第1343日目 〈「ミカ書」前夜〉 [ミカ書]

 イザヤと同じ時期にエルサレムから少し離れた町で預言したのがミカであります。かれもいつ、どのような状況下で召命され、預言者となる前はどんな仕事に就いていたのか、わからぬ人。が、出生地と活動した時代については明瞭で、ミカ1:1に記されている通りであります。かれは南王国ユダの王都エルサレムから南西に約30キロ、ペリシテとの国境ガトから東に約11キロの位置にあったモレシェト、或いはモレシェト・ガトと呼ばれる小村の生まれで、国がその王位にヨタム、アハズ、ヒゼキヤの3人を戴いていた時代に活動しました。即ち、前742-686年頃であり、3人の王の事績については代下27-32にあります。
 ミカはイザヤと同時代に生き、その活動場所もさして離れているわけではありませんでした。かれらが同じ国内にあって互いの存在を知っていたかどうか、それはわかりません。しかし面白いことに、2人は、エルサレムに対する主の審判に関して正反対のことを語りながら、エルサレムという都が果たす役割については同じメッセージを、同じ内容で語っております。「主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る」を含むイザ2:3-4とミカ4:2-3が、それであります。表現に関しては後代の手が入っている可能性だって否めないため踏みこみませんが、エルサレムに対して同様なメッセージを発信している点に興味深いものを覚えます。2人の人間関係に共通の人物がいればそれを媒介として、イザヤもミカも相手の思想について知るところがあったかもしれない、と思うと、ちょっとゾクゾクしてきます。
 では、王都エルサレムに対する主の審判とはどんなものであるか。イザヤは「イザヤ書」全体を通じて、一貫してその永遠なることを語りました。一方でミカは、エルサレムが完全な廃墟となり、復興したり永続性が築かれることはない、と説きました。ミカ3:12で「シオンは耕されて畑となり/エルサレムは石塚に変わり/神殿の山は木の生い茂る聖なる高台となる」と語られるようにであります。この一説を以てミカをペシミスティックだ、と断を下すのはあまりに早計でしょう。が、都から離れていれば或る程度までは現実を客観視していられることもありますから、あんがいミカは冷静に事態の推移を観察し、時代の行く末を俯瞰する思いだったのかもしれません。
 ちょっとイザヤを引き合いに出しての言が多くなりましたけれど、それというのも、イザヤとミカはまるでコインの裏と表のように思いもし、イザヤはミカをプッシングボールにして、ミカはイザヤをプッシングボールとして、自分の立ち位置を明らかにし、預言者としての活動を鍛えあげていった人たちのように思いもするからであります。
 ――ミカはエルサレムと北王国の王都サマリアに対する預言を残しました。かれの預言者としての活動はサマリア滅亡の幻によって始まり、バビロニア帝国によるユダとエルサレムの蹂躙と滅び、そうしてバビロン捕囚にまで至る。『新エッセンシャル聖書辞典』巻末の年表に従えば、ちょうどミカの活動期のほぼ中間に当たる頃サマリアは陥落したことがわかります(前723/722年 P1198)。そうした意味ではかれもまた時代の変化、しかも悪い方へ、悪い方へ、と靡いてゆく空気を肌で敏感に察知していた人ともいえるでしょう。
 「人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。/正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。」(ミカ6:8)
 では明日から「ミカ書」を1日1章ずつ読んでゆきましょう。◆

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