第0930日目 〈『ハリール・ジブラーンの詩』を読みました。;「だから私はもっと大きな沈黙から戻ってくる」〉 [日々の思い・独り言]

 BS-NHKが映らぬ現況を今日程嘆いたことはない、嘆きの原因はロイヤル・ウェディングです。その様子を某民放で観ていたのですが、もうライヴ中継に被るナレーションと音楽の邪魔なことといったら!
 でも、すてきな結婚式でしたよね。溜め息をつきつつ、じっと映像に見入っていました。式の間にキャサリン妃の弟が聖書を朗読していましたが、あれは新約聖書のなかにある「ローマの信徒への手紙」第7章でありました。
 この様子を天国からダイアナ元皇太子妃は見ていたのかな。見せてあげたかったね。葬儀が行われたのと同じウェストミンスター寺院で晴れの日を飾れたのだから、ウィリアム王子も少しは心が軽くなっただろうか。そうだといいけれど。あとは両親の轍を踏まぬよう、キャサリン妃と一緒に新しい王室の歴史を築いていってほしいですね。そうそう、バッキンガム宮殿のバルコニーで披露された(?)お二人のロイヤル・キスはさわやかでしたね。
 イギリスも現在は深刻な経済不況に見舞われて斜陽ですが、このロイヤル・ウェディングと来年のロンドン・オリンピックで再び国力を回復し、かつての大英帝国の如く自信と誇りを備えた希望と栄光の国に復活してほしいものです。
 この世紀のロイヤル・ウェディングを観ていたら、またイギリスに行きたくなりました。最初に足を向けるのはやっぱりベーカー街ですよ!?
 確か10日程前のブログで、風呂場でカフカを読んでいる、と書いたように思います。今日この瞬間から顧みればそれは過去形となり、では現在は、と訊かれれば、レバノンの詩人ハリール・ジブラーンの詩集を読んでいる、とお答えする。訳は神谷美恵子。角川文庫から出ていますが、大きめの本屋さんでないと棚にはないかも。わたくしは神保町の書店で見附けてその場で買ったのですが、後日故郷とその周辺の都市に展開する大型書店を何軒か廻りましたが、いずれの店舗でも見附けることはできませんでした。
 順番に、ではなく、適当にページを開いたところに掲載されている詩を1,2編玩味するのですが、読み終えたあとで心が綺麗になるような感じがします。技巧を凝らしたものでも抽象的なものでもなく、ましてや沈鬱な内容の作品でもない。哲学的な内容の作品もあるにはあるが、それでも一つ一つの言葉はひたすら簡素で、加えて誠実である。
 その印象はやわらかいけれど、ヤワではない。芯がしっかりしていて、そのメッセージは鋼の如し。「鋼のように堅く、絹のようにやわらかい」とは《マタイ受難曲》について書いた際の題だが、セルフ・パロディを試みれば、「鋼の如くしなやかで、絹のようにたくましい」と逆説的な表現ができようか。
 本書『ハリール・ジブラーンの詩』に「結婚について」と題された詩がある。ロイヤル・ウェディングのあった日に斯様な作品を偶然ながら読むとは、と湯船のなかで思わずずっこけた次第だが、これが実に示唆に富み、かつ新しい人生に旅立つ夫婦の背中を優しく押してくれる作品なのです。カバー裏にも掲げられたのと同じ箇所を含んで申し訳ないが、引用する。曰く、━━
 「愛し合いなさい、/しかし愛をもって縛る絆とせず、/ふたりの魂の岸辺の間に/ゆれ動く海としなさい。/(中略)/自分の心を(相手に)与えなさい。/しかし互いにそれを自分のものにしてはいけない。/なぜなら心をつつみこめるのは生命の手だけだから。/互いにあまり近く立たないように。/なぜなら寺院の柱は離れて立っており/樫や糸杉は互いの影にあっては育たないのだから。」(P53-4)
 もし自分がその栄に浴すことができるなら、この詩を全編引用して印刷した薄い冊子を、自分の結婚式の引き出物にでもしたい気分ですよ。いや、まったく本当にそうなんだ。
 これまで読んだなかで(といっても殆どすべて読んでいる作品ばかりなのですが)「結婚について」以外で心に残っているのは、「別れ」と題された詩。『予言者』という詩集の最後を飾る詩で、遠く海の彼方に去る予言者が、これまで自分を愛してくれた当地の人々に今生の別れを告げる詩なのですが、なかなかじんわりと来る良い詩なのですよ。少し長めの詩ですが、ゆっくりと、噛みしめるようにして一行ずつゆっくり味わってゆくと、頗る付きで良い作品だ、というのがおわかりいただけると思います。なお、今回のブログ原稿の題はこの詩から取りました。
 われらはふだん、詩とはあまり縁のない生活をしている。それゆえ手にしてほしい一冊であり、「詩なんて中学/高校を卒業して以来読んでいない」という方が圧倒的に多いからこそ、あまねく読まれてほしいと願う本。500円玉一枚で買える(消費税込み)薄い文庫本ですから、通勤や通学の帰りなどに本屋さんに寄り道して探してみてください。斯くも詩人と訳者が幸福な出会いを果たして一冊となった詩集も、そう滅多にないと思いますよ。

 蛇足ですが、風呂場で読む詩集は手頃であります。作品の長さも然りですが読み手がここ程心をリラックスさせられる場所もないですからね。ジブラーンのあとはアポリネールあたりはどうでしょう。
 この新たに発見、活用を始めた読書環境でいつの日か、高校生の頃から好きだったホイットマンの詩集『草の葉』(全3巻 岩波文庫)を読み倒してみせます。あの、本気ですよ?
 でも、やっぱり聖書をどうしようかなぁ、と悩むのも事実なんですよね。
 聖書といえば、明日から読書ノートを再開、「コヘレトの言葉」に入ります。◆

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