第1496日目 〈人類史上いちばん有名とされる“あの人”が生まれた日〉 [日々の思い・独り言]

 今日12月25日、クリスマスはキリストの誕生日です。ずぅっとむかしはそうではなく、5月20日であったり1月6日であったりしたそうですが、とにかく現在では12月25日を世界的にイエス・キリストの誕生日としております。
 イエスが生まれた年が本当に西暦0年なのか、それとも前6年頃なのかも実証がない以上、かれの誕生日に侃々諤々の意見があるのは仕方ないこと。学術的なことは専門家先生方にお任せして、われらは素直にこの日を皆と一緒になって祝えばよいのです。
 イエスが生まれた日のことは、新約聖書のマタイとルカの福音書に載っています。未来の日に載るべき記事を先取りする形になりますが、今日はまたとない機会なので、<特別編>として今日の日のことをお話ししようと思います。

 それはとってもよく晴れた夜のことでした。かつてバビロニア帝国があった場所か、或いはどこかその辺りで、1人の博士が西の空に輝く星を見附けました。博士はなにやら予感がしました。以前、かの地方に住まうユダヤ人から、「旧北王国イスラエルのベツレヘムでユダヤ人のメシアが生まれる」という預言がユダヤの共同体で語り継がれていることを、耳にしたことがあったからです。
 博士はやはりユダヤ人の預言を信じる同僚の博士2人を誘って、夜陰に乗じて西の方へと向かったのでした。博士の名前は明らかにされていませんが、一説に拠れば、バルタザール、メルキオール、カスパールである、といわれています。実際かれらが3人きりで行動したのかどうかは不明ですが、バビロンとイスラエルの間に横たわる丘陵地帯を少人数で移動するのは危険なことですから、それなりの数の従者がいた、と考えるべきでしょうね。それはそれとして、とにもかくにも3人の博士は西へ、ユダヤ人の故郷イスラエルを目指して旅路を進めたのでありました。
 その頃、ベツレヘムでは石工ヨセフと妻マリアが喜びに包まれて赤子を囲んでいました。少し前に生まれたばかりの男児でした。実はマリアは処女のまま経産婦となったのですが、この男児はれっきとした夫婦の子でした。聖霊によって身ごもったとは雖も、です。ヨセフはダビデ王の系譜に連なる人。この前後のことを、「マタイによる福音書」はこう伝えています。曰く、――
 「夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。『ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。』このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。(中略)ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」(マタ1:19-22、24-25)
 そこへ東方から来た3人の博士がエルサレムを経由して到着、生まれたばかりの男の子を拝み、宝物をささげ、祝福したのでした。よんどころない事情により博士たちは来た道を通らずにバビロンの方へ帰り、また、ヨセフとマリア、そうしてイエスはそのよんどころない事情のせいで遙々エジプトへ逃亡しなくてはならなくなったのです。
 というのも、当時ユダヤを治めていたヘロデという王がユダヤ人を恐れており、そこへ博士たちが現れてユダヤ人たちの王として生まれた男子はどこにいるのか、と訊ねたがためにヘロデはいっそう怖くなり、挙げ句にベツレヘムとその周辺一帯にいる2歳以下の男児を皆殺しにせよ、とお触れを出したからです。「よんどころない事情」とはこれであり、一人の王の小心が誇大妄想を膨らません、罪のない人々を哀しみに陥らせたのでした(20世紀の前半にも同様な小心が誇大妄想を増長させて暴走し、一つの民族を根絶やしにしかけたことを、われらは歴史の授業などで知っています)。
 ――こうしてイエスは生まれ、ユダヤ人の王として生きる人生を始めたのでありました。かれにまつわる聖書の記事については、然るべき時に取り挙げてゆくつもりであります。

 クリスマスの音楽、というと、わたくしは子供の頃からいまに至るまで棚にあり続ける中村メイ子によるクリスマスのお話や音楽が詰まった愉しいLPを思い出します。
 21世紀の今日でも毎年新しいクリスマス・ソングが作られて今後もその数は増え続けるのでしょうが、そのなかでも就中バッハの『クリスマス・オラトリオ』とヘンデルの『メサイア』、チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』は途絶えることなく聴かれ継がれてゆくものと思います。
 実はこの原稿も『メサイア』を聴きながら書いております。わたくしの愛聴盤は昔から、初めてこの曲を聴き、また、クラシック音楽入門の入り口にもなったアンドルー・デイヴィスとトロント交響楽団他によるEMI盤(ワーナー傘下になったことであのロゴがもう見られなくなったのは悲しいことであります)で、他のなにを聴いてもこれに戻ってしまうのはやはりこれが自分にとっての決定盤であるからでしょう。少なくともこれさえあれば他の盤はいらないかな、と思うのであります。

 読者諸兄は、親しいみな様は、今年縁あって出会ったあなたたちは、どんなクリスマスをお過ごしですか?◆

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