第0993日目 〈イザヤ書第12章:〈救いの感謝〉withメガネが割れた。〉 [イザヤ書]

 イザヤ書第12章です。

 イザ12:1-6〈救いの感謝〉
 その日、救われた者は主へ、感謝の言葉をささげる。━━主よ、あなたはわれら嗣業の民に怒りを示された、が、後にはそれを翻してわれらを慰めてくれたのだから、と。われらはあなたを信頼して、他のなにものも恐れない。「主こそわたしの力、わたしの歌。」(イザ12:2)
 その日、救われた者たちは主に感謝し、御名を叫ぶ。━━諸国民に告げ知らせよ、主の御業を、告げ知らせよ。主の誉め歌をうたい、諸国へその御業を喧伝せよ、と。
 「シオンに住む者よ/叫び声をあげ、喜び歌え。/イスラエルの聖なる方は/あなたたちのただ中にいます大いなる方。」(イザ12:6)

 全文を引くか否かですこし迷った章。なるべくアロマもエッセンスも失うことないよう意を尽くしたつもりなのですが、顧みてそれは成功していると言い難い。が、推敲・改稿を試みてこれ以上の作物ができあがらないのも、哀しいなるかな、事実である。告白すれば、いま読者諸兄がお読みになったノートさえ、実は3度ほど書き改めているのである。もはや、これに不満を覚えたら良いチャンスでもあるので、ぜひ本文を読んでみてください、とお願いするより他にない。
 ユダとユダを脅かす国々への幻と託宣は、本章で一旦終わる。次の章からは諸国への直接的な、万軍の主からイザヤにもたらされた審判の言葉が並びます。



 懐かしさと忌々しさを覚える地域で、倉庫内作業の日雇い仕事をした。恵まれていたのは、単調ながら慎重さを求められる仕事にありつけた喜び。と同時に、いっしょに組んだ人々のあたたかさと目配り、段取りのよさと臨機応変さ(これを欠いた倉庫の如何に多いか!)、辛抱強さ。感謝している。サンキー・サイ。
 が、一つだけショッキングな出来事も。人生初の「メガネのレンズが割れる」なる不幸に出喰わしたのだ。検品のための開梱作業中、角っこを補強するボール製の角材が上から落下してき、右のレンズが割れた……本能的に、接触の直前に目蓋を閉じたので、目はどうやら無事だったが(念のため、明日は駅前の眼科医に行こう、と考えている)、レンズにはヒビが斜めに走り、よく見ると、レンズの、鼻当てに近い部分が床に落ちて飛散していた。その後はリーダーの配慮もあって単純作業に従事し、裸眼で終業まで作業していたが、このアクシデントはわたくしに自信を与えた。
 こうした仕事なら、突然裸眼になっても、或る程度までなんとかなる。少なくとも、あの程度の作業であればメガネ無しでやり遂げることができる。こんな経験をしたことがないので最初は不安であった。が、或る程度まではなんとかなってしなうのだ、という納得と、或る程度までの仕事内容であれば裸眼でも出来る、という自信がついた。が、一定のレヴェルを越えたらもう使い物にならない。それをよく知った日である、今日という日は。
 これはあくまで偶然の所産に過ぎない。成功は一度きり、と思い知れ。現場に恵まれたからこそ可能であった成功。それをゆめ忘れてはならぬ。これは戒めの言葉である。でも、こんな経験もよいものだ。
 度が合ったスペアのメガネを持っているので日常生活には支障がない。けれども、ふだん掛け馴れたメガネを今回失ってしまったので、早々に新しいレンズを作らねばならない。わが右目に適したレンズ。これを作るのに何万円かかるのだろう。困ったことに、通い慣れたメガネドラッグとメガネの1・2・3はもうないのだ。過去のデータを引っ張ってそれを参考にすればいい店舗が、眼鏡市場とかメガネスーパーなんていう怪しげな同業他社に変わってしまっているのである。憂慮すべき事態の到来だ。嗚呼、困った……。
 ━━読書もままならぬ今日、いろいろ考えた。汗をびっしょり吸ったシャツを着て、考えた。いろいろなことを。行く末……あの女性(おぐゆーさん)といっしょになれればいいな、生涯に一冊でも自分名義の本物の単行本を出せればいいな、仕事と家庭に恵まれた後半生を過ごせればいいな、生活の不安が殆どない人生をあの女性とあの女性との間に生まれる子供たちと暮らせればいいな、そんな願望を、いろいろ考えた。一つとはいわぬ、すべてが叶えばいい。これまで散々あったのだもの、後半生はしあわせなことばかりが起こってほしい。お願いします。◆

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