第0992日目 〈イザヤ書第11章:〈平和の王〉&〈帰還と救い〉with眠れぬまま、まばゆい夏の朝を迎える。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第11章です。

 イザ11:1-10〈平和の王〉
 エッサイの株、即ちダビデの家系は何世代も永らえて、或る日、そこから一つの命が誕生する。その命には主の霊が留まり、その人は主を畏れ敬う霊に満たされる。弱き者、貧しき人と交わり、逆らう者を唇によって死へ至らしめる。正義を腰の帯とし、真実をその身に纏っている。
 「(大地が主を知る知識で満たされる)その日が来れば/エッサイの根は/すべての民を旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。/そのとどまるところは栄光に輝く。」(イザ11:10)

 イザ11:11-16〈帰還と救い〉
 エッサイの株から萌えでた命が旗印となって立つ日、主はその御手を再び伸ばして自分の民の残りの者を買い戻す。主は、諸国諸地に離散した自分の民を集める。彼らは<その場所>へ帰還して、過去の確執を水に流して和合する。
 「主は諸国の民に向かって旗印を掲げ/地の四方の果てから/イスラエルの追放されていた者を引き寄せ/ユダの散らされていた民を集められる。」(イザ11:12)

 万軍の主はダビデの家系からメシアが出る、とほのめかし、自分の定めたメシアが旗印を掲げて立つとき、世界中に散っていたユダを<その地>へ帰還させる、というのが本旨。━━どこかで聞いたような話ではないでしょうか。これまで読んできた聖書のなかではなく、学校やメディアを通して知った或る出来事。さよう、19世紀半ばから湧き起こった郷土復帰運動(シオニスム)を承けて、離散していたユダが第二次大戦後に<その地>へ帰還して建国・独立を宣言して、未だ中東問題の中心にあるイスラエル王国であります。
 むろん、ここで主は20世紀半ばのイスラエル王国建国をいうているのではなく、もっと普遍的意味合いでの、帰還したユダによるメシア主導の共同体建設をいうているのだ、と、わたくしは思うております。



 昨夜は一睡もできぬまま朝を迎えた。魅惑的な女性と終夜睦んだ、とか色っぽい話ならよいのだが、むろん、そんなわけはないのである。単に、眠れなかった、というだけの話。安心されよ。
 一念発起して4時半頃に床を離れて机の前へ陣取り約120分にわたり、聖書を開いてうんうん唸り、呻吟しつつ、歴史を俯瞰し、ノートを作成しました(第23章〈ティルスの審判〉)。これまでと肌合いの異なる章でもあったので、いずれにせよこれだけの時間は費やすことになっていたろうが、頗る満足できるノートとなった。このまま眠れないのだろうな、と諦めていたら、9時から11時までなんとか眠れたよ。
 その過程で得た実感なのですが、まばゆい夏の朝を迎える時刻に流す音楽は、シューマンのオーボエとピアノのための作品が似合う。〈3つのロマンス〉Op.94と〈アダージョとアレグロ〉Op.70が殊に良いと思います。◆

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