第1227日目 〈エゼキエル書第18章:〈各人の責任〉with 3/12;今日から新しい一日が始まる。〉 [エゼキエル書]

 エゼキエル書第18章です。

 エゼ18:1-32〈各人の責任〉
 イスラエルに伝わる諺:先祖が酢いぶどうを食べれば子孫の歯が浮く。主はいう、――
 正義と恵みの業を行う人を正しき人と呼ぼう。わが掟に従って歩み、わが裁きを忠実に守るなら、その人こそが正しき人であり、かれは無為に死ぬことはない。が、その人に生まれた息子が乱暴者で、道理を弁えず、わが目に悪と映ることをことごとく行うなら、その忌まわしい行いの数々に相応しい死に方をして、幸ある生涯を望むことは出来ない。その息子に男児が生まれたとしよう。かれは父の禍々しい生き様を見てきた。かれは父を反面教師として生きる。かれが祖父のように正しく生きるなら、わたしの掟に従いわたしの裁きを行ってゆくなら、かれは父の罪ゆえに死ぬことはない。生きて天寿を全うし、幸多かりし一生を送る。
 人は自分の犯した罪、自分のしでかした悪に足許を掬われて死ぬ。人は自分の積み重ねてきた善行、自分の為してきた正義を誉め称えられて生きる。罪を犯した本人が死ぬのであって、子が父の罪を負うことも、父がこの罪を負うこともない。正しい人の正しさはその人だけのものであり、悪人の悪もその人だけのものだ。他の誰のものでもない。
 即ちこういうことである、と主。
 悪人であっても犯した罪を悔いて償い、過ちから離れて、わが掟をことごとく守り、正義と恵みの業を行うなら、かれは平静に生きる。すべての背きは思い起こされることなく、無為に死ぬようなことはない。わたしは悪人がその道から離れて立ち帰り、生きることを喜ぶ。その逆も然り。正しかった人が道から外れて悪事に耽ることあれば、それまで陰に陽に果たしてきた善行と正義は思い起こされることなく、かれの非道ぶりゆえに死ぬ。
 イスラエルの家は主の道が正しくない、という。が、正しくないのはイスラエルの家の方であろう。「(イスラエルの家よ、)わたしはお前たち一人一人をその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて新しい心と新しい例を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」(エゼ18:30-32)以上、主の言葉である。

 ひたすら涙を誘われた章でした。なんというても、「悪人が自分の行った悪から離れて正義と恵みの業を行うなら、彼は自分の命を救うことができる。彼は悔い改めて、すべての背きから離れたのだから、必ず生きる。死ぬことはない。」(エゼ18:27-28)はわたくしの心を貫き、救い、潤わせ、頽れて膝折り地へ額を付かせました。わたくしのようにそれなりの罪を抱える者には、救済の光りが与えられたような想いがすることであります。


 あれから2年が経ち、3年目に突入した3月12日です。風邪で休んでしまったけれど、会社ではあの時間に黙祷がされた由。さんさんかも自宅でしばし筆を止めて瞑目しました。
 I want to build me a wall so high nothing can burn it down/Right here on my own piece of dirty ground.(俺はこの小さな俺の土地の上に/決して崩れることのない壁を作りたい)
 ブルース・スプリングスティーン「SOULS OF THE DEPARTED」の一節であります。訳詞は三浦久。アルバム『LUCKY TOWN』所収。◆

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