第1222日目 〈エゼキエル書第14章:〈偶像礼拝と神の審判〉withプリーズ、ワン・モア・チャンス・フォー・ミー〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第14章です。

 エゼ14:1-23〈偶像礼拝と神の審判〉
 長老たちがやって来て、前に坐った。そのとき、主の言葉が臨んだ、――
 かれらは心に偶像を抱き、民をつまずかせる罪を目の前にしている。そんなかれらに対して、わたしがなにを答えられよう? 人の子よ、目の前の人々にこういいなさい、わたしは多くの偶像のゆえに答える、離れ去ったイスラエルの家の心をすべて、わたしは捕らえる、と。
 悔い改めよ、偶像から離れてすべての忌まわしきものから顔を背けよ。それでも姦淫の心に耽るかれらに、人の子よ、あなたはこういいなさい。わたしはその者に顔を向け、かれらを徴として諺として、イスラエルの家から絶つ。そのときかれらはわたしが主であることを知る。
 もし預言者が惑わされて語るようなら、それはわたしがかれを惑わせたからである。そのときわたしは預言者をイスラエルの家から絶つ。かれを尋ね求めた人々も同じように罪を負う。「尋ねる者の罪は、預言者の罪と同じである。」(エゼ14:10)それというのも、もはやイスラエルの家がわたしから迷い出ず、あらゆる背きによってもう二度と自分を汚さないようにするためである。(以上、偶像礼拝)
 別の機会に主の言葉が臨んだ。人の子よ、聞きなさい、――
 或る国がわたしに不信を重ねて罪を汚すなら、わたしはその地に飢饉を送り、人も家畜も根絶やしにする。もしそこにノア、ダニエル、ヨブの子らがいても、かれらの子供たちは生き延びることができない。
 わたしが獣をその国に横行させてその結果住む人が絶えても国土が荒廃したとしても、また、わたしが剣を送りこんで、その結果人も家畜も絶えてしまったとしても、ノア、ダニエル、ヨブの子らはわたしが降した災いから逃れ得ない。ノア、ダニエル、ヨブの3人だけが、自分の心の正しきによって自分自身の命を救うが精々である。
 おお、まこと、主はこういう、――
 「わたしが四つの厳しい裁き、すなわち、剣、飢饉、悪い獣、疫病をエルサレムに送り、そこから人も家畜も絶ち滅ぼすとき、そこにわずかの者が残されるであろう。息子、娘たちは逃れて救い出され、お前たちの所に出て来る。お前たちは彼らの歩みと行いを見るとき、わたしがエルサレムに降した災い、わたしがそこに臨ませたすべてのことについて慰められる。お前たちは、彼らの歩みと行いを見て、それによって慰められ、わたしがそこで行ったすべてのことは、理由なく行ったのではないことを知るようになる。」(エゼ14:21-23)

 慰めとは希望。
 復興と再生を願う、たった一つの贈り物。

 ノア、ダニエル、ヨブ。即ち、主の言葉と意思の正しきを信じ、主の道をまっすぐに歩んだ人たちであります。

 

 理由あってVBがノートPCから消失。トレンドマイクロにメール相談、指示に従ってインストールをやり直したあと全体スキャンをしていたら、予想外に時間を喰ってしまった。更新できなかった理由は、そんなような理由からです。済みませんでした。
 実は別の、最大の理由もあるのですけれど……。

 嗚呼、もう一度チャンスがあればいいのに。
 結果は変わらずとも、自分の言葉を伝えたい。
 良識ある行動を欠いてごめんなさい、ということと、もう一つ、……。◆

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