第1264日目 〈たったひとつの願いのために;映画『帝国オーケストラ』を観ました。〉 [日々の思い・独り言]

 ステレオ・タイプに語られる歴史がある。たいていそれは独裁者に支配された国を舞台とし、近くはイラク、北朝鮮。前世紀ならばさしずめ、ヒトラー=ナチス政権下のドイツがあてはまるだろう。そのドイツを代表するオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(以下、BPO)が創立125年を迎えた2008年、一本の映画が製作、公開された。ナチス時代のBPOを描いたその映画、タイトルを『Das Reichsorchester』という。邦題は『帝国オーケストラ』(公開時)。
 それはオーケストラにとって最も困難かつ苦渋を強いられた時代の証言である。けっして闇の歴史が白日の下に曝される、なんていう暴露話めいた際物ではない。そんなのを期待する方は、どうかこの映画からも本日の記事からも手を引いてくれ。誰も引き留めない。
 今日までナチス時代のBPOについては出版物や記録映像によって語られてきた。が、時の常任指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラーにまつわる形で扱われるのが専らで。
 この映画がそれらと明らかに一線を画すのは、当時の楽団員や遺族の言葉で構成されている点にある。かの時代にBPOを指揮した往年の大指揮者たちは、どちらかといえば黒子的扱いであり、進行を促す潤滑油に過ぎない。
 カメラの前で当時を回想する老楽団員の言葉は、一つ一つが途轍もなく重い。
 たったひとつの願いのために、かれらはヒトラー=ナチス政権のプロパガンダになるのを選んだ。“願い”とは“音楽を奏でること”。そのささやかな願いがかれらには生き延びる手段であり、しあわせであった。それが仇となり枷となって、戦時下を経験した団員たちは戦後、心のなかに消そうにも消しきれぬ時代の亡霊を飼うことになるのだが。
 戦中、BPO団員は兵役を免除されていた。生き残った団員の一人は語る、曰く、戦争も末期になって敗色が濃くなり出した頃、楽器を持ってベルリン市内を歩くと市民の目がこちらへ集まった、あたかも無言で責められているようだった、と。自分の家族が戦地にて死線をさまよっているやもしれぬときに、国家の庇護下にあるのに託(かこつ)けてのうのうと音楽を奏でて生活している輩。当時のベルリン市民からBPO団員がどう映り、感じられていたか、端的に示すエピソードだ。筆者はこの述懐に触れて、市民の目が捉えたBPOの映画を観たい、と痛切に思うた。
 当時のニュース映像や宣伝大臣ゲッペルスの演説、現存するBPO主演映画の断片も、約100分の各所に挿入される。登場する有名人は総統ヒトラーはもちろん、前述のゲッペルスなどナチス高官たちの他、フルトヴェングラーやクレメンス・クラウス、エーリヒ・クライバー、リヒャルト・シュトラウス、クナッパーツブッシュ、チェリビダッケ、ボルヒャルトなど。戦後のBPOを支配したカラヤンの登場は唯一度、名前でのみ。なぜなら戦時中、BPOとカラヤンの接点はほぼ皆無であったからだ。仕事を得るためにナチスへ入党したけれど、当時のBPOとの接点が殆どなかった点が、時代をしてカラヤンを帝王の座に就かしめたか……?
 これまで黙して語られることわずかだったBPO内部からのナチス時代を、一切の作為やイデーを排して手堅く演出したエンリケ・サンチェス=ランチ監督の手腕の光る一作である。2008年ドイツ映画。
 同年11月01日から同月14日まで渋谷ユーロスペース2にて上映、後に『ベルリン・フィルと第三帝国 帝国オーケストラ』の題でソフト化された。
 なお、本稿は第0035日目で触れた映画のレヴューである。◆

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