第1207日目 〈エゼキエル書第1章:〈エゼキエルの召命〉1/3with首都圏・鉄道狂詩曲〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第1章です。

 エゼ1:1-28〈エゼキエルの召命〉1/3
 前593年の第2次捕囚では、多くの高級官僚や祭司らがユダ/エルサレムからバビロニア/バビロンへ連行された。このなかにはヨヤキン王の他、祭司ブジの子エゼキエルもいた。かれはエレミヤと殆ど同じ時代を生き、預言者としては専らバビロンで活動した。かれが召命されたのは、バビロンへ来てから5年目のことであった、という。
 『エゼキエル書』は召命について斯く語り起こす、――第5年4月5日、エゼキエルはカルデアを流れるケバル川の畔にいた。そのかれの上に主の御手が臨んだ、と。
 かれは見た、北の方で激しい風が吹き起こり、こちらへ近附いてくるのを。その風は「大いなる雲を巻き起こし、火を発し、周囲に光を放ちながら吹いて」(エゼ1:4)きた。そうしてその火のなかには、「琥珀金の輝きのようなものがあった。またその中には、四つの生き物の姿があった。」(エゼ1:5)
 4つの生き物はこのような姿をしていた;脚はまっすぐに伸び、足の裏は磨いた青銅が輝くかのように光り、仔牛の足の裏みたいな形状であった。生き物の傍らには1つの車輪があった。生き物の頭上には大空があった。空には王座の形をしたものがあり、人のように見えるものが坐していた。腰から上の輝きは琥珀金の如くで、腰から下はあたりへ雨上がりの空に架かる虹みたく見える光を放っていた。
 「これが主の栄光の有様であった。」(エゼ1:25)
 ひれ伏したエゼキエルに語りかける声があった、――

 これより後はエゼキエルの一人称で稿を進めてゆこう。
 なお、新しい書物を繙くに乗じて、表記を変えてみます。

 これまでにも何度か自分自身の備忘を兼ねて、バビロン捕囚について書いてきたように記憶します。なぜ斯様なことを書くか、といえば、今日もまた同じことを繰り返すことをお許し願いたいからであります。
 カウントの方法は2パターンある。つまり、第1次捕囚をどの段階でカウントするか、というあたりで立場というか意見が分かれるようです。エゼキエルが連行された前593年を第1次捕囚とする意見もある。一方でこれを第2次捕囚と取る向きもある。
 前者に立てば前605年の捕囚は、所謂〈バビロン捕囚〉と受け取らず、敗戦国の捕虜を自国へ連行した意味となりましょう。即ち、エゼキエルやヨヤキン王が連行された前593年の連行が、第1次捕囚として記録に残る。本書のあとに登場する預言者ダニエルを始めとする少数のエルサレム住民が連行されたのが、前605年の捕囚であります。
 が、本ブログはその意見を支持しません。文献に現れた通りをそれぞれの捕囚としてカウントすべきだ、と信じるからであります。エゼキエルが連行された前593年の捕囚は第2次捕囚である。その立ち位置を順守して読書を進めてゆく予定でおります。
 明日、捕囚が発生した年と連行された代表的人物、聖書に記された主な出来事を簡単に列記してみようと思います。



 予想していたような降雪こそなかったものの、先月の大雪を教訓にした人たちが最悪の事態を警戒して、早めに家を出た。わたくしもその一人でありました。
 そんな人たちが一時に集中したこともあって、首都圏を走る鉄道各線は相当遅れた。常磐線も山手線も前夜から稼働率を70%に下げ、京浜東北線や頼みの綱の京浜急行も似たようなものだった。湘南新宿ラインに至ってはやはり前夜から午前中の前便を運休と決定しており。
 みなさん、遅刻したりしなかったですか? 怪我や無用なトラブルに巻きこまれたりしませんでしたか? 受験生の方、もし読者のなかにいられたら、ですが、入試会場へは怪我もなく事故もなく体調を崩したりすることなく、辿り着けましたか? これまでの努力が報われますように。あなたに春は来る。
 わたくし? 小1時間かけて通勤した挙げ句、9時5分に会社へ到着しました。品川駅山手線ホームへの入場規制がなければ、遅刻しないで済んだのだけれどなぁ。◆

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