱ』の解説が有益である(P366-71,特にP366-7 尾崎安・訳 デイリー・スタディー・バイブル14 新教出版社 1997・4)。図書館で見かけることあれば手にしてみるとよい。

 「主よ、わたしたちを御心に留め/祝福してください。/イスラエルの家を祝福し/アロンの家を祝福してください。/主を畏れる人を祝福し/大きな人も小さな人も祝福してください。」(詩115:12-13)

 「主を賛美するのは死者ではない。/沈黙の国へ去った人々ではない。/わたしたちこそ、主をたたえよう/今も、そしてとこしえに。/ハレルヤ。」(詩115:17-18)

 姿は凛とし、内は慈しみにあふれている。愛誦に値する良い詩だ。



 過去のブログをちょこちょこ改訂していますので、時々でいいから、開設間もない時分のものとか見てみてね、と前置きしたあとで、まったく関係ないお話をしようと思います。
 これを書きながら伊福部昭《SF交響ファンタジー第一番》を流しているのですが、これを聴くたび、ゴジラの小説が書きたくなるのですね。全編が伊福部サウンドに塗りつぶされたような怪獣小説を、間違ってもそれは映画『怪獣総進撃』や『ファイナル・ウォーズ』のようなオールスターズ作品でなく。他に書きたい小説があるか、と問われれば、ある、と答えた上で、くまのプーさんを迎えた推理小説を、と補足しよう。
 なんだか他人の褌で相撲を取るような格好だが、他人のキャラクターで小説を書くことがないからこそ、ときどきこんな夢想を弄ぶ。もっとも、きっかけさえあれば筆を執るのであろうな、と予想はしているのですが……。
 今年は喪中のため年賀状用小説を書くことはしなかったが(候補作として2編の第一稿を仕上げたと雖も)、偶には奇を衒って思い切りずっこけた小説を送り付けるのも一興かもしれない、と企んでいる。◆

共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。