第1189日目 〈バックステージ・ツアーへご招待? & ダブって購入したのは何故?〉 [日々の思い・独り言]

 今日から(昨日ですか)「エゼキエル書」を読み出し、ノートを作り始めています。
 いや、本当いうともう少し先に延ばすつもりだったのだけれど、先日風邪を引いてね、早めに床に就いていた日があったんだ。でも、なかなか寝附けなくて……。
 そこで聖書をベッドまで持ちこんで、なんの気なしに「エゼキエル書」を開いたんだ。そうしたら、すーっ、と入りこめてね、結局、小一時間かけて第3章まで読んでしまったのです。それから今日までの二日ばかり、聖書を修繕する傍らで「エゼキエル書」の最初の方、即ちかれが召命されて説教を始めるまでの部分を、何度も読んだ。
 読んでもわからないところは当然あるし、「はぁ?」と思う部分もないではないが、読むたびにちょっとずつその場の情景に色がつき、奥行きが生まれた。エゼキエルの肌には血管が浮かび、皮膚の下では肉が力を得、その眼差しは凛としたものになっていった。泥人形から人間へ進化した、というてもよい。――ちょい大仰かな。
 さりながら、預言者エゼキエルがわれらの前へ本式に姿を現すのは、そうしてかれが本領を発揮するのは、いましばらく先の章になる(らしい)。
 そこへ辿り着くまで、あと数日かかる。それまではくだらないお喋りが続くけれど、本ブログはそんなお喋りあってこそ今日まで生き永らえることが出来たのだ。ご承知置き頂きたい。
 ここで申し上げられるのは、聖書読書ノートの再開、「エゼキエル書」の開幕は、自分で予想していたよりもずっと早い段階で行われることになりそうだ、ということである。正直にいえば、来月から再開すればいいか、ぐらいに考えていた――。
 少しずつこの書物を読み進める。その傍らノートを作り、原稿を作成する。お披露目に価する最低レヴェルの原稿が何日分か溜まったら、「『エゼキエル書』前夜」と題して、その再開をお知らせ致します。
 さて。
 こんな風に舞台裏めいた話をするのは、けっしてネタが尽きたからではありません、よ……? なんていうかな、バックステージ・ツアーへご招待、って感じ? いや、違うか。



 風邪がどうにか治り(かけ)、県立図書館へ本とCDを返しに行った帰途、例によって寄るつもりのなかったブックオフにて、山口瞳『礼儀作法入門』正・続(新潮文庫版)を105円コーナーにて救出。
 じつは正編については、わが家に三冊ある計算となる。一冊は亡父の遺品のなかに、一冊は部屋の書棚の二段目に、残る一冊が今日(昨日ですか)購った分。
 なぜ斯様に無駄と思える買い物をしたか? 理屈を捏ねるつもりはないが、要するに、新しい方はカバンへ潜ませていつでも読めるようにしておきたかったからである。
 折に触れ読みたくなる本、読み返したくなる本が――端なくも「趣味・読書」、なんていう無粋の極みを臆面もなくいってのけられる者なら――誰しも一冊、二冊はあるだろう。ある筈だ。あるな? よし。
 わたくしの場合、特に愛読書というわけではないが、なにかの機会に読み返したくなる本のなかに山口瞳『礼儀作法入門』がある。これを読むと、きりきりと身が引き締まるのだ。自分の品格を磨き、良い人間になりたい、と願っての読書。人間関係にびくつかない、スマートな人間でありたい、と願っての読書。折も折、来週から新しい職場での業務が始まる。まさに山口瞳をダブってでも買い求めるに打ってつけのタイミングであった。
 礼儀作法とは他人に迷惑をかけないことであり、自分の健康に絶えず気を遣うことだ。そうして、慣習に従い、平凡に、自然に振る舞うこと。――『礼儀作法入門』冒頭部分のレジュメである。◆

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