第1213日目 〈エゼキエル書第5章:〈エルサレム包囲のしるし〉2/2with映画『ホビット 思いがけない冒険』のカメラ・ワークに興奮!〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第5章です。

 エゼ5:1-17〈エルサレム包囲のしるし〉2/2
 エゼキエルよ、理髪師が剃刀を持つように剣を取り、頭髪と髭をすべて剃り落とせ。包囲の期間が終わったあと、1/3は都のなかで焼き、1/3は都のまわりで裁断し、残りの1/3は風に乗せて彼方此方へ散らせ。わたしはそのあとを、抜き身の剣を構えて追う。あなたはそのなかから少しを取って着物の裾に包み、更にそのなかの少しを火にくべて燃やしなさい。それが、イスラエルのすべての家に降りかかる災いである。
 これがエルサレムの辿る末路。かれらは諸国よりも頑なで、諸国よりも激しくわたしに逆らった。かれらはわたしの裁きを拒んだ。かれらはわたしの掟に従って歩かなかった。
 それゆえに、とわたしは告げる。エルサレムはかつてない程悲惨な目に遭う。疫病に倒れ、飢えに苦しみ、剣に追われて、死ぬ。嘲られて誹りを受けるお前は、諸国の教訓となり、脅威となり、かれらの歩みを正させる。お前は諸国から嘲笑されて、恥辱を受ける。
 「お前たちが周りの国々よりもいっそうかたくなで、わたしの掟に従って歩まず、わたしの裁きを行わず、周りの国々で定められている裁きほどにも従わなかったので、主なる神はこう言われる。わたしもお前に立ち向かい、国々の目の前でお前のなかで裁きを行う。わたしがお前に対して行うことは、わたしが今まで行ったこともなければ、またこれから再び行うこともないようなことである。それはお前が行ったあらゆる忌まわしいことのゆえである。
 それゆえ、お前のなかで親がその子を食べ、子がその親を食べるようなことが起こる。わたしはお前に対して裁きを行い、残っている者をすべてあらゆる方向に散らせてしまう。
 それゆえ――わたしは生きている、と主なる神はいわれる――お前はあらゆる憎むべきものと忌まわしいものをもってわたしの聖所を汚したので、わたしもまた必ずお前をそり落とす。わたしは憐れみの目をかけず、同情もしない。」(エゼ5:7-11)

 「わたしは彼らに向かって怒れるだけ怒り、憤りに身を任せて、恨みを晴らす。そのとき、主であるわたしが憤れるだけ憤り、熱情をもって語ったということを彼らは知るようになる。」(エゼ5:13)

 「主なるわたしがこれを告げる。」(エゼ5:17)繰り返す、「わたしは憐れみの目をかけず、同情もしない。」(エゼ5:11)



 書き残したことは幾つもあるけれど、今日は一点だけ書こう。映画『ホビット』の件。
 PJ監督自身、最先端のデジタルカメラを初めて用いて撮影したという本作に於いて、その映像美は芸術という域すら越えてしまったように思える。前3部作にてわれらを魅了してやまなかった滑るような、あおるような、舐めるようなカメラ・ワークは健在である。
 われらが中つ国の冒険を追体験することができるのは、アンドリュー・レスニー率いる撮影チームによる縦横無尽なカメラ・ワークのお陰でもある。大地を這い、大空を滑空するカメラによって、われらは地上の小動物の視点で物語を仰ぎ見、羽ばたく鳥の視点で物語を俯瞰できる――生きとし生けるものすべての視点を駆使して、映画『ホビット 思いがけない冒険』はシリーズ第1作でありながら最高潮の興奮を、われらに与えてくれるのだ。
 1作目でこれなのだから、続きを楽しみにしない理由なんて、どこにもないですよね?
 さて、それでは原作『ホビット』を読み直すとしますか。◆

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