第0854日目 〈掌編:「雪中桜」━━雪降りしきる昨夜の夜半の想い出に。〉 [日々の思い・独り言]

 あなた様ですか、お待ちしておりました。ええ、聞いておりますよ。先生の下(もと)でこの街の民俗をお調べになっていらっしゃるそうで。
 数日前に博物館の某という方のご令嬢がご自分で、裏の山ン入って命を絶たれましてね、ちょっと街は騒々しかったでしょう。でも、ここでしたらそんな喧噪も関係ございません。このあたりは昔から泉の家の土地ですし、この本屋敷も里からなるべく離れたところに造るよう指図されましたからな。
 で、今日は……お伶の話でしたか。偶然か、お伶の逝った日でございますよ、今日は。語れば供養になるばかりか、ほれ、あすこにあります老桜のためにもなりましょう。頃合いの天気にもなってまいりましたしな。
 私ども泉の者はずっと古い頃から街の氏子代表を務めております。氏神様はあなたもここへ来る途中で前を通ってらしたと思うが、ええ、あの神ンお社様です。この地に腰をおろしたのはなんでも、都で大きな戦があったより少しあとと聞いています。詳しいことは蔵にある文書でもご覧になって、お調べになったらよい。
 ……それでずっとこの家は、代々嫡男が静かに継いで来られたのじゃが、或る代に男子がお生まれにならんことがありました。それはそれは大変な騒ぎでしてね、なんとか当主夫婦に嫡男を設けさせようとしましたが、どうにも奥方様が限界で、結局、二人いるどちらかの娘に婿を取らせて血を継がせることと相成った次第です。その娘の一人が彼女……さよう、お伶でございます。
 このお伶という人はなかなかの器量好しと評判だったそうです。仏間に姿絵を掛けましたので、線香を手向けるときでも、ご覧になってみてください。泉の家はもとより都に在って、二条様や冷泉様御子左の家とは殊(こと)に親しうさせていただいておったようです。そんなことからでしょう、いまも昔も泉は歌の家と知られ、お伶の詠は為村卿を嘆息させた、と記録にあります。
 お伶が十五になろうという年の正月をもうすぐに控えた頃、街にある秋月という呉服商から若旦那様とお側付きの者たちが幾人か、泉の家を訪れました。翌る年の歌会に新調する着物の相談だったようです。
 この秋月の若旦那様とお伶は幼な友達でありまして、十を数える頃からはお互いに遊ぶこともなくなりましたが、いつかはこの人を妻に夫にという願いがあったようです。この日、一緒にあってうち興じていた二人を眺めていて、昔の自分たちを思い重ねていたのかも知れません、お伶の両親はこっそり、秋月を翌日に訪れ、そちらの雅人さん(秋月の若旦那様でございます)とうちのお伶を夫婦としたいとお話しになり、やがて、二人の祝言の日取りが決まりました。家督はその後、お伶の妹夫婦が継ぎまして、私はその血を受けた者であります。
 都のお公家様方からのお祝いが泉の家に届きはじめ、あと、月が一巡すれば祝言という日の夕暮れ時、裏の山に不吉な声が響き、街……当時は村でしたが……に隈無く広がってゆきました。人々はひそひそ囁きあい、いっそう不安を広めました。なぜなら、謂われなき斯様な声が響くと必ず、誰かが失踪し、いづこかで不思議な死に方をしておるのが見附かるためです。その夜も例外ではありませんでした。あの声に魅せられたのは……申すまでもなく、お伶だったのであります。
 その日は黄昏時から雪が降り始め、なおかつ、村へ行ったお伶の帰りが遅いと気を病んでいたときにあの声です。泉の者たちが心かき乱されたのも道理でしょう。薄暗くなりつつあった頃、お伶の父は家の者たちに命じて山や辺りを探させました。雅人さんも店を閉めて探しましたが、夜更けになってもお伶を見た者はなく、気の早い者は、きっとお伶様は山の魔に魅入られたのだ、あちらの国へ行かれてしまったのだ、と涙ながらに言い出す始末。もっとも、それは決して間違ってはいなかったのですが……。
 丑の刻になろうかという時分でしょうか、山の奥まで行っていた男衆が何人か欠けた状態で戻ってまいりました。言うに、お伶さんが見つかった、と。
 すわ、と男衆の案内で深山の祠(ほこら)に近い池へ、皆が駆けつけました。お伶は苔生した岩にもたれかかるようにして、息を引き取っておりました。婚礼の日に着るはずであった、桜柄の着物を身に纏い……。雪のように白い肌と薄紅色に染まった唇が、闇にあっては、色を添えていたそうです。
 雅人さんはお伶の一周忌が終わり、ご両親が相次いでお亡くなりになると店を畳み、親類のあるという金沢へ行かれました。あちらで新しくまた店を構えられたと聞いておりますが、いまの時代の私にはそのあたりのことはさっぱりで……おや、雪が降ってまいりましたな。そう、毎年のことでございますよ。あなた様は大丈夫で……左様でございますか。では、話を先に進めますが、……わかっておりますのはその後、雅人さんはお伶の命日のたびに街へ帰って来、生涯、どなたもお娶りにはならなかった、ということ、そして、お亡くなりになるとき、そんな陽気でもないのに雪が降った夜更け、庭の桜の木の袂でお伶の名を呼びながら逝かれた、ということだけです。
 さて、あの桜のことですが……正直、なぜあの桜が今夜……お伶の命日にだけ花をつけるのか、まったくわからないのです。ただあの桜はお伶が生前、大切にしていたものといいます。死にかけていた老桜を、誰の手も借りずに治癒し、どれだけ枝を伸ばしても剪定はさせず、まるであの桜を、想う人のように大切にしていたそうです。桜にもお伶のそんな細やかな情が伝わっていたのかもしれません。それだからこそ、桜はお伶がいなくなってからはその命日にだけ、あたかも供養するように花を咲かせ、花の季節になっても蕾さえつけないのでしょう。万物に霊が宿っている、というのは神道の教えですが、なるほど、この桜の木を毎年見ておりますと、それも納得できることでございますよ。
 これがお話しできるすべてでございますが、さて、あなた様の研究のお役に立つかどうか。これは先生にもお聞かせしたことがないのですわ。泉のように昔よりこの地にある者だけが知っておる話です。桜も外から見えるところにあるわけではございませんからな。その不思議を知る者もおりませなんだ。しかし、それでいいのかもしれません。この世には知らない方がいいことも、確かにあるようですからね。
 ……ほら、あなた様、見えますか……桜の木の袂(たもと)です……お伶ですよ、お隣にいらっしゃるのが雅人さんですよ……毎年この日、雪の降りしきるなか、桜はいっぱいに花を咲かせ、その袂へ夫婦になるはずであった二人が姿を現すのでございます……ああ、ほら、桜が……お伶の桜が、薄紅色の花をいっぱいに咲かせております……。◆

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