第1224日目 〈エゼキエル書第16章:〈エルサレムの背信〉withだれのためのメッセージ?〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第16章です。

 エゼ16:1-63〈エルサレムの背信〉
 神なる主がエルサレムへ向けた言葉が臨んだ、――
 おとめエルサレムよ、お前はカナン人の土地で、アモリ人を父に、ヘト人を母に生まれた。生まれ落ちてすぐに捨てられて血のなかでもがいているところにわたしが通りかかり、拾いあげて、「生きよ」といった。わたしはお前を美しく栄えさせ、眉目麗しいおとめに育てあげた。年頃になった全裸のお前をわたしは衣で包み、契約を結んだ。おとめエルサレムよ、お前はこのときわたしのものとなった。
 斯様にしてお前に愛情を注ぎ慈しみをかけたいうのに、お前はわたしを裏切った。その美しさを頼みとして報酬を払って、男であれば誰彼構わず誘惑して、嗚呼、姦淫に耽った。わたしから離れたお前は、わたしに背く数々の行為、たとえば祭儀台を設け、広場や四つ辻に高い所を設けたりして、自らの美しさを汚した。おとめエルサレムよ、エジプト人のみならアシェルの人々、カルデアの地とも姦淫を重ねた。売女同然の行いだが、お前が異なるのは相手からではなく自分から報酬を与える点だ。この点に於いてお前たちは逆である。
 「姦淫の女よ、主の言葉を聞け。主なる神はこう言われる。お前が、愛を求める者と姦淫するために、欲情を注ぎ、裸をさらしたために、また、すべての忌まわしい偶像と、それにささげたお前の息子たちの血のゆえに、わたしは、お前がもてなしたすべての愛人たち、お前の好きだった者も嫌いだった者もすべて集める。わたしは彼らを至るところからお前のもとに集め、お前の裸を彼らにさらす。彼らはお前の裸をくまなく見る。わたしは、お前を淫行と流血のゆえに裁く。また、怒りと熱情をもって、お前の流血に報いる。更にわたしは、お前を彼らの手に渡す。彼らはお前の祭儀台を倒し、高い所を破壊し、お前の着物をはぎ取り、美しい飾りを取り去ってお前を裸にする。彼らは群衆を駆り立ててお前に向かわせ、石を投げさせ、剣で切りつけさせる。彼らは火でお前の家を焼き、多くの女たちの見ている前でお前を裁く。こうして、わたしはお前に姦淫をやめさせる。お前は二度と報酬を支払わない。わたしがお前に対する怒りを静め、わたしの熱情がお前から離れるとき、わたしの心は休まり、もはや怒ることはない。お前が、若い日々のことを思い起こさず、これらすべてのことでわたしを怒らせたので、わたしもまた、お前の行いを頭上に報いる、と主なる神は言われる。」(エゼ16:35-43)
 おとめエルサレムよ、お前はカナン人の土地で、サマリアを姉に、ソドムを妹に育った。サマリアとその娘たち、ソドムとその娘たちもそれぞれにわたしから離れてわが想いに背く行為に耽り、それなりに罪を重ねた。が、お前程ではない。お前に較べれば、彼女たちはずっと正しい者のように見えたぐらいだ。わたしはサマリアとソドム、その娘たちを帰らせる。お前を自分の不名誉を負わねばならない。
 「お前は誓いを重んじ、契約を破った。だが、わたしは、お前の若い日にお前と結んだわたしの契約を思い出し、お前に対して永遠の契約を立てる。」(エゼ16:59-60)

 おとめエルサレムへの愛憎入り交じった言葉です。主の口から出た、嫉妬に等しい激烈な言葉。こうも厳しいエルサレムへの言葉は、果たしてあったでありましょうか?
 言葉を費やす必要はありません。じっくりと本章を噛みしめて咀嚼するばかりです。
 そうして、心のなかで幾度となく反芻してみたく思います。
 その上で、果たしてエゼキエル書に於いてユダへの、イスラエルへの、シオン/エルサレムへ対する主の言葉/想いが激しくなった理由が奈辺にあるか、考えてみるべきかもしれません。



 ビスケットは古代バビロニアの保存食であったそう。日持ちさせるためにパンを二度焼きしたのが起源だとか。昨日付の読売新聞夕刊に出ていました。
 
 前に進め。お前の前途には限りなき希望はないかもしれないが、すくなくとも仕事と創作がある。それで十分ではないか? それ以上、なにを求めるのか、お前よ? 道は閉ざされた、越えられぬ壁がある。けっして消え去らない思い出がある。しかし、お前は進まなくてはならない。進むべき道はない、しかし、進まなくてはならない。◆

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